Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2024年05月10日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー
人智学の光に照らした世界史(GA233)Die Weltgeschichte in anthroposophischer Beleuchtung
und als Grundlage der Erkenntnis des Menschengeistes 翻訳紹介(全9講) 翻訳者:yucca
●第1講    1923/12/24 ドルナハ (2001.5.22.登録)
●第2講    1923/12/25 ドルナハ (2001.7.3.登録)
●第3講    1923/12/26 ドルナハ (2001.8.10.登録)
●第4講    1923/12/27 ドルナハ (2001.9.15.登録)
●第5講    1923/12/28 ドルナハ (2001.11.22.登録)
●第6講    1923/12/29 ドルナハ (2002.1.26.登録)

●第8講    1923/12/31 ドルナハ (2002.3.7.登録)
●第9講    1924/1/1 ドルナハ  (2002.4.6.登録)

ルドルフ・シュタイナー
人智学の光に照らした世界史 GA233 翻訳紹介:yucca
第1講 1923/12/24 ドルナハ
 今夕のクリスマス会議では、皆さんに地上の人類進化についての展望を示したいと思います、現代の人間というものをますます親密に強度に意識のなかに受け入れることに通じていくような展望です。全文明にとってこれほど重大きわまりないことが準備されていると申し上げてよいであろうまさにこの現代のような時代にあっては、深く考えるということをする人間なら誰しも、本来なら次のような問いを投げかけて然るべきでしょう、人間の魂の現在のような形での現われ、現在のような状態は長期の進化からどのようにして生じてきたのかという問いをです。と申しますのも、現在のものは、それが過去からどのように生じてきたかを理解しようとすることによって理解できるものになるというのは実際否定できないことでしょうから。さて、とは言え、まさにこの現代においては、人間と人類の進化に関して非常に偏見に支配されています。まずはこう考えられております。歴史上の全時代を通じて人間は魂的ー霊的生活に関しては本質的に今と同じようなものであったと。確かに、狭義の科学的なものとの関連でこう考えられているのです、古い時代、人間は幼稚で、ありとあらゆる空想的なものを信じていた。そしてつい最近になってようやく人間は科学的な意味でほんとうに賢くなったと。だが狭義の科学的なものというものを度外視すれば、今日の人間が有する魂状態をギリシア人もオリエントの人もおしなべてすでに有していたと考えられています。細部においては魂生活における変遷ということが考えられるにしても、全体としては、歴史上の時代を通じて本来すべては今日と同様だったのだと。つまり、歴史上の生活が先史時代へと流れるとすると、当時人間は正しいことは何も知らなかったと言われます。さらに時代を遡ると、当時人間はまだ動物のような姿をしていたと。つまり歴史を遡っていくと、魂生活はほとんど変わらないものと想像され、続いて霧のなかのぼやけた映像、そして、動物のような不完全な人間、いくらかなましな猿のような存在というわけです。今日ほぼこのように思い描かれるのが常となっていますね。これはまさにとほうもない偏見に基づいています。と申しますのも、このような想定をすることで、現代の人間と比較的そう昔でない時代。そうですね、十一、十、九世紀の人間との間にもすでにどれほど深い違いがあるか、あるいは、今日の人間とゴルゴタの秘蹟の同時代の人々、あるいは今日の人間とギリシア人との間においても魂状態にどれほど大きな違いがあるか、これを認識する努力がなされてないからです。さらに、ギリシア文明を一種の植民地(コロニー)、後期コロニーとしていたオリエント世界へと遡ると、私たちは現代の人間の魂状態とは全然異なる魂状態のなかに入っていきます。それで私はこれから、そうですね、およそ一万年ないし一万五千年くらい前にオリエントで生きていた人間が、ギリシア人とも、また例えば私たち自身ともまったく異なった状態であったことを、実例で、実際の事例で皆さんに示したいと思います。ひとつ私たちの魂の目の前に私たちの魂生活を据えてみましょう。私たち自身の魂生活から何かを取り出してみましょう。私たちは何らかの体験をします。諸感覚あるいは人格を通じて私たちは体験に関与するわけですが、私たちはこの体験から、理念を、概念を、表象を形成します。私たちはこの表象を思考のなかに保持し、表象はしばらくしてから記憶(想起/Erinnerung)として私たちの思考から意識的な魂生活のなかにまた浮かび上がってくることでしょう。皆さんは今日、そうですね、もしかしたら十年前の知覚体験に遡る何らかの記憶体験をお持ちだとします。さてここで、それが実際何であるか正確に捉えてください。皆さんは十年前に何かを体験しました。そうですね、皆さんは十年前にある人たちのパーティーに出かけ、その人たちひとりひとりの顔その他のついて表象を得ました。これらの人たちが皆さんに何を話しかけたか、彼らと一緒に皆さんが何をしたか、それぞれが云々を体験しました。これらは全て、今日像のかたちで皆さんの前に現われてくるでしょう。それは、たぶん十年前の出来事について皆さんのなかにあった内的な魂の像なのです。そして科学に従ってのみならず、ある普遍的な感情、当然のことながら今日ではもう極めて弱々しく体験されるだけとはいえたしかに存在している普遍的な感情に従って、体験を再びもたらすこのような記憶表象は人間の頭に位置づけられます。頭には、体験の記憶として現存するものがあると言えるのです。さてここで人類進化をかなり大きく跳躍しつつ遡ってみましょう、そしてオリエント地方の住人たち、今日の歴史で描かれる中国人、インド人その他は本来その後裔なのですが、この人々を眺めてみましょう。つまり私たちは実際に何千年も遡るわけです。この古い時代の人間に目を向けてみますと、その生活からして当時の人間は、私が外的生活のなかで経験し、行なったことについての記憶は私の頭のなかにあるとは言いませんでした。このような内的体験を人間は有しておらず、人間にとってそういうものは存在しなかったのです。人間はその頭を満たす思考も理念も持っていませんでした。今日我々は諸々の理念、概念、表象を有している、歴史上いつの時代にも人間は常にこれらを有していたと思うのは現代人の皮相さです。然し乍らそうではないのです。霊的洞察をもってじゅうぶん過去に遡ると、私たちは理念、概念、表象を頭のなかにまったく有しておらず、つまり、頭のでこのような抽象的な内容を体験することがなく、皆さんにはグロテスクに思われるかもしれませんが、頭全体を体験していた人間に行き当たります。これらの人間は私たちの諸感覚に見られる抽象性に関わることはありませんでした。頭のなかで理念を体験するというようなことを彼らは知りませんでした、けれども自分自身の頭を体験すること、これを彼らは知っていました。そして、皆さんがある体験にともなう記憶像を持つとき、この記憶像を体験に結びつけるように、皆さんの記憶像と外部にあった体験との間にある関係が成立するように、ちょうどそのように彼らは彼らの頭の体験を地球に、全地球に結びつけていたのです。彼らはこう言いました、宇宙(世界)には地球がある、宇宙には私がいて、私には頭が付いている。そして私が両肩の上に担っているこの頭、これは地球についての宇宙的記憶なのだ。地球は以前からあったが、私の頭は後からだ。けれども私が頭というものを持っていること、これが記憶なのだ、地球存在についての宇宙的な記憶なのだ。地球存在はなおも常にある、しかし人間の頭の全構成、全形態であるもの、これは全地球と関連している。このように、古代オリエント人は自身の頭のなかにこの地球惑星そのものの存在を感じていたのです。古代オリエント人は言いました、「神々は、自然界をともなう地球、数々の山河をともなう地球を、普遍の宇宙存在から創り出し、生み出した。一方この私は、両肩の上に頭を担っている。この頭は地球そのものの忠実な写し(模像)である。内部に血液の流れるこの頭は、地表の河の流れや潮流の忠実な写しである。地上で山脈の形に現われるものは、私自身の頭の中の脳の形のなかに繰り返される。私は両肩の上に、地球という惑星の私所有の写しを担っているのだ。」現代人が記憶像を体験に関係づけるのとまったく同じように、古代オリエント人は自らの頭全体を地球惑星に関係づけていました。よろしいですね、人間の内部観照(内視/Innenanschauung )というのもかなり異なっていたのです。続けましょう。古代オリエント人が地球の周囲を知覚し観照のなかに捉えるとき、この周囲、つまり地球を取り巻く大気的なものは、太陽と太陽熱及び太陽光に浸透されたものとして彼に現われます、そしてある意味で、地球の大気圏のなか太陽が生きてると言うことができるのです。地球は、自分から送り出す作用を大気圏に委(ゆだ)ね、自らを太陽作用に明かすことで、自らを宇宙万有に開きます。そしてこういう古えの時代には誰もが、自分が今まさに生きている地球の地域を、とくに重要なもの、とくに本質的なものと感じていました。しかも、そうですね、古代オリエント人は、地表のどこかの部分を、下は大地、上は太陽に向けられた周囲(の気圏)までを、自分の部分と感じていました。大地のその他の部分、左右前後、というのは、もっと普遍的な状態でぼやけていました(図参照、左部分)。
挿入図:Sonnenzugewandter Umkreis(太陽に向けられた周囲/Erde:地球)



 つまりたとえば、インドの地に住むある古代インド人が、このインドの地を彼にとってとくに重要なものと感じたとき、地上のそれ以外の部分、東方、南方、西方は全部彼にとって消え去りました。ほかの土地で地球(地)が宇宙空間にどのように接しているかということは、さしたる関心事ではありませんでした。それに対して、まさに自分が立っている土地は彼にはとくに重要でした(図参照、左、赤)。その地域における地球(地)の宇宙にまで延びる生が彼にとってとくに重要となりました。この特別な地で自分はどのように呼吸すればよいのか、これを彼は自分にとって特に重要な体験と感じました。今日人間は、特定の土地でどのように呼吸するかと問うことはあまりありません。もちろん人間は、より好都合なものであれ不都合なものであれ諸々の呼吸条件の影響下にあるのですが、これは意識のなかに受け入れられることはないのです。古代オリエント人はもともと、どのように呼吸すればよいかというまさにそのやりかたにおいて深い体験を有していました、そしてこれに関連するもうひとつのこと、地球が宇宙空間へとどのように接していくかということにおいてもそうでした。地球全体であったもの、これを人間は自分の頭の中に生きているものと感じていました。けれども、この頭は、固い骨の壁によって、上、両側面、後ろに向かっては閉じられています。しかし頭には下に、胸郭に向かって、ある種の出口、ある種の開口部があります(前図参照、右)。古い時代の人間たちにとって、いかに頭が相対的な自由さをもって胸郭に向かって開いているかを感じることは、とくに重要なことでした。人間は頭の内的な構成を地球的なものの写しと感じました。地球を自分の頭と関係づけなければならないとき、人間は、周囲、つまり地球の上方にあるものを、自分のなかで下の方に向かうものと関係づけなければなりませんでした。下に向かって開くこと、心臓の方向に向けられること、人間はこれを、周囲に連なることとして、像として、宇宙に向かう地球の開け(あけ/Oeffnung)として感じました。そして人間が次のように言ったとき、それは人間にとって圧倒的な体験でした。私の頭のなかに私は全地球を感じる。この頭は小さな地球なのだ。けれどもこの全地球は、心臓を担う私の胸郭の中へと開いている。そして、私の頭と私の胸郭、私の心臓との間で起こること、これは、私の生から宇宙へと、太陽に向かう周囲へと担われていくものの写しである。さらに、古代の人がこう言ったとき、それは重要な根本的な体験でした、私の頭のなかに、私のなかに、まさにここに地球が生きている、私が下降すれば地球は太陽に向かう(矢印を参照)、私の心臓は太陽の写しなのだと。ここで人間は、古(いにし)えの時代における私たちの感情生活に相当するものに行き着いたのです。私たちはまだ抽象的な感情生活を有していますが、私たちの心臓については直接何も知りません。解剖学、生理学によって私たちは心臓についてなにがしかを知っていると信じています。けれどもこうして知られたことは、私たちが紙製の心臓模型について知っていることとおよそ変わらないのです。私たちが世界の感情体験として有しているものをかつての人間は持っていませんでした。その変わりに心臓体験を有していました。そして私たちが感情を、私たちとともに生きている世界へと関係づけていくように、ある人を好んでいるのか、ある人に反感を持って向かうのか、あれこれの花を好み、あれこれの花を嫌うのかを私たちが感じるように、つまり私たちが私たちの感情を世界に、とは言え、堅固な宇宙から空気のような抽象へともぎ離された世界、とでも言ってよいでしょうか、そう言う世界へと関係づけるように、そのように、古代オリエント人はその心臓を宇宙へ、すなわち地球から周囲へ、太陽へと向かうものに関係づけたのです。そして、今日私たちはたとえば、私たちが歩くとき、私たちは歩きたいと言います。私たちは、私たちの意志が四肢のなかに生きているのを知っています。古代オリエントの人間は、本質的に異なった体験をしていました。今日私たちが意志と呼んでいるものを、古代オリエントの人間は知りませんでした。私たちが思考、感情、意志と呼んでいるものが古代オリエントの民族にもあったと思うのは、偏見にすぎません。断じてそういうことはありませんでした。彼らが有していたのは、地球体験であった頭体験、太陽までの地球に隣接する周囲の体験であった胸体験ないし心臓体験だったのです。太陽は心臓体験にあたります。さらに彼らには、四肢へと伸び、広がっていくという体験、両脚と両足、両腕と両手の動きのなかに自身の人間性を感じるということがありました。彼らはその動きのなかにいました。四肢へと伸びてゆくこの伸長のなかに内在して、彼らは単に地球の周囲の写し(模像)のみを見出していたのではありません、彼らはそこに人間と星界との関係の写しを直接感じ取っていたのです(前掲図参照)。私の頭のなかに私は地球の写しを見る。頭のなかで心臓目指して胸へと下に開いて広がっていくもののなかに、私は地球の周囲の写しを見る。私の両手両腕、両足両脚の力と感じるもののなかに、彼方の宇宙空間に生きている星々と地球との関係を写し取るものがある。ですから、あの古えの時代の人間が今日そう呼ばれるであろうところの意志する人間として得た体験を言い表わすとき、私は歩く、とは言いませんでした。そういう言葉では言い表わせなかったのです。私は座るとも言いませんでした。古い言葉のこういう精妙な内容をよく吟味してみるなら、「私は歩く」と私たちが表現する事実に対して、古代オリエント人では、火星が私に衝動を与える、火星が私のなかで活動していると表現されることがいたるところで見つかるでしょう。前進するということは、両脚のなかに火星衝動(Marsimpulse)を感じることです。「何かをつかむ」という手にともなう感情は、金星が私のなかで作用すると表現されました。何かを指すこと、乱暴な人間がほかの人をけ飛ばすことで何かを示そうとすることであれ、何かを指し示すことはすべて、水星が人間のなかで作用すると言うことによって表現されました。座るということは人間のなかの木星活動でした。そして、休息するにせよ、怠慢のためにせよ、横たわるということは、土星の衝動に身を任せると言うことによって表現されました。このように人々はその四肢のなかに外部はるかに広がる宇宙を感じていたわけです。地球から宇宙の彼方へと歩みを進めると、地球からその周囲へ、星領域へと至るということを人間は知っていました。頭から下へ降るとき、人間は自分自身の本質のなかで同じことを行なうのです。人間は頭においては地球のなかにいます、胸郭と心臓においては[地球の]周囲に、四肢においては外部の星宇宙にいるのです。ああ、哀れなわれわれ現代人は抽象思考を体験するのだと私は申し上げたいのですが、ある観点からすれば、こう言うことはまったく可能なのです。それがどれほどのものでしょうか。私たちは抽象思考をたいそう誇りにしていますが、自らのきわめて利口な抽象思考に夢中になるあまり自分の頭のことを忘れています。私たちの頭というものは、私たちの最も利口な思考よりもはるかに内容豊かなのです。脳のただひとつの回旋ですら、解剖学も生理学も脳の回旋の驚くべき秘密について多くを知ってはおりません。人間の誰それかの最も天才的な抽象の学よりもすばらしく圧倒的なものです。そしてかつて地球上には、人間が単にみすぼらしい思考だけではなく、自分の頭を意識していた時代、人間が頭を、そうですね、私が思いますに、四丘体(Vierhuegelkoerper)や視床(視丘/Sehhuegel])を感じていた時代、それらを人間が地球の特定の物質的な山の成り立ちを模写しながら感じていた時代があったのです。当時人間は単に何らかの抽象的な学説から心臓を太陽に関係づけていたのではありません、そうではなく人間はこう感じていたのです、私の頭と私の胸、私の心臓の関係のように、地球は太陽と関係があると。それは、人間がその生全体をもって宇宙万有と、宇宙(コスモス“cosmos”は、「秩序ある調和のとれた宇宙」)と合体していた時代でした。しかもこの合体は人間の生全体のなかに現われていました。とは言え私たちは、頭の代わりにみすぼらしい思考を据えることによってこそ、思考的な記憶というものを得る状態に移ったわけです。私たちは、私たちが生きてきたものについての思考像を、私たちの頭の抽象記憶として形成します。思考を有さず、まだ頭を感じていた人にはこれはできませんでした。思考を持たないひとは記憶を形成することはできなかったのです。ですから、人々がまだ自分の頭を意識していて、思考、つまり記憶も有していなかった太古オリエントのあの地域に入っていくと、私たちにまた必要となってくるものが、特殊な形で見出されます。人間は長い間それを必要としませんでした。それで、私たちにそれがまた必要となるというのは、実際のところ私たちの魂生活のちょっとしただらしなさというものです。私が話しましたあの時代、私が話しましたように頭を、胸を、心臓を、四肢を意識していた人たちが生きていた地域に入っていきますと、いたるところで、地面に何か小さな杭が打ち込まれていたり、何かしるしになるものが立てられていたり、何かの壁に何かしるしが付けられていたりといったことが見られます。人間の生きるあらゆる領域、あらゆる生の場所は目印だらけでした、当時まだ思考記憶というものがなかったからです。そこに建てられた目印を手がかりに、できごとをふたたび体験したのです。人間はまさに頭において地球と合体していました。今日人間はただ頭のなかにメモ(覚え書き)をするだけです。そして私が申しましたように、私たちは頭のなかにメモをとるだけではすまず、メモ帳その他にもメモをとるということをまた始めましたが、これもやはり申し上げましたように、「魂のだらしなさ」というものです。私たちはますますメモ帳を必要とするようになるでしょうけれども。けれどもかつては、思考、理念というものがそもそも存在していなかったために、頭のなかにメモするということはあり得ませんでした、それであらゆるところが目印だらけだったわけです。そして人間のこの自然に即した資質から、記念碑建造ということが生まれたのです。人類の進化史に登場してくるものはすべて、人間の性質の内部から条件付けられているのです。記念碑を建造することのほんとうの深い根拠を、現代の人間はまったく知らないのだということを正直に認めなくてはならないでしょう。現代人は慣行として記念碑を建てます。けれども記念碑というのはあの古い目印の名残なのです、当時人間はまだ今日のような記憶を持っておらず、何かを体験した場所に目印をしつらえ、そしてふたたびそこにやってくるたびに、どういうしかたであれ、地球と結びついているものすべてを甦らせることのできる頭のなかでその体験を甦らせるというやりかたに頼らざるを得なかったのです。私たちは頭が体験したことを地球に委ねる。これが古えの時代の原理でした。私が申し上げたいのは、古代オリエントにおいて、太古の時代、つまりすべて記憶にのっとったものが本来的に、地上に記憶のしるしを建てることと結びついていた、場所化された(ひとつの場所に結びつけられた、局所化された)記憶(想起/lokalisierte Erinnerung)の時代を認めなくてはならないということです。記憶は内部にはなく、外にあり、いたるところに記念碑や石碑がありました。人々は地面に記憶の目印を据えました。これが場所化された記憶(Gedaechtnis)、局所化された記憶(想起)です。人間の内部に見られる記憶ではなく、人間と地上の外界との関係のなかで繰り広げられ、形づくられるかつての記憶に何かを結びつけるというのは、今日でもなお、人間のスピリチュアルな進化のためには本来非常に良いことなのです。例えば、私はあれこれを憶えておくのではなく、あちこちに目印をしておこうと言うのは良いことです。あるいは、私はあることについて、目印にしたがって内なる魂的な感受性を発達させるだけにしようと。私は部屋の一隅に聖母像を掛けよう、そしてこの聖母像が私の魂の前に現われることで、まさに私の魂が聖母に向けられるなかで体験されうるものを体験したいと。と申しますのも、私たちが少しばかり東方に行くだけでも、私たちが居間で出会う聖母像といったような調度品に対する繊細な関係が見られるからです。ロシアにおいてのみではなく、東欧の中部においてもう至るところでそうなのです。基本的にこれらすべては場所化された記憶の時代の名残です。記憶は外部の場所に固着していたのです。けれども、人間が場所に結びついた記憶からリズム化された記憶(rhythmisierte Erinnerung)へと移行する第二の段階はまた異なっています。つまり、第一に場所化された記憶、第二にリズム化された記憶となっていきます。人間は今や巧妙に意識された技巧からではなく、自身の内なる本質から、リズムのなかに生きようという欲求を発達させます。人間は何かを聞くたび、聞いたものをあるリズムが生じてくるように自分の中で再生しようという欲求を発達させました。牛(モー/Muh)を体験すると、人間はそれを単にモーではなく、モーモー(Muhmuh)と呼びました、あるいはもっと古い時代になると私が思いますにはモーモーモー(Muhmuhmuh)と呼んだでしょう。つまり、知覚したものを、あるリズムが生じてくるように積み重ねていったのです。今日においてもこのことをたどることのできる語形成がいつくかあります、たとえばガウガウ(Gaugauch)あるいはカッコウ(Kuckuck)、 といったものです。あるいは、語形成が直接順次並んでいるというのではなくても、少なくとも子どもたちの場合にはこうした繰り返しを形成する欲求がまだあるということはおわかりになるでしょう。これはまだ、リズム化された記憶がはびこっていた時代の遺産なのです、単に体験されただけのものは記憶されず、リズム化すること、つまり繰り返し、リズミカルな反復のなかで体験されたもののみが記憶されていた時代の遺産です。ですから並んでいるもの同士の間には、少なくとも類似がなければなりませんでした、マン(人間/Mann)とマウス(ねずみ/Maus)、シュトック(杖/Stock)とシュタイン(石/Stein)というように。体験したものをこのようにリズム化すること、これは、あらゆるところでリズム化しようとする高度な憧れの最後の名残なです。と申しますのも、場所化された記憶に続くこの第二の時代においては、人間はリズム化されなかったものを記憶にとどめることはなかったからです。そしてもとをたどればこのリズム化された記憶から、古来の全詩学(Verskunst)、韻文による文芸一般が発達してきたのです。次いで第三段階となってようやく、私たちが今日まだ知っている時間的な記憶(zeitliche Erinnerung)というものが形成されました。私たちはもはや空間としての外界には記憶の手がかりを持たず、もはやリズムにも頼ることはできません、時間のなかに置かれたものを後から再度呼び起こすことができるだけです。私たちのこういうまったく抽象的な記憶は、記憶進化のなかの第三の段階なのです。さて、人類進化のなかで、まさにリズム的記憶が時間記憶に移行する時点に正確に注目してください、現代人の痛ましい抽象性のなかで私たちには自明である時間記憶というものが最初に現われる時点に。時間記憶にあっては、私たちが呼び起こすものは像のなかに呼び起こされ、私たちはもはや、何かを再度生じさせたければ、なかばあるいは完全に無意識的な活動のなかでリズミカルに反復しながらそれを呼び起こさなければならないという体験をすることもありません。リズム的記憶から時間的記憶へのこの移行の時点を想定していただくと、古代オリエントがまさにギリシアへと植民してくるあの時点、歴史上、アジアからヨーロッパへと創設された植民地の成立として記述されているあの時点となるでしょう。アジアあるいはエジプトからやってきてギリシアの地に居を定めた英雄たちについてギリシア人たちが物語ることは、もともとはこういうことを意味していた物語だったはずです、つまり、かつて偉大な英雄たちがリズム的記憶が存在していた国を去り、リズム的記憶を時間的記憶、時間記憶へと移行させることのできる風土を探し求めていたと。これをもってギリシア精神(グリーヒェントゥム)出現の時点が正確に示されます。と申しますのも、ギリシア精神の母なる地あるいは元なる地としてオリエントにあったものというのは、根本的にいってリズム記憶を発達させていた人々の地域だからです。そこではリズムが生きていました。そもそも古代オリエントというのは、人間がこれをリズムの地と思い浮かべるときにのみ正しく理解されるのです。そして楽園(パラダイス)というものが聖書がそうしているところまで元の場所に引き戻されるなら、つまり私たちが楽園をアジアに移すなら、もっとも純粋なリズムが宇宙を貫いて響き、リズム記憶であったものが人間のなかで再び燃え上がらされ、リズムを体験する者としての人間がリズムを生み出す者として宇宙のなかに生きていた地域を私たちは思い浮かべたことでしょう。みなさんがバガヴァッド・ギーターのなかに、かつてあの雄大なリズム体験であったものについてなおいくばくかを追感されるとき、ヴェーダ文学のなかにそれを追感されるとき、さらに西アジアの文芸と西アジアの文献の多くのもののなかにもそれを追感されるとき、こういう現代の言葉を使うことが許されるなら、そこにはかつて全アジアを荘厳な内容で貫いていたリズムの余韻が生きています、地球の周囲の秘密として人間の胸郭のなかに、人間の心臓のなかに反映していたリズムの余韻が。そして私たちはもっと古い時代へと入っていきます、リズム的な記憶が場所化された記憶へと後退してゆく時代、人々が何かを体験したら目印を立ててそれを頼りとしていた時代です。人々がその場所にいないときは目印は用いられず、その場所にやってきたときに彼らは思い出さずにはいられませんでした。けれども人々が思い出したのではなく、目印が、地球が彼らに思い出させたのです。そもそも地球というものが、人間の頭をその写しとして持っているように、今や地上の目印も、場所化された記憶を有するこうした人々の頭の中に写し取られたものを呼び起こすわけです。人間はまさに地球とともに生きており、人間はまさに地球との結びつきのなかにその記憶を有します。福音書も、キリストが地面に何かを書き込むと伝えるある箇所で、まだこのことを思い起こさせます(☆1)。そして私たちは、場所化された記憶がリズム的記憶に移行する時点を確定することができます。それは、古アトランティスの沈没にともない、西から東へ、アジアに向かって、太古の後アトランティス民族たちが移動していく時点です。と申しますのも、ヨーロッパからアジアへと移動していくときに、今日大西洋の底にある古アトランティスからアジアに向かっての移動(図参照)がまずあり、それから文化がヨーロッパへと再び戻ってくるからです。アトランティス民族のアジアへの移動の際に場所化された記憶からリズム化された記憶への移行が起こり、リズム記憶はアジアの霊生活のなかで完成を見ました。次いで、ギリシアへの植民の際に、リズム的記憶から今日なお私たちが有しているような時間的記憶への移行が起こります。
挿入図:記憶の移行1-2-3



1-lokalisierte Erinnerung:場所化された記憶
2-rhythmisierte Erinnerung:リズム化された記憶

 アトランティスの大変動とギリシア文明の成立との間の全文明、歴史的にというよりは多分に伝説的、神話的に古えのアジアから私たちに響いてくるすべては、このように記憶が養成されてくるなかにあります。私たちは、とりわけ外的なものに目を向けることによって、つまり外的な文献を調べることによって、地上の人間の進化を学ぶのではありません、人間の内部に生きているものの進化発達に目を向けることによって、記憶力、記憶能力というような何かがいかに外から内へと進化してきたかに目を向けることによって学ぶのです。こういう記憶力が今日の人間にとってどういう意味を持つのか、みなさんもご存じでしょう。みなさんも、人生の覚えておいてしかるべき部分を突然病的なしかたで消し去ってしまった人たちについてお聞きになったことがあると思います。私の親しくしていたある人は、次のようなことが起こったことによって死の前におそるべき運命を経験しました。ある日のこと彼は自宅を出て、駅である地点までの切符を買い、それから下車してまた切符を買いました。その間、切符を買うまでの彼の人生の記憶は一時的に彼の内部で消し去られていたのです。彼はすべてを賢明に行ない、知性はまったくもって健全でしたが、記憶は消えていました。その後の彼は記憶を再び以前のものに結びつけることで、ベルリンの浮浪者収容施設にいる自分を見出しました、彼はそこに辿り着いていたのです。後に確かめられたことによると、彼はそうこうする間、この体験を以前の体験に結びつけることができないまま、ヨーロッパを半周の旅をしていたということです。彼が自分ではまったく分からずに、この浮浪者のためのベルリンの収容施設に着いたあとで、ようやく記憶が明るくなってきたのです。これは私たちが人生において出会う数多くの事例のひとつにすぎませんが、この例で、記憶の糸が私たちの誕生後のある時点までとぎれないままでなかったら、現代人の魂生活はいかに損なわれたものとなるかかがわかります。このことは、場所化された記憶を発達させていた人間の場合にはあてはまりません。彼らはそもそもこういう記憶の糸などというものを知りませんでした。けれども、自分の体験を思い出させてくれる記念物に土地のいたるところで囲まれていないとしたら、彼らが自分で建てた記念物にも、彼らの父たち、姉妹たち、兄弟たちその他によって建てられ、作りが彼ら自身のものによく似て見えるために彼らを親族のところに導いてくれる記念物にも囲まれていないとしたら、彼らは魂生活において不幸であることでしょう、何かが私たちの内部で自己(Selbst)を消し去ったときに私たちがなるような状態になるでしょう。私たちが内的に私たちの健全な自己の条件と感じているものが、これらの人々にとっては外的なものだったのです。人類におけるこの魂の変遷を私たちの魂の前に引き出してみることによってのみ、この魂の変遷が人類の歴史的進化において持つ意味へと至ることができます。こういうことを考察することによって、歴史ははじめて光を放ちます。それで私はまず最初に、ある特殊な例を手がかりに、人類の魂の歴史は記憶力に関してはどのようなものであるかということを示したいと思ったのです。さらに明日以降、このように人間の魂の学(Seelenkunde)から引き出される光で照らすことができてはじめて、歴史上の出来事はその真の姿を表わすだろうということを見ていきたいと思います。
□編集者註
☆1 福音書も[…]このことを思い起こさせます:ヨハネ8,6参照のこと。

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最終更新日  2024年05月10日 08時23分11秒
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