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六歳下の従妹が久しぶりに実家の平内に帰ってきた。高校生のとき青森の私の家に下宿していたことがあるので、亡き母への線香を上げながら、しばし歓談となった。その折、受験生当時の話となって、歴史年表を覚えているかとか、古典の出だしを覚えているかといった話題になった。仏教伝来538(ごさんぱい)、とかいい国作ろう(1192)鎌倉幕府とかいうやつである。枕草子の話になったときに彼女が、昔朝日新聞のコラムに大変面白い、草紙もどきが紹介されていたというので、あとで携帯のメールに入れて貰ったら、これがほんとうに笑える。津軽弁で言うと「煮だってしまう」。そろそろ春らしい日差しになってきたので今日は、それをご紹介しようと思う。夏はボーナス 清少納言(時のかたち)ミレニアム特集草紙、たはぶれに書き付ければ、千年の物にたちまじり、はづかしきなんどもぞ見る人はし給うなれば、いとあやしゅうぞあるや。新聞のコラムに「これになにを書かまし」など、のたまいしを、「現代の事情をこそ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて、たまはせたりしを、いと物おぼえぬ事ぞおほかるや、おのづから見ゆる事を書きつくさんとす。『春は人事異動。やうやう近くなりゆく窓際、すこし赤字増えて、傾きだしたる社運の細くたなびきたる。夏はボーナス。下落傾向はさらなり、闇(やみ)もなほ狸(たぬき)算用のおほく計算違いたる。また、ただ一円二円など、ほのかに増ゆるもをかし。飴(あめ)などもらふもをかし。秋は前期決算。夕日の傾きて崖(がけ)の端いと近うなりたるに、空の懐に響くとて、三人四人、二人三人など転職急ぐさへあわれなり。まいて借りなどの積もりたるがいと少なく見ゆるは、いとをかし。資金はてて、風前の灯(ともしび)、虫の息など、はたいふべきにあらず。冬は勤めをやめて。不幸の降りたるは、いふべきにもあらず、預金通帳のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、求人誌など急ぎ求めて履歴書もてわたるも、いとわびし。暇になりて、気のゆるびもていけば、再起の火も白き灰がちになりて、わろし』書き連ねたれど、すさまじきものなれば、はづかしとおもいゐたりて詠めり。世をこめて草紙のそらねははかるとも世におほかたの責はゆるさじ。(宮廷公務員・エッセイスト)2000/06/29、朝日新聞 朝刊、17面
2008.03.04
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三日坊主、とはよく言ったもので、坊主ではないんですが禿げてます。もともと死んだ親父と違って日記を書くタイプではないので・・・・・。昨日、ヨーカドー青森店の金山焼きの展示会を見てきました。正確には「津軽の工人・二人展」津軽金山焼きの松宮亮二さんと津軽塗りの松山継道さんのコラボの展示会。ダイソーの100円均一ストアの台頭、それに伴う販売価格と仕入れ価格(納入価格)のデフレ化は、従来の瀬戸物の産地である、美濃や有田の日常食器のメーカーを直撃し、80%を倒産に追い込んだという。ダイソーの100円土鍋を日本で作れば土(粘土)代だけで80円かかるという。ところがダイソーへの納入価格は40円。これでは材料費、人件費が10分の一という中国に勝てるはずが無い。おまけに、中国人は1日一人で食器が6000個作れるオートメーションの機械を2億円でも、3億円でもバンバン日本から買っていくという。津軽金山焼きは160年前に久々にできた陶器の産地、益子(栃木県)についで日本の新しい、瀬戸物の産地形成を目指すという。そしてタダ同然の材料資源が500年分眠っているのだそうだ。金山焼きは5~12世紀の須恵器を再現したものだそうだ。金山の大溜地の底に堆積していた良質の粘土を、廃棄材同様であった赤松の薪で、釉薬を一切使わずに、1300℃の高度でじっくりと焼き上げて硬める「焼き締め」の手法で深みのある風合いを備えた焼き物を生んできた。2002年、「青森世界薪窯大会」を開催。以降、毎年五所川原で実行委員長を勤めている。今回はまた、津軽塗りとのコラボ。誠にエネルギッシュ。お話を聞いたら22年うまれの60歳、私の5年先輩である。展示会場でチャッカリ一緒に写真撮影をしてもらった。1992年、ニューヨークエバーソン美術館「現代日本の陶芸展」に「灰被大壺」を出品。同美術館に永久保存された。棟方志功もそうだが、青森県や日本のアートは、外国の評価のほうが先らしい。
2008.02.24
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社会福祉士の先生によると、食事のメニューが思い出せないのは物忘れ、食事をしたことすら忘れているのが認知症(所謂ボケ)だそうです。じじは、そろそろヤバイ。KYが分からないのは。単なる情報不足だが、読売新聞に面白いニュースが載ってた。2月5日2時30分配信 読売新聞 若者中心に流行している「KY(空気読めない)」などローマ字式略語約400語を収集したミニ辞典「KY式日本語」(大修館書店)が7日、出版される。 ネット社会を背景に急増するKY語の問題性も指摘した。 同社では、3年前から中高生などから辞書に載せたい新語を募集。当初はこうした略語は目立たなかったが、昨年秋締め切った第2回(応募約4万4000件)では、「KY」が1位となったほか、「JK(女子高生)」「HK(話変わるけど)」などベスト100中五つを占めた。 そこで「若者の間で急速に普及しているKY語の実態を知りたい」と、新語募集に寄せられた言葉やインターネットを調査。「MK5(マジキレる5秒前)」「PK(パンツ食い込む)」「WH(話題変更)」などメールや学校生活で使われる言葉を集めた。 中国の餃子がヤバイので、餃子屋さんが大繁盛しているそうだ。じじも、手作り餃子の勉強をしてみようかな。あの、ギザギザに皮のひだを摘むのが難しそうだな。今日あたり、委員会の手数料が入りそうだから、ネットでレシピ探して、やってみよう!
2008.02.05
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あはっ。またまた、こ面倒くさい名前でんなぁ。これは要するに、SLA=シニアライフアドバイザーのことでやんす。先日、成年後見制度の勉強してきましたが、これは《財》シニア・ルネッサンスが認定している資格でございます。年をとることを《エイジング》と言いますが、高齢者や障害者(認知症や脳障害)の方が、楽しく、生き生き、自己実現をする、老後をアドバイスする仕事でございます。自然科学、心理学、社会科学などを総合して、《身体的、心理的、経済的》なアドバイスや援助をするのです。アメリカは、老後の社会保障も、保険もない国だそうで、ですからこういった学問が存在するんだそうで「ジェロントロジー」(老齢学)、と言うのだそうです。まぁ、「創齢学」とか「長寿社会の人間学」のほうが聞こえがいいね。写真の堀田弁護士なんかは、「子供は親の敵」なんて怖いこと言ってるよ。団塊の世代の親たちは、子供にせがまれると何でも与えてきた世代だから、家庭内振り込め詐欺みたいな事が、起きる。現代の老人は長生きだから、自分も老後が長いのに、チョッとボケてくると長男に年金まで巻き上げられる。(ボケは今、差別用語で、正しくは認知症)そういうわけで、じじは、通信講座でSLAの資格を取ることにした。6ヶ月から1年かかる。費用も60900円かかる。しかし、金の目途がまだ立たない。ところで、中国の餃子だけど、あれは「無差別テロ」でございます。ああいうのは、やろうと思えば止められない。メーカーや仕入先は利害関係から言ってやるわけがない。絶対防ぎようがありません。従って、中国製品を買わないか、輸入禁止にするしかない。それにつけても、食料自給率をもっとあげないと、大変なことになる。今日は、あと雪かきしなくても良いことを祈っておる。実は、マイ・ライフプランを考えてて、朝の三時からおきて、SLAを研究していたので、今日はブログの更新ができたのじゃ。
2008.02.04
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今日もまた、のっつのっつど、雪が降ってるよ。これが1万円札だと、みんな喜んでやるだろうね。喧嘩になったりして。天は、我を見放したか! ああ、やりたくねぇ。じじは、今から午前の部にとりかかる。昨日も2回やったから、スノーダンプでさらさらと、押し込んで片付けられるだろう。明日は「成年後見制度」のセミナーがあるから、午後はあまり降って欲しくないな。ところで、中国の冷凍食品が農薬混入で問題になってるようだな。中国なんて品質基準があって、ないような国だからね。北京オリンピックなんて、折の中でやらなくちゃ駄目だね。そんなことより、また雪が乱気たがって降ってきたから、雪片づけじゃ。じじは、雪が降ってるときにやるのじゃ。
2008.02.01
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この、らんきたがれの降りかたは、午後には、一発雪をやらにゃあ、いけんのう!昨日の、男子ハンドボールは残念じゃ。韓国は男女とも、カウンターの速攻が徹底しておる。それと、ボールが手につかない、ミスじゃな。まあ、いずれにせよ、実力の差かな。しかし、あのゴール・キーパーは何じゃ。両方、魔人か!先日、細木数子が、朝青龍の千秋楽のガチンコ勝負についてコメントしていたが、最近、なんで良くわかんないやつが、したり顔で、あれやこれや、言うんだろう。前に、「スッキリ」でも、八戸出身の朝日新聞の川村君が、星の監督が完全試合目前のピッチャーを交代させたことを批判していたが、一体、どういう立場で、コメントできるのか。スポーツコメンテーターの宮崎清純だったら、専門家としてのコメントだからわかるけど、マスコミの番組制作姿勢に哲学が感じられない。何でも、かんでも、テリー伊藤や東国晴に聞きゃあ良いってもんじゃないだろう。今日は、「成年後見制度」を勉強する。土曜日に、またセミナーや。2月16日は、NPOに関するセミナーが2つダブってしまった。県民政策ネットワークの主催する「研究成果発表会」とNPO推進青森会議の外国の活動事例を紹介するシンポジューム。どちらも出たいけど、体がひとつしかない。朝から、NHKは国会中継をやっておる。こんな年度末になって、慌てて審議するような問題じゃないのに、2ヶ月で解決はしない。ガソリンが下がることは嬉しい限りだが、下がってしまえば当たり前になる。
2008.01.31
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「成年後見制度」のセミナーはあと一回、今週土曜日に行くと、終了証がもらえます。今日は、午後1:15分からラプラス・あおもりで「青森県行財政改革推進委員会」です。出席者リスト見てみたら、県知事はじめ各セクションの代表者が出席して委嘱状の交付式があるみたいだから、久しぶりにスーツとネクタイですね。大阪は橋下弁護士がこれから、5兆円の累積公債債務の改革に取り組むんだけど、青森だって1兆2千億円もあるんですよ。プライマリーバランスは黒字になっても、もっともっと外貨を稼ぐ政策を展開しなければ、片や地方交付税は減額され、片や新幹線の分担金を払い、いくらタイトルで「生活創造社会」を目指したって、明るいイメージがもてないよね。資料読んでると、涙がでるくらい、倹約政策は伝わってくるんだけれど、財政再建団体になりたくないってのが、生きる目標だなんていうのは、なんか空しいね。
2008.01.30
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あまりに寒い。シバレル。しかたなく今季、初めてメイン暖房に火をいれた。これは、外のオイルタンクから灯油が来るので、うっかりすると空になる。今まで、空焚きを三回やって、そのたびに出張料と技術料で8000円も取られている。その前に、給油しろって?金があったら、やってるよ。勤めていたときは、業者の自動給油だったのだ。そうすると、一回に400リットルほど入ってしまう。今の価格で4万円も払わなきゃならない。車にガソリンも入れられないのに、灯油ごときに・・・・・・・とはいえ、雪中行軍ではないが、家の中で「死の彷徨」なんてやってられない。じじの春は、いつやってくるんだろう。ところで、東国晴くん、またやってくれましたね。最近タレント活動が過ぎるので、ちょっと心配してたんだけど、顔ぶれがまともだから安心した。三村くんには声が掛からなかったのか。昨日、東洋経済新聞社の発行(1998年4月)の「縄文パワーで飛躍する青森」という本を10年振りに読み返してみて、青森県の中途半端さが逆に今、安定性をもたらしていることが、分かった。確かに大学進学率は全国最低だけど大学が10校ある県は、人口割では大都市圏を除いてはトップクラス。これから、もっと青森県のいいところを探してみようと思う。秋田県、横手の菓子メーカーが、カブトムシの幼虫チョコを発売して、ヒットしているという。青森県もニッチな商品開発が必要だ。教授はレンタルビデオをやっている場合ではない。もっと、青森県のために商品開発しなくては。(笑い)さあ、今日もこれから、雪片づけだ。
2008.01.20
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今日は「成年後見人制度」の勉強会に行ってきた。三日間、16時間出席すると終了証がもらえるそうだ。しかし、それが仕事になったり、金になる訳ではない。成年後見人制度というのはアルツハイマー、脳障害(脳出血など)その他(アルコール)によって、自己の正常な判断ができない人に代わって、身体、財産の管理をする人のことだ。家庭裁判所に申し立てをして、裁判所が決定をする。人権保護に基づいて契約内容が登記され、それに基づき、本人の「身上看護」「財産看護」をする。四六時中、監視をするのではない。司法書士などが後見人となって勝手に財産を処分したりして、問題になっている。老人ホームなどで、身寄りのない痴呆老人から、預金通帳、印鑑を預かって、年金や貯金を勝手に使っていた例もある。まぁ、まだよく分からない。手数料などで職業、或いはアルバイトになるか、可能性を(財)シニアルネサンス財団のよし子さんに聞いたら、(これが、なんと悦子と書いて、ほんとに、よしこさん) 基本的にボランティアだがNPOなどがやると社会的な信用性があるので、安心なのではないか、ということだった。死んだ場合の相続、財産分与の問題もあり、「遺言」との関係や報酬と信頼関係などのデリケートな問題も残されている。もっと、勉強してからでないと、なんとも言えない状態であります。今日はこれから、雪片付けをするまでもないようだから、「無明会」の月報を書きます。今日は「雪中行軍」とリーダーシップに関して。それにしても、シバレル(超冷える)ne.灯油がもったいないから、はよ寝ようかな。
2008.01.19
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昨日は、三時間近くかかって、奥の駐車場の雪片付けをしました。そしたら、今朝起きたらまた10センチ以上積もっていました。でも昨日4台分のスペースを、テラッとやっておいたので少しはもつでしょう。前の駐車場を借りている女性が嫁にいくので、1台空いたので誰かいないかな。一応張り紙はだしたんだけどね。ところで、年末に青森県の「県財政行革推進委員会」の委員に、小論文を出して申し込みをしておいたら、今電話があって、2名枠の1名に選ばれたそうです。年間10回程度、会合があって謝礼ぐらいは出そうなので、ひたすら雪片付けをしているよりは、よいでしょう。「こいつは、春から縁起がいいわいなぁ」ってところです。あとはNPOケアプラスあおもり、の活動をスタートさせるために、補助金の申請をします。年末はまだ、設立登記までいっていなかったので、取り下げしましたから今度は100万円くらい申請しようと思っています。早いとこ、シニア向けの新聞「シニア百彩」を発行したいものです。今日は、また「無明会」Imagience「右脳と左脳の複合経営」の月報を書きます。地獄の話は今回で終了して、次回からは「吉兆」や食品表示法違反の問題、歴史事例として「桶狭間の戦い」や第5連隊と弘前31連隊の「雪中行軍」を書きたいと思っています。壽じい、から本を借りたので、参考になりました。セミナー青森の山下さんは、この道の大家なのであの本の中の「部下は使われる能力も大事」というのは全く頷けます。基本は、戦いに勝ったものは、謙虚に準備していた、ということです。メジャー・リーガーのイチロウの口癖は「準備」です。私は信長という人は、臆病者で本当に死ぬのが怖かった人ではないかと思っています。人は得意なもの、強いもので滅びるといいます。喧嘩や戦が強い人は、それで滅びる、博打が得意な人はそれで滅びる、女にモテルひとは女で滅びる。ジジには、少なくとも、取りあえずそのような心配は無用のようです。
2008.01.18
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【無明会】の月報は、今、地獄について書いておる。昔は「女、三界に家なし。」なんて言って女性差別があったけど、今や男性受難の時代のようです。三界っていうのは「三階」ではなく、仏教の世界観、宇宙観です。キリスト教では宇宙=天地創造は神の御業で、人間も神(自分)に似せて作った、とされています。仏教では宇宙は初めから“あった”とされています。虚空の中に三千大千世界(いっぱい、いっぱい)あって、生滅を繰り返している、と言うわけです。三界は「欲界・色界・無色界」で(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)六つで構成され、細かく分けると20分類されます。六道輪廻とは生まれ変わり、死に変わりして六道を輪廻することをいうのです。何故、輪廻なのかというと、前世の行い(功罪)によって行き先が決まるのです。娑婆(この世)で死ぬと仏教では、死者はすぐ何かに生まれ変わるのではなく、ある一定の期間を経て次の存在に生まれ変わると考えられています。この期間(生存状態のことも)を中有(中陰)といいます。死んでから次に生まれ変わるまでの中間の存在(有)よいう意味です。49日間あります。仏教は「アートマンは存在しない」という無我説ですので、輪廻の主体として「中有」という「霊魂みたいなもの」を想定したのです。仏教の目的とは、この輪廻を断ち切り、覚りを啓いてブッダとなることです。 ですから、仏教はキリスト教やイスラム教のような啓典宗教と異なり、釈迦を崇めよ、なんていうことはないのです。釈尊もまた、修行により輪廻を超えてブッダとなった人なのです。仏教においては「生・老・病・死」も「輪廻」も「一切皆苦」なのである。涅槃寂静とは梵語で「ニルバーナ」、絶ちがたい煩悩の炎(無明)が静かに消え行くように穏やかな覚りの境地に入ることである。佛国土に行って、二度と生まれ変わり死に変わることもない。大乗仏教(マハーヤーナ)の教義では、そのための修行は「六波羅蜜」であるという。かいつまんで言えば、「利他行」である。世のため人のために生きることである。地獄という世界は、そのための反面教師としての世界だ。正しい教えに導くための壮大なフィクションである。だから、それなりのリアリティーが必要なのだ。昔の子供は、母親が一番怖かった。それでも言うことを聞かなければ「お父さんに言いつけますよ」と言って躾けた。これでも効果がないときは、「学校の先生ニ・・・」「お巡りさんに・・・」ということになる。ところが、今や親が虐待をするわ、聖職者と言われる政治家や教師、お巡りさんが「汚職」「セクハラ」「人殺し」ときた。まさに「生き地獄」ではないか。だから、宗教や精神世界の柱が必要なのです。オカルトというとホラーやオカルト映画を思い浮かべて、「恐怖、幽霊、超常現象、悪魔祓い、錬金術」という観念が強いと思いますが、もともとは「非論理、非科学」と言う意味です。錬金術も近代科学の分野で分析され論理と実験による再現性があれば、化学的とされ、医学においても「漢方」のようなものは「科学」ではなくオカルトとされたのです。もともとは、ごちゃ混ぜにけんきゅうされ、17世紀あたりに分かれたのです。近代科学は科学として尊重(正しいと)され、オカルト・サイエンスは日陰の学問(非論理)であり間違いや「悪」とされたのです。※ちなみに、カルト(仏:セクト)は簡単に言うと、マインド・コントロールなどを使った 邪教。宗教はオカルトの代表選手ですが、それでは「愛」というのは、科学でしょうか、オカルトでしょうか。科学や合理主義に生きている現代人が、「愛」などという、目にも見えない実験によっても証明し得ない精神世界を信じているのでしょうか。それでは、今日は諦めて雪片付けをやることにいたしましょう。
2008.01.17
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又、朝から乱気たがれ、の雪が降ってきた。この調子だと明日は、駐車場の雪片付けをやらないと悲惨な状態になるだろう。前にも紹介しましたが、車4台分のスペースを完全に雪片付けすれば、なんと二時間半かかるのです。わげものが、いっきもっきにやっても(若い人が根性入れてやっても)1時間以上はかかるでしょう。ジジは年寄りだから、チンタラやってます。正月早々、上がら(東京)酸ヶ湯にきて、(井上陽水)は去年コンサートに来た時「さんかゆ」と言っていた。転落した人もいる。くだりの雪道は、エンジン・ブレーキとソフト・ブレーキしか使えない。ハンドルを切った状態でブレーキを踏めば、タイヤがロックして氷の上に乗ってしまう。スピードをこれでもかと、押さえて走らないといけない。これは、地元の人間でも恐怖体験してからでないと、頭でいくらわかっていても、わからない世界です。以前に、ニューアークのホテルに泊まっていたら、朝に向かえのバスが来た時雪が降ってきた。たった、2センチくらいなのに、ホテルの玄関のスロープを上がって来れなかった。雪に乗る感覚が分からないから、タイヤを空回りさせてしまうんだね。今日は「無明会」の月報、2月号を書き始めます。「地獄」について調べております。勿論、地獄はキリスト教のヘルと同じくフィクションですが、「天国」や「極楽浄土」と対比的な存在としてあることで、信仰を深めたり、子供の倫理、道徳教育にも役立っているのです。だから、源信の往生要集にしろ、地獄はこれでもか、これでもかとリアリティーを追究しています。宗教自体が、オカルト(非論理、非近代科学)ですが、政治家や聖職者といわれる人たちが、汚職やセクハラや人殺しをする昨今、何を持って道徳教育をするのでしょうか。昔、怖かったもの。お母さん。その次はお父さん。これで言うことを聞かないと「学校の先生に言いつけますよ」「おまわりさんに来てもらう」そして、奥の手として、「悪いことをすると、地獄に落ちるよ。」「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるよ!」と脅すわけである。これがイメージ的には結構効くのです。小さい頃から地獄の絵図を見せられて育ってきましたからね。今や、親も、先生も、おまわりさんも、近所の頑固親父も何も怖くない。もっとオカルトを生活に融合させるべきなんです。神や仏や地獄といった、人智を超えるものを上位概念におかないと人間は畜生の世界に行ってしまう。ネズミ講や脅かし宗教なんかやるやつがいるから困っちゃうんだよね。教育は結局は洗脳ですから、繰り返しとインパクトが大事なんですね。特に子供は動物の狭間に生きてますから、叩いたり、脅したりして躾けなきゃだめ。言葉で言って分かる年頃までは、お尻ぺんぺんやって躾けることが大切なんです。子供が生まれながらにして性善説だとか、馬鹿なことを言っている学者や教育者がいますが、人間はもともとそんな二元論で片付くほど単純なものではないのです。二分法で言えばそんなこともあるわけで、元もと人間は善悪是非など無く、動物の本能をもって生まれてくるのです。だから子供が人殺しをしても「不能犯」と言って無罪になっちゃうわけ。まだ人間社会のルールを適応できない、と言うわけです。仏教は葬式仏教しか残っていないと言うけれど、オカルティズムを家庭に取り入れるには、毎日お仏壇を拝むのが一番良い教育です。子供は意外と「南無南無」が好きですよ。お婆ちゃんの写真なんか飾ってあって、そこに素直に先祖と自分との繋がり(輪廻)を理解している。なんだかんだ言っても千年以上もお墓参りをしてきた民族なんだから、こどもの教育はお墓参りや仏壇を拝む毎日のお勤めから始めるのが一番だと思いますよ。
2008.01.14
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ここ、一週間「無明会」の会員向け月報を書いていたので更新できませんでした。新年1月号は「桶狭間》の戦い」の再検証。昨年6月に発売された濱田昭生氏の本の中の「信長誘導仕掛け説」について。本年度から企業向けに書いているので「仏法」が中心ではなく、経営戦略について、「弁証法的解決法」の考え方として、「仏法」を引いて説明する、といった方式を取っている。「リーダーシップ形成」、「OJT」、「コーチング」と進んでいく。来月号は地獄界について解説する。地獄がリアリティーを持つことで、正しい仏道(八正道)を修行しなければならない、といっているわけだ。キリスト教も神を信じないと、最後の審判で神の国に生まれ変われない。では、神の国はいつ来るのか、最後の審判は何時なのか。キリストに尋ねたところ、「私がガリラヤ湖を一回りする位」と答えている。割りとちかい。だから、神に選ばれる為には、このよき知らせ=good news=福音を普及させなけなければならない。キリスト教信者は忙しい。神が選ぶ基準は「神を信じたか」この一点だけである。清く正しく生きたとか、寄附(チャリティー)を沢山したとか、人殺しをしたとか、不倫をしたとかは一切無関係である。率先垂範の事例としては山本五十六(連合艦隊司令長官)の言葉が有名。「やってみせ、説いて聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」大乗仏教の浄土教は涅槃に入らなくても(輪廻を断ち切ってこの世に生まれ変わらない)せめて、阿弥陀如来の仏国土(極楽浄土)に往生することを望む。このシステムは万民救済の大乗思想に叶うものだ。やり方は簡単。「南無阿弥陀仏」と十回唱えれば良い。悪人こそ往生できる。「善人なをもて、往生をとぐ、いわんや悪人をや」親鸞の時代の悪人とは、猟師や漁師、商人など。汚いことはみんな悪人にやらせておいて、「あいつらは、殺生をした悪人だ」なんてやってる。親鸞はある意味、自由民権運動とジェンダー・フリーの先駆者だ。
2008.01.13
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先日、江戸の長屋についてうろ覚えの情報を書いてしまいました。図書館から農文協の『大江戸万華鏡』という分厚い本を借りてきて調べたところ、最大9坪(18畳)という借家で一番多いのが3坪(6畳)で間口9尺(2.7メートル)×奥行2間(3.6メートル)でありました。文政11年、(1828)当時の江戸の中心地のひとつの本銀4丁目(今の日本橋本町4丁目)にあった三井源右衛門所有の大長屋の平面図を見てみると、ここには路地を挟んで二つの棟割長屋が並んでいます。。奥は大下水で区切られ、芥溜めと三つの惣後架という共同便所と一つの共同井戸が共同施設としてありました。ここには十六軒の長屋が並んでいます。家の広さは、間口9尺に奥行き二間の俗に言う『九尺二間の裏長屋』が七軒あることが分かります。そのほかは、3.3坪から5.4坪までが9軒です。十七世紀当時、上水道の整備された大都市と言えば、世界で江戸とロンドンしかありませんでした。江戸っ子にとって『水道の水で産湯を浸かった』というのは自慢の種でした。江戸はゴミを川や上水道に捨てないよう高札を掲げて取り締まり、政府がゴミを回収して深川の埋め立てをしました。また屎尿(糞尿)は、仲介業者が買い上げて江戸周辺の野菜産地の下肥として流通しておりました。じじは30年前の学生時代に、吉祥寺にアパートを借りておりましたが、そこから、10分も歩くと練馬で、確かに『練馬大根』の畑がありましたね。江戸は、世界に冠たるリサイクル都市だったのです。『下りもの』と言う言葉がありますが、これは京や大阪から流通してくる生活物資のことです。まだ江戸近郊の農産物や酒、味噌、醤油などの二次産品は品質が悪く、いわゆる『下らないもの』と言われておりました。現代人が『クダラねえ!』と言っている語源はここから来ています。その後品種改良が進み、野田(銚子)の醤油とか、野菜では練馬大根、小松菜、谷中しょうが、馬込きゅうりなどの名品が市場を賑わせました。江戸はもともと、海抜ゼロメートルの湿地帯で茅野原のうえに関東ローム層という地質であった為、大規模な開発プロジェクトが行われました。天下を統一した家康の力で諸大名に普請割り当てをし『天下普請』をしたのです。上下水道の整備、運河の整備、ゴミ、屎尿などのリサイクルシステム、後世には武家の隠居などによる寺子屋などができ士農工商という身分制度はありましたが、実質的にはおおらかな状態で、世界に誇れる文化国家だったのです。勿論、これは鎖国政策のもとであり、大飢饉などで幕政が疲弊してからは、次第に体制が崩れ、ついに嘉永6年、浦賀の沖にペリーの来航を迎えるのですが・・・・・。
2008.01.06
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飲み屋に行って、話題にしてはいけないこと。それは政治と宗教と親戚の悪口である。上司の悪口なんかは、言いたい放題。相手が変われば、いないやつを肴にして悪口を言い合うのがサラリーマンの常識だから、おあいこである。スナックの女の子と話をするとき、じじになると、殆ど話しがかみ合わない。そんな時に便利なのが『方言』の話。昔は流し場のことを、津軽弁で『メンジャ』と言ったんだよ。とか、ひっくり返すことは『かっちゃにする』、母親のことは『かっちゃ』なんていう具合。これで一通り、盛り上げたら次は『りかちゃん』人形の父親の名前と職業知ってる?今流行りのエグザエルとかコブクロの唄なんかは、若い者に任せて、年寄りはニッチな世界を研究しておく必要がある。『オタク』と思われたっていい。天下国家を論じて知ったかぶりと敬遠されるより、リカチャンの話で盛り上がっているジジのほうが、まだ可愛いではないか。香山リカ 5月3日生まれ。小学5年生。何故こどもの日じゃなかったのか。おうし座、身長142cセンチ、体重34キロ、パパはピエール(音楽家)8月8日生まれ36歳、ママは織江(フアッションデザイナー)7月7日生まれ、33歳。リカチャンのボーイフレンドはスポーツが得意な『かける』くん、リカちぁんは赤いバラが好きで、お菓子作りが大好きなの。なんて、こんなばかばかしい話が受けるのだ。手相で受けるのは『結婚線』の話だけ。単に『手相を見てあげよう』なんていうと、ただ、触りたいだけの『エロジジー』と思われるだけなので要注意。結婚線は小指の付け根と感情線の付け根との間にある。男は右手、女は左手をみる。線の数とハッキリしているかどうかで見る。これはTVで新宿の母が言っていた話。ところで、初詣に行きましたかな。神社の鳥居は、神様の通るところだから、真ん中をくぐってはいけない、って知ってましたか。ま、今頃気が付いても遅いですけどね。それに混雑している神社では真ん中もヘッタくれもないよね。たどり着ければOK牧場だもんね。今日もくだらない話でごめんなさい。昨日の新年会の酒で、まだ脳みそが焦げている状態です。雪がそんなでも無いから、助かってます。
2008.01.05
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年末、年始、ゆっくり自分のことを考えてみたが、じじは自分をだまくらかすのが大変うまいことに気が付いた。もともと、楽天的な性格だとは思っていたがこんなに金がないのに、毎日よく笑っていられるもんだ。これは、仏法を勉強して悟っているからではない。悟ってしまったら、じじがブッダになってしまうではないか。そんなことはありえない。私には、金が身につかない。しかし、なんとなく金に困らないようにできているらしい。まぁ、現実的には食う米にも困っているが、それでもなんとかなっている。これは、私の力ではない。じじは、若い時にやりたい放題やってきたので、いつ死んでもよい。(ほら、うそつきでしょ)二度と、あの恥ずかしい若い時代には戻りたくない。今日を一生懸命に生きることを考えていれば、死ぬとか、生きるとか、考えている暇が無い。(今日は、いつもより、一寸格好いいね)今日は、『無明会』とNPOケアプラスあおもり、の仕事始めなのだ。 と思ったら、仲間が来て、新年会をやるという。じじは年末金を使い果たしたから、ゴチになるしかない。まぁ、ガスボンベくらいは提供しよう。福田君は、内閣を改造しないと、決めたそうだ。ほんとはやりたいんだろうが、やれない理由があるのだろう。しかし、渡辺君がやっていた『独立行政法人』の取り潰しが頓挫しているのにいくら、阿部くんからの引継ぎとはいえ、任命権者である総理が後押しもしないんでは、おかしくないかい?官僚の『渡り』や汚職を防ぐには、やはり終身雇用が一番いいのではないかね。その上で天下りや、不要な政府系法人の取り潰しをやらないと、今後優秀な人間が官僚になりたがらないんじゃないの?ジジんとこに、賽銭箱をおいたら、誰か賽銭いれてくれないかな。ご利益がないから無理か。まあ、豊かな人は、思う存分我らに差をつけて正月を楽しんでくれ!
2008.01.04
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BSで浅野内匠頭の正室、よう泉院の物語。一時頃にエンドテロップが流れたから終わったのかと思ったら、今二階でチャンネル回したら、まだやっていた。1999年に買った『歴史街道』3月特別増刊号を引っ張り出して、一寸勉強してみた。本によると、元禄の赤穂事件のあたりは、戦後のバブル崩壊直後の状態とそっくり。違うのは、当時はインフレ、今はデフレ。私の推測では、アメリカの一極集中体制が続き、戦争でも起こらない限り、デフレはこれから、50年以上続くと思われる。五代将軍綱吉、生類憐みの令、水戸黄門、側用人・柳沢吉保、紀伊國屋文左衛門なんてキャスティングの時代。時代としては武断派から文治派へと政治システムが変わる節目の時代。政治が官僚システムに取って代わる。綱吉はそれをやった。吉保は超エリートの出世組。浅野内匠頭はそんな賄賂や汚職に批判的な潔癖な武門で誉れ高い家柄。吉良家は高家と言って、有職故実に基づいて儀式や朝廷との取次ぎをするソフト官僚。赤穂事件は、時代の変わり目に鬱積する武家のストレスの表れとして、起こるべくしてまた、人々の期待の代行現象として起きた。近松門左衛門の人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』はフィクションだが、大阪で作られ、江戸で馬鹿受けした。ちなみに、紀州の商人でみかんで儲けたといわれる紀伊國屋文左衛門は吉原で大尽(おだおじん)と言われるほどに豪遊したが、蜜柑で大もうけというのは、作り話である。豪遊は事実だが、材木商として幕府の高級官僚を接待する毎日であったらしい。当時の江戸は世界に冠たるスーパーリサイクル都市であったらしい。長屋というのは、間口2,5間、奥行き3間というから、つましいものだが上下水完備で税金は大家が払っていた。地方から人口集積があって栄えたというのは、まさに終戦後の日本のありさまだ。材木問屋は、賄賂を使って直轄地を払い下げてもらって、何かあったら政府の事業を一括受注する。その間、材木産地との取引を維持したり、土地の有効活用のために長屋を建設する。彼らは『樋返し』といって、自作自演で火事を起こして需要創造していた、というまことしやかなはなしがあるぐらいだ。それで儲けた金で大名などに高利貸しをする、といった寸法だ。浅野家は火消し役を仰せつかっていたから、討ち入りの時もその装束。大石内蔵助の被っている兜はそれ。浅野さんは癇癪もちだったというから、所謂松の廊下で『切れ』ちゃったわけ。吉良さんは、無抵抗だったから、『喧嘩』じゃないわけ。刃傷事件。だから喧嘩両成敗は当たらないわけね。彼は若い時から山鹿流儀の武家の勉強をしていたから、やわな官僚がのさばるのが許せなかったのね。それに疱瘡の高熱で種が無かったらしく、後継ぎができないというストレスもあったみたい。正室も、特別綺麗な奥さんだから側室を勧めても拒んでたみたい。吉良家は刃傷事件のあとに、江戸城の近くから、本所松坂町に移転を命じられている。つまり警察で言うと、本庁直轄外にしたわけ。討ち入りの時に、お隣さんが老中に報告しているにも拘わらず、鎮圧軍を出していない。北隣の土屋主悦さんは、騒ぎに気が付いたが『喧嘩(討ち入り)である』と聞いたら、釣り提灯をかざして明るくした。これは、お助けするという意味ではなく、こちらの屋敷にきたら切り捨てるぞよ、と言う意味。つまり傍観を決め込んだ。ある意味ではやれ!やれ!ってこと。しかし、討ち入りの際の段取りと装備については、今の企業のトップが研究に値する見事なものだ。戦争目的(大儀=マーケティング)、戦術(段取り、指示系統、装備)=マネジメント、戦闘どれをとっても、お見事。正月早々、くどい話でごめんなさいね。
2008.01.03
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雪片付けをするときは、駐車場の車を予め暖気運転しておいて、道路に出すとツルツル、滑り落ちて樂チン。車の上に乗っている雪だけでもスノーダンプ6回分くらいあるんだよ。写真はわざとヨコにしているのじゃないのです。携帯で撮影したものを、取り込んだら回転できないのですよ。ほんとに、じじの場合はついていけないね。今日は、二時間半かけて、すっかり除雪しましたよ。さっぱりして、そば食ってTV見てたら、また《らんき、たがって》(津軽弁≒狂ったように)また、雪が降ってきやがった。明日は、やらないぞ!じじの誕生の1952年に生まれた芸能人を調べてみた。坂本龍一、三浦友和、小柳ルミ子、水谷豊、松坂慶子、織田無道、ピータージミー・コナーズ、清水健太郎、隆の里、タケカワ・ユキヒデ、夏樹陽子、ジョン・ローン、吉幾三、野村将希、井筒和幸、ぼんちおさむ、浜田省吾、村上龍、有田芳生、中島みゆき、グッチ・裕三、峰隆太、桃井かおり、さだまさし、河島英五、ジャンポール・ゴルティエ、夏木マリ、向井千秋、吹雪ジュン、葛城ユキ、秋川リサ、ケント・ギルバート、他結構、凄い人がいるんですね。青森県は何と言っても、吉幾三。同じ年で較べるわけじゃないけど、じじはこれで、いいのかしらん。今年は、《自灯明》燃やして、ガンバラニャのう! 紅白はどうやら、最上最低No2の視聴率。ブービー賞だったとか。これはもう、『紅白歌合戦』というコンセプトの限界でしょう。視聴率だって世の中に、これだけの娯楽の選択肢があれば、しょうがないよね。いままでの延長上で『今年も紅白面白くなかったね』なんて言われるよりももうそろそろ、切り口を絞って新しいコンセプトを打ち出す時じゃないのかな。若い歌手やグループが悪いんじゃなくて年よりは総合TVでニューミュージック以前を、若い人はBSで若い音楽を見ればいいんじゃないの。一家団欒を七時から12時までオールターゲットで番組を作るのはもう時代的に無理なんじゃないかな。じじなんかは、どうせ再現ステージをやってくれるなら美空ひばり、と三波春雄の時間を30分ぐらいやって欲しい。『俵星玄播』とか。TVも少々飽きてきたし、明日から《無明会》の月報新年バージョンでも書き始めようかのう~。
2008.01.02
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おかげさまで、開設18日目、大晦日の昨日で累計アクセス数1005件になりました。数の大小を競っているものではないでしょうが、公開日記ですから、いくらかの読者が居る方が、嬉しいですよね。昨日は、紅白と言うよりは、七割が格闘技を見てましたね。結局早い時間帯に唄っている人が殆ど分からないのですよ。鶴瓶のアドリブが良かったね。最後の阿久悠のコーナーは、もう一寸、企画が弱かったな。美空ひばりと小椋桂のコラボも40周年の曲の提供者と言う意味ではわかんないではないけど、似合わないこと甚だしい。ひばりが一人で唄って欲しかった。昨日仕込んだ、たれでカレーうどんを食べる。先日堺巨匠の厨房ですよ!で町の巨匠が教えていたやり方で作った。たまり醤油にざら目を煮立てて、ねぎ、たまねぎ、豚ばら、を入れて最後に、水溶き片栗で仕上げる。これって、肉が鴨肉だと、鴨南蛮になるのかな。年賀状を出さず、返礼もしないでここ二十年ぐらい経つので、年賀状など来ないものと思っていましたが、政治家と物売り以外から、元同僚とかパソコンスクール仲間とかから、なんだかんだで20通くらいあった。今年は超暇だから、返礼を書こうと思う。今日は、昨日からの雪がもう20センチくらい積もった。明日も降るそうだから、午後に駐車場の雪を、一通り片付けておこうと思う。スノーダンプで押していける時にやらないと、時間も力も倍かかる。それに、少し運動しておかないと、メタボが進行してしまう。
2008.01.01
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津軽弁で雪がいっぱい降る表現。のつのつど、降る。・・・・標準語表記、ジジは不可能。がっぱど、降る。 ・・・・いっぱい、沢山降る。死にくたばれ、降る・・・・死ぬと言うぐらい、嫌なもの(雪)が極端に降る。らんきたがって降る・・・・らんき=乱気、たがる=集る、狂ったように降る。津軽には七つの雪が降る・・・とか言いますが、あなたのところではどんな雪が降っているでしょうか。ジジは、昨日、カビキラー2本使って、ユニットバスと洗面台とトイレを死にくたばれ、掃除いたしました。しかし、カビキラーはいいね!しゅしゅっとやって、しばらくおいてから、シャワーをかければOK牧場!あとは、松居の歯ブラシ使って、細かいところを磨けば、新品同様。キッチンは、何と言ってもキッチンハイター。シンクにお湯を張ってジョイとハイター入れて、細かいものを何でもぶっこんで、一晩おけば何事も無かったように、新品になる。カトラリー、皿、コップ、お玉なんでもOK牧場!ハイターはジア塩素酸ソーダといって、漂白と殺菌をするもの。生花を長持ちさせるには、ほんのちょっと水にこれを入れると、数倍長持ち。テレビ画面、炊飯器、ポットなど静電気があるものは、柔軟剤を含ませたダスターで拭くと静電気防止になるよ。今日は、クッキングケースやまな板をやる。ガスコンロの天板はまるごとすっぽり外せるって、奥様方ご存知かしら?グリルや火口を掃除する時は浸けおきワオドハイターで半日おいといてから、ダイソーで売ってる100円の真ちゅうブラシでやると、らくちん。やっぱし、最後の難敵はレンジフード。これは買ったときから、フードカバーをかぶせて、取り替えるしかしょうがない。無理やりやると、塗装まで剥げる。通販で売ってる、オレンジナントカ・・・・って効くのかな。ま、そんなわけで、今夜は紅白見て、独り寂しく焼き肉食ってビールと缶チューハイで寝る。元日は、ジャスコの初売り企画の5000円千本引き、に行きたいのだが金が無いので、駐車場の代金が入ったら行く。後の楽しみは、何と言ってもジャンボ宝くじ。
2007.12.31
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今年の「無明会」とNPOケアプラスあおもり、は本日仕事収めでございます。正月は3日までお休みで、ひたすら本を読むつもりです。ご馳走は何もありません。一人でTVのお笑い番組を見て、そばでも食べようと思っております。じじは、今年55歳になりましたので、来年はゴーゴーとやっていこうと思っております。来年当たりは、ひとかどのものになろうと思います。慈悲と煩悩の狭間は大変です。釈尊のように中道を行くにはまだまだ、修行が足りません。これから、お掃除をしますので、本日は終了です。
2007.12.29
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人間は。言葉を定義し、定義された言葉によって縛られる。ある意味、定義された意味は大脳に刷り込まれ、定着し、レイヤーが重なるように経験によって意味が多重化する。旧約聖書の天地創造によれば、神は最後に自分に似せて人を作られた。アダムは塵から、イヴはアダムの助骨から作られてエデンの園に住むことを許された。神はアダムに地上のあらゆるものに名前をつけることを命じた。人間は名前に一番、モチベーションを感じる。神は何度も人間に言葉の重要性、理性の大切さを教えている。全能の神と言われるぐらいだから、アダムとイヴに禁断の智慧の実を食べさせないことぐらい簡単にできたはずだ。神は鏡もないのに、自分に似せて人間をつくった。造作もないことだ。イヴは蛇に騙されて食べたといい、アダムはイヴに勧められたと言う。アダムが何個のリンゴ(智慧の実がリンゴであるとは何処にも書かれていない)を食べたかは分からないが、男の子の喉仏を英語ではAdams apple(アダムズアップル)という。バベルの塔を作った時も神は言葉を分け違えた。人間は太郎と言う名前が与えられた瞬間から、アイデンティティー“太郎”なのである。携帯を持ったサルなどと言われるが、人間は火矢を飛ばしていた太古の昔から、モノを遠くに飛ばすことで進化してきた。今やロケットを宇宙に飛ばせるぐらいに進化した。頭の回転がいい人を「頭がいい」などと言ったりするが、まさにウエルニッケ中枢との言葉の反復のスピードが速いことを「頭の回転が速い」と言うのだ。「速聴=スピードラーニング」など宣伝されているが、こう言うことが根拠となっている。
2007.12.28
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昨日、よしこちゃんの誕生日だったので、金も無いが手ぶらでは行けないのでスーパーの特売で買ったチキンをから揚げにして、レッグ・ウオーマー(これもバーゲン)と一緒にプレゼントした。大いに、喜んだふりをしてもらった。新春は焼肉パーティーの約束をした。勿論、じじはガスコンロを提供して、肉はよしこちゃんの係り。さて、今日は無明会らしく、カルトとオカルトの話でもしてみましょう。言葉の定義を良く知らないであいまいに使っていることはよくある。例えば「国家」とは?「宗教」とは?「資本主義」とは?何気なく日常的に使っている言葉ほど、はっきりした定義を知らずに使っていることが多い。「反省」の定義。意味ではない。定義である。「整理・整頓」なんてお母さんたちが、毎日のように子供に言っているくせに、明確な定義を殆どの人が知らない。勿論「片付ける」ぐらいの意味で使って、コミュニケーションが取れていれば、それでよく、悪いことではない。しかし、多くの人々が誤解をしたままで話をしていると、誤まった解釈が正しいことのように認識形成されてしまうことがあるので、要注意なのである。カルト(Cult):「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語Cultus~」派生した言葉で、元来、「儀礼・祭祀」などの宗教的活動を意味していた。1990年代になるとアメリカで反社会的な宗教団体を指す言葉として使われるようになった。(一般の宗教と区別して破壊的カルトとも呼ぶ)フランス語においては「Culte」は宗教の宗旨別を意味し、ヨーロッパにおいては否定的な意味でのカルトのことは「セクト」と呼ぶ。日本では排他的な宗教団体が異端視している宗教を「邪教」と呼ぶことも多い。(byウィキペディア)オカルト(occult):元来は「隠されたもの」良いう意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場により見解が異なる。オカルトはラテン語のocculereの過去分詞「occulta」(隠されたもの)を語源とする。この語はヨーロッパにおいては、論敵にレッテルを貼るために使われてきた歴史を持つ。特に、正統派を自認している側から、そうではない側をこの名称で呼ぶことが行われた。但し、その正統派が誰なのか、という点は時と共に変遷する。例えば、アイザック・ニュートンが「万有引力」を提唱した時には、同時代の学者たちから、“オカルト・フォース”を導入しているとの非難があびせられた>だがその後はニュートンの説のほうが次第に正当との扱いになり,“オカルト”ではなくなりレッテルを貼っていた側の方が、非正当派となってしまったわけである。また、この事例は、自らの理論体系・知識体系がその一部に(万有引力のようにまさしく)「目で見たり触れて感じたりすることのできないこと」を含んでいても、論者自身は通常それを“オカルト”とは呼ばないものである、」ということも示している。(byウイキペディア)
2007.12.27
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10年位前に、スナックのママに頼まれてワムの『ラスト・クリスマス』をリクエストされて、『二週間で何とかしてやる』といきまいたものの、やってみたら結構、キーが高いわ、メロディーが分かりにくいわ、それにあれはデュエットだからソロだと間が抜けて、味がでない。今は、あのキーがもう出ない。悲しい。ところで、C型肝炎の薬害訴訟、早く和解して欲しいね。裁判やってる間に当事者が死んでしまうでぇ。治療するにも、生きていくにも金が要る。カネの問題じゃない、ということの殆どは1.金の保証2.気持ちの納得 である。勿論、同事性(仏教的に表裏一体ということ)はあるが、いくら気持ちの上で納得したからと言って、金の保証もなければやってられない。もともと、薬というものは『毒』である、ということを我々はようく、認識しておかなければならない。科学は論理と再現性(実験による証明など)により、正しい=善であるとされてきた。治療する、治すことは医学の」目的であり、目的合理主義的には正しいこととされてきたのである。しかし人間本来の持っている免疫性を高めて治癒する方式(漢方など)以外は、毒を持って毒を制す、というやり方なのである。つまり、薬は毒であるという前提を理解しておかなければならない。薬剤メーカーが新薬を開発するのには莫大な経費と時間がかかる。それを国家という権威で認可した官僚も立場があるし、面子もある。実際的に金もかかる。役人と言うのは責任を取らないことに必死になっている。或いは自分の時代に責任が来ないことに全力を傾注している。それは構造的にそうなっているのだ。企業であれば対外的にはトップが責任をとる。役人には当事者意識が希薄である。科学の進化というのは、今日の理論を明日覆すことで成立する。一般人も、あらゆる科学者も誰もそれを否定しない。去年は、赤ん坊はうつぶせにしておくと良い、と言った医者が、今年はそんなことはしてはいけないと言う。優れた新薬で、副作用もないと言われてきた薬に、発がん性があることが発見された。こんなことは、あたりまえであるのが、科学的なのだ。結論としては、結果主義でやるしかない。なんだかんだいったけど、結果が悪かったんだから認可をした国家が責任を持って保証するということしか、被害者である弱者は救済されない。公害問題でやったような無過失責任みたいなもの。いずれにしても、社会はあらゆる要因が絡み合って、複雑な利害関係を生み出しているので、人間が作った法律では、全てを包み込む納得のいく答えはない。世の中と言うのは、必ず矛盾を含んでいるからである。政治家が『国民の税金を使って保証するのだから責任の所在が明確でないのに、やみ雲に保証するわけには行かない』という。これも一理ある。全くその通りである。しかしそれを言っている内は、現実的な被害者であり、毎日自己の体が苛まされている患者は救われない。金を払って良かれと思って治療してもらったら、かえって悪くなったなんて。誰がどう考えたっておかしいに決まっている。福田くんも、国民が最も望んでいる経済問題に何も対処していないのだから、もう少し、国民の立場に立った政策を実行して欲しい。官房長官の発言ではないのだからひとごとのような、とぼけたことを言っている場合ではない。
2007.12.24
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じじは、やはりボケていますね。しかし福田首相はもっと呆けている、といわざるを得ない。あの、おとぼけと、ひとごとのセリフ回しは、政界を引退してTVの水戸黄門でもやればよい。幼稚園の生徒でさえ、手を上げて横断歩道を渡るのに、福田君は自ら手を上げて何かをする兆しがない。拉致問題に関して『私の内閣のうちで何とかしたい』と言った。その後、なんの進展も見られない。日本がアメリカばかりを気にして、アジア外交の蚊帳の外にいるのに拉致問題を解決できる訳がないではないか。北の脅威というのは、第二次世界大戦後の米ソ冷戦の後遺症としてあるのだ。言わば大国のエゴの“しこり”“必要悪”みたいなものだ。北には、イランのように石油もない。資源がない。どうしようもない。あんなものが一気に国交正常化をはたしたら、韓国はえらいことになる。北とうまくやるには、金しかないのです。外交上の機密費が使えなくなったから、政治家も例え、首相外交をやったとしても駆け引きができない。ああいう問題は、国民にスッキリ、ハッキリと論理的に説明できる解決法はない。北は金一族の世襲になったから、一族の安泰が保証されなければ、アメリカと握手することはない。また、農民か、軍人かしかいない国だから、軍部の利権も保証されなければ、クーデターや暗殺もありうる。金君も好きで馬鹿だから、駄々っ子やってる、とばかりも言えないのである。日本人にとっては、1945年のポツダム宣言受諾で戦争が終わっている感覚だと思うが、その五年後の1950年に朝鮮戦争が勃発している。そのため米国が押し付けたと言われる平和憲法を無視して警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、アメリカは朝鮮に行った。安保条約と憲法第9条はワンセット問題なのである。1952年、市谷の国際裁判を前提としてサフランシスコ講和条約が発効された。じじがこの年に生まれた。戦後の日本の実質的独立の年に私は生まれた。翌年1953年には、朝鮮休戦協定が結ばれたがこれにより南北朝鮮は北緯38度で分割された。調印式をやった板門店は北緯37度57分。若干北に入ったところである。日米安保条約は、日本は同盟国であるアメリカが攻撃されても日本は加勢しない。憲法第9条があるためだ。しかし、冷戦が終結して大局においての緊張が緩和された時、米国は大金を使って日本を守る必要がないのだ。アメリカ国民の立場に立って考えれば分かることだ。地位協定がいつも問題になるが、米兵にとっては占領国の感覚なのだ。沖縄辺りで地元の若い娘に乱暴したりして、問題になるが根っこには同盟国ではなく、敗戦国のチキンという思いが鬱積しているのだ。小泉内閣以降、自衛隊の海外貢献(出兵も含めて)が問題になっている。日本は自国の兵が血を流している国と肩を並べて発言することは、許されない。理解が得られない。これは『わが国は原爆を落とされて敗戦以来、憲法9条があって戦争行為は出来ないんです』『でも攻められていたら守ってね』これは、論理だけで納得のいく問題ではない。あなたがアメリカ人なら自国が攻められても加勢もせず、金は出すから守ってくれ、というのはどのように感ずるだろう。私は、戦争を肯定するものではない。更に核兵器廃絶論者である。しかし、日本国民として自衛隊問題を含む憲法改正や日米安全保障条約を考える時、少なくとも冷戦以降の世界のパワーバランスと、これまでの歴史的推移を踏まえたうえで発言しなければならない。マスコミのニュースショー的な『世論』誘導などに引っかかってはならない。
2007.12.24
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NPOケアプラスあおもりはシニア向けの新聞の発行や出版をするために作った法人です。12月6日に認証されました。只今準備中です。現在、資金集めのため「般若心経研究会」である「無明会」の月報を一年分加筆、訂正して経営者の方にも参考になるように纏めなおした「Imagience」という本を販売しています。また、応援してくれる会員も同時募集中です。興味のある方は、下記までご連絡下さい。NPOケアプラスあおもり030-0851 青森市旭町3丁目14-20017-776-5573(FAX兼)理事長 小形 晃一『Imagience右脳と左脳の複合経営』5000円(上、下巻 全220ページ カラー)(無明会月報年間分の加筆・訂正)正会員 入会金5000円、年会費5000円賛助会員 年会費5000円ご連絡くだされば、詳しいパンフレットをFAX、または送付いたします。只今、『Imagience右脳と左脳の複合経営』のエッセンスをダイジェストにした、ミニ経典を開発中です。完成いたしましたら、改めてご紹介申し上げます。尚、無明会の無明とは、真理を悟らず、それを悟っていないことも分からず煩悩にさいなまされている、我々衆生、凡夫のことです。仏法では、『愛してはならない』と教えています。仏法でいう『愛』は執着(しゅうじゃく)であり、それが『苦』の根本原因であると説かれています。何ものにも捉われない、自由な心とは、誰にでも会得できるのでしょうか。釈尊のいう『中道』とは、浄土教のような『他力門』で可能なのかk?そのような仏法から、『富と成功』という『現世利益』を追求する集まりが『無明会』です。毎週日曜日PM1:30からセミナーを行っております。
2007.12.23
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昨日、またまたNHKのBSで『日本のフォーク&ロック』のリクエスト番組をやっていた。7500通くらいのリクエストの中から、No1に輝いたのは、吉田拓郎の『落葉』だ。南高節と一緒につま恋コンサートをやったから、残像効果があったのだろう。『妹よ』もNo.2になった。『なつかしの・・・・・』って言うタイトルには、これを懐かしがっている君たちは、もう現役ではないのだよ! と言っているような感じが漂っている。しかし、団塊の世代はやはり凄い! ボリューム(層)もあるけど、若い。所謂、年寄りではないんですよ。わたしは、拓郎で一番好きなのは『イメージの唄』(前略) 吹き抜ける風のような 俺の住む世界へ 一度はおいでよ 荒れ果てた大地に チッポケな花を一つ 咲かせておこうよ(中略) 空を飛ぶのは鳥に羽があるから ただそれだけのこと 足があるのに歩かない俺には 羽も生えやしないやっぱり、ボブ・ディラン系だよね。なんか『風に吹かれて』を連想しちゃう。一番、糸井重里ふうな、時代のキャッチ・コピーという感じでは、やっぱり『結婚しようよ』でしょ。♪♪ 僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら 約束どおり町の教会で、結婚しようよ ぅフーフ ♪♪外国の真似をして、学生運動やったり、反体制ぶってみたりしてた学生たちがようやく、ヒッピーや「無気力・無感動・無関心(三無主義)を乗り越えて、自分らしい、自己表現ができるようになっていった。そして、卒業する時は、「イチゴ白書をもう一度」ということになる。♪♪ 僕は、無精ひげと髪をのばして、学生集会へも時々出かけた 就職が決まって、髪を切ってきた時 もう若くないさと 君は言い訳したね ♪♪じじも、アフロを切って就職しましたよ。そろそろ、福田君が薬害肝炎訴訟の記者会見をするので朝はこれぐらいにしておきましょう。
2007.12.23
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クリスマス・イブに限らず、バレンタインも、結局はいつも独りぼっち。55年の人生、女に縁があったのは学生時代まで。社会に出てからはまるで関係ねぇ。小売業って言うのは祝祭日も働いているので、若い時に一般ピープルが日曜日に仲間内で、どこかに出かけるとか、土曜日のコンパ(今は合コン?)なんかに出られない。出会いがないわけなのね。なんて、これもいい訳だぁ。結局、もてなかっただけなのよ。どうも、年をとると愚痴っぽくていけないね。今日は、久しぶりの『津軽弁講座』です。私の家は建具店で、オヤジは親方でしたから、職人がいっぱいおりました。『熊さん、今日の建てつけに使う金物用意してらがな』『なに、チョウハンめぇに、買ってきておいだね』「熊さん、今日の建てつけに使う金物を用意しておいたかな」「なぁに、朝ごはん前に、(金物屋に行って)買ってきておきましたよ」てナ具合。チョウハン=朝飯、ちなみに昼ごはんは、中飯=チューハンである。『チューハンめぇに、一段らぐ、終わるびゃぁー』「昼飯まえに、仕事一段落終わってしまおうよ」という具合。晩ご飯=夕飯の話が仕事上で出ることは、まずない。建築関係は殆ど現着(現場到着)AM8:00仕事開始、10:00~コビル(小昼=休憩)12:00~昼飯、3:00~休憩 5:00終了である。残業とは言わない。夜業である。現場仕事のやりかたに、「こまわり」というのがある。つまり、今日の予定した仕事が終われば、その時間が何時であろうが、終わって良い、という作業命令である。片付け仕事や、単純作業の時に、この「こまわり」がよく使われる。また、年末など、誰もが早く帰りたい時も「こまわり」が有難い。職人の世界の親方の人事戦略は、「昇進」という具体的な制度がないだけに若いものには、小遣いをあげたり、中堅にはこまわり仕事の指揮権を与えたり節句や行事の「飲み会」が重要。休憩時間が終わったら、中堅が一番先に腰を上げるよう、親方が躾をする。
2007.12.22
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昨日NHKの加山雄三の古希の番組をみたよ。じじも、若い時は「エレキの若大将」と怪獣映画の二本立てを見に行ったもんじゃ。ジジが、生まれた頃には、若大将は大学でバンド組んで活躍してたんだね。羨ましいかぎりです。確かにあの頃は、エレキをやると不良に成るといって、親が買ってくれなかった。高校二年生の春に、金ためてエレキ・ギターを買うといったら親に猛烈に反対されて、ヤシカ・エレクトロ35という、カメラを買わされちゃった。どうしても、欲しくて、家が建具屋だから、フラッシュ・ベニヤで張って、ルターでくり貫いて作ったけど、そんなの鳴るわけがない。(でも、そんなの関係ねえぇ!)ついでに、ベニヤ板二枚半ぐらいの、バンドの絵を描いた看板つくって四畳半の狭い部屋に飾って眺めてた。チャフラフスカ(東京オリンピックのチェコの女子体操の選手)の平均台の大また開きのポスター貼ってたら、母親にはがされてしまった。新宿フォーク・ゲリラに触発されて、フォーク・ギター買って、岡林信康の「友よ」を何百回も謳った。そのうち、ビートルズやサイモンとガーファンクルが好きになってラジオから流れる、SGはきっと、女のグループだと思って、音楽堂にいってLPレコード買おうと探したら、何と頭ぼさぼさ男とヒゲはやした、とっちゃん坊やみたいのが、ジャケットに写ってた。ショックだった。ダイアナ・ロスみたいな美女がいっぱいを勝手に想像していたのに・・・・・。そのうち、「西岡たかしと五つの赤い風船」に狂っちゃって、どっちかというと、ボブ・ディラン系(拓郎系)というよりは、ブラザース・フォー系といった感じ。大学三年の時に、銀座の山野楽器の主催で「フォーク・コンテスト」があって、学生寮の仲間が勝手に応募してたんで、予選の予選に行ったら、131グループいた。何とか決勝の15グループに残って、吉祥寺の駅ビルの屋上で決勝大会。不思議なことに、演奏は最悪だったのに、6位入賞でございました。そのときの司会が小島一慶氏。オリジナルのはしりの時代に、オリジナルで応募したからかな。今は昔の物語。あの頃は、ヤイリのギターが欲しくて、今ははげ頭のじじ、だけどその頃はなんとアフロ・ヘアーだったのであります。二度と戻りたくない青春時代であります。(これはジジの家の二階)しかし、加山雄三さん。あの頃に「ブラック・サンド・ビーチ」でっせ!俺は、てっきりベンチャーズだと思っていましたよ。もういちど、PPMの「虹と共に消えた恋」なんかハモってみたいもんですね。じじが一番好きな曲は、早川義夫の「サルビアの花」、(もとまろ)がカバーして当時流行ったこの歌は、何故かカラオケでは井上陽水しかない。
2007.12.22
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前の書き込みを見たら、「除夜の鐘、云々・・・」は消えてなかったみたいだね。最後に、貼り付けようとした写真が500k以上だったので、いきなり画面がフリーズしてしまって、大慌て。さっき、ジャスコに行って米を10キロ買うか、宝くじを買うか、迷いに迷って結局、宝くじを買ってしまった。これで、年末の米がねぇ。(でも、そんなの関係ねぇ!)それも連番を買うか、バラを買うか、大いにまよったあげく、結局、楽しみが残る、バラ券を買いました。当たれば、焼き肉くって、ひらめと鯛の刺身食って、よしこちゃんとエーゲ海の旅でございます。しかし、宝くじって発表のあとに、当選番号を照合するの、怖くない? 期待が大きいほど、外れた時のショックが大きくてなんか、しばらくほっといて、二週間ぐらいしてから、おもむろに見てるの俺だけかな?ああ、煩悩が、溢れまくる。ところで、世の中UFO騒ぎがあるようだが、政治はもっと、やるべきことがあるじゃろうが!朝日新聞の今日の発表では、ついに内閣支持率が31%になった。ひとごと、みたいな発言でチャンと国民に謝らないからじゃ。大体、UFOの定義を考えれば分かるじゃろが!NASAの定義で「未確認飛行物体」をUFOというのじゃ。Unidentify=確認できない=何だかわかんないものが飛んでいればそれは」、UFOなのであって、そういう意味では、論理的に言ってUFOは、未確認状態で存在する。それが宇宙船かどうかは、未確認である。UFO=惑星外宇宙船なんていう定義はない。マスコミや漫画の世界で勝手にそういってるだけじゃ。だから、正解は「現代の科学ではその存在が一般的に認められていない」ということじゃ。一般的ということは、特殊な例でトミーリー・ジョーンズあたりが、缶コーヒー飲みながら温泉地で卓球をやったりしている場合もある、ということじゃ。
2007.12.21
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実は、除夜の鐘のタイトルで昨日、1本書き込みしたのじゃが、最後の、最後でフリーズしちゃって、どうしようもないからシャットダウン。初めからやり直す気力が萎えて、昨日は酒飲んで寝てしまった。ところで、『無明会』一年分と経営学の本、FAX使って販売してます。昨日、早速2件の注文がありました。『Imagience』(右脳と左脳の複合経営)というタイトルで、仏法や大脳生理学を「現世利益」に生かそうということでナポレオン・ヒルやマーフィー、禅などを研究したものを書いてます。興味のある方は、下記までご連絡下さい。パンフレットをFAXするか、郵送いたします。『Imagience』(右脳と左脳の複合経営) 1部(上、下巻)220ページ 5,000円編集 NPOケアプラスあおもり 理事長 小形 晃一発売 Consultant farm (有)ネクスト・ステージ・ザ・ワンTEL 017-776-5573(FAX兼)住所 青森市旭町3丁目14-20肉くいてェ~。一寸、灯油を買ってくるので、除夜の鐘と「四苦・八苦」の話はソノアトデ・・・・。
2007.12.21
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我が、津軽弁は永久に不滅です!サンスクリット語の般若心経の中でも末尾のマントラ一節は中国語に訳さずに(訳せないので)、梵語の音に漢字を当てはめたのです。ギャーテー・ギャーテー、ハーラソーギャーテー・・・・・・というところであります。津軽弁にも標準語に訳せない単語があります。「あづましい」です。これを、標準語に訳せる人がいるでしょうか。否、これは、標準語に訳してはならないのです。津軽弁が持っている独特のニュアンスは、標準語に訳すと消えてしまうのです。それに津軽弁というのは適度に訛って、発音するから、いい味を醸し出すのです。田舎にいくと、鎮守の森がある。鎮守さまを、防風林が取り囲んで、農家の家が点在する。大体、そこに住んでいる人は同じ名字が多い。何処の家も木村、とか村上だったりする。だから、村の住民は名字ではなく、名前で呼ぶ。「次郎の家」「本家の太郎の嫁」「金太の息子」と言った具合。次郎の家に物置が配達されると、「めやぐだばって、そごの、ずしこ、がら入って、かぐじサ、回ってけろ」ときた。ずしこ、は辻子(ずしこ)、小路である。かぐじ、は裏庭のこと。つまり、隣の家との間の小道から入って、物置を裏庭に置いてくれと言っているのだ。「めやぐだのぉ~」とは、迷惑をかける、というか、お手数をかけて申し訳ない、と言う意味。「かでる」も大変活用形が多い。加えると言う意味かな。「ままサ、南蛮味噌かでで食う」とは「南蛮味噌をおかずにして、ご飯を食べる」ということ。かけて食べるのではない。カテテ、加えて食べると言うこと。「かっちゃ、でがげでらはんで、おぼ、かででろ」とは、母親が出かけているから、(その間)赤ん坊の面倒を見ていなさい。と言う意味。これは難易度が高い。「おめだぢ、三角ベースやってらんだば、わばも、かででけろじゃ」三角ベースというのは、通常ホーム・ベースも入れて、4つのベースを3つにして、狭いところや、人数が少なくてもできるようにした野球のやり方だ。「君たち、三角ベースの野球やってんなら、おれも入れて(加えて)くれよ」と言う意味になるのだ。「ワ」は「吾」「我」、つまり自分。ちなみに「君」「あなた」は「な」である。「ナ」は「汝」から由来する。
2007.12.19
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いよいよ、年末ですね。「無明会」は般若心経の研究会ですから、ちょっと、仏法の話でもしましょうかネ。除夜の鐘の108は、煩悩の数だと言われています。今年の煩悩を祓って、あらたな気持ちで新年を迎えようと言うわけです。仏法では「一切皆苦」といって、この世は全てが「苦」、生きていることは即ち、苦」である、と説いています。その原因は、我々凡夫は、世の真理を悟っていない「無明」成るものだからだと説いています。「無明会」というのは、真理を悟らず、煩悩=「苦」に苛まされている、私たち衆生の集まりと言うわけです。釈尊は、「人間とは苦なる存在である」と説きました。誰もが避けることができない根源的な苦しみ、「生・老・病・死」を「四苦」といいます。生まれた時から日々死に向かって進み続け、その過程に老い、病を患い、死が訪れる、という苦しみ(思うようにならないこと)です。「生まれてくること」自体が苦の始まりなんです。そして「歳(老い)をとりたくない!」「病気になりたくない!」「死にたくない!」って思いながら生きている。そうやって、毎日生活している。そうして人間は社会的動物だから、人との関わりの中で生きている。そこにもまた、煩悩(欲望)の種がある。「生・老・病・死」の四苦に、社会生活の苦を四つ足して「八苦」といいます。5.愛別離苦 は愛するものと死別し、生き別れしなければならない苦。6.怨憎会苦 は合いたくない人とでも会わなければならない苦。7.求不得苦 は求めても満たされない苦しみです。とめどなく出てく る欲望や欲求がある限り、この苦から逃れることはでき ません。これは自らが作りあげた苦でもあります。8・五蘊盛苦 は自分の意思に反して身心が思い通りにならない苦しみ です。病気や、老い、そして死もそうです。 五蘊(ごうん)とは色(しき=肉体)・受(じゅ=感受)・ 想(そう=観念)・行(ぎょう=心の働き)・識(しき=認識) の五つのことで人間はこれらが仮に束になって成り立って いるだけで、自我や霊魂など実体的なものはない、という 考え方です。 また、「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)は八苦のほかの七 苦を一つに纏めたものとも考えられます。五蘊の集まった 人間という存在そのものが苦である、という意味です。「四苦・八苦」(しっくはっく)というのは、「四苦」プラス「八苦」ではありません。「四苦」&「四苦」=「八苦」ということです。四苦=4×9=36、八苦=8×9=72 36+72=108で煩悩の数という説もあります。数珠の珠数も108個です。また、仏法では八万四千の法門がある、と説き、それだけ煩悩の数が多いということを言っています。このように分解、分析する仏法のアプローチは非常に科学的な手法であると言えます。苦の根源は「無明」であり、それは「愛」することから始まります。仏法においては、「愛」は「執着≪しゅうじゃく≫」であり、捉われることをいいます。キリスト教の「愛」は仏法では「慈悲」と言います。
2007.12.19
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先日、本町(飲み屋街)で飲んでた時に、女の娘をからかって「何ぼ、かちゃぺネおっぱいだな」といったら、怪訝そうな顔」をしていたので、「格好のいいおっぱいだ」といったら、そばで、聞いていた年配のママが、「煮立ってしまった。」「かちゃぺね」とは、1.(想定したよりも)量、サイズが小さいこと お父さん買ってきたクリスマスケーキ、なんぼ「かちゃぺね」ば、2.芯がない、ふがいない あのひと、がへ(身体)だば、おっきいけど気持ちコ「かちゃぺね」 くてのぉ・・・のように用いる。所によっては、「かちょぺね」(小さい、小柄だ 貧弱だ)ともいう。 「にだってまる」とは、1.(鍋や料理が)煮立つ 2.(こらえ切れずに)笑いがわきたつこと、の二つの意味がある。「ケヤグの話コ、あんまりおがしくて、みんな、にだってまたの」 友達の話が、あんまりおもしろいので、みんな、大笑いしてしまった。 という風に使う。良くあることだが、ボケて(痴呆症)くると、鍋をかけながら、ほかの事をやって、忘れて鍋を焦がしてしまうことがある。年を取ったら、魚を焼きながら別の料理をしてはならぬようだ。最近、鍋を焦がすことが、多くなってきた。最近は、ガス器具が良くなって、空焚きすると自動的に火が消えて、ハザードランプが点滅する。ところが、私の家のボイラーが旧式なので、お湯張りしていることを忘れて、ブログなどに興じていると何時間もお湯が溢れていることがある。ぞっとする。EX.「へば、トゴ屋さ、行ってくるはんで、ままど、おずげ、ぬぐだめで くってでけ」と言われた与太郎が、御つゆを火にかけたままでTVを 見ていたら、あんまり面白くて鍋をかけているのを忘れてしまった。 「おづげの鍋こ、にしじまってまった。」となる。1.おづげ 味噌汁、汁物、おつゆ2.まま ご飯3.ぬぐだめる あたためる4.にしじまる 煮詰まる、煮込みすぎて汁が無くなってしまう。 「そうすれは、床屋に行ってくるから、ご飯とおつゆを温めて食べて おいてくれ。」 「おつゆの鍋煮詰まってしまった。」となる。 津軽弁で、「じゃんぼかる」とは床屋に行って髪を切る(整髪する)こ とである。そうすると 「おろぉー!じゃんぼかったきゃ、ずんぶ、ぶりあがったな」となる。 いやぁ、整髪したら、ずいぶんと風体が上がった、よくなったネ」 津軽で、「ジャンボかったが」と聞かれたら、ジャンボ宝くじを買っ たかどうか、聞かれているのではないので、ご注意を!今回はこれくらいにしましょう。「無明会」は政治や宗教の話ばかりではつまらないでしょうから、この「津軽弁講座」と二本立てでやってみましょうかね。
2007.12.19
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毎日新聞はこういっておるぞよ!毎日新聞は15、16の両日、電話による全国世論調査を実施した。福田康夫内閣の支持率は33%で10月の前回調査比13ポイント下落。不支持は44%で同14ポイント上昇し、9月の内閣発足以来初めて支持を上回った。政府が年金記録漏れ問題の全面解決を事実上断念したことと、この問題をめぐる首相の言動が響いたとみられる。政党支持でも民主党が自民党を上回っており、首相が厳しい政権運営を強いられるのは必至だ。自民、民主、両党とも政党支持率は26%程度と拮抗している為、このままでは、お互いに選挙をやるわけにはいかない。この方は、何を考えているのか、年末、中国にいくそうだ。おそらく、北京オリンピックでの、柔道の金メダルの分配でも決めに行くのだろう。そうなると、小泉元首相と小沢君に接近。小泉チルドレンの動向が気にかかるではないか。両君とも、また親玉になるつもりは無いと思うがまたぞろ、誰かを担ぎ出して、政界再編というのは、二人とも大好きなシナリオだ。そうなると、これまた、微妙な公明党ということかな。今年は、「偽」の年。ミート・ホープはじめ、「企業理念」や「志」の喪失が目立った。企業ロイヤリティーが薄れ、内部告発が当たり前のようになった。1.安心・安全、2.コンプライアンス(法令遵守)、3.ディスクロージャー(情報開示)は21世紀の企業にとって常識である。資本主義の終焉とはこういうことだ。目的合理主義だけでは、人の世は」成り立たない。嘘や偽モノがまかり通る世の中であってはならない。来年は、ねずみ年だとか。何か鼠算式に儲かる話はないものか。まぁ、ネズミ講的マーケットシェアーの時代だけは、確実に終わりを告げるだろう。
2007.12.18
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年末と正月の米がねぇよ。こんなの、喰いてぃよう!こんなのも、喰いたい。さて、政治の話は、少し辟易してきたので、経済の話です。資本主義は何処から生まれてきたか、というとこれは、キリスト教と深い関係があるのです。こんなのは、学校で教えてくれませんでした。中世ヨーロッパでは多くのユダヤ人が高利貸しを生業としていました。他人に貸した金から利子を取ることは、キリスト教が禁止していたため、それに手を染めるユダヤ人は欲深い罪人というイメージを持たれていました。 それによる、人種差別もありました。11世紀に、バチカンのキリスト教会がユダヤ人を殆どの職業から追放した後、ユダヤ人にとって数少ない収入源として残ったのが高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)など、利子を取り扱うことが多い金融業であったのです。教会という中世ヨーロッパの支配者が、ユダヤ人をそのような立場に追い込んだ理由は、社会の共通の敵を設定することで、自らの権力を安定させるためだったと思われる。カソリック(ローマ・カトリック教会)は、旧約聖書の規定とカソリック神学の基礎となったアリストテレスが「政治学」で「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」と述べたことから、カノン法で利息取得を禁止していました。キリスト教という大枠で利息を認める方向を打ち出したのは、16世紀の宗教改革家カルヴァンです。彼は、予定説とともに「財産の拡大や富の蓄積」を正当とする経済活動の自由を唱え利息の取得も正当な経済活動としました。カルヴァン主義が浸透した英国・オランダ・フランス・スイスという国々の歴史を考えれば、カルヴァン主義が近代資本主義に及ぼした影響の大きさが理解できると思います。ヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義」も、カルヴァン主義プロテスタントに言及したものです。英国では、ヘンリー8世が1545年に年率10%までの利息取得を認める法令を発布しました。カソリックが利息取得を認めたのは19世紀です。昨日、昔の映画の「紳士協定」というモノクロのDVDを見ていたら、主役のグレゴリーペックが「シオニズム」云々というのがあって、それで調べてみたんです。シオニズムについては、又、次回でもやりましょうかね。
2007.12.18
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舛添君から、こんなのが届くそうですので、よろしくお願いします。内閣支持率が38%にまで下がりました。テロ特の内閣新法も反対者が増えました。テロ特の支持率が下がったのは北朝鮮問題が進展していないからだと思います。「戦争」の定義としては、「国家」と「国家」が武力で政治問題を解決しようとすることです。「国家でないもの」がテロなのです。北朝鮮は金くんが「私の国がやりました」と認めたのだから、これはもう、戦争状態です。戦後処理というのであれば、賠償金を払って、拉致被害者全員を返還しなければなりません。日本という国は、近世以降、誠に律儀にそれをやってきました。一番、いい加減なのは中国です。スペインのお向かいさんのリビアが米のテロ支援国家リストから外れましたが、あそこは、石油資源があるから、賠償金を払えたのです。ぺんぺん草も生えない、北朝鮮に何をどうさせるか、取り敢えず、米は駄々っ子をやめてもらうためにアメをやるようです。韓国は核が怖いのではなく、統一が怖いのです。南北統一は、ドイツの例を見ても分かるように水と金は逆流するのです。蛙をヌル湯に入れると、気持ちがいいので、ずうっと浸かっています。ゆっくり、ゆっくりお湯の温度を上げても気持ちがいいので、のぼせ上がり、そのうち茹で上がって、しんでしまいます。日本の企業も、国民も、まさしく今、茹で蛙げんしょうなのです。日本は憲法9条と引き換えに、国家意識まで喪失しつつあります。これは、歴史の流れであり、誰が悪いという問題ではありません。私たち、一人ひとりが、そろそろ、ヌル湯から上がって足元を見つめなおさないと、自滅しかねません。顔が似ているから、日本もアジアの一員だと思っている人戦後、チョコレートをくれて、農地解放や、財閥解体をやってくれたから、アメリカは友達だと思っている人その前に、国家戦略があることを肝に銘じなければいけませんよ。
2007.12.18
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怒ったでぇ~!「国民の皆様に、謝らないといけない」これは、阿部総理の選挙の時のパンフレットの内容について、おとといよりは、責任のあるような答弁だが、誰が、誰に、何について謝るのか、全くはっきりしていない。「私は、謝ります」と言っていない!福田君は、公約違反になったことに対して、あれは、阿部君の言葉足らずであって、私には“でも、でも、でも、(僕には)そんなのかんけいねぇ!!」と言っているのであります。NHKでさえ、態度を変えました。と言っている。「重大な問題だから、徹底的にやる」と言っている。これは当然だ。しかし、公約違反について、責任政党の代表者が、前任を引きついているにも拘らず、国民に、詫びたような、謝ったような、そうでもないようなこんな態度は、国民を馬鹿にしていると言わざるを得ない。民主党の小沢君も言っているが、当たり前だ。福田君のこんな謝罪まがいで,うやむやに幕引きになるようでは、マスコミも、民主党も、国民も1億、総KYだ。朝一のジジのコメントはこれまで。これから、飯食って、午後に又、「茹で蛙現象」について、ちょっと、物申す。そろそろ、クリスマスやなぁ~。
2007.12.18
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年金リストの突合のことを「名寄せ」と言ったらしい。しかし、5000万件もあるものを、年度中の来年三月末までと、格好いいことを阿部首相が言ったものだから、参議院選挙を目前として、桝添君も、調子合わせて言っちゃった。あのときは、自民党の政治家だって、国民だって、誰一人そんなことができっこないって、分かっていたのに、阿部お坊ちゃまが、官僚の言うことを、鵜呑みにして「最後の、お一人まで・・・・責任を持って・・」なんて言っちゃった。しかし、言ったことは選挙公約だ。しかも政権担当責任政党の親玉が言ったことだ。これを守らないのは、公約違反だし、軽んずるのは国民を愚弄することだ。福田君は、筑紫哲也の番組に生出演した時も居直って、適当に謝ったような、政治家の発言の言葉尻を捉えて、あまり大げさにするのはどうか・・・というような態度、しかも選挙があったので、阿部君がリップサービスで言ってしまったごときの発言だ。桝添しかり、町村しかり。伊吹幹事長がややまともな発言と言えるていど。しかし、久間防衛相の辞任した「しょうがない・・・・」発言と同様に言ってはならないことも、あるのだ。この辺の、バランス感覚、当事者感覚が極めて危ない。ジャーナリズムがこの問題を、単なる出来事として曖昧なマスコミの態度で、いつものニュースショーの扱いのままであるならば、日本の民主主義はまたもや大きく後退することになる。「自由」=FREEとは、自由放埓のことではない。自由とは○○から免れる、と言う意味だ。一つは(国家)権力からの自由もう一つは、タスクなり、チャージから、まぬかれるつまり、タダ、料金がかからないことを意味する。日本人は民族闘争によって、自由や権利を勝ち取った歴史をもたない民族だから、この辺の感覚は二世政治家をみていると危なっかしくてしょうがない。これは、肝心の我々国民一人一人にも言えることで、国民の権利に関わる重大発言を見過ごすようだと本当に、危ない国になってしまう。
2007.12.17
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無明会は般若心経研究会です。唯識哲学を現代の社会生活や、経営に役立てようという、目的で毎週日曜日PM1:30から自宅、オフィスにてセミナーをやってます。今年から、禅的体操や瞑想法も取り入れています。東国晴宮崎県知事は、ああ、見えても結構勉強してから知事になってるんだけど、橋下弁護士、大丈夫かしらね。地方自治も経営と同じなら、歳出よりも歳入が多ければ良いということか。江戸時代というのは、日本の歴史の中ではもっとも地方自治が徹底された時代じゃないのかな。江戸時代というのは、封建時代というけど、ある意味、連邦制じゃないのかな。ただ、全国から収税するシステムではなかったようで、徳川800万石と旗本8万旗で運営してたみたいね。地方の各藩には、土木作業や河川工事、参勤交代などの経済支出をさせて、要するに幕府にクーデターを起こす経済力を備蓄させないようにしてたわけ。結局、総合力を発揮できないから、江戸幕府は三大ケガズ(大飢饉)で疲弊してしまった。武士がサラリーマン化したのに、肝心の武士に生産力も生産性もないから、向上心も無くなっちゃった。これって、どこかの国の官僚システムによく似てるでしょう。やはり、収入が無ければ、だめだよね。管理面積が小さくて、そこに人口が集中していて、その人たちが収入を上げていれば、行政効率がいいわけで、これがコンパクト・シティー構想とか言うやつだ。環状線から外側は、開発を抑制して除排雪などの歳出を抑制しよう、というわけだ。そうすると田舎のようなじじ、ばば、しかいない広い所はえらい、ご迷惑なエリヤなのです。結局、行政が最大公約的便宜供与をするためには、稼がなくちゃならんのです。これからは、団塊の世代のリタイヤ組みも、もう一度稼がなくちゃなりません。年金を貰うのを10年延ばして、逆に所得税を払うのです。これまでの昭和のように、モーレツに頑張ることはありません。地域コミュニティーに社会参加をすることでよいのです。早く死んでしまうか、もう10年、行政のお世話にならないか、どちらかでないと、これからは、消費税を10%以上あげないと賄いきれないでしょう。
2007.12.17
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今年も、あと少しで終わってしまう。何と悲しいことじゃろ。55年の人生で最悪じゃ。っていうことは、どん底が終わり、後は良いことばかり、これ以上悪くなることは無い。学生寮の時代、32年も前のことじゃ手始めに、ジャンボ宝くじでも当てておこうかのう。毎年、よし子ちゃんの誕生日には、お花をプレゼントしていたが、今年は、諦めよう。写真で我慢してもらおう。クリスマスは皆忙しそうだから、一人パーティーじゃ。そんなことより、車にガソリン入れて、ストーブには灯油を入れて紅白に備えなければ。今年の紅白は団塊の世代に耐えられるかがテーマじゃな。「無明会」は「般若心経研究会] です。「般若心経」はただの仏教経典ではございません。大乗経典で、維摩経(ゆいまきょう)をベースとして、空即是色、色即是空すなわち、唯識哲学を説いているのです。資本主義は2010年で限界に来ると、船井幸雄先生(船井総研の代表コンサルタント)も言っています。資本主義の目的合理主義や論理的科学の世界、つまり唯物論的な考え方だけでは、行き詰まっていまったのです。これからは、宗教(心)と科学(モノ)nの全体的融合の上に立った、釈尊の説く、「中道」の精神が大切になってくるのでしょう。足るを知らなければ、世の中欲しいものだらけです。サッカーは見ごたえがあった。しかし、何度見てもオフサイドとか言うのが、分からん。
2007.12.16
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幸福の科学の大川隆法が書いた本がある。「奇跡の法」と言う本じゃ。たまたまゲオの古本コーナーでみたので、どんなことを言ってるのかな「エル・カンターレ」は、と思って。何と、1680円の本が105円です。サブタイトルが「人類再生の原理」ところが、中味を読んでみたら、いたってまともな評論なのです。霊魂と輪廻、あの世の肯定、といったところは宗教として「非科学」であっても否定してはならない。と、ここだけはオカルティズム(非論理、非科学)を出していますが、宗教、政治、経済の相互の立場、観点などは、いたってまともです。前に、「必勝の法」とかも、書店で立ち読みをしたことがありますが、これもまた、経営哲学的には、ますますまともです。何故か、私の「無明会」の目的と殆ど重なって、もう少し、「幸福の科学」は研究してみたいと思っています。最近、政治家でさえ、言葉の使い方が軽薄です。今年の締めくくりの漢字は「偽」だそうです。人は、「呪=言葉」によって縛られる。(陰陽道、阿部晴明)はじめに、「言葉」ありき。(聖書)エヴァが智慧の実を食べて、「原罪」を負った時から、人間は、言葉を正しく定義し、正しく使わなければならないのです。ミート・ホープ、赤福、白い恋人、吉兆、比内地鶏これだけではない。今、人は、言葉=イメージの前に理性とか、志とか、論理の前に持ち合わせていなければならない「心」の方に、問題がある。これもある意味、戦後洗脳教育の成果じゃ。
2007.12.16
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昔、ラジオでルーテルアワーってのがあって、聞いたことあるかな?心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸には響かない―ーーー聖パウロの言葉よりーーーー福田首相と桝添厚労相の公約違反。「選挙があったので、」とか、町村官房長官の「選挙画あったので、縮めて言ったのが、誤解を招いた」とか国民を馬鹿にするのも、はなはだしい。昨日の筑紫哲也の番組に、福田首相が生出演するので、まともな謝罪でもするのかと思ったら、他人事のような答弁。あれは、選挙があったので、阿部君がそういう決意を言わざるを得なかった、なんて、まるで他人事だ。サンプロ(田原総一郎の番組)の伊吹幹事長の発言は、まぁまぁ、まともだったが、「政治家が、言葉の軽重ばかりを論じるのは、如何なものか」というのは、本質論としては分かる。しかし、選挙の為のリップサービスだった。と言うのなら、選挙の時の公約は守らなくても良いのだ、と言うことに成る。これでは議員代表制は成り立たない。マスコミはジャーナリズムの本義を発揮しなければならない。ジャーナリズムの本質は、権力の監視である。何でも、ニュースショーにしたり、政治バラエティー番組ばかりではいけない。国民を馬鹿にしたこんな態度こそ、ジャーナリズムは徹底的に追究しなければならない。防衛省の馬鹿守屋のことなんか、官僚システムがある以上なくならない。そんなことより、石油価格を下げてくれ。仕事を作ってくれ。まともな日本語を使ってくれ!大体、町村ってもうちょっとまともな人だと思っていたんだけど。(桝添も。)
2007.12.16
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プラターズの【煙が目にしみる】この曲が、好きな、上品なお婆ちゃんでしたね。お宅に遊びに行くと、カラオケで必ずこの曲をリクエストされました。90歳の大往生。華道の池坊の、先生だったのです。お別れに、家族の句集(俳句)を頂いて参りました。ダンスが好きで、俳句を詠んで、書道もたしなむ。なんと文化的で、私のような「無明の凡夫」と違うことでしょう。私は足が短くて、ダンスもできず、浮かんでくるのは、駄洒落とオヤジギャグばかり。この写真は、32年前のじじです。NPOケアプラスあおもり、の会員募集中017-776-5573までFAX下さい。シニア向けの新聞を発行する計画を立てています。協力者募集中!取り敢えず、ホームオフィスで、クリスマス・パーティーをやることにした。参加料、お一人様2000円。持ち込み、歓迎。マージャン大会でもやろか!
2007.12.15
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12月6日にかねてより、申請していたNPOの認証が下りました。NPOケアプラスあおもり、といいます。シニア向けの新聞を発行したいと思っています。今は、先に企業向けのコンサルタントをしています。イマジネーションの科学ということで、【右脳と左脳の複合経営】に関することを一冊のレポートにまとめて、今月から、5,000円で販売しております。これは、会員の方に毎月、月報として出していたレポートに経営的な要素を加筆、訂正したものです。220ページ程度あります。興味のある方は、お知らせ下さい。今年からは、大脳生理学と禅の瞑想も取り入れて、禅体操など、座学のみでなく、実際の【行】も取り入れてやろうと思っています。新年から、自宅、ホームオフィスですが、毎週日曜日にPM1:30からセミナーを実施しております。
2007.12.13
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