Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年05月30日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー
ゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)
第7章 ゲーテの科学的著作集の編集 佐々木義之訳
 自然科学に関するゲーテの著作集を編集する責任者としての私を導いてきたアイデアは、詳細なことがらの根底に横たわる壮大なアイデアの世界を示すことによって、それらの探求を生き生きとしたものにするということでした。私は、もし私たちが深く包括的なゲーテの世界観への十全たる理解をもってそのあらゆる主張にアプローチするならば、それらはまったく新しい意味で、実際にその真の意味を獲得すると確信しています。彼の時代以降、著しく進歩した現代の科学から見れば、彼の科学的な主張の多くが取るに足らないもののように見えることは否定できません。けれども、ここではそれが問題なのではなく、そのような主張が「ゲーテ自身の観点という文脈の中で」有している意義こそが重要なのです。科学的な疑問は、その詩人が立っていた精神的な高みにおいては、より大きな強度を帯びたものとなります。しかし、そのような疑問なしに、科学はあり得ません。「ゲーテが自然に問うた疑問とはどのようなものだったのでしょうか。」それこそが重要な問題なのです。彼がそのような疑問に答えたかどうか、どのように答えたかについては二次的なものと考えられます。もちろん、今日、私たちが用いることができる、より充実した手法や経験をもってすれば、彼が問うた疑問に対して、より十分な答えを見出すことも可能でしょう。けれども、私の解説が意図しているのは、私たちが用いることができる、より大きな手法をもってしても、彼が示した道を進む以上のことはできないということです。私たちがとりわけゲーテから学ぶべきこととは、「どのようにして自然に問いかけるか」です。私たちは、単に、ゲーテの時代以降に再発見され、今や、私たちの世界観にとって重要な位置を占めるようになった様々な観察を彼の業績に帰することで、何が最も重要なのかを忘れてしまっています。ゲーテの場合、研究結果は彼がそれによってそこにたどり着いた方法ほどには重要ではないのです。彼は「あえて発せられる意見は、チェス盤の上で動き回る駒に似ている、それらは取られるかも知れないけれども、勝利されることになるゲームを開始したのだ」と適切にも自分自身で述べています。ゲーテは自然と完全に調和した方法を発展させました。彼は、彼が用いることができる手法を用いて、その方法を科学に導入しようとしました。彼の探求の個々の成果は科学の進展に伴って変化させられてきたかも知れませんが、そのようにして導入された科学のプロセス自体は科学にとっての変わらぬ進歩であり続けています。これらの観点は、当然のことながら、編集された著作の構成に影響を及ぼします。私はこの素材を構成するに当たって通常のやり方から出発したので、何故、最も賢明と思われる次のようなやり方を採用しなかったのかと問うことは許されるでしょう。すなわち、第1巻に一般科学、第2巻に植物学、鉱物学、そして気象学、そして、第3巻に物理学を配置することによって、最初の巻には一般的な観点が含まれ、他の巻にはこれらの基本的なアイデアが個々に洗練されたものが含まれるというようにしなかったのかということです。これは非常に魅力的ではありますが、私はそのような構成にするつもりは全くありませんでした。そのようなやり方をすれば、私は私の目的、つまりゲーテの比喩に帰すれば、ゲームにおける最初の動きがその根底に横たわる戦略を明らかにするという目的を決して達成できなかったでしょう。意識して一般的な概念から始めるということほどゲーテにとって無縁なものはありません。彼はいつでも「実際の事実」から始めて、次にそれらを比較しアレンジしました。そのようなことを行っている間に、その事実の根底にある基本的なアイデアが彼には明らかとなりました。あのよく知られた「ファウスト」のアイデアに関する彼の言葉に基づき、ゲーテの創作活動の背後にある駆動力はアイデアではないと主張するのは非常に間違っています。ものごとをよく考えてみるとき、本質的ではない偶発的なことがらを除去した後、残ったものが彼にとっての彼の言葉の意味での「アイデア」だったのです。ゲーテが用いた「方法」は、彼がアイデアへと上昇するときでさえ、いつでも純粋な経験に基づいていました。彼は主観的な要素が彼の探求に潜り込むことを決して許しませんでした。彼は単に偶発的な現象を解き放ち、それらのより深い基盤へと進むことができるようにしただけです。彼の主観は、その対象の最奥の本質を明らかにするような仕方で、それを説明することだけを意図していました。「真実とは神のようなもので、直接には現れません。むしろ、その顕現を通して理解されるべきものです。」人は、「真実」を見ることができるような仕方で、それらの顕現を結びつけなければならないのです。真実あるいは「アイデア /ドイツ語でIdee(観念。理念としてのイデア若しくは着想)」(プラトンの哲学*真の認識とは「想起」(アナムネーシス)にほかならない)は、私たちが直面する事実の中に既に含まれているのですが、観察においては、それを覆い隠しているベールが取り除かれなければなりません。真の科学的な方法とはそのベールを取り除くことなのです。ゲーテはこの道を取りました。もし、私たちが彼の心に十分に近づきたいと思うのであれば、彼に従わなければなりません。言い換えれば、私たちはゲーテの植物学から始めなければなりません。何故なら、彼はそこから始めたからです。豊かな内容が初めてそのアイデア、それは私たちが後に一般的かつ方法論的な問題に関する彼の随筆の要素として見出すことになるアイデアを彼に現わしたのは、そこにおいてだったのです。もし、私たちがそれらの著作を理解したいのであれば、私たちはまず私たちの心をその内容で満たさなければなりません。方法論を扱っている随筆はゲーテが歩いた道をたどる労を取らない人たちにとって、単に紡ぎ出された考えに過ぎません。物理的な現象に関する研究はゲーテの自然観の結果として生じたものと言えます。    (第7章了)
記:ゲーテの社会的評判としてベートーヴェンがよく取り上げられていますが、真相は如何なものでしょう。
参考画Ⅰ:Goethe and Beethoven-01



参考画Ⅱ:Goethe and Beethoven-02



参考画Ⅲ:Zur Farbenlehre(Goethe and Newton)




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最終更新日  2024年05月30日 07時00分47秒
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