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師匠あまり軽軽しく「師匠、師匠」と言うのも、いつまでも成長できないようでどうかと思うが、何にしても、宇宙を旅する人工衛星が惑星の引力によって本来の目的地に向かう軌道に乗るように、私が師匠と呼ぶ方々に出会えたお陰さまで今日までの道程を歩むことができたし、暗黒宇宙のはるか何億光年の彼方にある目的の場所に向かうがごとくに、きっとその方向に飛びつづけていくことができているのだろう。私の師匠は、建築家安藤忠雄氏であり、アチーブメントの青木仁志先生であるが、今年一年の総括というべき今日お電話をいただいたある長老というべき経済人も私の第三の師匠であることに気づいた。私の携帯電話に入ってきた一本の電話。その声を聞いた時、なぜかオイオイ泣いてしまった。「久しぶりだったね~。どうしてる?一緒に昼飯を食おうかね。」導かれるままにお昼をご一緒した。私は涙をこらえるのに必死だった。話されるひとつひとつの言葉から、私の全てを感じ取っていらっしゃるようだった。「よく頑張ったね~。今までのように感謝の心を持って生きていけばよいのですよ。貴方に与えられた試練だな~。大丈夫です。全てが励ましですよ~。」と、ゆっくりと凛として語られる言葉に包まれて、なぜかとても幸せで安穏な気持ちになっていった。そして、私に人生成就の源となる二つの行いを教えてくださった。私は、ただ今この瞬間から実践することを決めた。「いつもあなたのことを見ていますからね。大丈夫だからね。」の言葉とともに帰っていかれた。私はその足でお墓参りに行く道すがら、涙がとめどもなくあふれてきた。感謝の心で一杯になった。3人の師匠に共通していること。それは、心が一点の曇りもない愛で満たされていることだろう。
2006/12/30
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大いなる共感先日、地元地方新聞に、建築家 青木 淳の紹介コラムが載っていた。以前には、安藤忠雄氏の紹介特集も載っていたが、おそらく共同通信などからの共同配信なのだろう。青木 淳は、東大建築学科を卒業し、磯崎 新アトリエで修行を積んだいわば毛並みのよい建築家だ。表参道のルイビトンビルをはじめ、最近では、青森県立美術館を発表した。この建物には不思議な魅力を感じていたのだが、この記事によって魅力の正体が分かった。と同時に、私自身の考え方とほとんどかわらないことが分かり大いなる共感を覚えた。美術館における展示空間の連続性を迷路性にそのコンセプトを求めていた。迷路性に共感したわけではないが、日ごろ私が建築家としてのスタンスとして常に発信し、実践している「まず概念の構築」という部分と共通することをあげていた。もちろん、一般的にも、大なり小なり、コンセプトをよりどころにして建築をつくりあげていることは間違いないだろう。しかし、青木もそうであるように、私は、「概念」こそが「建築」の本体であり、それが明確にされ関係者が共有化できたら、それぞれがそのコンセプトの枠の中で自由に発想していけばよいと考えている。わが事務所では、スタッフは、私の「概念」のなかで自由に発想し大いに力を発揮する。発揮することを求められる。これこそ、真に力のあるものしか残れない世界だ。青森県立美術館におけるそれは、建築家、展示プロデュ-サー、演出家、スタッフが自由な発想のもとに迷路を創り上げ、作り上げていった。周りからみると、偶然性にゆだねて行き当たりバッタリで事を進めているようにしか見えないのかもしれない。この美術館が発表された当初の建築専門誌のコメントは辛口であった。私は、コメントが頓珍漢だと感じたものだった。なぜなら、既成の概念に基づいてしか検証していないからだ。日本で、いや世界ではじめての概念を考え出し、それを共有して創り上げた行為に対して、如何にも無知さを露呈していた。この美術館が国内外で評価されはじめた今日、コメンテーター氏は赤面の至りだろう。文中で青木は、「有名といわれている建築を見に行ったことは一度もない」という。建築家の個性が作品に現れること自体が、「そんなことはありえない」ともいう。この意味は、私にはよく分かる。私は日ごろ、同業には一切接触しないようにしている。設計の連中に会うこともないし、建設に関係する御仁ともできるだけ関係性を持たないようにしている。なぜなら、同業と会えば、その動向が気になり、本来、クライアントや、その建築の唯一の概念の創造にエネルギーを傾注しなければならないエネルギーが分散してしまうからだ。スケートの荒川静香が金メダルを獲った時、すでに演技を終えたライバルたちの気配(音楽)も採点にもまったく気を向けず、知らん顔して、ひたすらヘッドホンから聞こえる音楽と、これから行なう自分のスケーティングイメージしか思い描かなかったという。だれがどういう点を獲っているかなどは、自分の競技が終わるまでは知らなかったという。だから、揚がることもなくまったくの平常心で演技できたという。集中力が大切というが、要は、同業のことなどへの感心を断ってしまえばよいだけのことだ。雑念が入らない。だから、私は同業とは一切関係を持たない。しかし、他分野の方々とは大いに出会い交流する。それは、自分の発想を豊かなものにしてくれるからだ。他分野の方々との出会いは、知らない街を旅するごとくに、胸躍るものがある。今回の青木の記事によって、私自身の立ち位置がよく分かった。自分自身の中で、正しい道を進んでいるという確信を持つことができた。
2006/12/24
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ポイント何事にもポイントというものがある。それは、知識を得て分かるものもあれば、体験で分かっていくものもあるだろう。例えば、スキーの場合、急斜面を初めて滑る方は、恐くて山のほうに身を傾けてしまうため、スキーのエッジがきかず滑り落ちてしまう。むしろ、谷側に身を乗り出すほうがエッジも利いて安定する。谷側に向けるといっても地球にまっすぐに立てばよいことだが、ところが誰でも恐くて身がすくみ山側に身が傾いてしまう。勇気をふるって谷側に乗り出す意識で立って初めて地上に垂直に立っている状況だ。滑って降りるときも、向きを変えるたびに絶えず谷に身を乗り出す意識で滑れば安定して降りてこられる。とにかく恐怖心との戦いがポイントだ。スケートの場合は、初心者は滑ろう滑ろうとするが上達のポイントは、とにかく転ぶことだ。スケートはまず転んで覚えるスポーツと言われる。。ひざ当てと肘当て、ヘルメットをかぶって、とにかく転ぶ。さしずめ野球のホームスティールのような感じで、横滑り、仰向けなどなど転びを体験する。すると、あら不思議、怖さが失せてしまう。要するに、どう転ぶか分からないから怖いのだ。こうなればこう転ぶというのが分かっていれば怖くはない。これが分かるとあっという間に滑れるようになる。あとはテクニックの熟練の具合だ。腰を使っての体重移動で俊敏に動けるようになる。バックスケーティングもスケートに乗れるようになればあっというまに上達だ。ポイントは、転ぶこと。転んで恐怖心をなくしていくこと。怖いうちは、転び方が足りないのだ。こうして、我が家の子供たちもあっという間に上達した。初めて滑ったという小学生を教えたが、朝から午前中一杯ひたすら転ばせつづけたが、夕方にはバックスケーティングを教わるほどになってしまった。スポーツに限らず、ビジネスにもポイントがあるだろう。芸術の世界にもポイントがあるはずだ。ポイントを掴むまでの世界は1級~2級という世界だろう。ポイントをつかんだ瞬間が初段で、それからの熟練こそが勝負。2段~5段~10段と奥義を深めていくことになる。まずは、ポイントをつかんで初段になることだ。そこからはじめて本番が始まるのだから。
2006/12/18
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深夜の行きつけこのところ、深夜に及ぶ打合せの日々だ。ふと気づくと午前2時、などというのは日常茶飯事。9月初旬からこのような状況で、まだしばらくは続くだろう。この時間になると腹が減っていることすら分からなくなる。24時間営業のスーパ-に立ち寄るのが日課となってしまった。行きつけがスーパーとは、建築家としてはなんとも言葉にならないが、ともあれ、我が家に帰る前に、ワンクッション置くことができるので、帰り着くころには仕事モードの頭はすっかり切り替わっている。寝るのは3時すぎかな・・・起きるのはいつも6時30分。こんな睡眠時間が4ヶ月近く続いている。身体には相当自信があるのだが、ま~、図らずも実証されたということだろうか。私を支えてくれているのは、やはり適度な運動だろう。身体にかなりの疲れが溜まった時など、普通なら睡眠をしっかりとるところだろうが、私はジョギングを選択する。30分走ったら気分爽快!何より、している仕事がやりがいがあるからこそのことだと思う。
2006/12/15
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産学官東京交流会新春に行なう交流会の参加の顔ぶれが明らかとなってきた。政府系の方々も多岐にわたり、中央銀行系、大学関係、産業界、学生など多彩な顔ぶれとなっている。まだまだ定員まで届いていないが、何より驚いたのは欠席残念メールの多さだ。すでに25名の方々から残念メールをいただいている。関心を持っていただいていることが何よりうれしいことだ。せっかく東京で行なうのだから、是非紹介したい会社がある、という電話をかけていただいた方もあった。何がなくとも、人とつながるというのはうれしいものだ。知らない町を訪ねたとき、かすみの向こうに山の尾根が見える。そんなとき、あの尾根の向こう側にどんな人たちが住んでいるのだろうと思うと胸躍る。風景や建築と出会うのももちろんうれしいものだ。しかし、それ以上に、そこにいるまだ見ぬ人たちとの出会いこそがうれしい予感を感じさせてくれる。普通ならお会いできない政府系や中央銀行系のキャリアの方や、高名な大学の大学院の教授の方々、産業界で著名な会社のキャリアの方々、芸術家、志をもった学生など、こんなシチュエーションなどありえない集いが、この産学官交流会だ。毎日、何らかの連絡が入ってきている。うれしい限りだ。
2006/12/13
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まずは概念から昨日、新聞社の取材を受けた。取材は、あたかもコーチングを受けているがごとく、話しているうちに色々なことが明確になってきた。もともと心の中にはあったことなのだが、整理がついたというのか、つながったというのか。目の前の記者さんを検証相手にしたようなものだが、えらく納得された様子だったので、私の概念のありかたは自他ともに認めるものとなったのだろう。これでいよいよ私の設計手法はパターン化された。設計のスペックがパターン化されたのではなく、手法がパターン化(確立)されたのだ。設計を依頼されたら、まずは概念の構築から入る。概念とは建物が乗っている大地だ。優秀な設計士は土台の領域までは考えるだろう。しかし、大地には意識を向けてはいない。「それは都市計画の領域だから」という意識があるかないのかは分からないが、とにかく大地はまったくといってよいほど意識はしていないだろう。私の場合は、まずは何をおいても概念(大地)を明確にしたい。何のために設計するのか・・・ということを明確にしたいからだ。そこではじめてスペックの方向性が見えてくる。私はまず、概念の構築とそれに基づくスケッチを描く。それに基づいてスタッフがスペックを描いていく。たたき台ができた段階でクライアントに初期提案する。施主がプロジェクトに参画した瞬間だ。私が明らかにした「概念」が本物ならば、検証作業(打合せ作業)を進める中で、クライアントは徐々に明確に意識するようになり、何時しか心に定着していく。その概念とは、「芸術としての建築観」という意識をいう。その後、クライアントは建築家状態となる。概念をもったクライアントをプロジェクトの中心に据えて設計作業を進めていけば、クライアントにとってのよき建築が必ず実現する。例えば、私が手がけた小樽市指定歴史的建造物第4号遠藤又兵衛邸のりニューアルは、単なる修繕なら私の出る幕はない。それが文化財ならなおさらに出番はなかっただろう。小樽市指定歴史的建造物とは・・・明治の庶民文化の上で「建築」であった遠藤又兵衛邸は、平成の庶民文化の上では果たして「建築」なのか・・・などと自然の意識のなかで検証をはじめた。これこそが、建築家としての概念の構築作業であった。もちろん、日ごろ頼まれる住宅の設計についても同様で、概念の構築を行なってからスペックの立案に入る。文化文明などという学術的なる大げさなものではない。素朴にこのご一家にとってふさわしい「住まい」とは・・・などと考えるうちに色々なものが見えてくる。決してライフスタイルなどという薄っぺらな領域のものではない。もっと奥底の概念としての生き様というのか、その住まい手のアイデンティティというのか・・・どうも文章ではあらわしようがない。私は、そういう検証作業をしていることをクライアントには伝えない。私の心の中の手法・・手立ての部分なので説明の必要性も感じない。私がどれほどの深さの思考で設計しようが、極端に言えばクライアントとは関係ないことだ。そのお住まいを「建築」という芸術までに高めることは私の心の中の勝手な部分であって、クライアントとは関係ないことだ。昨日の記者に、このような概念を持つようになった経緯と考え方を語った。よく理解してくれた。やはり間違いはないな。私はもうすっかり建築家という人生の真っ只中にいるようだ。これって、夢が実現した真っ只中にいることなのだな~。
2006/12/07
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確かな手ごたえ本日いよいよ厚生労働省へ事業企画書を郵送した。厚労省へ送るのに先立ち島根県の福祉部局へ内容を照会したが、ここでも反応はすこぶる良好であった。政府の望む先駆的な福祉事業を実現することは一朝一夕ではできない。政府系の福祉の勉強会で官僚の話を聞いたが、話はまことに理想的な内容ではあるが、それを実現しようとすれば、運営側としての社会福祉法人の負担は莫大なものとなるだろう。おそらく現行の法人の経営観では不可能だろう。必要なのは確かな経営観だ。システムを創造できる確かな経営力がもとめられている。建設費の4分の3の建設助成金を受け取って経営する時代はとうの昔に終わっているのだ。客商売として、真のサービス業としての社会的使命を背中に背負った経営観でもって、これからの福祉を創造していかなければならない。国が決めた施策に従うだけではなく、創造し提案していく気概が重要だ。今回はまさに政府への提案だ。これが受け入れられ実現すれば、福祉の先駆的モデルとして大いに評価されるだろう。・・・という予定だ。(小笑)・・・いや、間違いない!制度は常にこの瞬間の現代の社会状況とマッチングしていなければならない。小さな政府とは、反応の早い政府という意味だ。即座にマッチングさせていく創造性が産学官にもとめられているのだ。条例に嵌まるかどうかのチェック機能としてだけの官はこれからの日本にはいらない。国民が、社会が、真に望むものを法的制度で実現していく気概だ。法とはさばき押えるものではない。法律とは、真に求められているものを実現していくための「道」なのだ。道先案内人なのだ。私の知る霞ヶ関の官僚は有能だ。今まで官僚に、社会の現場のありのままを伝えなかった民が悪いのか・・・耳を貸さなかった官が悪いのか・・・などということはもはやどうでもよい。私は、この1年半に渡るプロジェクトの企画作業に関わったお陰で、国の制度のあり方を見つめることもできた。官にも創造豊かな連中がいることを知った。やつらは熱い!日本を背負う気概を持っている!
2006/12/06
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産学官東京交流会1月19日に産学官東京交流会を開催することに決定した。前回は本年8月に行なったが、私からすれば、日ごろお会いできないとんでもない方々が参加された。今回はどんな出会いがあるのだろう。○○○○東京連携会議との合同での開催となるため、有識者による国内外の貴重な話が聞けることだろう。今回は、アメリカの某大学で教鞭をとられていて、現在国内で教鞭をとっていらっしゃる方の講演(インドと中国のイノベーションシステムについて)を拝聴したのちに交流会となる。交流会は立食で、色々な交流が繰り広げられることだろう。恒例のスピーチタイム(任意)では、参加者は論客揃いなので面白い話をたくさん聞けることだろう。会場の都合で限定50名の参加キャパとなった。産官学とはいうものの前回のように、学識経験者、学生、政府系の要人、起業家、企業家、芸術家などなど、面白い顔ぶれになることだろう。今からとても楽しみだ。
2006/12/04
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弁証法的検証中学のころ、数学で、平方根と連立方程式の解析がとても面白かった。どちらも同じ答えを導きだせるところに数学が実にロマンとサスペンス(笑)に満ちたものであるように感じたものだった。ヘーゲルの弁証法にしてもそうであろうと思うが、様々な考察、中でも、思いっきり思い込んでぶつけてみるのもよいことだと思っている。人生は、平方根や連立方程式のように、この二つの方法のどちらをとっても答えが見出せるというようなシチュエーションは与えられていないし、方程式は人によってまったく違うものとなってしまう。私の建築家としての思考も、単純にものごとを捉えていてはできないものだ。ある向きには、話をややこしくしているだけやないか!と言われそうだが、やはり、最初に概念を明確にしなければ何もはじまらない。じっと考えて、思考の中で概念を考察するところから設計は始まる。まさしく弁証法的考察が繰り広げられている。
2006/12/03
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潜在から顕在へ現在進めているプロジェクトに関わっている者が共通してもっている気持ちは、思いというのはやはり実現するのだということだろう。今まさにそのような「現実」に遭遇している。それは、地方自治体や国までも動かし得るものであったことに、今さらながらに感慨深いものがある。私が参画したのが昨年(平成17年)の8月だった。施主と二人で打合せをはじめたのだが、まさかここまで大きな事業になるとは想像もしていなかった。いや、前例のない事業の構築になろうとは思いもよらなかったことだった。正しいものは正しい!と言える自信はあったのだが、他力本願の部分があれば、そう強気にも出られない。しかしこの事業に向けての行政の担当者のなみなみならぬ協力には脱帽だ。この事業が世にでるとき、必ず評価されることだろう。その時に、官僚の努力があったことも明らかにしていきたい。何より、真に地域社会のもとめるもの、それが潜在的なものであっても、いつかなからず顕在化してくる。今回の事業は、まさしくそのような事業となった。
2006/12/01
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