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夏といえば、浴衣です。女の人の浴衣姿が、大好きです。いくらローライズからのぞくヒモパンに、ラインストーンが輝こうとも、浴衣の足元にも及ばぬわ。そんな強気発言すら、臆面もなく飛び出すほどです。さらに、浴衣といえば、下駄です。裸足に下駄、これが鉄則。「浴衣+ヒールの絶妙バランスでデキる女の最強コーデ」などと、あやしげな女性誌めいたことを言うのは、この際慎んでいただきたいものです。さて、その、いまこうして目を閉じるだけで遠くから響いてくる、軽やかで涼しげな下駄の音が、ぼくをいつだって、10年以上も前の、ある一日に誘ってくれるのです。 カラン、コロン。 カラン、コロン。 どれだけ遊んでも、お休みの「貯金」はまだまだたくさん。そんな、夏休みがまだはじまったばかりの頃でした。宿題なんて、脳みそといっしょに溶けだして、耳からじゅっと溢れでちゃった。そんな顔した小学生は、近所に住む友だちとなまぬるい学校のプールに通い、有色・無色の違いなんて考えるのもバカらしくなるほど、真っ黒に日焼けした、ジャージ姿の中高生は部活動で汗を流す。そんな、日本全国にありふれた、うだる夏のある日、地元の専門学校に通っていたぼくは、となりのクラスの女のコが、電話の向こうでささやいた、ある提案に凍りつきそうになりました。「夏祭り、いっしょに行きませんか?」 「夏祭り、いっしょに行きませんか?」(ぼくの頭の中の声) 「夏祭り、いっしょに行きませんか?」(エコーぎみリフレイン) 「夏祭り、いっしょに行きませんか?」(以下同しだいにフェイドアウト) 「えっ!? あ、うん……」「ホント? 絶対よ。約束やけんね」「いや、でもなぁ……」「ダイジョウブ、ダイジョウブ。ね、ね?」「うん。よかよ」 結局、ぼくのささやかな抵抗は、簡単に押し切られたんですが、ためらうだけの理由は、ちゃんとあったんです。お互い、顔と名前くらいは知っていても、話したのはその日がはじめてだったこと。そもそも、その日の電話の目的は、「そういうこと」じゃなかったこと。ぼくはぼくの友だちに頼まれただけのこと。ずっと、そのコと話したかったんだって。でも、電話する勇気はなかったって。オレのこと、うまく紹介してよって、頼んだけんねって、どーしよ、夏祭り、いっしょに行くことになっちゃったよ。 ここで、素直に白状しなきゃいけないのは、そのコの学校での人気は、すべての学年を問わず絶大で、つまり高嶺の花的存在だったこと。ぼくは、断ろうと思えば断れたはずなんです。でも、やっぱり、断れなかった。こんなチャンス、一生来ないと思った。わかってても、どうにもできない。ココロとカラダの足並みが揃わない、まだ、そんな年頃だったんです。 夏祭りは、その電話から二日後でした。ぼくは当日の夕方まで(約束は夜でした)、やっぱり断ろうかどうしようか悩んでいました。そのうちに、家を出なければ間に合わない時間になり、自分の勝手で、今日の夏祭りを楽しみにしている(だろう)そのコを落胆させちゃいけない、と、それこそ自分勝手な理屈をつけて、待ち合わせ場所に向かいました。到着。待ち合わせの時間ちょうど。あいつ(友だち)、このこと知ったらなんて思うかな。「友だちより女を取った」って、クラスのみんなから責められるよね。あれ、来ないや。ドタキャン? かえってそれでよかったのかも。背中をつたう汗のように、じっとりとした時間が過ぎ、なんだか、突然のできごとに、一人でどきどきして、うきうきして、ちょっとだけヒリヒリした傷みに酔っていた自分がバカらしくなって、やっぱ、かえろっかなぁと、何気なく空を仰いだときでした。 カラン、コロン。 カラン、コロン。 遠くから近づいてくる、下駄の音。しだいに速く、大きくなって、ぼくの心臓の音とシンクロするように。ぼくの真横で、最後の「コロン」。振り向いて確かめるのが恐くて、気づかないようなフリ、一秒くらい。トントンと背中を叩かれて、「ごめーん、浴衣がなかなか上手に着れんかったと。待ったやろ?」観念して振り向く。わ。やべ、こんなにかわいかったっけ?ぼくの顔をじっと見上げるおおきな目。天真爛漫を、そのまま描いたようなまん丸の輪郭。照れくさそうに、ちょっとつきだしたあひるグチ。後れ毛が汗でしっとりとまとわりついた白いうなじ。はだしの先を、ほんのり染める淡い色のペディキュア。シンプルな色使いが、余計に艶やかさを引き立てる浴衣姿。楽しくなってきた、と言わんばかりに騒ぐ足先。いち、に、いち、に。カラン、コロン、カラン、コロン。 あー、もー、どうでもいいや!と、投げやりとは正反対の気持ちで思えた瞬間でした。まいりました。全部、肯定。あれこれ言い訳してみても、約束したのは、自分。ここまで来たのも、自分。出来事は、確かに起こりはじめていて、そのことは、ぼくをまったく不幸にしないらしいってこと。なによりも、目の前にいるんだもん。キラキラしながら、けらけら笑うひとが。こればっかりは、くつがえしようのない、事実。 カラン、コロン。トントン。キラキラ。 近づいて、触れて、包まれて。 これが、ぼくの本当の夏のはじまりで、すべて。いまのぼくを、つくっているすべてです。どんなに抗ってみても、避けがたく、目の前につきつけられるものがあること。それに従ってみることは、悪いことばかりじゃないと、十代の最期に教えてくれた、夏のある一日。 そのあと、彼女とは2年ほどおつき合いすることになるのですが、「パパに似てる」との理由で、彼女のココロは他の男性に奪われてしまい、お互い、離れることを決めました。 甘くて、ちょっとヒリヒリとして、どこか、つくりもののような味のする思い出は、はじめて会った夏祭りの夜、手を取り合いながら人いきれを避け、やっと入ったお店で彼女が飲んだ、メロンソーダのそれのようで、グラスの底から浮かび上がるあわのように、あっけなく消えていきました。 それでも、ゆらゆら消えてったいくつものあわは、確かに、そこに、あったし、ぼくの目の前で、キラキラと光ってみせてくれていたんです。 ---------- * ---------- * ---------- * ---------- * ---------- お友だちのサイトで、みんなで同じテーマをもとに日記を書こうという、回覧日記(?)のような企画があり、今日の日記は、「ある一日」をテーマに書いてみたものです。まだアップはしてないんだけど……(笑)。 蛇足を承知で言えば、この日記で書きたかったのは、二度と戻ることのできない「あの頃のキラキラ」への未練ではなく、いま、目に見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、そうしたあらゆるものは、通り過ぎた後に振り返ってみれば、かけがえなくキラキラ輝いているんじゃないかと、ずっとそう思い続けてる、ということです。たとえいまが、自分が望んでいた未来や、求めていた結果と違っていても、違っているからこそ出会えたものが、ちゃんとある。あってほしい。その、外の世界にちらばるキラキラの素を、いとおしむことが、内なる自分をいとおしむ、はじめのきっかけのような気がします。 どんなに悩んだところで、 こんなに美しい朝が来る。そんな感じ?うーん、いまいちー。
2004年07月28日
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土・日を利用して、彼女さんのお父さんのお見舞いに、北九州まで。(わっしょい)思っていたよりもずっと元気そうで、安心しました。話を聞きながら思ったのは、やはり気の持ちようというか、気の若さは、表情を豊かにするなぁということ。病室を抜け出しては(もちろん許可を受けて)あまりにも、ひょいひょいと出かけてしまうので、彼女さんから「まったく、病人なんだから!」と怒られていたお父さん。「てへへ」な表情がかわいらしかったです(笑)。 土曜日の夜は、彼女さんの実家に宿泊。ごはんも山盛りいただいたうえに、念願の「ねこと」(ペットのでぶ猫)と遊んて、楽しいひとときを過ごしました。この前会ったときは、なんだかよそよそしかった「ねこと」くん。今回はしっかりなでなでさせてくれて、なんだか認められたようで、うれしかった。ほら、子どもや赤ちゃんとか動物とか、心の中まで見透かしそうで、ね、ちょっと手強いから。 日曜日も、朝からたっぷりとごはんをいただき、本を読んだり、テレビを見たり、彼女さんにエレクトーンを弾いてもらったりして、(なぜだか曲はライディーン)午後から、病院のお父さんのところに顔だした後、高速バスで福岡に帰ってきました。 もうすこし、緊張するべきだったかな、と思うほど、自分の実家にでも帰省したような、ゆるゆるな休日でありました。
2004年07月25日
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グリコ・森永事件 三億円事件 オウム真理教 創価学会 在日中国人の犯罪シンジケート 東村山女性市議転落死事件 東電OL殺人事件 近頃、こんな文字が並ぶタイトルの本をよく読んでいます。ひさびさの読書熱、到来。小説やエッセイなんかも、あわせて読んでみるんだけど、どうも、身が入らないというか、落ち着かない。前述のような社会事件を扱ったルポルタージュが早く読みたくて、「事実じゃないもの」を、せかせかと読み終えようとする自分がいます。現代社会のタブーやひずみ、人間の抱える闇・不可解さ……。程度の違いはあれ、こうした社会事件に共通する背景を知るほどに、『事実は小説より奇なり』という言葉のおもしろみが、物静かな恐怖に、じわじわと浸食されていくようにも感じられます。 毎日のように世間を騒がせている、さまざまな社会事件、凶悪犯罪の事実を、謎を、追い求めているジャーナリストたち。いまや、出版界にしか期待できないような、彼らが浮かび上がらせた真実を、なにも眉間にしわ寄せて、見識ぶったりするのではなく、「どぉかなぁ?」なんて、アーティストの新曲をダメ出しするように、「あそこのパスタがうまかったー」だの、「今日、○○さんがねー」なんて、そんな会話の延長や、同レベルで、話題にしていければ、何か違ってくるのかなー、などと、安易に考えたりしています。こじゃれたカフェのテーブル、いつもの職場のデスク、わが家のちゃぶ台などの上に、「実際に起こってしまっちゃったこと」を、ぽこんとのせてみたい、そんな感じ。事実を積み重ねて、真実の輪郭を浮かび上がらせていくジャーナリストたちの執念や、誘蛾灯へと誘われる蛾のように、常識を逸脱していく人間の性を追う眼差し、どれも、ロック以上にロックで、パンクで、ポップで、揺るぎない。本当のことだもん。強いよね。言葉のひとつひとつが、ずしりと重く、痛いほど響く。ぼくたちの生活と、さほど無関係とも思えないから、さらに、刺さる。 それよりも、なによりも、「甘いものでも食べさせておけば、おとなしいもんだよ」などと、この歳になっても、子どもみたいに扱われ、何も知らされず、だれかの言いなりになってるのは、もうヤんなっちゃったんだ。一部の人に、なめられたくないもん。それは、本当のことに目を向けようとも、近づこうともしなかった、自分自身への反省でもあるんだけれど。知りたいことは、まだまだたくさん。 ときどき、お酒を飲んだり、みんなで集まったりしたとき、「じつは、オレね……」などと、突然、自分の内に秘めていたことを、ぽろりと告白し合う瞬間や、その会話が、ぼくは好きです。そのちょっと苦いことを、お互いの媒介にしないと、本当に、本当のことを話し合ったり、語り合ったり、議論したりはできないんじゃないかとそう思います。 みんなでワイワイ飲むお酒もいいけれど、ぼそぼそと、ときには熱く、ときには憂いながらのマジメトークも、捨てたもんじゃないよね。 あ、これはぼくの告白でもあります。(つまり、だれか飲みにいこーよっ!)うふふふ。 まったく余計なことを言えば、本当はみんな、もっともっと、 自分のことを告白したいんじゃないか、とすら、ぼくは思っています。 ネット上に漂う、いろんな人の日記を読んでいると、特にそう思います。 「本当の自分はこうなんです」 「本当の自分を知ってください」 「平気そうにしているけれど、実は不安なんです」 「もっと話をしたいんです」 「もっともっと、かまってほしいんです」 そんな声なき声が、遠くから届く汽笛のようなSOSが、伝わってくるようです。 ふだん、口に出すことすら躊躇われることまでも、告白してしまう人もいます。 それだって、日記に投影された真実の自分を、他人の目にさらすことで、 自己処罰的な告白が、自己解放へと導いていくような、 一種の自浄作用があるのかもしれません。 他人や、過去の自分、理想の自分への依存心というよりは、やはりSOS、なんでしょうね。 望むらくは、もう一つの自分ともいうべきその日記への反応の大小に、 本人が煩わされることのないように。
2004年07月23日
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夏椿 一花(いちげ)一花の風白し 言葉尽くせば 汚れゆくかも はぁ、ステキ。言葉も出ないとは、こんなこと。ちょっと前に、新聞にのってた歌です。余計なことは、しゃべらないようにしたいなとそう、思いました。 「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて そんなバカなあやまちはしないのさ」 と、(大好きな)小沢くんも歌っていましたが、尽くすべきは、やはり、言葉より心、なんでしょう。飾れば飾るほど、見えないから。
2004年07月20日
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たとえば、ここに、二匹の子犬がいて。一匹の体の色は、白と黒のまだら模様。もう一匹は、ほとんど黒に近いグレー。いっしょに蝶を追いかけたり、おなじ場所におしっこしたり、二匹はとても仲良し。 いつもと同じように、ひょこひょこふごふご遊んでいたら、白い犬を連れたおんなのこがやってきて、「やっぱり、みーちゃんがいちばんかわいい!」と、白い犬を抱きかかえ、ほおをすりすり。白い犬は、しあわせでした。しあわせそうに、みえました。 白と黒のまだら模様は、かんがえました。ぼくは、真っ白じゃない。ぼくは、しあわせじゃない。 黒っぽいグレーは、かんがえました。ぼくは、白くはなれない。ぼくは、ふしあわせだ。 おーい、なにやってんだー、早くおうちにかえるぞ。パパの声だ! ごはんできてるわよ。ママの声だ!二匹は同時に、声のするほうへ駆けていきました。真っ黒な体の、パパのもとへ。真っ白な体の、ママのもとへ。 パパはしあわせ?白と黒のまだら模様は、ききました。ママはしあわせ?黒っぽいグレーは、ききました。 もちろんだ。 もちろんよ。パパとママは笑っていました。 家に着くまでのあいだに、二匹の子犬は、新しい遊びをはつめいしました。だいすきなパパとママのものまねです。しあわせ?もちろんだ。しあわせ?もちろんよ。 くすくす。くすくす。 うふふふ。うふふふ。 ちょっと長くなってしまったけど、コラムニスト酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』に端を発する“負け犬論争”ってのは、この程度のことではないかと、勝手に思ったりします。 だから、私は負け犬なんだ。いいや、私は負け犬なんかじゃない。キミみたいのを、負け犬って言うんだよ。キミは負け犬じゃなくてよかったね。などなどと、白黒つけることよりも、“仮に与えられた”勝ち負けの基準をもとに、自分を見つめ直してみる。ちょっとそうした機会を投げかけてみただけ。その程度のことではないかと、これまた勝手に思ったりします。 この前、NHKのある番組をみていたら、コラムニストの天野祐吉さんが、「言葉を読み取る力がなくなってきた」「言葉の持つ意味が薄くなってきた」というようなことをおっしゃってたけれど、みんなでバカ騒ぎするには、浅い解釈の方が好都合。だから、“負け犬”って言葉だけが、一人歩きどころか、むなしく疾走しちゃってるんでしょうね。わかってて、のっかっちゃうのは良しとしても、必要以上に、振り回されたくはないもんです。 余談ですが、『空中ブランコ』で第131回直木賞を受賞された奥田英朗さんの言葉に、興味深いものがありました。 「(物語のモットーは)裁かず、説明せず、自分すら疑う」。 読む側にも、いえることだと思いました。こうした気持ちで接してみれば、言葉で表されることのなかった書き手の真意が、ぐんぐん読み取れるはずです。 これだから、読書ってのは……、言葉ってのは…… んふー。
2004年07月15日
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いかがでしたでしょうか、あなたのまちの参院選。 強い信念のもと、一票を投じた人も、なんとなく、で投じてみた人も、わずか一票とはいえ、いやいや、なかなか、力があるかも?そう感じた選挙結果ではなかったでしょうか。おもしろかったね。 民主党、かなりの躍進。 でもでも、これからですよねー。選ぶまで、じゃなくて、選んでからが勝負。なんだかんだいっても、日頃の政治活動はお盛ん、かつ長けてるのが自民党。民主党・新人さんはかなりがんばらないと、頼りねーなー、なんて言われちゃいそうです。選ばれた人の活動を、選んだ人が管理する。この当たり前なことが、たいせつ、たいせつ。裏切られたくないもんね。 なんとか続投、という小泉さん。土俵際、どこまで踏ん張れるか、これも楽しみのひとつ。でも、『華氏911』の日本上映で、決定的、かも、ですね。 9.11自作自演? ビンラディン財閥とブッシュ・ファミリーの癒着? などなど、これまで“ゲリラ雑誌的ネタ”の疑惑の輪郭をじわじわと浮かび上がらせる真実が、見事なドキュメンタリー映画として暴かれる日。文字通り大々的にスクリーンにさらけ出される日。しかも、“カンヌ最高賞受賞”という、世界クラスの信頼のもと。はややや、すごい世の中になったもんだ。いやいや、マイケル・ムーア(&チームのみなさま)がすごいんだね。 ブッシュさんとは、すっか“おともだち”な小泉さん。(BGMはX-JAPAN)日本の多くの人が、この映画観た後では、アメリカでの出来事がきっと他人事とは思えなくなりそう。メディアも、映画の内容にどこまでつっこむんでしょね。はー、もー、今から、どきどきです。楽しみです。 今日は仕事が少なかったので、ぱぱぱとすまして、借りてたDVDを観ました。『蛇イチゴ』。雨上がりの宮迫さん主演。監督・脚本は、これがデビュー作となる西川美和さん。プロデューサーは、『誰も知らない』の監督、是枝さん。(カンヌ最優秀男優賞受賞の柳楽くんばっか注目されてますが、 むだな演出を必要としない演出が魅力の是枝監督の力も大きいぞ)ずーっと観たかったんだよねー、これ。普通っぽいけど、やっぱりおかしい家族のお話。なにげなくはじまって、なにげなくおわっちゃう映画だけど、ぼくは最後まで楽しめましたー♪太宰治の「葉桜と魔笛」をちょいと彷彿させるラストがお気に入り。同じく是枝監督プロデュースの伊勢谷くん監督作品『カクト』より、ぼくは、こちらが好みでした。 なによりも、監督の西川さんがとっても美人さんなのです。(DVDの特典映像でチェックですよ)うふふ。 204.3.207.212/hebiichigo/
2004年07月12日
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この加減を、どう伝えたらと思ってみても、伝えきれるものではないことは、覚悟の上でありますが。 小さい頃、膝小僧のすり傷に消毒を塗布したときの、あのやわらかいガーゼ(小さな白いあわあわも、たくさん吹き出してきます)。その、ヒリっと沁みるやわらかさが、幾分、伝えうるかぎりの、「ヒリヒリふわふわ」であります。 傷ついた部分を、痛かろうと気遣ってみて、見て見ぬ振り、何も処置しないのは、やっぱり、やさしくはないんじゃないか。自分から、その傷に手を伸ばさないかぎり、傷をひろげるのは他人ばかりと、傷は癒えず。 少しもヒリヒリしないポジティブな言葉の羅列ばかりが、なにもポジティブではなく。ネガティブな言葉を、弱さや卑劣と捉えるなどは、浅はかさの極み、では? 明るい場所から眺める闇は恐怖。闇から見上げる光は一筋の平穏。違いは立つ位置。それだけ。 無理に笑顔をつくらなくても、希望を囁くことはできるし、無理に今日を演じなくても、素顔のままの明日は繰り返す。 音符の配置言葉の才知時間の大地の隙間から目に見えずあふれ出すヒリヒリふわふわ。 新しい歌が、また、新しい感情を連れてきてくれました。 緊張しながら聴けるしあわせ。嗚呼。 いつ出会い、いつ別れ、いつ笑い合えるかって、 知らないし、見えない。 そこが行くとこなら、 出会い、別れ、笑い合えるまで、 もういないあなたを明日へと送るから。 逢いたいならば声に出して。逢う場所は、心にして。 みんな今、未来に手ぇ伸ばすぜ。 あなたは、ただ、心に居て…。 いつ旅立ち、いつ豪雨で、いつ吹雪くかどうかなんて、 知らないし、言えない。 僕らが急いでも、 旅立ち、豪雨で、吹雪くその先まで、 もういないあなたは、どこでも行けるから。 逢いたいならば声嗄らして、あった事、唄えばいい。 みんな今、未来に手ぇ伸ばすぜ。 あなたは、ただ、心に居て…。 逢いたいならば夜空またいで。逢う場所はもう、ここではない。 みんな今、未来に解き放つぜ。 何回も目にした絵本閉じて、持って。 『やさしいライオン』/100s 作詞:中村一義 作曲:山口寛雄&100s www.toshiba-emi.co.jp/capitol/100s/
2004年07月09日
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