「存在の詩」第一号からつづく
「存在の詩」
<3> Osho講話録
Osho/スワミ・プレム・プラブッダ 1977/04 めるくまーる 単行本 630p
Vol.2 No.326 ★
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さて、いよいよこの本に取り掛かることになったが、どこからどうすればよいのか見当がつかない。チベットおっかけの途中であるから、チベット密教の流れのなかで理解しようとしたのだが、この本、ティロパがナロパに与えた「マハムドラーの詩」についてのOshoの講話であり、ナロパはチベットへと旅立ったかもしれないが、ティロパはインドの人だ。だから、今まで読んできた 「チベット<歴史>深読みリスト」 のなかには、ティロパはあまりでてこない。
ひとたびその贈り物がティロパによって受け取られたとき
彼は完全に変身してしまったものだ
そのときティロパはナロパに
「さあ今度はお前が行って
お前自身のナロパを見つけるのだ」と言ったと伝えられている
そしてナロパもまたそれに関しては幸運だった
彼はその名をマルパというひとりの弟子を見つけることができた
マルパもまたとても幸運で
その名をミラレパというひとりの弟子を見つけ出すことができた
しかしそこで流れはとだえた
もうそれ以上
それだけの偉大な度量を持った弟子はいなかったのだ
p32
アレレレ・・・・、せっかくこれからガンポパの「 解脱の宝飾」
を読もうとしているのに、それはないでしょう。ミラレパには、太陽のような悟りを得たガンポパ(タクポラジェ)と、月のような悟りを得たレーチェンパがおり、 現在のカルマ・カギュー派などへの伝統の系譜
はこのガンポパから伝わったとされているのに・・。
サラハは仏陀よりおよそ2世紀後に生まれた。彼は枝分かれした一方の枝の直系だった。ひとつの枝は、マハーカーシャッパからボーディダルマへと伝わり、禅が誕生した。その枝はいまも花に満ちている。もうひとつの枝は、仏陀から彼の息子であるラーフラバドラ、ラーフラボドラからシュリーキールティからサラハ、そしてサラハからナーガルジュナへと伝わっていった。これがタントラの技だ。それはいまもチベットで実を結んでいる。
タントラはチベットを改宗させた。そして、ボーディダルマが禅の祖師であるのと同じように、サラハはタントラの祖師となった。ボーディダルマは中国、韓国、日本を征服した。サラハはチベットは征服した。
「タントラ・ヴィジョン1」
p11
ナロパには、ティロパとマイトリーパという二人の師があったという。
理論家であるとともに密教の行者であたナーローパは後期の仏教タントリズムの理論および実践形態の重要な貢献者の一人である。彼の伝記は比較的よくわかっている。彼は1016年に生まれ、1100年に没している。カギュ派の祖マルパの師であり、インドにおける大印契の思想運動の祖ともいうべきマイトリーパと同時代の者である。ナーローパは1032年、ニグマ---カースト名によってそのように呼ばれる---と結婚するが、8年後に、彼らは離婚する。ニグマ自身、仏教タントリズの実践に通じ、典籍も残している。1049年以来、ナーローパはナーランダ僧院長を務めるが、また8年の後、職を捨て、行者テーローパ---あるいはティローパ---の許で修行を始める。ナーローパは師テーローパの死まで師の許にとどまり、宗教覚醒を得たと伝えられている。 立川武蔵 「西蔵仏教宗義研究5 カギュ派の章」 p15
さぁ、いよいよ、問題の核心へと一歩近づいた感がある。 「チベット密教 新装版」 などのカギュ派の流れはもう一度みなおされる必要がある。
ティロパの宗教はほんの4世代
ナロパからミラレパまでしか存在しなかった
その後それは消えうせてしまった
宗教はちょうどオアシスのようなものだ
砂漠は広大だ
ときとしてその砂漠のほんの一部分に
ひとつのオアシスが現れる
それがある間にそれを求めるがいい
それがそこにある間にそこで喉をうるおすのだ
それはとてもとても稀有なことだ
「存在の詩」p33
Oshoにとって、「中期カギュ派」の基礎を築いた(立川武蔵 「西蔵仏教宗義研究5 カギュ派の章」 p20)とされる、ミラレパの弟子、ガンポパなどは視野に入っていない。ティロパの流れはミラレパで消滅している、としているのである。
これはOshoが新しいチベット歴史学の功績を知らなかったせいなのだろうか。あるいは、Oshoはこれらの宗教の「組織者」たちを認めないのだろうか。答えは、後者であろう。Oshoの直接の過去世は700年前とされている。今回のOshoの誕生は1931年だから、文字通り700年前だとすると、1231年に没したことになる。その時106歳だったのだから、1125年生まれ、ということになるだろう。 ガンポパの生涯は(1079~1153) とされているから、Oshoの前世はガンポパの同時代人、あるいは後輩ということになる。ガンポパが74歳で没した時、Oshoは28歳、ということになるだろうか。(これはあくまで推定にすぎない)
つまり、Oshoはガンポパを知らないはずはない。知っていながら、ティロパの宗教はミラレパで消滅したと断じるところに、OshoのOshoたる所以がある。組織や教義にはこだわらない。あるいは組織や教義になる前の純然たる精神の状態をこそOshoはここで「宗教」と言っているのだ。仏教のあちこちで語られる三帰依文ですら、ここでは否定されかねない。仏法僧とされる三宝だが、Oshoはここで、仏の仏、究極の悟りを語っている。だからこそ、「マハムドラー」と言われているのだ。
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