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JCIIフォトサロンで「示威と宣揚 戦中の国策写真 2」展を觀る。昨夏に開催された企画の第二彈、第二次大戰時下に回覧板へ挟み込まれ、庶民の戰意高揚を煽ったプロパガンダ誌「冩眞週報」などに掲載された冩眞原版の數々をリプリントしたもので、八十年以上が經た令和現在にそれらを見ると、物資力ですでに劣ってゐたぶん精神力で勝たうとするその有様は、戰意高揚どころかむしろ敗れる要素しか詰まってゐないのがありありとして、これら情報操作された冩眞のはずが却って實態を曝け出す資料となってゐるのは、何とも皮肉だ。しかし私はこれこそが、眞實を冩すこの文明の面目躍如と見る。東京府廰の鐵門扉を金属供出のため取り外す様子など、これを見て根本的な武器資材の不足を疑った國民は必ずゐたはずであり、食糧難による代用食で痩せ細っていった動物園の生き物たちが、獣醫や飼育員たちの“愛”ですっかり元氣になったなど、先日に橫須賀の無臺でさうして犠牲になった動物たちの物語を觀た者には、とんだお笑ひ草でしかない。診察を受ける動物たちのさうした冩眞を見ながら、橫須賀まであの芝居を觀に行って本當によかったと思った。一方で、「冩眞週報」誌の昭和十六年八月二十七日號には、野で捕まへたトンボを共同研究として觀察する少年たちの様子の記事のなかに、“大人から教えこまれたり、本を讀んだりしただけでは、子供たちはたヾそのことを苦しんで暗記するだけで生きた知識とはなりません”と、至極真っ當な一文がある。ところがそれは國民の戰意高揚を狙った作為のなかへ差し込まれたコトバであり、かうして虚實を巧みに織り込んで情報統制が行なはれる、その手法の一片をまたひとつ知ることが出来たことに、私はこの冩眞展に来た糧を得る。
2026.07.31

神奈川縣の綾瀬市オーエンス文化會館で、松竹大歌舞伎の巡業を觀る。“八代目”尾上菊五郎襲名披露、とのことだが、それよりもただ「藤娘」と「魚屋宗五郎」が觀たくて、海老名驛から時間もアテにならぬ路線バスで三十分をかけて綾瀬と云ふ景色の長閑な町まで出掛ける。「藤娘」は視覺的にも好きな踊り、しかし酷暑のせいなのかいま流行の原材料費高騰のせいなのか、萎びたような藤をチョロチョロと垂らしただけの間違ひなく小村雪岱の考案ではない舞臺で、藤の精が花のくせして華のない退屈な踊りをおどる。(「藤娘」七代目尾上梅幸の藤の精 昭和三十八年六月 歌舞伎座)たぶん、「娘道成寺」を踊ってもかうだらう。「魚屋宗五郎」は、近頃は前進座版ばかりを觀てゐたので、このあたりで“大歌舞伎版”を目にして感覺を取り戻しておかうと思ったものだが、魚屋宗五郎と云ふ人物が殿様へ愛妾に上げた妹を屋敷内で殺された怒りと悲しみを堪へてゐると云ふより、ただの陰キャな男としか見えず、(「魚屋宗五郎」二代目尾上松緑の魚屋宗五郎 昭和二十八年十月 歌舞伎座)それが酒が入ると陰キャなまま暴れ出し、冩實藝なのか本氣なのかわらない怒號を發し、これでは家族もたまったものではないとお察し申し上げそろ。尾上菊五郎は現在、“七代目”と“八代目”が父子並立してゐる奇妙な状況だが、“七代目”のカラリとした明るさは“八代目”には傳はってゐないやうで、その代はりに暗い路線を狙ってゐるのだとしたら、音羽屋のお家藝であったはずの「四谷怪談」など、この優ではよけいにジメジメするばかりでさぞ退屈なことだらう。
2026.07.30

大阪日本橋の國立文樂劇場で、チャップリンの名作映画「街の灯」を新作の人形浄瑠璃劇に脚色した「まちの灯」を觀る。チャップリン研究の權威が脚本をつくり、文樂太夫が字句に手直しを加え、洋樂の心得もある若手の三味線方が作曲、たしかに原版の名曲の旋律を一部取り込んだところに遊び心が窺へ、時代を幕末から明治にかけての大坂に設定して時間の流れを効果的に表はし、浄瑠璃劇の傳統的な役柄もしっかり活かすなど原版から適度に離れた筋立ては、1931年の映画「街の灯」を觀たことのない人でも充分樂しめる現代浄瑠璃「まちの灯」ではあった。ただ、原版はサイレント映画で、チャップリンの放浪者もヴァージニア・チェリル扮する盲目の花賣り娘も、劇中では當然ながら一言も“こゑ”を發してゐない。こちら文樂脚色版では、當然ながら太夫が“与次郎”と“お花”の聲を發してゐる。人物を觀てゐてそこはかとなく違和感を覺えたのは、「街の灯」がサイレント映画の傑作と云ふ印象があまりに強いからかもしれない。令和の現在進行形に生きる傳統藝能の挑戰を樂しみたい人にはオススメだが、あくまで映画の印象を大切にしたい人には、さうしておいたはうが無難かナ……。
2026.07.29

大阪天満宮裏の天満天神繁昌亭で、昼席を聴く。戰後長らく絶へてゐた上方落語の常打寄席が大阪天満宮裏に新築されたことは前から知ってはゐたが、これまで行ってみる氣になるほどの企画もなく、今回の大阪行きにあたって一應調べてみたところ、かつて誕生してアッといふ間に消えた「新宿角座」における独演會に行ったことのある桂小春團治が主任(トリ)云々、新作物を並べた番組でなかなか樂しかった覺えがあるので、ならばこの機會にと出掛けてみる。噺は独演會でもかかってゐた持ちネタの「職業病」、新規開店のファミレスといふ華やかな場に吹き込む不祝儀の空氣がやはりウケてゐたが、アルバイト店員のイマドキの若いコが安室奈美恵調であるところは、さすがに時代味が出てしまってゐた。そのほか色物も含めて、藝人の巧拙がそのまま退屈感に影響するのは東京の寄席と同じ、後半に出てきた六代目笑福亭松鶴門下にして東京人の笑福亭円笑御年八十七歳が、東京辯そのままに“珍しい噺”として歌舞伎(しばゐ)ネタの「きゃいのう」を出したが、お客の反應が薄かったのはそもそも歌舞伎を知らない人ばかりだったからだらう。今年五月をもって大阪道頓堀から歌舞伎が消滅するよりずっと以前に、關西人から歌舞伎は消滅してゐることは私が大阪に住んでゐた時代にすでに氣が付いてゐたことだが、その事實をここに再認識する。終演後にはとっくに出番の済んだ數名の噺家が見送りに出てゐたが、その面倒臭さうな表情に、これではなんばグランド花月に敵(かな)ふはずもない、と〆に苦笑ひ。
2026.07.29

大阪府池田市の逸翁美術館で、「KABUKI悪役づくし」展を觀る。女方を歌舞伎の華とするならば、もう一方の華はやはり、敵役(惡役)である。實際、かうした一本の企画展が立てられ、また通し狂言の幕切れで敵役、それも壮大なる“大敵”が舞臺の中央で大見得をしてキマル演劇など、世界廣しと云へど歌舞伎くらゐなものではないだらうか。見物から嫌はれるはずの惡役がかくも魅力的に創られるのは、ヒトならば誰でも心の奥底に潜ませてゐる“惡”の氣持ち、さうした公けには出来ない願望を舞臺で正直に体現したものゆゑ、それが衆庶の共感を得て華開いたものだらう。今は大昔、すでに故人となった女形の先輩が、「“床下”(伽羅先代萩)の仁木彈正だけはやってみたい……」と話してゐたことがあり、それは歌舞伎の敵役の魅力とは何かをもっともよく表はした言葉として、現在(いま)も深く印象に殘ってゐる。會場には江戸の歌川派により役者繪のほか、軸装された上方繪看板がいくつも展示され、そこには葉村屋の家紋が大きく描き込まれた女方もゐて、かつての威勢を偲ぶと同時に、今年五月をもって大阪から歌舞伎が消滅したいま、小林一三が丁寧に蒐集したのであらうそれらは、往年の上方藝能を窺ふ資料として、いよいよ深い意義をもってくるはずだ。美術館の前からもう少し山の手へ行ったところには、十五世紀の戰國時代にこの一帯を治めてゐた池田氏の居城址が整備されてゐるとのことでついでに訪ね、櫓に登って池田の町を望む。城下には旧能勢街道が通り、人や物が往き来する要所要所云々、その時代の面影は道筋や家並みにわずかに偲ばれ、旧跡好きにはたまらい。その旧能勢街道沿ひにはドサ回り劇場のほか、「池田落語みゅーじあむ」なるものがあり、ちょっと覗いてみたところ、素人噺家の養成のほか御當地ネタ「池田の猪買ひ」の解説、上方落語の文献と音源の資料の所藏、そして大半が六代桂文枝記念館のやうな趣きで、町おこしとしてどの程度効果があるのか、推し量りかねた。
2026.07.29

なんばグランド花月で、辻本茂雄さんの特別公演「辻本新喜劇」を樂しむ。成人した翌年から七年にわたり大阪に住んでゐた時代、なんばグランド花月のTV中繼で大いに親しんだ辻本茂雄さんの名キャラクター“茂造爺さん”を、初めて生で、舞臺から三列目の特等席で、大いに大いに樂しむ。かつておなじみの病室ネタとリゾートホテルネタを繋げた二幕構成で、おなじみのギャグからアドリブまで怒濤の勢ひで押し寄せる笑ひとさり氣ない優しさの波を存分にかぶって、聲を上げ、手を打って、樂しくクタクタになって、氣が付いたら21時59分の終演。もしかしたら、大阪に住んでゐたあの時代以来の爆笑だったかもしれない。出演者はあの時代からの今やベテランもゐれば、生まれたばかりくらゐの若手もゐて、私にとってあの時代は遠くないのだが、しかし現實世界は確實に時間(とき)を刻んで進んでゐることを、ふと思はされる。なァに、人は前へ進むために振り返るのだ。私はまたここへ、本場の笑ひに逢ひに来るゾ。
2026.07.28

今日の16時27分、熊本縣で震度7の強い地震が發生、縣内では建物の倒壊や火災が發生云々、八代驛では停車中の貨物列車が橫転云々、その映像を見るだけでもいかに大きな地震に襲われたかがわかる。十年前の地震で石垣が大きく崩れた熊本城が氣になる。そしてもうひとつ、そしてもっとも氣になるのが、近年日本のあちこちに多く流入してゐる“第三國人”が、たちまち火事場泥棒の本性を露わに橫行しないか、と云ふことである。
2026.07.28

大阪四天王寺の師匠と嵐家ご先祖へ、四月の聖靈會いらいの挨拶に伺ふ。そこまで鳴くんか、と呆れるほどに大合唱の蟬たちに迎へられ、新盆と旧盆の間の真っ白な太陽も歡迎ゆゑと考へて、盛夏の挨拶。かうして訪ねることが叶ふのも、御縁のあるゆゑ。つくづく思ふに、第二のふるさとである大阪とのつながりが現在の私にそのままつながっており、人生における出逢ひの視點をどこに定めるかでしあわせの度合ひも大きく變はってくるもの、私はただただ、感謝しかない。
2026.07.28

三越日本橋本店で、「よみがえるにっぽんの鉄道展」を觀る。御年九十歳にして現役の鐵道冩眞家・広田尚敬氏が日本全國を歩いて撮影した古き良き時代(ころ)の鐵道風景と、NHKが撮影した鐵道のもっとも魅力を放ってゐた時代の映像、そして101年前に創刊された時刻表の復刻版より、令和現在(いま)では全く叶はなくなった鐵道旅の風情を偲ぶ。(※會場内一部を除き撮影可)その僅かなよすがは驛辯にて、冷めても美味しさを損なはぬやうに經木を用ゐることで余計な水分を吸収させること、移動による振動で具材が偏らないやうキッキリ詰めて隙間をつくらないこと、車内で隣席の客が匂ひを氣にすることのないやう魚には白身魚を用ゐ、青魚の場合はよく煮て臭ひを消し、食材には充分に火を通すことや酢を混ぜるなど衞生に徹底してゐるなど──たしかに驛辯で食中毒など聞いたことがない──、鐵道旅行の安全を食からも支へてゐることを解説パネルから識るうちに、その驛辯が食べたくなり、あとで東京驛で崎陽軒のシウマイ辯當を買って行く。卵焼き、かまぼこ、焼き魚は驛辯の“三種の神器”云々、作る側のさうした心遣ひを思ふと、心から「いただきます」と「ごちそうさまでした」の言葉が出て、一品一品それぞれに込められた深い味付けに、一流シェフのフルコースとやらを窓際で食べるだけの“觀光列車”などやはり要らないと思へてくる。三越新館の一階Mステージでは、同時開催として學生愛好者たちによる鐵道模型のジオラマが展示され、そのなかで畔に佇む地藏の一体の頭が欠けてゐる様を再現した作品が、その藝の細かさで金賞ものと感心した。
2026.07.27

安く上げたい鐵道旅行の定番“だった”青春18きっぷの賣上げが、2025年度は前年度の42萬枚を半分近く下回る、24萬枚に大きく落ち込んだ云々。五回分の利用を五日間連續の利用への改定に象徴される、見事なまでの改惡尽くしが招いた當然の結果で、愛好者たちの署名を受け取り拒否するJRの意志の強さは苦笑モノだが、利用者側とて青春18きっぷの特性を活かした“狡猾(ズル)”が橫行して問題になってゐたことは、頭に留めておくべきだ。JRとしては賣上げの減少と云ふ“實績”をつくって廢止へ持って行きたい魂胆は見え見えで、さうなる前に、救済措置のつもりらしい新設の三日間用で自動改札を何度も通る旅行計画を立ててみたい、とは思ふ。五日間連續はさすがに無理かもしれない。時間がとれないと云ふより、そんなに長く旅行してゐたら、もう現實生活に帰るのがイヤになりさうだからだ。一泊二日の旅行でさへ、二日目の最後には驛でふと、このまま反對方向の列車に遠くまで乗って行ってしまわうかな、と衝動に駆られるくらゐなのだ。しかし、入って来る近年に置き換わった新造列車を見て、こんなツマラナイ車輌に長い時間は乗ってゐたくないナ……、とガッカリして、そして手帳をひらいて、明日からの生活予定を確かめるのが常である。
2026.07.26

昨日と同じ、夕方からそれまでの晴天夏雲とイヤミな黒雲がせめぎ合ふ空模様を電車の車窓から見上げて、これだから近年の夏は嫌ひだとため息をつきたくなる。それまでの熱晴天が夕方から黒くなるこの流れは、明日も明後日も予想されてゐるらしい。氣温の落ち着く夕方から外での用事を済ませやうと外出すると、見澄ましたやうなこの空模様、今日は幸ひ私のゐた町に豪雨はなかったが、夏はますます人間の生活を停滞させる災害でしかなくなってきたぞ……。
2026.07.25

ラジオ放送で寶生流「鐵輪」を聴く。自分を棄てて他の女と一緒になった元夫への憎しみは、貴船神社での託宣に力を得て、つひに女を呪殺行為へと走らせるが、しかし安倍晴明の周到な祈祷によって一度は退けられ、「また来るぞ」と云ひ殘して去って行く──元夫側の云ひ分は謠曲本文でなにも語られてゐないので、この女のなにが原因だったのかはわからず、そこを見物があれこれ想像する糊しろとすることで、この謠は脳の活性化材料ともなる。彼女の詞(コトバ)を聞いてゐると、出逢った時からこの男をかなり愛してゐたらしい。しかしその深さが相手には“重さ”となることはいつの世にもあることで、狂言「花子」はそれを戯画化した一例と見ることも出来る。なんと云っても頭に鐵の輪のせて火を灯し、顔に丹(に)を塗って怒り狂ふやうな女である、男もさういふ性質をもった女と察したからこそ別れたのかもしれないが、しかしすぐに後妻をもらってゐる様子を見ると、ただの飽き性なオンナ好きとも思へる。いやはや男女の縁だの仲だのは奇々怪々、そのものが魔モノなれば、なるほど解決は安倍晴明氏に頼むが得策か。
2026.07.24

國立映画アーカイブの展示室で、「再訪 日本の映画ポスター芸術」展を觀る。映画の宣傳ポスターを、紙媒体の宣傳物としてでなく、ひとつの“藝術作品”として見る。……くらゐに凝った圖案も多く生まれた映画のポスター、なかには圖案家の個性や主張が先走り過ぎて映画作品の宣傳と云ふ使命から大きく飛躍、端的に云ってしまへば逸脱したやうなやうな逸品もあり、かうなると独立した藝術作品として見るものとなってそちらばかりに氣を取られ、さてその映画がどんな作品なのか、肝心の情報が頭に入ってこなくなるきらひがある。(※會場内條件付きで撮影可)圖案ばかりが話題になって映画作品がそっちのけになっては本末転倒、紙であれネットであれ、宣傳は觀客を誘ふ窓口なれば、あくまで作品の香りを髣髴とさせるものを制作してこそ、圖案家の本當の腕前だと思ふ。
2026.07.23

川崎浮世繪ギャラリーで「神奈川の浮世絵 意外と知らないディープな魅力」展を觀る。川崎の名士で所有者の斎藤文夫氏が浮世繪を蒐集するきっかけとなったと云ふ地元神奈川を描いた浮世繪の數々のうち、作品そのものよりも“二代歌川豊國”の名に、ふと目に留まる。(※二代目歌川豊國「名所八景 玉川秋月 玉川鮎汲の圖」 記念絵葉書より)實家の菩提寺に、二代目歌川豊國の墓があったな……。門前に石碑が建ってゐるので大昔から知ってはゐたが、それまで興味もなかったので墓苑のどのあたりにあるのかまでは知らず、今回名が目に留まったのもなにかの縁と、改めて東京都江東區亀戸のわが菩提寺を訪ねる。當寺では“二世歌川豊國”となってゐるが、實は三代目豊國の墓であることを、このたび調べて初めて知る。初代豊國の弟子で、のちに養子となった歌川國重がすでに二代目を襲名してゐたにも拘ず、なぜかその弟弟子も二代目として豊國を名乗る事態となり、それが當寺に眠る豊國なのだが、そのために後發を當然ながら三代目とし、住んでゐる場所をとって“亀戸豊國”、本家二代目を“本郷豊國”と呼んで區別云々。(境内に奉納された“二代目”實は三代目豊國の石碑)歌舞伎界でもかつて、“中村福助”が東京と上方で二人存在したり、現在では尾上菊五郎が七代目と八代目と、父子で並立してゐる。尾上菊五郎はともかく、二人豊國は現代のやうに情報の傳達や交換が充分ではなかった時代の産物、と云ふことなのか、やはり歌川派の内部でさらに“派”があったからなのか……?(亀戸天神境内に明治に入ってから建てられた、二代三代豊國の顕彰碑)では本家二代目“本郷豊國”の墓所はどこなのかと調べたら、中野區落合の功運寺にあるとのことで訪ねて行く。(※三代目歌川豊國「東海道五拾三次之内 京 石川五右衞門 同)吉良上野介や水野重郎左衞門など、江戸の有名人が多く眠るこの寺は境内における無斷撮影とSNS投稿は禁止云々、初代二代三代の歌川豊國の墓へお参りしたあと、門前の案内板だけを冩眞に撮り、熱中症警戒アラートが發令されるほど蒸し蒸しした暑さのなか、こんな天候で我ながらよくやるナ、と自画自賛して涼しい場所へと急ぐ。
2026.07.22

映画「トロフィー」を觀る。朝鮮人學校に通ひ、部活で朝鮮舞踊に打ち込みながらもほとんど日本人の感覺で生活してゐる在日四世の少女が、祖國愛の強い父と日々ぶつかり合ふなかで父が大切にする“勲章”をネットで賣ってしまったことから、それを取り戻さうと仲良くなった日本人の友人とあれこれ考へ悩んだ末に──思春期と云ふ、子どもでも大人でもない微妙な狭間に生きる少女が、現状精一杯のところで問題を解決しやうとする姿を實際に朝鮮人の血を引くと云ふ新人が素直な等身大で演じ、氣負ひのないその演技はもはや大人からでは窺ひ知れぬこの年代のコたちの心理を覗くやうでもあり、“少女”がやがて“女性”へと成長していくひとつの過程を見る面白さがあった。タイトル「トロフィー」の意味が最後に明かされてああ……、と感心させる在日朝鮮人家族の物語ながら、出演者はほとんど日本人で、“朝鮮人ごっこ”を見てゐる氣がしなくもなかったが、そのあたりは世代を重ねて異國に住んでゐるとその國の風土に染まっていく例、として見ればいいのかもしれない。
2026.07.21

トウキョウ圏でも今年初の猛暑日を記録したと云ふ今日、關東甲信が「梅雨明けしたと見ゆる」。平年より一日遅く、去年より二十二日遅いとのことだが、先日からキツい暑さならぬ“熱さ”に見舞はれ、梅雨であることも殆ど忘れてゐたところへ、氣象廰の發表を聞いてさうだったか、と思ふと同時に、いよいよ熱暑災害の季節が来るゾ、と身構へる。青空に白く光る太陽、ひときわ冴へわたる稜線の緑──鐵道旅行の車窓から見たあの夏は、いまやはるか後ろの記憶、あれが私の最後の夏……。
2026.07.20

ナフサ不足を見込んで白黒パッケージにしたカルビーのポテトチップスを、やっとスーパーマーケットで見つける。と云っても中身は普段のポテトチップス、その普段のままであるために、パッケージを白黒にしてナフサ由来のインクの量を抑へた云々、ナフサの備蓄量に問題ナシを標榜する政府は苦い顔をしたやうだが、第二次大戰中の物資不足を髣髴とさせるやうで、たしかにあまり氣分の良いものでもない。「令和八年のあの時、こんな歴史があったな……」と、私は記録として自分の手許に件のパッケージを殘しておきたくて、ひとつ購入しておく。國の云ふことも、國民の云ふことも、私には信用できない。どちらも奇怪なことばかりを好んで騒ぎたがる、さうした愚昧ぶりだけが、唯一の信實。もとのカラーパッケージが、贅澤の記憶とならぬやう……。
2026.07.19

今年度の初日に新装公開された、橫濱開港資料館を覗きに行く。もともとは昭和四十七年まで英國総領事館だった建物にて、橫濱市の資料館となったのちに増築した新館の企画展は、ワンフロアーに内容を凝縮した見應へのあるものゆゑにかつてほぼ毎回足を運んだものだが、今回の整備工場で常設展示室に模様替へされ、これまでの企画展の総集編のやうな趣きとなってゐた。新築の渡り廊下でこの展示室とつながった旧領事館の二階にも寄ってみたが、リフォームされたやや手狭な部屋が續いてゐるだけでなにか歴史を訴へるものが感じられるわけでもなく、来るのはこれで初めの終はりかナ、と思った。
2026.07.18

川崎大師風鈴市の初日に出かける。硝子、陶器、鋳物、全國各地の風鈴が音色で涼を呼んでゐるうちに、上空では雷鳴が薄く呼應し、アンタはお呼びぢゃないヨ、思ってゐるとポツポツと雨が落ち始め、やがて瀧のやうな降りとなり、本堂で「南無大師遍照金剛」と唱へてから引き上げる。たしかに、まだ梅雨は明けてゐない。あとで聞けば、危険指数4の降雨云々、二時間後にはすっかり止んだが、湿度は下がらず、もういちど涼やかなあのこゑを…、と改めて氣持ちの渇を癒したくなる。
2026.07.17

JR線の驛で、防犯カメラにつくった巣で立派に成長した燕に出會ふ。今年は忘所で見かけた巣が數日後に壊れてゐて一家の姿も見えなくなり、ガッカリさせられてゐたので、やっと今年の幸せに逢へた氣持ちになる。なるほど、これが“しあわせ”の、一つのすがた。しかしそれは常に紙一重のところで成り立ってゐる、さういふ厳しさを教へてくれた燕たちではあった。
2026.07.16

品川區立品川歴史館の企画展「学芸員のイチオシ!」を觀る。當館の學藝員が“推し”の所藏資料を選んで紹介したもので、國技館の名付け親でもある小説家・江見水蔭(えみ すいいん)の、自邸に素人相撲部屋を開設するほどの相撲愛もさることながら、それに絡んだ一句、『小犬来い 相撲とろうぞ 雪の上』と添えた墨繪の動物愛に心を暖まる味を感じ、女性の選挙權を推進した昭和二十二年の選挙ポスターの圖案から、男女同權を宣ひながらなにかと「女性の比率は○%」とやけに女性を區別視したがる現今の報道屋の姿勢はこのあたりからかと推測する。人間がもっとも本音に正直だった戰國時代、上杉朝興の“偽造”公文書は、お題目で世を渡れるかと云はんばかりの人間臭がプンプンしてゐて、私もこれがイチオシ。
2026.07.15

大田區民ホール・アプリコ 大ホールで、國立劇場歌舞伎鑑賞教室を觀る。狂言はご當地ネタの「神靈矢口渡」“頓兵衞住家”、福内鬼外こと平賀源内の作、と云ふことだけで今日まで殘った浄瑠璃劇であり、さほど面白いシロモノでもない。(※路線バスの車窓から矢口の渡し故地を望む)それを面白くさせるのが役者の技量(うで)なわけだが、主役のお舟が歌舞伎座本興行ではなかなか活かせない持ち前の實力を大いに發揮しての大熱演、が、氣合ひが入り過ぎて聲を張ると音が荒れる瞬間があるのは要注意、義峰相手のクドキにおける糸に乗った動きはあくまで“振事”であって“踊り”ではないことも要注意、そもそもこの二つをちゃんと分けて芝居をしてゐる優を、私はあまり觀たことない氣がする。(※七代目尾上榮三郎の娘お舟 大正十二年三月 帝國劇場)この場にもうひとり登場する白塗女形の傾城うてな、娘形が二人ゐるやうに見えないやう心して芝居してゐる様子は觀てゐてわかったが、裾引き衣裳の扱ひにあまり神經が行き届いてゐないやうに見え、今のうちに直さなければクセになって染み着いてしまふので氣になるところ。彼の祖父は女方の裾引きで踊ってゐる時、一度も裾捌きしない綺麗なこなしで私は目を瞠ったことがある。それはもちろん裾扱ひが身に付いた上でのことであり、さういふ藝が“國寶”たるゆゑん、彼にはその血を受け繼いでほしいと思ってゐるだけに、もし本人が氣付いてゐないならば、身近の者が徹底して直して磨いてあげなければ、せっかく玉も輝かない。お舟はそのあたりしっかりやってゐるだけに、こんなところで差が開いてしまっては勿体ない。強欲親爺の渡し守頓兵衞はそれらしくやってはゐるが衣裳がオーバーサイズなのか、妙にダブついてゐるやうに見えて、それが却って田舎芝居かなにかに出て来さうな人物に映ったのは、皮肉なるお手柄。前幕の「歌舞伎のみかた」ではそもそも會場が歌舞伎向きに出来てゐないのだから、花道や回り舞台など独特の舞臺機構を説明するわけにもいかず、作者の平賀源内本人を登場させて自作のあらすじを講談調に説明させる趣向まではよかったが、張扇まで用意したわりに臺が釈臺ではなく會場備品の演臺なのがいかにも間に合はせじみて、なにより扮した平名題に役の工夫が足りなくて大コケ。かういふ役どころは人材(ひと)が得られたらいくらでも面白く膨らませられるもので、ここでドカンと沸かせて本編へつなげて行けばおいしい役となるところを、せっかくの好機をみすみすフイにしてゐるのが勿体ないやら歯痒いやら……。客席は一階を制服姿の學生團体が席巻し、開演前は賑やかこの上なしだったが、開演五分前の案内放送が流れると水が引いたやうに静寂となり、そのなかで狂言方の打つ柝が厳粛さすらもって響き、幕開きに大部屋連がつとめる“ホコリ鎮め”のやりとりさへもはっきり聞こえたのは、ふだん本興行でいつまでも喧しい客席に慣れてしまってゐる者には、ひどく新鮮に映った。
2026.07.14

ラジオ放送の觀世流「敦盛」を聴く。十六歳と云ふ若さで須磨浦に散った貴公子の悲劇、と云ふことで後世の藝能にも多大なネタを提供した公達、これが二十六歳であったら、おそらくは兄の經政のごとく他の討死公達と一括りにされ、せいぜい謠曲に取り上げられるくらゐの扱ひだったかもしれない。この一件で同じく名を後世まで賣ったのが、敦盛を“泣く泣く”討ち取った熊谷次郎直實であり、また平家物語中で彼の言葉にのみ登場する息子小次郎であり、この敦盛と同い年と云ふ息子は、それから約五百年後の浄瑠璃と云ふ音曲のなかで陰の主役となり、父親が出家して蓮生法師となるきっかけとなる。すべては、平敦盛が十六歳であったから。もし安德帝が幼児でも乳児でもなかったら、どんな平家物語が書かれてゐたらうか……?歴史に「もしも」は禁句と聞く。が、「もしも」がなかったら、歴史などニンゲンの犯罪録しかないだらう。もしも、平敦盛の享年が六歳であったなら──
2026.07.13

通りかかった公園で、白系外國人の小さな女の子が、友達と“だるまさんがころんだ”をやって遊んでゐた。ここにもガイジンか……、とウンザリのため息がもれさうになった時、オニ役のその幼女が木の幹に顔を向けながら流暢なニッポン語で、「だるまさんがころんじゃった……」私はつひため息を引っ込めて、耳を聳てた。“だるまさんがころんだ”は知ってゐるが、“ころんじゃった”は初耳。幼女は再び、「だるまさんがころんじゃった……」と、後ろの友達を振り返ってゐる。意味としては結果的に同じで、間違ひでもない。ニッポン人の幼児でも面白かったらうが、外國人の幼児が彼女にとっては異國語でそれを口にしたのが、妙に新しいものに聞こえたのか。これも、ニッポン語の多様性、とか云ふのだらうか。
2026.07.12

橫須賀市立青少年會館ホールで、橫須賀シニア劇團「よっしゃ!」公演『エレファント号出発進行!』を觀る。キナ臭い時世下の昭和十二年、名古屋で興行してゐた木下サーカスは東山動物園々長の北王英一の求めに應じて四頭の象を動物園に譲渡、すでに始まってゐた食糧難により痩せ初めてゐた象も動物園にゐれば食ふに困らないだらう、との木下團長の判斷だったが──しかし戰争は激化し、「もし動物園が爆撃されて動物たちが逃げ出したら人間を襲ふかもしれない」と云ふ軍部の推測だけで全國の動物園の動物たちが強權的に殺され、北王英一園長の命を張った拒絶も虚しく東山動物園の動物たちも同じ運命をたどるなか、エルガーとマカニーの二頭の象だけは、園長はじめ象使ひの少女や飼育員たちの“愛情”によってなんとか生き延び、戰後の昭和二十四年六月には北王園長の發案によって東京の子どもたちに本物の象を見せるべく、特別列車「エレファント號」が仕立てられる──四人のシニア役者が耳と鼻を象徴的にかたどった扮装で四頭の象を演じ、臺詞はなく大きく体を揺らしての表現も印象に殘ったが、もっとも強く印象付けられたのは東山動物園々長の北王英一と云ふ、憲兵の高圧な態度に一歩も退かぬ見事な硬骨漢ぶり、史實もその通りだったと云ふその人物像には、男として強く教へられるものがあった。この北王英一園長なくしては、終戰二年後に映画「象を喰った連中」でエルガーとマカニーが“シロウちゃん”役で初出演を果たすこともなく、その映画を七十九年後に觀た私といふ人物が、たまたま今回の芝居を知って觀に出掛けて感心することもなく、かくして北王英一園長の強い想ひは、令和現在を生きてゐる人に、しっかりと傳はってゐる。
2026.07.11

旧新橋停車場 鐵道歴史展示室の企画展「こころ、はずむ、出会い 観光列車の世界」を觀る。目的地への移動手段であった列車が、“乗ること”そのものを觀光とする現在までの移り變はりを、冩真パネルなどから追ふ。次々に流れる景色を車窓から眺めながら、向かってゐる目的地への想ひを膨らませることが列車旅行の樂しみであると信じてゐる私にとって、綺羅を装った車内で固定窓越しの景色を橫目に、その土地の郷土料理からは程遠い洋食を食べるだけで完結してゐる現今の觀光列車なるものには疑問こそ抱けど、憧れなどは全く抱いてゐない。(※案内チラシより)かつて旅先の上越地方の驛で、地酒を堪能する主旨の觀光列車が停車したのを見たことがあるが、乗客はその驛に降り立つわけでもなく、朱色の顔で窓越しにホームを眺めてゐるその様子は、どこの街なかにもゐるただの飲んだくれ達でしかなかった。その土地でなくては見聞できないもの、口にできないものに出逢ってこそ旅であり觀光であり、別にここでなくても食べられるやうなものをわざわざ地方路線まで出張って食べておしまいで、ナニが觀光なのかと思ふ。“乗りたい列車”とは、旅の目的地への膨らむ想ひを一緒に運んでくれる──旅情をそそるものを云ふ。昭和三十九年に開業した東海道新幹線はそれから六年後、大阪萬博の開催に合はせて車両を十二両から十六両編成に増やして抜群の輸送力を發揮し、新幹線0系そのものが「動くパビリオン」と呼ばれる榮譽に浴す。戰後日本が國の威信を賭けて開催した未来世界の博覧會へ、“夢の超特急”で向かふ──その旅はさぞ、胸膨らむものであったらう。大阪萬博を記念した「新幹線特急回數乗車券」の展示を見ながら、私は日本にまだまだ夢のあった時代へ想ひを馳せる旅路につく。
2026.07.10

朝、棲家の前を通る道に出、まさに焼くやうな強い日差しを背中に感じて、ああ夏が来よった、と今年も覺悟を決める。夏が来た、ではなく、来よった、到来を迎へるのではなく、覺悟を決める、夏とはいまや、さういふ災害の季節だ。私はそれを、朝の太陽が私の背中を焼く、その具合によって計る。今年はエルニーニョ現象なる影響で、さらなる暑さならぬ“熱さ”に見舞はれる予想云々、ああ夏とは災害。天候も、ヒトも。
2026.07.10

東海道かわさき宿交流館の企画展「佐藤惣之助と川崎・沖縄」を觀る。佐藤惣之助關連の企画展をここで觀るのは今回で二度目、旧川崎宿の旧本陣の家に生まれ、初めは商人の道へ入るも文藝に目覺めて俳人となり、さらに劇作家を經て詩人となり、大正十一年の五月末から七月にかけて沖縄を旅した經験をもとに「琉球諸嶋風物詩集」を著すなど、沖縄の文物にも深い關心を寄せる。昭和八年に妻を亡くすと萩原朔太郎の實妹を後妻にもらひ、ほどなく歌謡曲の作詞を手がけて成功する。作詞家として成功したぶん、それまでの詩人としての実績が履はれたことが不満だったやうだが、そんな四十歳過ぎの佐藤惣之助を地元旧川崎宿の人々はそれまで「本陣のドラ息子」と呼んでゐたと云ふところに、詩人云々よりも的確な評価をみる面白さがあった。
2026.07.09

安倍晋三元首相が背後からの卑怯な銃撃により亡くなって、今日で四年となる。もう四年が經つのか、とその時間の流れに驚く。暑い昼下がりの出先で第一報に接し、もう何も手に付かなくなったことは今でもはっきり憶えてゐるが、あれが四年も前とは……。東京ビッグサイトTFTホールで開催中の「安倍晋三回顧展」へ先日に出かけた時も感じたことだが、安倍晋三首相の時代が、確實に過ぎた日々になりつつある時間の厳しさを思ふことがある。が、あの事件により亡くなった日のことは、過ぎた歴史にしてはならない。だからヒトは、またいつかどこかで、同じことをやらかすのだ。さういふヒトたちを、私は再び目にしたくない。さういふヒトたちばかりが結局はいつまでも生きてゐる現實、さういふのはもう、ウンザリだ。
2026.07.08

久しぶりに東急大井町線を利用したら、大好きな9000系の正面帯が大井町線用のグラデーション仕様から、東橫線を走ってゐた往年の赤帯に戻っており、オッと驚くと同時に、引退間近の車輌は登場當時の塗装に戻す鐵道會社の近年の通例から、あァいよいよだな……、と寂しい氣持ちになる。最近の東急には全く興味が無くなったので知らなかったが、この赤帯復元は昨年四月からのことらしい。東急9000系は西武支線への転勤がすでに決まってゐて、一編成はすでに西武で改造工事を済ませて“7000系”として再登場待ち云々、かつてを見る影もない姿に、わざわざ乗りに行くこともないだらうと思ったものだ。いくら名殘りを惜しんだところで9000系がいつまでも東急にゐるわけでもなく、ならばいつの間にかゐなくなってくれたはうが、殘念さも紛れると云ふものだ。
2026.07.07

東京ビッグサイトTFTホールで開催中の、「安倍晋三回顧展」へ行く。(※會場内撮影可)昨年のクラウドファンディングに協力して以来、開催を樂しみにしてゐたもので、一國を牽引するための政治力、權力、均衡感覺、それらすべてについて深く考へるきっかけを作ってくれた首相であり、その敬意を胸に、遺品や資料の數々を拝見する。ちょっと思ひ返しただけでも、平成から令和と云ふミカドの生前贈與による交代劇、ホッとしたのも束の間で蔓延猖獗を極めた支那由来の細菌事件下における舵取り、何よりも消費税を10%へ上げた代はりに食品は8%に据ゑ置いた政治感覺は、「上手いなァ……」と心底感心したものだ。母方の祖父でやはり首相にも就いた岸信介は、とかく毀誉褒貶の激しかった政治家と聞くが、安倍晋三元首相もそのDNAを受け繼いだのか、國葬については大勢の日本國民が手前勝手なことを叫んでの大騒動、本當に無關心ならば話題にもしないはずが「ワタシは無關心」とわざわざSNSで公言する隠れ關心派も入り亂れての百花繚亂ぶりは、ウラでさうなるやうけしかけた者がゐる氣がしないでもないが、ヒトから叩かれるのも仕事の政治家としては、ある意味で面目躍如な総仕上げだったやうに思へる。あの七月八日からそろそろ四年、あの日がすでに遠くに感じられるほど、あれからの日本はいろいろな事が起き、しかしそれらはすべて、“未来(あす)への前進”となり得る要素では、全く無い……。
2026.07.06

夕方、國道沿ひで今年初めて蟬の聲を聞く。今日もまだ夏の暑さには遭はずに済んだが、季節は確實に夏へ向かってゐることを、肌より耳で先に知る。このままの調子で、梅雨にはさっさとゐなくなってほしいもの。なにも出来ないのです、あなたがそこにゐると。
2026.07.05

ラジオ放送で觀世流九皐会の「柏崎」を聴く。夫と息子の帰りを待つ越州柏崎の女は、夫が出先の鎌倉で死去し、息子は儚んで出家したと知らされて狂亂状態となり、彷徨ひ歩いた果てに信州善光寺で出家姿の息子と再會すると云ふ筋、當時はかうした一家が離散し艱難辛苦の後に再會してめでたしめでたし、な物語が音曲仕立てで流行したやうで、昔の日本人はよほど他人の不幸譚が好きだったらしい。衆庶には甘い食物がめったに手に入らなかったぶん、かうした噺を“蜜”代はりにして渇を癒やしてゐたのだらうか。狂亂女が彷徨った柏崎から善光寺までの道のりは、現在では信越本線を分斷した第三セクター線でつながってゐる。女が我が子と再會までに屁理屈をこねてひと悶着を起こす善光寺は、私も前回の御開帳とその翌年に訪ね、参道の長野驛寄りには類型譚たる苅萱道心の墓がある。第三セクター線で山中の急勾配をうねりながら越え、途中で乗り継いで辿り着く柏崎驛は、長いホームが汽車旅時代の面影を色濃く傳へる典型的な田舎の大驛、その周辺は普通に住宅が集まる静かな町といった印象で、その先の町にある田中角榮記念館を訪ねた際にここで一泊したが、これからはもう降り立つこともないだらう。地方都市が活性化しない限り、ニッポンに景氣回復はなし、はたぶん本當だ。トウキョウ都市部で、朝から不景氣な人相(ツラ)でスマホをいじってゐる通勤途中の月給取りたちを眺めてゐると、このヒトたちでは何も成し得ないだらうと思へてくる。出逢ひも再會もない彷徨を續ける人々を眺めてゐるのは、なるほど哀れで、まァ、おもしろい。
2026.07.04

棲家で、映画「象を喰った連中」を觀る。 (※高島屋史料館の案内チラシより)昭和八年に寶塚動物園で死亡した象を天王寺動物園で剖検した際、阪大醫學部神經科の連中がその象の肉を食べたと云ふ實話をもとに、復員間もない吉村公三郎監督が撮った昭和二十二年の喜劇作品であると、先日に日本橋高島屋の史料館で觀た「やっぱりゾウが好き」展で知り、興味を持ったもの。實話では脾脱疽菌に侵されて死んだ象の肉を食べたことで感染の恐れがある騒ぎとなり(結果的には無事だった)、映画では病死した象“シロウちゃん”を「エレテキ」にして食べた若い細菌研究者たちが、三十時間で命を落とす馬鼻疽(バビソ)菌に感染したことを知って「軽率だった……!」と後悔すれど先に立たず、それぞれの愁嘆場を經て地方からやっと血清を入手すれど今度は輸送中に一本が破損したため人數分に足らず、究極のクジ引きの果てに彼らの師である大博士から焼いた肉なら菌は死滅してゐるから大丈夫、と呆れながら傳へられ、めでたしめでたし──喜劇とあって登場人物はみなそれぞれに陽氣な調子で、それだけに若い研究者たちが余命三十時間と知ってオロオロする様はまさに“當人の悲劇は他人の喜劇”、その一人に出演してゐる後年の名惡役安部徹のクヨクヨした表情は、後年を先に知ってゐるだけに格別な可笑しさを醸し出す。結局は一緒になって「エレテキ」を食べてしまふ象使ひ役の笠智衆が、冒頭で「シロウちゃん」と朴訥な調子で名前を呼ぶ姿がなんとも面白い件の象は、戰中の動物殺処分を逃れて名古屋で生き殘ってゐた二頭の象を實際に使って撮影したもの、實世界でせっかく助かった象が作中で食べられる役で出演とは確かに皮肉、前述の通り當時は象がほとんど殺されてゐなかったため、生きてゐる象を探し出すのにはかなり苦勞したらしい。ちなみに基ネタとなった昭和八年の一件には、天王寺動物園に勤めてゐた作家筒井康隆の父親も關はってゐたやうで、竹皮包みにしたそれをいくつも持ち帰って来ると、隣近所へ正体を明かさずにお裾分けしたと云ふ。猪肉には興味があるが馬肉はちょっと抵抗がある私には象肉など論外、しかし德川吉宗時代の江戸中期に献上された象の評判を當てこんで、享保十四年(1729年)に著された『象志』には「象肉」と云ふ項があり、美味であり槽(カスヅケ)にして食す、炙(アブリモノ)にすると甘美、などの食レポ(?)が載ってゐて、この時代にもその方面に興味のある人がゐたのだらうか。第二次大戰中に殺処分された動物園の象の實話を描いた繪本「かわいそうなぞう」のモデルとなった象もその後に食べられており、當時の或る飼育員は、「……食糧難時代は食べられるものなら何でも食べた。犬まで食べたのである」と告白したあとで、ただし飼育員の場合はそれとは意味が違ひ、「本當に愛情のあるものはそれを食べて供養するという思い」で涙ながらに胃の腑におさめたと續けてゐるが、行為を正当化しやうとこじつけてゐるやうで、私は腑に落ちなかった。
2026.07.03

ここ數年の空梅雨とは打って變はって今年はポツポツびしょびしょとよく雨が續き、季節らしいと云へば季節らしいが、やはり日々の生活には邪魔な天候であることに變はりはない。……と溜息をつく一方で、晴天續きのためにすっかり干上がった宮ヶ瀬ダムを正月早々に見て、「ここまで酷いのか……」と唖然としただけに、この雨であの干上がったダムも少しは潤ふかしら、と期待したりもする。今年の梅雨はいつまで續くのか見當もつかないが、昨年にはすでに始まってゐた印象のある炎暑にまだ見舞はれてゐないのは幸ひにて、令和八年くらゐはこのまま冷夏であってほしいなど、どこまでも自分に都合のよいことばかりを考へながら、新たなる“アタマの体操”に挑む。
2026.07.02

JR線の櫻木町驛を降りて紅葉坂に向かって歩いてゐると、橫濱驛方向に巨大な青い十字架状の物が聳へてゐるのが見えて、ギョッとなる。耶蘇教かなにかの建物でも出来るのかと思ったが、橫濱驛西口のNTT電波塔をブルーシートで覆ったものにて、近日解体云々。 突然奇妙なモニュメントが出来ても何ら奇妙でないのが令和現在にて、いちいち驚いてゐるはうが野暮なのだらうが、一方でさうした浮世の速度がすっかり面倒に思へてゐるおのれにも、ギョッとなる。
2026.07.01
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