乱読・積んどく・お買い得!?

乱読・積んどく・お買い得!?

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Comments

chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2011.11.06
XML
カテゴリ: 社会・政治・時事

 今、ヨーロッパは大いなるな危機に直面している。
 イタリアは、現在、単一通貨ユーロ圏3位の経済規模を誇る国であるが、、
 今日、 その財政破綻が現実味を帯びてきたとの報道 が飛び込んできた。

 このような時期に、本著から始まる「危機と克服」全3巻のシリーズを
 読むことになろうとは、何という巡り合わせであろう。
 が、紀元1世紀後半の30年間の危機の後、ローマはかつてない繁栄を迎えた。
 ローマ人の歴史とは、まさに「危機と克服の歴史」であったのだ。



スペイン北東部の属州総督ガルバが、軍団を率いてローマに進軍、
元老院はガルバを第一人者と認め、ローマ市民もネロを見放した。
追い詰められたネロは自死の道を選び、生涯の幕を閉じた。
こうして、30歳の若者から72歳の老人へと帝位が継承された。

しかし、ガルバは次々に人心掌握の失敗を重ねてしまう。
属州総督として、誰よりも早く自分を支持してくれたオトーをも自らの協力者としなかった。
もし、ガルバが36歳のオトーを次席に選任し、タッグを組んでいたら……
オトーが腹心ヴィニウスと共に執政官に就任した日、ライン軍団が反ガルバの狼煙を上げた。

ライン河防衛の7個軍団の兵たちは、皇帝ガルバへの忠誠宣誓を拒否、
ガルバに代わる人物として、低地ゲルマニア軍司令官ヴィテリウスを擁立した。
そうとは知らぬガルバは、後継者として養子に迎えたピソを指名。


オトーは、ローマに向け南下してくるヴィテリウスに対し、共同皇帝の位を提案。
しかし、ヴィテリウスはこれを一蹴、ライン軍団を率いて、さらに南下を続ける。
これに対し、オトーはドナウ河防衛を担当するドナウ軍団の支持を得ることに成功。
こうして、第一次ベドリアクム戦の火蓋が切って落とされた。

これに敗れたオトーは自死、わずか3か月の皇帝在位期間を終わらせた。

また、敗軍の兵士たちは、円形競技場の建設や、新皇帝登位祝いの剣闘士にかり出される等、
侮蔑的言動を受け続け、屈辱と憎悪が結びついた怨念を募らせることになった。

このドナウ軍団の兵士たちの新皇帝に対する反感が、他の皇帝を擁立する方向へと進む。
その支持を受けたのは、今は亡き名将コルブロ門下の俊英・シリア属州総督ムキアヌス。
そして、そのライヴァルがシリア駐屯、ユダヤ方面司令官ヴェスパシアヌス。
この二人とエジプト長官アレクサンドロスを加えた三人は、ヴェスパシアヌスの皇位実現に動き出す。

ムキアヌスは軍を率いて本国イタリアに向かう。
ヴェスパシアヌスは、エジプトのアレクサンドリアで待機。
その息子・ティトゥスとアレクサンドロスは、イェルサレム攻略に向かう。
そして、ドナウ軍団は自ら動き出し、ライン軍団との間に第二次ベドリアクム戦が始まった。

ドナウ軍団はこれに勝利し、ローマへと向かう。
これに対し、ヴィテリウスは退位を表明するが、ローマ市街戦は回避できなかった。

  首都内での市街戦は、ローマの歴史ではこれがはじめてではない。
  スッラが二度、キンナが一度決行している。
  だが、あのときと今とのちがいは、徹底した民衆の無関心にあった。
  首都の民衆は、内乱の行方などは関心がなかった。
  市街戦という見せ物に、関心があっただけなのだ。
  それゆえに、ちょうどサトゥルヌス祭の休暇と
  時期を合わせたように起こった市街戦だったこともあって、
  祭日に供される見せ物を愉しむのと同じに愉しんだのである。
  この人々にとって、ヴィテリウス側が勝つか
  それともヴェスパシアヌス側が勝つかなどは、どうでもよいことであった。
  こうして首都の庶民は、国家にとっての災難すらも快楽に変えてしまったのである。(p.198)

紀元69年、こうして、一年の内に三人の皇帝が次々にあの世へと去った。
その数日後、ローマに到着したムキアヌスは、
ヴェスパシアヌスがローマに帰還する翌年秋まで、事実上の皇帝を務める。
その手腕は見事の一語であった。

   ***

さて、私が本巻の中で最も印象深かったのは、冒頭「カバーの銀貨について」での一文。

  もはや坂をころげ落ちるばかりのローマ帝国を書いていて思うのは、
  中間と下部がダメになったら、いかに上部ががんばろうと何をやろうともダメ、
  ということである。
  反対に、中と下の層が充分に機能していれば、少しばかりの間ならば
  上層部の抗争で生まれた弊害も吸収可能、ということでもある。

そう、こんな時代でも、ローマ帝国は充分に機能していたのだ。
今の日本も、後の時代の人々に、そう言ってもらえるだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.11.06 14:49:48 コメントを書く
[社会・政治・時事] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: