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コーヒー豆が、消える。へやに置いてあったストックのコーヒー豆が、500グラム消えた。仕方が無いので、昨日会に出た。家に帰ると、又消えた。私の障害は・・・・。物が消えたり現れたりする。幻視の範囲なのかもしれないが・・・・。お金が掛かるよ~。今日、一応昨日立ち寄った店に確認。勘違いで、置忘れが無いかだ。他の物は無くなって無いから、置き忘れの可能性は少ないわけだが、まあ儀式だ。今日もまた、コーヒー豆500グラム買う。物が消える種類の中で、私が一番意識が行くものが消える。私の必需品は、コーヒーと煙草だ。前はライターが家中から消えたのは参ったが。(用心に20個くらいあるが)消える時は、全部消えるのだ。最近は、そんなものだと思って気に留めない。話は変わって・・・。わたしは、24歳から、再び自分を育て始めた。文字も失った常態からだ。アルバイトはその時出来る事をして、色んな機能を回復させてきた。仕事の種類はそれ故、スキルアップしていった。最後は、信金の精査の仕事、イラストライターの仕事だった。当時足りない収入は株で補っていた。その後は、自営で仕事を造ってきた。家出結婚の後。実際、病気では無い別の要素が出てきた。薬が見つかったので、この2年は比較的問題なく過ごしている。病気や障害のお陰で色んな事が判るように成った。人は年を取る。そしてどうして老けて見えるかだ。わたしは、色んなお所で色んな人たちと話す。私は話し掛けられやすい。露天風呂なんかで、私と同じ世代の人が、私の年齢を聞いて笑い出す。彼女達は、若く見える落ち着いた風情の私に関心を持つみたいだ。面白いことに、私はその人たちが私と話しているうちに、綺麗に成っていくのが見えることだ。忘れている、自分の中の少女が息を吹き返すのだと思う。男の人もそうだ。その人の中の少年が蘇ってくる。でも、思い出して欲しいのは、少年少女の頃から、人の好みが有る。男性の場合。少年の自分が蘇ってきても、私と同等にならばないでよ。と言いたくなる時がある。例え、あなたが少年であっても、私が少女で果たして私は貴方を好きに成ったかどうか。少年に帰ったとき、好きでない相手に異性的な扱いを受けるとゾッとする。私のゲキリンに触れた男性は多い。そして、2度とそうした人とは会わない。いつの日も思うのだが。セクハラとそうでない場合。両者がお互いの性に関心が有る時はセクハラにならない。女性の方に、相手に関心が有ると、かなり際どい変態な事を言っても聞いてくれるだろう。恋人とそうでない相手とは性的な話が出来る相手かどうかなのだ。最近、独身の男の人から、恋人いない暦何十年なんだけれど、聞いてくれる?と頼まれて・・・。「本当は、女性の肌とか触れたり抱かれたりが好きで結婚はしたいんだよ。」と言う告白を聞いた。それは人間的に判るわ。と答えた。特に私に向けて言っているのでは無くて、誰かに心情を聞いて欲しいのだ。恋人にそうした事を言うべきだが居ないのだ。キチンと距離が有って話に不快な感じは無い。でも、どうしてそれを私に言うのかな?最近私そうした話をよく聞かされるの。と質問すると。「聞きたい?」と男は言った。「君は人を馬鹿にしないからだよ。」「他の人に言うと、何馬鹿なこと言っているのと相手にしてくれないんだ。」なるほど。わたしは、人として不思議ではない感情は大抵真面目に聞く。そんな小さな事でもお役に立っているのは嬉しい限りだ。話を受け止める事は、結構嫌いではない。
2005年04月30日
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私は、障害を認定されている。過去、病気の時は、他人に隠していた。我が家の考えは、≪病気なら治る≫私が病気を発症した時、姉が父に、アンナ妹がいるから、私は苦労する。とこぼしたらしい。すると父が、「じゃお前が変わってあげるか?」と姉に言ったらしい。「病気の人間が一番苦しいのだから、そんな事は言う物じゃない。」こうした話は、私の病気が治ったときに姉から姉本人から聞く物だ。父は本来医者になるべく立場に居たが。家系的に、色盲が出た。隔世遺伝なので、出る人と出ない人が居る。色盲だと医者に成れない。それで、歯医者に成った。が、医者の家の伝統は受け継いでいるので、命に対する≪態度≫を持っている。20世紀の医者は技術が先立って、技術職の趣があるが・・・。アメリカは一般医学の後に歯科を習うとので、地位が医者より高いと聞いた事がある。アメリカでは、歯並びや虫歯の状況は生活を見られかなりの評価の要素になる。最近日本でも、歯列矯正、審美歯科も普及し始めた。歯科が重要視されるのは脳に誓う部分を扱うからだそうだ。日本では、医科と歯科ははっきり別れている。そうは言っても、歯科大でも、全般的に医療は習う。人体解剖から内科の授業はある。わたしは、当初歯科大を目指して居たが、一浪目に遊んでしまった。勉強をしないと忘れるって言う事を初めて知った。私の受験失敗は、数学にトラウマがあって、希望校になると頭真っ白状態に成る。大抵数学で引っかかる。麻布獣医は希望校ではないので受かった。2浪目のとき母親は何処でもいいと思ったみたいだ。医者の息子のお母さんが、「家の息子をと言う訳では無いのだけれど、医者の家の隣が獣医だとね・・。」と言う友達の母親の意見を採用して、麻布獣医は行かなかった。歯科を考えていたので、途中転校するのに、他の入部希望者に迷惑と思ったこともある。星薬価も受けた。数学の出題が半端じゃなく理解できなかった。出題傾向の違っている見たいだった。一年目は鶴見歯科を受けた。鶴見歯科から、電話が掛かってきて、寄付金で親がはなしているのが聞こえた。家は、2000万までなら出せるが、3000万は無理だ。子どもの私は、それを聞いて、どうして2000万が出来て、3000万だ出来ないか判らなかった。実に親不孝な子どもだ。数学のネックはモロ金額に影響が出た。このもの頃から進路を親が決めていて逆らう事が出来なかった。2浪したかったのだが・・・。母親に父親の手前、どこかに席を置いてくれといわれた事。それと、医者の息子の友達も医学部落ちて、二人で浪人していると、遊んでしょうがないからそちらのお母さんからも、どこかに籍を置くように言われ、2浪目に受けた神奈川歯科大の付属の衛星短期大学に籍を置いた。卒業時の資格で言えば麻布獣医の方を私の親は進めた、理科の先生の資格が取れるし、理科系の研究所の就職先が有利だそうだ。麻布獣医は4年。あくまでも籍を置くという条件(に騙されて)短大に籍を置いた。私は医者の息子のお母さんの意見を採用した。そこで発見したのは、私は人間の死体に弱い。それと・・・。口に性的な感覚がして、他人の口の中を触るのが苦手。オ~マイ・ゴッド。子どもの頃からその道しか考えてなかった私の生きる術を失った。天皇が人間に成った時、日本が無宗教に成ったのもこんな感じかと思う。いきなり、信じていた道が消えた。そして、未だに適職は見つかっていない。が、雑用ならなんでもこなせます。もし、獣医の学校を選んでいたらわたしは、結構順調に何かをしていたかもしれない。でも私は何故か医者のボーイフレンド(相手が変わっても)の存在が当たり前だった。この年で独身でいることに成るとも思わなかった。でね。本題の、病気と障害。病気は治る。障害は抱えて上手に生きる。健康な体に健康な精神が宿ると言う言葉がある。健康と言う事は五体満足という限定した物ではない。障害は、病気ではない。この2ヶ月くらい、余り表に出なかった。久々に出て、沢山の人が話しかけてきた。どうしてたの?と聞かれて、色々嵌ってた。「でも出てくると普通なのよね~。」と言われる。うん。別に気分が悪いわけではないから・・・。ただ、夢中な事が有るとね寝食忘れちゃうのよ・・・。脳に障害が有るけれど・・・。病気ではない。薬で眠れれば何も問題は起きない。それと、不適合な仕事をすると大変な事になる。不適合な職業として、夜のホステスがある。あれは、疲れる。お金払って夜は遊ぶ物だ。病院勤務。汚い病巣を長期に視覚に入れているとストレスになる。簡単に言うと、人の世話は向いていない。この2種類は短期にヘルプは出来るが長期に出来ない。仕事の垢を落とすのに2倍から3倍の時間が要る。今度は何の仕事をするか・・・その時まで内緒。次回は何時になったら仕事復帰するのか?神のみぞ知る。出来た時がするときだ。障害を無理をして、病気に成らないように周りに注意されている。障害でも他人を煩わせなければ、無理して病気になるより周りの迷惑に成らないのだ。自分が障害なのか病気なのか良く考えてみよう。病気なら治りますよ~!諦めないで!
2005年04月29日
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泡は一度書いたことを、又書くのが嫌だ。日記に描いてあると言ったら、長文で検索困難と書かれてきた。わたしも、初めて自分の日記を振り返った。タイトルに一項目ではなくて、幾つもどうでも良い事、書いている。日記を読んでも何処に記述が有るか探せなかった。書いたことは覚えているが、何の関連から寄り道したか忘れた。そんな時には。最終手段。グーグルで検索(グーグル使ってなければ今有る検索から、グーグルを検索)必要なキーワード二つくらい入れて、泡雪の日記で検索。そのページが開けます。「病名・処×名・泡雪の日記」検索かけるとページ出ました。で検索してみてください。確かに殆ど事柄のダイジェスト。ご要望の書き下ろしで、詳細にメールに関しては、更にご希望なら検討します。
2005年04月29日
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時空と意識。小学生の頃、親に与えられた本で、2冊纏めて、渡されて、内容が、どっちがどっちか忘れたが・・・。「人間の尊厳を守ろう」「人間の証明。だか条件」だか忘れたが。上の題名はほぼ合っていると思う。戦争中発禁になった本だとか言っていたが・・・。一冊の本は、アインシュタインの発見の原爆に使うも、何も、それは扱う人の資質の問題で、原理を発見したアインシュタインには罪が無いという話。科学が悪では無くて扱う人に善悪を問われる。刃物はは料理や工具に使う物で、人を殺めるものでは無いという見方は、持つ人によって代わってしまうのは、原爆レベルで考えなくても判る。もう1つの本で、記憶に残っているのは、お父さんが息子と屋上の上で話したことだ。今粉ミルクの缶が有る、漠然と見るとミルクの缶でしかないが、粉ミルクになって自分の手元に届くまで、沢山の人の手を通して製品化されて、商品化されて手元にある。と言う話だ。これは、部屋を見渡しても、テレビ1つ見ても12万が7万と下がってしまう商品だが、今日、この形に成って、テレビと言う形に成るまで、沢山の技術研究年月を経て形に成っていて、恐らく私の一生掛けても、0から考え始めたら、つくり上げられない。何代もの知識、幾多の人の智慧や手、時間。全て総合して現代の形に成っている。それには、どれだけの人が死ぬまで働いた時間。つまり、生命を維持する努力が込められているかだ。大量生産のお陰で皆に普及しているが、食事の給仕、一ヶ月で技術の蓄積が変えるのは、相当楽な時代だ。と話を本書より大きくしたが。言いたい事は別にある。自分の手基のミルクが、理由も経緯も無く。十センチずれたりしたらどうなるだろう。と考えた事がある。記憶に障害を起こしていた頃だ。その時苦労したのは、皆と食事をしている時に、自分のコップがどれだか判らなくならないよう。おいた場所を一生懸命追っていた。すると、私が考えて置く物だから、不自然で、隣も姉も・・・。あれ?どれが私のコップだっけ?と判らなくなった。その時、子どもの頃、読んだ、ミルクの缶を思い出したのだ。私が瞬間移動してしまった時、かなり混乱したが。最近は少し、どんな時に起きたか理解してきた。記憶は出来事の名残として、残っているが、普通の人は、意識の分断が無い。わたしは、ハワイで、洗礼を受けた時の教会の教えは生きながら生まれ変わると言う物だった。生きなら生まれ変わると言う意味が判らなかった。その試行錯誤の中で、過去の記憶を消す事でやり直す事やら色んな試みをした。1997年頃から、わたしは、自分への回帰を始めた。家とのしがらみや、色んな事を切って、生まれた時の自分の感性を求め始めた。この半年。私の中で起こっていて変わったことは・・・。13歳前の意識と繋がった事。腹膜炎を起こして、生死をさ迷った頃。医学生、医者達の行為で私の意識が分断されていた。記憶は失っている時は、何が起きたのか忘れている。記憶が戻った時に何を失っていたのかを思い出す。意識は記憶と少し違う。感覚であって過去から現在に至る私の本来の好み。分断された意識は色んな私の好みを失わせていた。自宅を離れていないので場所的な移動は無い。微妙な物の位置のずれや、今でもコーフィーフォルターの消失などが起きている。使い終わってないはずの物が残らず無くなる事だ。この現象は初期の頃は記憶違いと思って居たが。初期の頃は、ダイヤの指輪が4セントに換わっていたり。泥棒なのか、記憶違いか判らないような事が起きていた。頻繁に起こると、出来るだけどうでも良い変化に抑える智慧が付いてきた。意識が切り替わると繋がった先自分との無意味な関連が消えてしまうようだ。多次元宇宙は、意識の切り替わりで生まれたり消失するみたいだ。過去に戻ったり、未来に行ったりする物でもないみたいだ。体と周りの人と時間のずれは少しあるみたいだ。まあ、体制に影響のない人間だから、抹殺される事もないだろう。
2005年04月28日
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記憶、思考。意識、感覚。幻想、空想。******虚言。真言。行き着くところが無いのが、虚言。不可思議でも出口が有るのが真言。心理学の本を読むと、脳の科学になってくる。超心理学の領域に、テレパシー・念動等が出て来るが、この問題を取り上げて、教授の籍をおわれた人もいるみたいだ。今日、私たちは、パソコンで、情報交換したり、携帯電話で遠くに居る人、の声を聞く事が出来る。これは、機会を通すと科学的に感じて不思議に思わない。でも、大気中に、誰かが誰に・知り合いの言葉を送る信号が蔓延しているのだ。多くの人が使うと、科学的で、極少数の人が使うと、魔法になってしまう。私はテレパシーで話しかけられて事はある。私は、余り一般的で無い事が好きでないので、直にクローズした。幻聴はどんな物か知らないが・・・。私の言葉を受け取ってしまう人は多いみたいだ。思考を読み取るのは、意識の接触が基本。私は、自分の意識が伸びると落ち着かなくなる。飛ばしている状態は自分が安定している。行き場が無くさ迷うのが嫌いだ。出口を必死で探す。このところ、文章を書き始めたら行き着くところが無くて、思考が迷走した。入り口の設定が明らかに間違えているのだ。書き初めから、考えると・・・・。丁度、4ヵ月半。4月30日は予定の上で仕上がりの時期だった。小説を読む時、幻想的な風景は想像の産物と思いだろうか?最近村上春樹を読むようになった。丁度、作家デビュウ~25周年。文庫本で沢山並んだ。有る人の作品の上で書かれることは、書く体制に入ると言葉が降りてくる。と言います。その中の登場人物の出来事は。私の知っている人だったりします。でも・・・・。村上さんとその人は知り合いではないな~と思います。現実にありえない事は幻想でも説得力が無いです。また、別の時空(わたしはいくつか移動しているみたいだ)で、別の作家が同じ内容を短編で書いていたと思います。村上春樹の本を読んで、≪入り口が有って、出口がなければ文章を書く意味が無い。≫という表現が有りました。日記と言う状態は出来事のスクラップ。断片断片の終わり。意識の流れは、その沢山の出来事の中から・・・。1つの≪自己≫に出会う旅だと思う。自己の意識の惹きつけられる、原因を探して物を思考し現実が動く。意識が先に有って、言葉に変換するのが思考。最近≪必然≫をやたら言う。≪言霊≫もまるで、呪術のように言われている気がする。言霊は出来事、意識に付けられているサインだ。サインの意味が判らないと、判らないままの、状態に嵌るので要注意。体験感覚で、意識レベルをクリアしていかないと言葉を唱えても事は解決しない。意識はエネルギー1つの形。人間はお互い無意識にお互いの電波をキャッチして連動して動いている。今年に入って。町で私の隣に座っても、話をしない友人がいる。この間声をかけたら私が忙しそうで私へのプレゼントが袋に溜まっているそうだ。同じ空間に居ても目に入っていても、私の意識が別の事で忙しいのが判るみたいだ。メールも携帯も判っているが。嫌ってない事も知っている。私の心の物語が一段落したので。そろそろ彼女と話が出来そうだ。一見何もしていなくても・・・・。何かの出口を探して、人の意識は常に働き続けている。偶然、私の描きたい世界の作家に出会って。かなり勉強できた。
2005年04月28日
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今思うことは。私の周りには上質な男女が多い。女性の特性は美しい者に反応する。女性が女性に性欲を刺激されてしまう事もある。でも、悪戯にお互いを犯さないのは相手が大事だからだ。そうして片方が発情してしまった場合、片方がその感情を理解できるので、その場を冷静な方が傷つけないように交わす。男性で有る場合も同じ。友人である事は、異性の魅力が無い人は、友人としても魅力が無いのだ。異性の個性を持つ、パートナー達だからだ。私の友人達はツルマナイ。必要な時、言葉少なく連絡を取る。逆に言葉が必要な場合は、認識のずれの修正が多くの場合に起きる。そのエネルギーも好きならばこそだ。友人達は付き合いの年月が長い。だから、とっさの時にサッとお互いに手を添える。言葉多くなるのは、自分に無い概念意識を受け居るれとき。自分と違う意識を始めて受け入れた。共通項があっての上の違う意識。24歳から再びリセットしてから。私は、これまで意識に接しても交わった事が無い。初めての経験だ。故に心に深い傷も無い。かなり精神的に恋愛に近い状態に成る。着地点がわからなくて困っていた。意識が染まる。自分以外の意識を通して物を見ると感化を受ける。これは信じないと起きない現象。意識の違いと考え方の違いと別の物だ。その時は、冷静でなくなり自分の新しい知らない醜さも現れる。それを受け止めてくれる人に会えることはかなりの幸運だ。それは有る意味、私の見る目のよるところ、結局は自分なのだ。よく自分はこんな目に会った傷ついた騙されたという人が居る。選んだ自分の責任だ。良い事もも悪い事も自分に帰ってくる。私の場合相手を信じて助けを借りる時は自分の全て晒す。格好はつけない。自分のそのまま醜さ馬鹿さも相手に晒す。そうでないと相手は助ける事は出来ない。私は、この一年見る目が有る。自分の好きという感覚を誤魔化さないからだ。都合のよい部分だけでは信じない。そして相手に許容量の大きさに会うと感動する。私は私であることに安心する。感謝感謝。長い洞窟から抜けた気分だ。出会うときには、その必要がわからないが私は感性に従って飛び込む。人生は波乗りみたいに、超えないとたどり着けない事は前半の人生で体験済み。今回は自分を誤魔化さない生き方だ。執着はしないが、自分を諦めない。知り合いを蔑ろにするとお叱りを受けたが私自身が不安定な時は、人とは接する事が出来ない。元気になったら必ず戻ります。最近徐々に連絡取るようになった。
2005年04月27日
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泡雪は最近、記憶も意識もはっきりしてきて、心も温かい。(人に優しいと言う意味ではない)胸の中心部分が暖かさに満ちて気持ちが良い。慢性に熱があるのかな?泡雪と言う名前に違和感を覚えるようになった。今までの日記は泡雪だが・・・・どうする?日記の名前。過去と現在。未来。体に名前をつけたら継続には色々都合が悪いようだ。移り変わる自分に名前をつけるのは難しい。私の戸籍名つけた、名付け親はえらいと思う。最近3年ほど使ってなかったが。個性を隠すためにシンという名を使っていた。やはり、親のくれた名前がしっくり来る、自分らしく成りたいときは自分の本名が一番自分を取り戻しやすい。帰る場所みたいな・・・・。年齢を重ねるごとに、自分の名前の美しさがわかる。子どもの頃は普通と変わっていて嫌いだったけれど・・・・。なずけ親に感謝だ。
2005年04月26日
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色んな言葉で色んな事を話しても、この言葉に願いは全て置き換えられます。
2005年04月24日
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泡雪48年目にしてお初のオボロ(朧)月。今日は関東地方の東京近辺に住む泡雪が初めてオボロ月夜を見た。≪これこそオボロ月と納得した。≫君も見れるかな?空を眺める余裕の無い人は空に有っても見れないわけだ・・・・。先ほどブラジョン師匠から、宿題出された。提出!
2005年04月23日
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目的、と手段が逆になることは多い。をれはそれで、いいやって思うのだけれど・・・・。絵が書けなくて、日記を付け始めた。想起が自由に出来ないと絵は書けない。う~ん。日記を書いていたら直った。今年の1月2日。心理療法士になりたいなと思った。手段の1つとして、文章を勉強して物語を作ろうと思った。去年から、本を読み出している。さて、何か書こうかな?材料はある。が基礎が無い。書く内容、構成に躓いた。すると、なんてことは無い。絵の勉強は33歳過ぎてから始めたのだが・・・・やはり、基本は習って、いるので・・・・。最近お絵かきに嵌っている。服を着せてみると・・・・立てひざはお行儀悪いです~。おしゃれが台無し!左足マニキュア塗り忘れ~!
2005年04月22日
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最近は、村上春樹に嵌ってます。その外・・・。大好きな人が元気か気に成ります。そんな自分が大丈夫か?気に成ります。その時々の感情が新鮮で、生きていて良かったと思います。苦しい事も、悲しい事も。感じ方はいつも新鮮。飽きません。私は私に飽きません。退屈すると、死にたくなります。でも一瞬です。(滅多に退屈になりません。)良く眠ると、再び気に成ります。君は元気かい?って。最近は心配で眠れない時が有ります。何故心配なのか原因を考えると本を読むのが楽しくて眠れないのです。本を読んでどんな形にすれば伝わるか考える。でも、君はタフだと信じているのでハラハラはしません。原因が判るとぐっすり寝ます。泡は、考えるのが好きです。元気が無いと直したくなります。子どものままに≪純粋≫な君が好きだから。守る智慧を考える。トンネルを自力で越えてきた君を知っているから。丈夫に育て~!死ぬまで育て。新しく発見される君を見たいから。楽しみ楽しみ。
2005年04月17日
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マリ~ジョーブラジョンさんのお絵かき掲示板に久しぶりにマウスで絵を描いた。なんだか、良く出来たみたい。マリーさんが、日記に貼り付けてくれた。タイトル「光」マリーさんの詞が付けられました。冒頭の マリ~ジョー をクリックして飛んで見てください。
2005年04月05日
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暫く、日記の書き込みをやめる。死んだ訳ではないので、心配しないでね。日記と言う架空の世界で孤独から少し逃げ道を造っていたが・・・。いつか。どこかで、自分と向き合う切っ掛けと造らなくてはと思って居た。やばくなったら、又ここに逃げ込むのでそこのところヨロシク!思い出すことがあれば、メッセージ入れてください。メッセージのチェックはします。
2005年04月04日
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テラスのプランターに、赤・ピンク・白・紫。時期を少しずつ、ずらしながら、スミレの花が咲く。今咲いているのは、白。14輪。可憐ながら、かすかに爽やかな狂おしい香りを放っている。葉の形状が細長い物。ハート型の物。大きく分けると、2種類。ハート型の物は比較的、繁殖力が強いみたいだ。「泡雪」の名のスミレは、今年も再生が見られない。野生種ではなく、人口的な配合で作られたのかもしれない。生まれて、初めて、気を引かれた花はスミレだ。梅の花は当たり前に花びらが舞い、良い香りを放つが、花びら舞う、団体戦として、存在が繰り広げられる。桜に然りだ。花の単体は単純な形。生まれた家には2階に届くほど大きな梅の花が有ったが、玄関前の花壇の大きさ。庭と言う印象が無かった。4歳から、両親が亡くなるまで、木造の平屋には。30坪の家と20坪の庭が有った。登れる程のケヤキの木。庭には、雑多な、花の咲く木が野生化していた。足元には、スミレの花が群生していた。そのスミレの花。花の大きさが、5~7ミリほどしかなかった。自然の競争の中で、何時の頃かにか姿を消した。床上浸水を何度か経験している。他の、雑草に負けたのだろう。良く見ないと、それがスミレである事さえ、気が付かないほどの大きさ。その小ささと、花一輪の姿の完璧さに驚いた。姿が美しいのだ。小さな花なのに、5枚に別れてみえる内3下枚の白い花弁に紫の薄い線が書かれていた。5枚の振りをしているが、ツツジみたいに≪一枚の花弁≫で花の姿を作っているのだ。筒を腰に振り上げた様な複雑な花弁の形。首のかしげ方。葉とのバランス。種の房の形のよいこと・・・・・。野の花で、スミレほど、名の知れた花は無いと思う。タンポポのような人。と言うと、明るい。温かいというイメージがある。単純なイメージ。一輪が沢山の花の集合体だ。ひまわりの小型版?どこか類似が見られる。スミレのような人と言うと、どんなイメージが有るだろうか?清純・純粋・素直。そうした花言葉が有ったと思う。清純とか純粋。判っているようで、現実には判り辛い概念。清純と、潔癖はまったく別の物。純粋と、単純も違う。純粋蜂蜜は、純粋を巧く使った言葉の例。蜂蜜が純粋である為には・・・・。花蜜から多くの事を経験して、蜂蜜になる。純粋は単純とは相性が悪い。純粋は沢山の雑多な要素から、くみ出す物だ。変な話の落ちかただが・・・・。誰に見られることも無く。それでも、気高く完全なバランスを造る生き方をスミレの花を見ながら思う。じっさいのスミレの花を見ながら・・・・。日本のスミレだけでも、300種くらいあるらしい。葡萄の木の足元で。白いスミレが沢山咲き始めた。一輪一輪の原型が同じなのに、同じ種の群生の中にも、不細工完璧なバランスが有る事に、花の個体差が有って楽しい。花束にしても、綺麗ではないと感じる。昔は、切花で花屋で売っていた。色は、スミレにしかない色だと思う。青紫。すみれ色と言うと独特なイメージが有る。(実際にはいろんな色が有るが青紫はスミレの色の代表。)≪見る側が目を向けないと気が付かない一輪一輪の存在感。≫はじける種で増える。自分の周りから、徐々に群れを広げる。改良された園芸種の、パンジーやビオラ等から、花言葉の由来を感じる事は難しい。野のスミレはスミレ故に美しい。
2005年04月03日
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