Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年03月07日
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カテゴリ: 霊魂論
神秘学の記号と象徴そのアストラル界と霊界との関係yucca訳(1994年)
■第一講 シュトゥットガルト 1907年 9月13日-1
 秘密(オカルト)の記号とアストラル界・霊界との関係。人間の記号としての五芒星(ペンタグラム)。叡智の像としての光。「叡智の働きかけ」によるアストラル体の変成と高貴化。地球の未来の進化。内的な光を獲得するための修練。叡智の光と天球の音楽。天球の調和(ハーモニー)と惑星運動。アトランティス人の知覚。人体の比率としての箱船。
 ここシュトゥットガルトでこれから行います四回の講演は、いくぶん内密な性格を持つことになると思います。何といっても皆さんの大部分は神智学協会に属され、すでに長年に亘って神智学の根本理念に親しんでこられ、従ってこの分野のより内密な題材に精通したいとお望みでしょうから。これらの講演で扱いますのは、アストラル界及び霊界と関連する秘密(オカルト)の形象と記号です。一連の秘密の象徴と形象のより深い意味を述べるつもりです。その際、初めの二回の講義で、いくらか奇妙に聞こえることがあっても、三回、四回と進みますと、完全な説明が得られるということにご注意いただきたいと思います。事の性質上、そういうことになるのです。神智学の講演は、いわば唯物主義的なやり方で単純な要素の上に組み立てられた他の講演とは違うのですから。最初はどうしても不明確な点があり、それが次第に明確に理解できるようになっていきます。
 形象や記号は、通常の世界のみならず、神智学的な世界においても、しばしばただひとつの意味を表す、多かれ少なかれ恣意的な何かであるという印象を与えますが、これはまったく正しくありません。皆さんもすでにそのような形象や記号について聞かれたことがおありでしょう。例えば、宇宙のさまざまな惑星が記号で示されることなどです。また、神智学のアレゴリーにおいてよく知られた記号は、いわゆる五芒星(ペンタグラム)ですね。さらに、ご存知のように、さまざまな宗教において、光というものは、叡智の、霊的な明澄さの意味で言及されています。さて、このような事柄の意味を問えば、これはしかじかのことを意味するといった表現を聞いたり読んだりなさるでしょう。例えば三角形は高次の三性を表す云々。神智学の著作や講演でも、たびたび神話や伝説が解釈され、「これはしかじかのことを意味する」と言われます。感覚の背後、この意味の本質の背後に至ること、このような形象の真実を認識すること、これを、この連続講演の課題といたします。これがどういうことか、ひとつ例を挙げて説明してみましょう。
 五芒星(ペンタグラム)を考察してみましょう。ご存知のように五芒星についてはあれこれ詮索され解釈されておりますが、神秘学においてそういうことは問題になりません。神秘学者が五芒星について語ることを理解するためには、まず人間の本質の七つの基本要素を思い起こさなくてはなりません。ご存知のように、人間の本質は、七つの基本要素、物質体、エーテル体、アストラル体、自我、さらに霊我、生命霊、霊人(神智学文献では後三者はマナス、ブッディ、アートマ)から成ります。手で触ることのできる物質的なものである物質体は除外しましょう。ここでとりわけ考察の対象になるのは、エーテル体です。エーテル体はすでに物質的な感覚にとっては隠されたもの、いわゆる「オカルト的なもの」に属します。通常の目ではエーテル体を見ることはできないからです。エーテル体を知覚するには霊視的な方法が必要です。実際にエーテル体を見ることができたら、むろん物質体とは全然違うものです。エーテル体はたいていの人が想像するような希薄な物質的身体、一種の微細な霧の塊といったものではありません。エーテル体の特徴は、浸透してくるさまざまな流れから構成されているということです。エーテル体は実に物質体の建築家、形成者なのです。氷が水から形成されるように、物質体はエーテル体から形成されます。このエーテル体はあらゆる面に向かって、海のように流れに貫かれているのです。それらのうち主な流れが五つあります。両手両足を開いて立ってごらんなさい。人間の身体はこの絵のように表されます。
参照画:ペンタグラム11(Pentagram)



 この五つの流れを人間はひとりひとり自らの内に隠し持っているのです。これらの流れが矢印に示された(図参照)方向にエーテル体を貫き、いわば人間のエーテル体の骨格を形成しているのです。絶え間なくこれらの流れはエーテル体を通過し、これはその人が動いているときも変わりません。どんな姿勢をとっていようと、常にひとつの流れが、額の中心、眉間の一点から発して右足へ下り、そこから左手へ、さらに右手へ、それから左足、そこから再び額へもどります。五芒星と呼ばれるものは、エーテル体の中で人間の物質体そのもののように内的に動いているのです。ですから神秘学者(オカルティスト)が五芒星について、人間の図形として語るとき、それはあれこれ思案して作り出された何かのことを言っているのではなく、解剖学者が骨格について語るのと同じなのです。この図形は、現にエーテル体の中に存在していて、ひとつの事実なのですから。こうしたわずかのことからも、ある記号の実際の意味がどのようなものであるかがわかるのです。神秘学において皆さんが出会う記号や形象はすべてこのような真実に導いてくれるものです。五芒星は、エーテル体の動く「骨格」であり、それゆえ人間の図形なのです。これがこうした記号の本当の意味なのです。
 図形や記号を用いる正しい指針を少しずつ獲得すると、それらは人間をしだいに霊的世界の認識に導き、霊視力を獲得させる手段となります。瞑想において五芒星に沈潜する人にはこれらのエーテル体内の流れの道筋が見いだされます。これらの記号の恣意的な意味をあれこれ考え出すのが目的ではありません。瞑想においてこれらの記号と関わるとき、ただし、忍耐強く行わねばなりませんが、秘められた真実に導かれます。これは、あらゆる形象や記号と同じく、皆さんがさまざまな宗教的古文献の中に見い出すことのできるものにもあてはまります、こうした形象は、深く神秘学に根ざしているものですから。預言者や宗教家が光について語り、光によって叡智を表そうとするとき、このことを単に彼が思いついたとか、才気煥発であろうとしてこのような表現を用いたとか考える必要はありません。神秘学者は事実に立脚しているのであって、才知に富んでいるということは重要ではないのです。ただ真実であろうとするのみです。神秘学者として人は、無秩序な思考をする習慣を捨てねばなりません。すなわち、恣意的に結論を引き出したり、判断を下してはならず、一歩一歩霊的な事実を手がかりに、正しい思考を発達させていかねばなりません。こうした光についての形象にもきわめて深い意味があり、ひとつの霊的な事実です。このことを認識するために、再び人間の本質に目を向けてみましょう。ご存じのように人間の本質の第三の構成要素はアストラル体であり、喜びと悲しみ、歓喜と苦悩、衝動、熱望と激情といった人間の内的魂的な体験が有するすべての担い手です。植物にはアストラル体がなく、従って人間や動物のような喜びや悲しみは感じません。今日、自然研究者が植物の感情について語るとき、そもそも感情の本質について完全な誤解に基づいています。アストラル体の正しい表象は、時代の経過とともにアストラル体の遂げてきた進化を追求するときにのみ得られます。すでに以前、大宇宙での進化との関連における人間の進化を考察いたしました。その際、人間の物質体が人間本性の最も古く最も複雑な構成要素であること、エーテル体はそれほど古くなく、アストラル体はもっと若く、自我にいたっては人間本性のうち最も若いものであることを見てきました。その理由は、物質体はその進化においてすでに地球の四つの惑星状態を経てきたからです。私たちの地球が以前、土星状態と呼ばれる受肉状態にあったとき、すでに物質体は原基の状態で存在していました。その当時、はるか昔ですが、地球はまだ固体ではなく、人間はまだ今日の形態をとっていませんでした。ただ、その土星上には物質体の原基があったのです。けれどもエーテル体、アストラル体といった他の体はまだありませんでした。地球の第二の受肉状態、太陽上ではじめて人間にエーテル体が付与されました。当時、人間のエーテル体はきわめて明白に五芒星の形態を有していました。後にこの星の第三の受肉状態、月上でアストラル体が付加されることにより、これはいくらか修正されました。さらに月は、地球へと変わり、以上の三体に加えて自我が登場します。さて、私たちは次のように問うことができます、これらの体は人間本性に受肉する前にはいったいどこにあったのか。例えば、太陽上でエーテル体として物質体の中に組み込まれられたものは、古い土星上ではどこにあったのか。エーテル体というものもどこからかやってきたのに違いないのだからと。エーテル体は、土星の周囲にあったのです、ちょうど今日、地球の周囲に大気があるように。後になって人間に組み入れられたものは、すべて古い土星の周囲に、気圏内にすでにあったのです。同様に、太陽においては、月上ではじめて組み入れられるアストラル体が周囲にありました。古い太陽を次のように表象することができます。太陽は今日の地球のような岩石、植物、動物から成り立っているのではなく、太陽上に存在していたのは二つの自然領域でした。太陽上に見いだせる存在、人間は、どうにか人間的な植物といったところで、こうした存在とともに、古い太陽上には、一種の鉱物もありました。けれどもこの古い太陽を現在の太陽と混同してはなりません。古い太陽は厚い流動するアストラル的な外被に取り巻かれていました。古い太陽はいわば、アストラル的な空気の覆いに囲まれていて、このアストラル外被は光輝いていました。古い太陽上の舞台はこんなぐあいだったのです。

 さて、人間が自らのアストラル体に組み入れたものは何なのか、と問うならば、答えは、それは私たちが善、聡明さと呼ぶものだ、それを通して人間は自らのアストラル体を高貴にするということです。私たちがまだ食人種の段階にあり、すべての激情に盲目的に従う未開の人を観察するとき、そしてその人は何によって高度に進化した人間と区別されるのかと問うとき、こう言わざるを得ません、文明人はすでに自らのアストラル体に働きかけてきたが、未開の人はまだそうしていないという点で区別されると。自らの激情や衝動を、これには従ってよい、別のはいけないと自らに言い聞かせるほどに把握している人は、道徳的な概念や理念を形成しています。つまりこれがアストラル体を変化させ高貴にするということなのです。人間は受肉を重ねつつアストラル体に働きかけることにより、ますますいっそう前述の光輝く存在へと自らを高めていきます。これは「叡智の働きかけ」と呼ばれます。アストラル体の中に叡智が増せば増すほどアストラル体は光輝を増します。あの太陽上に住んだ存在、エロヒムたちは全き叡智に貫かれていました。私たちの魂と肉体との関係は、ちょうどこの光と叡智の関係なのです。光と叡智の関係は考案されたイメージではないということがお分かりいただけたでしょう、これはひとつの事実に基づいており、ひとつの真実なのです。光は事実叡智の身体なのです。こうして私たちは、宗教的な古文献が光について叡智の形象化として語っていることを理解できるようになります。
*ルドルフ・シュタイナーは、「マナス」を自我として捉えていました。この概念は、人間の精神的な存在や意識の側面を指します。シュタイナーは、マナスが物質的な身体と精神的な世界をつなぐ存在であると考えていました。マナスは、個人の意識や精神的な成長、創造性、直感、自己認識などに関連しています。彼の哲学では、マナスは物質的な側面と精神的な側面の間の橋渡しとして機能し、人間の進化と成長において重要な役割を果たすとされています。
参照画:霊魂における自我(マナス)




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最終更新日  2024年03月07日 06時08分21秒
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