「生と覚醒のコメンタリー」(1)
クリシュナムルティの手帖より
ジッドゥ・クリシュナームーティ /大野純一 2005/03 春秋社 全集・双書 392p
Vol.2 No.489 ★★★★★
クリシュナムルティという語感からして、どこかクリスタルを連想させる。そしてあの風貌。一つの世界観がそれだけで、出来上がっている感じがする。この本、当ブログのような、駆け足読書ブログのマラソン頁めくりゲームなどで読まれるべき本ではない。じっくりじっくり、しっかりと読まれるべき本であろうと思われる。この本は、まさに、クリシュナムルティ、という御方は、このような人、ということを分からせてくれる一冊だ。
しかしまた、このようなマラソン読書であればこそ、今回、この本をようやく手にしてみようと思ったのではなかっただろうか。クリシュナムルティの本が出始めた頃から、じっくりと一冊一冊を読む機会があるはずだった。しかし、私は読まなかった。いや、今だって、本を手にはしているが、読み込んでいるとはとても思えない。ただ、クリシュナムルティという人のエネルギーを再吟味しているというところか。
グルジェフにはグルジェフのアルファベットがあり、OshoにはOshoのアルファベットがある。クリシュナムルティは、きわめて平素なベーシックなアルファベットを使い、固有名詞や時事問題に触れて話題をそらしてしまうことはない。それでもやっぱりクリシュナムルティにはクリシュナムルティのアルファベットがあり、読み込めば読みこむほど、彼独自の言葉づかいや、世界観を指し示していることがわかる。
あなたは、「スピリチュアル」とはどういう意味か、ご存じだろうか? 第一に、野心的であることは、明らかにスピリチュアルではない。かれらは野心的ではないだろうか?(中略)
野心的でありながら、それを<マスター>、人間性、芸術、同朋愛についてのたくさんの仰々しい言葉でおおい隠すことは、美しいだろうか? 隣人や、海の向こうの人間まで引き入れるほど拡張される自己中心性を背負うことがスピリチュアルだろうか? あなたはスピリチュアルであると想定されている者たちを、スピリチュアルであるとは一体どういうことか知らずに手助けをしており、そして進んで利用されつつあるのである。
p346
このシリーズは4巻ものになっていて、第1巻は1956年にでている。実に半世紀以上前のことである。私が生まれた頃、すでに地球のどこかでは、このようなクリシュナムルティの講演が絶賛を博していたのである。
クリシュナムルティには、グルジェフのような、システムも、ワークも、ソースも、マスターも、エニアグラムも、ない。ただただ、淡々と、クリシュナムルティの素朴で実直なアルゴリズムが積み上げられている。あるいは詩と言ってもいいのだが、やはり詩と言い切ってしまうには、クリシュナムルティの世界は知性と理性と論理性が際立って目だつ。
クリシュナムルティの世界には、Oshoにありがちな猥雑な逸脱もないかわりに、呵々大笑するような豪快さもない。淡々と、ひとつひとつ語られてはいくが、非常にベーシックな言葉を使い、ベーシックなものの見方をつかいながらも、これは決して、よくも悪くもベーシックな人間観ではない、と思わせる何かがある。
これがこの人の悟境であり、この悟境にシンパシーを持つ人にはたまらない魅力があるのは確かにわかる。しかし、これは、光明を得た人のベーシックな標準の姿ではない。これはあくまでもクリシュナムルティ独自のスタイルなのだ。とっつきやすそうではあるが、実は、きわめて複雑だ。グルジェフやOshoや他のマスターたちのような特殊なアルファベットを使っていないように見えても、やはり、彼には彼のアルファベットとアルゴリズムがある。
クリシュナムルティの本を図書館で検索すると 約40冊 くらいある。この一冊一冊を読みこんでいくことに、当ブログは耐えることができるだろうか。早々に撤退したほうがいいのではないか、と弱腰とも、偏見とも思える意見が、自分のなかから湧いてくる。
当ブログは、現在、グルジェフとクリシュナムルティとOshoを中核とした乱れ読みに入らんとしている。玉川本をきっかけとしたトランスパーソナルな流れや、エサレンの動きとやや連動させつつではあるが、この一体のながれは、やはり20世紀における地球人スピリットの流れのなかでは、避けては通れない歴史となっている。
ケン・ウィルバー や エサレン の人々や、 フリチョフ・カプラ など、クリシュナムルティに啓発された20世紀のスピリチュアリストたちは数限りなくいる。決して抽象的な言語体系を用いることなく、シンプルに、しかも力づよく語り続けるクリシュナムルティは、多くに人々に今でも愛されている。
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