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わたしは、普通出ない体験を多くした。色んな不可解な現象も知覚した。脳が処理した情報目に見えるもの等。疑った日には生きる術を失う。その私が、何とか正気を保てたのは・・・・。アインシュタインの言葉を信じていたからだ。私を救ったのは、聖書ではなくてキリストの聖霊も私を悩ました物の1つだ。不可解だから悩む。アインシュタインの言葉。神が万人に平等に与えたかの様に、思われている時間が唯一、不確定な物。それが全ての違いを生み出している。多次元宇宙。パラレルワールドもその中で包含される。時間が立てば心の痛みが消えるとか。振動・波動が収束するのも、時間が消耗される。時間の経緯でしか、空間は測れない。科学が好きな人と話すと楽しい。彼らは、何でも世の中起こりえるをしているから。事実を話す上に真偽を証明する必要が無い。その上で現在認識されている、常識的な見解を話す。例えば私が最初に認識した不思議。ガラスをハエが通過する確率。時間のはなしは、20代の時、アインシュタインについて知った事だ。一昨年から、去年は、主に、アインシュタインと量子力学の関連の本を学んだ。不可解な理論が、自然それなりに受け入れられるようになったときに。カルトの不可解な理屈を理解する人たちの気持ちが判るようになった。私の宗教は?って訊かれたら・・・・。わたしは、科学教だと答えるようなきがする。宗派は?アインシュタイン。
2005年05月28日
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イや~久々に。長時間起きていた。体を随分酷使したみたいで、眠った後、頭痛や全身筋肉痛を感じる。薬を飲まないと、眠れない私は体がオーバーヒートをしているのが気が付かなくなる。疲労しない体ではなくて、疲労のシグナルを感じにくい体。なのだ。眠ると体の求めに正常反応が起きる。起きた時、眼底が痛い。背中が筋肉痛。普段凝ってないので、筋肉痛と言う感覚になる。中学の頃、体操部に居て、全身の筋肉痛で毎日の練習が休めなかった。体を動かさないと、余計痛むので、眠る前。腹筋50回、背筋20回とか、自分なりのスケジュールを怠る事は無かった。高校一年で、段違い平行棒のけ上がりがどうしても出来なくて辞めた。長い間の筋肉痛と背中の凝りとお別れをした。それから肩の凝る事はしない。よくメッセの友達から、何処が病気かわからないと言われる。う~ん。私の場合は、説明しないと中々周囲の人も理解できないんだ。極端に言うと、普通の事が出来なくなる。心に、何か引っ掛かりが有ると、体が動かなくなる。意識が正常と異常とかではなくて、途方にくれてしまう。それで、良くその状況を抜ける為に色々考えるので、頭がよければ考えないでも判る事が、考えないと判らないのだよ。と説明する。だんだん自分の状態が把握出来てくると。極端に衰弱して、周りに迷惑をかけないで住むようになる。まず、自分に合った薬が見つかった事。薬で大脳の動きをブロックする。体が脳の支配から解放されて、疲労の為の休息を受け入れる準備する。知覚が正常に回復をする。私の場合、電気で言うとブレーカーが壊れている。ショートする前に普通は、ブレーカーが動いて(眠くなる)ショートを守る。この機能障害のお陰で、人間が本来必要なものが、物凄く良くわかる。不安とか、危機感とか、誰でも、本能的に感じる物。そうしたものへ、対処する為にストレスが起きる。ストレスは次の行動に際しての「構え」の姿勢で誰にでもある。そうして感じた物に、正常な反応対処するには、疲れてない頭の働きが必要になる。1・よく眠る事。2・必要な栄養素を取る。疲労時の起きた時に感じた、痛みなどは、体から栄養補給のシグナルだったりする。痛みに対して、1・まずは水分補給。2・排便3・必要な栄養素・(ビタミンの補充も含む)異常の3つをして、暫く様子をみる。痛みが和らいできたら、出来るだけ我慢をしたほうが良いと思う。体が、今頑張って回復している。体の修復を応援する。が、痛みが、苦痛なほど酷い場合。更なる疲労を生むので、初めて薬で和らげる。その場合、鎮痛剤の前にビタミン剤補給をお勧めする。それでも、収まらない我慢できない痛みに初めて鎮痛剤を使う。鎮痛剤も、消炎が必要な痛みと、神経を和らげる物。どちらが必要なのか、冷静な判断が居る。過剰なシグナルは衰弱を強める場合がある。殆どの場合は、自己回復機能を信じた方がよい。経口で無い形の補給。(点滴・注射)医療従事者は点滴や、注射の乱用に注意してほしい。身近に有りすぎる。ホルモン製剤。ビタミン剤。鎮痛剤。これらを薬で簡単に取ってしまうと、本来からだの持っている機能が狂う場合がある。(副腎皮質ホルモン・脳下垂体からの分泌ホルモン等。)乱用すると体がそれらのホルモンを作らなくなる。ビタミン剤などと思っている程度のもの。これらの乱用も気をつけるべきだ。基本は食事で取る。薬は必要に応じて適切(必要最低限)に取る。素人の薬の乱用は、必要な時に効かなくなる恐れが有る。特に、精神科の薬は乱用を避けるべきと思う。(私の場合、シナプスのレセプターの受容体が壊れていないので薬が使える。)麻薬常用者はレセプターがツルツルで、薬で抑えられない場合があるらしい。
2005年05月28日
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朝まで討論会が終わった。たくさん思うことが有ったが。ヨウサン五月蝿い。演説して、話をしない。(相手に伝えようという親切心が無い)でも最後に、ヨウサンは、怒っていると誰かが言ったので、ヨウサンが五月蝿い理由が判った。怒っている部分を最初に誰かが飲み込めば、話が次に行くのに・・・・。司会者。(最近名前を特に忘れる)田原だ。すぐ、話を簡単にしようと、みんなの口を押さえる。今日は、司会者まけかな?私の好きな、誰だっけ。え~と、何とかテツヤ宮崎哲弥。彼も、肝心なこと言おうとしても、田原が抑える。田原さんは自分の思う話に持って行こうとしすぎたのではないか。それぞれの問題が、団子のままになった。日本は団子好きだからな。靖国だって。小泉参拝がいけないのではなくて。戦犯とされた人を、一緒に後に入れたところからややこしくなった。これはこれ、それそれとしなくては。話は永久に、迷宮だ。ヨウサンの怒り方は。日本バッシングの中国デモの話し方に似てるし。黙って、自分を押し通す小泉もミンナミンナ人の話し聞いてない。お互いが何が問題か?例えば中国の学生や知識階級がデモをしているという。先日、香港のセレブをどこかの番組で見た。資産管理人ですねあれは。あれは、特権階級とコネのある人だという証拠だ。中国は資本主義ではない。修正社会主義。というのは、人知国家。その人が人の上に立つ構造は変わらない。すると必ず、政権交代の危機がくる。日本に敵意を向けているのは、ある種のガス抜き。不満を外資で入ってきた日本に向け居ているが、扇動されている。メシイの半分の人は。日本も同じだよ。テレビで誰かの意見を自分が考えたように、選択するだけで、考えてない頭の人が多い。半分は居る筈。以前私の好きな、明治神宮のおみくじで。あそこは、大吉・凶等は出ない。勿論小吉中吉もない。吉も(しつこいって?)有り難い、御言葉が戴ける。心に全て心に残っているが。今日思い出したのは。目明き千人、目利き千人。自分の良心に従って動きなさいという言葉。物事が何が有って動いているのか、判る人と、そうじゃない人が居る。半分半分居る。まあ。状況にあわせて、全て動かそうとする、小泉さんは手当たり次第って感じかな。自分の信念以外には目が行ってないな。良心は相手の立場を思いやると、色々深まるだろうな。面子ではなくて。信念一本やりで段取り悪いかな?良いところは、全てに対して同じだから。仕事が速い部分もある。逆に、動かなくなる事も有る。両方は無理だろうな・・・。世界的に、脱核資源。脱、軍事産業に行かないと。絶対、減価償却で、武器は使わなくては成らなくなるからな~。戦争で儲かるのは、平気?会社の景気だけだもんな~。次の開拓地は宇宙ですよね。(宇宙産業)何か仕事作らないと・・・・。テレビを見ていて。知らない事を知る。コメントはそれぞれだが・・・。アメリカと、北朝鮮は、未だ、停戦状態のまま。北朝鮮は、一寸タンマとアメリカに言われたまま、戦争状態の中に居る。日本だけ、戦後60年平和で戦後をいる。アメリカ餅を流している。何人の政治家が銃弾で倒れたか。その中で、パシュートオブハピネスをしている。自由も戦いながら勝ち得て来ている。日本は当時一番理想的な憲法を与えられた。未だに理解されない程、素晴らしい憲法だ。理想が非常に高い憲法。アメリカのどの州も実現して無いだろう素晴らしい憲法だ。セカイタイセン戦後60年この時代。偶々日本に生まれて良かったな~。イラクに居たら、真っ先に死んでたろうな。アメリカ?大丈夫だよ。ニコニコしていた普通(私もその口だ)と言っていた人たちがアメリカ兵のンンン倍死んだからな。最初フセイン立てたのアメリカなのにね~。いや~。この時代日本に生まれてよかったですね皆さん。目が開いてても、開いてなくても。自分が思った事でしか誰も行動出来ないからね。
2005年05月27日
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昨日、眠り損ねて、今日は、用が有って動いていたが、今晩は朝まで討論会が有るらしい。このところ、見てないので、見るつもり。テレビデオが壊れて久しい。DVDの置いてある部屋は、BSは自分で引いたが、地上波が接続が巧く出来てない。で、2日目の徹夜だ。薬を飲まないと眠れないとはこういうとき便利だ。でも、体の部分部分眠っているのかぽわ~と好きな人を思ってニヤニヤしてたりした。人が見たら気持ち悪いだろうな~と思いつつ。好きという感情は気持ちが良い。きっと、月も照れているんだな~。と馬鹿なことを思いつつ。藪蚊が頬を邪魔する。我に返って。目の悪いわたしは、双眼鏡を覗いてみた。目がね見たいに、度数が調節できるから良く見える。変な月。いつもより、ルクスが低いのか、黄色い。白い輝く月ではない。凹凸もはっきりしなくて、ツルとして見える。昔、太陽が変わっている感じがしたが。月は太古からそこに居ると聞いて安心した事が有る。月は、地球の分身だと聞いた事がある。月が変わったのなら、今居る地球が、前居た地球と少し違う事になる。今日は、時計が、動きをゆっくりにして。14時半までは、正常だったのに。暗くなって気が付いたら、19時なのに16時半までしか進んでなかった。時計の音はしているのに、不思議な気がした。一体今は何時だ?本当に朝まで討論会は今日か?昨日から眠ってないので、夜の進み方が遅い。あらら、10がつまらなくて、チャンネル回してたんだわ。月は右側がぼかしを入れたような翳り方。いつもの、白い光ではなくて、黄色い。何よりも私が2日も眠ってないのは、何よりも正確なな反応を狂わしている。君を思う夜は早い。楽しくって楽しくって。何よりも、私がこんなに好きな事独りで楽しめるのは君は私のアイドルだからだ。この非現実的な、楽しみ、いつか終わらせないと私駄目に成りそう。ニヤニヤ・・・・。家蚊が私にテレビ見ろという。(別に口効くわけじゃないが、ニヤニヤを邪魔する)
2005年05月27日
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最近は、イベントが無い限り、読書で一日が終わる。ベッドサイドの埃を取る事も忘れて。(忘れる為に?)読書をしながら、色んな事を思う。例えばパチンコ。パチンコは、出ないと沈み込んで出ると終わるまで退屈。どうでも良くなる。嵌っている人は出ても、無くなるまで日にちを変えてでもパチンコをし続ける。パチンコ屋に持ち込まれるお金はその中で回転して、経営者以外の人は持ち出す事は殆ど無い。画面の単純なストーリーに嵌っているのだ。そして、出てくる玉が実感を与える。(それは、長~い時間嵌れば、必ず予定された悦びでもある。)金銭を考えなければ、必ず与えられる喜び。現実生活の出来事は報われる事は約束されない。その間、画面の設定の、ストーリーを見ながら、一喜一憂のストーリー展開を楽しんでいるのだ。感情を自動的に動かされる事を買っているのだ。ワクワク感とか、ハラハラ感とか。読書に事を変えても同じ事。ストーリー展開で、自分で体験していない世界を味わっている。目で見ていないものに、感じた感想をあたかも自分の体験のように味わう。そんな作業の中で、ふと疑問にしたままで居た事が繋がる事がある。≪音は何処に消える?≫防音材とか、科学とかで、振動、波動の事は習っている。音も空気の振動が鼓膜に伝わって、脳が関知する事も知っている。しかし、音が何処に消える?という、全てが集合された結果のことについては、≪はてな≫状態で疑問のままに成っている事が有る。全ては、振動、命も振動。光も振動の波動を捕らえている。しかし、一番もとの状態は、静かな振動の無い状態。何かが振動を起こす。時間と共に、振動の無い状態に帰る。感動もまた。振動の無い状態に戻ろうとする。時間と共に、振動は基の振動の無い状態に戻る。それが、一番自然だからだ。永久運動は無い。インパクトと収束。音は何処に消える?空気の振動が収まった時。人の耳に届かない声は自ずと大きくなるのは、耳を貸さない人が音を吸収して振動を納めないからだ。というわけの判らない結論になった。音は空気の振動。振動は基の安定に戻る。だから音は消える。以前誰かと話していた時に、フィンランドはどうして自殺が多いか?と言う質問が有った。私は、どんな疑問にも答えを一応用意できると勘違いされている。取り敢えずは何でも感想は述べる。「う~ん。フィンランドは良く調べた事ないけれど軍事的に独立した経済圏の話だよね・・・・。社会福祉の充実した。」それは、恐らく≪不安の無い退屈≫の所為でしょう。≪退屈≫ほど死にたくなる要因は無いからね。振動の無い世界。退屈そうだ。
2005年05月25日
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振り返って、土曜の夜。久しぶりに月を見た。津という場所で。土日姉の友人宅に宿泊した。月曜に帰る。正確には、姉の仕事関係の妹夫婦で親しくなった家族。40代から東京を引き払ってイナカに隠居しはじめている。行きの車の中で、右腕の腱が痛いという話を姉にする。思うに、お絵かき掲示板に嵌って、マウスでお絵かきをした為と思われる。マウスで、線を描くのは結構大変だった。機能を使いこなすのも結構トライ&エラーで。曲線もポイントで繋ぐ機能ではなくて、マウス操作で結構自由に描ける様になった。マウスで描くのはやはり腕には無理が有ったようだ。それにしても、描かなくなって時間が経っている。腱鞘炎って話では聞いた事が有るが、実際痛い。ということを話していた。成ってみて、これがきっと腱鞘炎だ。と思う。鎮痛剤を飲む?ときかれたが、それ程でもないと答える。翌日曜の朝。痛みはかなり増して痛い痛いと言っていた。痛い場所は、いろんな人の肩こりを治すときに抑えるツボの場所。ツボが痛いときには、何処を押さえて良いかわからない。抑えていると、痛みは少ない。午前中の雅楽の発表会の時は、気が紛れたが痛いことは変わらなかった。11時半に予約した、美容院で美容師に「腱鞘炎って成った事ある?」と関心ごとは、腱鞘炎。「いや。良く美容師で手あれとか腱鞘炎とか有ると言うけれど・・・・。僕なら無いんですよね。」あれから、何ヶ月経ちました?8かっ月。約8センチ伸びたわけですね。みたいな会話をして。切り終えた後。不思議と、痛みが消えた。嘘みたいに痛みが無い。結構激しく痛んでいたのに・・・・。先日、アップしたロビーでの写真。胸元に怪しい丸い感じの歪みが映っている。何かに取り憑かれていた?(土曜日に姉が買ったばかりで、カメラの操作が巧く出来てないだけ。)な~んてね。しかし、髪を切ったら、嘘みたいに痛みが消えた。あれは、本当に腱鞘炎だったのだろうか?痛みだけは、他人には判らない。
2005年05月24日
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お友達の初発表会。結成半年。美容院行く前。最後の写真。
2005年05月22日
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友達の家の近くの美容師をご指名に。問題は家から遠い。車で、5時間かかる。津と言う場所だ。やっと来れた。2005年 5月 22日の泡雪。無料ホームページ
2005年05月22日
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泡雪48歳。初老を迎える。最近、生まれて初めて、オバちゃんといわれる。面識の無い人だが・・・・。う~ん。若い日を振り返る。今から、15年ほど前。メキシコのマリアアッジ広場で。姉二人と、甥と姪。そして、私。5人のツアー。わたしは、良く少しだけ群れを離れて行動する。見える範囲。どうも集団から仲間はずれは嫌だが、団子で居るのが疲れる。すると、二人の少年が、姉達の群れに姉と姪にバラを渡し、わたしの方に二人でやってきて、恭しく礼をして、バラを差し出した。私は、サンキュウーを言って、受け取り。逃げ出してしまった。物凄く照れくさかった。メキシコは、かなり貧しい国。信号で止まっている車に、水をかけ、雑巾で拭いて、チップを強請る。それほどにまで子ども達が、食べる為に必死にお金を探す国だった。赤いバラ。決して安い物ではない。私に話しかける、切っ掛けの為に、姉達や姪の分の用意して、話しかけて来のに・・・・。わたしは、英語しか話せない。ラテン語はポキットも出来ない。手渡されたバラの重みと。言葉の出来ない心苦しさで、群れの中に逃げ戻った。33歳にして、私の髪は未だ腰に近い長さを保っていた。翌年、中国に留学した時、着物を着た十代の日本人留学生役のエキストラさせられたのだから、人の見る目は当てにならない。(全ては長かった髪のせいのようだ。)私が子どもの頃。小学校4年か5年の頃。親の言われて、民芸の芝居を見に行った。席は、増設された折り畳みの席だった。偶然後ろの席に、奥村何某と言う(名前の記憶も定かではない)、往年の女優が座った。ほんとに偶然なのだが、芸能人に興味の無い私の唯一興味の有った年配女優だった。わたしは、一言言葉を掛けたかった。持っていたみかんを、振り返って、どうぞと差し出した。彼女は快く受け取ってくれた。そして、みかんを手渡した2週間後。私はテレビで、その女優が亡くなったことを知る。涙が毀れた。異国の地で、渡されたたった一本の薔薇。姉達は、全ての薔薇を私に手渡した。(姉達にとっても見ていて微笑ましかったようだ。)彼ら二人の目に私はどう映ったのか?私の知るところではない。人生に意味も無く、脈絡も無い偶然めぐり合う一瞬、心に残っている。少年達の胸にも残っているだろうか?(二人には気持ちを表現する勇気の記念だったと思う。)
2005年05月19日
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テラスから、見える、切り取られた夜空に。月が見えなくなって、一週間は経つ。星も宵金星らしきもの1つしか見えない。今日は、その金星も姿を消している。薄闇の空に・・・。白くぼんやり雲が流れて。私の知る、星のある、月のある夜空は何処に行った?宅急便を送る連絡を受けた翌日。宅配は来ない。月曜に一時に電話すると言った知り合いの人とも連絡が途絶える。唯一、楽天の日記だけが時を進める。おお~い。宅配業者。私の用のある筈の知人君達は違う惑星に居るのかい?連絡待つ。西の方に金星らしき物発見。昼の空に月を探してみよう。今日は雲の上に太陽が有って、空気が黄色かったな・・・。水、金、地、火木・土天・海王星・冥王星。太陽に近い金星だけが見える夜空・・・。
2005年05月18日
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伝達に於いて、伝達する人の解釈によって、違う感覚の物が混ざっている事がある。親が子どもに行う体罰が、必ずしも教育的な目的で無い場合もある。それは、従わせる為の調教としてだけの機能で使う。親の苛立ち等感情的な側面でつかわれた場合だ。スパルタの場合、ある程度仕方のルールがある。昔なら、親から打たれる、叱責を受ける。土蔵に入れられる。そうした行為によって、父権や強いものに、無条件で従う。言う事を聞く。上下の関係性に屈する為の調教に使われた場合。良い結果を齎すとは限らない。先日ヨットスクールの会で、既に在るお蔵入り映画の公開手段の事が、議題に上がった。その事で、尽力した人の話では、著作権の金銭の問題とプロモートの問題がごっちゃに成っていた。公開する目的。と、お金の保証。プロモートの問題が。3者三つ巴に成っていた。私は、その会の内容すら知らないで、参加しているので。その論理展開の矛盾。それと、会の主催者側の不都合な点、と可能な事がはっきりしていた。。会とは関係の無い、プロモートの連れて来られた方は、行き違いを理解した。その話を纏めようとした人間の利害のすり替えを私が指摘してしまった。「君は、映画を見ていないのに、映画の価値が判らない、黙っていろ。」とまで、言われたが。映画は内容を見てから買うものではないから、見る前に見る気に成らないと買わない。プロモートの方法と著作権を誰が補償するか。二つの問題は別に考えるべきだ。「黙っていろ」と言われても、言うべき事は言う。私のように、立場のない人間は発言する事が怖くない。感じた事は、言っても、損なわれる体面はもとより無い。会の自己紹介で、「精神病障害」である事は表明している。帰り道同じ方向の一緒の人がいた。この人物と話していて、気が付いた事が在った。躾け仕置きという体罰か虐待を受けた人だ。と感じた。虐待と体罰の区別は難しい。体罰の使い方を間違えると調教になる。相手を打つことばかりが体罰ではない。転覆しやすいヨットの仕掛けの話。伝達者からヨットに仕込まれた悪意を感じ取ってしまった。ヨットは転覆しやすいように加工されているという。這い上がろうという自分で生きる必死さを覚えるという。「それって怖いな。わたしは、5歳の時溺れかけたから。」「でも、必死で生きる事を覚えたでしょ?」「いいえ。私は足掻く事もしらず水中を見てました。沖に私の乗せて行ってボートを転覆させた兄が海中から拾い上げました。」費用の関係で今はウインドサーフボードを使っているらしい。「貴方はボートの体験者ですか?」「違います。」子どもの頃の、その人が親から受けたの仕置きの話を聞いた。彼は、その仕置きを誇りに思っている。「でも仕置きの後のケアが有ったでしょ?」「それはよく判らない。でも親に従っていればよい事をがあると覚えた。」「それって、強い者には巻かれろみたいな無批判にならない?」「その逆もある。」「それって、自分が強い立場に成って従わせようと思うこと?軍隊っぽくない?」私は少し息を抜いて、「貴方お子さんは居る?」「君は今僕をあざ笑った。あざ笑った状態で話せる問題じゃない。」「はぁ?私は別にあざ笑ってませんよ。」「単にお子さんは居るのか?子どもに対してどうなのか?と関心の方向が変わっただけです。」「居ますよ。6歳です。」「この場面であざ笑らわれたと感じる方が変じゃないですか?あざ笑われるような内容の話をしてないじゃありませんか?」「貴方は僕の受け止め方方が変だと言った。君とは建設的な話が出来ない。丁度駅に着いたし・・・。君とは話せない」笑顔から、受けるサインは色々有るみたいだ。あざ笑うといわれた事は生まれて初めてだ。私はもとより「あざ笑う」感覚がわからない。私には、立場が特殊すぎて上下の比較が無いからだ。私をあざ笑っている人が居る事こそ想定できる。がわたしはきっとそれを気が付かないだろう。笑うポイントが理解できないからだ。その人物とは親睦会の後。帰り際皆がが思ったことを事を代弁してくれて有難うと礼を言われた事から会話が始まった。帰り道が偶然一緒だった。赤坂から、渋谷の間に、既に会話が緊張した。何も知らない人に、「戸塚は傷害致死では無い」という一方的な論理展開では、聞く人の耳を塞ぐ。基準は見る立場で移り変わるからだ。既に下りた判決で事故の責任で現在服役中。問題は、そうした事故が何故起きたかを考えなくてはと話したのだ。「既に、考えられてる。」「でもその事を、知る人は少ないでしょ?」と言う話を彼は受け入れなかった。「僕はスポークスマンじゃないから」渋谷駅で、私は切符を買いに行ったこのまま話を続けるなら、待っています。嫌なら分かれましょ。と彼は言い出した。私は、「これからお会いする事もあまり無いでしょうから、せっかくだから一緒に帰りましょ。」と待ってもらう事に。一般の人は、時代も過ぎてヨットスクールが現存している事を知らない。ヨットスクールの教育機関の存在理由を感じ、必要を感じている人が主催者本体のようだ。スクールの卒業生の親。戸塚広の友人達だ。応援者はヨットスクールと関係の無い要素で擁護する会に参加している人も居る。体罰を受けた子どもは自分が愛されたと信じたい。それ故、体罰を受ける事を必要に囚われる。スパルタは1つの手段。体罰が有効なのは小学校までだ。それ以上は腕力抗争に成ってしまう。それ以上の年代に成ると手に負えなくて道具が使われる。家出の時は竹で打たれた。中2の時だ。家出の理由を言わなかったからだ。私は痛みには屈しない。竹のほうが折れた。それ以後、体罰を受けた事は無い。兄弟との取っ組み合いは有った。三つ上の姉から噛み付かれた歯型が2年消えなかった。私の兄弟の中でも、兄と私は、一緒に悪事を働くから、打たれた数は多い。どちらが多く打たれたか、回数を自慢しあった。そこには何がいけないのかしっかりした教えの元がある。他の兄弟が受けてない事で、あたしだけ受けた仕置きがある。右手の人差し指に煙草の焼けどの跡がある。これは、5歳の時マッチで火遊びをした事のへ戒めだ。他の人で、同じ場所に火傷の人を見た事がある。その人は、家の中で、花火を上げた。線香で同じ場所に火傷の跡が残っている。痛みの加減の取得は遊びでも出来る。体罰に限らない。最近の子どもは、「シッペごっこ」とか「牛殺し」等しないのだろうか?わたしは、体罰は必ずしも必要だとは思わない。事に拠っては、必要だと思う。親の虫の居所が悪くて体罰されたのではかなわん。卑屈になりそうだ。手段に執着するのは危険だなと思った。
2005年05月14日
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愛する事。憎む事。この感情は裏腹の関係に有る訳ではない。独立した別の感情。だと思う。ただ、二つの感情が同じ相手に抱く事は有り得る。どちらも、囚われて居る状態には違いが無い。どちらも、身体的な苦しみににた感覚が起きる。ただ同じ苦しみでも、苦しい快楽。辛い不快感。の違いが有る。恨みを抱く時。切っ掛けに成るのは「怒り」。愛が感じない相手にも怒りを感る。脱線事故。オーム被害者。天災体験者。相手が居ない場合も怒りは存在し、憎しみの感情は起きる。愛の感情は持続する憎しみの感情を追い払う事は有っても。愛が憎しみに変わる事は無い。憎しみが、愛を追い払う事が有るとしたら。それは、愛ではなくて一過性の好感だとおもう。愛の感情に出会うことは憎しみに出会うことより難しい。ただ多くの人は、子どもの頃、親から愛された事により愛の記憶が有る。両親が愛の感情を知らない人なら。生まれながら、愛されていなかった人がいてもおかしくは無い。戦後の一夫一婦制の結婚は。キリスト教の影響を大きく受けている。男女の平等も。しかし、愛ラブという言葉の概念は、キリストが専売特許(キリストから発生している概念を知らない人は多い)のみたいだがその本体の意識は、キリスト教だけのものではない。≪宗教を超えた存在≫だ。「愛」という言葉が同一の≪意識≫を示して居る事を知らない場合も有り得る。一夫一婦制の結婚制度は愛がある両親の基では巧く機能するが。残念ながら、愛という感情を知らない人たちの間では現在の結婚制度が足かせ手かせに成ってしまう。キリスト教では愛の感情を知らない人を。生まれながらの人。自然な人と言う。愛は、人間として生まれながらに備わっている本能ではない。体験的学習で知る。愛と言う言葉。これは、明治?の時代、ローマ系の普及された聖書の翻訳の時。輸入された、言葉。中国から「愛」の漢字を輸入したのは、それほど昔の事ではない。140年かくらい前ではないだろうか?中国語の「愛」と言う字を輸入した時に。その概念を日本に植えつける時。敬愛・慈愛・友愛など漢字学者が8つの文字を愛の上に載せたらしい。それらすべての働きをあわせたものが愛という意識だ。ただ。言葉を、言霊として独立した物かの様に言う人が居るが。既に在る意識に対して、呼び起こすサインとして言葉がある。汝隣人を愛せよと百万回唱えても、サインは発動されるわけではない。日本の人で「愛」と言う言葉を知らない人は一人も居ない。しかし、「愛」と言う≪意識体≫を知らない人、知る人は数える事が難しい。地球規模で考えて多く見積もっても知る人は3割では無いかと思う。キリスト教徒が全て知るわけでもない。生殖機能で生まれる本能的なものでは無いと言うことだ。宗教本を読んでも知ることはない。 生きた体験の中から、身に備わってはじめて愛を知るようになる。親が愛の有る人だからといって、子どもに遺伝する物ではない。愛が無くても、子どもは生まれる。子は親から与えられた愛の記憶を頼りに自らも愛のを追うものと成る。愛の有る両親の基に生まれても違いが判るだけで、生まれながらに愛を知る人ではない。言葉は概念を伝える道具でしかない。実感は自分で体験するしかない。もし神を見たければ、全ての教義的な宗教本から離れろと私は言いたい。人と人との間に神は存在するからだ。神を愛と言い換えても同じ事だ。見た事の無い人は、その言葉が何を指すか知ることは無い。
2005年05月13日
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奄美事件を検索したら、時代の違う戸塚ヨットスクールに行き着いてしまった。体罰か虐待かの問題だった。奄美事件は、病院の職員が患者を木に縛りつけた事件で、年代がかなりあと。どうして、そんな検索の結果が出るのか不思議で。赤坂は近いので、散歩がてらセミナーに参加した。少し感じたのは、支援する人達の中には自分の論理の展開に固執してしまう、人もいた。外部の人間には通用しない説得方法になっている。怒りや情熱は人を疎ませる。冷静に中立な視線で話せる必要がある。応援者に多い反応なのだ。実際関わっている。卒業生の親、友人、会の運営者はそんな事は無い。応援に入った人の思い入れが、主催者と違った要因を抱えて参加する事に起因するみたいだ。それぞれの立場で1つの内容の用件が団子になってしまう。同じ意志で集まった人たちに有り勝ちな客観性を否定する応援者が増えるのは、ある意味危険な気がした。主催者は、1ヨットスクールの再教育の理念の保護。 2戸塚広の応援。(判決に不服。) 2・に応援者と主催者の隔たりがある。2・A応援の仕方が、司法の有り方に反対の為に参加した人。(名誉の回復に拘る)2・B不服な部分に対して、そう見られてしまう判決に客観性を持って過失であれ傷害であろうが服役完了後の応援をしどうすれば他人誤解を解けるか考える。行為目的は傷害する事ではないと言う理解を求める。この二つは似ている様でこの二つの拘りは大きく違う。自ずと同じ事を言うにも論点が変わってくる。先を見ているか、後ろを見ているか位の違いは有る。司法の判決に対する不服は業務過失か傷害致死かの視点の違いらしい。体罰・虐待で興味をもって行ったが。更に、問題は個人では体罰だろうが虐待だろうが殺したら傷害致死だ。個体差の差別化をしなかった事から起きた事故の模様。問題は行為が業務過失だったのか? 傷害致死かというもう1つの論争があるようだ。法は双方に渡された喧嘩の道具。どっちが正しいかは、神のみしか知らない。正義は立場で見え方の変わるものだ。ただ。精神機能障害には無効だが。(鬱病・統合失調症はクスリが有効)心の病なら、ヨットスクールの指導はかなり有効な一手段ではあるとおもう。心の病全てにこの方法が効くかと言うと一概には言えない。躾けと言う意味では、体に戒めを加える必要が有るので体罰は必要だ。私の体には寸止めの躾けが施されている。(ボクシングは無理)心の病は、薬では治らないから。
2005年05月12日
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アパートの大家に支払いにいく。最近は、銀行振り込みばやりで、大家との面識が無いところが多い。お互いを干渉しない。それが都会の風潮だ。しかし、私の場合。障害を抱えているので、周りに理解していてもらった方が楽だ。だから、必ず顔を出す。両親が亡くなっているので、周りに何かの時に、助けてもらわなくてはならない。夏みかん花の香りがする。「もう一ヶ月たった?」「ほ~んと、私週一回くらい出ないから。」(大げさだ2回は出ている)「じゃ、4回出たら、一ヶ月だ~。」 「ホーンと早いですよね。私達が実際生きている時間と、太陽の回り方の速度あってませんよね。」「ほんとに、あっという間よね。」「みかんの花、香りますね。大好きです。」「少し持って行く?早々カクテル(バラの種類)も持って行くと、玄関先から庭に遊びに入る。」「いい。はかなげな花は、枝についている方が長持ちするから。」「これも香るわよ。」「でもいい」どうぞ中に入って。「前いらっしゃらない時、中覗かせて貰いました。金柑摘んでいきました。」「アラごめんなさい。」「今回ではなくて、前回の時です。」「今年はこぼれダネで、これだけしか成らなかった。」カモミール、少し首が折れていた。「あ・ピーターラビットの、生えているのははじめて見た。ここ折れてる。」「ならそこから、お持ちなさい」「お茶にしますね。」「これも入れたら?」とべりーの若葉を摘む。バシバシ摘み。「そんな摘んだら伸びなくなりますよ。」と奥さんを嗜める。ローズマリー・タイム・ミント。お茶に入れられそうな生葉を左手一杯貰った。アップルミントは私も持っているが、オレンジミントが新しい。それに、プランターではない庭の方が沢山有る。オレガノ・芹・山椒の芽。金柑の枝。手に一杯に成って、袋を用意してくれた。芹とか、金柑の枝など。料理のものと、枝のはっきりした物を入れる。左手に集めた、ハーブティは左手のままにした。右手の金柑の実を袋に入れるよう促されたが、バックに入れようかポケットか躊躇したが、バックは一杯、ポケットの無い服を着ていた。末に右手から金柑の実を芹などを入れた袋に離した。それを見ていて、「今すぐに口に入れたかったんでしょ?」「エッっ?判りました?」「うん。何となく。」お付き合いしていただいて、もう3年近くなる。最初は、振込みにしていたが、大家がアパートの真ん前なので、銀行手続きより、楽と、隣のヘルパー付きのおばあさんの家に招かれた時に聞いた。今。私にとって、付き一の日払い日が楽しみだ。お互いの顔を見て、今現在の状態をお互い確認し会う。最後に、赤い、ゼラニューム、月見草の花、みかんの花。斑入りのツタの葉を切ってくれた。大型の賃貸アパートでは煩わしくて、無理だけれど。幸いこの大家は奥さんが専業主婦。更新の手続きの時、契約時の不動産会社が夜逃げして、新しい仲介の不動産屋で、不愉快な思いをしたとき。泣きつく事が出来たのは、普段の顔つなぎだ。不動産屋を通さず、簡易裁判所で書類制作して大家との直接取引きにしてくれた。一日5000通のメールを処理する事が仕事だと、豪語する人。そこには、紙のお金と、時間が動くだけで、実質的に何も生み出していないのだ。人と人が関わって、初めて何かが生まれる。例えお金の数字に表れなくても。そうそう。よる。7時半ごろ、東南方向の空に、唯1つ光る星発見。珍しく双眼鏡を覗くと・・・・。小さな星の集団のように見えた。宇宙の本でで、読んだ、銀河系全ての総体の形にに見えた。その本に拠ると、銀河は宇宙全体では人の形ダビンチの人体図のように配置されている。ほんまかいな?洗面所の鏡の前から、部屋中にみかんの花が香っている。
2005年05月10日
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生きていると、色んな物をみる。ハエって・・・。汚いイメージが有った。テラスのくたびれたシクラメンの花びらに。ハエが泊まって居る。珍しいと思った。ハエって、小さな生ごみに偶に有るハエしか見ない。良く見ると・・・。銀バエならず。緑のハエだ。玉虫色に輝いている。形はハエだが、緑のメタリックな色。手も掏っていない。目が赤で、体が緑、足が黒。綺麗なので、捕獲しようかと思ったが。そんなもの、大事に取っておける訳も無く放置。近くに覗き込んでも飛び立たない。こんな珍しい綺麗なハエは、誰も叩く気に成らないのだろうか?危険な目に会った事無い顔して、身動き1つせず、じっとしている。世の中未だ見た事の無い知らない事が身近にたくさん有る。
2005年05月10日
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よく、目が綺麗だと言われることが多い。目の星キラキラさせて・・・。って。誰でもそうだろうと思って居たので、何言うだ~?と思って居た。先日、朝まで女お子と話していた。彼女から、知り合いになる前、何度か挨拶をされたが・・・・。私は同じ人だと思って居なかった。「いや~。前セブンイレブンで女の子にイキナリ挨拶されてね・・・・。」「あ!それ私です。」「エッ?」彼女には顔が無かった。その場面で顔が変わって、彼女本来の顔の印象が無かった。私は目が良い方ではない。普段は裸眼。最近の検査では両目で0.5らしい。顔の造作より、雰囲気、意識の有り様が認識に残る。朝まで話す間に、彼女の本来の顔。賢そうな顔。変わる事無い彼女自身の表情が見えてきた。そして・・・・・。瞳に光を宿していた。瞳の光は、光線の関係だと、単純に思って居たが・・・・。心の窓って、瞳の光の事?って最近思う。
2005年05月09日
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これは、亡き継母の銭湯での出来事だ。父が亡くなる前に、帰るべき場所として体の不自由でも入れるマンションを購入した。両親の住む家は、一階が診察室と食堂。二階が寝室で、半身不随の父には帰れる場所ではなかった。外泊時には、ホテルを利用していた。一番便利だったのは、ラブホテルだったと言う。浴槽が半身不随の父の介護に便利だった。シティーホテルに模したラブホテルには、レストランが有って、家族はそこで団欒を持つ事が多かった。新しいマンションに父は、入る事無く。私の胸に倒れこんで入院先で他界した。最後を見取ったのは、最愛の妻ではなく。私だった。しかし。断末魔を継母に見せる事無くてよかったと思っている。死に際を見ながら思った事は最後は生前一番多く、した表情で死ぬものだな・・と思った。マンションには風呂があったが、継母は、一度も風呂を使った事が無かった。マンションの前に銭湯が有った。銭湯は気持ちがいい。広い浴槽と蒸気で家庭風呂より綺麗に成れる。銭湯仲間に、知的障害の女の子が居た。彼女は継母に会うと世間話をしていた。「おばさん。これ新しく買ったの・・・。」と新しく買った洋服を見せた。継母は、「どうして、もう少しお金を足してよい物を買わないの?」と尋ねた。両親も生活保護者で、彼女はお弁当のきんぴらの千切りを作る仕事をしていた。暑い夏も、寒い冬も。ひたすら、水を使い、ごぼうを刻み続けるのだ。「オバちゃん。給料が7万でこれ以上のものが買えないんだよ。」と答えた。継母は少し考えて・・・・。「ごぼうの千切りを朝から晩まで、刻める人は中々居ないんだよ。」と彼女のスペシャリティを評価して。「雇い主から給料を受け取る時に、『これじゃ、甲斐がない。』といって御覧なさい。」と入れ智慧した。ある時。「オバちゃん。言って見るもんだね。2万給料が上がった。有難う。」智慧遅れの彼女は、自分で考える能力は無い。継母はどうすれば、彼女の問題が解決するか考えた。彼女の恵みは、それを素直に実行する能力が有ったこと。愛とかシンクロとか概念で伝える段階より、どうしたら、問題解決できるか、一緒に考える仲間を作ろう。コミュニケーションの取り方の判らない人は、問題解決が下手だ。頭の足りない分はコミュニケーションで他人から智慧を交換し合おう。ギブアンドテイクの関係ばかりではなく、ギブ安堵、ギブの関係も有る。助けてくれた誰かも又、誰かに助けられている人なのだ。
2005年05月05日
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昨日、よる。アパートで、初談合。就職活動のこと。就職活動のポイントはここでは書けない。言えることはどこでも良いと思うな。まずは自分を知れ。少女から女遍歴。そして、自分への回帰への道標。誰でも良い女?から自分が探す相手へ・・・・。自分への回帰プロジェクト開始。損なった自分を取り戻せ!迷い込んだ枯れた森は焼き払え。森林伐採?ではない。自分の居た大草原へ進路の面舵をとる。まずは2年間の意思的男断ち。(24歳まで。)禊。・孤独と向き合う。・孤独は大切な鏡。どうでも良いもので埋めてしまわないように。・孤独のクモリ・垢を落とす。目標。興味ではなくて、初恋に出会うこと。注意事項。初恋に人とは寝てはイケナイ。明け方、22歳の就職ターゲットが見えてきた。その業界はわたしが今したい世界とどこかリンクしている。そりゃそうだ・・・・・多摩美大だもの・・・。IT産業は不自然。ツールに行ってどうする。今朝、日記にログインすると、ねじまき鳥、村上春樹の本の紹介されたぶログにトラックバックされていた・・・・。繋がっている・・・・。君は誰?
2005年05月05日
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4月30日。180×80センチの鏡が部屋に運び込まれた。姉が買ってくれた。私が座る位置の、左側に立てかけた。照らすから一直線の長さが広くなった。彼女は私の部屋を見つけそこから帰ってきた。昔、寝ようとしたとき、私の腕を掴んだのは彼女だと思う。過去の時間に取り残されていた私。ここの土地は少し空間の歪みがある。2年ほど前一部の空間を閉じた。時間の壁が何重にも成って居るのを見たのは、20年ほど前だ。その時、父は私に笑い掛けていた私の手を取って。姉は、母に泣きながら、しきりに何かを訴えていた。恐らく、時間の壁の事。父は知っている人だったと思う。姉と私との間に幾重もの、空気の断層が見えた。私は驚いて、父の目を見た。父が17回忌の時に、叔父が、我が家のルーツを話してくれた。そして、叔父も又父は、今ここには居ないけれど別の世界で生きている事を信じていると言っていた。だから、死んだから、今見えないからと言って、父の恥じる真似はしない。他人には誠実で居たい。お金で済まない事に神経を配りたい。17歳の時、大人を舐めていた私にある朝。本を逆さ手にしながら・・・。目に沢山の涙を浮かべて・・・。「ママは騙せても、パパは騙せないよ。」と一言、言われた事が堪えている。色々な偶然。色々な事が繋がっている。そして、幾重もの時間の壁。それは、運命の扉は、自分で開く物で1つに定まった物ではない事。みんなが言う≪必然≫は無いのだ。沢山の偶然の中で。タイミングを選ぶのは自分だ。
2005年05月03日
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彼女が戻ってきた。13歳前の私だ。未だ慣れてなくてどう付き合って良いか判らない。私は彼女の中に、含まれていくのか。彼女が私の中に含まれていくのか・・・・。昨日の眠りは、激しく鼾をかいた。単純な眠りで、夢のマトリックスには入らなかった。余程、疲れていたみたいだ。離婚後、この薬に出会うまで、沢山の薬を試した。その間。かなり鼾をかいていた。ボーイフレンド達は共に居なくては成らない時は耳栓を用意したほどだ。自宅へ帰りつく前に、知り合いの家に居候していた頃の事だ。他人と一緒に暮らすのは性的な要素は非常に少ない。離婚はしたけれど、帰る家が無いと言う事で一時置いてもらった。私の場合不安定な時は性的な能力は殆ど無い。添い寝友達だ。勿論一人の部屋も確保できるが・・・。不安な時は添い寝が一番効く。私は男は≪ケダモノ≫では無い事を知っている。お互いが一緒に居るメリットの方が重視される。男でも女でも余り関係ない。家族にはビックリされたが、お陰で息子が立ち直ったと感謝される事が多い。「何だか幸せだな。息子(娘)に悪い気がする・・・。」そう言う言葉が出てきたときが別れ時。私は幸せを感じていない。男性として相手を愛していない。居場所が無いから居た。いつの時も別れは辛い。男でも女でも。そこには人としての情が有る。そう言う職業になったら?と言われる。私は相手の傷は判らない。相手が勝手に直る。恐らく私の場合相手の心と向き合う能力が有るのだと言われる・・・。身が持たない。職業にするには、経済的に合わないと思う。一人の時は、皆どこか傷ついている。対話が大切なのだ。普通の生活にはパートナーが必要なのだ。普通の生活をしていると大抵は直る。傷が癒えてその後再婚をした。逆算すると一年ほど、2件放浪して実家に引き取ってもらった。家出すると敷居が高い。今でも客人が来ると、姉の部屋に泊まる。鼾は酷いか?と聞くと、何ヶ月かに数日そんな日があるね。と言われる。薬の量が同じでも強く感じる時は鼾をかく。自分もそれで目を覚ます。話は私の中の少女に戻る。本を読んでいた気が付いたのは、私は男の友達が多い。女性の性は自分の事しか知らない。一般を知らないのだ。丁度成長期に意識の乖離が起きた為か女友達と話をしなかった。私は普通を違うと感じていた。男兄弟と仲が良かったので、男の子とは余り意識しないで話していた。人間として向き合う術を知っている。意識では男性の性の方が理解しやすい。そこで、女の友達に電話をする。あのね。わたしあまり女の人の事判ってないみたい。誰に聞こうかと思って身近な貴方に電話したのだけれど・・・・。21歳か2歳の女性。もしもし今どこに居る?うん。今湘南の実家。明日、学校で餃子を食べる会が有るから、8時ごろになると思う。じゃ。その時間アパートで落ち合おう。≪私は私の中の少女を育て始める。≫あ~それと、私の年取る勇気をくれた美しい18歳年上の女性。彼女は今66くらいだな・・・・。生きているかな?久々に会いたいな。
2005年05月03日
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子どもの頃に、読んだ本で印象深い「タイトル」だ。真夜中に鴉が鳴く事は、この土地では珍しくない。只、5月1日の未明。残念ながら、鳥の鳴き声の種類が判らないが・・・・。真夜中に小鳥のさえずりが、夜空を響き渡っていた。朝には遠く、夜中を遥かに過ぎた時刻。私が遠くに伸びていた私の意識を切り離すべく儀式的なメールを送った日の夜だ。実際言葉で繋げた物は言葉で切るしかない。少しサディスティックで暴力的な内容で精神の柔らかい部分を痛めつける。その言葉が本質的にその人を傷つける事は無い様祈りながら。真夜中に鳥が鳴いた。事実をここにメモとして残す。その鳥は、春を告げていた。カム・リーベルマイ・ウント・マッハ。ディ・ヴォイメ・ビィーデル・グリーン。~ ~ ~アイ・マイ・スパツィーレン・ギーン。
2005年05月02日
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子どもの頃。わたしは、大人に成るには、年を取れば自然と大人になり、人間を草花のように考えていた。実際の所、関わる時間,クリアする時間は違っていて、実際体験して感情の整理を頭で処理できるようになら無いと成長しない。怒り。が最初の課題。哀愁。喜び・楽が一番扱いにくいかも・・・。恋愛はそうした出来事とかけ離れているのか?恋愛は、唯一他人との心を触れる最初の手段かもしれない。怒り、哀愁は相手を選ばない。つまり、恋愛経験の有無は人の成長と関わる。ある程度、人間が成長すると、男女の身体的な特徴は成人となり、20歳年下でも、肉体的には男性の体として、成長しているので、子どもを相手にしている感じはしない。しかし決定的に違うのは、精神年齢。物事の理解度。味わいの深さだ。事実認識ではない。身体的な特徴にも刻まれた記憶が微妙なラインに見える。子どもの意識はこれを理解できない。最近親しい女性で22歳の子がいる。彼女は、1月に片思いから両思いになって付き合った。が、4ヶ月で身辺整理をする事に、半同棲状態に成って、相手と相性が悪い事がわかった。体にも、心にも悪い相性と言っていた。しかし、人は自分に無いもので、惹かれることが多いから。才気溢れた女性が凡庸な人に惹かれることがある。彼の特徴は凡庸さだ。今の住居を清算して実家に帰る事に。途中、何度か話をした。色んなところで食い違う。特に性意識。彼女の頭は科学的だ。性的な衝動と、恋愛感情による抱擁と完全に分かれている。性衝動については、自分で処理してしまうのだ。すると、男性側が、「僕は要らないの?」と質の違う問題が帰ってくる。性欲と愛情と混同した男性は、凡庸さから抜け出す事は無い。貴方も、トイレで勝手に処理して。というと相手は困惑したらしい。感情が伴わない性交渉は精神には不毛どころか消耗が起きる。男性の性的な処理は誰もが知っているが、女性もまた、性衝動が有る。女性自身も、このメカニズムがわかってない人が多く、男性問題で振り回される。生理の周期に伴って、かなりこの衝動に悩まされる事がある。エロビデオで見るようなオナニーシーンとは、かけ離れた物。恐らく男性と大して違いは無い方法だ。色っぽくもなんとも無い。単なる処理だ。その行為をリセットと彼女は言う。同感だ。頭を真っ白にショートさせる。私の場合は、夢のマトリックスに入るようになってから悩まされてない。殆ど、男性の夢精に当るのかもしれないが、見る夢も人さまざま。薬を使うようになって、その世界に自由に行ける様に成った。起きている時の顕在意識を簡単に眠らせる事が出来るからだ。この半年現実に存在するだろう人の意識に、ロックされて好きという感情に置き換えられて、夢のマトリックスに入れないでいた。好きという感情こそ性衝動ではない情欲が発動される。欲求不満が高まったしまった。偶然手にした、村上春樹の本で、「意識の娼婦」の話が出てくる。多くの人は、意識と言う存在をコントロールできないのかもしれないが・・・。彼の描く世界と、私の「夢のマトリックス」は酷似している。性的な世界の話ではない。夢のマトリックスにおける世界の見え方だ。夢のマトリックスでは、私は未だ少女で周りの男性たちに成長を助けてもらっている。私の居場所は娼婦館ではない。最近何処から、私の意識が相手の意識にロックされていた部分が見つかって。私の意識は私の中に戻ってきた。触手のように相手の言葉の中から、出口を探していた。いつ入り込んでしまったかが不明だった。手がかりは、小学校時代の情景が感覚を伴って鮮明に蘇る事。偶々、性癖の話をしてくれたので出口が見つかる事になった。そうした話は余り他人にはしないものだ。人格を疑われかねない。それもまた意識の世界の入り口だ。話してくれた事に感謝をしている。丁度昔に私の意識のずれを起こした年齢とその人の意識がリンクしている部分が有った。少女時代の私の意識と私が繋がった時に出口を失っていたのだ。昨日から、私は何ヶ月ぶりかで、夢のマトリックスに入った。最後、新しい機械装置が誕生した。一度起きて、もう一度眠ると・・・・。夢のマトリックスから、幽界に入ってしまう状態に成った。術後の処置の前の世界が見れた。幸い当時は全身麻酔。麻酔から醒めた時と麻酔をかけた時と場所の物理的な移動が有ったので、私自身の意識が分断されていた。最近の麻酔は、意識までは失わない。起きた時の違和感はそれほど無い。当時の麻酔は意識を仮死に近い状態にしたのだと思う。35年程前だ。お陰で幼少女期の意識は無傷でいたみたい。医師達の犯した過ちの亀裂が過去に及んでいなかった。幽界は恐ろしい世界だった。果てしない迷路。行く先々の道が変わってしまうのだ。当然帰りつく場所への道が見つからない。いま、幼少時の意識が今に繋がって森から救い出す事が出来たみたいだ。少女の私は、死んだ時点を思い出した。話の中では、物凄いスピードで公道を自転車で走った時だ。私は自転車が苦手。彼女(わたし)は死んで居ないと感じて出口を探していた。(幽界に入り込んだ場所)そして私の現在の部屋を見つけた。(初登場だ)猛スピードで自転車を走らせていた。通り過ぎた人が、それじゃ死んじゃうよ。と声をかけた時点を思い出した。風景がその先、学校の門に塞がれて、駅への道が消滅していた。既に自転車ではなくて徒歩。ドンドン新しい道が出現してしまう。人との出会いは不思議だ。その人を通してしか行き着けない。誰かと縁(えにし)が有る時は、その人の欠点に見えるだろう。隠した部分の自分の必要としている要素が有ったりする。他人の性癖はその人が精神的にロックされた時代。成長を止めた年齢でもある。社会的な成長と、意識が育たないままの人が居る。誰もが、その子どもの自分を見つけ出して、自分で育て上げないと。90歳に成っても大人には成れない。醜い大人は子どもを抱えたままの大人。(成長には物理的な時間は比例しない。現在成長している部分とリンクするので、ブロックを外すと繋がる事が多い。)子どものままの意識は醜さがある。破壊的な要素だ。少年っぽさとは別物。人間の成長は醜いものではない。意識の年齢に老いは無い。有るとしたら分断されて意識の成長できない疲れだろう。その事から、気が付いた事。私は人と、現実に出会うとき体に目を置いていた。相手の意識の存在と対面している。写真に取ると、私の目に映っている像とその姿は違っている事が多い。隠さず話してくれた事に感謝感謝。
2005年05月02日
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一般人が病気に成ると、人はそれほど気にしないが・・・。医者が病むと結構回りは冷たい。あの先生、死にそうらしい。じゃ、この次何処で見てもらおうかね・・・。見たいな会話になる。先生大丈夫かしらってな話には余り成らない。病気の医者ほど、魅力の無い物は無い。それでもって、回復するとやはり診て貰う。先生死んでしまうかと思ったら復活ですか?と平気で言われてる。因果な商売だ。姉から、あの先生が、君の妹には悪い事をしたと言っていた。何か有ったの?と聞かれたりした。あの先生。私が誰かに何かを言ったとでも思ったのかしら?私が言い寄られて応じなかっただけよ。私から、見たらおじいさんなんだもの・・・・。別に特にたいしたことじゃないから、言わなくてもいいのに・・・。何も無いわけだから。へ~!結構孤独だからね。あそこの夫婦醒めているらしいから。時々診察して貰いに行く。お前も年取ったな~。知り合って、十五年目の診察の時に言われた。それ言うな!お前は知り合ったときから、ジジィだよ!心の中で言っても相手には通じない。私は色んな人の感情に出会ったも、それほど動じない。そんな事もあるよね。って思う。殆どの場合、相手のほうが恥じ入っている事の方が多い。気にスンナよ!大したことじゃないから・・・・・。私にその気が無かったからって、君の価値が無いわけではない。お互い迷惑掛け合って人は親しくなる。喧嘩もある程度親しくないと起きないものだ。それでも、歩み寄りが有って始めて親しくなれる。
2005年05月01日
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