迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2026.06.18
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カテゴリ: 浮世見聞記
明治大學平和教育登戸研究所資料館の企画展「その時、わたしたちは戦うことを命じられた 登戸研究所と本土決戦体制」を觀る。



昭和十九年(1944年)七月のサイパン島陥落により、日本本土が爆撃範囲に入ったことから、軍部は政府機關と軍需工場の疎開を急ぎ、大本營を天然要塞に適してゐると判斷した信州松代に移転、登戸研究所も信州駒ヶ根にいくつかの場所に分かれて移転し、怪力電波の照射により敵の爆撃機を撃墜する「く號」兵器の研究開發を續ける一方で、戰後に「帝銀事件」で問題となる青酸ニトニールの研究も行なはれてゐたやうだが、これについては敗戰後に記録が消滅してゐて詳細不明云々。

また、天皇と三種の神器も信州山中へ移し奉る計画も立てられ、現在もその遺構が見られるやうだが、安徳天皇の例と云ひ後醍醐天皇の例と云ひ、“玉”が都を離れたらそのまま敗者になる前例を軍部はどう認識してゐたのか。

なりふりなど構ってゐられなかったのだとしたら、もはや本人ばかりが自覺しない負け戰と云ふほかない。

さうした軍部の無自覺ぶり、認識のズレを端的に示してゐるのが、この企画展の題ともなってゐる、一般國民への戰闘参加を強要する昭和二十年六月の「國民義勇法」であり、本土決戰時には“國民義勇戰闘隊”として十五歳から六十歳までの男性、十七歳から四十歳までの女性は全員武器を手に、敵に向かって文字通り“當って砕けろ”と鼓舞、その一般人向け戰闘指南書である「國民抗必携」なるパンフレットを見ると、敵への攻め方は詳述されてゐるが、敵から反撃された場合の應戰については全く触れておらず、


(※案内チラシより)

その末期症状なやぶれかぶれぶりは、三月から四月にかけての米軍の沖縄上陸がなんら“教訓”になってゐないどころか、沖縄戰への認識のズレがあまりに甚だしく、國が道を誤るといかなる悲劇を引き起こすか、實はそれは決して八十一年前の過去の歴史ではないことを、私はここに思ひ知る。





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最終更新日  2026.07.11 09:45:22
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