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窓際で仮眠中寝返りを打つと、この景色です。慣れないと、ふと目が覚めた時、めちゃめちゃ怖い。
2008年07月10日
新聞に女子バレー五輪の出場選手が載ってました。セッターの竹下選手は、身長が159cmなんですねぇ。女子でも2メートルを超える選手がいる中で高さのハンディをものともせず「世界のセッター」として活躍する様はとても感銘を受けます。「世界のセッター」と言えば男子バレーの猫田を思い出します。東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール四大会に出場して、銅・銀・金・四位彼も160cmそこそこしかなかった。身長のハンディ克服も凄いですが、年齢のハンディ克服も凄い!テニスの伊達公子の復活は、素直に「すげぇ」と思います。野球では、工藤投手サッカーでは、三浦カズ今日の日本のサッカーが、ここまで強くなったのもカズの存在が在ればこそ…です。カズも、工藤も、クルム伊達も現役にこだわっているのが凄い!心から応援させていただきます。
2008年07月09日
夜勤明けです。帰宅すると11時頃になります。すぐに御飯食べて風呂に入るともう、お昼近くになります。夕方6時のバスでまた出勤します。この年になって、新たに職に就いて人並みに稼ぐには、これほど時間を切り売りしないとあかんのですねぇ。己の不甲斐なさとは言え借金背負い込んで、真っ当に復活するのは並大抵の事じゃないです。全額返済しても、もはや住宅ローンは勿論、車や、ちょっとした高額商品も「現金」でしか買えません。クレジットカードも使えませんし、ETCカードも無いので、高速道路も、割引一切無し!貧乏すると、無駄な費用も増える。時間も金もぎりぎりしか無いのに「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」…どれもこれも満足に出来ずに時間とお金だけが流れて行きます。ダークダックス (知ってますか?) の歌に「銀色の道」というのがあります。その歌詞に苦しい坂も、止まれば下がるというフレーズが有ります。小学生の頃からこの歌が好きなのですが、この数十年間、ず~っと心に響いているのが何だか哀しく感じてしまいます。坂道は、留まっているだけでもエネルギーが必要です。今、全然前に進めませんが、留まるだけのエネルギーは持っているようです。かなり急な坂道のはずですので相当なポテンシャルを秘めているはずです。少しでも傾斜が緩くなれば、一気に登ってしまうはずです。後は、エネルギーを切らさないように空回りしてでも、前を向いて止まらぬように下がらぬように少しでも、気を抜いて下がり出せば一気に奈落の底まで堕ちてしまいます。今、前には進まないけど、留まっています。もう絶対に、下がる事は出来ません。「銀色の道」は近い近い夜明けは近いと結んでいます。
2008年07月09日
岐阜地方は、先程まで豪雨でした。深夜勤務が明けて帰ろうとしたら、どこから迷い込んだのかほうきの先に、雀の子がいました。親が探してるかもしれないのでとりあえず安全そうな、雨に濡れない所に置いて来ました。親鳥が見つけてくれれば良いですが、ちょっぴり心配です。
2008年07月08日
文字数が、オーバーしたようで・・・続きです。天の橋立から丹後半島をぐるっと回って山道を走ると、「兵庫県」の看板が見えてきます。「こっち(日本海側)も兵庫県なんやなぁ。」と実感しつつ、本日始めてのピットイン(ガソリン補給)です。「RZ350」は、燃料タンクが16リットル程です。燃費が「13km/1リットル」ぐらいですので、1回の給油で、最高200kmそこそこしか走れません。一方、「GSX250L」は、タンク容量11リットルながら、燃費が「30km/1リットル」以上ですので、最高で、330km~350km走行可能です。実際は、全行程を通じて「低燃費走行」に徹していたので、「RZ350」は、全行程平均で「17km/1リットル」「GSX250L」は、なんと「37km/1リットル」この数値は、実際に「RZ350」に乗ってた人には「驚異」・・・むしろ「脅威」の数字だと思います。・・・というより、「RZ」の特徴を生かしていない。“ナナハンキラー”の異名を持つ「RZ350」が、「燃費走行」をしている姿は、ちょっと情けないもんが有ります。昨日の記事のコメントで「MoToDAMMさん」が指摘しているようにそもそも、この2台が、併走してのツーリング自体に相当無理がある構図なのですから・・・その後、海岸で昼寝をしたり、名所旧跡でもなんでもない所や風光明媚でもなんでもない所で休憩しながら二人とも来た事がない 「鳥取県」へ 入ります。鳥取県は、「桃太郎電鉄」というゲームでしか馴染みが無く「鳥取砂丘」と「梨」ぐらいしか知りません。とりあえず、道端の露天で売っていた「21世紀梨」を食べて鳥取砂丘へ行ってみました。(店のお姉さんが、梨の皮を剥いてくれました。)・・・・・・なあぁんにも有りませんねぇ。最近は、「棒の上に立つお姉さん」が評判のようですが、当時は、・・・・・・なあぁんにも有りません。400km近く、黙々と走破してきた疲れと慣れない砂地を海まで歩いた筋肉疲労とで海辺で腰をおろすと、もう立ち上がれません。だんだんと夕闇が迫る中、ようやく立ち上がって、再び砂の上を歩いて戻ります。バイクに戻った頃には、すっかり日が暮れていました。そうです。大切な任務が残っています。「ねぐら探し」です。昼間に、持参の「おにぎり」を食べてから「梨」以外何も食べていません。「もう、帰ろうぜぇ~」面堂君が、ぽつりと漏らしました。「どこへ帰れって言うのよ!?」私の答えに面堂君も、「ねぐら探そっか・・・」バスセンターのようなところを見つけてすぐに、シュラフ(寝袋)を広げて横になって、ほっとした途端にメチャメチャ腹が減ってきます。もう動く気力も有りません。「ハラ減ったよぉ~」面堂君が、叫ぶと近くに人がいたようで、「お兄ちゃんたち、ここで何してるの?」どうやら、バスセンターの事務員さんのようです。かくかくしかじか・・・「ここで寝るの?」「蚊が多いよ~」「気をつけてね~」など言葉をかけてくれました。事務員さんが帰ると、あたりは静かになりました。 ・・・・・・「お兄ちゃん!!!」完全に寝入っていた私を揺り起こすのは、さっきにの事務員さんです。あろうことか、「おにぎり」と「桃の缶詰」と「みかん缶詰」と「虫除けスプレー」を手に持って「これ食べて、明日から頑張ってね」あぁ。何ということでしょう。わざわざ家に帰って、わざわざご飯を炊いて、わざわざ新品のスプレーを調達してわざわざここまで戻ってきてくれました。放浪初日から、人様のお情けをいただきました。この日の支出 なんと、ガソリン代と、途中休憩時の缶ジュースこれだけでした。かくして、二人で12個も「おにぎり」をいただき缶詰は、非常用に保存して、虫除けスプレーを浴びるほどかけて眠りに付きました。※、当時の缶詰は「缶切り」なしでは空けられません。なんと、「缶切り」まで持って来てくれてたのです。この後の行程で、この缶切りは大活躍でした。・・・本当に、「シュラフ」「着替え」「地図と磁石」ぐらいしか持っていない「ド素人旅行者」です。【47都道府県走破チェックリスト】 ※頭のコード番号は、 「日本工業規格(JIS X 0401)」による。 本日までの走破・・・『5/47』 残り42 1:北海道 2:青森 3:岩手 4:宮城 5:秋田 6:山形 7:福島 8:茨城 9:栃木 10:群馬 11:埼玉 12:千葉 13:東京 14:神奈川 15:新潟 16:富山 17:福井 18:山梨 19:長野 20:石川 ○21:岐阜 22:静岡 23:愛知 24:三重 ○25:滋賀 ○26:京都 27:大阪 ○28:兵庫 29:奈良 30:和歌山 ○31:鳥取 32:島根 33:岡山 34:広島 35:山口 36:徳島 37:香川 38:愛媛 39:高知 40:福岡 41:佐賀 42:長崎 43:熊本 44:大分 45:宮崎 46:鹿児島 47:沖縄スクロール
2008年07月07日
昭和58年(1983年)7月7日 木曜日 晴れ岐阜市金公園(こがねこうえん) 朝6時45分頃「・・・ホンマに来るやろか?」昨夜、集合時間と場所を確認してお互いの「決行」の意志を確認したものの、お坊ちゃん育ちのRZ君が、土壇場になって尻込みするんじゃないか?・・・と心配しつつ待っていると、RZ350の排気音が遠くから聞こえて来ました。RZ君は、私と同い年です。色白の端正な面持ちで当時テレビで人気のあった高橋留美子の「うる星やつら」の「面堂 終太郎(めんどう しゅうたろう)」に似ています。(キャラ的にも似ていました。)・・・以後、彼の事を「面堂君」と表記します。コンビニも無く、平日とは言え、朝7時では、どの店も開店前です。お互いに、「おにぎり」を持参です。「・・・んじゃ、行こか・・・」普通の一言で、いざ出発です。普段走りなれた、国道21号を西に走ります。大垣から、関ヶ原を抜けると滋賀県に入ります。伊吹山を右手に見ながら走るとやがて、米原に着きます。ここで、一服しつつ、本日の作戦会議です。「全47都道府県走破」という事しか決め事がないので、毎日、「体調」「天気」「道の込み具合」「目に付いた看板」などで、気ままに走ります。お互い田舎育ちですので、「都会を避ける」という共通のコンセプトが有り、何故か全行程を通じて、「山の中」へ進む傾向が有りました。そして、「岐阜県生れの岐阜県育ち」という事で、山以外は、「海沿いへ海沿いへ」と走ります。山と違って、海沿いを走るのには利点が有ります。 「方向を間違えない」という事です。又、海沿いを走るときは、 「海を左手に見ながら走る」という暗黙の基本ルールが有ります。これは、「海を右手に走る」と、道路の構造上、反対車線越しにしか海が見えないからです。左手に海が有れば、ダイレクトに海が見えます。(あんまり海を見ながら走るのも危ないんですが)とは言え、気ままに走っているので必ずしも、「海を左手に」というわけには行きません。米原・・・かつては、「まいばら MAIBARA」だったのに最近、いつのまにか「まいはら MAIHARA」になってます。 一服しながら、 ◎「京都・大阪方面」に進むか ◎南下して、「伊賀・甲賀」方面へ行くか ◎北上して「日本海」へ抜けるか海を持たない岐阜県民は、夏場の海水浴は北陸へ行きます。敦賀方面、水晶浜あたりが定番です。この日の最高気温は、30度ぐらいで、梅雨も明け、じわじわと暑くなる頃です。当然のように、北上ルートを選択しました。琵琶湖を左に見ながら、国道8号線を走ります。岐阜から、大垣~関ヶ原~長浜~賤ヶ岳この一帯は、「信長・秀吉・家康」をはじめとする戦国時代の歴史を物語る土地のオンパレードです。隊列は、前方に「RZ」後方対角線上に「GSX」です。具体的な目的も無く、走っているので、ひたすら走ります。敦賀から、国道27号に入り三方五湖から、小浜を経て舞鶴方面へ向かいます。舞鶴あたりで、海沿いに「軍艦製造工場」みたいなのが見えました。ホーンを鳴らして、面堂君を止めます。軍艦(らしきもの)を眺めながら「お互いに、興味が有るものがあったら止まってよし!」「ルートを迷っても問題なし。 (そもそも決まったルートがない)」「ガソリンは、早めに補給する。」などなどを再確認しました。ここまで、ず~っと、ただひたすら走り、信号待ちなどで、横に並んでも特に何も話もしてません。走行中に意志の疎通を図る方法が後方車は、「ホーン」前方者は、「手の合図」と「ウィンカー」ぐらいですので、「阿吽の呼吸」が求められます。スクロール
2008年07月07日
25年前の事を書くにあたって、ひょっとすると、これを読んでいる人の中には「まだ生れてない!」という人も居るかもしれません。昭和58年(1983年)がどんな年だったか・・・豆知識です。2月4日 アメリカの人気兄妹歌手グループ、 カーペンターズのヴォーカリスト、カレン・カーペンターが 急性心不全のため死去。32歳だった。3月24日 中国自動車道が全線開通。4月4日 NHK朝の連続テレビ小説第31作『おしん』放送開始。4月15日 東京ディズニーランド開園。5月9日 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、 地動説を支持したガリレオ・ガリレイに対する 宗教裁判の誤りを認める。7月15日 任天堂がファミコンを発売。7月21日 南極・ボストーク基地で観測史上世界最低となる -89.2℃を記録。8月21日 第65回全国高校野球選手権大会は大阪・PL学園高校が 桑田真澄・清原和博の1年生コンビの活躍で5年ぶり 2度目の優勝。前日の準決勝で池田高校の史上初となる 甲子園3連覇を阻止。10月12日 ロッキード事件の裁判の第一審で、田中角栄元首相に 懲役4年、追徴金5億円の有罪判決。11月11日 劇団四季のミュージカル「キャッツ」の公演が、 新宿のキャッツ・シアターで始まる。 日本で始めてのロングランミュージカル。 11月12日 この日放送のNHK朝の連続テレビ小説『おしん』が 視聴率62.9%(ビデオリサーチ関東)を記録、 現在に至るまで同テレビ小説の歴代最高視聴率となる。11月13日 ミスターシービーが菊花賞を勝ち、シンザン以来 19年ぶり、日本競馬史上3頭めの三冠馬となる。【大相撲】 3月場所後に朝潮、5月場所後に北天佑がそれぞれ大関に、 7月場所後に隆の里が第59代横綱に昇進。【プロレス】 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ(ミラクルパワーコンビ)組 【アニメ】 4月3日 - 『キン肉マン』が放映開始 7月11日 - 『キャッツアイ』が放映開始 10月13日 - 『キャプテン翼』が放映開始 ・・・こんな感じの年でした。
2008年07月07日
SUZUKI 「GSX250L」 ↑ YAMAHA 「RZ350」 ↑昭和58年7月6日(水曜日)翌日に「日本一周バイク走破」を控えちょっぴり興奮の夜でした。その年の2年前、昭和56年3月~4月にかけて「北海道ヒッチハイク放浪」をしました。 ※詳細は、「カテゴリ」から「北の大地・・・貧乏漫遊記」 を選択して、ご覧下さい。(全12話)その時に、放浪の魅力に取り付かれ加えて、「移動の不自由さ」を痛感し、「いずれは、“自転車”で日本一周!」と決意したものです。北海道から帰って、曲がりなりにも学生生活を送っている中で「マイカー」など持てぬ貧乏学生故に「オートバイ」が日常の「足」となりました。そうなると、「この愛車で日本一周!」となります。私の愛車は、 SUZUKI 「GSX250L」です。同型の「GSX400L」を諦めて250ccにしたのは、「車検を受けなくてもOK」という事と、「低燃費」に尽きます。 ※実際、このバイクは、カタログ値「45km/1リットル」のところ 実測で「42km/1リットル」を叩き出したスグレモノです。当時は、バイクブームの黎明期でこの年あたりから、4大メーカー(HONDA、YAMAHA、SUZUKI、KAWASAKI)が次々と新車を市場に投入してました。GSXシリーズも「E」「T」「L」と有って、「E」は、スタンダードなヨーロピアンタイプ (レーサータイプのようなヤツです。)「L」は、「Limited」の略で、アメリカンタイプです。 (「イージーライダー」とまでは行きませんが、あんな感じ)「T」は、トラディショナル・タイプ です。この頃は、日本でのアメリカンバイク全盛の頃でYAMAHAの 「XJ Spesial」KAWASAKIの 「Z400 Ltd」など各社が競って生産していました。冒頭の画像は、ネットから引っ張ってきたヤツですので、実際の私の愛車とは、若干イメージが違います。私は、後部座席に「背もたれ(“シーシーバー”といいます。)」を付けてました。もう1台の 「YAMAHA RZ350」は伝説のバイクです。「サーキットの狼」の作者、池沢さとしが「街道レーサー GO」という漫画の中で“ナナハンキラー”として描いていたバイクです。・・・レアですかね?当時、バイクに興味が有った人でこの「RZ」を知らない人はいない! ・・・ハズです。とにかく、軽くて速い!まさしく「飛ぶように」走りました。当然、燃費はかなり悪かったと記憶してます。 (15km/1リットル 走れば上出来・・・?)バイク仲間は、沢山居ました。この年の初めごろには、8人が、「日本一周ツーリング」に名を連ねました。日が経つにつれ、「学業」「資金」「日程」などなどの都合が付かず少しずつメンバーが減っていきました。全行程(全47都道府県走破)参加は出来なくても途中参加、途中帰還も含めて「7月1日出発」の予定でしたが、最後まで「行けるか否か」が決まらないまま最終的に、私と「RZ」の二人になりました。この日までに (1)2ヶ月の休み確保 (2)最低20万円の資金確保を目指して年頭から準備してきました。二人とも学生でしたので、何とか(1)はクリア。資金も、アルバイトを増やして何とか二人で40万円作りました。前述しましたが、私の「GSX」は、平均で 33km/1リットルしかし、「RZ」は、良くても 15km/1リットル・・・つまり同じ予算でも「RZ」は、「GSX」の2倍の燃料を食います。思案の結果、二人分の40万円を「財布をひとつ」にして、そこから、すべての費用を賄う。・・・としました。夫婦よりも固い絆で、2ヶ月間苦楽を共にします。すべての準備を整えて、・・・と言っても、お金とわずかばかりの着替えぐらいですが、いよいよ出発の日が迫ります。7月6日(水曜日)「ホンマに行くんやな!?」という確認を兼ねて、昼食を取りながら、初日のルートを決めました。行き当たりばったりの2ヶ月でしたが、岐阜県から出発するので、「最初は、西へ向かうか?東へ向かうか?」が唯一の大きな選択です。東から向かって、北海道⇒南下⇒西へ⇒九州・沖縄のルートでは、8月の暑い頃に南に向かうので、結局、西へ向かう事になりました。「初日は、とにかく西へ!」と決まった頃には、すっかり夜になっていました。携帯電話も、コンビニも、道の駅も、ない頃です。地図だけは買いました。(1冊で、日本中が載っているので詳細がわかりません。)カーナビも当然有りません。小学生の頃の学研の付録の「磁石」だけを頼りに「陸地を走っている限り、帰って来れるでしょ」かくして、「RZ350」と「GSX250L」対照的な2台のバイクで、「日本一周、全47都道府県巡り」の前夜は更けていくのでありました。・・・つゞくまだ、写真の整理が付きません。(TへT)続きをちゃんと掲載できるかどうかわかりませんが、頑張ってみます。スクロール
2008年07月07日
本日届いたカラヤンのDVDと不機嫌そうな「福太郎」 ↑↑↑昨年11月に、「カラヤンのファンです。」 の日記でカラヤン=ベルリンフィルのCDの事を書きました。今年は、「カラヤン生誕100年」の年です。 ※カラヤンは、1908年4月5日生まれです。 (因みにうちの母親も、4月5日生まれです。)今まで、CDで1980年代録音の作品が何枚か出てましてその80年代のカラヤン作品に衝撃を受けた私はそのCDをこよなく愛しています。そんな私が、「カラヤン生誕100年記念DVD=BOX」というヤツを見つけてしまいました。しかも、80年代録音の「ベートーヴェン交響曲全集」です。 ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい ほしい~~~ ※「伴宙太」ではありません。・・・・・・と、いう事で、最近ダイエットに励む嫁様の為に励ましの意を込めて、買ってあげる ことにしました。ついでに、 カラヤン=ベルリンフィルの ヴィヴァルディ「四季」(ヴァイオリン:ムター) ドヴォルザーク「新世界」も、買ってあげることにしました。でも、折角カラヤン様を見るのなら、今のテレビではちょっぴり寂しい。 ・・・もう10年以上使ってるし、 画像がメチャメチャ粗いし、 何といっても、今にも壊れそう・・・もうすぐ、結婚記念日なのでテレビも新調しよう!!!地デジ対応のテレビとカラヤン様が本日届きました。おおおおおおおおお・・・今までの古いテレビの画像に慣れていたせいかメチャメチャ綺麗!!!音もいいぜ!!!嫁様は、テレビは、喜んでくれたようですが、メインの「カラヤン様」はあんまり嬉しくなかったようです。かと言って、返品も出来ないので「しようがねぇなぁ。 俺様がモト取れるぐらい観賞しまくるか・・・」
2008年07月06日
夜間勤務故に、通勤ラッシュとは無縁…なのですが、流石に「大都会名古屋」は簡単には安らぎを与えてはくれません。岐阜行きの「快速」電車はちょうど乗車率100%ぐらいの人がホーム狭しと待ち構えています。名古屋⇒岐阜 18分で行く満員の「快速」を尻目に名古屋⇒岐阜を26分かけて各駅に停車する「鈍行」に乗りました。涼しくて、まるで貸し切り状態です。冷たい缶コーヒーを買いに行く余裕も有ります。8分余分にくつろげて得した気分です。「快速」に乗ってたら、今頃汗だくでしんどい思いをしてる事でしょう。普段、時間に追われ時間を「切り売り」して生きる糧を得てますが、今日は、「名古屋⇒岐阜」、26分間の時間の贅沢を味わいました。些細な事にも幸せを感ずる「かむ太郎」です。 (^.^)
2008年07月06日
帰宅途中のバスの中です。夕方に出勤する時も「あちいぃ~」と思いましたが、この時間も「あちいぃ~」昨年は、観測記録を塗り替える40,9度を記録した岐阜県ですが、昨年は毎日部屋の中にいたので実感がありません。…今年の夏も暑いんだろうなあ~スーツは流石に暑すぎるので、今夜から軽装で出勤します。
2008年07月05日
深夜の2時半~4時半まで2時間休憩です。食事して、仮眠します。はっきり言って反ダイエット行為です。今は、保険証が無い状態です。(T_T)来月には保険証が手に入るので久しぶりに掛かり付けの病院に定期検診に行く予定です。毎月一回行かなければアカンのですが、最近行ってません。主治医に、こっぴどく叱られるでしょう。せめて体重を落として、血液検査の結果を良好にしないとあの先生は、「強制入院!」…と言いそうです。 (-.-)
2008年07月05日
夜勤明けで帰宅して、風呂に入り、めし喰って、本を読んでいると…さてそろそろにっくき「おでん体操」が大音量で始まる頃…ふっふっふっ…準備万端体操が終わり次第、すぐに眠りにつく体制だぜ。?????????????????????…始まらない?(T_T) 今日は、雨でした。屋外で、体操するわけないですねぇ… 結局、中途半端に起きてます。私の人生は、「おでん体操」と「雨」に振り回されてます。(TへT)
2008年07月03日
恋ぃ~~にぃ~ 揺れ~るぅ~松山千春も、お得意の歌の中のひとつです。長い夜間勤務の初日が終わりました。体力は、ほとんど使わない仕事ですが、非常に神経を使う仕事です。終わると同時に、どっと疲れます。幸い、行き帰りの電車もバスもゆったりと座れるので、なんぼかマシです。さて、折角の「長時間通勤」ですので、この時間を、如何に有意義に使うか!…で、私の将来に少なからず影響してきます。帰宅後も「おでん体操」の時間には、なるべく眠らずに体操終了までに、入浴・めし…などを済ませ逆算して、隙間時間に勉強をしよう!仕事や、勉強を差し置いて、私の生活は「おでん体操」が中心になってしまいました。
2008年07月03日
今日から、夜間勤務に合わせて名古屋まで通勤です。流石にこの時間はバスも電車もず~っと座って行けます。拘束時間が長いので、行きも帰りもゆっくりと座れるのはとっても有り難い事です。
2008年07月02日
我が家の目の前に保育園が有ります。※嫁様の仕事先ではありません。今月に入って、夜間勤務中心の生活になるので、昼間に「短時間に、如何に深く眠るか」が課題になります。ちょうど、深い眠りに入る頃にちくわぶ ちくわぶはんぺん はんぺん保育園の「おでん体操」が始まります。以前、自宅で仕事をしていた頃もこの「おでん体操」に悩まされたものです。スピーカーから、「これでもかぁ~」というくらい、でっかい音量で聞こえてきます。しかも…資格試験を受けに行くと集中すればするほど、頭の中にちくわぶ~はんぺん~のフレーズが、ぐるぐると回るのです。前途多難! (TへT)
2008年07月02日
来年の1月18日、19日がセンター試験です。 あと 199日 です。再受験生に厳しい大学、不利な大学というのが現実に存在する中で、情報を敏感に収集しながら準備を進めて行かねばなりません。普通の「浪人生」でもない私のような「高齢受験生」 ・・・こういう言葉もあるらしい。は、あまり歓迎されてないようです。が、そんな事は 「知ったこっちゃない!」・・・「調査書」とか「内申書」みたいなのは出身校へ取りに行くのでしょうか?当時の先生なんか、もう居ないだろうし「内申書」のコメント欄には記入のしようも無い、と思うのですが、どうなんでしょう?
2008年07月02日
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昨日、「野宿が流行っているらしい・・・」と言う記事を書きました。何だか、最近の若人(こんな言葉は使わないか・・・?)の思考(嗜好・志向)がよくわかりません。世間の話題や、流行に疎い私です。自分に興味の有る、偏った情報しか収集してません。後は、新聞や、テレビや、ネット上で偶然目に飛び込んで来た「へぇ~・・・そうなの?」的な情報しか入って来ません。活字中毒で、どんなに眠くても1日1回は本屋さんを覗かないと気が済みません。平積みしてある本を見ると、何となく「トレンド」が見えてきます。「ベストセラー」とか、「おすすめ」とか「今、話題の本」・・・のような書籍は絶対に買いません。買うとしたら、ほとぼりが冷めた頃、古本屋で、私にアピールして来た本が有れば、買います。「7つの習慣」とか、「さおだけ屋・・・」とかブックオフで105円で入手しました。昔読んだ本で、「おっ、懐かしい!」と感じた本も、105円なら迷わず買います。高校生の頃、高くて手が出なかった「ブルーバックス」や歴代の「芥川賞受賞作」「直木賞受賞作」も105円で、マメに集めています。 (※今でも、「芥川賞」を諦めていないので、 過去の受賞の“傾向と対策”用に集めてます。)中学・高校の頃に読んだ、「純文学」も文庫本でチョコチョコと買ってます。最近、何十年ぶりかで読み直した「純文学」は、 伊藤左千夫 「野菊の墓」 夏目漱石 「明暗」 堀辰雄 「風立ちぬ・美しい村」 梶井基次郎 「檸檬(れもん)」他、短編集 武者小路実篤 「真理先生」 有島武郎 「生まれ出ずる悩み(生れ出づる悩み)」・・・若かりし頃に、「純文学」を読み漁りましたが、今となっては、「初めて読んだ」ような感じで全く内容を覚えていません。湯水の如く時間を使って読んだのは、何だったんだろ?そんな中で、はっきりと内容を覚えていて、あの時に読んだ「感触」がまざまざと蘇ってきたのが 小林多喜二 「蟹工船・党生活者」です。最近、本屋さんで「平積み」になってるのを見てびっくりしました。今、「蟹工船」が「ベストセラー」になっているようで、とても複雑な気持ちです。「プロレタリアート」とか「階級闘争」とか「治安維持法」とか「共産主義」とか非常に「キナ臭い」言葉と連動する作家であり、作品です。昭和35年生れの私の世代でさえ、もう「学生運動」などの存在もギリギリ知っているぐらいで、ましてや、「蟹工船」の時代背景は「物語」の中でしか知らないのです。 ※高校卒業時(昭和53年)に受験した大阪の大学は、 「千里闘争」のあおりで、急遽受験会場が変更されました。 学生運動が、終焉を迎えての最後の最後の頃です。その「蟹工船」が、21世紀の平成の時代に脚光を浴びるとは、小林多喜二本人も「まさか・・・」と思うほどでしょう。「非正規雇用」「ワーキング・プア」など、様々な問題が提起されている今の環境が「蟹工船」を受け入れる土壌になっているようですが、「食の問題」や「お上の倫理」や「利益至上主義」など、今の日本は、小林多喜二の時代よりもみかけは、「裕福」ですが、その中身は、当時よりも「貧困」になっているようです。多喜二の時代は、それでも「人々のエネルギー」や「混沌とした中からの創造力」などのポテンシャルが今の時代とは比較にならないほどだったと思います。言い換えれば、当時は、「上向き」の通過点としての「蟹工船」現在は、「下向き」の通過点としての「蟹工船」のような感じがします。日本という国は、古事記の時代から連綿と続く「ひとつの国」として、人類史上、世界でも、稀に見る独立国家です。地理的な環境も有りますが、何千年も、征服される事無く独自の文化を育み欧米とは比較にならないほどの独立性を保ってきました。明治以降、諸外国との関係が急激に変化しましたが、日本独自の文化は廃る事無く諸外国の良い点を取り入れながら融合させてきました。欧米諸国が驚くほどの戦後の復興も日本人が持つポテンシャルの成せる技だと思います。そんな日本ですが、食に始まり、文化、果ては思想までもが「欧米化」されて、しかもそれが「融合」しきれません。みかけだけが先行して、中身を伴うヒマが有りません。それだけ急速に、「表面」だけが変わっていきます。小林多喜二が「蟹工船」を発表した頃に戻るのが良いわけではありませんが、「これだけは失くしてはいけない」ものを、一人一人が持たなくては、「蟹工船」の根っこに有る心も無駄になってしまいます。多喜二の時代に比べれば、今の私たちは恵まれた環境に居ます。それでも、すべての人の心が病める時代です。だからこそ、一人一人が、自分を大切にして、その心を「周りの人」にも向けていくべきだと思います。みんなが病んでいる。だからこそ、苦しさの中から、少しでも「人を思いやる」気持ちを持てば、必ず自分の癒しになるはずです。幸せの原点は、「周りを幸せにする」事だと思います。 スクロール ←小林多喜二「蟹工船・党生活者」 ←伊藤左千夫「野菊の墓」 ←堀辰雄「風立ちぬ・美しい村」 ←梶井基次郎「檸檬(れもん)」 ←有島武郎「生まれ出ずる悩み」
2008年07月01日
を書いてから、暇をみつけては25年前の写真の整理をしてます。思えば、当時は携帯電話も無くコンビニも有りません。友人と、2台で走っているわけですが、当然途中ではぐれたり、間違ったルートに入ったり・・・今では、「電話」か、「メール」で簡単に済む事も、あの頃は、結構「大変なこと」が毎日起こりました。毎朝、出発時にその日その日の「目的地」を決めてから発車します。途中ではぐれても、お互いに、自力で「目的地」を目指します。途中途中で、食事をする時にその日の「目的地」の修正・確認をします。午後6時を過ぎると、そろそろその日の「塒(ねぐら)」を探さねばなりません。狙うのは、「駅」「ガソリンスタンド」「バス停」など、“雨風を凌げる”場所です。何とか「ねぐら」を見つけても、終電後に、駅員さんに追っ払われたり、「不審者」として、尋問を受けたり、毎日毎日、平穏に眠りに付くのは至難の業です。本物の「不審者」が出没したり、気が付くと、雨でズブ濡れだったりします。なんせ、宿泊、食事、ガソリン代、フェリー代などなど総額で1人あたり「20万円」しかないので、とてもお金を出して、宿泊する事など出来ません。 ※最近は、「野宿」が流行っている・・・との事ですが、 好き好んで「野宿」する人もいるんですねぇ。当然、風呂も満足に入れません。狙うのは、トラック用のガソリンスタンドです。長距離運転の人のために「シャワー」完備のスタンドが時折存在するので、その情報を得て、なるべくその近辺に「宿泊」するように毎日のプランを立てていました。そこで、ついでに「洗濯」もします。 ※心なしか石油臭いのは、我慢です。あとは、海岸沿いを走破しつつ海水浴場あたりを宿にします。公園と同様に、屋根付きのベンチなどが有って一夜の「リビング兼寝室」に最適です。水道も有るので、「シャワー」も完備です。コンビニが無いのも、当時は当たり前で、とにかく、日が暮れるまでに「ねぐら」と「めし」を確保するのが、毎日の日課でした。さて、今年も、 あっ と言う間に半分が過ぎてしまいました。昭和58年の夏学生であった私は、名古屋に住んでました。その年の1月に親父が他界し、母親と、一番下の弟(当時小学生)を岐阜県の田舎に置いておくのも気がかりになり、かと言って、実家に戻って、そこから毎日大学に通うのは大変・・・などなど色んな問題が山積していて鬱屈した毎日を送っていました。その年も、「あっ」と言う間に半年が過ぎていました。 そんな時に、「バイクで日本一周」という、まぁ“ありがちな”事を思いついたわけです。同行した友人も、まぁ色々有った時期で・・・今から思うと、ちょっと「逃げ」も入っていたような・・・その25年前に、「何かを求めて・・・」旅立った日が、7月7日です。先日発掘した写真の整理をしつつ、25年前とシンクロさせながら、若き日の気持ちを思い出して少しずつアップして行こうと思います。
2008年07月01日
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