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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LXIII第63 ジオット派フラ・アンジェリコ-十字架降下 さて、63フラ・アンジェリコ-十字架降下以下に人間的なものの個人的な把握、地上的ー純粋に人間的なものの超感覚的なものからの解放をより精神的に描き出す写実的な方向性を、いくつかの絵画とともにあれやこれやと逍遙したあとで、私たちは、フラ・アンジェリコのなかにその偉大な代表者を見出す別の潮流へと至ります。私たちが彼に見るのは、ひとつのより魂的な潮流とでも申し上げたいものです。私たちが今までその展開のようすを見たものは、より霊的なものに捉えられているのですが、他方フラ・アンジェリコにおいては、心情が、魂的なものが、人間のなかに入り込もうと試みているのが見られます。そして、いかにこの芸術家が、これ程すばらしい愛すべき絵画において、まったく別の側面から同じしかたで、個人的なものの把握に近づこうとしているか。まったくもってずっと魂的に、それを見るのは興味深いことです。このことは、独特の、ここには再現できないフラ・アンジェリコの色彩にも見られます。彼の場合、すべてはまさに(Seele)から、より多く感じ取られるのですが、その他の写実的な潮流の場合、自然に即したものを模して創造する精神(霊・ガイスト/Geist)から、そこに解放として現れるものが表現されます。64フラ・アンジェリコ-磔刑にもいわば魂という迂回路をとって、キリスト教の魂的なものが、フラ・アンジェリコを通じて今入り込んできます。そしてこのことがまさにフラ・アンジェリコという現象において興味深いことなのです。私たちが見ましたように、以前は、超感覚的なものー霊的なものがキリスト教のの発展を貫き、そして芸術をも捉えていました、次いで、人間が自然へと向けられ、魂的なものという迂回路をとって自然へと向けられ、そしてアッシジのフランチェスコのなかに宗教的な熱狂としてのみ生きていたのと同じ衝動が、先ずは23・63そして64とジオットが其の流れの中でのなかで育成されましたが、その観ること(シャウエン/Schauen)はますます外的な自然主義へと駆り立てられ、そして今、いわば内なる生が、写実主義に対して魂的なもののなかに救済され、これはまたも個人的なものを薄れさせようとする傾向ではあっても、それだけいっそう、外的にも魂的なものとして表現しようと努めます。何故かと問えば、フラ・アンジェリコの場合、個別的なもののすべてから魂的なものが働き放射しているからです。キリスト教の魂的なものがフラ・アンジェリコのこれらの絵画のなかへと逃れ入り込んでいます、これらの絵画はいたるところに広まりましたが、もっとも見事なものはフィレンツェのドミニコ会サン・マルコ修道院に見られます。私たちは、超感覚的なものを観照する際に働く精神、この精神が、自然物の観照のなかへと注ぎ出したのを見ます。魂はこの芸術方向のなかに逃れ、表現に刻印された顔貌、表現に刻印された精神を捉えるよりは、表現を通して働きかける魂的なものを捉えようとしたのです。第63:ジオット派フラ・アンジェリコ-十字架降下記:フラ・アンジェリコの「キリストの十字架降下」は、1432年から1434年にかけて制作された、初期イタリア・ルネサンスの代表的な祭壇画です。フィレンツェのサン・マルコ修道院の礼拝堂のために制作され、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。この作品は、キリストの十字架降下を描いたもので、キリストの遺体を支える聖母マリア、聖ヨハネ、聖ニコデモ、そしてマグダラのマリアなどの人物が描かれています。画面の中央には、十字架から降ろされたキリストの遺体が描かれています。キリストの身体は木の像のように見え、肌はくすんだ緑色で、顔には表情がまったくありません。これは、キリストの死の深さと悲しみを表現したものと考えられています。キリストの遺体を支える人物たちは、それぞれに異なる表情を見せています。聖母マリアは、悲しみと絶望の表情を浮かべています。聖ヨハネは、悲しみと憤りの表情を浮かべています。聖ニコデモは、悲しみと尊敬の表情を浮かべています。そして、マグダラのマリアは、悲しみと愛の表情を浮かべています。画面の背景には、トスカーナ地方の丘が描かれています。この風景は、当時の人々にとってなじみの深いものであり、作品に現実感を与えています。この作品は、初期ルネサンスにおける宗教画の新たな表現様式を確立した作品として評価され、その特徴は、自然主義的な表現、明るい色彩、人物の感情表現で、キリストの十字架降下という宗教的なテーマを、自然主義的な表現と明るい色彩を用いて、人物の感情表現を重視することによって、より身近なものとして表現しています.第64 ジオット派フラ・アンジェリコ-磔刑 さて、人間的なものの個人的な把握、地上的ー純粋に人間的なものの超感覚的なものからの解放をより精神的に描き出す写実的な方向性を、いくつかの絵画とともに逍遙したあとで、私たちは、フラ・アンジェリコのなかにその偉大な代表者を見出す別の潮流へと至ります。私たちが彼に見るのは、ひとつのより魂的な潮流とでも申し上げたいものです。私たちが今までその展開のようすを見たものは、より霊的なものに捉えられているのですが、他方フラ・アンジェリコにおいては、心情が、魂的なものが、人間のなかに入り込もうと試みているのが見られます。そして、いかにこの芸術家が、これほどすばらしい愛すべき絵画において、まったく別の側面から同じしかたで、個人的なものの把握に近づこうとしているか--まったくもってずっと魂的に-- を見るのは、興味深いことです。このことは、独特の、ここには再現できないフラ・アンジェリコの色彩にも見られます-- 彼の場合、すべてはまさに魂[Seele]から、より多く感じ取られるのですが、その他の写実的な潮流の場合、自然に即したものを模して創造する精神(霊・ガイスト[Geist])から、そこに解放として現れるものが表現されます。64フラ・アンジェリコ 磔刑いわば魂という迂回路をとって、キリスト教の魂的なものが、フラ・アンジェリコを通じて今入り込んできます。そしてこのことがまさにフラ・アンジェリコという現象において興味深いことなのです。私たちが見ましたように、以前は、超感覚的なものー霊的なものがキリスト教のの発展を貫き、そして芸術をも捉えていました、次いで、人間が自然へと向けられ、魂的なものという迂回路をとって自然へと向けられ、そしてアッシジのフランチェスコのなかに宗教的な熱狂としてのみ生きていたのと同じ衝動が、まず23 63 64ジオットのなかで育成されましたが、その観ること(シャウエン[Schauen])はますます外的な自然主義へと駆り立てられ、そして今、いわば内なる生が、写実主義に対して魂的なもののなかに救済され、これはまたも個人的なものを薄れさせようとする傾向ではあっても、それだけいっそう、外的にも魂的なものとして表現しようと努めます。と言いますのも、フラ・アンジェリコの場合、個別的なもののすべてから魂的なものが働き放射しているからです。キリスト教の魂的なものがフラ・アンジェリコのこれらの絵画のなかへと逃れ入り込んでいます、これらの絵画はいたるところに広まりましたが、もっとも見事なものはフィレンツェのドミニコ会サン・マルコ修道院に見られます。私たちは、超感覚的なものを観照する際に働く精神、この精神が、自然物の観照のなかへと注ぎ出したのを見ます。魂はこの芸術方向のなかに逃れ、表現に刻印された顔貌、表現に刻印された精神を捉えるよりは、表現を通して働きかける魂的なものを捉えようとしたのです。第64:ジオット派フラ・アンジェリコ-磔刑(たっけい)記:フラ・アンジェリコは、ドミニコ会の修道士で、「天使のような修道僧」という意味です。絵筆をとる前には必ず祈りの言葉を唱え、キリストの磔刑図を描くときにはいつも頬を涙で濡らしながら描いていたと言われています。哲学・思想ランキング
2023年12月31日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LX・LXI・LXII「N/A」第60・第61・第62 ジオット派マンテーニャ-60セバスティアン & 61パルナッソス 62「N/A」 この芸術家マンテーニャにおいては、人間的なものが、まさに此れ等の絵においてありありと目に見ることができるのですが、実際、人間的なものが、聖人伝説が採られる必然性がもはや感じられないほど強く写実的になっています。ジオット絵画においては、なにか非キリスト教的なものが入り込んでくるとはほとんど想像もできませんでした。それに対して、キリスト教伝説が、いわば、人間的なものを描き出すための単なる機会にすぎないという形をとるようになったとき、この人間的なものを今やキリスト教伝説そのものからも解放することができるようになります。そして、キリスト教から解放されてゆくルネサンス的なものへの成長が既に見えています。第60:ジオット派マンテーニャ-セバスティアン記:セバスティアン「聖セバスティアヌス/英:St.Sebastian」は、イタリアの初期ルネサンスの巨匠、アンドレア・マンテーニャによる3枚の絵画の題名です。作品のテーマはヨハネの黙示録を拠り所としている。左上隅の雲の中に騎手がいる。ヨハネの作品で詳述されているように、雲は白く、騎手は鎌を持っており、鎌を使って雲を切断している。騎手は、ギリシャ・ローマ神話のサトゥルヌスと解釈されてきた。古代では、サトゥルヌスは過ぎ去った時間と同一視され、サトゥルヌスが通り過ぎた後はすべてが破壊された。マンテーニャがパドヴァでのペストから回復した後の1456–1457年に制作されたことが示唆されている。パドヴァの人文主義者でマンテーニャの友人であった傭兵隊長、ヤコポ・アントニオ・マルチェッロのために描かれたか、疫病の終わりを祝うためにパドヴァ市長から依頼されたもので、聖セバスティアヌは矢で撃ち抜かれたとことにより、ペストに対する保護者と見なされた。第61:ジオット派マンテーニャ-パルナッソス記:描かれているのは、太陽神アポローンが祀られ、学芸の女神ミューズたちの住むパルナッソス山。作品の解釈には様々なものがあるが、マントヴァ公フランチェスコ2世・ゴンザーガと妻イザベラ・デステの統合を讃える寓意であると想定され、当時の人文主義の性格をよく伝えている。159 cm × 192 cm (63 in × 76 in)第62:「N/A」
2023年12月30日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LIX第59 ジオット派マンテーニャ-聖母 我々はギルランダイオにおいて、純粋に人間的なものを通じて生きている人間を人間として描き出す能力を一段階上昇した時代にいます。我々は、晩餐がもはや純粋に人間的なものを通じて生きている人間を人間として描き出す能力それだけでは描かれない時代に近づいていきます、以前の絵画つまり「34ジオット-晩餐」においてみなさんが見出すことができたように、この絵とともに、この晩餐に注がれる人間の眼差しは、この晩餐を通じて起こっていることを内部で活性化させますが、もはやそうではなく、人間的なものを描き出すために晩餐についての物語が取り出される時代に近づいていくのです。後代の晩餐の絵におけるほどにはまだここでは表現されていないにしても、魂において解き放たれた印象のもとで人間的なものがどのように作用するか、一人ひとり各自各人の弟子の顔貌を研究することがもう手掛けられるようになっています。芸術上の思想全体の完全な変化を、まさにこのような絵画において見ることができるのです。「48シニョレッリ-アンチキリストの説教」についてとまったく同様のことが言えるでしょう。聖母の題材についても同様に捉えられます。聖母の問題はつまり今や、聖なる事実というよりは、聖母のなかの女性的なものの描出ということの方が芸術家にとってずっと重要だ、と言うことができるものになります。聖人伝説は生き続け、そしてそれはよく知られたものであるがゆえに、写実的ー芸術的な問題を解決し、人間的なものを個人的に形成するために用いられます。聖母の問題はつまり今や、聖なる事実というよりは、聖母のなかの女性的なものの描出ということの方が芸術家にとってずっと重要だと言うことができるものになります。聖人伝説は生き続け、そしてそれはよく知られたものであるがゆえに、写実的ー芸術的な問題を解決し、人間的なものを個人的に形成するために用いられます。記:アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna,/1431-1506年)は、イタリアのルネサンスを代表する画家です。また、ゴシック期、ルネサンス期のイタリアの絵画は、都市ごとに独自の発達をとげ、シエナ派、ヴェネツィア派などと都市の名を冠して分類される。マンテーニャはパドヴァ派の代表格と見なされる画家である。戦の勝利に感謝し奉献。注文者がひざまずき手を合わせる。聖母は保護、キリストは祝福を与える様子。騎士の二大聖人他、注文者ゆかりの聖人が同席しています。第59:ジオット派マンテーニャ-聖母(勝利の聖母)哲学・思想ランキング
2023年12月29日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LVIII第58 ジオット派ギルランダイオ-フランチェスコ・サセッティと息子の肖像 私たちは今ギルランダイオにおいてもう、純粋に人間的なものを通じて生きている人間を人間として描き出す能力が、一段階上昇した時代にいるのです。当時においてはこれは当然のことでした。記:ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio 1449-1494)はミケランジェロが最初に師事した画家として知られている。当時の多くの画家同様、ギルランダイオとはあだ名で、花飾りという意味。父親のトマーゾが花模様の髪飾りを作っていたことから名づけられた。本名はドメニコ・ビゴルディという。父親は、ドメニコに家業の金細工師になることを願ったが、ドメニコは絵の才能があったこともあり、画家になることを選んだ。最初アレッソ・パルドヴィネッティのもとで、後にアンドレア・デル・ヴェロッキオのもとで修業。しかしながら、なかなか独り立ちできず、35歳のときにやっと父親から独立して一人前の画家となることができた。宗教画を得意とし、フィレンツェの実在の人物や日常生活を描いた作品を多く残しています。その作品は宗教的な厳粛さよりも世俗性が勝っており、写実性と装飾性を巧みに織り混ぜた世俗画でも手腕を発揮しました。第58:ジオット派ギルランダイオ-フランチェスコ・サセッティと息子の肖像哲学・思想ランキング
2023年12月28日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LV・LVI「N/A」、LVII第57 ジオット派ギルランダイオ-晩餐(参照二画あり、ここでは後半のオンニッサンティ教会の「最後の晩餐」) 私たちは、晩餐がもはやそれだけでは描かれない時代に近づいていきます、以前の絵画つまり(34 ジオット-晩餐)においてみなさんが見出すことができたように、この絵とともに、この晩餐に注がれる人間の眼差しは、この晩餐を通じて起こっていることを内部で活性化させますが、もはやそうではなく人間的なものを描き出すために晩餐についての物語が取り出される時代に近づいていくのです。後代の晩餐の絵における程には未だここでは表現されていないにしても、魂において解き放たれた印象のもとで人間的なものがどのように作用するか、ひとりひとりの弟子の顔貌を研究することがもう手掛けられるようになっています。芸術上の思想全体の完全な変化を、まさにこのような絵画において見ることができます。(48 シニョレッリ アンチキリストの説教、21、57、34、48)、この絵ギルランダイオの「晩餐」についても、今見てきた画についてとまったく同様のことが言えるでしょう。第57:ジオット派ギルランダイオ-晩餐(中期画)*オンニッサンティ教会の参照:ジオット派ギルランダイオ-晩餐(前期画) *バディア・パッシニャーノ教会ギルランダイオが最初に取り組んだ「最後の晩餐」とされ、使徒たちは伝統的な表現に従って一直線の長いテーブルの向こう側に描かれ、イスカリオテのユダだけが、手前側に描かれている。構図については、アンドレア・デル・カスターニョの「最後の晩餐」との共通性が指摘されている。参照:ジオット派ギルランダイオ-晩餐(後期画) *サン・マルコ教会の「最後の晩餐」オンニッサンティ教会の作品よりひと回り小さい。オンニッサンティ教会とおよそ同一の構図の下絵を制作しただけで、フレスコ制作は兄弟や工房に任せたとも考えられている。オンニッサンティ教会の作品と異なるおもな点は、テーブルの両端の曲げられた部分に、横向きに着席する姿で描かれる使徒がいるところであろう。また、ユダの手にパンが描かれていることから、裏切りの予言がなされた直後の場面を描いたものとされる。
2023年12月27日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LIV第54 ジオット派マザッチオ-アダムとエヴァの追放記:1422年からフィレンツェとピサで活躍したイタリア初期ルネサンスの画家マザッチオMasaccio (本名 Tommaso di ser Giovanni Mone Cassi)。ジオットの造形伝統を受け継ぎながら,彫刻家ドナテッロの量感ある人体と,建築家ブルネレスキの透視図法による空間構成とを学び,絵画における初期ルネサンス様式を確立。この構造的な人体表現と遠近法にもとづく空間表現を融合させた,厳密で堂々たる作風は,フィレンツェの画家たちに決定的な影響を与えた。ルネサンスの巨匠たちすべてが手本と仰いだという「偉大な天才マザッチオ(1401年12月21日 - 1428年)は、建築におけるブルネレスキ、彫刻におけるドナテルロとともに、絵画の面で「近代的表現」を創始した人物とされています。美しいポーズ、動き、高貴性、躍動感、自然で均衡の取れた立体感がマザッチオの特徴です。特に衣服のひだを表現するのが得意だったと言われています。マザッチオは、ブランカッチ礼拝堂の一連のフレスコ画制作という偉業により、「ルネサンスの始祖」という敬称を得ました。 54 マザッチオ アダムとエヴァの追放 シュタイナー講演 ここでみなさんは、いわば眼差しはもう完全に大いなる聖書物語に向けられているのではなく、アダムとエヴァが体験したようなことを体験した人間はどのように見えるかということに眼差しが向けられているのがおわかりでしょう。そしてそれは言うまでもなく芸術的に偉大なしかたで答えられるわけです。第54:ジオット派マザッチオ-アダムとエヴァの追放(楽園追放/Cacciata paradiso terrestre)記:あまりの神の怒りの大きさに両手で顔を覆うアダムや、悲嘆に暮れるエヴァの表情。この作品では、禁断の果実を食べてしまったアダムとイブが嘆き悲しみながらエデンの園から追放されるシーンが描かれています。哲学・思想ランキング
2023年12月27日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LⅡ「N/A」、LIII第52「N/A」第53 ジオット派マザッチオ-貢の銭 ここではごらんのとおり人間の感情が非常に興味深く進展しています。このマザッチオをよく見てくだされば、みなさんもキリストの弟子たちのなかでキリストそのひとの回りに集まっている一人ひとりの頭部に対して、関心をお持ちになるかもしれません。そして、キリストもここには個人化されているのを御覧下さい。私たちが前に見ました絵画とこのような絵画との間にある、特徴づけという点での力強い進歩のことを考えてみてください。けれどもまた同時に、以前の感情から、今移行した感情が、キリスト教・ローマ的な力の概念に移行したかも御覧下さい。この形態の構成のなかに、ひとつひとつの、個人的な形姿の表現のなかに、ローマ的な力の概念がいかに現れてきているかを感じ取ってください。前にみなさんは教会の統治(44-46 ジオット派 教会の統治)がスピリチュアルなものとして絵の上に注ぎ込まれたのをごらんになりました。今、この際において、ほとんどの部分に見られるのは、とりわけ個性化された姿、力を得ようと欲し力のために手を組む人々ですが、前に見たのは、いわば稲妻のように顔を貫いて放射する何かスピリチュアルである神的・霊的なものでした。個々のものは全体において理解されねばなりませんでした。ここでは私たちは、完成においてあるもの、言うなればひとりひとりの人間における内的な力展開においてあるものからのみ、生全体を統合することができます。この構成の大きさにも関わらず、私たちは、これらの(19・51・53)に顕された姿が、力あるものを、当然のことながらその霊性を通じて力あるキリストを取り巻いて集まっているようすを見ます。然し乍ら、これらの人々そのものに、私たちは成る程この世によるものではない王国に在する、けれども、この王国を支配しているのはこの世なのだということが表現されているのもわかります。霊性によってではなく、人々によって、ほかならぬこれらの人々の表象によって現されているのです。このように私たちは、人間的なもの、現実的なものがますますいっそう解放されるのを、そして、個人的なものを描き出す能力が増していくのを見ます。たとえば、聖人伝説にしても、その伝説のゆえに描かれるのではありません、聖人伝説は生き続けますが、根拠に結びつけるよりはこれらの名高い物語に関連づけて人間を描き出すために用いられるのです。記:「貢の銭」は、「マタイによる福音書」17章に典拠しており、イエスがペテロに魚を釣らせて、その口から出た銀貨を支払わせるエピソードを描いています。神殿税を払わなければ、異端とみなされ、かといって自分のお金を納めるとパリサイ人に屈服したととられるため、キリストは奇跡によってお金を生み出しました。マサッチオ(1424/1425-1427年)による「貢の銭」は、ルネサンスを代表するフレスコ画です。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会に付属するブランカッチ礼拝堂にあり、縦約2.5メートル、横約6メートルです。キアロスクーロ(明暗法)と透視図法を駆使した初期ルネサンスを代表する作品として知られています。第53:ジオット派マザッチオ-貢の銭「全体図」☆中央はキリストが聖ペテロに魚釣りを命じる場面。☆左端は聖ペテロが魚から銀貨を取り出す場面。☆右端は聖ペテロが収税吏に銀貨を渡している場面。哲学・思想ランキング
2023年12月26日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-LI第51 ジオット派フィリッピーノ・リッピ-聖ベルナルドのヴィジョン ここではもう絵全体を貫いて放射する全体性は感じられないかもしれませんが、反面、まさにこのフィリッピーノ・リッピにおいては驚くべきしかたで顔貌が表現されているのをご覧になるでしょう、中心人物そのひとつを取り上げても、ヴィジョン的なものとして描かれ、脇役においてすらも、至る処で人間的なものが前面に出てくるに気付かされます。私たちは、私たちが拠り所とした潮流から、徹底して現実的なもののなかに入り込んでいって、そのような事物をこのようにすばらしい内的な完成へと導くひとつの潮流が発するのを見るのです、ちょうどこのようなヴィジョン(展望・構想・空間・洞察etc)を感じるベルナルドそのひとのように。フィリッピーノ・リッピは、カルメル会修道士であったフラ・フィリッポ・リッピと尼僧ルクレツィア・ブーティの間に生まれた画家です。父と同じフィレンツェ派の画家として活動しました。1496年にサンドロ・ボッティチェッリの弟子として、聖ドナートの修道士のために「ベルナルドの間で膝まづいている聖母子像」を描いています。また、1501年には「聖カタリナの結婚」を描いています。聖ベルナルドゥスはブルゴーニュの貴族出身の聖人ベルナルドゥスは母と死別した23歳でシトー会に入信し修道に専念した後、クレルヴォー(明朗の谷)と名を改めた渓谷に修道院を建て、宗教や神学において多大な影響を与えたほか第2回十字軍の結成に協力し、実現させた当事者とされ「聖母を幻視する聖ベルナルドゥス」ではどこか陰鬱で不安定を感じさせる天使の表情。このフィリッピーノ・リッピ独自の世界観の兆候も示されていることは、本作において最も魅力的な部分でもある。また画面右下には寄進者であるフランチェスコ・デル・プリエーゼが描かれている。第51:ジオット派フィリッピーノ・リッピ-聖ベルナルドのヴィジョン哲学・思想ランキング
2023年12月25日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-L第50 ジオット派マゾリーノ-キリストの洗礼 このような聖書的な絵画においてすら、まったくもって、ひとりひとりの人物のなかに、基本思想から表現が解放されているようすをご覧になることができます。ここで以前の絵画におけるよりずっと重要なことは、人間的であり個人的なものがキリストを通じて表現されるようにキリストを形作ることなのです。そしてこれは他の人物の場合にも、私たちが前にみた絵の場合よりもずっと当て嵌まります。記:マゾリーノ・キリストの洗礼(Masolino Christ's Baptism)は、イタリアのルネサンス期の画家であるマゾリーノ・ダ・パニッチャ(Masolino da Panicale)によって描かれた絵画です。この作品は、15世紀初頭に制作され、主題は洗礼者聖ヨハネによるイエス・キリストの洗礼を描いています。フィレンツェ派の画家であり、フィレンツェで活動していたマゾリーノ・ダ・パニッチャ(Masolino da Panicale)は、メソッド・ビガラード(Masaccio)と共に働く活動をしていました。マゾリーノ・キリストの洗礼は、その時代の芸術のスタイルやテーマを反映しています。この絵画は、イエス・キリストが洗礼を受ける様子を描いており、洗礼者ヨハネが水を注ぎかけています。絵画は宗教的なテーマ性を持ちながらも、ルネサンス期特有のリアルな描写や透視法も見られます。第50:ジオット派マゾリーノ-キリストの洗礼哲学・思想ランキング●無≠0≒ iまたはj*虚数とは、実数ではない複素数のことを指します。虚数は数直線上には存在せず、「二乗してマイナスになる」という実態を持たない数です。虚数の中でも実部が 0 である数を純虚数といいます。ただし、0 は純虚数に含めません。
2023年12月24日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLVIII第49 ジオット派マゾリーノ-ヘロデの饗宴記:マゾリーノ(トンマーゾ・ディ・クリストフォロ)によるフレスコ画「ヘロデの饗宴」は、1430年代後半に描かれたカスティリオーネ・オローナ洗礼堂にある作品です。「ヘロデの饗宴」は、ヘロデ王が兄弟の妻ヘロデヤと結婚したことをヨハネが非難する場面を描いています。ヘロデ王(在位前4〜後39)は兄弟の妻ヘロデヤと結婚したことをヨハネから叱責され、逆にヨハネを捕らえて獄につないでいました。ヨハネを恨んでいた妻ヘロデヤは、王の誕生日に娘サロメに舞を舞わせ、サロメは王から褒美を約束される。左側はサロメが王と列席者の前で、ヨハネの首を求める場面。右ではサロメがヨハネの首を乗せた盆をヘロデヤに差し出し、遠景の山の中腹では、ヨハネの埋葬が執り行われている。左右の建物の遠近法を利用して、二つの物語をつなごうとしている試みで、中央に空間が広がっている。 マゾリーノ ヘロデの饗宴 シュタイナー講演これはカスティリオーネ・オローナ洗礼堂のものです。さて、ここで私たちは発展において少し前進しましょう。今、このように言うことができます、以下のこの発展は、そもそもジオットがその偉大な創始者であった潮流に基づく衝動から発したのだと。私たちは、ますますいっそう、こう言うことが可能なら、ひとつの潮流において現実的で写実的な要素が神秘的なことや目にみえない世界であるスピリチュアルな要素から解放されるのを見るのです。今やそこから二重の潮流が出てきます。ジオットにおいてはいたるところで、私たちが最後に見ました二枚の絵においてさえ、いたるところにスピリチュアルなものが入り込んでいます、と申しますのも、教会の統治として世界中に行き渡るこの衝動は、実際スピリチュアルにも考えられ、そして、構成のなかに置かれた個々の人物は徹底して、こう言えるようにとらえられているからです。ジオットは、アッシジのフランチェスコそのひとが生きたのと同様に、人間の魂を通じてのみ現実に即して地上に向けられる霊的世界のなかに生きていた、ジオットも、彼の弟子たちも、愛に溢れたしかたでこの世の事物を写実的にとらえたけれども、彼らはスピリチュアルなもののさなかに生きていた、そしてスピリチュアルなものは個々のひとつひとつの把握と一体化することができたと。ここで14-15世紀に入っていって、個人的ー自然的なものを模写しようとする憧れが次第に解放されていくのを見ていきましょう、ジオットと彼の弟子たちが聖書の物語に取材した絵画もそうですが、従来の絵画のすべてがそうだったような、全体を強く眼中においてそこから個々の人物を取ってこようというのではもはやなく、個人的ー自然的なものを模写しようとする憧れです。私たちは、いわば魔法の息吹のように絵全体を貫いていたこの基本衝動から、個々の人物が解き放たれるのを見ます、私たちは、たとえ構成のなかにまとめられているにしても、すべての人間が常に個として立っているのを見ます。そしてこのように私たちは、たとえばここにも、壮麗な建物を見ますが、さらに、芸術家がもう疑いもなく、人物たちをひとつの根本思想、芸術的な根本思想のなかに置くのではなく、人物ひとりひとりを、個人的な人間として、ひとつの個として描こうと苦心しているようすを見るのです。私たちはますますいっそうはともかくも、組み合わされた個々人が登場してくるのを見ます、なるほど構成は何か壮大なものを有しているとしても、やはり、ひとつひとつの個が、絵全体を貫いて放射する思考からは自然主義的に解放されているのがわかるのです。第49:ジオット派マゾリーノ-ヘロデの饗宴哲学・思想ランキング
2023年12月23日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLVIII第48 ジオット派ルカ・シニョレッリ-アンチキリストの説教(伊:Predica dell'Anticristo)記:オルヴィエートのドゥオーモ(大聖堂)右翼にある礼拝堂は一面のフレスコ画で飾られています。当初には、このフレスコを手掛けたのはベアト・アンジェルコ(Beato Angelico)でしたが、天井の一部を描きかけのまま突如オルヴィエートを去り、暫(しばら)く放置されていたものをルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)が引継ぎ完成させました。この礼拝堂に入って左手壁面上部に描かれているのが「アンチキリストの説教/Predica dell’Anticristo」。このような偽キリストのテーマが大きく扱われることも珍しいのですが、実際この作品は主要モニュメントで偽キリストのエピソードを描く唯一のものとも云われています。画面の右手前、台座に立って群集に説教をしている男性がアンチキリスト。キリストに姿かたちがよく似ていますが、耳打ちする悪魔によって操られている「偽キリスト」です。悪魔が説教の言葉を伝え、彼の動きをマリオネットのように操り民衆の心を魅了するのです。偽キリストが纏う桃色のマントから覗く左手は悪魔の腕と一体となって描かれています。この偽キリストを囲んで既に民衆が集まり彼の足元には貢物が積み上げられ始めていることから彼の説教で心を奪われた人がいることも窺い知れます。しかし、もちろんこうした民衆は悪魔の囁きで暗示をかけられているわけですから集まってい人々はどこか傲慢な雰囲気で描かれ、画面左には大量殺戮を行う男や、老人から報酬を受け取る娼婦なども描かれ、偽キリストの説教によって民衆の間でモラルの低下をひき起こしていることがわかります。この群衆の中には当時の実在人物も描かれているとされ、ヴァザーリによれば、左の群集の左端に立ち赤い帽子を被った金髪髭の男はチェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia)、同じ群集の右端にいる黄色い服を纏った禿の肥満男がエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ(Enea Silvio Piccolomini)です。背景画面には右側に古典様式の建物が描かれ、中央に奇跡のシーン、左側に偽キリスト撃退のシーンが描かれます。建物はエルサレムのソロモン王の神殿を描いたもので、つまりは教会そのものの象徴となっています。中央の建物を4つのプロナオスが囲み、全体ではギリシャ十字を象(かたど)っています。二重の天蓋の一部が画面の外にはみ出すような大きさで描かれています。その神殿の前では偽キリストがエリア(Elia)とエノッチ(Enoch)の処刑宣告を行っています。中央では人々を信じさせるために偽キリストが奇跡を行って見せたりもしています。その右下では、キリスト教信者が微力ながら抵抗の様子をみせ、祈りをささげる姿が描かれています。そして右端では天空から現れる大天使ミケーレ(Arcangelo Michele)が偽キリストとその追従者たちを罰しています。前面の最左側に黒い服を纏う二人の男性が描かれていますが、手前の長髪がシニョレッリ本人、その奥がベアト・アンジェリコの肖像です。この作品が描かれたころのフィレンツェではサヴォナローラ(Savonarola)が神権政治による宗教改革を行おうとしており、メディチ家寄りであり、フィレンツェの民主政治が覆されるのをよく思っていなかったシニョレッリは、この作品を描くことでサヴォナローラを偽キリストに投影しているとも云われます。第48:ジオット派ルカ・シニョレッリ-アンチキリストの説教哲学・思想ランキング
2023年12月22日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLVII第47 ジオット-洗礼者ヨハネのための命名記1:ルカ福音書順次、最初は、洗礼者ヨハネの誕生に関する出来事1章5~25節と同57~66節に分散、一部を省略、両方を一緒に掲載します。 前半部:5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟(おきて)と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、9 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。10 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。11 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。12 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」21 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。22 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。24 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。25 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」 後半部:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63(以下* ザカリアは子どもが産まれたあと、8日目の命名時に、筆談で「この子の名はヨハネ」と人々に伝えると、再び口が利けるようになります。)父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。記2:イエスと洗礼者ヨハネの関係は、ルカ福音書によれば、洗礼者ヨハネはイエス様のお母さん、マリアの親戚であるエリサベトと祭司ザカリアの間に産まれていますので、イエス様の親戚筋に当たり、ほんの少し年上ということになります。第47:ジオット-洗礼者ヨハネのための命名哲学・思想ランキング
2023年12月21日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLIV+XLV+XLVI第44*45*46 ジオット派-教会の統治(44・45・46ドミニ・カーネス/Domini canes)-3 皆さんがこの「教会の統治部分:左下の一群」をご覧になるとき、とりわけ、以降はこういうことに注意してくださるようお願いします、この絵においては根本思想が唯一のしかたで表現されています、背景には力強い教会の建物、それから絵に顯れてくるのは、教会の高位聖職者たちから発して、民の世界へと降り注いでゆく威力です。これらの絵に見られる顔の表現を直視してごらんになれば、地上に放射していく教会統治というこの大いなる理念に、芸術的なものが仕えていることを、いたるところで発見なさるでしょう。「教会の統治部分:右側なかほどの一群」についても、どの顔もひとつひとつ研究してみることができますが、そうすると、ひとつの中心から放射するように、教会の統治から発して地球の魂のすべてを貫いていくというこの衝動に人間が参加している様子が顔の表情に見事に示されているのがわかるでしょう。その顔貌からうかがえるのは、この教会の統治という思想に貫かれたひとりの芸術家が全体を作り上げたこと、そしてその芸術家は、教会の統治が面差し(Antlitz)へともたらすものを表現する術(すべ)を心得ていたということです。つまり私たちは教会の支配というものが、それぞれの面差しからも放射しているのを見るのです。--中略--このことをまったく特別なことと見ていただくようお願いします、なぜなら、私たちはのちほど、構成的な能力、これがこのような思想から発して、秩序のなかでそして秩序と表現との調和のなかでここでこれほど見事に表現されているにも関わらず、これがのちにまったく別のものに移行するために、これと同じものはそこではまったく表現されない絵画を見ていくからです。のちに、同じ構成の方向に道を見出していく人々は、構成の基本衝動は維持しているのですが、これからみなさんがごらんになりますように、まったく別の要素が登場してきます。(45,46部分画)下の方に犬が見えますね、これが有名な「神の犬(ドミニ・カーネス/Domini canes)」です。ドミニコ会士たちはその活動との関連で「神の犬」と呼ばれたのです。フラ・アンジェリコ(Fra Angelico)も数多くの絵画に「神の犬」を描きました。第44*45*46:ジオット派-教会の統治(Domini canes)第44*45*46:ジオット教会の統治(Domini canes45部分画)哲学・思想ランキング
2023年12月20日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLIV+XLV+XLVI第44*45*46 ジオット派-教会の統治44 45 46-2第44*45*46ジオット派-教会の統治への参照画-Raphael-Dispute1(論争) and The School of Athens(アテネの学堂)記:ルネサンスの美術史家ヴァザーリによれば、絵画ルネサンスの先鞭を切ったのは、フィレンツェの画家ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone 1267〜1337)(下図)です。その後、前期ルネサンス期の絵画はフィレンツェとシエナを軸に発展していきます。羊飼いの少年であったジョット少年は、フィレンツェの画家チマブーエ(Cimabue 1240〜1302)に弟子入りし、時代を大きく変革する画家へと成長を遂げていきます。ヴァザーリによれば、ジョットの羊の絵を見たチマブーエが、ジョットの父に頼み込み弟子にしたことになっていますが、実際にはジョットがチマブーエの弟子だったという確証はありません。そして私的には 「ラファエロ」、キリスト教の宗教的な文脈で、天使の名前としても使用されることがある如く調和のとれた,やわらかみのある美しさが特色の画風は、私の心の深奥を揺さぶりルネサンスの美術はジョットに始まりラファエロに終わるとまで想わせます。参照画 Raphael-Dispute1(論争)記:ラファエロのフレスコ画「聖なる秘跡の論争」は、イタリアのルネサンスを代表する芸術家ラファエロ(1483-1520)によるフレスコ画「聖なる秘跡の論争(Disputation of the Holy Sacrament)」は、1509年から1510年にかけてバチカンの使徒宮殿のラファエロの間として知られている部屋に描かれた作品で別名、聖別されたパンとぶどう酒がキリストのからだと血になるという信仰をめぐっての神学的論争の「聖体論争/Disputa」とも呼ばれます。この部屋のテーマは「人間の心の3つの最高の原則」、人間の心の3つの最高の原則については、さまざまな視点から議論されていますが、一般的には、誠実性・思いやり・感謝の心で、幸福感や満足感が向上するとされています。参照画:ラファエロ-Raphael Dispute1(論争)参照画 The School of Athens(アテネの学堂)記:ラファエロのフレスコ画「アテネの学堂」は、古代ギリシャの哲学者や科学者など、キリスト教と古代思想を融合させる新プラトン主義を視覚化しています。また、レオナルド・ダ・ヴィンチなど実在の人物を古代の哲学者のモデルとするなど、時空を超えた絵画世界を構築しています。参照画:ラファエロ-The School of Athens(アテネの学堂)哲学・思想ランキング
2023年12月19日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLIV+XLV+XLVI第44*45*46:ジオット派-教会の統治44 45 46-1 第43のジオット派-教会の教理と第44以下教会の統治の画においては、通常「ジオット派」と呼ばれているものが出てきます。ここにみなさんは、後に絵画においてとほうもなく大きな役割を果たすあの構成上の要素(エレメント)が既に登場しているのをごらんになるでしょう、言うなればまったく新たな内的生命が現れているのです。今には次のようにこの違いを示すことができます。キリスト教の発展をイタリアの詩人。フィレンツェの人。ルネサンス文学の先駆者で、早逝したベアトリーチェへの精神的愛を終生の詩作の源泉とした。政治家としても活躍。政変による追放後、放浪のうちに著作を続けたダンテ(Dante Alighieri/1265年~1321年)、ジョット(Giotto di Bondone/1267年頃-1337年)まで遡ってみますと、感じ感受されるキリスト教が、その内部にプラトニスム(Platonism)、プラトンの哲学またはプラトンの哲学に強く由来する哲学体系を。狭義ではプラトンの実在論の教理を有していることが見出せます。ここで私が考えていますのは、みなさんはたとえばそう信じたい気持ちに駆られるかもしれませんが、キリスト教がプラトン的な哲学をそのなかに有しているということではなく、プラトニスム、すなわち、プラトン的哲学のなかにも刻印されているようなひとつの感情と世界の観照のことなのです、そこでは、地上を超えた領域が観られますが、この観ることのなかには、人間の知性に由来するものは入り込んでいきません。ジオットへと続く時代においては、感情のなかにますます一層、何か哲学を神学的に捉えるアリストテレス的な神学的アリストテレス主義(Theologisch-Aristotelisches]が登場してきます。--中略--ここでも私はたとえば、アリストテレスの哲学と言っているのではなく、概観において、一種の体系性において世界を見ようとする何か神学アリストテレス的なもの、みなさんがここで、下の世界から中位の世界へ、そして最高の世界へというように、絵画において上昇してくるのをごらんになるような、何か神学アリストテレス的なもののことを言っているのです。生の全体がいわばアリストテレス的に体系化し尽くされるのです。そしてこのように、のちの教会は、人間の生を全き世界秩序のなかに置かれたものと考えました。つまり、まだチマブエがそこから輝き出ていた時代、いわばヴィジョン的なものから地上を超えた世界についての観照を得られた時代は過ぎ去ったのです。続いて、純粋に人間的な感情の時代が置かれました。今や、やはり純粋に人間的な感情が求められすにしても、今度はより体系的に、より知性に即して、とでも申し上げたいのですが、そのように、高次の生に上昇すること、高次の生に結びつくことが求められるのです。ここで登場してくるのは、中心から創造する以前のものに代わって、構成的な要素です。このようにみなさんがここで御覧になるのは、このように下で感じられ体験される世界から高次の世界へと体系のなかで上昇していくようなこの三段階性です。これをジョットの後継者たちに御覧になるなら、みなさんはその後の構成のなかに登場してくるものを、予感のなかで直接とらえることができるでしょう。と申しますのも、構成的なものにおいてこの(46-教会の統治)の内部で活動しているのと同じ精神が、さらに完成されたさらに完璧な形態をとって、たとえばラファエロの「ディスプータ(論争/Dispute)」という名で知られている絵においてまたも私たちの前に立ち現れてくるのを、誰が見誤ることができるでしょうか。ジオット派による「教会の統治」においてもやはり、いかに地上的生の出来事、霊的な関連が、人間が共に在ることによって描き出されているかをご覧になるでしょう --中略--同じ思想が、ラファエロのしばしば「アテネの学堂」と呼ばれる絵画においてもはっきりと現れてきます、純粋に芸術的にという意味でですが。それは地上の生において通用する連関を表現するために多くの人間たちが組み合わされています。第44:ジオット派-教会の統治1哲学・思想ランキング
2023年12月18日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLIII☆アトランティス後第四時代からアトランティス後第五時代への移行期における完成されつつあるイタリアルネサンスの芸術における人間の意識の変遷:チマブエ、ジオット及びその他のイタリアの巨匠たち第43以降- ジョット派とそれ以降-ボッティチェリなどの巨匠記:ジオット派の巨匠には、次ようなの人物がいます。S.マルティーニ、ピエトロ、ロレンツェティなど。これらの巨匠たちは13世紀末から14世紀に活動しており、サン・フランチェスコ修道院教会に壁画を残しています。これらの壁画は近世絵画の発展に影響を与えた重要な作品です。 ジョットの革新的な表現には、次のようなものがあります。 奥行きのある三次元的な空間を創出 立体的な人物像を造形 当時の建築物や日常的な人間の所作を活き活きと描く 新しいフレスコ画技法(ジョルナータ方式)を導入する 古代ローマ風の様式をよみがえらせ、当世風にアレンジする あらゆる物を非常に自然的・現実的に描く 人物表現において感情表現・身振り・実物に近い肖像を描くジョットは、当時イタリアで優勢だったビザンティン風様式を捨て、古代ローマ風の様式をよみがえらせ、かつ現代風にアレンジしました。また、聖人の衣服には芸術家の解剖学的な解釈が表れています。ジョットは、多くの同世代とそれに続く画家たちに影響を与えました。ジョットと彼に続く自然主義の画家たちを「フィレンツェ派」と呼ぶこともあります。ジョット派は、イタリア・ルネサンス期の画家ジョット・ディ・ボンドーネに因んで名付けられた美術様式です。ジョットは、フィレンツェで活躍し、その作品は当時の芸術に新たなリアリズムと深みをもたらしました。ジョット派の特徴としては、人物や風景の写実的な描写や、感情表現の豊かさが挙げられ、また、芸術家としての個性の表現や職人としての技術の向上にも注目されています。第43:ジオット派アンドレア・ブオンアイユート(Andrea Buonaiuto)-教会の教理哲学・思想ランキング
2023年12月17日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XLII第42 ジョット-アルルでの出現記:キリスト教の歴史において重要な出来事「アルルでの聖フランシスコの出現(アルルでの出現)」は、アッシジの聖フランシスコの生涯のキリスト教の歴史において重要な出来事の一つを描いています。聖フランシスコの出現は、キリスト教の創始者であるイエス・キリストとの関連性があるか、若しくは聖フランシスコ自身の聖性に関連する出来事として捉えられています。具体的な出来事や歴史的背景については、キリスト教の教義や歴史に詳しい専門家により詳細な情報語られています。聖フランシスコは1181年(1182年とも)にイタリアのアッシジで生まれました。清貧と奉仕の生活を実践し、愛と瞑想の神秘家としても知られています。礼拝堂の左壁面と右壁面それぞれを囲むように描かれ、ジョットの描いた「小鳥の説法」という絵には、聖フランシスコが小鳥に説法を始める様子が描かれています。ジョットは1297年から1300年にかけてローマで活動しましたが、今日ではその記録はほとんど残っていません。1301年までにはフィレンツェに家を所有し、旅をしていない時はそこに戻って家族と暮らしていました。代表作には「聖フランチェスコの生涯」、「ユダの接吻」などがあり、それらの作品の特徴は、遠近法と写実的な人体表現です。中世における絵画表現は平面的なものが主流であり、ジョットの絵画表現は発明的でした。アッシジの聖フランシスコ(1181~1226)はローマ教会では聖人に列せられており、世界平和やエコロジーの守護聖人として今尚世界中で愛されています。フランシスコは裕福な織物商の家に生まれ、快楽を求め自由奔放な青春時代を過ごしました。騎士になりたいと望み、戦場に赴いたところ病気にかかり、夢の中でイエス・キリストに出会い、回心してイエスに従う決心、20歳のときには戦争で捕虜となり、獄中生活と大病を経験して回心します。托鉢をしながら悔改めを説き、1209年には修道会をつくり、私的財産の所有を否定して清貧主義に徹した伝道を行いました。フランシスコは、自然界の生きもの、あらゆる人々、病人や差別されている人々を大切にしました。小鳥に説教した逸話はそれを表し有名です。第42:ジオット-アルルでの出現 これもフランシスコの生涯からですが、フィレンツェのサンタ・ クローチェ教会のものです。ジオットはここでもう一度、私たちはすでにこれについての画像をふたつ見ました(フランシスコの生涯16,22)。ここでフランチェスコ伝説に回帰しました。フランシスコの生涯16,22
2023年12月16日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XL・XLI第40 ジョット-*掲載なし第41 ジオット-ヘロデの饗宴記:ヘロデ・アンティパス王の誕生日の宴会を描いた作品「ヘロデの饗宴」は、聖ヨハネの首を要求するサロメの踊りののちに、この宴席でヨハネ・バプティストが処刑されることになります。ヘロデにヨハネの首を差し出すサロメの心象は如何なものだったのでしょう。ジオットは「ヘロデの饗宴」のほかにも、右の壁には伝道者ヨハネの生涯を描いたフレスコ画を描いています。この絵画は、1304年から1306年にかけて制作されました。ジョットは、当時の芸術において新しいスタイルを導入し、人物の感情や表情をよりリアルに描写することに焦点を当てました。「ジオット-ヘロデの饗宴」、その時代の芸術において革新的な作品と見なされたのです。絵画の中でサロメが踊る場面は、後の芸術家たちにも影響を与え、様々な形で再解釈されてきました。鬼の首をはねるのは「鬼滅の刃」のテーマですが、イエスが、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」と言われた人の首がこれほど簡単に切られてしまったのです。その後の経過は、淡々と「その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った」(マタイ14章1〜12節の11節) と描かれます。兵士は日頃から、支配者の命令をそのまま実行するように訓練されています。彼らは機械のようにヨハネの首を盆に載せて、少女に渡し、彼女もそれをそのまま、母親に渡しました。追記:サロメ((英・独:Salome または Salomé、ヘブライ語: שלומית)は、古代パレスチナの王ヘロデ大王の妹。なお、洗礼者ヨハネの処刑の話やこれを基にした戯曲「サロメ」に出てくるサロメは彼女のひ孫にあたる。第41:ジオット-ヘロデの饗宴哲学・思想ランキング参照:クラナッハ-Salome
2023年12月15日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXV第39 ジョット-キリスト追悼 これもアレゴリー(allegory)、抽象的な概念や思想を具体的な形象によって暗示する表現技法的な絵画における寓意や寓意像ひとつです。ジオットの「キリスト追悼」はパドゥアのアレーナ礼拝堂のもので、ここでジオットは更にもう一度初期の伝説に回帰しています。この絵を、私たちが先に見た「追悼」と比較してみるのは非常に興味深いことです。先に見た絵は、ジオットの制作の初期のもので、こちらの絵は非常に後期のものです。進展を御覧いただくために、今もう一度、前に見た絵を観察してみましょう。15 ジオットの「聖フランチェスコ追悼」を参照します。ここでわかるのはつまり、彼がまったく同一のモチーフ(motif)、創作の動機となる思想や題材を、構成に関連して、初期とずっと後期にいかに把握したかということです。いわば、純粋に芸術的に見て、同じモチーフがもう一度描かれたわけですが、後期の絵において彼がずっと自由に、ひとつひとつ個別の事物に入り込んでいく能力を獲得したのは非常に興味深いことです。記:この作品は、イエス・キリストが最後の晩餐で弟子たちに自分の肉と血を食べるように命じた場面を描いています。ジョットは、人物の表情やポーズ、空間の使い方などに独自の技法を用いて、この場面を非常にリアルに描き出しています。1304~05年のフレスコ画(200×185cm)イタリアのパドヴアのスクロヴェーニ礼拝堂ジョットの「キリスト伝」シリーズのなかで、おそらくもっとも有名な場面でしょう。十字架から降ろされたキリストを囲んで、聖母マリアや福音書記者ヨハネらがその死を嘆き悲しんでいる。死を表わす枯れ木の根元から聖母マリアとキリストに向けて、岩山の稜線を横切らせる空間構成、動きと立体感のある人物描写、悲痛な表情をとらえた感情表現が演出されています。右上に死を象徴する1本の枯れ木が生え、その根元から岩山の稜線か左下のキリストと聖母マリアに向かう。画面下半分では、十字架から降ろされたキリストを囲み、家族や弟子たちがその死を悼んでいる。うっすらと目と口を開けた蒼白のキリストの顔を抱き寄せ、悲嘆にくれるのか聖母マリア。これほど悲痛な表情は、美術史上これがはじめてともいわれます。両足を膝にのせているのかマグダラのマリア。福音書記者ヨハネは両手を大きく広げて嘆き、それに呼応するかのように左側の女性も両手を広げている。空では10人の天使がさまざまなポーズで悲しみを表わしている。ジョットは聖書の物語をはじめて迫真的な人間ドラマに仕立てあげたのだと言えましょう。 第39:(参照図)ジョット-聖フランチェスコ追悼とジョット-キリスト追悼
2023年12月14日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXVI第36 ジョット-37 最後の審判 ジョット-38 怒り この絵に見られるのは、伝統的なものに移された根源的ヴィジョン的な観照を含むものです、つまり本来地上を超えた世界から私たちの世界が覗き込まれているのです。構成の上でジオットの絵を思い出させるものが多いにしても、筆致全体において圧倒的な差異があるのがおわかりになるでしょう。37 ジオット-最後の審判 38 ジオット-怒り記:37「最後の審判」は、旧約聖書や新約聖書に語られているキリスト再臨による公審判の思想を背景にしています。ゾロアスター教やアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰です。キリスト教においては「怒りの日」と同義に扱われます。ジョットの「最後の審判」は、スクロヴェーニ礼拝堂の壁面装飾最後の場面として描かれています。よみがえる人、神の国に迎えられる人、地獄に落とされる人などが描かれており、地獄の人びとは罪に応じた責め苦を受けています。記:38「怒り」は、1306年にパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にフレスコ画で描かれました。スクロヴェーニ礼拝堂は、14世紀初頭にエンリコ・スクロヴェーニが贖罪のために建てた一族の礼拝堂です。礼拝堂のテーマは「救済」で、聖母マリアの慈愛に捧げられており、ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描いています。ジョットのフレスコ画は、1304年から1306年にかけて38場面に分けて描かれました。西洋美術史上もっとも重要な作品のひとつとして知られており、近年修復されています。追記:最後の審判(Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムを祖とした宗教、ユダヤ教から、キリスト教、イスラーム教を通して共有する終末論的な概念です。人間の死後、神が人類を裁き、永遠の生命を与えられる者と、地獄に墜ちる者を分けるときの事をいいます。キリスト教においては、最後の審判は、キリストの再臨によって齎されるという。キリストは、天使たちを従えて空から降臨し、死者を蘇らせ、其の時には生きている者も死者も、キリストの前に集められる。キリストは、御言葉によって、すべての人の行いを裁く。義人は天国に迎え入れられ、罪人は地獄に落とされる。最後の審判は、キリスト教の信仰において、重要な位置を占める概念である。キリスト教徒は、最後の審判に備えて、悔い改め、信仰を深めるよう努める。その最後の審判を描いた美術作品は数多く存在する。その中でも、最も有名なものは、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」であろう。このフレスコ画は、縦14メートル、横12メートルの巨大な作品であり、イエス・キリストが再臨し、人類を裁く様子が、壮大なスケールで描かれている。最後の審判は、キリスト信仰だけでなく、西洋文化にも大きな影響を与えてきた概念である。最後の審判を描いた美術作品は、西洋美術史において重要な位置を占めるだけでなく、西洋の文学や映画などにも、しばしば登場する。第37・38:ジョット-37 最後の審判・38 怒り哲学・思想ランキング
2023年12月13日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXV第8a・8 ジョット-聖母とチマブエの聖母 ここで、両方の画像から、人物の扱い全体においてどれほど途方もなく大きな違いがあるかみなさんに見比べていただけるように、このジオットの「聖母」のすぐ後に、私たちがすでに見ましたチマブエの「聖母」の画像をもう一度挿入してみましょう。比較してごらんなさい、この両者では、眼差しに、目に、口に、幼子イエスの解釈に、まだ伝統が作用しているにもかかわらず、地球から世界を見ている人間たちが徹底して模写されてい、この画像に見られる写実主義を比べてみてごらんなさい。これをチマブエの次の絵と比べてみてごらんなさい。チマブエの聖母に見られるのは、伝統的なものに移された根源的ヴィジョン的な観照を含むものです、つまり本来地上を超えた世界から私たちの世界が覗き込まれているのです。構成の上でジオットの絵を思い出させるものが多いにしても、筆致全体においてはジオットとは圧倒的な差異があるのがおわかりになるでしょう。記:ジョットの聖母像は、チマブーエの聖母像とは異なり、光の反射や影によって描かれています。チマブーエの作品は2次元的で平坦で、人物の表情や衣服のしわがパターン化されています。第8a チマブエ-聖母4第8 ジョット-聖母哲学・思想ランキングMonicaと一緒にAIの未来を体験しましょう!MonicaのYouTubeサマリー機能を使って、動画の内容を素早く効率的にまとめることができます。専用の無料クエリ特典が待っています。https://monica.im/?c=NC04RWVT
2023年12月12日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXIV第34 ジョット-晩餐記:ジョットの「最後の晩餐」は、1303年から1305年頃にパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描かれたものです。「最後の晩餐」は、キリスト教の新約聖書に記述されているキリストの事跡の一つで、イエス・キリストが処刑される前夜に12人の弟子たちと共に摂った夕食のことをいいます。また、その夕食の席で起こったことも意味します。キリスト教の新約聖書に記されているイエス・キリストが処刑される前夜に12人の弟子たちと共に摂った最後の食事この晩餐の後、イエスは磔刑となり一度死ぬことを意味しています。最後の晩餐でイエスは、パンをとって「これがわたしの体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えました。パンはキリストの肉体、葡萄酒はキリストの血を喩えられています。このシンボリズムは、これから十字架刑を通して演じられる「犠牲」を暗示しています。また、自分の死によってもたらされる贖罪と救済に弟子たちを与らせ、神との交わりに参せよという意図も読み取ることができます。それ故、キリスト教の聖体拝領の儀式(聖餐式)では、種無しパンと赤ワインが供されます。新約聖書にはイエスの弟子を含めよくワインが登場しますイエスの批判者は其れ故にイエスを「あの酔いどれ」と非難しています。第34:ジョット-晩餐哲学・思想ランキング
2023年12月11日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXII(*32のスライド掲載なし)第33 ジョット-茨の戴冠記:いばらの戴冠とは、イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられた際に被せられた、イバラで作られた冠を意味します。受難と殉教の象徴とされており、荊冠(けいかん)とも呼ばれます。マタイの福音書によると、兵士たちはイエスを兵営に連れていき、イエスの着物を剥ぎ取って赤いガウンを着せ、長い棘の茨で作った冠を頭に載せました。また、イエスはムチ打たれて、唾奇をかけられ、下級のローマ兵士たちに侮辱ます。王位と威厳の象徴である冠を苦痛を与える、下劣な物と取り換えたことで、彼らのあざけりを決定的にするものでした。聖書はこう記しています。「イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、…中略…葦の棒でイエスの頭を叩き、唾をかけ、跪(ひざまず)いて拝んだ。彼らはイエスを鹹(から)かってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。」新約聖書 マルコの福音書15:17~20 此の嘲りは、この事件のおよそ700年前には旧約聖書に預言されていました。「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」旧約聖書 イザヤ書53:3~5第33:ジョット-茨の戴冠哲学・思想ランキング
2023年12月10日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXXI第31 ジョット-キリストの復活記:ジョット(GIOTTO DI BONDONE)は、キリストの復活をテーマにした「キリスト伝」を描いています。この作品は、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に収められています。キリストの復活は、救いが成し遂げられ、罪の罰が支払われ、人類がもはや非難されていないことを示します。キリストの死と復活は旧約聖書で予言されていたことでも肝要であり注目されます。キリスト教徒は、イエス・キリストが刑死した日をグッド・フライデー(受難日)、そしてイースターの日曜日をキリストが復活した日として記念します。イースターは「復活祭」とも呼ばれ、多くの宗派にとってはクリスマスよりも重要なお祝い事です。ジョットの絵はそれまでの画家と大いに異なる特色を持っていました。同じ聖書を題材にしながら、その表現はきわめてドラマティックで、まるで芝居の舞台を見るようです。ジオットが「ルネサンスの祖」とか「イタリア絵画の創始者」といわれるのもそのためでしょう。彼はアッシジのサン・フランチェスコ聖堂上堂の壁画を初めパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画連作など、生涯を通じてきわめて精力的に描き続けました。第31:ジョット-キリストの復活哲学・思想ランキング
2023年12月09日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXX第30 ジョット-訪問/The Visitation「聖母の訪問」 5月31日は「聖母の訪問」の祝日です。神の子であるイエス・キリストを身籠った聖母マリアが、親戚のエリザベトを訪問したことを記念する日ということです。ローマでは8世紀に、待降節(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)中に聖母の訪問が祝われ、東方教会では7月2日が祝日とされていました。第二バチカン公会議の典礼刷新において「エリサベトはもう6か月になっている(ルカによる福音書:第1章・第36節)」という天使ガブリエルの聖母マリアへの言葉と「マリアは三か月ほどエリサベトのところに滞在した(ルカにようる福音書・第1章・第56節)」という福音書の記述に従って、「聖母の訪問」の祝日は「神のお告げ(3月25日)」と「洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)」の間の日に移されました。4月のはじめは復活祭と重なることが多く、この祝日は聖母月とされる5月の最終日に定められました。The Visitation「聖母の訪問」はジョット・ディ・ボンドーネ(イタリア:1267年頃~1337年1月8日)の作です。中央の人物の左側が聖母マリア様、右側がエリザベトです。 「ルカによる福音書」は、聖母マリア様の訪問について語る直前に、天使がイエス・キリストの受胎を聖母マリアに告げる場面を記しています。その中で、天使は聖母マリアに「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と言っています。聖母マリアは、神の子イエス・キリストを身籠るにあたって、聖霊に満たされました。そのすぐ後に、親戚のエリサベトのところへと向かいました。どうやら、福音書は、エリサベト訪問が神の霊に導かれた行動であった。つまり、聖母マリアの思いやりから生まれた行動ということもあったと思われますが、神の導きに身を任せた行動であり、神がなされた業であったとも云えます。聖霊に導かれてなされる行いは、聖霊の力に満たされて行ったイエス・キリストや使徒たちの宣教活動を思わせるものがあります。このことから、「聖母の訪問」は、福音宣教を先取りしているといえるでしょう。第30:ジョット-訪問哲学・思想ランキング
2023年12月08日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXIX第29 ジョット-聖アンナへの受胎告知ジョット・ディ・ボンドーネによる「聖アンナへの受胎告知」は、1305年頃に完成した作品です。この作品は、西洋美術史上最も重要な作品の1つとされています。記:「受胎告知/Annunciation」、マリアへのお告げの祝日(3月25日/Lady Day)。「受胎告知」は、神の使いである大天使ガブリエルが、マリアにキリストの懐妊を告げる出来事を指します。聖母マリアと大天使ガブリエルが二人で描かれていることが多く、聖母の純潔の象徴である「白いユリ」を大天使が持っているか、作品の中に含まれることが多いという特徴があります。 受胎告知は,主によってイエスを懐妊したことを、大天使ガブリエルが聖母マリアに告知する新約聖書中の教義です。主な典拠とされる「ルカ福音書」 第1章26~38節に記される受胎告知の教義は、以下の通り。6ヶ月目に御使ガブリエルが神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人の許嫁(いいなづけ)になっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った。「恵まれた女よ、おめでとう。主があなたと共におられます(*「アヴェ・マリヤ」ということばの出典はここにあります。「アヴェ」とはラテン語の挨拶用語」)。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして,この此の挨拶はなんの事であろうかと,思いをめぐらしていた。すると御使が言った「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ。あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。…中略…そこでマリヤが言った「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」そして御使は彼女から離れて行った.第29:ジョット-聖アンナへの受胎告知哲学・思想ランキング
2023年12月07日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXI第28 ジョット-エジプトへの逃避行記:「エジプトへの逃避行」は、ジョット・ディ・ボンドーネによる作品です。スクロヴェーニ礼拝堂に描かれた連作壁画の1つで、キリスト伝の一作です。天使が聖家族に虐殺を知らせる、虐殺が始まり逃避行その途上の休息を描くこの作品は、フレスコ、スクロヴェーニ礼拝堂、ゴシック美術、世界遺産などの素材を含む画像です。記:聖家族のエジプト逃避はマタイによる福音書2章13~23節に記されています。 ヘロデ大王は、東方の学者たちから「ユダヤ」の新しい王として生まれた幼子のことを聞きます。王はこの新しいライバルの抹殺を心に秘めて、彼らをベツレヘムへと送り出しました。学者たちは、夢で「ヘロデのところに帰るな」とのお告げを受けて、別の道を通って自分の国に帰りました。これを知ったヘロデは大いに怒り、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」のでした。しかし、その直前、学者たちが自分の国に帰ったとき、天使はヨセフに「エジプトに逃げ、そこにとどまっていなさい」と告げました。その夜の内に、ヨセフは、幼子とその母を連れてエジプトへと下りました。当時エジプトには、捕囚後数十万のユダヤ人がいました。これが「聖家族のエジプト逃避」といわれる出来事です。エジプトには、聖家族の住んでいたといわれる家が今もあります。何も無い粗末な家ですが、壁に十戒が掛けられていたのが印象的でした。ヘロデが紀元前4年に死ぬと、彼の領地は、残虐な父親の誅殺から生き残ったアルケラオなど三人の息子たちに分割されました。天使はヨセフに夢で現れ、ヘロデの死を伝え、イスラエルに戻るように告げました。ヨセフたちは、アルケラオの支配するユダを避け、ガリラヤにに行き、ナザレに住みつきました。聖家族のエジプトからの帰還は、かってのモーセにひきいられたイスラエルの民の「出エジプト」を想起させる出来ごとなのです。第28:ジョット-エジプトへの逃避行
2023年12月06日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XXI第27 ジョット-ラザロの目覚め記:ラザロの目覚めとは、聖書のヨハネによる福音書第11章に記されている出来事です。エルサレム郊外のベタニアに住むラザロが病で亡くなった後、4日後にキリストが墓前で祈り呼びかけると奇跡的に蘇生しました。この出来事は、イエスが行った最後の大きな「しるし」とされています。但し、異論があります。イエスが行った最後の大きな「しるし」は、最後の晩餐の時とするものです。最後の晩餐は、聖餐式に由来するとされています。聖餐式では、聖職者がパンと赤ワインを「聖別(聖なるものとする行為)」することで、それが「イエス・キリストの肉と血」へと変化して「聖体(聖なるもの)」となり、礼拝に参加している信徒に与えるとされています。他にイエスが行った大きな「しるし」としては、ラザロの復活、人々の前で火を天から地に降らせるような大きなしるしを行った、イエスがキリストであること、イエスが神の子であることを証言した人々が現れたことが挙げられます。 この聖書のヨハネによる福音書第11章に記されている出来事は、ベタニヤで行なわれた葬式での出来事で、イエスの第七番目の「しるし」として記されています。いつもは沈着冷静なイエスが、この場面では激しい感情を表わしている箇所です。「蘇る(よみがえる)」の原語は、ギリシア語の動詞「エゲイロー」で、「眠りから目覚めさせる」「起こす」という意味です。*「甦る」は「一度衰えたものがまた盛んになること」の意味で使われることが多いが、「蘇る」は「死んだ人が生き返ること」の意味で使われることが多い。*エゲイロー(ἐγείρω)は古代ギリシャ語の動詞で、「眠りから覚ます」「起こす」「呼び起こす」「立ち上がる」「動かす」などの意味があります。死者を立ち上がらせる時や勃ち上がらせる(* 勢いを取り戻させる時など、幅広い意味で使われます。聖書では、「神の命令とそれに聞き従う人間の関係を示す象徴」として用いられています。また、「復活」という意味でも使われ、この場合は「アニステーミ」と同意語です。なお、ゲーム「ファイナルファンタジーXIV」では、賢者のスキル名として「エゲイロー」が登場します。意味は「戦闘不能から衰弱状態で蘇生させる」で、「賢者版レイズ・リザレク枠」とも呼ばれています。第27:ジョット-ラザロの目覚め(*復活)哲学・思想ランキング
2023年12月05日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XX第26 ジョット-パトモスでの福音史家ヨハネ 霊的世界と自分との関連を心情から掴んでいるヨハネの内なる生を、この芸術家が如何に描き出そうとしているかが、ここで非常に見事に観照されています。つまり黙示録を書き記す或いは少なくとも構想するヨハネです。記:トモス島で黙示録を執筆した福音史家ヨハネは、イエスの弟子で「イエスが愛された(*尊敬語)弟子」と表現された(*受動態)人物です。ヨハネによる福音書は、ヨハネがイエスと対話した形式で記されたものです。ヨハネは、ドミティアヌス帝の治世におけるキリスト教徒の迫害により、エーゲ海のパトモス島に流刑されました。パトモス島は岩の多い不毛な土地で、流刑者が働かされた炭鉱もありました。ヨハネは流刑地パトモス島での過酷な生活の中で黙示録を執筆しています。ヨハネによる福音書は、一世紀末に成立しました。この福音書は、ヨハネの三通の手紙や黙示録とともにヨハネ文書と総称されています。第26:ジョット-パトモスでの福音史家ヨハネ哲学・思想ランキング
2023年12月04日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XⅨ第25 ジョット-福音史家ヨハネの昇天記:ジョット(Giotto)による「福音史家ヨハネの昇天」は、福音記者聖ヨハネの生涯の3つの場面を描いた作品です。右側の壁には、エフェソスでのヨハネの幻視、ドルシアナの復活、ヨハネの昇天が描かれています。ジョットは、イタリア・ルネサンス初期の画家・建築家で、アッシジ、フィレンツェ、ローマなどで活躍しました。近世イタリア絵画の祖とされ、絵画をゴシック建築の従属性から解放し、自由で真に造形的な空間を構成した点に功績があります。代表作は「ユダの接吻」「小鳥説法」「聖フランチェスコの生涯」などです。ジョットの絵画の特徴は、遠近法と写実的な人体表現です。特に人物表現において感情表現・身振り・実物に近い肖像を描くことに秀でていました。幻視:医学上、幻視症状とは、実際には存在していないものが見えてしまうもの。 他の人からは見得ないものが幻視を発症とありますが、聖母マリアの幻視を受けたことにも注意が肝要。体験された方は御存知だと思うが、当人は其れを否定し得ないし、屡々其れに伴う幻聴の言には逆らえない。第25:ジョット-福音史家ヨハネの昇天哲学・思想ランキング
2023年12月03日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XⅧ第23 ジョット-正義・第24 ジョット-不正 これも後期から23ジョット-・正義24ジョット-不正など、このような絵から、当時いかにアレゴリーで言い表すことが当然であったかがわかります。生の状況は、世紀の変遷に連れて全く変化します。そして、絵画のなかに生きているもの、絵画のなかで生起している当時の生が、今日では、寧ろ書物を通じて伝えられうる表象のなかで生起するものであるということによって起こった大きな飛躍、この飛躍は、非常に大きな今日(こんにち)実際評価されているよりもずっと大きなものなのです。そしてアレゴリー的に表現しようという欲求は、とりわけ当時に特有なものでした。そして、これらの絵画において同時に描出の写実主義がかくもみごとに、やはり描出を世界のうちでそれを通じて読み取る何かのようにしたいという欲求と結合されているということ、これがとりわけ興味あることです。第23:ジオット-正義第24:ジオット-不正哲学・思想ランキング
2023年12月02日
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内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XⅦ第22 ジョット-聖フランチェスコが法王に修道会の戒律を進呈する ここで私たちは、先ほど述べましたように、ジオットの初期の芸術に関連する、アッシジのフランチェスコの感情世界へのいっそう増してゆく親しみから見て取れる描出にまた戻りましょう。記:「ジオット 聖フランチェスコが法王に修道会の戒律を進呈する」は、ジオットの初期の芸術に関連する作品です。聖フランチェスコ(1181-1226)は、13世紀初頭にフランチェスコ会を創始したキリスト教修道僧です。清貧に徹底した信仰を説き、ローマ教皇権全盛期の教皇インノケンティウス3世から修道会設立を承認されました。聖フランチェスコは、弟子たちとともに各地を放浪し、説教を続けた後、1210年にローマ教皇インノケンティウス3世に謁見し、修道会設立の許可を得ました。1212年に志を同じくする女子修道会「クララ会」が創立され、1223年に新しい戒律が認可されました。聖フランチェスコの修道院からは信託制度が生まれたとされ、現代の金融制度の大まかな基礎が作られました。第22:ジョット-聖フランチェスコが法王に修道会の戒律を進呈する哲学・思想ランキング
2023年12月01日
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