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人に聞いてみるのも手ですよネ。 ところが世間は、そんなに優しくはないのがほんとのところですから。 結局は、自問自答をするということしかないんですネ。 では、どうするのかと言えば、先ずは、日記をかく。 それから、自分の食べた食事を事細かに記録する。このような客観的な素描をすることで、自分の生活内容や、考えていることを知るのも、自分を知る。ということの意味がありますネ。ただ、キレイという外見のみをおっかけるのではなく、心理面や、自分の歴史といったものから、本来の自分の目標を導き出して、自分をこうしよう的な具体的な目標をみつけることで、自分をコントロールすることもできるのです。自分というものを知ることで、自分をこうしよう、ああしようということを考える楽しさを持つことができるようになれれば、ホントの意味のキレイというものへの手の届く範囲を理解できることになるでしょうし、自分で自分を演出できるようになれるはずですから。ものごとは一瞬のキラメキでなりたっていますから、すこしでも、それをながくかがやかせる努力が必要なんですネ。 そう、地道な努力の積み重ねが全てのことの元になるということを自分のベースにできるようになれればいいですネ。
2013.08.31
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では、何を個性と呼ぶのか。 簡単なことですネ。その人のこと。皆同じではありませんから。では、違和感とは、ワタシの表現ですから、必ずしも一般的ではありませんが、読んで字の如しで、そこにあって、なんだかなぁーって感じることです。何事も、限度というものがある。というのが、ワタシの考え方なんですネ。 では、お洒落にも?そういうことでもないんですネ。心の問題は、誰のものでもないのですから、自由でいいんです。自己表現をする場合の方法論で、好き勝手なのか、その場への配慮があるのかの違いでしょうかネ。楽しむということは、自分の心の問題ですから、周りには関係ないというものでもないんですネ。人間は、社会に帰属して生きていますから、常にその場というものがありますネ。その場その場で、いろんな局面が存在しますが、特別にへつらう必要はないんですネ。 ただ、自分が配慮することができるかできないかというだけのことなんですネ。 ガマンしたり、妥協したり、そんなことも必要な場面は多々ありますが、そんなものは、それだけの話ですから、それらに振り回される必要はないですネ。お洒落心にそんなことまで考える必要があるのか? 楽しむということは、そのようでありたいと思っているだけです。 決して押しつけるものではありません。個性を押し出すという意味は、自らするものではなく、周りが、それをここちよく受け入れている瞬間の話だと思いますネ。
2013.08.31
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何かが足りない。今朝の女子アナをみて、そう感じた。 なにが? あくまでも、ワタシの感じですから。 特に個性的な彼女ではないが、特別に個性を出す必要もない。 しかし、テレビでしゃべるのですから、違和感のないアナでいて欲しいと思います。何が足りないとかんじたのでしょうか。 それを分析してみると、髪型、お顔の輪郭、目や鼻といったパーツの配置。 それらをそれぞれ勝手に分析。 前髪が重い。輪郭に対処が足りない。眉、目、口、それぞれのパーツにほどこしたメイクのありかた。じゃ全部じゃないか。それを言いたいのではなく、何故、自分のポイントというものを探さないのか。を言いたいだけなんですネ。ワタシの屁理屈は、メイクは、全部にするのではなく、必要な場所に必要なだけをする。たったそれだけのことなんですネ。 漠然と、するのではなく、目的を持ってする。メイクは、部分的にする場合もありなんです。目的さえ押さえていれば、結果オーライではないでしょうか。トータルファッションとはそのようであればいいのだと。メイクは、ファッションの一部に過ぎませんからネ。違和感の無いメイクを心がけたいものですネ。
2013.08.31
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秋や冬というのは、どうしても衣装が厚い素材や色味のダークトーンのものが多くなるのですが、そのためか、メイクに注目が集まりやすいとも言えますネ。普段、ワタシは薄付きメイクがと推奨していますが、この季節のメイクは、それもありかなとも思います。それも、とは、メイクメイクしたものという意味ですネ。というのは、メイクを楽しむという意味では、この季節が一番なのだとも思っていますから。 そして、少々の厚塗りメイクも、違和感が無くなると思いますから。 素材がいろんなものが増えるので、それらとのコラボを考察した時は、ナチュラルありきだけでは、楽しむという意味では苦慮してしまうなぁとも思いますからネ。いろんな小物なども楽しむという意味では、メイクも追随してもいいのではないかと、ふと思うこともあります。 ただ、それは、毎日のなかの一部分であって、毎日がそのようでいいと思っているわけではありません。 衣装のありかたひとつで、そのようであってもいいのではということですから。
2013.08.30
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季節の移ろいは、お肌の状態や、爪の側の皮膚を固くすることで、あらためて感じられますネ。 それは、悪いことではなく、身体が反応しているということですから。そのような感覚を覚えたなら、食事のメニュー構成や、これからの予定の衣装の点検などを始めることが必要だということでもありますネ。 何事もある程度は、早手回しが肝心かも。季節の移ろいは、心の微妙な変化にも影響することでしょうから、自分の体調も含めて、身体検査をするのも悪くはないのではないでしょう。 そのような具体的な心配などは、自分で対処できるものですからネ。準備はするにこしたことはないですからネ。心のケアとともに、目先の対処もしましょう。
2013.08.30
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特に秋用というメイクがあるわけではありませんが、気をつけるとすれば、夏の厚塗りの癖がのこっているようであれば、それは直さなければ成りませんネ。 特に、厚塗りをしていないという人でも、汗対策であったり、日焼け対策であったりという理由で、塗るということをしていたのであれば、心の裏にある隠すということが存在しますからネ。メイクは、そのようなものではないはずなんですが、そのようなものに成り下がっているもんなんです。で、秋用というメイクがあるとすれば、できるだけの薄付きをこころがけてみるといいですネ。そして、頬紅の使い方としは、頬そのものに使うというよりは、お顔の輪郭にボカすように使ってみると、立体感がでますネ。口紅も、少しだけハッキリとさせる色味を考えるといいですネ。そのくらいのことなんですが、これらは、衣装の変化に合わせるという目的によるものなんですネ。特に口紅の色味は、ブラウスの色や柄を考慮にいれればいいと思いますネ。口火流の動きを意識させるという目的としてもそのような考慮をしますしネ。全体のファッションという考え方は、一般的ですが、お顔と上半身の色合わせという考え方をすることのほうが、より効果的な組み合わせをできるのだと試してみるのもひとつかもしれませんネ。
2013.08.29
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やはり気になるのが、眉頭の部分の描きだしが強いということ。その結果は、目つきがきつくなるということなんですネ。 しかし、当の本人は、それが眼をハッキリさせているのだと勘違いしているのだと思います。 それって、方向が違っているので、そのまま進めばとんでもないことになってしまう。ということなんですけれど、どうにかして、そのことを気づかせたいのですが、その手だてというものが無い。せめて、自分で気づいてくれればと、願うばかりです。メイクをするということの意味が、そのような人にとっては、自分を目立たせるということが目的なんだと思いますが、目立たせるではなく、自分をキレイにすることだと考えてくれればいいのです。しかし、勘違いの方向性にいる人にとっては、そこに気づくことは絶対にと言っていいほどの距離の差があるのは否めませんネ。目立つ必要はどこにもないのにです。それよりは、側にいて、違和感のない存在になるほうが、キレイであるということの証明です。キレイとは、そのようなものなのではないかと思っています。
2013.08.29
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秋口用のブラウスの色味を金茶ベースのものと、ライトグレイのものをイメージしてみました。 そして、その色味の為の口紅もイメージしてみました。 夏のパステルに対して、ややハッキリ系、でも、コーラル系も捨てがたいので、迷っています。これは、シュミレーションですから、頭の中だけのことなんですネ。 このようなことは、季節ごとにその手前には必ず行いますネ。 それは、いきあたりばつたりではなく、その季節を楽しむということと、そのそものをも楽しんでいるということなんですネ。まぁ、あまり金額をかけるわけにはいかないので、それなりの工夫というものが必要なんですネ。でも、お洒落って楽しいですよネ。 つまんないことに費用をかけるのであれば、それよりは、お洒落でしょ。イメージですから、いつそれを実行に移すのかは、まだまだなんですけれどネ。
2013.08.29
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メイクにおける眉は、その存在を明確にするのか、しないのかによって、その表現は、まったく違うものになる。ということを知って欲しい。そのひとつは、眉がハッキリしていることで、メイクが仮面のようになってしまうということ。そして、そうでない場合は、メイクの自然さが表現される。という違いなのですが、では、どれほどの違いなのかというと、右と左ほどという違いではなく、ちょったとだけという違いなんですネ。 では、なんでそんなに大騒ぎをするのかと言うと、そのわずかな差そのものが、表現の大きな差ということなんです。 メイクの違いなんてその程度のものなのですが、大きな違いと言う意味は、見た目のインパクトだけなのか、いつの間にかとけ込む的なものなのかの違いなんですネ。見た目だけのものは、簡単に底が割れてしまうものですが、いつの間にか的なものは、心にしみこむくらいのものが隠れているものなんですネ。メイクとは、それ自体が問題なのではなく、なく、その後ろに隠れているものが問題なのですネ。では、後ろに隠れているものとは。ということは、心のありかたなんですネ。 自分でも、判らないことなんでしょうけれど、心が表現されるのだということを知っていて欲しい。そして、それは、眉だけのことではないのですが、ワタシに言わせれば眉ほど表現の表にたっているものはないのではないか。ですネ。
2013.08.28
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今朝の女子アナの眉は、以前と比べるとかなりよくなっていた。決してこのブログを読んでとは主はないのですが、周り回っての情報元になるとしたら、それはいいことなんですネ。一人でも、キレイな人が増えてくれれば、その人の側に居る人たちもキレイな心を分けてもらえるわけですからネ。 環境というものは、元になるものが存在し、それが核を成し、その周りが影響を受けて、また、そのまわりに波及していくという連鎖が生まれて、環境に成る。と考えています。 いいことは、どんどん波及して欲しいし、キレイは、人の心をもキレイにできますから。では、たかが眉ひとつで、そのような大言壮語を言うのか。ワタシは、そのように思っていますし、そのようにしていこうと考えています。どんなことでも、核となるものがありますから、その核を、先ずは射止めて、自分の中に確固たる核を構築し、その表現方法をまとめて、それから革新的に人へ伝達していくということが大切なのではないかと思っています。眉の持つお顔の表情の表現は、面白いほど、その人の心情を表現できる部品なんですネ。ですから、その核ともなる部品の正確な表現方法を自分のものにすることが大切なのですネ。
2013.08.28
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メイクにおける眉の場合は、描くという行為がありますネ。しかし、完全に描くという行為だけの場合のメイクの仕上がりは、キッチリとしたきれい感になりますネ。で、その場合なのですが、よくあるメイクパターンになつてしまうんですネ。ということは、よくある顔。ということになりますネ。本来は、メイクにこめるねらいは、個性なのではないでしょうか。なのに、ボツ個性的になってしまっては意味が無いですよネ。ところが、現代マジックともいうべき答えは、コピーでもいいんです。という答えなんですネ。ですから、いつまでたっても、同じような顔があちこちに居る。ということになっています。ワタシの願いは、ひとりひとりが、自分で自分を表現することをする。というメイクを心がけてほしいというだけのことなんです。 強いて言うなれば、日本人の世界は、意外に似ていることになってしまいます。顔立ちも、肌の色も、髪質も似たり寄ったりでいからネ。そこで問題です。ワタシの提唱する元から有る眉を利用する。お顔の筋肉から割り出しての眉のパターン。それをすることで、自然で、かつ個性的なメイクを作れるということはあるにも関わらず、そのようなことをしようとしないのは何故か。 メイクを教えるというサイドがワンパターンに成り下がっているということですかネ。一般受けすれば、お金にはなりますからネ。個性的というのは、逆に理解されない。でもあるのかもしれませんもからネ。
2013.08.27
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眉ばっかりを主張してしまうと、メイクの質がいまいちになるのだということを考えてみると、いきつくところは、表情が硬くなってしまう。というとこでしょうか。どの角度からみても、そのようにしか見えない。ということは、本来のキレイという観点が見られないということですから、メイクの意味が無くなってしまうということでもありますネ。メイクをするということの意味があるのであって、メイクの為のメイクをするわけでは無いと思いますから。そのへんの考え方は大切ですよネ。何も考えずにメイクをしようとする人は居ないとは思いますけれど、目的意識がハッキリしている人もすくないのかもしれませんネ。計算できるようで、計算ができないのがその日の状態なんですが、普段から、生活のリズムを保っていれば、お顔のお肌の状態などは、ある程度は一定の安定を望めますネ。そのような平均的な自分の状態というものがあるのであれば、計算のできるメイクというものもあります。上から乗せるモノだけがメイクではありませんからネ。自分の心の表情のありかたが整っていれば、表情も、ある程度の感性が表現できますから、その上でメイクをすることが計算ということにもなりますネ。そうしたなかでの眉のありかたですから、最後の微調整くらいはしなければならないのではないでしょうか。ですから、キッチリとした眉の感性というものは無いということですネ。ピラミッドの最後の飾り石のようなものが眉なのかも知れませんネ。
2013.08.27
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メイクそのものは、仮面ではないのですから、自分を変えるなどとは思わずに、自分の表情を表現するのだという意識でやってもらえればいいのですが、そうでないと考えている人が多いのが気になりますネ。 メイクを楽しむということをワタシは提唱していますが、それは心のありかたのことであり、作りまくることを提唱しているものではありません。簡単にするのもメイクであり、キッチリするのもメイクではありますが、それぞれは、その目的に従って行うことなのであり、それが特にこうでなければならないというキマリはありませんからネ。ただ、接客のような場面に立つので有れば、最低のマナーとして、それなりの効果というものを反映することが大切かとは思いますネ。 それって、つまりお洒落心とは、ちょっと違うのではないかと思いますネ。 何故なら、意識的にするメイクは、ある意味仮面の可能性がありますからネ。楽しむメイクとは、自分の本来の心の表現なのですから、基本的に、意識してするメイクとは一線を画するものとなるのではないかと思います。 それぞれのメイクには、心がありますが、表現の自由度というものが違いますから、それはそれで致し方ない違いとなりますネ。 なにがどう違うのかは、センスの分かれるところなので、一概にこうだからこうだとは言い切れないものがありますネ。 厳密に言えば、こうだからこうする的なことなのですネ。 ただ、そのようなことをワタシは、楽しむとは思っていないということなんですネ。 ワタシの基本は、楽しむ心というものを大切にすることなんですネ。 ですが、そこには、一般的な理論とは融合出来ない狭間があるということは承知しています。 メイクとは、心の表現であって欲しいと思っています。
2013.08.26
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今という時を大切にしましょうとは言うものの、ワタシの頭のなかは、九月の末までは、このまま流す的な発想ではありますネ。 十月の先の為にと、今から準備するのは、アレンジ小物類の発掘をする期間にあてるのですネ。 そういった発想をすることで、それまでに、今の自分が何を成すべきかが判りますし、そういった行動をとるようになるのが楽しくもありますから。ある程度、こういったワクワク感を持つことによって、自分のルートを確保しながら、楽しく時間を過ごせると思いますから。楽しく過ごせるというのは、結果オーライというよりも、見ることのできる足跡的なものなんですネ。メイクなどは、自分で理解できいるので、どのようにアレンジしていくかなどは、楽しく考えられますしネ。 無理矢理と作ることはなくてもいいのですから、そのほうでは悩みが無いのと同じです。でから、小物類などを発掘していくことなどが大切になってくるのですネ。 そのことなどをたのしめれば、秋のお洒落などは、楽しくてしかたないくらいになりますから、準備をすることも楽しいことになりますネ。
2013.08.25
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自分を評価するのは自分でなければと思いますネ。それは、他人の評価に振り回されるのではなく、自己満足の世界の完成度の高さで、自分を正しく評価できればいいのではないかと思いますネ。今の自分を、楽しむ為にも、自己満足度を高めるべく、かつ努力をすることで、世界観というものの将来までを見通せるかもしれませんから。いま、自分で自分を評価するとすればの場合、辛口で評価するようにしましょう。自分に甘いのが人情だとすれば、それを敢えて辛口にすることで、自己満足度の感性度がたかまりますからネ。 どんなつまんないことでも、積み重ねると必ずものになります。と、それを信ずることで、むなしい努力なんてのはなくなりますからネ。おもいたったが吉日ではなく、いつからでも、そうできるのですからネ。
2013.08.25
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メイクを楽しむとは、何も、特別なことをすることではなく、自分の心を高揚させられればいいだけのことなんですネ。衣装などは、季節の度に買い足していけば、結構自分好みのワードローブになるのではないか。しかし、メイクは溜めることはできない。 だから、自分で新発見をして楽しむ。ということが大切なこととなりますネ。情報は、紙面などから沢山手に入るのだとは思いますが、それを鵜呑みにしないで、自分で検証してみるといいですネ。そうすることで、新発見に繋がりますから。いつまでも、与えられるのを待つのではなく、自分で、自分好みの方法をみつけることも大切ですネ。 意識して毎日を過ごすことで、必ず、自分にたいしてのプロになれますからネ。そして、その日の気分で、自分の引き出しから、きょうはこれ的なチョイスができるようになれます。 それもこれも、楽しむとい心から始まります。
2013.08.25
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メイクを楽しむということができてますか?毎日なにげにとか、しなきゃでれないなどの理由で、しかたなくなんてことはないですよネ。自分を楽しむということの毎日が過ごせてこその人生なのではと思いますけれど。毎日が未完成でいいと思いますヨ。 似たようなはいいのですが、毎日同じ顔では、かえって変なんですヨ。 ちょっとした理由は、毎日のありかたが違う条件なのですからネ。 季節だったり、着用する衣装がちがいますし、心が同じということは無いですよネ。 で、毎日の積み重ねが大切ということになるんですネ。 メイクは、自分の自由にできて、かつ自分の意思表示の場とも言えるのではないでしょうか。 そういう意味で、ワタシは、メイクが好きなんですネ。 多分、乗っている時は、その人の最高の状態が表現されているのではないかと思いますネ。ワタシは、自分の顔にメイクをすることはありませんが、そのような理由で、人の顔をみて、勝手に想像して、喜んでいます。そして、いい顔に出会ったときはそれを記憶にインプットするようにしてるんですネ。 なぜなら、いつか、そのことを表現する機会にめぐまれたら、表現できるといいなと思っていますから。
2013.08.25
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アイメイク!!というふうが、はやりではありますが、それはお若い方の話ですネ。やってみたい年頃のメイクに過ぎません。それは、キレイというテーマからはばすれていますから。 そのような、誰もが同じようなお顔になってしまっては、個性などは存在しませんからネ。それを中年といわれる年代の方が、若作りのつもりでなさるのは、いまいちではないでしょうか。アイメイクをバッチリなどしなくても、ワタシの提唱しているファンデ、口紅、眉、それだけで、充分に個性は表現できますから。メイクに頼るのではなく、メイクは表現の一部なのだという意識のほうが大切な個性の表現につながりますからネ。 それと、はやりといわれるような時は、もはや過ぎているくらいの感性を磨いて欲しいものですネ。 人をみてから、自分を決めるのではなく、いろんなモノをリサーチして、自分で決めるくらいでなければですよネ。アイメイクなどは、自分の好きでいいのですが、過ぎたるは及ばざるが如し。ですから。先ずは、自分を、よく知る。が必要だと思いますネ。
2013.08.24
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ファンデに大切なことは、丁寧に叩いてのばす。これだけなんですネ。叩いて伸ばすだけではありますが、これで、ちゃんと薄付きにできるんですネ。で、ファンデは、下地のようなものですから、全体に丁寧になんですが、ワタシの提唱するのは、上瞼には塗らない。なんですネ。これは、瞬きの数で、ファンデがよれてしまうことを避けたいからなんです。そのかわりは、下地クリームがありますから、その上にシャドウ類を使うことで同等の効果とします。つまりアイメイクは、そのような重ねかたをしなくて、できるだけ軽い状態で演出したいものなんですネ。 塗ればいいってもんじゃないですからネ。さて、ファンデへの拘りはワタシにはありますが、みなさんがそのようであるかは判りません。 ワタシの拘りは、丁寧に。それだけなんです。下地は丁寧になんですが、色がなければ見えないですよネ。ですから、ポンポンと何カ所に置いてのばすようなことはしません。塗りながら、タシながらなんですネ。そういう細かなことが拘りという意味でもあります。仕上がりの程度は、自分でちゃんと見とどけられますから、鏡への光を工夫しながら、合わせ鏡をして、最終確認をすることを、お忘れなく。
2013.08.24
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難しく考える必要はないとは思いますが、ワタシは、眉と同じくらいに拘りがあります。色味だけのことではなく、塗り方、唇の使い方によるしゃべりかた、それらを学ぶことで、メイクの表現は大きく変わりますから。 それと同時に、お顔の表情のコントロールまでできるはずなんですネ。口紅の塗り方としては、上唇の口角側から、中央へ向かって、ブラシを使って。次は、その塗り終わった上唇から、下唇へとかみ合わせをして転写をします。次は、下唇のその線をやはりブラシを使って塗ります。方法は、これだけなんです。 その他は、ベースとしての色として、ベージュを使い、その上から、使いたい色を塗ります。 そして、すこしだけ気をつけたいことは、中央部に、やや明るめの色味を使います。これだけのことだけなんですが、このことを丁寧にする。ということが最も大切なことなんですネ。 ただし、これらは、使い方なだけで、ほんとのねらいは、唇の使い方を意識することが肝心なことなんです。つまり、表現とは、表情のコントロールにあるのであって、表面的な表現ではないんですネ。
2013.08.24
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なにげになされてしまいそうで、それを、アッ!と、手をさしのべたくなってしまうのですが、思うだけで、実際には手が届くわけがありません。ある眉をどんどんと削ってしまう。どーしてそうなんでしょうかねェ。毎日自分で観ていると、きっと、ものたりなくなってしまうのでしょうねェ。キレイということへの欲望は、キリがないので、そのようになってしまうのかもしれません。 そこで、提案をしてみたいのですが、どんなふうになっているのかを知る為にも、所謂定点カメラの設置。 設置と言っても、固定する必要は有りません。ケータイでも、デジカメでもなんでもいいんです。要は、自分を撮るだけなんです。そして、それを毎日見るというよりは、一週間ごとに見るくらいでいいと思います。その変化が判るようでは困りものなんですけれどネ。ワタシに言わせれば、たかが眉なんですけれども、その一瞬を司るくらいの意味があるものなんですネ。 まぁ、ワタシのように拘る人はいないのでしょうが。 目立つようで、目立たせないという意識のなかでなされるくらいの繊細な意識が、ほんとの意味のキレイに手が届くという結果をもたらすのだということを意識してもらえればいいなぁというのが、ワタシの願いですネ。
2013.08.24
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まさか、このブログを見ているとは思えないのですが、今朝の女子アナの眉に変化のあとが見受けられました。 逆上がりの程度が、ややうちばになり、惜しむらくは眉頭の部分の取り回しに難あり。彼女の周りには美粧といわれる人はいないのか?自分で直すのは、意外に難しいのです。何故なら、意外に自分は見えないものなんです。まぁ、普段から、客観的に見るという習慣があるのなら別なんですけれどネ。自分で思っているよりは、自分を観るというのは、案外と、近視的感覚なんですネ。離れて見るという感覚を磨かなければ、いつまでたっても自己分析などできようはずもない。たかが眉の話かもしれませんが、その眉すら、満足に見ることができないとすれば、自分の全体像の把握だってアヤシイものですネ。
2013.08.24
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秋にむかっての準備。メイクを再点検しましょう。汗で崩れるからとか、どうせ汗で流れるからとかの理由で、イージィーになりがちだったメイクを。 何をどうとは言いません。 ご自分でなさっている通りのことですから。 ですが、自分ですると、意外と見過ごしてしまうこともありますから、敢えて再点検という言葉を使ってみました。人間、だれると、気づかずにいるうちに、自分を見失うことだってありますから。ふわついた自分に軌道修正のゴーサインをだしてやることで、自分を取り戻す。わざわざそんなことをしなくても。と、思った人は、自分を見失っているということでもあります。キレイは、行きつ戻りつの間にあるもので、不確かなものなんですネ。一瞬の間。それがキレイというものの正体なんですから、手にすることは出来得ないものなんですネ。ですが、それを手にしようという意識がなければなを出来得ないし、限りない努力が要るのですネ。その場合の努力とは、自分への再点検という言葉で表現してみました。毎日のちいさなことの積み重ね。これだけがほんとのことではありますが、いろんなアプローチがあってもいいのかなとも思います。
2013.08.23
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湿度のありかたによって、勘違いをしてしまうことが多いのですが、自分に都合のよいようにです。 ほんとは、気をつけていなければいけないようなことでも、都合よく解釈をして、見逃してしまうということなんです。お肌のハリや、指の爪の弾力や、その爪の際の皮膚の硬さなどなど、いろんな美容的観測というものがなおざりにされてしまいますネ。 湿度の影響というものは、結果的には、季節の移ろいを働きかけているのにです。働きかけるというよりは、むしろ、知らせているというほうが正しいのかもしれませんが、リアルに今だけを感じるのではなく、その先にあるものを予測するくらいの美的判断力をみがかなければならないと思います。そのように科学することで、計画的な自己コントロールを身につけられれば、自分の表現方法にも、かならず役に立つことになるでしょう。キレイという為の自己コントロールですから、やって損はないと思います。単に湿度がなん%という知識よりは、体表面で感じる現実のほうが判りやすいのですネ。ですから、こうでなくてはいけない的な発想ではなくて、これもありかな。あれもありかな。という柔軟な発想を身につけることで、現実の問題をひとつひとつ理解できるようになれるということなんですネ。理論武装ではなく、リアルに対応しながら、自分を観るという力をみにつけられれば、湿度のような自然現象をも、味方につけられるようになりますネ。
2013.08.23
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身体の周りを空気が包んでいます。この空気が曲者なんです。この空気の状態しだいで、身体の具合というものがコントロールされてしまうことなんですネ。ただし、このブログで問題にするのは美容という分野だけにしたいので、それ以上のことは考察しませんけれどネ。空気中の湿度が、この美容という観点には大切な目安なんです。そのことだけで、お肌や髪の状態の善し悪しが判断されてしまいますからネ。 ですから、それを理解して、いつでも同じ状態を維持し続けることが大切なんです。空気によって、左右されているということの意味を捉えて、その理由というものを理屈ではなく、身体で感じて理解して欲しいと思います。美容という観点からは、空気の存在を殊更意識はしません。何故なら、そのような不確定要素を理由にしたならば、理屈やテクは大したことがないものになりますから。 ですが、ワタシは、殊更そのようなことを問題にします。理由は、生かされているという言葉に表されるように、大きな世界の中のひとつにすぎないひとつだという事実を覚悟して、自分というもののありかたを表現する。たったそれだけのことですから、それだけを考えればいいのであって、細かいことをぐちゃぐちゃ考えることをしないで、いいのだと。 ですが、そこにいくまでには、ぐちゃぐちゃの部分をひとつひとつ片づけて行く必要はありますネ。そして、その上で単純にできるということが、ひとつの美容なんですネ。つまり、最初から単純なのではなく、結果的に、そのようにできるということがキレイというものへの手続きだということなんですネ。そのような拘りを持つからこそ、ほんとの意味のキレイに手が届くのだと感じてほしいのが、そのような大気と身体の関わりを問題とする提案なんですネ。
2013.08.23
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しかし、秋はもうすぐ。夏の間の新陳代謝は否応なしに、急がされてのものでした。 自律神経といえども自立してはいられない状況のことでした。 で、これからは、車は急には止まれない。状態になりますネ。今の汗のかく状態のうちに始めることは、食事療法からが望ましいと思いますネ。身体の内側から積極的に攻めていく。という考え方をし、温野菜を積極的に摂取し、腸の働きを正常に戻すというところからの開始がいいのではないでしょうか。冷製の食事もそろそろ停止し、ノーマルな食事にするのも一考だと思いますネ。そして、洗顔などは、洗剤の使用量を最低限にし、ワタシの提唱している洗いにくい部分を使っての洗顔をし、より刺激の少ない、かつ動きのあるようにする。こういったことを丁寧にすることで、いままでの急ぎすぎたお肌の状態にストップをかけることをしながら、コントロールしていかなければなりません。モノでの対応を、直ぐに考える御仁には理解しにくいことなのですが、身体は、コントロールできますからネ。自らの意思でコントロールするのと、周りにさせられるのでは、意味が違ってきますから。ここ二週間くらいをかけて、そのような意思を持つことが大切になってきます。精神的に疲れていても、自分の為ですから、そのようなことからはじめてみませんか。
2013.08.22
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テレビを視ていて、それぞれの出演者はそつなくまとまっているのが判りますネ。 もちろん側に美粧という係りの人が居るはずなんです。たまーにそうでない場合もありますが、概ねは、そのようだと思いますネ。ですが、一般人の場合は、全てが自前なのですから、いかに自分で自分を律しているかの話ですよネ。なんでもそうなんですが、特に、キレイを目指すのであれば、自分の世界を持ち、自分の維持管理を心がけるということを毎日の生活の中にとけ込ませていなければなりませんネ。その上で、ひとつひとつの仕草を考察し、あのほうがいい。とか、このほうがいい。と、ひとつひとつを考えるということの積み重ねが、自分で自分をキレイに導いてくれることなんですネ。面倒がらずに毎日の積み重ねを意識しながら、キレイを目指しましょう。
2013.08.22
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自然なものを失わずにいる人の方が多いのではありますが、目立つのは、眉をつくりまくってる人のメイクのほうが、メイク!って感じで、目立ちますネ。ワタシ思うのですが、何故そのような目立ち方をしようとしますかネ。ほんとうに本物ならば、何もしなくても存在感はありますから。無理して、自分を誇示する必要は無いのではないでしょうか。人間の本体そのものが存在感そのものに成り得るのですから、なにも、これみよがしでなくったっていいと思うのですネ。ましてや眉などは、自然な感じですら、表情を表現するのには完成度が必要なのにです。メイクをする。ということそのものよりも、表現のありかたで、その人の存在感が問われるのですから。メイクをすること自体に無理をしなくても、なるようにしかならないのですネ。自分というものを大切にする。という意識があればこその自分ですから、もっと毎日のありかたを大切にしながら、メイクを楽しめるような自分になるようにすることで、ほんとの意味の存在感というものの形がみえるようになれると思いますネ。
2013.08.22
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お顔がどのようであればキレイと言うのか。 キレイという言葉遊びをする気はないのですが、そのようなことにもなりかねません。メイクをするだけで、キレイと表現するのはどうなんでしょう。本来あるべきその人の評価軸のことを基本にし、それに付随する表現を評価しながら、そのひと本来のものが、表現なされているようであればこそ、キレイという単語が正しく表現されていることになるのではないでしょうか。その人をキレイにする。そのような美容というものが存在すれば、ひとをほんとにキレイにできるのにネ。 美容という名のもとで、それは商いにされている。 しかし、商売とはそんなものなんですネ。 世の中、本気などという商売は存在しない。 ワタシは、それをやろうと、夢のつづきなどという名の美容室をやってきましたが、結果的には現実に流されて、止めるということになりましたネ。 でも、これからは、このようなバーチャル世界を利用しながらも、それをしていこうと思ってはいます。ワタシの本気がどの程度のものなのかは、ワタシにも判りません。が、やってみなければ判らないのも確かですよネ。
2013.08.21
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これみよがしに塗ってます!的なメイクは、普段は要らないですよネ。メイクというものの考え方に、化ける的なものであるとしたら、それ自体は間違いです。メイクは、あくまでも、その人を補佐するためのものであり、演出の必要度に応じて、そのありかたを微妙に使い分けるものだと思いますネ。 職場などでは、それが顕著ですネ。職場がどんな場所であってもということではなく、接客などをする場合でも、メイクが特別な存在になるということはないのです。 あくまでも、本質的には、その人が主役であり、メイクはそれを表現するパートに過ぎないとかんがえるものなのですネ。人は、その意味として、仕事をする。という場合に、その仕事に精通し、その能力を存分に発揮することで、その存在意義をみせるものだと。結果として、その人の評判があがり、その人の存在がみとめられる。その場合、メイクがさりげなくであればなをいいのですネ。メイクありきではなく、あくまでも、その人ありきなんです。メイクとは、そのようでありたいと思います。
2013.08.21
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ワタシは、お若いかたのメイクは、要らないと考えています。理由は、若さというメイクをしているからですネ。それに対して、中年と言われる方のメイクには一言言いたい。ファンデは厚塗りしない。眉は、キッチリ描かない。口紅は、しっかり塗らない。たったこれだけで、メイクが、自然になり、お化粧!とはならないからですネ。で、ここまでの年齢以上の方は、好きにしてもらって。理由は、そのくらいの年齢にもなれば、どうすればいいかぐらいは承知していらっしゃるはずですからネ。ワタシの場合は、フェーストゥフェースであれば、もっと、ひとりずつの評価軸を、お伝えして、そのひとの為の方法を一緒に考えますけれどネ。 まぁ、メイクというものは、必要なところに、必要なだけすればいいのであって、なんでもかんでも塗ればいいということではないのですからネ。キレイというものは、そんなものではないでしょうか。楽しめればいいと思います。
2013.08.21
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なにげにやるのが普通なのだとしたら、それを丁寧にしてみるということをお勧めしますネ。何故ならば、たったそれだけのことで自分というものが、違って見えるということなんですネ。では、何故眉に手を入れたのか?をかえりみることをしてみると、なにが判るでしょうか。もともとの自然なイメージというものが思い浮かぶようであれば、それは、まだ救えますネ。 でも、自分のもとが思い浮かばないという人の場合は、本質的に失ってしまっているので、自分を作るということの意味が気薄なままになされているのだと思います。手を入れるということは、意味があるはずなんですネ。つまり、目的があっての改装になるわけですから、自分のイメージをどのようにするのかが、ハッキリとできていたほうがいいはずなのに、それが気薄ということは、何処へ行くのかが明確ではないだけではなく、何をしたいのかさえ無いに等しいということになりますネ。大切なのは、何をどのようにしたいのかということですから、自分をよくシルということからはじめなければならないということでもあります。たかが眉の為にと思うかもしれませんが、そのくらい大切な部分なのだということです。毎日を丁寧にすることをお勧めします。
2013.08.21
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の影響が顕著に表れだしたのかと思えますネ。女子アナ達のメイクがある意味いい感じの軽さになってきたのではないかと視ています。メイクも、度が過ぎては幻滅に繋がりますからネ。もともと女子アナといってもチャンネルによっては、その限りではないのですが、ワタシは、朝は、某国民放送しかみませんので。いまどきは、女子アナといっても、タレントはだしですから、それはそれでいいんです。たまたま毎日視ていると気が付く程度のことなだけですから。テレビだけの話ではなく、メイクというもののいい加減ささは、それぞれなので、文句はいえませんが、関わりのある者としての心の痛みを感じる次第なんですネ。手がでるほどに直してあげたい!と思うことがままあるのが現実ですから、それなりにはガマンしています。
2013.08.21
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大袈裟なようですが、人生を変える場面を演出するかも知れない。ということがあるのかもしれませんネ。たかが眉にです。人生などと、比べるものがおおがかりにものを言うと、そうかなぁと思われることでしようが、ワタシが何故、そのような比喩をするのかは、ワタシの経験してきた人生の上での、いろんな狭間を視てきたところによるものなんですネ。ですから、その一瞬にかけることを意とすることを選択して生きています。その時々の人の表情を飾る眉は、その一瞬を視ているのだと信じていますから。そして、その人々の表情は、逆に人々に視られていて、その真実を評価される瞬間というものが存在するのだということを知らされてきました。そのような様々な出会いが、ワタシに眉というものの存在を介して、人生というものを鑑みさせてくれました。ですから、ワタシは、そういった時空を信じて、人との出会いというものを、その一瞬にあずけることにしています。ひとは、そのようなことまでを考えて毎日を生きている訳ではありませんけれど、偶然というものの出会いがあるということを知っていると思います。ですが、偶然も二度重なると、それは必然ということなのですネ。それでも、そのような必然というものを理解出来ない人は、そのままの人生を生きるということになりますネ。 ワタシは、そのようでないひとを送り出す為に一人でも多くの人に眉というものの大切さを知って貰いたいと、眉の話をし続けるつもりでいます。
2013.08.20
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レジの対応が丁寧でしたので、そんなひとはキレイに近づけてあげられればいいなぁ。という思いで、名刺を渡して電話をしてネ。と、伝言したことがありましたが、結果は、なしのつぶてでした。 ワタシは、自分から、そのようなことをしたことは無かったのですが、その時は、もうすぐお店を閉めるから、それまでだったら、そのような空間でのメイク指導ができるのではと考えた次第なんですネ。 でも、まぁ、知らないおじさんに急に、そんなものを渡されても困りますよネ。奥さんにそのことを話たら、そんな安売りしたらダメ!と、一括されてしまいましたが。で、その後は、そのレジの人の列には並ばないことにしました。絶対にです。 と、そんなことはどうでもいい話なんですが、名刺って難しいものなんですネ。そこから、異空間が繋がる可能性もあるのにです。 でも、ワタシ個人は、あまりひとの名刺を大切に思ってはいませんけれどネ。 ワタシは、人付き合いというよりは、その人をキレイにする。というという感覚のみを大切にしてきましたから。 でも、こんな気持ちってなかなかと伝わらないものなんですネ。
2013.08.20
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スポーツの女子がテレビに映っている時に、やはりメイクをしている場合の眉が気になる。ワタシは、それを視ながら、あぁ、教えてあげられればいいのになぁと思っています。ただ、それは、大きなお世話というだけの話なんですけれどネ。たかが眉かも知れませんが、そのことだけでも、インタビューなどのときなどは、できれば上手なほうがいいと思ってしまいます。たったそれだけの為に、ワタシがどこそこまで出かけるということは出来ませんし、それこそ大きなお世話なんですネ。 以前、機会があり、ネールアートのプレゼントをしたことがあったのですが、それは一回だけで終わってしまいました。多分、ワタシに他意が無いということが伝わらなかったというだけのことなんでしょうが、無償の愛というものがあるように、応援する。という心もありなのではとは思いますが。なかなか、そのような心は、実際の処伝わらないものでもありますネ。
2013.08.19
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メイクにおける眉の場合は、キレイにしすぎてしまうと、それがかえって、お顔の表情をきつく見せる効果を果たしてしまうことがありますネ。 そのことを考慮しての対処は、眉を適度にボカすという作業が必要になりますが、どこをどれだけというのはセンスになりますから、必ずしも、決まってはいない。というのがほんとのところでしょうが、ワタシの拘りは、眉頭、眉尻の部分のボカしは必ずしますネ。 何故、そこなのかは、ものごとの決まり事のように、最初と最後が肝心だと思いますから。結果的に、表情の軟らかさを引き出し、かつ、引き締める役割をするのがその、ボカすという曖昧なことなのではありますが、メイクを楽しむということにおいては、そのようなオーバーラップ的な部分の表現を如何にものにするか。ということだと思いますネ。メイクは、楽しいものだと考えられるならば、それ自体がその人をキレイにする為の秘密なのかも知れませんネ。
2013.08.18
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何も考えずにやっている人の方が多いのだと思いますが、例え、ワタシがその人のお顔に合うという形で眉のありかたを、お伝えしたとしても、そのひとは、また違う人の方法を聞いて、しかも、はやりの眉の形に落ち着いてしまう。この繰り返しのなんと多いことか。ワタシは、それにメゲずに繰り返しますが、半分は、おもしろがっています。人の心のありかたは、なんといっても、他人の解釈によっては、とんでも無い場合もありますからネ。結局は、自己中心的な考えで、なりたっているのが、人心なのですからネ。ワタシのように、おしつけがましいのは、嫌われるということでしょうネ。おもしろいのは、なにが本物かではなく、気に入るのか、いらないのかだけということなんですネ。キレイのありかたは、十人十色でいいのだとは思いますが、ワタシは、密かにしくんだ奥さんへのアプローチは成功だと思っています。なぜなら、この暑い中をちゃんと身支度を整えて、ワタシがキレイと感じる出来上がりで、お出かけしていきますから。結果的に、ワタシは、そのことに対して、自分の出来る精一杯で、出迎えをし、サポートしているつもりなんですネ。 そのことへの奥さんの一言は、私みたいにお姫様にしてもらっているから頑張れるのネ。 でした。ワタシは、その一言の裏にある感謝を、逆に有り難いと思っています。 わたしのたくらみに乗っかってくれている訳ですからネ。ほんとのキレイってなんでしょうネ。
2013.08.18
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何故逆上がりの眉をやめさせたいと思うのかは、そのことによる表情のありかたを、よくないなぁと思うからなんですが、確かに人の好みなんですから、他人が言うのは、大きなお世話なんですネ。あくまでも、ワタシの私見ですから、誰の為でもない話なんですネ。メイクというものへの思い入れがそうさせているのではありますが、職業として、人をキレイにする。ということをやってきたワタシの意見を、いつかしら人に知らしむることができたらいいなあというのが、ほんとの話で、そのことのひとつに、眉というテーマがあるのですネ。 そして、そのことによるキレイへと導けるものがあるとすれば、それをいかにして伝えるのかが問題です。
2013.08.17
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今朝の気になったことのひとつに、女子アナの逆上がり眉。側には、メイク係がいるのではないのか。と想いながらも、折角のお顔をきつくしていることに気づかないのかと、残念な気持ちになりますネ。そのほかのことは、特には気にならないのですが、それだけが。ワタシがきにしたからと言って、それが、どーなるものではないのですが、そのようなこともある。と知ってもらって、それを参考にしながら、みなさんにキレイを手に入れてもらえればいいなぁと思っています。眉山を無視しての逆上がり眉は、決して自然ではありませんから、もっと、自然というものを意識して欲しいものだと思いますネ。
2013.08.17
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されど眉。 そーなんですネ。 そんな拘りを持つこともメイクの正否を決定することもあるんですネ。 正否なんて、大袈裟なことを。と思う人は、メイクというものをなめてますヨ。例えば衣装にも、約束事ってありますよネ。 それと同じだと思うんですワタシは。どこまでなにをするのかではなく、メイクで完成を目指すのが楽しいと考えます。 ですから、その時によってのメイクだってありますし、そのメイクの完成度を決める部分のひとつでもありますからネ。 自分を楽しむ。そのことによって、よりよく自分の演出を学ぶことにつながりますからネ。 眉の面白いところは、ほんとにその人の表情を演出できる部分だと思えるところなんですネ。適当もあり。拘りもあり。どっちでもいいんですネ。 その人の好みですから。ただ、ワタシのように視るとですネ、折角のメイクがもったいない。と思えます。
2013.08.16
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今朝のテレビで気になったこと。お顔がやや細ガタの美形アナ。ファンデが白すぎ、従って頬紅も、もすこし加減したほうがいい、口紅の色味も、ナチュラル系の色味のほうがいいと思う。と、すぐに分析してしまいますが、このような毎日を過ごすことで、自分の中の美への関心度を維持管理する。ということになりますからネ。ワタシの結果論ですが、上の彼女の場合は、ファンデの色味をすこし加えて。たったそれだけで、そのやや細身のお顔立ちが、自然の丸みが加わって、柔らかな表情が増えますネ。 そーなんですネ。たったそれだけということは誰にでもあることなんですが、それに気づくことは難しい。なぜなら、客観的に観るという訓練がなされていないからですネ。
2013.08.16
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どうしても気になるのは、眉頭の部分をキッチリ描くところなんですネ。 結局のところ、その部分というのは、ものの始まりということと同じなんです。 最初が肝心ということなんですネ。 その部分をキッチリしてしまうと、お顔の表情そのものが、きつく見えてしまう。ということになりますネ。 ですから、、その部分を如何に丁寧に考えて、なおかつ、描くのなら、ボカすことをするかということなんですネ。 ワタシの提唱する描き方であるならば、簡単にボカすことはできます。それは、その部分を最初からそのように考えているからなんですネ。それと、眉山、眉尻の考え方と、扱い方。 その三点さえ気を使えば、どの場面でのメイクにも対応できるのですからネ。ワタシは、基本的には、ナチュラルメイクを提唱しますが、なにかしらのお出かけの場合のメイクなどは、作るのもありだと思っています。ケースバイケースですからネ。その場合でも、眉の扱いは、その部分さえ気をつければ、対応できるということなんですネ。
2013.08.15
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メイクにおける眉の作り方とは、メイクの目的がある場合などは、そのようにする。ですが、普通のひとの場合は、そんなに作る必要は無いのではないかと思いますネ。メイクとは、そのようなものなのですネ。ですから、普段のメイクをする。という場合には、必要以上に眉を作る必要はないのではないか。眉をつくるということをできるだけしないで、自分の眉を利用するのであれば、それは、自然なメイクになるし、表情をこわすこともないということに繋がりますからネ。ですが、そのようなことを知らないひとは、結局は、メイク、メイクとはしりまくってしまうことでしょうからネ。どうして、皆同じような顔を持ちたがるのでしょうか。ひとと同じ顔にしたところで、面白いことになるとは思えませんけれどネ。
2013.08.14
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眉のなにが大切なのかと言うと、眼がキレイにみえるかということですネ。眉そのものが目立つ必要は無いので、それを、ことさら眉!的に考える必要がないのだということを知って欲しい。そして、眉が必要な場面もあるのだということもですネ。それは、特に普段あるのではなく、喜怒哀楽の表現をする場面ということなんですネ。まぁ、滅多にないのですから、そんなに気にしなくてもと思うかもしれませんが、何事も、イザという時の準備は、怠らないようにしておきたいものなんですネ。そんな場面に必要な方法というのは、実際に喜怒哀楽の自分の表情というものを、やってみて、どのようになるのかということを知っておくことなんですネ。その時の眉の位置関係というものをよく観察し、自分というものを理解しておくということなんです。
2013.08.14
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メイクにおけるファンデは、意外に雑なように見受けられます。塗るだけがいいのではなく、どのように見えるのかということを、理解し、それをちゃんと表現するということが大切なんですネ。ペタリと塗ってます。的な表現方法ですと、あぁお化粧してるな。というだけの印象でしか受け止められないので、それでは、キレイということにはなりませんネ。口紅などもそうなんです。唇の形めいっぱいに塗って、いかにも。ではなく、キレイという意味を考えての塗り方を考察するくらいのことをしてもいいのではないのか。これは、ワタシが勝手に思っているだけの事でしかない。しかし、ほんとにそうなのか?ちゃんと教えて貰えないからと、思っているのではないのか?しかし、それは、間違いの元なのですネ。一人一人は、微妙に違うのにも関わらず、タイプ別という分け方をされ、十把一からげにされてしまっているだけの教え方しか無いのにも関わらず、それでも教えて貰おうとすることに問題がありますネ。そのくらいは、自分で勉強するくらいの心意気があってもいいのではないのか。キレイという概念を自分でものにしなければ、ほんとの意味のキレイは手にすることはできない。それは、自分みずからの毎日の中からでしか、まなべないのにです。毎日のメイクの中で、あーでもない、こーでもないの中から、ほんとに自分に必要なものは何かを学んだ人だけが、キレイを手にすることができますから。マンツーマンでしか伝えられないということを強く学んだワタシは、そのような方法でしかできないというジレンマを抱えてはいますが、心意気のなにかを伝えられればいいなぁという気持ちで、このようにブログを通じての話しかけを試みてはいますが、それでも、ジレンマの中にいます。が、しかし、そのようであればこそ、毎日こうして、想いをはせることができているのでしょうから、それはそれで、ワタシの毎日の励みにもなるのではないかとも思いますネ。
2013.08.14
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ワタシの思う理想と現実のギャップとは、キレイの程度ということでしょうか。あーあって欲しいな。とか、こーあってほしいな。があるということなんですけれど、声に出して言っているわけでもないので、そんなことは通じるわけではないですよネ。勝手に思っているだけなのですから、ギャップなどと思うことに問題があるのでしょうが、ワタシの頭のなかには、常に、そういったことが飛び回っていて、そのたのよのなかの問題は、それ以上になることはないのですネ。 よのなかの女性がキレイになってくれれば、きっと、世の中がキレイになるのだと、勝手に信じています。というのは、ひとつがキレイになれば、連鎖反応でキレイが増えるというものですよネ。現実てきな話では、世の中狂っているらしく、へんな事件が多いのが現実ですよネ。そんなことばかりを考えると、キレイなどという問題は、ふっとんでしまうようですが、それぞれの問題は別の次元のことなのですから、それを一様に並べることに問題がありますよネ。と、言う訳で、ワタシの頭の中では、キレイを中心にしているだけのことなんですネ。今までも、これからも、この問題にだけ取り組めればシアワセというもんですからネ。ワタシは、美容室をやっていた時は、100%のちからでキレイを提供できるように取り組みましたが、結果論は、相手次第ということでしたが、この問題は、このような結果だけなのだろうかとも思っているのですネ。否!自分の説明不足だったのだとのおもいのほうが強く残っているので、まだまだつづけていけそうではありますネ。特に眉は、結局のところ答えがないのでしょうが、つきつめていくことが楽しい問題ではあると思います。たかが、眉ひとつでと思うひとは、決してキレイになれません。人々のコミニケーションツールは、言葉と、表情ですからネ。その表情の中心を担っていると言っても過言ではないもののひとつが眉だと、ワタシの美容理論では決定しています。これをどこまでひろめられるのかが、これからの課題ではあります。理想と、現実のギャップをどのようにして埋めていけるのかが楽しみではあります。
2013.08.14
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美というものは、未完成であってこそ、明日が見えますネ。心に傲りや、まさか、このくらいなどといった、前向きでない心のあり方は、ものごとのなしとげるちからや、志といったものを壊してしまうものになりかねないのですから、謙虚さや、丁寧さといったものをもつことによって、未完成の美というものがみえてくるはずなんですネ。ものごとは、決して、完成することはないのですから、常に今日よりも明日といった進歩発展をしなが、例えいちミリでも進むということがキレイというものへのありかたかと思います。常に、どうしたらを考察することで、よりよい自分を構築することができますからネ。キレイや美などといったものを本気で求めるのであれば、謙虚さや、丁寧さといったことがより理解できることになると思いますから、それを信じて真摯に取り組むことができるようになれればいいと思いますネ。未完成であることが、それこそ完成の域なのかもしれませんからネ。
2013.08.12
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今。という目先のことは大切ですが、未来のことも考慮するということは大切ですネ。今やっていることは、自分の将来に、どのようにかかわるのかということを考えることによって、微妙に左右することがありますネ。それとともに、わずかなことであっても、はしょってしまわずに、丁寧に行うということが大切ですネ。今できることを先延ばしにしないで、できるだけ今行うということを心がけることが、結果的には自分の将来の為になっているということを理解できるといいと思いますネ。それと、自分で決めたきめごとは、その場の雰囲気で、簡単に変えないというくらいの気概をもっていなければ、自分みずからを壊すことにだって成りかねないですからネ。キレイを手にするということの流れのなかには、目に見えない自分の縛りというものがあってしかるべきなのではないかと思いますネ。決して、口にすることはないのだとは思いますが、自分の心の中では反芻しながら、丁寧に行動するくらいの慎重さが欲しいと思います。メイクなどは、その最たるものなのだとワタシは思っています。メイクの世界は、手抜きをすれば、即、そのしっぺがえしというものが表現されますからネ。今、目の前の自分のお顔に、丁寧な心で向き合うということの繰り返しをすることは、自分で自分の将来を作っていると言っても過言ではないのだと信じて欲しいと思います。昨日の自分と、今の自分を比較することは、意外に難しいことではありますが、昨日の自分をトレースするくらいの心がけをもてると、キレイは案外簡単にトレースできることになれると思いますネ。つまり、毎日なにげにやってしまうと、自分で気づかないくらいの重なりというものが自分を汚していく。ということになるのだと、ワタシは、警告したいと思いますからネ。
2013.08.12
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営業言葉とは判っていても、言われると、ついその気になれますネ。 ワタシはロトが好きで購入するのですが、今までの売場では聞いたことがなかった言葉なんですネ。 たまたま出先が変わって、その売場が近かったので、そこで購入したのですが、購入後に、その一言を言われて、フッと、なんか、当たりそう!とおもっちゃったんですネ。人間、このように、ほんのちょっとしたことで、気分が変わるのですネ。ワタシは、それ以降、多少の時間はかかりますが、その売場で購入するようにしました。その前の売場では、何年も続けて購入していましたが、ある意味、なれ合いになってしまって、ワタシの好きな緊張感が損なわれていたのが、潜在意識のなかにあったのかも知れませんネ。何が言いたいのかというと、どんな場合でも、適度な緊張感はあったほうがいいんですネ。 そういう緊張感というのは、お洒落度と同義語なのではないでしょうか。毎日のメイクは、毎日しているのではなく、毎日真剣にする。というくらいの緊張感があってもいいのではということですネ。人の為ではなく、自分の為なんですからネ。
2013.08.10
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