「連合赤軍とオウム」
わが内なるアルカイダ
田原総一朗 2004/9 集英社
田
原総一郎は終戦当時、国民学校5年生だった。当時は「爆弾を抱えてアメリカ軍の戦車の下に飛び込もうと思っていた」p25という。それを持って、9.11の首謀者を引き合いに出し「私はモハメド・アタになろうとしていたのだ。」と関連づける。私はすなおにそのことには頷けない。確かに、世にテロリストというスティグマを張られて闇に葬りさられようとするものたち、例えば、オウムや連合赤軍やアルカイダなどに、親近感をしめして、新たなる再検討を加えたい、という「ジャーナリスト」の意気込みを感じないわけではない。しかし、それはちょっとカッコつけすぎだと思う。
例えばの話だが、私が小学校5年の時に行なわれた東京オリンピックのマラソン選手・円谷幸喜にあこがれて、ボクも大きくなったら、マラソン選手になるぞ、と思ったからと言って、マラソン選手になれるわけでもない。円谷幸喜の立場になれるのは、ごくごく限られた存在だ。オウムにせよ、連赤にせよ9.11関連にせよ、その立場になる可能性のあったものはたくさんいるだろうが、実際にその立場になってしまった者は、ごくごく限られている。
田原が本当にそう思っていたら、すでに自決するなり、ハイジャック犯なり、ヴァジラヤーナの殺人犯になっていたはずである。なにをどう言いくるめようと、田原は、客観的な第三者でしかない。だから、この本だって、そのようにフィードアウトして読まないと、田原の似非ヒロイズムがやたらと鼻につくことになる。
こ
の本は「ほぼひと月という突貫作業」p384で作られたという。プロ集団によって作られたとはいえ、田原ひとりの名前が冠された本なのであり、田原ひとりが作ったのか、と誤解を招くのではないか。実際には、この本は、ほとんどがインタビューの対談形式で埋められている。思いつきは面白かろうが、私には失敗作に思える。この本ならでは、というところがない。しかも、オウム---連合赤軍----アルカイダ、というラインも、きわめて思いつき的であり、十分こなれているとは思えない。
似たような企画で私は読んできた本には、島 田裕巳の
「オウムと9.11」
や小浜逸郎の
「オウムと全共闘」
などがある。それらひとつひとつの発想はわかるし、誠実
なもののとらえ方をしようというのはわかるが、安易なアナロジーを使って、事件を引き寄せ、自らに親近感を持たせようとしているようだが、私は、どことなく、かなりの欺瞞性を感じる。
キ
リンとゾウさんの共通項は何か、それは「どちらも体のどこかが長い」といわれているようで気色わるい。確かにキリンの「首は長い」し、ゾウの「鼻は長い」。だけど、本当にそうか。足も4本あるし、どちらも日本の自然界では生息していない。もちろん差異はやまほどある。だから、安易にそのテロリストというカテゴリで何らかの共通項をもとめようとしたこの本は、私は失敗作だとおもう。少なくとも、その事件ひとつひとつについて「被害者」や「犠牲者」の側に立った人々にとっては何の救いもない。その視点がまったく欠けている。
麻原集団関連で、ぼくらの島田裕巳センセイも32ページに渡って対談している。写真もでているが、この当時、彼は体調をくずしていた言われ(自著によるとバセドー氏病らしい)、てのひらで自分のほほあたりを隠しているp170のが、ちょっと痛々しいかな。ここにおいても、特に目新しいことはなかったが、彼が麻原集団に関心を持ち始めたのは89年当時p171であり、危険な団体だとは、地下鉄サリン事件まだは思わなかったp193という。
昨
日の新聞の報道では、現在の麻原集団から、上祐グループが脱会した、ということであるが、今後の動きがどうの、ということについては、本当のことを言うと、私はあまり関心がない。教祖、教義、教団、と言ったかたちの似非スピリチュアリティは、このブログのテーマには無縁だからである。とかく、余人の注目があつまる事件性のたかいテーマだけを拾って、何事かの注釈を加えている田原には、そろそろ引退されてはいかがですか、と進言申し上げたい。
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