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コミュニケーション能力が問われる時代これからの時代は、個々のコミュニケーション能力が問われる時代だ。と書けば特別な能力を要求される時代になったのか!と錯覚するかもしれないが、今までの時代は人間のコミュニケーション能力は時代性や地域性が相まって、そもそも自然のうちに備わっていたものだった。もちろんその中でも下手な人もいたのだが。要は、現代人のコミュニケーション能力が薄らいできているために、あえてこのような言い方をしなければならなくなってしまったのではないのか。まったく違う話だが、私の事務所は島根県の先端企業施設というか、新産業創出のためのインキュベーション施設に入居が許されたのだが、設計事務所なかんずく建築家という立場でインキュベーションによく入れたものだと思う。私の事業は、社会の基本というか基盤を意識した事業であり、中心には人間社会におけるコミュニケーションあるいはコミュニティというものを据えている。真なる社会性を軸足にしている事業での理念というのはすごく先進的に思われがちだが、実はとてもオーソドックスなものだ。コミュニケーション能力が問われる時代!という言い方を見て、先進的なる何か・・・と思えたとしたら、今一度原点を見つめてみる必要があるだろう。展開して言えば、純文学もよいだろうし、司馬遼太郎を読破するのもよいだろう。司馬遼太郎の本を見ていると、「見てきたようなうそを言う」というようなことを感じることが多い。歴史上の人物同志が果たして本当に会ったのか?そのような会話を本当に交わしたのか?あんたはなぜそれを知りえたのか?などというようなやぼなことは置いといて、(笑)純粋にそれにひたればよい。司馬の歴史「小説」から感じ取れる人間の機微、社会の機微は計り知れない。その文章の中に込められた司馬のメッセージをも感じる(あくまで主観)ことができたら思考の広がりを得たのではないだろうか。話が飛びっぱなしだが、要は、表面的な軽い会話ではなく、心底の思いをお互いに感じあいながら交わす会話こそが真のコミュニケーションだろう。コミュニケーション能力には知識・知恵というものも必要だろうし、それを思考の空間として感じ取れることも大切だろう。それは、知識という面のごとき薄っぺらなものだけではなく、そこに空想活劇のごとき空間性を感じる思考の空間性が必要だということだ。そのような思考を持ちえたものが、次元の高いコミュニケーションを果たしていけるのではないだろうか。明るく大らかな性格!と言えば軽い人間に思われるかもしれないが、そのひとみの奥にたぐい稀な哲学的思考が内在されている・・・これこそが理想のコミュニティ力のある人間といえるだろう。人をひきつける力というのは、明るい性格と思考の中身が豊かであるということだ。これからの社会人は、それをしっかり意識して人格を形成していくことが大切だろう。なにより、可愛げのある人間になることだ。愛想がよいとは違う。心底のかわいらしさだ。愛される性格というのは実によいことだ。直向き(ひたむき)さのある人間、真面目な人間と言ったらいいかな。今話題の安藤忠雄も、直向きで真面目で可愛げのある人間だ。
2006/02/28
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二度と同じ物はつくらないつまり、妥協は絶対しないということだ。私のアトリエで作成する住宅一軒あたりの図面枚数は40~50枚になる。普通、工務店の図面はせいぜい5~6枚だろう。そしてできるだけ同じ図面を再利用するのが通例だ。建築家と工務店の比較はあまりにも唐突だが、しかし、レディーメード型社会となってしまっているこの日本においての住まいづくりは、ハウスメーカーや工務店の商品としての住まいを{購入}することだと思われているので対比させるのはいたしかたない。私はまったく逆を標榜している。同じ建物は二度と創りたくない。デザインはそのクライアント(施主)あるいはその場所固有のものであり、他に転用するなどということはありえないことだ。こういう回路は建築に対する文化度の高い欧米ではあたりまえのことなのだが、日本では大勢ではない。しかし、啓蒙していかなければならないし、現に、今までにもそのような回路を持った方が依頼していただいている。図面枚数の多さは秀でているだろう。無駄な図面は一枚もない。この図面を見たクライアント(施主)は、確かに必要であることを感じられたことだろう。それに模型と図面を駆使した計画作業も大切であるし、設計側の一方的なプレゼンではなく、クライアント(施主)の思考の中に建築家の回路を埋め込むことが大切だ。そしてくいつしか、クライアント(施主)と建築家は、地域の原風景、地域の財産を生み出すための共同作業者になるのだ。衣服にしても人とは同じではなくオリジナルを標榜している。同じように、全国に自分と同じ家に住んでいる人がたくさんいることが不自然だ。商品にあわせた住まい方などというのは私には考えられないし、商品としての住宅が、その町の原風景になっていくこともまったくもって納得できない。もっと深い、もっと広い視野をもって住まいづくりをしてほしい。そう願うばかりだ。
2006/02/28
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建築家の視点司馬遼太郎の本はかなり読破しているが、何回も読み返すたびに司馬はすごい人だなと思う。まさしく作「家」だと思う。単なるもの書きではない。・・家、という呼び名になるにはやはりこれだけの迫力(厚み、深さ)が必要なのだとつくづく思い知らされる。いつも、「その向こう側にあるもの」を意識することの大切さを肝に銘じている。何事にも平然としておられる、などという者はおそらく一人もいないであろう。要は、出来事を吸収して自分自身の新たな素材として全体に溶け込ませることで新たな何かが見えてくるものだろうと思う。演歌歌手が、数多くの失恋を経験すると歌に深みがでると言われているが、真意のほどはわからないが、その人自体の人間性に影響するものであればそのようなこともあるのだろう。楽天日記を見ていると、結構メッセージモノが多い。もちろん私の日記もメッセージだが、自分自身へのメーッセージであり、自分史として書いている。すでに3年くらい書いていると思うが、過去の日記を読み返してみると、変化を嗅ぎ取ることができる。他へのメッセージのような書き方をしておられる日記読んでいると、平然とした書き方の向こうに、自分がどうしてよいのか分からない、いわば断末魔の叫びが伝わってくる。よく分かる。かつて自分がそうだったから。かといって気軽にメンターなどできない。自分で悟り、決めて、自分で進みだすほかはない。自分で進んでいくという覚悟が決まらない人が日記で叫んでいる。「誰か背中を押してくれ~!」よ~く分かる。しかし、だれも背中を押せない。みんな、歩むだすしか道がないのは自分自身がよく分かっている。変なアドバイザーが、「それは甘えだよ!」などと分かりもしないくせにアドバイスする。これは決して甘えなどではない。自分の担っている使命に気づいてきたときに誰でもガ味わうものだ。いわば本物にであったのだ。いつ出発するかは自分の勝手だ。惑うのもいいし、さっさと決断するもよし。まずは、思い惑う気持ちになれたことを喜ばなければならない。自分の気持ちを封印できないということはとてもよいことだ。これは、日々全国で出会う事業者の方も一緒だ。もうここまで成功しておられるのにと思うのだが、思い惑っておられるのを感じる。しかし、軽い気持ちで他人が手をだせるものではない。それ相応にこちらにも覚悟がいる。「・・・家」とは覚悟を決めた者の称号だ。様々な出会いの中で、必ずしも建物の設計ではないものも関わることが多くなってきた。設計者だ!ということになれば、まったくもって無駄なことだ。お人よしもいいとこだろう。しかし、建築家だ!ということになればまったく話は違ってくる。生意気な言い方をすれば、相手と同じ目線で仕事をするのが設計者であり、少し目線を高くして仕事をするのが建築家だと言えるだろう。どこまで目線を高くできるかが問われている。目線の高さで付き合っていただける方々の層が変化してくる。安藤忠雄は限りなく目線を高くしていった結果世界中の文化人から求められる存在になった。これからも、もっともっと目線を高くしていこう。しかし、このことは現実とかけ離れる意味ではない。目の前のことを見るとき、その物事の向こう側を洞察する視線の深みを意味している。社会の世界の出来事の本質は、今している仕事の、今会っているいる人の思考の、そのすぐ向こう側に常に存在している。それを嗅ぎ取る視線は、精神の高揚が必要だ。と、いつもながら、自分自身へのメッセージと励ましを贈る。
2006/02/27
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真実を見つめる思考 Part2このところの出会いによって、建築家たる人間コムースとしての一本の筋がつながっていくのが分かる。そして、やがて私を媒介にしてその人たちが新たなつながりを結んでいくだろう。面白人間が次々とつながっていく。いや、つなげていく。(笑)小樽の人と東京の人。大阪の人と松江の人。そしてすべてが絡み合う。実に面白い構図が描けている。2月から会報を発行することにした。毎月1回の発行だ。「何のために発行するの?」よく聞かれる。答えはうやむにゃだ。「ま~いいではないですか。今に分かりますよ。」と意味もなく意味深に答える。ようするに出したいから発行しているわけだが、その深層心理について聞かれても、私が知りたいくらいだ!とにかく発行したいのだ!受け取ってくれ!(笑)と笑いながらチン問答して受け取っていただいた。全国で活躍していらっしゃる方をこの会報というクローズされた空間にオープンに紹介していく。つまり、この会報の登録会員は、会報に紹介された方と、あるいは紹介された事業やお店といつのまにか親しい間柄となるのだ。例えば私と仲の良い一橋の教授と東工大の教授、はたまた慶応大の助教授に登場していただきたいと思っているが、会報を通じてお互いが知り合いとなる。「先日はコムースさんの会報に載っていらした先生ですね。」「あなたも以前紹介されていましたね。」などという会話により新たな人間関係が生まれることだろう。つまり、建築家コムースのめざす「新たなコミュニティーの創出」の実践のひとつだ。この会報も日経アーキテクチュアに送っているので、もしかしたら建築家の活動として紹介されるかも知れない。建築家として造形を考え出す作業は言葉にするまでもなく当たり前のことだ。以前からくどいほど言っているが、たんなる造形だけを追い求めるのなら設計士に頼めばよい。私は「建築家」だ!と言っている。設計士と建築家はまったく違う生き物だ。諸外国では建築家の職制をよく理解されている。しかし日本では、レディメイド型社会が大手を振っているためか、建築家を認識する回路がない。思考の広がりを持ち社会貢献の責務を担っているのが建築家だ。大げさなようだが、その意味は「・・・家」というように家の称されることを理解していらっしゃる方には当たり前のこととしてご理解いただけることだろう。肝心なのは、思考の広がりであり深まりだ。その思考・思想を基盤とした土台の上に載ることが大切で、思考のない空中を浮遊する芸術家などにはなりたくもない。私の建築家活動を、突拍子もない思考、突拍子もない行動のように思われているかもしれないが、実は、目の前の社会に対峙して、目の前の社会がいかに良くなるか、ごく身近な出来事と日々格闘していることを、いつか理解していただけるときがくるだろう。日経アーキテクチュアは、分かってくれた。ISOではないが、思考の世界基準で評価される状況だと思っている。20年前には昭和型の建設社会が地方に蔓延っていて、それを無視して生きることはできなかった。自分の思考を封印せざるを得なかった。しかし時代は、私の思考と一致してきた。松江を離れ、東京や小樽でお話するととても大きなリアクションが返ってくる。私が関わることを要求してくださる。即実践だ。しかし地元では今一反応が鈍い。平和な地域なのか、はたまた疎いのか。だから、少なくとも、会報で関係できる方々には、今社会で何が大切かの思いを込めて会報を発行することとした。
2006/02/26
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真実を見つめる思考決して表面的な理論理窟の話ではなく、出来事の中でその決断は常に迫られている。人生は2進法で進んでいくものなのだろう。つまり右か左かの選択だ。「ま~ま~」とか、「中道を行く」とかは曖昧ではっきり言って生きている価値なしだ。中庸的思考というのであれば分からなくもない。それは思考の深まりのなかでの意識の広がりを意味することだからだ。昨年完成した社会福祉法人の授産施設の理事長の決断と実行力には目を見張るものがあった。施設もつつがなく動いているので、そろそろ日記に記録(記憶)として留めてもよい時期だろうと思いしたためた。最初の設計者は私ではなかった。建設委員会も1年あまりも開催されてきて、私は遠くの聴衆に過ぎない存在だったのだが、いきなり設計者交代!コムースに任せる!ちょっとまってください!と拒否したのは言うまでもない。それはある日曜日の午後4時ごろであった。今から会いたいということで指定された場所に出向いた。そこでいきなり言われたのがこれだった。それから月曜日の朝方まで延々数時間語り明かした。思いのすべてが理解でき、私はすべてを心の中に封印し、私に浴びせられるであろう誹謗中傷に対する覚悟を決めた。案の定、建設委員会からの反発は相当なものだった。今だから言えるが、ある建設委員から陰口ではなく直接にとんでもないことを言われたものだった。奇麗事を言うようだが、覚悟を決めた私にとっては冷静に見据えることができた。前の設計者との信頼関係を損ねてはいけないという真摯な感情であったり、新たな設計者たる私がどんな奴なのか不安だ!という感情は最もなことだと思った。今になって、おそらく、コムースでほんとうによかったな、と思ってもらえていると思う。これからの社会福祉を見据えたときに、既存のデーターでは推し量れないものがあり、政府がこういう指針をだしてきており、その延長にあるのはこういうことだ!というような検証は誰でもできることだ。その深まりの中にいかに入り込もうと、2進法で言うところの入口をそもそも間違えているのだ。理事長の決断はそこにあった。振り出しにもどり、本来あるべき入口に入りなおしたのだ。私を見方につけたのではない。真実を共有できる人間として選ばれたのだろうと感じた。数時間の理事長からの話の中に真実を感じ取ることができた。表面的な誹謗中傷などとるに足りないことで、問題は、この真実をいかにみんなで共有できるかにかかっていた。つまり理事長と私と二人で強行突破するためのスクラムを組んだのではない。真実を感じ取ってもらうための働きかけをいかにできるかということであった。その後、数ヶ月の作業の中で、いつしか紐はほぐれ、ついには天神にその姿を現すこととなった。今、それと同じようなことが起きようとしている。もちろん設計者交代などという特別な状態はないが、これからの社会福祉を見据えたなかでの複合福祉施設の創出作業の真っ最中だ。理事長(経営者)とその他の方々の意見が必ずしも一致しているわけではない。私の役割は、今ここでの真実は何かを深くかみ締め、それを関係者一同が共有できる状態にすることだ。単なる設計士ならそこまではやらないだろう。理事長の言われるがままに図面を書けばよい。しかし私は建築家だ。ことによれば理事長にも物申す。それが誠心誠意というものだし、職制をまっとうすることだ。社会福祉法が大きく様変わりしている。地方自治体の担当者も掴みきっていない。まさしく過渡期だ。しかし大切なのは、国の法律的な指針がどうあろうと、本来、老人福祉はどうあるべきか!という経営観で考察していくことがもっとも大切なことだ。おそらく、経営観のない状態でつくられてきた従来の社会福祉施設は、いわゆる民間企業で言うところの「倒産」が出てくるだろう。それだけ法律は様変わりしようとしている。以前の福祉施設は、建設費はほとんど補助金でまかなわれていた。しかし、実際の運営は、必ずしも顧客(施設利用の老人)のためのものであったろうか。しかも運営が汲々としているのではないのか。などと、以前の設計事務所時代から結構老人福祉施設を手がけてきている中で、常に感じてきたことだ。経営観のないお飾りの理事長が多いのも不幸なことだ。昨年完成した授産施設、現在計画中の複合福祉施設の理事長には同じ臭い(思い)を感じる。お二人とも真の経営者であり、「主人公は利用者だ」という精神だ。至極当たり前のことなのだが、多くの社会福祉法人は果たしてそうだろうかと思えてならない。どの職業でも同じだが、これから将来にわたっての真実を見据えることが大切だ。常に根本義を立ち位置にして生きていかなければならない。
2006/02/25
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すごい出会い小樽~東京への出張から帰り事務所で作業に追われているが、改めて、すごい出会いの連続であったことを感じている。異業種が揃うとこうもクリエイティブになれるのかとつくづく関心するほどだ。それに、基本の部分で共通することばかりだ。一個の細胞を見たときに、それが人間なのか他の動物なのかは区別がつかない。共通しているのは、この地球という星で同じ環境のもとに生きるということだ。まして同じ人間で生まれてきて、職業が違えど基本的な立ち位置は違わないはずだ。いわゆる高級官僚といってもよい方が私の話を聞きにきていただいたのだが、まったくもって納得の表情であった。おまけに、今住んでおられる町のコミュニティ性の脆弱化に悩んでいらっしゃるらしく、町に来て住民との会話をしてくれないか、とも言われたほどであった。やはり表面的な資料では伝わらない。約1時間あまりの話を聞いていただいて初めて私の真意が伝わった。私は表面的な事業の話をしているのではない。人間が、社会が本来こうであるべきという状態を建築家活動の中で感じ取り新たな創出に向けての実践をしていることをお話をしている。それは創出のための創出ではなく、だれでも自分の職業の中での当たり前の出来事の一瞬の中での出来事を意味あるものとして意識し、かつ、啓蒙しながら進めている、ということだ。政府の高官は、ご自身の立場におけるなりわいを例にあげられ「コムースさんはこのようなお考えをしておられるのではないかと拝察する。」とおっしゃっていただいたが、まさしく理念とするところが一致していた。分かる方には分かるということが分かった。大いなる自信につながった。
2006/02/24
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表参道ヒルズ近づけず飛行機の時間を気にしながら原宿駅に降りた。原宿ラフォ-レ前の交差点に立ち表参道ヒルズ方向を見ると、万博のテ-マ館に並ぶ人の連なりのごとき様でこのままでは近付くこともままならず、飛行機に乗り遅れるやもしれずあえなく断念。まあいいか。時期に東京にくるのでそのときにするか。それにしてもウイ-クデ-ナなのにこの人の数はどうしたことだろう。
2006/02/23
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東京での出会い昨夜は赤坂での催しで話をさせていただいた。驚いたのは、私の話を聞くために要職にある方々が参加されたことだった。18~21時まで充実した一時を過ごすことができた。宇宙科学技術と建築のコラボレーションにつながる話しも出てくるなど、この場の出会いはただ事ではないと感じた。赤坂が終わり神田明神横の定宿(じょうやど)にたどりつくまでにある御茶ノ水の聖橋のたもとのおでんの屋台に立ち寄ったところ、思わぬ出会いとなった。屋台を囲んで、せいぜい10人までのそこは、いつもの常連さん達が話に花を咲かせていた。初めて入ったのだが、5分も経たない間に私もすっかり常連さんの仲間入りを果たした。ここでもよい出会いがあった。
2006/02/22
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小樽 メルヘン交差点●昨日は計画案の打ち合わせも無事終わった。●夜は、青山別邸(にしん御殿)近くの民宿&料理店に行き海の幸をいただいた。今日の北海道新聞にも載っていたが、30センチのにしんが大漁でそれをいただいた。ほかにごっこ汁、たら、けがに、しゃこ、いくら飯、ほたて・・・などなど。しかも驚くほどリ-ズナブルだった。やはり小樽はタダモノではない。●今日は、小樽市役所、小樽職人の会事務局を訪ねたあと、小樽運河に連なる観光スポットを訪ねた。メルヘン交差点にある洋菓子舗ルタオは噂どおり大変な人手であった。山陰の業者が小樽に来てここまでのことになってくるには相当のことであったろうと改めて思えた。●水曜日にもかかわらず人手が多い。さすがだと思うが、しかし滞在ではなく通過にすぎないことを考えれば街全体ではさほどの潤いにはなっていないのかもしれない。●今日はこれから東京の赤坂へ直行だ。ミニ講演会でお話しさせていただく。私の建築家活動の話しを聞いていただけることがありがたい。
2006/02/22
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明日から小樽へ 明日から再び小樽入りとなる。基本計画案の打合せを行う。雪の状況はどうなんだろう。きっと少しは少なくなっていることだろう。小樽洋菓子舗ルタオは山陰の業者が起業したもので、先日、松江で開発本部長にお会いし小樽出店から今日にいたるまでの苦労話をお聞きしたが、今だから話せる、ということだという。大成功している陰には血のにじむような試練の連続であったという。栄光を手に入れることは並大抵のことではなかったことだろう。私も建築家として活動するなかでは苦労の連続だ。しかしそういう中で培い築き上げてきたものは多い。苦労の中でしか感じ取れなかったであろうものを今ははっきり認識できる。小樽には色々な思いが積み重なっていく。そして、物件の進行とともにますます身近な町となっていくのを感じる。
2006/02/20
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講演依頼殺到?昨夜も講演の依頼をいただいた。今度はいよいよ同業を前にしての講演を依頼された。とうとう来たかという感じだ。元来、私は設計士はきらいだ。(笑)というか、どの業界もそうだが、○○共同組合と称するところに入ったり付き合わされたりするのが通例になっているが、そもそもそこで将来の戦略的な相談などできるわけがない。むしろ異業種というか自分とまったく違う世界の人たちとの出会いを求めていかなければならないと思うのに、なぜか同業種が寄り集まって愚痴を言い合っている様ばかりだ。「不況だよな~・・・」とか言ってうなだれる同業を見て、自分だけではないんだと安心感を持ったり悦にいったりするのだろう。これは、鬱に陥りがちな状況から一時的に改善させる効果はあっても絶対的な解決策ではない。今の時代は共同組合なんぞにうつつを抜かしている場合ではない。特に、あととりというか2世3世の若い経営者が共同組合に出向いたりするとわけのわからん年寄りに牛耳られてへんな時間を付き合わなければならなくなる。 今はそんな場合ではない。・・・おっと、話が逸(そ)れた。(いつもながら)私の話はどのような業種の方が聞いてもよい話だろうと思う。建築家だから特に建築をしている方に聞いていただくという意識はまったくないのだが、主催者の方はなぜか建築関係者を集めるおつもりのようだ。最初に書いたが一番会いたくない人種が同業だ。とにかく世間知らずが多すぎる。世間で通用しない建築論をぶつけ合って激論しあってよろこんでいる。マスターベーションの世界もいいとこだ。よ~く話を聞いていると、仕事がこないのは世間のせいだ!と声高に言っているのがわかる。まったくもっておもでたい。という話をしてあげようかな~。せっかくの機会だから。思い起こせば、平成13年。本格的に建築家活動を開始したときには親しい知り合いはほんとに少なかった。一人自宅の仕事部屋に寝そべって天井を見つめ、これからどうなっていくんだろうと不安に苛まれながらも、空想活劇の世界に入り込み、建築家として大いに活動している自分を思い描いたものだった。その時に、建築士会に入らないといけないとか、建築士事務所協会に入らないといけないとかなどとは決して思わなかった。とにかく人が恋しかった。今でもそうだ。それは同業などと言う狭い料簡の意味ではなく、世間一般の方々のことを意識していた。一念三千里を走るとはこのことか。今では地元はもとより全国に数百人の親しくしていただいている方々を得ることができた。中には有名な大学教授やらテレビにしょっちゅう出ている方、文芸春秋にいつもご登場の文学者の方もいる。なんなんだと思う。この方々とお会いするときにはいつも私の財布の中はほとんどカラの状態が多かった。所謂お金持ちに貧乏人が堂々と会って話をし友達になっていただいたという構図だ。財布の中はカラでも、心は豊かさで満ち溢れている私(笑)なので、生意気な言い方ながら、むしろ私に求められることのほうが多い。遠くで講演を頼まれたときに、旅費がなくて往生したこともあったな・・・。こうして、家族以外にあまり知り合いのいなかった私が、今は大勢の仲間を得て、しかも講演を頼まれるようになるなんて夢のようだ。しかも講演会ではいっぺんに大勢の方々と出会える。さ~、来週は小樽と東京だ。いよいよ今年度の全国ツアーの始まりだ。再び新たな出会いを求めていざ出発!
2006/02/19
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「ものの哀れ」を感じ取る感性私が幼い頃は感性豊かでとても傷つきやすい性格であったと思う。正直大人になるのが恐かった。このまま時間が止ってくれればいいと思ったものだった。幼いながらもこんなに気が小さくていいのだろうかという不安もあった。しかし人間と言うのは、なんというかすごいな~と自分自身を見つめてみてそう思う。私は人間として弱いのではなかった。感受性が強かったということであったようだ。佐藤春夫や島崎藤村の詩集や石川啄木の世界にも浸ったものだった。幼い頃は虫であそんだものだったが、ものの哀れを感じたものだった。そんなこんなが、ぜ~んぶ今の私を形成している。安藤忠雄氏が言われる「その向こう側にあるものを見つめていく」という感性を感じ取ることができたのはこの私の資質によるところであることを知ったとき、なんと幸せな星のもとに生まれてきたことか!と歓喜したものだった。今まで弱点と思っていたことが、実は、たぐい稀な優れたことであったのだ。自分で自分のことを言うのはおかしいが、遠慮する歳でもあるまい。人間にとって大切なことは「ものの哀れ」を知ることだ。叙情的な世界に浸れる自分であるかどうかが、これからの世紀で自分の人生をまっとうしていくことのできる唯一の条件だ。技術論(テクニック)はあとでよい。感性は生まれつきの部分が大半だが、ある程度は養えるだろう。(多分)テクニック至上主義の世の中になっているのは、感性のない者が自他ともにテクニックこそが世の中の中心だと思い込んでいるところにある。大切なのは感性だ。いつくしむ感性だ。心から人を愛することができる感性こそがまさしくそれだ。テクノロジーも、その人間の感性(文化と言ってもよいかもしれない)の上に載っているものだ。決して逆ではない。感性のないテクノロジーは無に等しい。
2006/02/18
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人生は「おためし」の連続あなたの人生の使命が大きければ大きいほど「おためし」も大きいですね。とは実業家のご婦人のお言葉だ。そうかもしれないなと思う。悲喜こもごもだが、聞いてみればみんな何かを抱えている。みんな使命を帯びて生まれてきたんだな。大小色々なことが起きるなかで、その後に次のステージが用意されていて、いつしかそこで活動している自分がいる。今は建築家としての理念を貫いている私だが、以前はそうではなかった。いかに安藤忠雄氏のそばにいても建築家にはなれなかった。挫折と思ったことを繰り返しながら、いつしか建築家活動の真っ最中にいる私。いったいなんなんだと思う。人生って不思議だ。昨夜NHKBSでチャールトン・ヘストンとユル・ブリンナー主演の「モーゼの十戒」を見た。映画を見ながら素直な気持ちで今までの人生を振り返っていた。「神の御心」ってほんとにあるんだな~と心底思えた。もし私が神の御心に添っているのなら、建築家としての使命をしっかり果たしていきたいと心に期した。
2006/02/17
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小樽 東京 福山今月に入り、いよいよ今年度の県外物件が本格的となってきた。21日からは小樽と東京行きとなった。小樽は次の建築の初期計画案提示。東京はミニ講演会でお話させていただくことになった。小樽では、一橋大学の関先生に紹介していただいた小樽市役所の方との再会も果たしたい。先日、ルタオの生みの親とお会いした。小樽での活動のふくらみがもっと出てくるような予感もある。現在設計中の物件の工事が完了するのはおそらく8月ごろだと思うが、それまではおそらく2週間に1回は小樽行きとなるだろう。小樽行きに併せ、東京を中心に埼玉と岐阜にも足を伸ばすことになるだろう。その間隙をぬって福山が進むであろうし、もちろん地元の仕事も淡々と進めていかなければならない。私と各スタッフとのプロジェクトはかなりハイレベルになってきているのでスムーズに流れていくだろう。超大型物件も動き始めた。おそらく島根県では最大規模の福祉施設となるだろう。単に大きいのではない。今の時代だからこその複合施設だ。補助金や助成金のオンパレードの経営理念不在の事業とは違い、顧客(入居者)第一を理念にかかげだ施設であり、不況のこの時代を土台に、補助金などほとんどつかない状態で顧客も運営側も納得できる施設を生み出そうとしている。理念は構築された。お役所もそれを理解し始めた。どの物件も理念は同じだ。複合福祉施設も個人の住宅もどれも地域の大切な財産であり価値ある文化だ。そこまで理念を昇華させて建築を創り上げていかなければならない。地元を離れるからこそ地元の大切さがわかる。地元(出雲の文化)に根ざしているから他の地域のトラディッショナルが見える。常に、今見えているその向こう側にあるものを見つめていくことを肝に銘じている。
2006/02/13
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見通しを明確に!このところ物件に追われながらも将来に向けての明確な見通しがついた。3年先の設計依頼をいただいたわけではないが、このところの私にもたらされたコミュニケーションツールのすごさに改めて感謝している。ビジネスの基本は概ね下記のようなことだろう。理念(創業の基本的な思い)→ビジョン(具体的なビジネスの絵柄)→商品開発(具体的な事業)→マーケティング(実績の積み重ねと展開)概ねこのようなことだと思うが、これは建築家もまったく同じで、ただ闇雲に設計できますから仕事ください!と言ってもだれも認識などしてくれない。大切なのは、商品を必要としている顧客とどのようにして出会うのか、そしてどのようにコミュニケーションを図っていくのか、どのように買っていただく(設計依頼をいただく)かということだろう。私の場合は、商品開発(実績)はできたと認識している。いよいよ必要なのがマーケティング(コミュニケーションツール)だと感じはじめていたところだったのだが、ちょうどタイムリーにそれはもたらされた。これを、「見通しがきく!」というのだな~とつくづく実感している。商売とは軽いものではない。京セラの創業者稲盛和夫氏は、学者は商売を金儲けだ!と揶揄(やゆ)するが、商売には崇高な哲学があることを知らなければならない!とおっしゃっている。まさしくその通りだと思う。こうしてコミュニケーションを図り始めて思うことは、みんな何かを求めていてほんとうの情報がほしいということだ。マスコミ情報はほとんどがコマーシャルばかりで情報と言えるものはほとんどない。私はアナログでほんとうの情報を伝えていくことにした。これがコミュニケーションツールだ。----------------------------------会報「ARTS&CRAFT」を発行することになりました。創刊号がお手元に届いた方は次号をお楽しみに!購読を希望される方は遠慮なく私書箱等でお申込ください。毎月無料でお送りします。
2006/02/12
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激動の中に真実と進歩があることような心持になるようなこの頃だが、とにかく公私共にめまぐるしいが、ありがたいことは、周りの方々がしっかり支えてくださり、今後の方向に大きな役割を果たすものを提供してくださったり、惑う私に私の真実を移し絵のように描き教えてくださったりと、有難いことの連続だ。激動の中に真実が見えるし進歩を感じる。私の建築家たるゆえんを、むしろまわりの方々が深く理解していただき方向を示していただける。もちろん選択は私の自由だが、そこまでしてもいいのか、そこまでしなければいけないな、と思うことができることが有難い。本来なら一人であうでもないこうでもないと惑いながら失敗しながら行くところだろうが、とにかく能動的なメンターの方が多くて誠にありがたい限りだ。この上は、ますます本気で「ヤマト発進!」だ。
2006/02/10
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水面下で成就していく人生アヒルなどの水鳥は水上の優雅な姿とは別に水面下では必死に足をばたつかせている。私たちの人生も同じだな。一見優雅に見えても実は必死に自転車漕いでる。いくらあせってみてもなかなか進まないことでも、実は水面下では着実に進んでいる。多くの物件が水面下で進んでいるが、その物件が次々表に出てくるようになれば次なる飛躍の時となるだろう。超大型の物件の設計も進行中だし、こだわりの住まいづくりの依頼もいただけることがありがたい。そのような実績が実績を生み出すのだろう。私の仕事は、そのような作品のスペックを会報にしてお知らせすることかな。建築は建ててお終いではなく、そこに込められているものを世に知らしめるのも大切なことだ。それだけ、それぞれの思いで創られたものには価値がある。職人の思い、匠の技の結集というのも決して社会の隅に追いやっていてはいけない。あせることはない。人生は水面下で成就していく。
2006/02/08
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幾多の試練を乗り越えてこそ成就があるいつまでが創業かは定かでないが、幾多の試練がやってくるのが事業の成り立ちというものだろう。ある法人を訪ねたときに「5年なんてまだ創業の真っ只中だ。35年になるが、創業とは甘いものではない。」ということを言われた。事業を発展的に継続させることは並大抵のことではない。まして、まさに生み出そうとするときにそのすべてを分かっているのは自分(創業者)しかいない。私が分かったことは、とにかく最後は自分を信じ決めたことにとことん従うことだということだ。「いや~そうじゃないよ。こうだよ.」などと言人は軽く言ってくれちゃう。間違っていたらあとであやまれば終いだ。しかし当事者はそうはいかない。申し訳ないがいかなる支援者でも、言われた言葉の中に創業者ほどの深い意味など存在しない。周りは分かった風(ふう)をするものだ、しかし実態は表面しか見ていない。いや、どんなに一生懸命にメンターよろしく見ようとしても絶対と言っていいほど見れるものではない。人間そんなに単純じゃない。危険なことは、回りが分かった風をしてヘタなアドバイスをすることだ。いや・・・安易に信じる者の思考(あまえ)が愚かで危険だ。 私自身当初、建築家としての姿勢を貫くなかで、「奇麗事すぎる。下請けでもして食いつなぐ逞しさが必要だ!」などとどれだけ真顔で言われたものか。二言目には「ぼんぼんだ。甘い。甘い。」・・・なにを言いやがると思っていた。プロがもっと上のプロを目指そうとする創業者を、今度大学を卒業して初めて社会人となって操業するいわゆるアマチュアからの創業者と混同してモノを言うやからが多い。まったくもって分かっちゃいない。とにかくじっと辛抱して黙って聞いていた。しかし一切従わなかった。「ただ食うための創業をしたのではない。「真に」食えるプロをめざす創業をしたのだ!」とこのおっつあんに言っても労力の無駄だと思い。「いや~。」などといって頭をかきながらやり過ごしてきた。プロの意味が分からないくせに勝手にオレの次元を落とすな!」と心の中で怒っていた。私の向上心をそぐのは実は身近な人たちだった。これを「善意の足の引っ張り」という。法律用語での「善意」とは物事に気付いていないというよくない状態を表す。まさにそれだ。ま、しかし最近は評価いただけるようになってきたので、人間関係も円滑にいくようになってきた。やはり何を言われようと実績を作るしかない。私(創業者)以外の者は統計学的な思考でしか物事を見ない、と思っている。当事者ではないからどんなに逆立ちしても創業の思いを共有できるわけがなく、その深い部分を感じ取れることなどできっこないからだ。勘違いが多いのは、創業の時というのは、思いだけが固まって実際の物事のほとんどは決まっていないものなのだというように思う人が多いことだ。実はそうではない!と声高に言いたい。創業とは、神が人間や世界を創ったのと同じように始まりのときにすべてが決められていたように、創業者が創業を瞬間的にイメージした時に実は事業のすべてが克明に決められる。あとはそれを実際の形にしていくだけだ。つまり登るべき山(創業の目的と姿)がはっきりと見え、どの道から頂上を目指すのかもすべて瞬間的に決まっているものだ。経営のアドバイスなるものができるとすれば、山頂までの道のりは気温が低いので、どのような防護服に身を包むのかという選択ということしかできない。その防護服が薄いと頂上に付く前に凍え死んでしまうからそのようなアドバイスはもちろん大切だ。つまり周りの者ができることは防護服の選定を手伝うぐらいのことだ。創業の理念そのものをアドバイスすることなどできっこない。仮にやっても意味のないことだ。なぜなら創業は強制されたり教育されてするものでないからだ。創業のセンスがなけえば創業などできっこない。苦労があるなしは別だ。しまね起業家スクールの福島先生は、常に明確にイメージすることの大切さを説いておられるが、だれでも例外なくイメージできることだとは一言も言ってはおられない。私の場合は最初に思い惑う期間が相当あったが、食うためにはプロとして独立しなければいけないと思いたったときに、同業者が多い中で皆と同じことをしても食えないと瞬間的に思ったし、マイナスからの出発なのでなおさらに一流にならなければ絶対に食えないと思ったし、それこそステータスを持って私に仕事を依頼してこられる方々の姿が浮かんできたし、「そうだ!安藤さんと同じ姿勢でやろう!」と思って、次の瞬間から「建築家コムース」と自称することとなった。これが私の創業ビッグバンだ。「いや~、建築家をめ~ざ~すの~も~い~い~けど、もっと具体的に物事を考えたら」などと訳のわからんアドバイスをくれた人がいたが、次々と思考の邪魔をしてくれる人が現れたが、すべて撃退してきた。福島先生はしっかり受け取っていただいた。私が真の創業者であることを分かっていただいていると感じている。アマチュアからプロを目指す創業ではなく、プロがより上をめざす創業であることをしっかり分かっていただいている。このことは醸造家バッシーさんにも言えることだ。大きなワイナリーの醸造責任者だった方が、ヨーロッパにあるような文化としてのワイナリーを創業する事業を思い立った時にはすべてのイメージがなされていたはずだ。コミュニティーワイナリー理念は以前のワイナリーをやめられる10年前からできていたという。やはりそうだったのか、と思った。この3~4年間はそのイメージの実現のために奔走しているのであって、事業の成り立ちを考えていたわけではない。検証など必要ない。その通り実現するには幾多の困難を乗り越えなければならない。場所探しであったり、その絵柄を信じてくれる生産農家を捜し求めていた。事業を思い惑っていたのではない。それがよく分かる。もちろん防護服の選定は大切だ。基本的に目指すところが明確であることをもっと回りのものも強烈に意識しないといけない。そうでなければメンターにはなれない。瞬間的ワープ、思考のビッグバンを体験できる者はほんとうに少ないと思う。私の周りにバンバカ現れるとは思えない。いやしかし、明治維新の萩や鹿児島のようにある特定の町内からワンサカ日本を変えた大人物が現れたのだからまんざらそうでもないかなと思うようにしている。創業とは度胸でも使命感でもない。自分が心底納得できたイメージがあって、その実現に向かっていても立ってもいられないような心持になることだ。もしそれを感じ取れないなら、創業は止めたほうがよい。理で物事を判断し行動する人が多い。しかし真の創業者は感性で行動する。福島先生は、カラー映像のごとき明確な創業の画像が見えるのならそれの現実の姿の実現作業を忠実に行っていけ!と言われる。創業の意識って何年もかかるものではない。ハッピーCさんは、起業家スクールへ入られたときには何をするのか決めておられなかったらしいが、卒業した時にはハウスクリーニング業を創業された。おそらくビジュアルなイメージが明確に浮かんだのだろう。だから今日の成功がある。ひとつはっきりしていることは、自分以外の者は当事者ではないということだ。残念ながら当事者でないと分からないことが存在するのだ。つまり使命感が本物か本物でないかは本人でないとわからない。とにかく、自分の頭の中で理念のシミュレーションを繰り返すことだ。将棋のプロが一手ごとに何百手先を読むように。プロの棋士は他に判断をゆだねたりはしない。創業者は将棋のプロだ。自分の行動の判断を下せるのは自分しかいない。色々な意見を聞くのはもちろん大切なことだ。しかし判断として言われたことの反対の判断を下し走り出すことだってあるのがプロだ。当たり前のことだ。なぜなら経営は統計学ではないからだ。人間弱いから人にゆだねたくなる。しかし私は常に自分に言い聞かせ、叱咤激励している。創業者としての責任を全うするために。経営者は孤独かって? 当たり前だよ。二人で考える棋士など見たことない。
2006/02/05
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改めてアナログの威力を知るこのところ当社の会報を持って廻っているが、その威力に驚かされる。それはコミュニケーションツールとして抜群ということだ。もちろん中身が乏しければどうしようもないことだが、いろいろな実績もかさなりその紹介を行うニュースレターなので気軽にお話できる。今までは、突然訪ねていくと最初はお互いにかしこまっていて、次第に打ち解けてくるということなのだが、会報を渡しながらの話は最初からざっくばらんに笑顔でお話できる。本日も打合せに行った先や、帰路の途中のしばらくご無沙汰の先や、当社に訪ねて来られた方々にお渡しするのだが、偉く会話が弾む。親しくしている要人の方々にお渡しすると、ホームページなどは見ていただいていないらしく珍しそうにご覧になる。やはりデジタルの世界だけでは逆に狭い特定の方々への発信に留まってしまうのかもしれない。手渡しと郵送分を本気でやろうとすると、全国で1,000枚にもなりそうだ。いきなりは無理なので、少しずつ増やしていく。なにはともあれ、アナログで情報発信する建築家というのも全国でもめずらしいのではないかと思う。つまり訪問販売(プレゼンコミュニケーションする)の建築家はほとんどいないと思うので、誰もやっていないことはチャンスということでここは勝負だ。このようなコミュニケーション手段を教えていただいた方に感謝だ。いわく、このことは以前から話していたが、いよいよ必要な時期となったので必要性に気付かれたのではないかと言われた。確かにそうかもしれない。今までは実績の積み重ねを必死にやってきたが、ここへきて情報発信の大切さを痛感している。毎月のコミュニケーションが楽しみだ。
2006/02/04
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アナログが一番建築家が手製のチラシ(会報)を持って廻るというのは絵になるのかどうかは分からないが、手渡しできたところは非常に喜んでいただいた。体験してみて分かるとはこのことだ。私の頭の中ではいつも色々な方々の顔が浮かんでいるのだが、その方自身にしては私がそんな気持ちでいることなど知る由もないだろう。ことによれば、あいつは私を相手にしていないのではないかと思われているのかもしれない。まして設計させていただいたクライアントの方々とは「建築」が完成すると接触の機会は格段に少なくなる。いたって当たり前のことだが、しかしクライアントにしてみれば、ちっとは気にしてくれてもいいのではないか!と思っておられるかもしれない。そこでなんらかのコミュニケーションを図っていくことが大切だろう。つまり、忘れてないんだな!と思ってもらえる状態でないといけないということだ。手紙の大切さというのもあるだろう。しかし、なにより、コミュニティ、コミュニケーションを標榜する私自身がその実現を図るとすればそのような長期的なスパンのことではなく、極端に言えばしょっちゅう接触してくるなと思ってもらえる状況を持っていなければいけないのではないのか。この時代は、そこまでやるか~!と思われる状態でないと物事が成就していかないし成功などということはやってこない。私が思いっきり「建築家」と自称していることも最初は奇異に感じられたかもしれない。しかし今はおそらく、そうかなと思ってもらえる状況となってきているだろう。(おそらく)コミュニケーション手段にしても、とてもやれそうにないことをあえて成就させること、まして人がやってないならなおさらにやる価値がある。建築家はやはり訪問販売員だ。コミュニケーションがとれるものこそが真のプロだろう。心を開きあってこそ初めてそこにクリエイティブな世界が広がる。やはりアナログが一番だ。デジタルで済ませよう(活用しよう)という機運が強い時世なればこそアナログが光る!
2006/02/03
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節分がほんとうの節目昨年はいわれなき苦労で大変苦しんだが、ようやく転機を迎えた。昨年の節分から始まった苦悩が、今年の節分を機に解決しようとしている。私(当社)をはじめ多くの施工業者が迷惑をこうむったが、お陰で回りに随分心配をかけた。ようやく実態をわかってもらえるときが来たようだ。施主の悪口を言うのは本義ではない。しかし、何が正義かを貫かなければいけない時もある。責任ある立場の方々も私や関係業者になんら問題がないことを認めてくれている。ずばり、頼まれても仕事を引き受けてはいけないお方もいらっしゃることも世の真実だ。そういうことを防御するのは「逞しき純粋性」だろう。信念をためされた一年であった。いや、信念を貫いた一年であった。究極の状況の中に貫くべき真実が見えてくることもよく分かった。誰も来たことのない領域を味わうことができたのだろう。幸せなことだ。節分を機に、よい一年が始まった。
2006/02/02
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会報発行目からうろこが落ちるとはこのことだ。当面の問題の対処ももちろん大切だが、中長期的なことも常に考えておかなければならない。本日、マーケティングアドバイスともいえるものの情報がもたらされた。私自身の建築家としての情報が伝わっていない、イメージとしては漠然とはあるかもしれないが明確なものではないと感じていた。どうしたら伝わるのかと思案していたところへ情報伝達のサンプルとも言えるものを見せていただくことができた。いわゆるコミュニケーションツールとなるものだが、よりよきコミュニティの創造を!と歌い上げながら具体的なコミュニケーションの方法が見出せずにいた。これでいよいよメジャーデビュー間違いなし。(笑)そのくらい私にとってインパクトのあるものだった。早速つくってみたがなかなか良い。明日からさっそく持って回ることにしよう。
2006/02/01
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