「茶の本」
Bilingual books
岡倉天心 /千宗室(序と跋)浅野晃・訳 1998/03 講談社インターナショナル 新書 251p 日英両文
No.938 ★★★★★
バ
岡倉天心(覚三)による「茶の本」は、アジアの生活と思想を紹介する、英語ので書かれた本のなかでも最も洞察力のある書として、一世紀近くも愛読されている。「茶の本」は東西文化の架け橋として先駆的な業績であり、今でも同時代の生活に対するすぐれた洞察の書とされている。かつて書かれた題材の異国情緒性によって読者を魅了した本書は、今もその洞察の新鮮さと文章の卓抜さで読む者に新鮮な驚きを与え続けている。
08P 千宗室
家
元の他の本を読んだことはないけれど、ごくごく平明に岡倉を支持し、評価し、感謝している。
「茶の湯」は私の人生の核として常に存在してきたが、もし岡倉天心の「茶の本」がなかったら、人生における仕事は違ったものになていただろう。歩みをあとを振り返るとき、戦時中の混乱した記憶のなかのひとつの事件がとりわけ鮮やかに心に蘇る。かつて私は海軍航空隊の特攻隊の一員として訓練を受けていた。出陣の前に、仲間たちは一盈(わん)の茶を分かち合いたいといい、私は持参していった携帯の茶道具で茶の点前を行った。制服を着て、脚を組んで腰をおろした男たちは盈が自分の前に回ってくると、ひとりずつ茶を飲んだ。彼らのうちほとんどが翌日出陣して、二度と返らなかった。しかし、私の心には、その最後の茶会の静けさが焼き付いている。悟りきった友人たちの、もの言わぬ記念写真のように。
p203 千宗室
名
だたる流派の家元の跡取りが、特攻隊の一員だったとは驚いた。茶を出すだけの役割で特攻隊に配属されたのだろうかなどと、邪推してみるが、いずれにせよ、そのような戦争の時代があったのだ。戦時中に使われた 茶箱
の存在に最近気がついたばかりだが、いや、憎むべきは戦争だと思う。
戦争が終わると、私たちはみなあたりを見回し、未来へと自分たちを導いてくれそうな新しい方向や価値観を探し求めた。ある日、家に帰ると、茶道の家元である父が進駐軍の兵士たちに茶をもてなしている場面に遭遇した。私は複雑な思いを胸に茶室にはいった。その兵士たちは数ヶ月前までは、私たちの敵ではなかったか。しかし父は今淡々と茶を点てている。この記憶はそれから何年もの間私の脳裏にこびりついていた。私が茶の湯の精神を世界中に広め、それを自分の生涯の仕事にしようと決心したのは、その出来事がきっかけになっている。日本が戦争という暗い影と、国土をおおう瓦礫のなかから立ち上がろうとしていた時期に、茶の湯は復興と光を象徴していた。 p204 千
利休が生きていた戦国時代以来、ひとつの伝統は幾多の苦難に遭遇してきただろう。この100年においても、明治維新、敗戦、そしてグローバルゼーションの落とし穴にはまったバブル崩壊など、さまざまな社会的変動の中で生きてきたのだ。家元の子供だから、家元になるのは当たり前だと思うけれども、一人の人間として千宗室を考えてみた場合、職業として茶の道を選ぶには、それなりのドラマがあったということだろう。
利休の時代に茶の湯を学ぼうとするものは、主に大名や、身分の高い侍、あるいは裕福な商人たちだった。茶会に集まる客のなかで武家階級のものはみな、その入口からにじりいる前に、まずは自らの身分の象徴である刀を外さなくてはならなかった。たとえ一国の主といえども例外ではなかった。
このような方法で茶室にはいることによって、厳格な封建社会での自分の地位を脱ぎ捨て、何よりも人間性によって敬意を払われる王国にはいり、すべての人が平等であるということを人々は認識する。
p214 千
カウンセリングの勉強をしていた時、自衛隊の隊員にワークショップを指導していたU津氏は、よく、ネクタイを外して、肩書きを外して、グループワークに参加することの大切さを繰り返し強調していた。本来、心の世界には身分はなく公平でなくてはならない。しかし民主主義教育を受けて育った私たちの世代なら、そのことをすんなり理解しやすいだろうが、なんせ大名や高僧などが跋扈していた時代に、この「全ての人は平等である」という思想を実践することは、ただごとではなかっただろう。
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