「シャンバラ」勇者の道
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<4>よりつづく
シャンバラの系譜
勇者の道を歩もうとするときには、純真さと基本的な善良さをみずから実感することが何より大切になる。しかしながら、旅を続けて、
四つの尊い性質の道
を歩み、真正な存在を成就するには、旅の道案内を、あなたに道を示してくれる達人の勇者を持たなければいけない。究極的には、利己心またはエゴを捨て去るために、生きた人間の実例が不可欠なのだ---すでにそれを成し遂げた人がいたら、それを手本にすることができる。
p220
「魔法を見つける」で話したように、宇宙的な鏡の境地を経験すると、
「ドララ」
と呼ばれる、争いを超えた、広大で深遠な知恵がわき上がってくる。ドララの経験には多くの段階がある。根源的な、究極のドララとは、宇宙的な鏡の知恵をじかに体験することだ。この知恵を経験するとき、あなたはシャンバラの系譜の起源、知恵の源泉に触れている。
p221
究極のドララには三つの特徴がある。第一に、根源的であるということ---これはすでに話したように、石器時代や先史時代にまでさかのぼるという意味ではなく、私たちの思考を超えている、またそれに先立っているということだ。宇宙的な鏡の領域を王国とするリグデン王たちはそのような境地にある。第二の特質は不変性だ。リグデン王の世界では何かを考え直すことがない。考え直すとは心が揺らぐこと、自分の知覚の純真さに自信がないために、心が揺れ動き、ためらうということだ。そこでは考え直すということがない。それは不変の境地であって、移り変わるものは何もない。究極のドララの第三の特徴は勇敢さだ。勇敢さとはかすかな疑いにもなびかないということだ。実のところ、この境地ではわずかな疑いさえも抱くことがない。
p222
最後に、内側のドララの究極の知恵が生きた人間へと伝えられる。別の言い方をすると、宇宙的な鏡の無条件のあり方を完全に理解して、その原理を実在の明晰な知覚のなかにすっかり呼び込むことで、人間は生きているドララに、生きている魔法になるということだ。人はこうしてシャンバラの勇者の一族に加わって、たんにドララを呼び覚ますのではなく、それを体現することによって、ひとりの達人の勇者になる。だから達人の勇者は自分が住む世界のドララを体現していると言える。
p224
第一に、達人の勇者は始まりも終わりもない、限りない空間が広がる宇宙的な鏡のなかに誕生する。彼の悟りまたは境地は、単なる修行や哲学から生じたものではない。むしろ彼は宇宙的な鏡の無条件の清浄さのなかにゆったりとくつろいでいる。
p224
第二に、達人の勇者はリグデン王たちの知恵の伝統に自己を完全に同化させているから、生きとし生けるもののなかに基本的な善良さを見る、大いなる優しさ、大いなる慈悲心を養っている。達人の勇者が身のまわりの世界を見るとき、あらゆる人間には基本的な善良さが備わっていること、少なくとも自己の純真さを悟る資格があるのだということを理解する。
p225
最後に、達人の勇者は人々への大いなる慈悲心から、天と地をひとつに結びつけることができる。すなわち、達人の勇者の力があれば、人間としての理解と人間が拠って立つ大地とを結びつけることができるということだ。そうなったら天と地はいっしょにダンスを踊るようになり、人々はだれが天の崇高な性質を備えているのか、だれが地の劣悪な性質を持っているのかといったことを議論しなくてもよいのだと感じるようになる。
p225
「俺は達成したぞ!」と思うようなことがあったら、それはうまくいかないだろう。エゴイステッィクな態度を乗り越えて、初めて天と地をひとつに結びつけることができる。
p226
過去何世紀にもわたって、究極の善を探究し、それを同胞の人間たちと分かち合おうとした多くの人たちがいた。それを悟るには断固たる決意で修行に励まなければならない。探究を恐れることなく続け、人間の根元的な善良さを恐れることなく主張した人たちは、その宗教、哲学、信条が違っていようとも、達人の勇者の系譜に属している。このような人類の指導者たち、人間の叡智の守護者たちに共通する共通する特質は、あらゆる有情のために優しさと純真さを恐れることなく発揮していることだ。私たちは彼らという実例に深い崇敬の念を抱きながら、彼らが切り開いた道に感謝をするべきだ。彼らはこの退廃的な時代にあって、目覚めた社会を心に描くことを可能にした、シャンバラの父であり母であるのだから。
p229
つづく
ヘッセの水彩画 2007.11.04
ヘルマン・ヘッセ 雲 2007.11.04
わが心の故郷 アルプス南麓の村 2007.11.04
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