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なんばグランド花月の吉本新喜劇で、今日までのすっちー座長週に大ファンの辻本茂雄さんが出演してゐるとのことで、これは行かな、と勇んで出かける。ほかにも池乃めだかさんや内場勝則さん、島田一の介さんに浅香あき恵さんなどベテランが脇を固める豪華布陣で裏切られるわけがなく、辻本茂雄さん定番の若手の“シゴキ”も大盛り上り、何もかも笑ひ飛ばして八月最後の一日を至福に過ごす。漫才ではそれぞれに當たりハズレのあるところからオモロイ藝人を自分なりに發見して覺えていくのがライヴの醍醐味であり、それまで名前を聞くばかりでちゃんとネタを見たことのなかった“すゑひろがりず”の狂言パロディが、ヘタな能狂言のそれよりよっぽど面白かったのが私の収穫。トリは今年八十二歳と云ふ桂文枝で、九十歳までは現役續行を宣言し、客席の我々も九十歳を目標に元氣に頑張ることを約束する。やはり元氣な人は聲が若い。私もずっと、さうありたい。マイクのなかった時代の藝能を舞ってゐるのだからネ。
2026.08.31

昨日に日帰りで大阪への旅行を思ひ立ち、驚くほどすんなりと切符の手配も整ひ、これは吉日だわえ、と今朝早くに第二のふるさとへ。まずは四天王寺の師匠と嵐家のご先祖へ挨拶に伺ひ、前回の七月下旬に伺ったあとの約一ヶ月における諸事を報告し、笑ふ。そしていつも四天王寺から望めるあべのハルカスの、今回はあの高層階からこちら側を望んでみやうと、天王寺驛(阿倍野橋驛)の向かふまで日陰を選って歩いて、地上60階・300mへ昇る。そこから眺める街は同じ型のビルだのマンションばかりでかえって特徴がなく、どこがどこなのかわかりにくい。さうしたなかで數少ない甍の建物である四天王寺はすぐに見つかり、ふだんの挨拶の際に望んでゐる方向から、今回はあちらを望む。そして初めて、師匠のゐる場所と嵐家のご先祖がゐる場所は境内でも大きく離れてゐるが、ほぼ一直線でつながってゐることに氣が付き、さらにそのほぼ直線上の地上300mには私が立ってゐて、いよいよ私は今も變はらぬ縁(つながり)を確信する。
2026.08.31

ふっと氣が向いて橫濱みなとみらいへ出かけたところ、ランドマークのギャラリーで入場無料の美術展が開催されてゐたので、ふらりと寄ったところ、一枚の繪にもっとも目が惹き付けられる。(※展示作品の撮影可)若い女性がモデルであることがきっかけなのは独りモノの寂しいオトコの哀しい性(さが)、しかしそれが私の好きなテンペラ畫であることを知って、私はなるほどそれゆゑか、と救ひを見出す。顔料に卵黄などを混ぜる繪畫をテンペラ畫と云ふことを、私は松本清張の「小説帝銀事件」を通して知り、ものはなんでも知っておいて損はないと、つくづく思ふ。同じ自然(みどり)を描いたものでも、私は世界が明瞭な右の作品のはうが好み、なにかの賞を獲得したこの繪は、題名をつけるセンスにも感心し、(「空を啄む」)やはり藝術も藝能も、運より感性(實力)に勝る人が本物と、その認識を新たにした充實のひととき。
2026.08.30

ラジオ放送で、故人の能樂師森田流笛方・田中一次の古い音源を聴く。私は能樂の笛が奏でる、霞の漂ふやうなぼんやりとした情景を醸し出す瞬間が大好きで、あのこゑに能樂堂で逢ふと、ああ能を觀てゐるのだな、と至福の氣分になる。今回の放送でもその瞬間が記録されてゐて、こればかりは同じ能管でも江戸由来の鳴物師ではできない技だ。田中一次と云ふ笛方を、私は年代的に直接は知らない。しかしその晩年の弟子と云ふ笛方ならば、たびたび舞臺で見たことがある。放送ではその弟子がゲスト出演し、ある特殊な吹き方について、「あれは真似してはいけないよ」と教はったと話し、「真似をしたら真似で終ってしまふ」とみずから解釈したと續けるのを聴いて、習ったこと、教はったこと、覺えたことをそのまま厳守することはすなはち「真似」に終はる落とし穴でもあることを的確に指摘した、深い共感を覺える言葉と感心する。なるほど「真似」ならば、なにもその人は要らない。先生に出演願ふか、或ひはいまのご時世なら音源で、事は足りる。
2026.08.29

千代田區一番町のJCII フォトサロンで、「幕末・明治の古写真展 盛岡の収集家・村田明コレクション PartⅡ」を觀る。 東京の學校で冩眞を學んだのちに故郷の盛岡で冩眞館を經營する一方、古冩眞の蒐集も行なってゐた村田明氏の膨大なコレクションの第二彈、いまや撮影者不詳の冩眞であらうと、その時間と場所と風景が確かに存在したことを傳へる貴重な証言者としての価値は、なんら揺らぎはしない。古へより名古屋の繁榮を象徴する名古屋城、のちに米夷の空襲によって石垣を殘して全焼させられることになる天守閣の明治期に撮影された姿は、ハッと胸を衝かれるやうな端麗ぶり、しかし頂きの鯱には金網が懸けられてゐる。(※述者藏の資料より)純金製の宿命として、この時代に三度も鱗を剥がされる盗難に遭ひ、明治四年の一度目は犯人の番兵は銃殺刑、五年後の盗難では二十七歳の男に懲役十年の實刑、三度目の明治十一年には名古屋鎮臺の兵卒が犯行に及んだが、処罰については「軍秘」云々、さすが火藥を商賣道具にするだけあって、にほひますな。私はかういふ噺が、好きだ。
2026.08.28

必ず觀ておかうと決めてゐた、川崎市平和館の特別展「沖縄戦時下の子どもたち」を觀る。米國軍は事前の綿密な偵察で作成した沖縄本島とその周辺のグリッドマップをもとに昭和二十年三月二十六日、慶良間諸島へ上陸して本島攻撃の足掛かりを得ると、四月一日にいよいよ本島へ上陸、南部が凄惨極まる爆撃にさらされ、六月二十二日に牛島司令官の自決により組織的戰闘が終了するまでの間、沖縄本島では軍人も民間人も關係なく老若男女が戰闘員に動員され、男子學生は“學徒隊”として軍事物資の輸送や被彈した橋の修理など後方支援に従事させられたが、軍はかうした子どもたちが戰闘の犠牲になっても仕方なしとしてゐたその身勝手さに、私は憤りを覺える。本土へ疎開させるはずだった大勢の子どもたちを乗せた對馬丸が長崎への航行中に撃沈された史實も、實は戰闘に足手まといな沖縄住民を退避させて本島における食糧を確保し、子どもについては将来の兵士數の確保が目的だったと知るだけで、もう私の胸は一杯になる。女子學生たちは“ひめゆり學徒隊”として知られる従軍看護に動員され多くが犠牲になったが、生き殘ったと云ふ高齢女性が、私の棲む町内にひとりゐた。かつては“語り部”としてあちこちの講演會に呼ばれてゐたさうだが、私が知った頃には自宅を兼ねたアパートの大家であり、國からの莫大な弔慰金(恩給)のおかげで同居の娘も孫娘も優雅な生活を堪能してゐる様子、娘、といってもすでにいい年齢だったが、不似合ひな派手な服装で出掛ける姿を見かけたことがあり、一度ばかりチラ見したことのある孫娘なる者も、いかにもアソんでゐさうな雰囲氣だった。アパートの大家となってゐた元ひめゆり學徒隊のその老女とは少し口をきいたことがあるが、沖縄で過酷な青春を過ごして本土(ヤマト)へ渡ってからも同じやうな人生だったのか、さうして身に付いたらしい狷介さを感じさせる人物であったことを憶えてゐる。令和になって間もなく、その一家は持ち家でもあったアパートを突如として賣却し、町からゐなくなった。地域での仄聞では、老女はいよいよ危篤となり入院することになったが家族はその費用が捻出できず、やむなく自宅兼アパートを賣った云々。私の脳裏に、老女の恩給のおかげで、働いてゐる様子もなく優雅に暮らす娘と孫娘の姿が甦った。おそらくは、親が國から支拂はれ續けてゐた多額の給付金を、家族はほぼ使ひ果してゐたのだらう。危篤の老女が亡くなれば、當然給付は打ち切られる。人生の罰が當ったな、と思った。──ひめゆり學徒隊の展示パネルを見て、つひそんな生存者の晩年の一片を、思ひ出した。
2026.08.27

今年は大相撲巡業を、神奈川縣川崎市の東急ドレッセとどろきアリーナ“川崎場所”で樂しむ。會場前にはキッチンカーが並び、會場ロビーには出店が並んで力士が呼び込みもするなど、相撲巡業とはまさにその土地のお祭りでもある賑やかさ、昨日から續く汗の止まらぬ酷暑の下、連日移動する力士たちは空調の効いた屋内で取組とは云へ大變だらうなァ、と察してゐたが、角界も“働き方改革”とやらで来年から巡業日程を緩やかにし、一ヶ所で二日間興行することも検討されてゐると勸進元が挨拶で語ってゐるのを聞いて、なるほど時代だなァ……、と思ふ。たしかに本場所以外は常に巡業で移動してゐるため、若手力士が質問コーナーで答へてゐた「東京に半年以上もゐられないのが大變だ」と云ふのもわかる氣がする。とまれ来年からは大相撲巡業も様子が變はるやうで、サラサラと進行する取組より競技者も勞働者化してゐるこの話しのはうが心にとまった、今年の相撲觀戰。
2026.08.26

東京都杉並區の座・高円寺で、糸あやつり人形一糸座の創作人形浄瑠璃「新羅生門」を觀る。現在は澤瀉屋經由で歌舞伎の脚本も手掛ける小劇場劇團の主催者が、1980年代の昭和末期に自身の劇團公演のために書いた同名戯曲を今回の一糸座公演のために女流義太夫や鳴り物を加へて「アップデイト」したもので、妙な古典臭さはない代はり、いかにも小劇場演劇らしい主題のよくわからない散漫な演出を得意の絶叫ゼリフで煙に巻く、一糸座公演なのか“劇団扉座”公演なのかもよくわからない130分間。おとぎ話の桃太郎(家来の犬の造作が可愛かった)や金太郎に一寸法師、浦島太郎の飛び入り(?)のほか、鬼と勇敢に闘ふ渡辺綱(シーチキンと揶揄されてゐた)など、鬼退治物の英雄たちと鬼の子“ゴロウ”との宿命的對決を軸に、なにが惡(鬼)でなにが正義なのか、結局は「大義名分を得た者が勝者」──と云ふことらしい。たしかに、浮世には惡も正義も存在しない。全ては、いかに仕立て上げるか、にかかってゐるのだ……。
2026.08.25

さいたま新都心のGMO ARENA saitamaで、「行方不明展」を觀る。行方不明になると云ふ現象が起こるとしたら、人はどのやうに振る舞ふのだらうか──と云ふ、興味深くもわかるやうなわからないやうな主題を、フィクションによる四つの現象に分けてどうも不可解な解説を加へたもので、いづれも「行方不明となった痕跡は殘されてゐるが、その痕跡の元となったものはこの世に存在してゐない(ハズの)ものである……」と云った點で共通しており、このあたりに理解の鍵があるやうだ。(※會場内撮影可)さうしたなかで、唯一わたしにも經験のあるのが、「行ったことはないのに懐かしさを感じる場所」(Backrooms/Liminal Space)で、かつて大阪に移住した時、その後七年を過ごすことになるその町にはこのとき初めてやって来たにもかかはらず、幼少期の生活を思い出させるやうな懐かしい感覺に包まれたのだ。ちなみにこれは、『真偽不明──記憶の行方不明』とここでは云ふらしい。ちなみにこの大阪で暮らしてゐた時代、ひとりの大先輩が口癖のやうに「ああ、消えてしまひたい……」と自虐的に呟いてゐた。だがその大先輩は幸ひ現在も、仕事場でおのれの職分を全うしてゐるやうだ。そもそも行方不明とは、永遠に誰からも氣付かれることなく全てを消し去ることで成し遂げられるものであり、痕跡を殘すなどして人に氣が付かれたら、それは失敗なのである──私は消えちゃゐない。ちゃんと存在してゐる。そこで姿を見なくなったのは、もうその場所が存在する価値も無くなったからだ。そのために私は、身元も、所在も、出所も、真偽も、すべての痕跡を、殘して行く……。
2026.08.24

埼玉縣ふじみ野市の「ふじみ野産文フェスティバル」に今年も参加し、今回は現代手猿樂「源氏紫」をつとめる。「ウソをついたら地獄に堕ちる」の考へから「紫式部は源氏物語と云ふ作り話を世に廣めた罪で地獄に堕ちた」と發展的に考へた中世人の感覺と、原曲である謠曲「源氏供養」の觀世流における節付けに興味を覺えて嵐悳江(わたし)なりに創った曲、たしかに曲趣はムズカシイのかもしれないが、私はさういふことは抜きにして、“謠って舞ふ”ことに樂しみの重點をおいて、樂しむ。出番が済んだあとは客席にて、参加團体がそれぞれに凝らした趣向をそのままに樂しむ側へと回る。昨年もこの催しで私の手猿樂を觀たと云ふ方が、「人には教へてゐないのですか?」と聲をかけてきた。私は過去(むかし)の經験を踏まへて、「自分は得手ではないことを知ってゐます」と答へた。一を云って十も傳はらず、十を云って一すら傳はらない──それは私の生きる時間において、もっとも無駄なのである。樂しみは、樂しみのままであるから、樂しいのだ。
2026.08.23

昨日は夕方に帰宅した一時間後に“警戒レベル4”のゲリラ豪雨となり、煙って向かふが見えぬ景色を窓から眺めながら、帰宅がもう少し遅かったら危なかったな、と安堵してゐたら……、今日の午前二時には震度5の地震、直前に鳴り響いたスマホからの警報音で目を覺まされ、たしかに襲った強い揺れに今度はこれか、と天地のなんらかの怒りを思ふ。先月の熊本の大地震、先日の千葉の線状降水帯、天地は人間の日常をあっといふ間に覆す。そこに對岸の火事などあり得ないことを思ひ知らされると、今日の一日すら疑ひたくなる。それを“警戒”とコトバを置き換へても同じこと、浮世に生きてゐる以上、逃げ場はない。
2026.08.23

埼玉縣東松山市の埼玉縣平和資料館 埼玉ピースミュージアムのテーマ展「回してちょうだい回覧板─暮らしのなかの戦争─」を觀る。昭和十五年(1940年)に當時の内務省が發した「部落會町内會等整備要領」により、國民は五軒から二十軒をひとまとまりとする“隣組”を組織させられ、話し合ふ場である常會のほか、情報傳達と共有──回報の手段として月二度の回覧板が活用される。しかし現在殘されてゐるこれら回報が傳へるのは、いづれも國民に質素倹約を強いる文言ばかり、軍事費捻出のために寄附や貯蓄を呼びかけ、華美や行樂など云ふにや及ぶ、食糧確保のための農業奨励など、操作された情報を通して貧苦を耐え忍ぶ「打倒! 鬼畜米英!!」の意識を“正しく”刷り込むことが目的であり、決して“正しい情報”を傳播させることが目的ではないところに、私はプロパガンダの恐ろしさをまざまざと見る。(※案内チラシより)戰時中に一度だけ行なはれた國政選挙(※昭和十七年の第二十一回衆議院議員選挙)では、「情に流されず公明正大な適任者を選ばう」や「人にケチをつけたりアラを探してゐるやうなのは選ばないこと」など、至極もっともなことを謳ってゐながら、實は東條英機内閣に都合よい議員で固めることが目的の選挙で、さうなると「人にケチをつけたり……」云々は意味を反転させて考へる必要があり、つまり正論すら情報操作の手先になってゐて、もう何を信じたらよいのかわからなくなるところに、戰争の恐怖とは爆撃ばかりではないではないことを、私は後學する。戰後は飲食物の配給や選挙への投票など、日常生活における行政からの諸情報を傳へる手段として回覧板は引き續き活用され、(※同)ここに至りやっと正確な情報傳達手段となったことに救ひを見ると同時に、昭和二十二年の越谷市における縣議會議員と市町村會議員の選挙投票を呼びかける文句の、「進駐軍とゆうシュウト(※舅)を持つ現在の私達でありますが……」に、私は侵駐米夷への當時の認識を、生々しく感じる。
2026.08.22

東京都武藏野市の武藏野市民文化會館で開催中の「武蔵野市民文化会館主催公演 チラシ展」が面白いらしいとラジオ放送で聴いて、にはかに興味を覺えて出かけてみる。1980年代から途中10年間の空白期間を挟んで令和現在に至るまで、一人の職員によってワープロで手作りされたかさ“假チラシ”に込められた公演の品質に自信アリな音樂愛は、まさに紙面から溢れ出さんばかり、あまりに情熱的かつ圧倒的な調子で躍る謳ひ文句はつひ苦笑を誘はれるほどで、チラシ自体がすでに独立したエンターテインメントの觀すらある。上手に織り込まれた『これだけの本場本物がこんなお手頃価格で』『チケット完賣必至』な賣り文句には、西洋音樂にはまったく門外漢な私でさへ、ドレ……、と云った氣になってくる。かくしてチラシやポスターはお客を公演へ誘ふ窓口であり、圖案は命、宿命的に同じ中身を繰り返す傳統藝能の公演でさへ、忘劇場ですぐれた圖案家を起用したところ、それに魅せられた人々がお客となって押し寄せた例があるくらゐだ。通りかかった人がそのチラシやポスターが視界に入って「?」と立ち止まれば、その企画は半分は成功なのである。“いいもの”や“お手頃価格”は、我々庶民がもっとも欲するものであり、その心理をよく理解した嘘のない呼び込みは、なるほどチケットも完賣、感服つかまつる。
2026.08.21

埼玉縣の岩槻人形博物館で、企画展「マジカル人形ワールド」を觀る。かつて日光御成道の宿場がおかれてゐた岩槻は人形づくりの町であり、私がふた昔近く前に旧街道探訪で岩槻を通った際には、人形店をまだいくらか見かけたものだった。その人形は、古への日本では呪(まじな)ひなどに用ゐる祭祀の道具であり、木や紙、藁などで人の姿を象ったヒトガタがその原形と考へられる云々。さうした依り代としての人形などから昔の日本人の民俗信仰を見る内容で、今回の目玉のやうな藁人形は、もともとは村に疫病などの災ひが入り込まぬやう、または送り出すやう村の境界におく魔除けであり、(※展示室内フラッシュなしで撮影可)丑の刻詣りの主役になるのは江戸中期から云々、その移り變はりの解説もほしかった。祭祀のなかで用ゐられた假面は、顔を隠すことで超越した力を持つことを期待したもので、これが藝能化した末端にゐるのが私であるだけに、やはりじっくり觀る。嵯峨紙を幾重にも張り固めて作った嵯峨面は、嵯峨野清涼寺の嵯峨大念佛狂言で使用する面を模したのが始まり云々、のちに絶えたのを昭和になってから京都の民藝品として復活させたものが今日に見るそれで、以前に都内忘所の骨董市でいくつか出てゐるのを、手に取ってみたことがある。状態もよくさほど高額でもなかったと記憶してゐるが、手猿樂では使ひにくいかなと戻したことを、今になってせめて一つくらゐは……、と少し後悔。価値(もの)を知らないことは、人生の幅において損をする教訓(おしへ)なるか。令和現在でも充分に使へる古への習俗は福岡縣の「もま笛」で、フクロウを象ったそれは、高齢者が食べ物を喉に詰まらせないやう食前に吹いた云々、おそらくは息を吸って吐くことで、ノドの氣道を廣げる理だったのかもしれない。食品會社がどれほど工夫しても或る時期の“風物詩”となるこの手の事故、その原因は商品ばかりではなく、なんでも誰かのせいにしたがる時世への皮肉とは穿ちすぎにせよ、暗に示したやうな面白さを私は見る。
2026.08.20

千代田區九段のしょうけい館で、夏の特別展「傷ついた身体でつかんだ仕事─戦傷病者 就労への道─」を觀る。第二次大戰中に戰地で負傷した兵士が、身体に一生の深い傷を負ひながらも懸命の努力により職を得て、社會で立派に生き抜ぬいた歴史を當人たちの証言から聞く。なかでも、大手企業の商社マンとしてビルマ滞在中の昭和十九年に現地召集され、翌年に敵軍の爆撃により片足を負傷して切斷するも、病院では相次ぐ空爆に負傷兵を殘して皆逃げてしまったため、松葉杖を頼りに自力で避難、ベトナムで終戰を迎へたのちにもとの企業へ復職、療養生活を送るなかで社長名義で松葉杖と義足が贈られ、やがて言葉も文化も知らない土地で一から始める大變さを克服し、世界各國を飛び回る商社マンへと復活を遂げられたのは、あの時に片足を失ひながらも自力でビルマから退却した經験より得た「自分の力で考えて行動する意志の強さ」が支へになった、との証言に、もっとも共感を覺える。“名譽の負傷”などとヒトに崇められたところで、いざおのれの身に危険が迫れば彼らを捨てて逃げるのがヒトと云ふ生き物の真理なのである。さうした現實からこの方が「自力」の真理を得られたことは、人として生きる本當の糧(しあはせ)を得られことにもなると、私も大いに勇氣づけられる。
2026.08.19

鎌倉歴史文化交流館で「手で掘る、ひもとく鎌倉─発掘調査速報展2026─」を觀る。古都とは、地面を掘れば必ず何か出て来るもので、さうして發見された欠片や骨は、理解できないヒトから見たらタダのガラクタ、 ちょっとでも知識のある人が見たら人類の足跡を知る貴重な証言者であり、そこに物の大小の差はない。(※展示室内撮影可)焼き物の欠片ひとつにしても、古錢一枚にしても、同じ土中から同じく出て来たものであってもそれが現役であった時代は大きく異なることがあり、その証言者たちから古への鎌倉を考察する研究者たちの言葉は、私のやうな受容一方の無學モノには權力者たちの思惑が土の上で交錯し、都合の惡いものは焼かれたり埋められたりした中世鎌倉の駆け引きの痕跡を見るありがたい案内である。私は磁器、とくに青磁を見るのが好きなので、間違ひなく本物である中世の欠片に、目が長く吸い寄せられる。中世の日本では磁器が國内生産できなかったため、唐方面からの輸入に頼る奢侈な器物であり、それだけに武家屋敷や寺院跡からも、その欠片が多く掘り出される。いつしか寺院が廢され、權力者が滅び、高価な磁器は砕けて土中に埋もれ、後世の分からないヒトからはガラクタに見做される。人間の榮華などわずかな時間で、さうでなくなってからのはうが長い虚しさを、あの深い色で示してゐるやうにも思へた。
2026.08.18

澁谷BEAMギャラリーで開催中の「記憶汚染展」を觀に行く。人間の記憶行為の不完全さ、曖昧さを、AIの問題點とを絡めてエンターテイメント仕立てに指摘した内容、ヒトはその記憶で定かでない部分はこれまでに蓄積した“情報”より抜き出して補完する性質があり、AIが生成した情報に誤りがあるのも、學習してゐない情報については他の蓄積情報から確率の高い(であらう)事柄を抜き出して生成するためで、(※現實には存在しない文字をAIが生成し、書家が清書したもの。もし讀めた場合、脳が蓄積された情報から近いものを抜き出して當てはめたことになる 展示室内一部をのぞき撮影可)しょせん人間がつくり出した人工知能なだけに仕組みも人間のアタマと同じ、機械や道具は人間の手の延長、の道理となんら變はらない。(※意味のない文字や記号を羅列してAIに画像生成させた結果、AIがその文字や記号を手かがりに蓄積した情報より引き出して組み立てた例)ところが、AIが學習した元ネタは膨大すぎてもはや人間の手に負へず、なぜAIがその答へを生成したのか過程を追及できない段階に至ってゐる云々、かくして手の延長のはずが手から離れてしまった原因もやはり、人間自身だ。(※どれが正しいベートーヴェンの肖像画か?)また、複數の人がひとつの場所で同じ体験をしたにも拘はらず、その記憶がまちまちなのも、それぞれの頭で記憶の書き換へが行なはれて保存されるためで、さらに事後情報など外部要因によってさらなる書き換へが行なはれ、結果的に現實の記録には存在しない記憶がつくり出されることが容易に起きたりもする。 (※その人の記憶のなかだけにあり、實在はしない團地をAIが生成画像化した例)となると、實際に觀に行った記憶とメモをもとに話してゐるはずのこの記事も、果たして本當に正しい記憶で述べてゐるのか、だんだん心許なくなってきた──これすなはち、「記憶汚染」。
2026.08.17

先月の川崎大師風鈴市で購入した風鈴を、軒下に吊してみる。いままで部屋に吊してゐたが、風鈴が鳴るほどの風が通はないので、今日も雨を落として行きさうな風があるのを幸ひに、軒下へ移してみたのである。時折まとまった風が、向かふから来る。その風に短冊が泳ぐ。が、鳴るほどではない。しばらく待ってみたが、そのうちに他の用事を思ひ出して、風鈴から目線をはずした。部屋の前の道を、車が通り過ぎた。風鈴が鳴った。もちろんそれは、いま通り過ぎた車の起こした風に呼應したものだ。わざと扇風機の風をあてるのと、大して變はらない。私はにはかにつまらなくなって、風鈴を部屋に戻した。
2026.08.16

お盆のお墓参りへ行く。本堂では法要の讀経、庭では若いお坊さんが草花の手入れに余念なく、空は相變わらず怪しげだが、自分たちに雨は落ちぬと今日は確信する。都内中心部は空いてゐて、電車も空いてゐて、昼どきの飲食店も空いてゐて、良い買ひ物もできて、なんら難渋なく帰り着く。終戰から八十一年となり、あと十九年が經ったらこの日の歴史はどのやうに認識されるのか、なんと云ってもヒトのやることなだけに、注意が必要だと思ふ。遠い未来は案外近くで待ってゐる。しかし近い未来に立て替へられて再開するはずだった町内唯一のコンビニは、冬に延期云々、いまだ跡地は更地のまま、ここが無いと生活(くらし)に面倒ゆゑ、冬のいつなのか、その未来予想がいちばん知りたいものぢゃ。
2026.08.15

町田市立國際版画美術館で、「プレイバック!ミレニアム 1991→2001─版画が/版画で越えた境界─」展を觀る。二十世紀最後の十年間、すなはち平成三年(1991年)から同十三年(2001年)に版画作家たちが自らの作品を通して訴へた浮世への悲憤慷慨の回顧展で、物事をひねくり倒して作品化した數々は、よく云へば時代を超越、はっきり云へばやってゐることが變はらないので、あれから二十年以上が經過した令和現在に見ても、やはりワケのわからぬ發想は鮮度を保ったままである。(※ヒトの科学技術への過信が不安らしい 一部作品のみフラッシュ無しで撮影可)やうするにこのテの作家たちは浮世に對して不安がってゐたいわけで、それは浮世が存在する限り永續するものだから、その意味で彼らにネタ切れの心配はない。(※橫濱大空襲で被災して廢止された京濱急行線の旧平沼橋驛遺構より“こすり出し”で取材した作品、らしい)もし浮世から彼らの不安がる要素が排除されたら、たちまち彼らは廢業となり、また違った意味で回顧展のネタになることだらう。
2026.08.14

橫濱の日本新聞博物館ニュースパークで、コレクション展「生誕150年 漫画記者・楽天」を觀る。福澤諭吉が明治十五年に創刊した時事新報に、福澤の義理の甥である今泉一瓢の後任として採用された北澤樂天は、明治三十五年に始まった「時事漫画」に世相を諷刺した漫画を掲載すると同時に漫画キャラクターをいくつも生み出して大人氣を博し、日本における職業漫画家の第一號となる。その北澤樂天の時事漫画時代の作品世界を収藏紙面でたっぷり浸りつつ、列強諸國に翻弄されて西洋化と富國強兵に猛進する大日本帝國、さうした時勢に踊らされる一般大衆の姿を讀んでいく。(※展示室内一部を除きフラッシュ無しで撮影可)北澤樂天が描く人間は、諷刺による誇張がされてゐるやうで、實は冷静な人間觀察のもとに創られてゐるだけに、紙面のなかのキャラクターたちは我々と同じ視線で言動を展開し、百年昔の人物たちが今日現在の友人のやうな親しみを覺えさせる。今回の展示で氣に入ったのは、嫁いで次第に女の色氣を失なっていく様々な女のスケッチ「細君のいろいろ」、そして政治家に立候補して選挙に挑むまでの悲喜こもごもを諷刺味たっぷりの双六に仕立てた「選挙競争双六」の二點、ニンゲンは笑はせるつもりのないはうが、却って笑ひの材料となる。もうひとつ興味をそそったのが、松本清張が「西郷札」でデビューする直前に地元九州のローカル紙に發表してゐたとされる新聞小説二編が日本新聞博物館の収藏庫から發見され、期間限定で特別公開されてゐるもの。作者名はいづれも松本清張とは名乗ってゐないが、大阪大學の研究者が松本清張の作と特定云々、GHQ肝いりの週刊紙だった「朝日ウィークリー」昭和二十五年九月三日付が「ある盗賊の話」で、博物館に展示の繪巻物を盗んででも手に入れたい華族の愛好家と思ひ止まらせたいその奥方、両者の板挟みになる悪德古物商の三者駆け引きが緊迫感をもって簡潔に描かれ、同十七日付が「百八煩悩」、老僧が若い女との回想から幻想へと惑はされ石段から転げ落ちていく噺、いづれも四千字ほどの短編で、とくに前者は明らかに後の松本清張の作品形式の原型を成してゐる。二作品とも題名だけは愛好者や研究者たちに知れてはゐたが、掲載された週刊紙「朝日ウィークリー」がすでに殘存してゐないため幻扱ひとなってゐたところ、國立國會図書館ではなく新聞の博物館からこのたび發見されたおかげで、なかなか貴重で濃密な讀書時間を過ごす。
2026.08.13

太田記念美術館の「アニマル&モンスター かわいい・怖い・ちょっと変!」展を觀る。浮世繪に描かれた身近な動物、珍獣、怪異の數々を集めた企画展で、いかにも泰平の世らしい諧謔味に富んだ繪柄のなかにも、容貌など肢体はなかなか冩實で、添えられた意味にも真理を衝いたものがあり、人間が愛玩する猫も野(外)に出れば肉食動物である、とは、何でもかんでも「カワイイ~」と撫でたがる人種への鋭い警告とも讀めて深い。(※述者藏)大地震のあとで大量に刷られた鯰繪には、ナマズが災ひの元凶として江戸庶民にイジメられてゐる構圖の多いなか、「復興景氣を招く」ありがたいもの、と捉へた作品もあり、モノは云ひやうと苦笑を誘ふ。(※同)そして船のり德藏が沖で海坊主に遭遇しても恐れず驚かず、「世の中を生きるはうが怖い」と云って海坊主を去らせた歌川國芳の「東海道五十三對 桑名」の一枚は、まさに“憂世繪”の値打ちを高める大出来、災厄を笑ひに転化して吹き飛ばせる心こそ、浮世を泳ぐいちばんの武器なのである。繪の宿命とは、その物体の“にほひ”までは傳はらない……、わけでもない、陸揚げされた鯨を囲む野次馬のなかに後ろを向いて鼻をつまんでゐたり、鼻を覆ったりしてゐる人を描き込むことで、こちらが鼻で直接感じられないものを視覺化して、どんなにほひなのかを傳へる。私のやうな素人には、さういふ教示が嬉しいのである。
2026.08.12

異様な經路で關東に接近、上陸した臺風十五號に、朝から振り回された一日。私の棲む町の午前中の上空は明るい曇りで時おり薄日すら差す有様、これでホントに臺風が来るのかしらん、と不審すら抱いたが、自然災害を侮るべからず、とりあえず今のうちにと近所のスーパーマーケットで買ひ物を済ませ、昼過ぎから予定してゐる外出をどうするか、スマホで臺風情報と睨めっこし乍らひたすら悩む。が、出發すべき時間のギリギリまで粘って、「迷った時は止めよ」と云ふ自分の經験則に従ふことにする。結果、二十二時台にやや纏まった降雨のあったくらゐで暴風雨にはならず、外出しても問題はなかったわけだが、それはあくまで結果であり、「津波が来るから海岸から離れてください」と明確な注意がされてゐるにも拘ず海岸へ向かって、数センチの津波で済むか、または東日本大震災のやうな被害となるか、それはわからないことである。ただ、危険かもしれない場所へのこのこ出て行くのは、愚でしかない。私は熟考して判斷した事柄について、後悔した例しはない。今回もさうであると信じてゐる。他人(ヒト)は、最後は逃げ出すもの。自分の身を守るのも、また守れるのも、絶對に自分でしかないのだ。
2026.08.11

ラジオ放送で觀世華雪の謠ひと幸祥光の小鼓による「玉鬘」を聴く。觀世華雪とは觀世銕之丞家の六代目で、現在の一大勢力である鐵仙會の中興の祖にして、戰前戰中戰後の苦闘を生き抜いた觀世流能樂師、と私は話と文献で聞くばかりでその舞臺は冩眞でしか知らない。その能樂師の謠ひを今回、たぶん初めて古いレコード音源で耳にしたが、音量と音質のためにムニャムニャとしか聞こえなかったのは、そもそも私に聴き取れるだけのチカラが無いからではあらう。それよりも私の耳を惹きつけたのは、幸祥光と云ふ小鼓方の音色で、音質に劣る古レコードにも拘ず高音質録音の如くに澄んだ、そして引き締まった音に、生の舞臺で聴いたらもっと神技なこゑであったらうと想像を掻き立てられて止まなかった。能樂とはお客それぞれが心へ情景を冩して觀る藝能だが、小鼓一調で「玉鬘」云々がどうでもよくなるくらゐに聴く者を引っ張っていく技量(ちから)に、これぞ“藝”なのだな、と耳にしあわせ。
2026.08.10

歌舞伎座の八月納涼歌舞伎・第二部を觀る。「らくだ」は大昔に先代歌舞伎座で先代勘九郎時代の十八代目勘三郎と、八十助時代の十代目坂東三津五郎の好共演で大笑いひした憶えのある落語ネタ狂言で、今回は息子の當代勘九郎が亡父も演じた紙屑屋に扮し、亡父ゆずりの口跡と運びの上手さで往年を思い出させる好演を魅せたが、受ける半次と云ふ男の演技がいったい何モノなのか不詳なため芝居が盛り上がらず、中村屋が空回りに終ったのが殘念。このたびは昨年十一月に不慮の死で驚かされた四代目片岡亀藏を“偲んで”の企画にて、私も歌舞伎座の三階席に初めて座った學生時代から、たしかに印象に殘る脇の名役者であった、と思ってゐる。十八代目勘三郎が小劇場演劇の演出家を起用した奇妙なカブキで怪演と云ふより逸脱スレスレなことをやってのける一方、古典物では役の分をわきまえた堅實な芝居で脇を固め、私が最後に故人亀藏を觀た舞臺となった令和六年九月の新国立劇場で上演された「夏祭浪花鑑」の三河屋義平次では、それまで十八代目勘三郎の件の怪演出で起用された全く畑違ひな外部役者の迷演が印象付けられつつあったのをきれいさっぱり一掃し、三河屋義平次がやっとカブキから歌舞伎に戻って来た、と安堵させたものだった。この“偲んで”の舞臺ではその畑違ひが家主女房役で呼ばれて歌舞伎ではあり得ない衣裳の裾を崩しての力演ぶり、畑違ひはしょせん畑違ひでしかないところを晒して冷笑モノ。かつて故人が扮したらくだの馬太郎は兄の片岡市藏が扮し、異様なほど黄色に塗った姿で死体役の手本を見せ、それがかえって怪談味を醸し出してゐたのは意外な拾ひもの。「百千鳥沖津白浪 鬼神のお松」は初めて觀る狂言、幕末の實話をもとにした當時人氣の戯作ネタ云々、もちろん劇化もされて澤村源之助が演じた脚本を紀伊國屋の末裔である九代目澤村宗十郎が戰後に二度上演した悪婆物、たしかに九代目宗十郎のやうな圖抜けた才氣に恵まれた名優にはぴったりの、戯作味あふれる古風な大衆娯樂劇。往年の前進座でもやりさうな芝居で、中村七之助は當然初役だが、侍ひとり殺してのける男勝りな女盗賊の淒味、愛する男に命賭けで尽すいじらしいまでの真情、その男との間にもうけた赤ん坊への母親としての愛、そしてお縄になった最後にはその情愛を振り切る心の強さをしっかり見せて芝居を締めくくり、それまで大人しい役ばかりしか觀たことがなかっただけに、そのひとりの女が見せる様々な“顔”に瞠目させられ大當り、久しぶりに大衆娯樂としての歌舞伎を大いに味はった納涼のひととき。どちらの狂言も年季を積んだ大部屋連が目立つ役々に起用され、そのわりには相變はらずなものもゐれば、オヤオヤと思はせる大出来もゐて、誰かが言ったところの「途中で修行を止めてしまった」部類の私などは今アレを要求されても無理だらうなァ、と何の抵抗もなくしみじみ思ふ。奇しくも今日は「同時解説イヤホンガイド」が無料云々、歌舞伎の觀かたや樂しみかたや約束事などすでに忘れ去ってゐることではあり、ならばと學生時代に一度だけ利用したことのあるそれを、お試し利用する。しかし、開演前や幕間での演目解説が役に立ったくらゐで、本編では臺詞と被るなど却って邪魔になる。やはり、私のやうな知ったかぶり向きではないやうだ。
2026.08.09

今日も暑い晴天で、東京圏の氣温は33℃云々、昼過ぎから外へ出て、意外にもウンザリさせられる熱氣を感じることもないまま、ほとんど汗もかかずに驛までたどり着く。体が酷暑に慣れてしまったのか、体の温度計がおかしくなったのか……?街のどこかで野外フェスでもやってゐるらしく、素人くさい若いオンナたちの淒まじい歌が、風に乗って聞こえてきた。野外ゆゑに多少の騒音は氣にしない。が、ヘタくそは耳につくので耐えがたい。やるなとは云はない、が、やるならもう少し上手くやってくれ……!汗が吹き出してきた。体がカッカしてきた。しかしそれは、やはり暑さのためではない。
2026.08.08

映画「怪速急行■■行き」を觀る。ホラー物はダメなたちだが、ハズレの少ない韓國映画ではあり、觀た後悔より觀ない後悔と、觀に行くことにする。動画再生回數が低迷氣味の恐怖系“映像クリエーター”の若い女性が、地下鐵線“光臨驛”の驛長から數々の怪談噺を取材して起死回生を図り、やがて100萬回の再生數を獲得するが、怪談は全て實話だからこれ以上の深入りはするなと曰わく付きの女性や驛長本人から忠告されるも──前半に連續展開する怪談はいかにもホラーのためのホラーで、思はず鳥肌を立てつつも手の込んだ作りモノぶりを樂しむ。しっかりと恐怖心を煽りながら現代社會における人間の心理も描く周到な脚本で、辛味のなかに旨味がある料理のやうな味はひ。地下鐵、整形廣告、自販機、つり革など、ヒトが作った現代文明がヒトに牙を剝く都市怪談の正体は、とりもなほさずヒト自身であることを、何となくあのちゃん似のヒロインが除々に突っ込んだ表情に變貌していく渾身の演技で魅せた一時間三十五分。
2026.08.07

國立公文書館の夏の特別展「旅人は東を目指す─古典文学が描いた魅惑の東日本─」を觀る。西日本に都がおかれてゐた古へには東國は未解明な土地──坂東であり、それだけにあらゆる漂泊人たちが一種の憧れとおそれをもって、最初の目標地である逢坂山の關所跡を越ゆる。その漂泊人たちが文字にしたためた東國風景はのちに和本に仕立てられ、時を重ねて書冩を重ね、和本の文字を追ふ(※讀めるのではない)のが好きな私を、しばしの東國旅行へ誘ひ出す。在原業平ゆかりの三河國八橋は、中世にはとっくに古跡となって“稲葉に置く露のほかなにもなし”、富士の高嶺はその昔、二人の美女の舞ふ姿が眺められ、これが中世の謠曲「羽衣」の参考になったのかしらんと思ふうちに富士山の双璧とされた筑波山を打ち過ぎて、はや陸奥へと至りける。ここで能因法師が“宮ことは 霞とともに立ちしかと 秋風そふく しら川の關”と、後世の人へ白河の關を強く印象づける名歌を詠んだとされ、竹田大夫行國と云ふ人物に至ってはこの歌に敬意を拂って衣服を整へて白河の關を越えるほど云々、しかし江戸時代になってから、實はこれは能因法師が京都で想像して詠んだ歌で、そのまましておくのが勿体なかったあまり、日に當てて黒くなった紙にしたためて陸奥に修行へ出た際に現地で詠んだのでは、との詐稱疑惑云々、(※展示室内フラッシュなしで撮影可)たしかに歌詠み人は“歌枕”だけでその場へ行った氣になれる特技を持つだけに、あながち……。京都の邸宅で堂々と陸奥風情を再現してみせたのは“河原左大臣(かはらのひだりのおほひまうちきみ)”源融で、この優雅ぶりは源融の死後に當時はまだ荒廢してゐなかったらしい邸宅跡に紀貫之が訪ねて往年を偲ぶ一首、“君まさで 煙たえにし塩釜の 浦さみしくも 見えわたる哉”と詠んでゐるので、私が創った現代手猿樂「河原左大臣」も良き箔がつきましたわい。さらに日本海側へ進めばかつては松島とならぶ景勝地だった象潟、江戸時代の文化元年(1804年)に地震による海底隆起で陸地となり、水田へ水を張った時に往年の景色がわずかに偲ばれるばかりなるが、私もかつて普通列車を乗り継いでこの地を訪れたことがあり、松尾芭蕉が訪れた時代にはまだ海に浮かぶ小島群だった當地を詠んだ“象潟や雨に西施が合歡(ねぶ)の花”より、かつてを偲びつつ、そろそろ休憩しませうかの。今日のもうひとつの目的は、廣島に米國軍が原子爆彈を投下して八十一年となる今日に合はせて特別公開された、「終戰の紹書」原本を目にすることにあり。昨夏の特別公開でいちど實見してゐるが、清書版ではあり得ないはずの文言の修正箇所が生々しく殘されてゐるところに、日本がいかに追ひ詰められた状況下にあったかが緊迫感をもって語られ、それを改めて、よく目に焼き付けておきたかったのである。それから今日に至る日本の八十一年は、この詔書から始まったことを、よく知れ、忘れるな。
2026.08.06

ラジオ放送の金剛流「女郎花」を聴く。前回の「鐵輪」は夫に棄てられた女の顛末、今回の曲は妻を棄てたも同然な男の、報ひの顛末。夫の不實を嘆いた女は生けるを放つ神事の川に命を棄て、そのあとで“事件”を知った不實男も同じ場所で妻を追ふ。死を穢れとして忌む神の庭での、もっとも忌む行為。かういふオトコは救はれてはいけない。視覺的にも贅を尽くした装束で演じられるわりに、陰惨な曲が多いのもこの藝能の特徴で、これが現代藝能のやうに冩實なキモノでやられたら世界が暗すぎて見られたものでもないだらう。そのぶん、謠ひと云ふ音樂が作品世界を構築していくわけだが、あの小ムズカしいコトバさへ克服したら、かういふ壮大な愛の悲劇は定番の型の組み合はせで構成される演者の舞を見るより、目を瞑って耳で接したはうが味はひがあるのかもしれない。……ただあの調子である、その前に眠くなるか。
2026.08.05

今日は夕方まで晴天、しかし湿度が低いため辛うじて昨日に近い陽氣、それでも暑すぎる日の再来は確實に迫ってゐることを感じる。テントの下で家庭用プールに興じる幼児の聲、どこかでなにかのイベントをやってゐるらしく、ひどく下らないことを叫んで笑ひを取らうとしてゐる誰かの聲、さうした浮世の夏休みと云ふ今だけの聲──私には關はりがないと思ってゐても、夏の空の下に出てゐれば、結局は飛んで風に吹かるる夏の虫。
2026.08.04

今日は朝から涼しく、なんでも氣温が30℃に届かぬ云々、しかし湿度があるため、いまが夏であることを忘れさせるまでには至らず。が、この場合には幸ひ曇天の一日だったおかげで、棲家においても昼間は冷房を使はずに過せて、開けた窓から通り抜けていく風が肌寒いくらゐの一瞬には、このまま秋になるのではとすら覺ゆ。もちろん浮世はそんな優しいものにあらず、週後半から再び氣温上昇の見込み云々、ここで氣候に騙されてあとでゲホゲホやるマヌケとならぬやう、夏の後半も心してかかりまひょ。
2026.08.03

さいたま新都心のけやきひろばで開催されたFM NACK5のイベントに出掛ける。ラジオで耳にする“聲”の人を生で見てみたいがため、そのひとつがすでに何度かライヴに足を運んでゐるさくまひできさん(ただし今回は『吹上“モンブラン”HIDEKI』名義)の生歌に逢ふこと、やはり年季の入った苦勞人なだけに大御所歌手の若いお弟子たちとは會場の盛り上げ方も含めて一枚どころではない上手(うはて)ぶり、もうひとつがナマエだけは耳にしたことのある“藝人”たちの、その本業を初めて眺めることにて、トウキョウ圏のヒトたちはアレで笑へるのか、と摩訶不思議なモノに遭った氣分も何事も經験經験、知らないより知ってゐたはうが、今後の抗体になってよろしかろ。
2026.08.02

東急田園都市線用賀驛直結のGMOインターネットTOWERのB1ホールで、The Biscatsがミニライヴをやるとのことで、これはと出掛ける。The Biscatsを觀るのは昨年九月の橫濱關内でのライヴ以来、今年はライヴに行けさうもないなぁ……、と思ってゐたので、思ひがけず生のロカビリーを聴けて氣力を充電した三十分間。當然ながら、ライヴはプロのアーティストに限る。見るべきもの、聞くべきもの、さうした得られるものが違ふ。(※今回のライヴは冩眞撮影とSNS投稿可)そしてThe Biscatsに興味を持つきっかけとなった「ノッてけ! Sunday」を今回も聴けて、いいアーティストに巡り逢へた幸せを改めて實感。後半は物販でニューアルバムを購入して特典の記念撮影にも参加、気温36℃のヒドイ天候で始まった八月、まずは幸發進といたしやせう。
2026.08.01
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