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十月も本日で終わりです。新しい仕事に就いて、また環境が変わりましたがどうにか無事に一ヶ月過ごせました。(^。^)経済的には、ようやく「“普通の”貧乏人」のレベルに戻って来ました。トランプゲームを思い出して頂ければわかりやすいと思いますが、「大富豪」で、簡単に勝ち続ける時よりも、「大貧民」を脱して「“普通の”貧民」に“のし上がる”時の喜びは、ひとしおです。(゚-゚)目まぐるしく職を変えながら、環境も変化してきましたが、なんとしてでも、今の生活を維持して本来の成すべき事に、もっともっと時間を割けるように、まだまだ改善していかねばなりません。日々勝負日々前進です。
2008年10月31日
昨夜は、歓迎会が深夜まで続き、終電を逃してしまったのでサウナに、お泊りでした。※当然ですが、若い衆の挑戦は、すべて返り討ちです。本日は昼からの出社ですので、朝風呂に入って、歩いて来ました。空は、すっかり冬模様で、風も冷たく感じます。流星号で、外へ出て先程昼食を済ませました。ベンチに置いたコーヒーをこぼしてしまい、安いはずのコーヒーが、「一口百円」の高級コーヒーになりました。
2008年10月31日
昨日、冬の気配を感じた…と思ったら、今朝はめちゃめちゃ寒くて、弱りました。幸い、本日は事務所内勤務です。おにぎりを食べながら、ひなたぼっこです。(^。^)
2008年10月30日
この前、仕事先の私の所属チームで「歓迎会」を開催して頂きました。普段から、お酒の席では、『誰の、どんな挑戦も受けて立つ』という主義ですので、そこそこ飲める“若い衆”から杯を勧められる事が度々有ります。前回も、例に漏れず若い衆の挑戦を受けて返り討ちにしました。それ以来まだ社内の人の“顔と名前が一致しない”私は、いろんな人から「お酒、強いらしいですね?」と声をかけられます。『仕事が出来るんかどうか、まだ、よ~わからんけど“酒は”強いらしい かむ太郎さん』…という感じです。その後も、噂に尾ひれが付いて「得体の知れない人」になってしまってます。(TへT)そこへ、明日「事務所全員」…40人程での「恒例の飲み会」に私の歓迎会を合わせて開催する!との、「おふれ」が有りました。早速、他の部署の若い衆が「宣戦布告」して来ました。尾ひれが付いた噂を聞いてそれでも挑んで来るのですから、相当なもんなんだろうと、戦々恐々としてます。果たして明日は無事に帰宅できるか?※皆、明後日も、その翌日の土曜日も仕事だぜ。
2008年10月29日
「風防」と「前かご」を装着した「流星号(改)」本日は、遅番です。昼ご飯を食べずに外へ出て来て一段落したら…もう夕方4時です。(-.-)マクドナルドで、かなり遅めの昼食を取りました。この前まで「アイスコーヒー!」を注文してたのが、今日は、「ホットコーヒー」です。空の色も風の音も空気の匂いもいつの間にか、冬の気配が漂っています。流星号も、昨日「風防」を取り付けて冬支度です。(^。^)※若かりし頃に乗っていたバイクの「カウル」が、“風を切る”ような流線的な形だったのに対し、「風防」(“バイザー”と言うらしい。)は、ほぼ“垂直に”壁のように設置され、全面に風を受けて走ります。原付バイクとは言え、時速50kmは軽く出ますので、結構震えます。(+_+)会社負担で取り付けて頂いたので文句は言えませんが…(-.-)盗難防止を理由に取り付けを却下された「前かご」は自腹で購入しました。取付費込みで4305円の出費は、痛手ですが、合羽や、折りたたみ傘などを常備出来るので、雨が降っても安心です。(^^)(後ろのBOXには仕事の書類などを入れるので、合羽などは入りません。)
2008年10月29日
阪神タイガースの下柳投手が、子供向けのインタビューか何かで語った言葉です。「(自分がやりたい事を)辞める理由を考えないで、続ける理由を常に考えてほしい。」40才を過ぎて尚、現役投手としてチームの大黒柱に君臨する男の言葉は、深く心にしみ込みます。(゚-゚)大きな目標に立ち向かう時、様々な障害や、困難が待ち構えています。その度に、諦める理由が百でも二百でも浮かんできます。どれを取っても、その場から逃げ出し、目標に向かわなくても、「決して負けた訳じゃない。よくやった。」…と、体裁を繕うには充分な理由ばかり…。それでも、そんな誘惑に負けずにたった一つで良いから、「諦めない理由」「進み続ける理由」を見失わないようにしたいものです。(*_*)
2008年10月28日
昨日とは、打って変わって本日はです。気持ち良く外へ出ましたが、夕方になると、スーツ姿でスクーターはとても寒くなりました。(-.-)今も、手がかじかんでいます。すぐに寒い季節が来るんでしょうねぇ。早めに、流星号用の冬支度をせねば…
2008年10月27日
予想通りの雨で、思うように任務遂行出来ません。こんな時は、「慌てない慌てない一休み一休み (^.^)」…です。合羽を着て雨の中をバイクで走るのは実に20年ぶりの事です。若かりし「ライダー時代」を体が思い出したようで、また脳細胞の働きが蘇るようです。
2008年10月26日
本日は、日曜出動です。(毎日気合いを入れて出掛けるので「出勤」ではなく「出動」です。)本日も、流星号での出動が予想されます。先週は、何かとラッキーな事が続きましたので今日当たりに降られる…と覚悟しております。春の訪れの際の「三寒四温」のように運気の上昇も「三困四運」です。
2008年10月26日
本日は、流星号での出動指令が無く、終日事務仕事です。先週、昨日か、今日の内どちらかの一日を出動日に決めたのですが、「難儀な事は、早めに処理する」という信条を持って、昨日外に行きました。本日は、雨の一日を満喫です。
2008年10月24日
「生れつき運が良い人」と「生れつき運が悪い人」人間を、この二通りに分けるとすると、私は明らかに後者でしょう。(TへT)「じゃんけん」は、五分五分ぐらいだと思いますが、(過去48年間の記録が無いのが残念です…)全勝負の8割ぐらいを占める「ど~でも良い勝負」では、6:4ぐらいで勝っている感じですが、残る2割ぐらいの「わりと、でかい勝負」は、1:9ぐらいの勝率のような気がします。じゃんけんですら、その程度ですので、「ここぞ!」という時の二択は、ほとんど「はずれ」です。選択式の試験でも、実力以外の「勘」に頼ったのは、ほぼ全滅。「〇か×か」の二択でも芳しく有りません。普通は、「実力+まぐれ当たり」が実際の点数になりますが、私の場合、「まぐれ当たり」は期待出来ません。「実際の点数=実力」になります。「持って生まれた運」が圧倒的に少ない!」と感じてから、自分の行動をいろいろ観察してみました。まず、何も考えずにスーパーのレジに並ぶと…必ず、隣のレジに後から並んだ人の方が私より先に進んでいます。純粋に「運」に頼る割合を少なくする為に「観察力」を付けて、●レジに並ぶ人数チェック●レジ係の習熟度を推測●並んでいる人の買い物かごの中身などを総合的に判断するようになってからは、以前より、すんなりと進んでいくようになりました。私の場合、レジに並ぶにも「運」ではなく「実力」を身につけて並びます。(レジに並びながら腹式呼吸をして精神統一をしている“ないすがい”が居たらそれは私ですので、レジのお姉さんは心して対応して下さい。決して「非常ベル」を鳴らしてはいけません。・・・それでも私の前のお客さんが、「お団子のパック」ひとつだけなのに値段が不明でレジ係が売り場まで行ってなかなか戻らない。…とか「実力で」隣のレジのお客さんより早く私の番になったかと思ったらレジのロール紙が無くなって、しかも、用意してあるはずのストックまで無い!ここまで来ると「実力」だけではどうにもなりません。(T_T)腹を立てる日が続きました。レジ以外の「分野」でも、例をあげればきりが有りません。(T_T)『どうせ、〇〇を選ぶと逆になるから…』と、裏をかいたらその逆になるし、裏の裏…とか、何をしても結局はは・す・れ…です。 (T_T)結論は、「どっちみち裏目が回って来る」という事実を、甘んじて受け入れる事にしました。(T_T)それ以来100人に1人の確率で、「お団子」の値段がわからない時も1000人に1人の確率でレジロールが切れ、なおかつストックも無いという状態の時も「ふっふっふっ…お姉ちゃん!俺様の時でラッキーだったな!ややこしい客なら暴れてるでぇ。」と心の中で、レジのお姉さんのラッキーを祝福します。また、私自身にも『仮に、1000人に1人の確率やとしたら、二択の問題を、あてずっぽに10問連続正解するのと同じやん!』こうして、滅多にないであろう事に出くわす度に「おおまた俺様のところに“当たり”が…」と、その時の記憶を心の中に保存してコレクションにしてます。この先、普通の確率論で、過ごしていては「起死回生」など有り得ないので、目先の利益だろうが、不利益だろうが、確率的に「珍しい事象」は、「良い事」として受け入れる癖を付けてます。自分の周りの「珍しい事象」を良い事も、悪い事も甘受しているうちに「めちゃめちゃラッキー」な事が、一歩一歩確実に私の元に近付いて来るのがわかります。もちろん、「実力」をつける努力も惜しみません!
2008年10月23日
本日昼過ぎ頃にあくせす「60000」突破致しました。ありがとうございます。さて、昼間流星号と外に出て雨に降られました。ところが、近くに雨宿りにうってつけの公園が有りました。雨に濡れた事を「くそ~」と、落胆するか…雨宿り出来た事を「らっき~」と、喜ぶか…この二つに代表されるような選択肢が、日常生活には無数に有ります。一つ一つの感情の違いは、それほど大袈裟なものでは有りません。ところが、そんな些細な感情の違いも一回一回一日一日一週一週一ヶ月一ヶ月一年一年どんどんと積み重ねて行くと、人生が大きく違って来ます。私達の「脳」の潜在意識にはとてつも無く大きな力(パワー)が有ります。ところが、潜在意識は、外からの「暗示」に非常に弱く、何度も何度も強く言い聞かせると「そうかも知れんなぁ」 ↓↓↓「そうであるような気がしてきた」 ↓↓↓「きっとそうに違いない」 ↓↓↓最後には、「現実にそうなんや」 ↓↓↓「そうなっている状態をキープするぜ」てな具合に、結構単純で思い込みが激しくそれでいて、私達の精神・身体にまで水面下で指令を出してコントロールしてしまいます。これほど私達の体と心に影響力を持っている…しかも、単純で思い込みが激しい。それなら、上手い事利用せんと損です。先程の「そうかも知れんなぁ」 ↓↓↓「そうであるような気がしてきた」 ↓↓↓「きっとそうに違いない」 ↓↓↓最後には、「現実にそうなんや」 ↓↓↓「そうなっている状態をキープするぜ」の「そう」に何を入れて潜在意識をだまくらかすか…「雨に濡れて、とほほ」か、「雨宿りできてラッキー」か、の積み重ねで潜在意識は如何ようにも変わります。繰り返しますが、潜在意識は、私達の精神・身体ひいては、能力にまで絶大な影響力を持っています。だけど、逆に精神・身体からも影響を受け易く「強く」「繰り返される」暗示にはいとも簡単に反応します。後は、北斗の拳のケンシロウのように「きさまは、既にラッキーである」と言い聞かせていれば、潜在意識が「そうなんや…」と、思い込みます。そこで、すかさず私「雨が降ったけど、雨宿り出来てラッキー」潜「あ、本当や!ラッキーラッキー」些細な事でも「幸せぐせ」をつけてやれば「“幸せ状態”しか、いや!」と、全細胞、全神経、全思考回路に「進路!“幸せ状態”」命令を下します。こうなれば、「既に“幸せ”に向かっている!」ただし、潜在意識は、ちょっとした疑念に脆いので「本当に、ラッキーなんやろか?」などと疑った時点で、すぐに「振り出し」に戻ります。しかも、「疑念の前科一回」となって、前より悪い状態から再構築せねばなりません。過去を振り返って見れば●いやな事●不安な事●腹が立つ事などなど「“幸せ”じゃない事」を「強く」「繰り返し」心に抱いて、見事に「思い通り」になって来ました。(T_T)※昨夜NHKの番組でやってましたが、無理矢理「笑顔」を作るだけでも脳は、「快感」を得る…ようです。まずは、うわべだけでも形だけでも脳と潜在意識を喜ばせるように日々訓練していけば、やがて自然に、「脳を喜ばせる」=「幸せ状態」になっていきます。雨に濡れても…笑顔雨宿り出来たら…更に笑顔何が有っても笑顔を絶やさなければそのうち、潜在意識も騙されて幸せな方に進路を取ります。
2008年10月22日
曇り空の中を、今日も流星号で出動です。う~~ん…予想通り雨が降って来ました。(T_T)近くに公園が有ったので緊急避難です。公園の休憩所は、藤棚とか、網目状の屋根とか…雨宿りには不適切な場合が多いのですが、ここの休憩所は、カーポートのようで快適に雨宿りが出来ます。(^。^)些細な事ですが、最近少しずつ身の回りが「ラッキー状態」です。(^^)v
2008年10月22日
出勤の際には、「早めのバスに乗る」主義です。本日は、遅番ですので昼からの勤務です。いつもの「早めのバス」より更に30分早いバスに乗りました。(※この時間は、1時間に2本しか出ません。)岐阜駅から名古屋行きの電車に乗ります。いつものホームから快速が出ますが、10分後に違うホームから「鈍行」が出ます。快速をやめて、鈍行のホームに向かいました。出発時刻が10分遅いのに、鈍行ですので名古屋に着くのは、合計で15分遅くなります。それでも、名古屋に着いてからマクドナルドでたっぷりと過ごす時間が有ります。缶コーヒーを買って、鈍行に乗り込むと学生時代に、なけなしのお金を持って「行けるとこ迄」の切符で見知らぬ土地へわくわくしながら出掛けた時をしみじみと思い出します。慌ただしいはずの通勤時にゆっくりと流れる時間と記憶の隅に有る心地良い感覚…それらに包まれて、20分足らずの「しあわせ」を味わっています。普段忙しくて、なかなか休息がとれない休みの日も、仕事のことが頭から離れないやる事が多くて、身も心も休む暇がない…そんな暮らしを何年も続けて来ましたが、寝る時間も惜しんで、休日も返上して…結果は、身も心もボロボロなのに、それほど結果は伴っていないもんです。慢性的寝不足状態で、不健康な体では、仕事もはかどるはずがありません。今から思うと、「サイドブレーキをかけたままローギアで、アクセルフルボトムで高速道路を突っ走る」ような毎日でした。結果は明らかです。スピードが出ないので、アクセルを緩める余裕も無く、休憩したら、ますます遅れるような気がして、どんどん疲労が蓄積して、後は、エンジンが焼け付くのを待つばかり…こんな簡単な事さえ気が付かない状態になってしまうから恐ろしい事です。ちょっと休憩して、一回車を降りてもう一度エンジンをかける事から始めれば「な~んだ」と気が付きます。「一回スイッチを切って“休憩する勇気”」 を持てば、「走り続ける」より良い結果になります。最近、ようやく周りの景色を見る余裕が出来ました。時折、ゆっくりと立ち止まる事によって次の一歩が、より力強く踏み出せるように感じます。時には、スイッチを切って立ち止まる…幸せを感じて、次の歩を進める為の大切な時間だと自分に言い聞かせています。
2008年10月22日
先週から、「平準化」を心掛けて、淡々と職務を遂行しますが、なかなか結果が出ません。表向きは冷静さを装いながらも、内心は、日増しに不安と焦りが大きくなって来ます。それでも、何とか頑張って来たらようやく、今日の夕方に大きな成果がひとつ実りました。ちょっぴり、気持ちが楽になりました。一日成果ひとつ…が、当面の目標ですが、まずは、一日の職務を確実に全うする事です。焦らなければ、結果はついてくる…はず!
2008年10月20日
流星号の走行距離が、100kmになりました。
2008年10月20日
金曜日の夜に、新しい職場で、私の歓迎会をしていただきました。お酒の席は、久しぶりでしたので、大人しくネコを被って飲んでおりましたが、若い衆の1人が、「どっちが沢山飲めるか・・・」みたいな挑戦をしてきたので、ついつい受けて立ってしまいました。久々の酒とは言え、20代の頃から、ハンパじゃない大酒飲み達に洗礼をうけながら生きてきた私にとってまだまだ、そこいらの若い衆ごときの挑戦は赤子の手をひねるようなモンです。軽くやっつけてやりました。しかし、解散する頃には、自分がどこにいるのかもわからないぐらいに酔いが回っておりました。その後、ご迷惑をおかけした方にこの場を借りて、心から、御礼と感謝を申し上げます。・・・結局、勝負に負けてたのか???
2008年10月19日
昼間の仕事のスケジュールの都合で、今月は、今夜が最後の夜間勤務です。昼間の仕事から帰って、御飯を食べる暇も無く夜のスタンドへ直行です。夜勤明けの明日は、一旦家に帰って、ひとっ風呂浴びて、着替えて・・・そのまま出勤です。せめて、夜間の楽しみを・・・と途中の、コンビニで夜食とおやつを買います。池袋で2週間研修していた時に連日コンビニで買い物をしていて、 「キュッキュ♪キュッキュ♪キュッキュキュキュッ♪ だ~てに、安くは ありません ♪ お菓子だ♪プリンだ♪ヨーグルト♪」の音楽が耳にこびり付いてしまい、最近は、「99円SHOP」を愛用し始めました。今夜のおやつは、 よ~かん です。「塩ようかん(沖縄産“ぬちま~す”使用)」の文字にひかれて買ってしまいました。小倉ようかん、栗ようかん、も有ったのでついでに買ってしまいました。 ※「抹茶ようかん」も有りましたが、 「抹茶入り○○」は、あまり好きではないので 買いませんでした。・・・で、「ぬちま~す」 って、何よ???調べた所によると・・・沖縄の海(浜比嘉島近海とも、宮城島近海とも・・・)から採取した「塩」のことで、「ぬち」は、「命」「マース」は、「塩」のことだそうです。「ぬちマース=命の塩」ですね。伊達にこの名前が付いたわけでもなく、何と「ミネラル含有量世界一」ということで、ギネスブックにも登録されているそうです。更に、「モンドセレクション2007最高金賞」も受賞したようです。(この、「モンドセレクション」っていうのが 幼少の頃から正体不明なんですが・・・)・・・で、「ぬちま~す入り塩ようかん」は・・・う~ん 250g入りで1050円(で売っている) というのが、ネックなのか、 99円のようかんでは、たくさん使用できないようで・・・はっきり言って、「塩気がほとんど無い!」「ぬちま~す」なのか、「単なるNacl(塩化ナトリウム)」なのか・・・全然分かりません。そもそも、「塩ようかん」なのかどうかすら不明です。・・・それでも、「ようかん」は、幸せの味がします。追伸「ウヰスキーにチョコ」を認めるなら、「日本酒に“あんこ”」も認めよ!と、以前叫びましたが、少々訂正を・・・日本酒独特の「えぐみ」が好きな方は、“ようかん”や、“あんこ”が「アテ(つまみ)」として絶品 なのは、『異論が無い』と思いますが、大吟醸系の、「ほんわかとした甘み」「フルーティな味」を好む方には、“あんこ”の甘みが、酒の「えぐみ」を際立たせるので『ちょっと』合わないかもしれません。 「99円羊羹(ようかん)」三種 ↓↓↓
2008年10月17日
絶好のツーリング日和です。昼前に事務仕事を片付けて、昼食も取らずに「流星号」で出動です。(^.^)※「流星号」=会社が用意してくれた“近場移動用”のスクーター(HONDAのToday)「どうしても今日行かなければならない」…という訳でもない所まで遠征です。昨日「こぉひぃぶれいく」した時、「ころんびあ」などとかっこ付けて注文したら600円も取られて、びっくり!結局、ご飯代が無くなって昼ご飯抜きでした。今日は、マクドナルドでコーヒーとマックポークとチーズバーガー(ピクルス抜き)しめて360円です。お腹も満足したところで、いざ!ツーリング…間違いいざ!仕事の続き!と意気込んで駐輪場へ来たら、 (T_T) (T△T) (T▽T) (T◇T) (T□T) (TへT)「流星号」が、いません。半泣きで、「流星号、応答してくれよ~」 (スーパージェッターが「応答せよ!」と、命令口調なのに対し 私は何故か哀願口調です。)と呟くと、後ろから警備員さんが、「スクーターは、あそこに移動しましたよ。」と“二輪置場”らしき場所を指差しました。確かに、「ここは自転車専用です。二輪車は…」と書いて有ります。流星号…無事で良かった!「流星号!応答してくれよ~」という呟きが、警備員さんに聞こえてませんように…
2008年10月16日
「朝から夕方まで」の勤務と、「昼から夜まで」の勤務が交互に続いてます。「朝から夕方まで」の翌日が「昼から夜まで」の時は、早目に帰宅して夜更かし出来ますが、逆の時は、遅い帰宅時間で、朝が早いので、生活リズムが安定しません。「今朝は何時のバスに乗るんだっけ?」毎朝寝ぼけまなこで、冷蔵庫に貼ってある時刻表を確認します。基本的には、「ぎりぎり間に合うバスより二つ早いバス」に乗ります。※都会ではないので、通勤時間帯でも1時間に3~4本です。バスでJR岐阜駅まで行って、岐阜~名古屋は、JRに乗ります。混雑する快速を避けて鈍行に乗っても、時間に余裕が有ります。何となく「各駅停車」とか「鈍行」に愛着を感じてしまいます。岐阜駅を出る時は、快速と違ってまだ満員にはなりません。(座る事はできませんが…)電車に乗るお姉さん達の足元を見ると、少しずつ「ブーツ」が増えて来ました。季節の移り変わりを感じます。(でも、ブーツの人に限ってミニスカートや、短めのパンツを履いてます。寒いからブーツ…と言う訳じゃないんやねぇ。)
2008年10月16日
休憩した喫茶店のトイレ ↑↑↑昼から、単独でひたすら任務を遂行しております。一通り済んだところで「こぉひぃぶれいく」です。(^.^)喫茶店のトイレに入ったら、こ洒落た内装に思わず写真を撮りました。
2008年10月15日
新しい仕事に就いて、九月から研修やら、OJTやら…一通りの事を叩き込まれて来ました。仕事の内容や仕組みが全社的に変わったらしく、本日から、私が「検証役」として行動します。●何もわからない素人●四十代後半という条件下で、一人前に仕事が出来れば今まで私に適用してきたプログラムが「有効」と判断される訳です。私の意見・感想を反映して改良・補完して、今後の人材教育やマニュアル作成の基礎となるので、重大な任務です。私の判断や思惑を、極力押さえて「平準化」できる行動をしなければなりません。私の一日の行動は、ほぼ正確にレポートされて、連日検討されます。モルモットになった気分です。それでも、主旨は理解出来ますし、私次第で、良くも悪くもなるので、気合い入れてやるぜ!…と、気合いを入れる事自体が既に「平準化」されてません。あくまで、「普通に」遂行して、その結果を検証せねばなりません。淡々と職務遂行です。
2008年10月15日
本文とは無関係の写真 ↑↑↑(昨日高山へ行った帰りの清見村)本日は、「親睦食事会」で、遅くなりました。最終バスの時間は、とっくに過ぎてますが、バス停に、こそ~っと「深夜バス」の表記が…(・o・)らっき~!「料金は、通常の倍額です。」と追記して有りましたが、タクシーに乗る事を思えばありがたい事です。通常とは、運行経路も違うようで、「〇〇方面は行きません。」「料金は、通常の倍額です。」とバス停に止まったり、通過する度に車内アナウンスが流れます。
2008年10月14日
久しぶりに、高山の「そば処東山」に来ました。新蕎麦の時期になり、旨さも格別です。「ぶっかけ蕎麦」を食べた直後に「そば湯」が出てきました。普通は、薄く色付いた上澄みが多く、下の方に濃厚な白い部分が有るんですが、ここのは、全部濃厚です。「そば湯」と「天丼」と「きな粉そば餅」の写真を載せておきます。 2008年10月16日 22時30分38秒追記:2010年4月の記事は ⇒こちら 「トランブルー」他も記載してます。v(^。^)そば処 東山 (そば / 高山)★★★★☆ 4.5トラン・ブルー (パン / 高山)★★★★☆ 4.5
2008年10月13日
昨日、オカンの事を書いてから、当時の事をいろいろ思い出しました。48歳で他界した親父は「酒豪」であり、同時に「酒乱」であり、「美食家」でした。私は、「自称“ぐるめ”」ですが、幼い頃から、貧乏生活が染み付いているくせに食べ物だけは、ちょっとうるさいのです。「酒豪(酒乱)」の父は、生まれが北海道で後に、信州⇒岐阜と移り住んで来ました。信州、岐阜は「海無し県」ですので、昭和40年代は、「イキの良い魚」がありません。今でも覚えていますが、正月用に、オカンが、なけなしの金をはたいて「数の子」を調達して来ました。酒のアテに出された、その数の子を一口食べた親父は、いきなり窓を開けて、「ちび!食え!」と、我が家の愛犬(「なんとかテリア」っていう犬でした。)に数の子を全部やってしまいます。更に、ヅカヅカと冷蔵庫に向かい、残りの数の子も、全部裏庭に捨ててしまいました。「こんな出来の悪い数の子は、北海道なら畑の肥料ぢゃ!」と、ムチャな事を叫びます。魚は、かなり高い確率で、「ちび」の御飯か、文字通り「裏の畑の肥料」になってました。我が家の食卓は、「一汁五菜三肴」が基本でした。 汁物一品 おかずが五品 晩酌用の酒の肴(=“アテ”)に三品家にお金が有ろうが無かろうが、オカンにはこれだけの使命が有りました。しかも、同じ品が二日続く・・・などは、御法度です。幸か不幸か、親父は、週に7日は、飲んで帰ってくるので、「今日はメシは、要らん!」という日が有ります。今のように携帯電話が有るわけでもなく、有ったとしても、「これから帰る」とか「今日は、メシは要らない」などと連絡してくるようなタマではないので、“その時”になって初めて、「メシを食う」「食わん」が判明します。何を食べて帰ってくるかもわからず、腹が減ってるか否かもわからず、昼間に何をどれぐらい食べたかもわかりません。ですから、めったな事では、カレーとか、丼モノなど、「昼間に食べたかもしれないもの」は、出せません。二日続けて同じもの・・ですら御法度なのですから、「昼も夜も同じもの」などは言語道断です。自然と、オカンのレパートリーは、「外食では、食えないようなもの」が増えていきます。素材も、「できるだけ良い物」になります。家が裕福で、金に糸目をつけない!のなら良いですが、むしろその反対でしたので、さぞかし、苦労した事と思います。※最近判明したのですが、 「あの頃には珍しい“レンジ”が有ったし、 冷凍も工夫してたしねぇ。」 そう言えば、数年に一度 「親父の仕事が波に乗って、たまたまお金が有る時」 を狙って、オカンは、「電子レンジ」とか 「最新冷蔵庫」とかを買ってました。 借金取りが取立てに来て、テレビや 冷蔵庫などを持っていった時も レンジは、新聞紙にくるんで、 裏の草むらに隠してました。 レンジなくして、当時の「一汁五菜三肴」は成り立たない。 親父は、「レンジは、子供のお菓子を作るもの」 と思っていたようです。外でメシを食ってきて「旨い!」と思ったものは家に持ち帰って、夜中だろうが明け方だろうが私もたたき起こされて食べさせられます。さぞかし、旨いものだったのでしょうが、ねぼけたガキにそんな判別は出来ません。それでも、起きてる時に食べたものは今でも思い出せるような旨いものばかりでした。親父は、時折「謎の遠征」をしていたので、帰ってこない時も有りました。そんな日は文字通り「一汁一菜」です。「たまごかけ御飯」「納豆御飯」「ふりかけ御飯」「お茶漬け」究極は、「御飯をおかずに、御飯」親父がいる時といない時は、はっきりと違います。ただ、親父がいない時は「平和」でした。結果的には、親父は平均して週に2~3日しか、家でまともにメシを食べないのでオカンは、なんとか「五菜三肴」をクリアしていたようです。ある晩、いつものように酔っ払って帰った親父が「こんなモン食えるかぁ!」と、得意の「チャブ台返し」をやっちゃいました。オカンが、魚屋さんで、「とびっきりイキの良いヤツ」を買ってきたのですが、昭和40年代当時の岐阜県の田舎では昭和20年代当時の北海道の味には遠く及ばないのは明らかで、おそらく、どんな魚も親父の口には合いません。怒り狂う親父は「酒もって来~い!」と叫びます。“深夜の恒例行事”とは言え、困ったもんです。その時、寝ぼけながらも子供の私が考えた事が有ります。「お酒飲むから、アカンのや。 でも、甘酒だったら子供でも飲むし・・・ 家の酒を甘酒にしちゃえばええんとちゃうか?」我ながら、「筋の通った名案」と思いながら、こっそりと、一升瓶にサラサラ・・・・・・お砂糖を入れました。「ふっふっふっ・・・ これで、我が家の食卓も 修羅場から、一転、一家団欒の場になるぜ。」 その時は、本気でそう思ったんだから、仕方ないでしょ! そう確信を持って親父に「甘酒」を差し出しました。“何故か”「ぐー」で殴られたのは言うまでも有りません。ヘビースモーカーであり、酒豪(酒乱)であり、晩年は、妖しげなお薬も使っていたのでは???と思われる親父でしたが、「嗅覚」と「味覚」は並外れたものが有ったようです。道産子の曾爺様、爺様、親父・・・と美食家だったようで、「食は三代」と言われるように江戸っ子のように、三代続いて初めて本物という信念で子供には、「ええモノ」を食わせていたようです。「ええモノ」と言っても派手なものばかりでなく「米」「味噌」「醤油」「塩」「酢」「砂糖」・・・味覚の基礎となるものは妥協無しでした。貧乏長屋のような所に住んでいながら、御飯は豪華ですので、晩飯を食いに、いろんな人が来てました。八百屋さんや、米屋さん、魚屋さん、酒屋さん・・・ほとんど「ツケ」で買うくせに、特注品や、「年に一回しか出ない」高級品を買う。あんまり評判の良くない一家でした。特に、米には異常なまでにこだわりが有ったようです。当時の地理的環境を差し引いても、「旨いもの」を食べていたのを思い出します。(愛犬「ちび」も旨いもん食ってたなあ・・)かくして、「代々美食家計画」の四代目にあたる私は知らず知らずに舌と鼻が鍛えられていたようで、特に、「米」「水」には敏感です。爺様、親父が特にこだわっていたのが「お酒」でした。そんな「美酒家」に「即席甘酒」は通用しませんねぇ。※親父の素行不良ぶりは、 我が父を、ちょっぴり語る さっきの続き・・・我が父をちょっぴり語るを参照下さい。スクロール
2008年10月13日
毎年、この季節になると思い出す事が有ります。私は、中学にあがるまで、小児喘息を患っていました。経験の有る方にはご理解いただけると思いますが、発作が起こると、 「死んだ方が楽かもしれん・・・」と、本気で思うほど壮絶な苦しみが襲ってきます。特に、夜、横になって眠る時が一番発作が起きやすいのです。その為、「また、発作が起きたらどうしよう・・・」という恐怖が先立ち、体調の良い日ですら、寝る時既に、体調が悪化に向かっているのです。季節の変わり目・・・残暑が去り、急激に秋に変わるちょうど今頃が一番発作の起きる頃です。深夜、ひとたび発作が起きるとまず精神的にやられてしまいます。呼吸が苦しくて、喉が「ひゅ~ひゅ~ぜ~ぜ~」咳も止まず体力も消耗してきて、苦しさと、得体の知れない絶望と、「これから、どうなっちゃうんだろ・・・」という不安とが入り混じってやがて涙が出てきます。『医者へ行くと、お金もかかるし、T先生にも迷惑かけるし・・・』 ↑過去日記参照子供心に、そんな事を思いながら、しばらく苦痛に耐えるのですが、やがて、気が付いた母親が起きて、身支度を始めます。肌寒くなった秋の深夜、自転車の後ろで、夜空の星を眺めて気を紛らしながら、「T医院」へ向かいます。意識は朦朧として、数分後には深夜に叩き起こされて眠そうな「T先生」の前にいます。ある晩、自転車の後ろで半死半生で虚ろな眼をしながらぼんやりとしていると・・・何かが落ちてるのを見つけました。普段なら、気にせず一刻も早く「T医院」へ向かうのですが、何故かその時は、とても気になって、自転車を止めてもらいました。100mほど引き返すと・・・・・・ 「神様ありがとう」世の中に、神も仏も“サンタクロース”もいない!!!と、幼くして判断を下した私が生れて始めて「神様」を意識した瞬間です。何と、「板垣退助様御一行」です。 ※当時は、「100円札」が有り、その肖像が 「板垣死すとも、自由は死なず」の板垣退助です。 10枚の板垣退助が私の元に・・・ その頃の100円札10枚は、そこそこ「大金」です。当時小学校3年生ぐらいの私にとって、「板垣退助10人をGET」という大事件は「岐阜県で、3番目ぐらいに金持ちになった」と錯覚させるぐらいインパクトの有る事でした。 これで、「T医院」にも大きな顔をして行けるし、 お父ちゃんの借金も返して、 お米屋さんのツケも払って、 給食費も、遅れずに払って、 欲しかった「鉄人28号」のソフビも買って、 ついでに、「クッピーラムネ」も箱ごと買って、・・・・・・薔薇色の妄想が喘息の苦しみを一瞬忘れさせてくれました。 「朝になったら、警察に届けよか。」と言って、再び自転車を走らせた母親に、「うちは、お金ないから貰っておいてもええやん」と私は言いました。すると、母親はいきなり自転車をとめて喘息の発作で「ひゅ~ひゅ~」と喉を鳴らしている私に ば し ~ っっと、強烈な平手打ちをくらわせました。「そんな考えしてるんやったら このままここで苦しんで死んだ方がええわ!」わけがわかりませんでしたが、その場で自転車を下ろされて、ただただ、不安と苦しみだけの私は「ごめんなさい」と言って、医者へ連れて行ってもらわないと、本当に死んでしまうような気がしました。朝、学校へ行く途中で警察署に立ち寄り、「拾得物ナンタラカンタラ」という書類を書いて「板垣様御一行」を“預けて”来ました。六ヶ月経過して落とし主が現れないと私の元へ帰ってくるのです。毎日毎日「落とし主現われませんように・・・」と願い続け、「落とし主現れたよ~」なんて声をかけられれぬように警察署を避けて遠回りしながら登下校しました。その六ヶ月は、我が人生で「最も長く感じた六ヶ月」になったのは言うまでも有りません。 ※六ヶ月後、「板垣様」を迎えに行った時の ドキドキ感(本当に落とし主が現れてないのか?)と、 無事に(?)「板垣様」が帰ってきた喜びに味を占めた私は、 その後も、50円玉(当時はデカイ)だろうが 10円玉だろうが、警察署へ届けまくりました。 一時は、「拾得物ナンタラカンタラ」を常に数枚 机の引き出しの「宝箱」に保管してました。 ・・・10円届けられて書類を書く警察も さぞかし迷惑だった事でしょう。 因みに、「板垣退助様御一行」が帰ってきたのは、 六ヵ月後の4月初めです。 お母ちゃんの誕生日が「4月5日」ですので、 警察で、「板垣様」を手にした帰り道に 花屋さんに寄って花束を買いました。 お母ちゃんが涙を流しました。 私も、泣いていましたが、 私の涙の半分は 「【板垣様御一行】=【花束の値段】にびっくりし、 薔薇色の妄想が一気に吹き飛んだ悲しみの涙」 だという事を、お母ちゃんは知る由も有りません。 その後、体の成長とともに、「喘息」は少しずつ快方に向かいました。それでも、この時期には突発的に発作が起き、あまりの苦しさに、実家に「有るはず」の「気管支拡張剤」という定量噴霧式のボンベ状の薬を求めて、「京都⇒大垣」間の高速道路を、当時の愛車「GSX400FS IMPULSE(インパルス)」に乗り、時速180km~200kmで走破した事も有ります。(しかも、その日は 死ぬか、と思うほどの吹雪でしたが、 それでも一刻も早く欲しいのが「気管支拡張剤」なのです。)後に、多い時は、狭い家の中で家ネコ8匹に囲まれ、一日中家の中でタバコを吸いながら仕事をしてました。不思議なことに、その頃から、ほとんど発作が起きません。それでも、過去の忌まわしい苦しみの記憶から「気管支拡張剤」は、お守りのように、常に携帯しています。スクロール
2008年10月12日
久しぶりに、GSの夜勤です。 「GS」と言っても、 「グループサウンズ」の夜勤では有りません。元々は、柿畑だった場所に作ったガソリンスタンドです。夜は、静かで心が安らぎます。メインの仕事が、昼間の勤務に変わった為に、以前のようにスンナリとは夜勤に入れません。スケジュール自体が噛み合わず、夜勤シフトも、他の人に無理を言って代わってもらっています。昼間の仕事優先になるので、夜勤は週に1~2回が限界です。来週は、昼間の仕事先で、私の歓迎会を開いてくれるそうです。「勉強しますので、帰ります。」な~んて事も言えませんし、皆さん、私に気を使ってくださる方ばかりですので、久方ぶりに、お酒の席に行ってきます。流石に、その晩は「GS夜勤」は出来ませんので、また、無理を言って勤務を代わってもらいました。その日は、どうせ夜勤も、勉強も出来ないので、とことん飲むぜ!ふっふっふっ・・・絶対に、「ワリカン負け」しないのが自慢の「かむ太郎」です。
2008年10月11日
本日は、朝から事務所内が忙しい空気です。普段は、フレックスだったり、直行直帰の人が多いのですが、毎週金曜日は、チーム全員が雁首を揃えます。皆さん気合いが入っている中で、私一人、まだ仕事全体の流れが把握出来ません。皆が打ち合わせに入り、てきぱきと動く中、何をしてよいのかわからずオロオロしてました。「かむ太郎さん!申し訳ないけど、今日はマイペースでやって!」…と言われてもこの一週間で、教えて貰った事をメモを見ながら、ぎくしゃくと進めていました。他のチームも、入れ代わり立ち代わり…事務所内や、会議室は殺気だった雰囲気です。よほど、寂しそうにしてたのでしょうか・・・見兼ねた所長が「かむ太郎さん、ちょっと…」と、喫茶店に誘ってくれました。コーヒーを飲みながら 「今日は、何も出来ないでしょうから 私が作った“虎の巻”を差し上げます。 しっかり読んでくれれば、仕事の流れや 注意すべき事などがわかります。」コーヒーを飲みながら、仕事の概要や肝になる部分の話も賜りました。事務所に戻ってから、3時間「虎の巻」を読んで、本日は終業。おかげで、頭の中でバラバラだった仕事内容が綺麗に繋がって、全体像が見えてきました。一日無駄になりそうだったのが一転、来週から効率良く仕事ができそうです。帰り際に、所長に「忙しい日にありがとうございました。」と、お礼を言うと 「忙しい日に私までバタバタしてては駄目ですから、 皆が忙しい時は、暇にしてます。 毎週金曜日に私が暇してるのが 順調に行ってるバロメーターです。 私は、皆が暇な時に忙しいですから…」忙しい事務所の中で、気配りをして頂いた所長に感謝すると共に、「有能」と評価されてる訳も理解できました。
2008年10月10日
今週は、遅番が続いていましたが、金曜日は、配属先チームの打ち合わせの日で、本日は、久しぶりに朝7時の起床です。寝ぼけ眼でバス停まで歩きます。通学途中の小学生の固まりが、横断歩道の旗持ちの父兄に「おはようございま~す!」「おはようございま~~す!」元気のいい“がきんちょ”は、やかましいぐらい大きな声で、「おはようございま~~~す!!!」すれ違う人誰でも構わず、「おはようございま~す!」の嵐です。思わずこちらも「お、おはよう…」と返します。なかなか気持ちの良い朝です。(^.^)●「外国人が、日本に来てすぐに覚える言葉」で、「日本人が、あまり使わない言葉」というのが、「おはようございます」「ありがとうございます」「どうぞ」…だという話を聞いた事があります。たしかに、子供や外国人でも簡単に覚えて使える機会が多くて、それでいて、話した方も聞いた方も良い気分になる… (^.^)そんな、魔法のような言葉なのに日本人の大人は、あんまり使わなくなってます。眠たい朝も、一声で気分良く「おはようございます!」今日も一日元気良く過ごしましょう!
2008年10月10日
移動用に、会社が用意してくれた「新車」が、納車されました。(^.^)…スクーターですが、何か?ホンダの「TODAY」です。命名「流星号」です。(+_+)
2008年10月09日
昭和45年、私が小学校5年生、大阪万博の年からず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ っと阪神ファンです。昭和60年までは、長く辛い時期でした。その後も、不遇の時期が続きました。優勝の年も、浮かれる事なく最下位の年も、嘆く事なく、応援して来ました。昨日の試合は、私の何百倍もの悔しさを選手が感じているはずです。「頑張れ!」と言うまでもなくめちゃめちゃ頑張っているはずです。最後の1試合で、逆転された年も有れば、「最下位」が指定席の頃も有りました。プロとして、「優勝」が最高の結果ですが、それだけではない、いろんな事をこの39年間に味わって来ました。阪神ファンは、沈着冷静で、人の心の痛みを理解し、長い目で見守る事ができ、勝って奢る事無く、負けて悲しむ事無く、心から応援し続けるのです。河島英五の「時代おくれ」が聞こえてくるぜ…♪ (TへT)
2008年10月09日
今日も、昼から勤務の遅番です。一つ早いバスで出たので時間に余裕が有ります。栄の「オアシス21」のマクドナルドで少し早めのお昼ご飯です。ハンバーガーとマックポークとアイスコーヒーで、340円也。外は、汗ばむ陽気ですが、店内は寒いぐらい冷房が効いてます。ちびまる子ちゃんのカップで少し得した気分です。(^.^)
2008年10月08日
本日は、昼から勤務の「遅番」です。夜9時に勤務終了して今、9時35分名古屋駅発岐阜行きの電車に乗りました。平日の、こんな時間でも乗車率は100%以上です。座れません。本日も、程よい汗を書いて仕事を終えました。現在の環境に感謝しながらも、安穏とする事無きよう、日々「己の成すべき事」を確認しております。ぬるま湯に浸かる事無きよう心身に鞭打っております。23時頃に家に帰って、風呂に入って食事をすると、0時を回ります。ビールでも飲んで…と、ならぬように我が家にはビールを一本も置かない、買わない!としました。
2008年10月07日
新しい職場では、習得すべき事が毎日毎日わんさかと待っています。それなりの報酬を頂くのですから、悪戦苦闘しながらも、一生懸命に取り組んでいます。本日は、一日外へ出ました。歩いて移動する距離が、多少有りましたので、程よく汗をかきました。雨雲が去って、お日様が顔を出すと、皮膚の下で、我慢していた汗が、どっと吹き出します。しばらく、夜間仕事ばかりで日頃、運動不足の私にとって、お日様の下で、汗をかく…こんな「普通の事」も、清々しく、気持ち良いという感覚を思い出しました。そして、風と共に、金木犀の香りが漂うと、体いっぱいに季節を感じます。ほんのひととき、幸せを満喫しました。小さな幸せを「感じる癖」を無くすと、自分の周りに漂っている無数の幸せにも気が付かないようになりそうです。幸せも不幸も、何だか隣り合わせのようで、ひらひらと舞う目の前の幸せの裏側ばかり見てしまうと、世の中つまらない事ばかりに見えるけど、一瞬でも見える幸せの顔を、少しずつでも感じ取れれば、「幸せを感じる癖」が付きます。なかなか難しいですが、逆の事は、いつもやっちゃってます。ため息愚痴怒り「幸せを感じる癖」をつけるのが難しいなら、せめて「不幸を感じる癖」は止めよう。今日は、程よい汗と金木犀の香りで「人としての基本的幸せ」を再認識しました。帰ってから、勉強はかどるかな…?
2008年10月06日
数ヶ月間、ず~っと昼夜逆転生活をしていて、ようやく慣れたところで、本来の「朝起きて、夜寝る生活」に戻りました。どちらの生活も「寝起きは眠い」
2008年10月06日
昭和35年(1960年)1月22日に生まれて、今日10月5日で、生誕17789日目になります。この中途半端な数字には、意味が有ります。昭和58年1月31日…私が23歳になって間もなく我が父が48歳と8ヶ月で逝去しました。親父が生まれてから死ぬまでの生存日数が17788日でした。従って、本日を持って私は、「父親よりも長寿」となったわけです。中学生の頃から己を鼓舞し始め、「迷った時は、より困難な道を行け!」と言う父親の教えを「結果的に」守って生きて来ましたが、その信条も、「最後に大きな結果を伴ってこそ…意味が有った!」と言えるのです。ひょっとしたら、先祖代々「困難な道…、困難な道…」と呪文のようにDNAに練り込まれてマゾヒスティックなまでに「困難な道」を選んで来たような…そんな血筋です。だからこそ、そろそろ私の代で「かむ太郎一族」の真髄を形にせねば…と意気高揚する次第であります。遠祖先祖歴代の血と、今日に至るまでのそれぞれの御先祖の紆余曲折の人生が圧縮濃縮され代々受け継がれて、今の私の身と心と環境を作っています。私には子供がいないので、一族のDNAを次代へ繋ぐことが出来ません。だからこそ私の血は絶えても「かむ太郎一族、ここに有り」の証を残さないと、折角代々血を繋いで、私を造ってくれた恩に報いる事ができません。(弟には子供がいますので、一族の血は絶えませんが…)そう思うと、今までの人生は、「苦しんだ日々は使命果たす為の、過去の一族が用意してくれた大切なレッスン」に思えて来ます。(誰かの歌で聞いたような…♪♪♪あ、ユーミンの「ダンデライオン」か)我が父も、祖父も、話に聞く曽祖父も、母方の祖父も、はっきり言って、全うな人生を送った人は、いません。たまたま「一発当てた人」もいれば、「やっちまった人」もいます。「一発当てた人」の子供は、必然的に甘い考えで人生を送り、「やっちまった」結果となります。「やっちまった人」の子供は、幼い頃から抑圧されてるので、「一発当てる」ことへの執着が有ります。この繰り返しのような家系です。(順番からすると、私は「一発当てる番」なのですが・・・)どちらの番になろうとも、「普通の範囲内」で収まることを、良し!としません。そうして、どんどんと、「標準」から逸脱しているような・・・それでも、ここまで脈々と「血」が繋がってきたことを思うと、感慨深いものが有ります。秋の夜の静寂と、親父と先祖への思いと、何気なくひもといた「歎異抄」の影響で、「抹香ハイ」(抹香臭い事を考えながらハイテンション…状態)になってもうた。はたして、かむ太郎一族御先祖の真意や如何に…どど~ん
2008年10月05日
中津川「川上屋」の栗きんとんです。手前のは、栗きんとんを包んだ羊羹(ようかん)です。
2008年10月03日
朝7時半に家を出ると、夜8時頃に帰宅出来ます。以前より拘束時間が、4時間半も減りました。従って、不足がちな睡眠時間を1時間半補っても、あと3時間も余計に勉強時間が確保できます。働く皆さん!ちょっと頑張れば、勉強でも、習い事でも、スポーツでも、ひと花咲かせる為の時間はまだまだ残ってます。諦めかけていた事も、挑戦する気持ちが有れば、時間だって、脳みそだって、筋肉だって決して捨てたもんじゃ有りません。二十歳の人も、五十歳の人も、八十歳の人も、皆同じく「せいぜいあと数十年」の命ですから、やりたい事をやりながら生きていきたいものです。
2008年10月02日
先月、新しい仕事に採用され東京で二週間、名古屋(着任とは別の場所)で二週間研修を受けて、本日より正式に着任です。(本来は昨日からなのですが、月初は多忙で私にかまってられない…との事で、今日から出勤になりました。)研修期間が、通常より短い上に初めて経験する業界ですので、びくびくしてますが、そんなそぶりは微塵も感じさせない「はったりかむ太郎」です。考えてみれば、今までも「右も左もわからん」仕事ばかりで、「はったりの化けの皮」が剥がれる迄に、何とか仕事を習得して、凌いで来てます。人生も仕事も、綱渡りです。「タイトロープかむ太郎」は、今日も頑張るぜ!
2008年10月02日
神無月になりました。日本では、古来より毎年10月には、全国八百万(やおよろず)の神々が、島根県の出雲大社に集合して、何やら作戦会議を開くようで、島根県以外の地は神様が留守になります。それで、「神無月」と称するようです。従って、島根県では、「神“有”月」と言うらしいのですが、実際に島根県民と、この件について話をした事がないので、島根県民の間で根付いているのかどうか?是非知りたい所です。また、英語では10月をOCTOBER(おくとぉばぁ)と言います。以前紹介しましたが、 ↑過去日記参照「OCTO(おくと)」は、元来「8」を意味する言葉なのです。※オクトパス(たこ)は足8本、オクターブは、8音、などなど…ギリシャ・ローマ時代までは、実際に「8月」が「OCTOBER」だったようです。ところが、時の絶対君主、かのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が、自らの誕生月7月を「ユリウス⇒ジュリアス⇒ジュライ(JULY)」として強引にねじ込んでしまいました。かくして「OCTOBER」は、一つずれてしまいました。何とか我慢して、ようやく「OCTOBERなのに、9月」という立場に慣れた頃、今度は、アウグスティヌスが現れます。「シーザーがやったんなら俺様も」とばかりに自分の誕生月に自分の名前を付けて、これ又、強引にねじ込んでしまいます。(アウグスティヌス⇒アウグスツ⇒AUGUST」何て運の悪い「OCTOBER君」でしょう…折角我慢してきたのに、更に一月ずれて「OCTOBERなのに10月」になってしまったのです。それでも、プラス思考の「OCTOBER君」は、「最初がアウグスティヌスで、いきなり“ずらさずに、OCTOBERは削除!”とか言ってたら、今頃は存在も無かった訳だし…存在してるだけ、有り難いと感謝せねば!」と、殊勝な心掛けです。あれから数千年経ちましたが、今でも「OCTOBER君」は、感謝しつつも、びくびくしながら一年一年を迎えていることでしょう。あの時代の勢いで、どんどんずれたら…あと三人、絶対君主が現れていたら…存在自体が危ういのですから…今となっては、「この際、何月でもいいから残っていたい。」と思う反面、本音は「今度の君主は、10月生まれでは有りませんように…10月以外なら何月でもいいぜ。」「あ!1月から9月でも、誰かずれたら結局ずれちゃうのか?11月、12月でも、“ずれる”という保証は無いし、もし、全体を見直して“不自然なやつをはずす!”なんて事になれば…真っ先にはずされるのは、俺だよなぁ」と、一人で「びくびくのスパイラル」状態です。エリートの1月~6月とは、あまり仲良く無いようで当然、「成り上がり」の7月、8月とは話も出来ません。お互いの立場を理解している11月と12月とは、少し親交も有りますが、彼らは、「不自然なのをはずす」派ですので、本音は語りません。かくして、西暦2008年の10月を迎え、ほっとしていると同時に、また一年びくびくする「OCTOBER君」です。いよいよ危うい時は、日本に来て、神様が留守のうちに「神無月」を乗っ取るぐらいの気構えで居れば大丈夫だ!冥王星が惑星から外されたり、「大化の改新は無かった!」と言われたり、「聖徳太子は、いなかった」とか「鎌倉幕府は1192年より前に成立」など、今、日本の歴史認識は目まぐるしく変貌しているので、今のうちに、こそ~っ と睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月文月、葉月、長月、OCTOBER、霜月、師走って、紛れ込むのも手だ。頑張れ!「OCTOBER君」不遇な「OCTOBER君」に、愛の手を!(注)良い子は、「合いの手」を入れてはいけません。
2008年10月01日
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