Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年05月24日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー
ゲーテの自然科学論序説 並びに、精神科学(人智学)の基礎 (GA1)
Einleitung zu Goethes Naturwissenschaftlichen Schriften
Zugleich eine Grundlegung der Geisteswissennschaft(Anthroposophie) 
佐々木義之 訳
■ゲーテの自然科学論序説~並びに、精神科学(人智学)の基礎~ GA1 
◎第1章 緒論 2008.10.4.登録
◎第2章 ゲーテの変容についての概念の起源 2008.10.4.登録
◎第3章 動物の形態学に関するゲーテの思考の起源 2009.1.5.登録

◎第5章 ゲーテの形態論についての結語 2009.11.8.登録
◎第6章 ゲーテの認識方法 2009.11.8.登録
◎第7章 ゲーテの科学的著作集の編集(2009.11.8.登録
◎第8章 芸術から科学へ 2009.11.8.登録
◎第9章 ゲーテの認識論(2010.1.11.登録
◎第10章 ゲーテのアイデアという光の下での認識と行為 2010.6.14.登録
◎第11章 他の観点と比較したゲーテの思考方法 2010.8.23.登録
◎第12章 ゲーテと数学 2010.11.4.登録
◎第13章 ゲーテの地質学上の基本原則 2010.11.4.登録
◎第14章 ゲーテの気象学上のアイデア 2010.11.4.登録
◎第15章 感覚的な知覚の主観性について 2010.11.4.登録

◎第17章 ゲーテ対原子論 2011.9.19.登録
◎第18章 ゲーテの「散文の中の韻」における世界観 2011.11.1.登録

第1章 緒論 佐々木義之訳
 1787年8月18日、イタリアにいたゲーテはクネーベルに次のように書き送っています。ナポリ周辺やシシリア島の植物や魚たちの中に私が見たのは、私がもう十歳若かったら、インドに旅してみようと思わずにはいられなかったであろうというようなものでした。何か新しいものを見つけるためにではなく、既に発見されているものを私自身の方法で観察するために。この言葉は、ゲーテの自然科学論を考察するための視点を与えてくれます。彼にとって問題だったのは、何か新しいことを発見するということではなく、「新しい見通しを開く」、ある特別な仕方で自然を眺めるということでした。ゲーテが数多くの偉大な発見、例えば、顎間骨の発見や頭蓋脊椎理論の提唱といった骨学上の業績の他、植物の器官と葉との間の内的な相似性といった植物学上の発見等々を行ったのは確かです。けれども、自然についての壮大な観点こそが、これらすべての個々の業績に浸透していたところの生き生きとした魂だったのです。それらの業績はこの観点に基づいてなされました。有機体に関するゲーテの研究においては、ひとつの偉大な発見は他のすべての発見、それは有機体そのものの本性についての発見に影を投げかけていました。ゲーテは、ひとつの有機体が何故そのように現れるかという原則について、つまり、生命がその外的な表現へと導かれる要因について詳述しています。実際、彼は、そのようなことがらに含まれる原則に関して、あらゆることに光を当てているのです。有機的な科学の分野におけるゲーテの努力は、初めからその目標(*生命がその外的な表現へと導かれる要因)に向けられていました。彼がその目的を追求するとき、発見は自然に生じました。ですから、彼はさらに努力を重ねていく上で、それらが妨げにならないようにしなければなりませんでした。ゲーテ以前の自然科学は生命現象の本質に気づいていませんでした。有機体を探求するとき、ちょうど無機的な現象を探求するときのように、単に部分的な組成や外的な特徴を探求するにとどまっていたのです。したがって、そのような古い科学は、しばしば詳細なことがらについて不正確な説明をし、偽りの光の下にそれらを提示してきました。もちろん、個別のことがら自体を探求しても、そのような間違いが露見したりはしません。説明的な判断は私たちが有機体を理解して初めて可能になるのです。何故なら、特殊なことがらを個々に考察しても、それらを説明する原則はそこには含まれていないからです。それらは全体としての自然を通してのみ説明され得るのですが、それは、それらに存在と意味を与えているのは「全体」であるからです。ゲーテは全体としての自然を発見した後で、初めてそれらの説明の間違いに気づきました。それらの説明は、生きた存在についての彼の理論とは相容れないものであり、矛盾するものだったのです。そこから少しでも先に進もうとするのであれば、そのような偏見は取り除かれなければなりませんでした。顎間骨の場合がそうです。例えば、背骨の特徴を持つものとしての頭蓋の理論のようなものがあって初めて有効で興味あるものとなるというような事実は以前の自然科学には知られていませんでした。これらすべての障害は個別の発見を通して取り除かれる必要がありました。ですから、ゲーテの場合、これらの発見は決してそれ自体が目的ではなかったのです。それらが必要とされたのは、いつの場合でも、大いなる考えを確証するため、彼の「中心的」な発見を確認するためでした。ゲーテの同時代人たちが結局は同様の観察を行ったこと、ゲーテの努力がなかったとしても、恐らく今日ではそれらすべてが知られるようになっていたであろうということを否定することはできません。しかし、今日まで、有機的な自然のすべてを包括する彼の偉大な発見を、あれほどまでにすばらしい方法で、独立して定式化した人は誰もいないということを否定するのは、もっとはるかに難しいことでしょう。実際、彼の発見についてのいくらかましな評価でさえ未だに欠けているのです。
 R.シュタイナーによる注:この関連で、私たちは、ゲーテが全く理解されてこなかったと言っているのではありません。むしろ、私たちはこの文章の中で、繰り返し、ゲーテの考えを推し進め、洗練させてきたと思われる人たちに言及しています。その中には、フォイクト、ネース・フォン・エーゼンベック、ダルトン父子、シェルバー、C.G.ガルス、マルティウス、その他等々が含まれます。けれども、これらの人たちは、ゲーテの著作の中で据えられた観点を基礎として、その上に彼らの体系を構築しています。ですから、彼らについて言えることは、彼らは「ゲーテなしに」彼らの概念に至ることはなかったであろうということです。他方、ゲーテの同時代人たちは、例えば、顎間骨の場合にはゲッチンゲンのジョセフィ、背骨理論の場合にはオーケンですが、独立してそれらの発見に至っています。

参考画:long-lived trees







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最終更新日  2024年05月24日 10時13分58秒
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