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自然にしようと思っても、なかなか上手くいかない。その気持ちは、いいと思うのですが、では、自然とはどのようなものを言うのか?を、真剣に考えたことはあるのでしょうか。生えているものを、そのまま使うのが自然なのか。ワタシの提唱する自然とは、骨子は基本ではあるので、手を入れても、その基本を大切にしながら、自分の創り出す自分というもののイメージを完成させることにある。というものなんですネ。ですから、なにもしないのではなく、足りないものは足すし、必要以上にかまわなくてもいいなどとは考えることもない。プラスマイナスをしながら、自分というもののイメージをつくりあげ、更には、全体のなかの部分なのだという意味を考えられればいいだけだと思いますネ。 眉は、自然なほうが全体を優しく見せることができますが、一歩間違うとボケてしまうこともあり得ます。その一線がセンスだと思いますネ。たった一本の眉を抜くだけで、変化してしまうということを認識しながら手を入れるということをしなければ、完成度の低いものになってしまいますからネ。その一本、そのミリの世界を触れれば、眉の世界を手にすることも可能になると思います。鏡を駆使し、自分というものを観察し、自分を知ることを、時間をかけて行うことで、客観的な自分というものを手にいれることができたなら、自然という概念のありかたが身に付くということになりますネ。その上で、いろんな考察を繰り返し、自分の納得のいく方法論で武装するのも楽しいものだと思います。たかが眉、されど眉ですからネ。
2013.09.30
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うちの奥さんの話、今日はこれにしてみる。と、ブラウスのパターンを変えることを、問いかけるでもなく、独り言のようにいいながら、で勝ていきました。見ていると、口紅も変えていた。この微妙な変化は、自分を変えることによって、自分のガマン力を維持するものだと受け止められる。彼女のなかでは、そのような成り立ちで、自己管理をしているのだと思います。先日、会社で健康診断があり、二週間くらいかかって、ようやく結果が来てた。 いろんな項目オールクリア。彼女曰く、あなたの管理のお陰で、こういう結果です。ありがとネ。と、目の前の問題はなくなったということなんですネ。これで、いいんじゃないですかネ。人間、気になることがあれば、気が重くなりますからネ。現金と意ってしまえばそうかも知れないけれど、そんなものだと思います。お洒落心だけでは生きてはいけないのが現実だと。ワタシ思うに、どんなことでも、気の遠くなるような努力だって、ちょっとした努力だって、しなければ結果はでないのだから、したほうがいいに決まってるということなんですネ。しなくてもでる結果もありますが、そういうのを、偶然というのではないでしょうか。だとしたら、偶然に頼るようでは、いつでるのかは判らないわけですから、いつこ゜ろまでには、こうでありたいとの目標をもってしてこその努力なのですからネ。毎日を、ルンルンと、楽しくくらせるようにできるといいですよネ。
2013.09.30
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自分の表情というものを、どれだけ承知して毎日を過ごしているのでしょうか。まぁ、演技者じゃないので、そんなことまで。とおっしゃるなら、それはどうかと思います。メイクの基礎とも言えるお顔の表情の変化を承知していなければ、なにを目標にメイクというものをするのでしょう。今日は、こんな風に演出しようとか、こうしたらどうだろうとか、料理をする場合は、答えありきの手順や、材料揃えになりますよネ。自分の演出というものは、決まり切った材料なのでしょうか?季節の移ろいや、毎日のお天気や、自分を取り巻く環境の変化などなど、いろんな要素が絡まっているはずですよネ。それらの刺激を受けながら、自分を見つめて、自分の心を知り、それを表現できるのは、自分なのですから、あーして、こーしてくらいのことはやってもいいんじゃないですか。そんななかでの眉は、自分で自由にできるパーツなんですネ。ということは、その人の心が表現されているということなんですネ。社会という世界に自分を表現しているわけですから、自分が万全と思えなければ悔しいじゃないですか。つまり、納得のいくことをしているという自負があるはずなんですからネ。
2013.09.29
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眉の表情を大切にできたなら、メイクの完成度は高くなる。と、ワタシは思っていますが、なかなかテレビの中でさえ、それをみることができないのが寂しいですネ。と、ケチをつけているつもりはありませんが、ものたりなさを否めないのが現実なんですネ。ワタシが思うほどに、眉は大切ではないのかも知れないなどと、ふと寂しくなることがありますネ。しかし、メイクのなかでは、一番の動きをするパーツなんですから、必ずしもわすれられているわけではないはずだと思います。 ただ、それを上手く表現するのが難しいのかもしれないのだと思うことで、ワタシはワタシの心をおさえることにしました。だから、なんとかして、その表現を伝えるべく、自分の表現もかんがえなくてはと思っています。単にテクの話だけでは、つたえられないともかんがえるので、考え方をも、題材にしていければいいなと思います。
2013.09.29
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むきになる必要は無いのですが、お肌のシミの手当をしないでのメイクは、眉などのパーツをきちんとするほど、逆に目立ってしまうような気がしましたネ。特別にプルンとした感じに見せなくてもいいとは思うのですが、微妙には、コンシーラーなどでのケアをしてもいいのではと思います。まぁ、お髪やメイクや、衣装と、お金もかかるでしょうけれど、自分でできることは、努力なのではないでしょうか。お洒落心は、楽しむものだとおもうんですよネ。当然、現実的な対応もするのですが、そこに自分のお洒落心を忍ばせるくらいの余裕があってもいのではと、思いますネ。ほんの少しのお出かけだとしても、自己満足の世界を満喫すれば、きっと、その一日は楽しいものになるのではないでしょうか。
2013.09.28
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もともと、眼のハッキリしているひとの場合は、眉のありかたできつく見えてしまう傾向がありますから、より、丁寧な観察をし、眉を優しく演出したほうがプラマイゼロになるので、そのほうがいいのかなと思いますネ。と、いうふうに眉の存在のありかたを主体性は、どこにあるのか?を考察してみると、そのありかたを決めるひとつの指標にはなりますネ。眉だけを特別に考える必要はなく、メイクのパーツのひとつにすぎないのですから、これみよがしにすることは、考えましょう。確かに、ひとのお顔を見た時に、ふと気に成る存在なのですが、それは、その人が、必要以上に、眉を気にして、手を入れた結果なのだと思いますネ。全体の中のひとつなのに、それが目立つということは、そういうことなんですネ。自分を、どのように演出したいのかが、ハッキリすれば、それを中心にできますが、それがなければ、何をどうすればの指標さえ無くなるということですから、まとまりのない結果しかでないことになりますからネ。眉一つで、どうにかなるわけではないのですが、眼をいかすも殺すも眉次第ということだってありますネ。
2013.09.28
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季節は移ろい、衣替えもしたいですネ。 一気にすればいいんでしょうが、必需品を先にとか、いろいろと考えることもありますよネ。そんなこととおなじように、心の衣替えもできるといいですネ。そのことができるというのは、心が柔軟とも言えますからネ。心が固まってしまっていては、若さがかたまっているということでもありますから。若作りをするのではなく、心の若さを意識することが大切ではないでしょうか。面白いもので、その証拠というものは、しゃべり方や、声のトーンに表現されますネ。気づかないかもしれませんが、そういったアクションには、心が伴いますからネ。メイクなどは、自分でこなしている分、いつもと同じようにはできるでしょうが、心は、いろんな条件に左右されてしまいますからネ。逆に言えば、意識して、そんな条件を作れば、心のコントロールもできるということですから。衣替えにともなっての心の変化もみてみませんか?
2013.09.27
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メイクにおける眉が、どうしてもしっくりこないという人は、先ず、自分の眉を壊していないか?もし、そうだとすると、そこから始めることをお勧めします。そうでもない人の場合は、前からばかり鏡を見ないで、横顔など、全体のお顔の感じを把握して、眉だけに拘らず、自分の表情のありかたなども考慮してのメイクというものを客観的に見直すことが大切なのではないでしょうか。目先のメイクだけをしないようにすることで、自分というものを客観的に観ることができるようになり、自分のメイクの方向性が自覚できるのではないでしょうか。このような、目の前のことだけでなく、自分は。という意識のハッキリとした目標を持つことで、ほんらい自然に備わるようなキレイは簡単に手にはいるのだと思いますネ。メイクの目的を仮面にしないようにして、自分を演出するのだとの、明確な目的意識を持って、メイクをしてみると、自分でも気づかなかった自分をみいだせることもありますからネ。 眉というパーツだけに拘らずに、全体の中の一つなんだという感覚は大切ですネ。そして、それをどのように扱えば全体の印象が自分の思う演出に叶うのかがみえてくると思いますネ。
2013.09.26
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何故に?黒髪が・・と言えば、右へ習えのようにそれがはやり、そのような都合のよい発言をする。それが、個性か?おふざけでないよ。キレイなどという言葉を使うな!と言いたい。なんでもかんでも、右へ倣えをしながら、美の話などと、ふざけるんじゃない。自分の為の努力もしないで、安直に流行モノを手にして、さものような顔をする。美は、そんな安直に手にできるものならば、手にして欲しくはないと思っているかも知れない。どんな人にも、平等にあるもののひとつに時間というものがありますが、それをどのように使うのかで、その人の個性というものが成り立つはずなんですネ。その中の一つにキレイというものが存在するのだと思いますが、それを手にできるかどうかは、その人次第ということですからネ。努力した人が手にできるのは当然の結果なんですネ。努力は報われる。でなければ悲しい。その反面に、安直でもいいなんてのは変です。流行を否定はしませんが、左右されるだけでは意味が無い。物事の取得選択ができるから、キレイという意味が理解でき、それにむかっての努力ができるのだから。そんな人で居て欲しいと思いますネ。
2013.09.26
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眉をボカす。とは、薄くするという意味ではありません。 描き加えたものの周りの部分をボカす。という意味です。それは、テクニックというよりは、自然とは?の答えなのではないでしょうか。それは、感性の問題で、事細かに教えることはできませんネ。勿論やってみせることはできるのですが、それで、必ずしも会得できるというものではありませんネ。感性とは、そういうものなのです。メイク全般に言えることですが、そのことを知りたい。と思う心が、結果をだすものだと思います。そのような心のありかたは、感性というものだと思いますから、口頭であーだこーだはそこまでのことなんですネ。何度でもトライして、結果的に自分の努力で手に入れられるものなんです。
2013.09.25
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なにげに見えるのではあるのだが、いまいちピンとこないのが眉の作り方ですネ。でも、最近の皆さんは、キレイにしていますが、キレイ過ぎるきらいがあるということなんです。やはり、自然さを演出するということを忘れているというか、そこまで、自然などということをメイクにいれることを考えていないということなんでしょうネ。メイクは、仮面ではないのですから、手をいれた部分は、自然さを演出することをして欲しいものですネ。そのことで、お顔を見た瞬間に違和感を感じなくて済みますからネ。メイクをしているのが判るよりは、していても、それが自然に見えるようなメイクをすれば、結果的に、それ自体で、そこはかとなさの演出となりますよネ。そのようなしんなりとした感覚の演出は、その人の持っている優しさを感じさせることになりますネ。とってつけたようなキレイさよりは、にじみ出るようなキレイさを演出するほうがメイクとしての完成度は高いのではないでしょうか。
2013.09.25
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なりきってしまっての表現というものはありかと思いますネ。しかし、それは、玄人の世界なのではないかと思うのですが?ワタシの提唱する個性とは、その人そのものであって、つくりものを言うつもりはありません。美容という世界は、なにかしら勘違いしてしまっている人が多いように思いますネ。不変のものを、さも変えられると思っていたり、自分で自分をミスリードしてみたり、そんな勘違いの美学もあるのかもしれませんが、それこそが違和感としてしか受け取れないようなきがしますけれどネ。単に目立つだけなら、なんでもありですが、統一された美学というものを、なんでもありの場合は、ごちゃまぜにするだけの話ですから、表現されたものは、決して正しく評価されることは無いでしょうネ。さりげなさの中にこそ、その美というものが存在するのだと、何故、発見することができないのでしょうか。実は、形ではないものこそが美というものの正体だと、ワタシは考えています。ですから、単に表現をするといっても、いろんな意味のものを複合処理する必要があるのだと思いますネ。仮に、何年懸かってもです。
2013.09.24
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こういった自己表現の一つにメイクというものが関わることもありますネ。自己主張をする方法としては、簡単に自分でできますから。ワタシは、そういったことを無視するつもりはありませんが、そんなことで主張したところで、それが何を生むのでしょうか。結果は、たいしたことは無いと思います。主張をするのであれば、行動によって、ひとつの結果を出して、それがなにかの役に立つようであればと、そういったことが世の中に発表される。それこそが主張をするということなのではないでしょうか。メイクの役割は、その人をキレイにし、その人の心もキレイにする。それだけのことなんです。それを邪道のような扱いをすることには反対の意を表したい。メイクは、あくまでも、表現の一つであり、それが、どれほどの結果をもたらすのかは、たいしたことではないと思います。ですが、そういった少しのことでシアワセ感を得られるものは、他には見あたりませんネ。 自分で出来る、自分の為の、自己表現の一つがメイクというものであるのではないでしょうか。こういった、キレイ感というものを、ワタシは求めています。そして、それが、その人たちを心からキレイにするのだと信じることができるように、ひびの考察を重ねて居ます。
2013.09.23
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楽しむということの意味は、自分で、自分を自由にできるということではなく、自分の素を、どれだけ大切にしながら、どんなふうに演出できるのか?を自由に、時間をかけて、自分を台本に。それが楽しむということなのではないでしょうか。他人が絡むと、そこには、その他人の意思が混在することになり、必ずしもオリジナルではなくなってしまうから。ワタシは、自分が他人にメイクをする場合は、その人のオリジナリティを一番に考えますが、それが必ずしもその人が考えているような結果にならない場合が多いようですが、仕方のない話なんですネ。そして、その人の考え方を大切にすれば、それは、必ずしもワタシの考える、その人のオリジナリテイを大切にするということから、かけ離れるという結果になることも多々あるのです。ワタシは、つくりもののメイクをするのは簡単なんですが、それがなんの意味を持つのかを考えたときに、なんの意味もないということに、行き着いてしまいましたから、それを良しとせずに、オリジナリテイ第一にすることにしています。ですから、今更つくりもののメイクを語る意味も無いことになりますネ。オリジナリティをとは、必ずしも、その本人にさえ、受け入れてもらえない場合もあるのですが、ほんとの意味のキレイを求める以上は、そのことを追求し続けることでしか、その目的を達成することは叶わないのだと思っています。本来、サービス業であるはずの美容に、ワタシのような考え方を持ち込むことにはムリがあるのでしょうネ。
2013.09.23
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モノがあふれるのがいいのかどうかは、本人次第ですが、ワタシはメイクをする時に道具には、あまり拘らなくはなりましたネ。最低のモノがあればメイクは楽しめますからネ。なんでもかんでも、持たなければ気が済まない人は、今一度、物事のありかたを考察してみるといいですネ。ワタシは、メイクを他人にする場合でも、よく指を使います。ブラシやパフの代わりにですが、そのほうが、優しく見えたり、自然に見えたりする効果が多いんですネ。まぁ、メイクは自己満足の世界ですから、あーだ、こーだは、ムダな事かもしれませんが。道具も、ゴチャゴチャとポーチに入れて、引っかき回すよりは、シンプルなほうが、自分でも使いやすいと思いますけれどネ。結果的に使うモノは限られているのですから、そんなに持ち歩く必要もないのでは。そんなモノに頼るよりは、自分の立ち居振る舞いによる美的世界を、完成させるほうが、お金も懸からず、道具も要らないということではないでしょうか。今一度、あれがなければ的な考え方を、見直すことを、お勧めしますネ。
2013.09.22
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そうですネ。ファンデーション。どーして、皆さんは、ベッタリ塗りたがるのでしょうネ。ワタシの提唱する、ファンデの塗り方は、叩いてのばす。たったこれだけなんですネ。どんなタイプのファンデでもです。理由は、ファンデをできるだけ薄くして、素肌の感覚にすることなんですネ。少々色味が狂っていても、なんとかなります。で、最後のコントロールは、頬紅を使用してのことにするのですが、必ずしも頬に使うわけではありません。 お顔全体のバランスで使用する。これがセンスですネ。この色味の使い方で、健康的であったり、立体的であったりとするのですネ。ワタシは、キレイを求めているのであって、カワイイ!なんてのは求めていません。ですから、これみよがしの頬紅は要らないのですネ。面のメイクは、それだけで、健康不健康というものが見えますから、要注意なんですネ。いかにも、メイクをしてます。というのは、決してキレイではありません。それとなく程度のメイクでも、その人の個性を壊さずに表現するのであれば、それこそがキレイというものなのですから。点、線、面で、メイクは構成されていますから、それをいかようにデモ駆使してもいいのだと思わずに、いかにして、自分の自然を壊さずに完成させるのかを考えることで、楽しむということをしながら、キレイを表現できるようにして欲しいものだと思いますネ。
2013.09.22
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指紋が薄くなると、そのセンサーとしての機能が低下するので、その指で、お肌を触ると正しい情報がこないということになりますネ。それなのに、そのことを考えないから、お肌が荒れた!と、思ってしまう。そうなんですネェ。意外にも、そのような理由で、お肌への考え方が変わってしまうことがありますネ。そんな時に、お肌が荒れるのは嫌だから、あれをつけようか、これにしようか、などと、お肌をカバーすべくモノを使うことになってしまう。 けれども、お肌の方は、余分なモノをつけられて、逆にジャマに思って、トラブルを起こすこともあります。 それは、必要でないモノが正常な新陳代謝の妨げになるということの結果論なんですネ。家事をする場合は、できるだけ、手袋を仕様することが望ましいですネ。もちろんハンドクリームなども仕様しますが、その前の段階で、その一手間を惜しまないことが大切なことですネ。あと、お顔を洗う場合などは、その前の水仕事はしないにこしたことはないのですネ。指紋もそうですが、キレイにし過ぎてセンサーが敏感に働くということもありますから。現実の世界は、そのような細かいことは省略されてしまって、やれ肌が荒れた、トラブルになった、と、大騒ぎが当たり前なのですネ。
2013.09.21
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お肌への影響がいまごろから、始まりますネ。では、その対策とは。空気中の湿度が減りますから、それが問題なんですネ。ですから、油分が多くなったと思いがちなのですが、水分が飛ぶのは、湿度との関係ですから、特に油分が増えるわけではないのです。それなので、お肌がテカりだしたと思っちゃいますよネ。 で、油分を押さえなくてはと考えて、オイルサーバーを使ったり、ファンデが厚めになったりしますネ。そういった対処療法にたよってしまうことが多いので、ほんとの対処は判ろうとはしませんネ。実は、特別な方法などはありません。環境が影響するのだということが判れば、それに対しての対処しかないということも、判るのではないかと思っています。では、どんな対処なのかですが、お肌に直接なにかをするのではなく、衣装の変化だったり、食事の内容の変化だったりで対応するのが、先ずは大切なことなんですネ。あと、夏の間に、洗いすぎの感覚が身についてしまっているはずなので、それを気にしましょう。それだけで、身体の変化を対応する。に、向かわせられます。人間の心理的用件なんて、そういうもんなんですから。
2013.09.20
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ちょっと、いいなぁと感じたら、それを、もっともっとと欲張ることがある。美容におけるそれは、タブーなのですネ。理由は、適切な。がベストなのだと答えがでているのです。にもかかわらず、勝手に、自分だけは的なご都合主義が頭をもたげてしまうからですネ。ほどというものを知ることがなければ、キレイなんて手にはいるはずもないのにです。物事の摂理以前の問題に、心のありようというもので、その人の外観が表現されているのだということを知るべきでしょうネ。一見、キレイと思えても、注視してみると、度の過ぎていることに目が行くことが多々ありますからネ。 頭の先から、足の先までを、キレイで整えるだけでなく、その他の身のまわりのものまでをドンドンとそのようにしていってしまい、気が付いたら、ほんとにキレイなのかどうかの判断さえ危うい状態になっていても、もはや自分では止められない。的なことが多いということなんですネ。日常の生活は、そのようでは無いはずなんですよネ。ちょっとの自己満足があればシアワセというものではないでしょうか。そういった価値観というものがあることで、キレイというものの本質が理解できるはずなんですけれどネ。お金を出して買えるものは、安いものですネ。金額の大小ではなく、簡単だということです。ものに対しての価値観が主役で生きるのは簡単だということですネ。精神論を唱えるのではありませんが、心のありかたというもので、その人のありかたをも表現できるということに価値観を見いだすことができるようであれば、限りなく本質なのではないでしょうか。
2013.09.20
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自分でできるマッサージというものはあります。難しく考えずに、簡単に誰にでもできるほうほうです。首筋の甲状腺ホルモンのバランスをとることで、お顔へのホルモンバランスをとる。という方法なんですが、単に、手のひらで親指と中指薬指の3本の指先で、軽く首を前側から、首の根元から首筋を軽く回すように上へ向かって、それを何回か、繰り返す。このときに、マッサージ用にクリームを使う必要は、ありません。他人へのマッサージをする場合はクリームを使いますが、それは、心地よさと、してますよ的な感覚のものとしての存在価値なんですネ。商業は見せかけというものも価値観の一つですから、そのようにしますが、セルフケアの場合は、自分の感覚ですから、力加減というものができますからネ。ワタシの考え方は、できるだけ金銭的負担を少なくするというものも必要なことだと。何事も、つづけてこそ意味があり、結果がでるものなんですネ。お顔そのそのものを、必要以上に触ることはしませんが、首筋というものの扱いで、フェーシャルマッサージというものを完結させることができるとします。マッサージというものを特に推奨はしませんが、スベスベ感の為の方法論としてのマッサージはありですネ。メイクをするという前提のお肌のかまい方というもののなかに、一つ入れてもいいとも思います。で、やるとしたら、二週間に一度くらいのペースでいいと思います。なんでも、いいと思ったら度が過ぎるきらいがありますからネ。
2013.09.19
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お肌のスベスベ感は、どうすれば手に入るのか?そこで、みなさんが思い浮かべるのが、マッサージ、パックなどではないでしょうか。そうなんですネ。そのような事柄が浮かぶだけで、身体の内側のことなどを考えるという習慣すら亡くしているのが現実なのですネ。 ある意味、外からの刺激で、お肌のスベスベ感を得ることは、容易いのです。ただし、その時だけのものですからネ。そして、その時だけのことを心理的には、すっごく効いた。と思いこんでしまいますから。そのような感覚的なものが効き目がある。的に捉えられてしまうのは、その人の正しい認識能力が乏しいからなんでてすけれど。食事で身体の編成を意識するということのほうが正しいとワタシは思っています。では、サプリ?と簡単に思う人が多いのが現代人らしくなってしまっているのがくやしいですネ。美食である必要はないのですが、食事から摂取して栄養補給をするのが正しい美容なのですネ。 では、どのような食事がですが、365日同じものを食する必要は無いのです。その季節の旬をとらまえて、季節に見合う食事を意識し、絶対量の把握をきちんとし、食事時間のありかたを把握し、コンディション作りを心がける。たったそれだけのことです。もし、美味しく頂きたければ、多少の手間暇は、惜しみませんように。
2013.09.19
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産毛を整える時に気をつけなければならないことの一つに、眉の上部の産毛は取らないので、やりすぎないこと。 眉の上部は、自然さを残す為に、手を入れないというのが、ワタシの提唱する自然な眉の条件の一つなんですネ。眉で気をつけなければならないことのひとつに、眉頭の部分には、手をいれない。ものの始まりという言葉がありますが、なんでも最初が肝心。ということでもありますからネ。その部分を削ってしまうと、見当がつかなくなってしまって、形が成立しなくなり兼ねませんからネ。 ボカしたり、テクニックがありますが、なにもしなくてもいいのなら、しないにこしたことはないですネ。産毛も生え際をキレイにしてしまうと、さもさもになってしまいますから、キレイも過ぎると、キレイではなくなってしまうということになりますネ。目に見えるほどでもないことに、こんなに神経を使うのか?は、そのようなことに気をつけることで、キレイということの底辺の構築をするということになりますからネ。実際の目標がキレイなのであれば、底辺を大切にすることからが大切なのですネ。
2013.09.19
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お顔の産毛を、メイクにジャマだからと、剃ってしまうようですが、それはナンセンスだとしって欲しいものですネ。産毛は、一種のセンサーで、お肌をマモル役割を担っていますから。もし、ジャマ扱いをしたいのなら、電池式のレディースシェーバーをお勧めします。それならば、直接お肌に刃が当たらないので傷つけることが無いので。便利であるものは利用しましょう。また、ファンデを塗る時にジャマだと思っているひとは、ちょっと鏡を離して見て下さい。自分が思っているよりは、産毛の存在はジャマしていませんから。近視的にしかものをみれないというのはナンセンスですからネ。あるものを利用したり、その存在の理由を考えたりするのもセンスのひとつなのではないでしょうか。
2013.09.19
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化粧を落とした顔と、化粧をしている時の顔とのギャップは少ないほうがいいと思いますネ。そのギャップがあるということは、自分を否定しているようにものなんですから。そのようなメイクは、害合った利益成し。とも言えるのだと思いますネ。メイクというものの結果は、そのひとが、どのように他人から評価されているのかと同じ意味があると思います。人は、第一印象で、勝手に、その人を評価しますが、意外にも、あたっているものなんですネ。ですから、メイクが評価の対象になって欲しくはないということです。あくまでも、その人をみせかけではなく、その人のしんじつを表現するということなんですネ。どこからみても、みせかけではなく、本物のその人であって欲しいですし、結果として、他人に違和感を感じさせないのが欲しいですネ。自分から、みせなくても、人は、必ず意とするものを得たならば、見るということをしますからネ。そのことを厭わずに、しかも、より自分らしくいられれば、そのことはシアワセという感性にも通ずるものがあるはずなんですネ。何が、しあわせなのかは、人それぞれなので、一概には言えないものなのですが、自分らしくいられるということが一番のシアワセなのではないだろうかと思います。メイクの楽しさは、自分を自分らしく表現できるということに繋がるのだと、ワタシはおもっています。
2013.09.18
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メパチクリにするのを懸命にする割には、眉を丁寧には考えていないように見受ける。で、結果論ではありますが、似たようなメイクのひとが多い。どっかで見たような。という風のひとがですネ。 だから、どこを見ても没個性しか感じられなくなってしまったと感じますネ。何故にそのようなのか?は、簡単な答だと思います。アイメイクを、ハッ!!と、感じたひとが多いから。 それはそれで正しいのですが、そのハッとした相手のバックグラウンドを知るよしもないのにです。 そのバックグラウンドのようなものは、表面にこそでないだけですが、ハッとさせるだけのものが隠れていて当然の歴史が存在するものなのですネ。一日でパッと表にでるようなものではないのですから、簡単にコピーできると思うことが間違いなのですが、ひとは、それを簡単にコピーしようとおもうものなんですネ。メイクは、それだけが一人歩きするものではなく、その表にでているものだけを見ても、その実体までを見ることは出来ませんネ。なのに、表面だけを取り入れて、さも、自分はそうなのだという振る舞いをしようとするのですが、中身の合わないそのような振る舞いは、違和感があるだけで、とてもキレイとは言えないものだと思えます。ましてや、そのようなメイクには、眉の繊細な表現などがありようもないのが当然の結果かなとも思えますネ。眉は、眼よりも、全体の動きなので、大雑把には見えますが、実際は、その存在のありよう次第では、キレイの天と地に分かれさせるほどのものだと、ワタシは思っていますネ。
2013.09.18
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メイクにおける眉の役割は、単なる飾りではないのにも関わらず、自分の眉。という感覚ではなく、眉らしい眉として扱い、なんとなく知っている眉の形に近づけているだけのつくりかたをしている。ワタシが提唱するのは、つくりものの眉ではなく、自分の持って生まれた眉を利用すること。たったそれだけのことなのですが、それが邪魔者扱いされているのが現実なんですネ。何故ジャマなのかは、人それぞれで違うのでしょうが、結果的には、自分の顔に自信が無い。ということにいたるのですネ。折角、生まれ持った自分というものに対しての認識の程度の低さがそのような意識を生むということなのでしょうネ。メイクを楽しむということと、自分を知るということのありかたは、必ずしも一致しないかも知れませんが、先ずは、自分を知り、それを根拠に自分を作るということが、メイクを楽しむということなのではないでしょうか。眉だけの話に終始するつもりはありませんが、そのような拘りを持つことこそが自分の生き様だと思いますので、このような拘りを言葉として発することにしています。
2013.09.18
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眉の自然の元を生かした方法を、ちゃんとしている人のなんと少ないことか。なにもしていない人は、ほんとになにもしていない。それは、ただ野放図にしているだけ。眉に手を入れている人は、やりすぎて、自分を見失っている。何故、そんなに極端なのでしょうか?それは、これでいいのだ。という正しい評価軸が存在しないから。当然のことなのですが、個々人の骨格、表情は、個性なのですから、その人の為の方法がひとつあるだけということなんですネ。そのひとつが、先ずは正しいのです。そして、その先は、その人のセンスですからネ。
2013.09.15
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毎日するとしても、それを真剣に取り組んでいるのかは不明。と、見受けられる人のなんと多いことか。なんとなく、見聞きして知ってるつもりのメイクをしてしまっているとしか思えないのだが。本人は、恥ずかしくもなく、そのまま出歩いている。こういう言い方をすると、あんた、なにもん!!と、言われてしまいますが。ワタシだけでしょうか?社会は、意外と冷たいですからネ。丁寧に教えてくれるなんてことは無いんですヨ。 例えばトイレから出てきたひとのスカートがめくれてても、それを教えるひとはいない。むしろ、ワラってすませている。そんなもんですヨ。まぁ、自分のことは、自分でしましょう。まして鏡をみながらでもできることなんですからネ。メイクは、自意識の表現に過ぎないことなんですから、自己満足さえすればいいとは思いますけれどネ。 自意識とは、自分をひとにみせることと同義語ですから、それぞれの意識の違いはあるものと知った上で表現するものだと思います。 そのようなのですから、メイクをしったかぶりでするのは、変ですよネ。 ある程度の共通語のようなものなのですから、この程度という程度は把握しているものだと思います。 自信がないのなら、勉強するしかない。
2013.09.14
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自分を知る。という作業をしているだろうか。 何故この話になるのかというと、メイクをするにしても、自分という材料をどの程度認識しているのかで、その仕上がり具合は、当然違いが生じるのですからネ。360度の自分を知るという努力をしていなければ、自分を把握することは難しい。従って、キレイという目標を持つことも難しいということなんですネ。モノさえあれば、なんとかなる。と思っているのであれば、それはなにかが足りない。メイクの楽しさは、自分で自分を加減できるところなんですネ。モノは、その一つの道具に過ぎないのですから、モノさえあればは、通じないですネ。自分という材料をどのようにやっけるのかが楽しいのであって、やってみたらこうなったという結果論ではないのですネ。どんなに、メイクをゴチャゴチャしたとしても、それがキレイということにはならない。キレイという意味の中には、側に居てもいいなぁ、とか、側に居たいなぁという感覚を、人が感じるところにあるのではないかと思いますネ。 では。みんながそのようであるのかというと、なかなか居ないですネェ。 そのような感覚を目標に置いていないからではないでしょうか。 そうですよネェ。わざわざそんなことまで考える人は居ないかも。 でもネ、そのような目標くらいなければ、自分を、どのように演出するのかさえ、おぼつかないということですよネ。メイクは、自分の好みですから、自由なんですけれど、折角やるのであるならば、キレイを目標にしたいものですよネ。
2013.09.14
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毎日の生活の中では、たいしたことはないはずのものなんですが、そのことに必要以上に力を注いでいる場合も見受けられますが、自分をそんなに華美に装おう必要はあるのか?日常的というのは、合理的ということもあるわけで、先ずは、必要最低限の装いから始まり、余裕を持てるならば、そこに手を加えられるといった文化的な要素というものではなかろうかと思いますネ。そこで、では、必要最低限というのは、取りあえずということなのかといえば、そういうことではなく、ひとつひとつは、心がけて身につけることが大切なことばかりなのではないか。ワタシの提言するメイクとは、そのような、やるのであれば、キチンと修得をし、それを進歩させていくという意味なんですネ。ものごとをはしょるのではなく、そのひとつひとつを大切にする心があれば、必ずものにできるはずですからネ。メイクなどは、そのどれをとっても、適当でいいというものが無いという世界だと思います。 まぁ、そんな言い方をすれば、どのようなことも、そのとおりですけれどネ。ひとは、手っ取り早く目に見えるものから手に入れようとしますが、そうではなく、自分に取って必要なものを見極めながら、ひとつひとつを手にいれるようにすれば、目標に手が届くようになれるはずなんですネ。
2013.09.14
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ワタシが、お若い方へのメイクは要らないというには、当然ながら、お肌のハリ、弾力色つや、いずれもが、健康的であり、その上魅力的だとの評価をしているからですネ。そのような状態に対しては、メイクをする必要は無いと考えています。ただし、ポイントはあってもいいのではないでしょうか。それは、ポイントを目立たせるという目的よりは、全体のハッキリ感を出して、よりその人を清潔に演出できると思うからですが。ほんの少しの手のいれかただけで、ハッキリ感は出せますし、それ以上すれば、逆に違和感を演出するだけになってしまいますから。メイクの意味や目的は、その人をよりキレイにするということですから、そうでないことは要らないということになりますネ。ものは、見方によっては、とんでもない場合もありますが、そうでない場合もあるということなんですネ。若さは、内面から放たれる未知なるちからというものがキレイに見せる力となっている場合が多々あります。それは、本人の意識の中には無いものなんです。そして、その意識のなさが故の魅力なんですネ。矛盾しているのですが、それこそがキレイというものの正体でもありますネ。 手に入れたいのだけれど、決して手に入らない。そして、そうこうしているうちに時間というものが経過してしまって、後戻りはできない。ということになってしまいます。美とは、そのようなものなのです。これみよがしに私はキレイとよそおっているひとは、それこそ、自分を観る眼を持っていない。ということなんですネ。メイクは、術ではなく、心ですから。
2013.09.13
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メイクを楽しむは大切な心なんですネ。そこで提案なのですが、メイク!!ではなく、メイク程度の感覚で楽しむということもできるはずなんですネ。 そうすることで、自分というものを見失わずに表現できるのではないかと思います。年齢に関係なく、自分というものをどのように表現するかを考えるというところから始めれば、そのこと自体が楽しむということになりますからネ。 ワタシは、特に中年と言われる人たちを対象にイメージしていますが、決して若い人を無視しているわけでは有りません。若い人達には、その人たちの価値観によるものがあるのでしょうから、それを否定するものではありません。 ワタシは、自分の年齢から、逆算をして、例えば30年後にどのようになっていて欲しいかというイメージを中年といわれる人たちに提示しているつもりなんですネ。そして、その人たちが、自分というものを確立して、キレイでいてくれればいいなあと思っていますから。 メイクというもので、自分を誤魔化すのではなく、自分を確立する為の道具として利用できればいいなと思いますネ。ですから、より自然ということを意識して欲しいと思っています。
2013.09.13
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眉を中心にすることにではなく、本来は、眼が表情の中心になる。というほうがいい感じのメイクに仕上がると思っています。 が、ワタシ個人の眉への思い入れは、人が考えるよりも強いようですネ。 したがって、よりこまかく繊細に考えるという結果になつているようです。 では、結果として、メイク!!となるのか言えば、そうではなく、個人の持っているものを最大限に生かすメイク。つまりは、ナチュラルメイクになるのですネ。つくれものではないメイクを。個人を生かすメイクを。特別にするものではなく、普段の生活の中に息づいているものでありたいと考えると、そのようであるべきと思いますネ。メイクをすることで、自分らしくなれるのだとしたら、それは、その人にとっての立派なアイテムになるし、メイクを楽しむということでも、応用が利くことになりますからネ。より自然で、よりキレイを目指して欲しいものですネ。
2013.09.13
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不自然な自然というものを目にすることはありますか?それは、庭などの手入れの行き届きすぎた状態のようなことなんですけれど、お化粧の世界も同じ様なことがたくさんありますネ。もともと、メイクそのものが不自然なのですから、致し方ないことなのではありますが、センスの問題ですから、少々口に出して注意しても、それが直ることはないと思います。本人の好き嫌いとともに、正しいという答えがないのがほんとのとこですからネ。それから、お手本になるものが少ないので、基本的などというものもないに等しいと言えますから。 しかし、いろんな場面で、あっ!この人キレイ!に行き会うとは思いますが、何故、そのようなチャンスを生かし切れないのでしょうか。 面白いのは、人間、素直にキレイを認めないのではないかと思える。 そんな場面に遭遇できたなら、素直に取り入れればいいと思うのに、あーだの、こーだのと、屁理屈をつけて、認めないのではないのか。そのかわりに、手近なところに手をだして、自己満足している。センスなんて、所詮自己満足ですから、それでもいいのですが、だったら、完璧な自己満足の世界を目指してもらいたいものですネ。
2013.09.12
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眉と一言で呼べるんですが、眉頭、眉山、眉尻と、それぞれに意味があり、その部分をどのように扱うかで、表情の特筆がありますネ。それぞの部分を、それぞれの意味をかんじながら作るのは、ほんとに意味がわかっていないと作れないということでもありますが、そんなに意味があるなどとは、誰も想像だにできないことと思いますネ。 言えることは、役者の撮影とかの話ではないので、そんな意味などは関係のない話なんですネ。 物語の主人公を人生というストーリーの中で人は演じているのではありますが、アップで顔の表情を抜かれるなんていうことはあり得ませんから、そんなに、その部分の表情をなどという意味は関係ないような話しなんです。ただ、ワタシが演出するとすればの話で、その場合には、そのような意味を考慮しながらつくることはあります。そこには、それなりに、そういった意味がある。というだけのことではありますが。普通には、眉を大切に考え、そして、それへの心を込めて対応してもらえればいいなと思っているだけですネ。
2013.09.11
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ワタシが人を観る基準に眉を置いている訳は、必ずしもそれでなくてはということでもないのですが、結果として、あぁそうだなぁという答えがでるのです。 どういうことかと言うと、なんかいまいちだなぁと感じた時は、やはり、眉もいまいちなんですネ。では、キレイに描いているひとはキレイと感じるのかと言うと、そうでもないんですネ。ワタシの感じるキレイは、過ぎないという手の入れ方なんですが、意外に人は、そういったフワリとした感覚を持たないように感じますネ。 所謂未完成の美というものが存在するのだという感覚ですかネェ。 身なりを整えるという感性が、そのような眉などで表現できるなんて思う人はいないのかも知れませんが、眉が表情の表現にどれだけ寄与しているのかを知れば、眉を大事に扱おうと思うかも知れませんネ。
2013.09.11
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数の多きに流れる。 現実的な話は、眉はかくあるべし!的な形を表現するメイクが多ければ、それが正しいものとされる。 否!と、叫ぼうが、それが少数であれば。社会におけるマイノリティの問題のようですネ。最近、ワタシは、それはそれでいいのかな。と、思うことにしました。では、ワタシの提言する表現を止めるのか。は、そうではなく、それはそれでいいのかな。と、ですネ。要は、メイクというものの価値観なのですから、誰がどのようにしようが、勝手な話なんですよネ。 いまさらのように思っている自分が面白いですネ。勝てば官軍。ということなんですネ。ワタシも、ワタシが表にでて、かくあるべし!なんて叫んでいる姿なぞは、見たくもないし、する気にもなれない。 それこそ、たかが眉の為にです。では、表現を発言で発表するのを止めるのかは、止めないし、そのまま変わりなく続けるというだけの話なんですネ。 メイクの目的は、柔らかさや、優しさを表現するものだと思っていますからネ。舞台の悪役のメイクではないのですからネ。
2013.09.11
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メイクを楽しむという意味は、飾るということではありません。自分の演出の巾が増えてこその楽しむということができるということになりますから、料理のアレンジのように、あーしてみよう、こーしてみよう。と、自分でトライすることにありますネ。アレンジとは、自分の持ちゴマをどれだけ使いこなせるのかということでもありますから、モノを買い増して。ということでもありませんネ。 感覚的なものを磨いて、かつ、季節を敏感に取り入れる。そのような感性こそが楽しむということの前提条件のような気がします。あーしよう、こーしよう。は、イメージトレーニングのようなものなのですから、沢山やれればやれるほどに、自分が磨かれるということなんですネ。そして、メイクは、毎日一回を真剣に取り組んでみて、やり直しは御法度と考えるべきことですからネ。お肌をつかれさせてしまいますから。
2013.09.10
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バックグラウンドメイクアップともいうファンデを丁寧にすることで、それ以後のポイントは完成度が高くなりますネ。まぁ、どれをとっても、手抜きでいいとは言いませんが、最初が肝心ということは何事にも通ずることですネ。ポイントメイクは、不思議と誰もが手抜きをしませんが、それだけではメイクは完成しないんですネ。 ポイントはあくまでもポイントで、トータルバランスのベースを取りこぼさないようにすることが大切なんですネ。いろんなモノがメイク用品として販売されてはいますが、できるだけ、つけやすく、取りやすいというのが基本なんですネ。それは、何故かというと、お肌に抵抗が少ないということですからネ。どのようなモノでも、そのような目安で選ぶといいですネ。いろんなメーカーがいろんなモノを販売しているので、選ぶ側は、どんな基準で選ぶのかが問われるということでもありますからネ。
2013.09.07
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使い方としては、先ず、お顔に、ポンポンポンと置いてから伸ばす人が多いのですが、そうではなく、容器から指先にとり、頬から塗り始めアゴへ向かい、額、鼻筋。この時の指は、人差し指ではなく、中指、薬指を使ったほうが力や、やりにくさの加減で、丁寧にすることになりますネ。そして、単にのばすのではなく、叩いてのばすということです。この方法が一番ファンデをお肌に密着させて、かつ、ムラ無くコントロールできます。眉の中や、瞼には、ファンデは塗りません。瞼は、下地と、頬紅やシャドウでの演出ですから。そして、瞼の瞬きでの寄りを防止する為ですネ。全体に塗り終わったら、手のひら全体でお肌を包むようにしてみると、状態が把握できますネ。ファンデの二重塗りをする必要がある場合は、先ず、ティッシュやガーゼで全体を押さえます。それは、余分なものを除くことで、上につけるコンパクトが均等につけられるようにする為ですネ。 もちろん、コンパクトも叩いてのばします。この時、パフには、前に使ったモノが残っていないキレイな場所をつかいましょう。汚れたパフでは、キレイにつけることはできませんから。汚れたパフはマメに石鹸で洗っておきましょう。
2013.09.07
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一見ミクロの世界のようですが、お肌の状態の変化をしっているか、いないか。どのように違うのかは、空気の温度差で、膨張率の違いがあります。それは、そのまま、お肌への影響があります。夏の場合は、湿度、気温ともに、お肌には穏和な抵抗ですから、お肌は気がゆるんでいます。で、季節が変わっての変化があると、それに伴う抵抗が変わるということですから、当然ですが、お肌のありかたがかわりますネ。そのことを知っていればいいだけの話なんです。お肌がゆるんでいる時は、適当度の範囲が広いので、いい加減なメイクを受け入れてくれます。が、季節の移ろいは、その範囲を狭くしますので、丁寧さを要求するということなんです。 丁寧ということは、鏡をよくみて、必要なことを確認し、その内容を自分でしっかりと把握し、それにしたがっての丁寧さということなんですネ。一番の必要性は、ファンデにあります。そのことをよく認識すれば、それができますから、その他のメイクは右へ倣えをすることになるはずなので、そのひとつを確実に実行するといいですネ。
2013.09.07
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秋仕様という特別なモノを用意する必要は、まったくないのです。考え方と、使い方を考えるというだけのことなんです。季節の移ろいというものは、自分でも気づかないうちに変化しているものなので、それを気づくようにしたいなぁということなんですネ。そして、その変化に応じた対策を考えるということなんですネ。どうせ汗で崩れるから。という場面が、うちばになったりしますから、丁寧なメイクを楽しめるということでもあります。丁寧というのは、ゴチャゴチャするということではなく、その名のとおりに丁寧にする。 この意味は、自分の事実をよく観てから、自分に必要なことをするということなんですネ。 メイクなどというものは、する。というよりは、必要なことをする。というほうが正しいと思いますネ。 ですが、誰もが、そのようにできるものではないことは、ワタシも知ってはいますが、できるだけ多くの人に、そのようになって欲しいと思っています。では、何を必要と言えばいいのかというと、年齢におうじての対策ということはほんとに必要なことなんですネ。 では、何がということなんですが、モノで対策を講じるのではなく、自分の生活のリズムや、その内容での結果をリアルに認めて、自分の現実には何が必要なのかを知ることからなんですネ。 その結果がメイクに表現されればいいだけのことなんですからネ。
2013.09.07
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メイクの全般に言えることなのですが、夏場仕様のありかたの延長だと、足りないものがあります。それは、丁寧さです。 ある意味、夏場というのは、手抜きになりがちなのですネ。ファンデにしろ、アイメイクにしろ、頬紅にしろ、気をつけて使うことです。 それから、口紅は、下地の目的でベージュを使うことで、次に使う色の発色がよくなり、グロスを使うより自然な艶がだせます。このようなこまやかなメイクを楽しめれば、秋の楽しさが何倍にもなるのでは。
2013.09.06
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光源の関係というものも存在するので、そのことをも考察することをお勧めしたい。では、それがどのようなものなのかを具体的に言うと、比較的ものがハッキリ見える。ということ。ですから、ファンデなどが、白っぽく見えやすい。ですから、色選びは丁寧に。また、ファンデの使い方も、丁寧にたたいてのばすということの心がけを忘れないように。そして、メイクの必要な目的時間前の30分には終えているように。たったこれだけをこころがけるだけで、秋仕様と言えますネ。あとは、何時も通りの感覚でいいと思います。強いて気をつけるとしたら、口紅などの色選びをする時には、イメージで、自分が秋に身につける衣装を浮かび上がらせて、自分を考察してみるといいですネ。夏という季節よりは、空気中の湿度が減るので、光の屈折がおとなしくなるので、ものがキレイにみえるようになります。プリズムを思い出してみるといいですネ。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、そうですネ、虹色です。それらの境がハッキリしてくるんです。そのことで、明暗などもハッキリしますから、ものがよく見えるということになりますネ。自然ってすごいですよネ。細やかな変化を我々になにげに与えてくれていますからネ。そのようなことに感謝しながら、自分というもののお洒落度を完成させることができるといいですよネ。秋は、お洒落な季節ですから。
2013.09.06
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そうなんですねぇ。自然の変化は、受け取る側が気づかないうちに、なにげに変わっていますから。 それは、お肌で感じたり、食事の内容が変わったりして、ふと気づいたら季節が変わってた。みたいなことなんですねぇ。ですから、受け取る側は変わっていないのですが、陽の光の角度が変わることによって、見え方というものの変化が生じますから、当然色味というものが変わるということになりますネ。お顔で言えば、面積の広いお肌の色味。柔らかな陽の光になりますから、ファンデの色味の受け取り方が変わるということなんですネ。 勿論その他の色味もなのですが、意識してみなければ判らない程度の変化なのですネ。それらを踏まえての秋色のテーマを自分で持つことで、自分の対秋対策というものが準備できますネ。 面白いですよネ。 いろんなものを対策として考察すると、いろんな感性が浮かんできて、自分が楽しくなりますネ。ワタシ思うに、世の中は、変化のスピードは鈍いものなんですネ。というより、車はきゅうには止まれません。みたいなことですからネ。で、それを逆手に取って行こうと思っています。
2013.09.06
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モノの販売に、さものような説明があるのだが、商売用語に過ぎない。 でも、かく言うワタシも、ジャンルが違うと、そのように受け取る。 世の中そんなもんでしょうねェ。美容は、ワタシの得意とするジャンルだから、それをそのようには受け取らないだけのことなんですネ。 たまたまワタシは、美容を追求してしまったのです。で、商売というワクからずれてしまったということなんです。 ですが、そのことで、真実に行き着いてしまい、それをみなさんに伝えようとしていますが、あろうことか、みなさんは、その商売用語のほうが気に入ってしまっていて、なかなかワタシの言葉には耳を傾けてはくださらなかった。で、ワタシの方針は、このようにバーチャルの世界を方法論として利用することにしましたが、それも、なかなかということです。 さて、美容には魔法は無い。というのがワタシの持論なのですが、心という形のないものには、ある意味魔法が存在するんですネ。それが、マインドコントロールというものなんです。そして、それは、時として、お肌をキレイにしたりもすることがあります。 つまりは、内なる秘めた力とでも言うのでしょうか。そういう意味では、魔法が存在はしますネぇ。ワタシは、そのような魔法を回りくどい方法で使うことがありますが、その理由は、ほんとにキレイなりたいと思っている人が現れた説きなんですが、なかなか表れてはくれませんネ。 でも、いつまでも待っています。
2013.09.05
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お肌のくすみなどなどは、お肌の疲れによるものなのです。で、片づけられることならば、それは簡単なことですよネ。 が、実体は、自分でいためつけていることなんですよ。それは、自分で使っているモノのせいかも。化粧品の是非は、メイクをするのかしないのかによります。 メイクをする場合、お肌ののりで化粧映えするしないがあります。 しかし、それは、モノの仕業ではなく、使い方ということもありますからネ。 意外と、自分の都合で省略したりとか、勝手な判断で応用したりとかは、もってのほかなのですが、モノに頼りっぱなしの場合は、もっと悪い。 なぜなら、それを検証するでもなく盲目的に使うことですからネ。 長い年月を費やして、自分のお肌を疲れさせることだって、おおいにありますからネ。 その場合、時間というものが介在しますから、手に負えないことでもありますが。 まぁ、なにをさておいてもです、つけたら落とす。このことを丁寧にすることが一番です。メイクは、永遠にこれの繰り返しというだけのことですから。
2013.09.05
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お洒落のなかでも、口元と言えば、口紅だけみたいに思われるかも知れませんが、そのことだけでなく、おしゃべりに対しての唇の使い方のこと。唇をただしい発音にすることで、それ自体がキレイということに結びつきますネ。その結果、口紅の塗り方によっては、更にキレイという感じがするということに結びつきますネ。口紅は、ベッタリ塗りすぎないようにすることで、唇が健康的にも見えますし、しゃべっている内容にまで、活き活きさが感じられるということがあります。 それって意外なことですけれど、表現の基本的要件なんですネ。 口紅の塗り方で注意する点は、全部塗るというのではなく、中央部分をすこし控えめにすることで、立体感がでますから、そのようなことも踏まえてもらえるといいですよネ。それから、折角塗ったものをティッシュなどで、バクッとふき取ったりしないこと。最初から、ブラシを使って塗りすぎないようにすればいいだけのことですからネ。
2013.09.05
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衣装にしろ、メイクにしろ、お洒落心なくしては語れない。 が、どれほどというほどのものを言うことではなく、日常のことを考察してみても、さほど、それを感じないというのが日常のようではある。 まぁ、いまのところワタシの情報源はテレビが主役なのですが、接客を受けるそれぞれの日常の中に、それを求めることに無理があるのかも知れませんネ。 イナカ。でも、それを言っては話がはじまらないのですネ。自分で意識して、そのようにするのがお洒落心なのですから、それが、外見だけを指すとは限らないのですネ。まぁ、確かに身なりを整えるのが一番手っ取り早いのですが、それだけではないと思います。 所謂、一挙手一投足に、そのような心が籠もっているのか。また、それを感じる心が自分の中に備わっているのか。備わっていないようなら、気を抜かないような日常を心がけるべきなのではないか。形があるようで、無い場合が多い、このテーマは、自分次第ということなのですからネ。
2013.09.05
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メイクをする為に必要なことで眉を作る、もしくは描く。という作業がありますが、その事自体は難しいことではないにも関わらず、難しく考えている人が多いので、コピーをする。という安直な方法がとられるのではないかと思います。なんでもそうですが、いきなりということは無いのですネ。序序に手を加えながらも、行方が定まっていないので、迷いながら、あっちへ行き、こっちへ行きの結果、コピーをすることが手っ取り早いと気づくのではないでしょうか。楽に手にしたものは、必ずしも自分で納得はしていないものですネ。ですから、また迷いだしてしまい、またコピーをする。しまいには、なにがなんだか判らないままにメイクは毎日している。 結果論として、自分のメイクというものが完成しないでいる。 一度、客観的に自分を見つめてみてはどうでしょうか。
2013.09.04
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