全100件 (100件中 1-50件目)
海雲台で朝ごはんを食べに。季節外れで朝から開けている店が少ない。干しタラスープスンドゥブ海岸を散策海雲台、まだまだ高層ビルを建築中。地震に強いビルにしてくださいよ!海雲台の片隅に屋台村。季節外れでも夜は営業しているようだ。中には、朝から酒盛りしているおじさんもいたけど、まさか昨夜からか?とにかく食べることを中心にした韓国の旅を終えた。機内食はチラシ寿司。釜山は比較的暖かいので、二月の旅もこなせる。マイナス気温のソウルよりは観光しやすいかもしれない。今回あまり中国人を見かけなかった。機張まではまだ流れていないのかもしれない。
2018.02.19
コメント(4)
海雲台の宿泊ホテルに荷物を置いて、地下鉄で西面をぶらぶらした。甘川文化村へ行こうかと思ったが、ペンキの町には興味がないと夫がいうから、じゃあ西面くらいでと。ロッテ免税店にも買うものも見当たらないし、カジノものぞいたが、資金もなく。ロッテデパート地下で休憩。お花のアイスクリームとか。ぶらぶらして早めに夕食。やはり、ケミチブかな。お鍋がやってきて。食べ頃はこうなる。タンミョンサリ追加で美味しくいただいた。一人8000ウォンとか、安いよね。やはり通りには屋台がいっぱい。トッポギやおでんには若者がむらがっていた。海雲台グランドホテルで一泊。夕日の位置が惜しい。笑朝日西面で買ったアンパンが結構美味しい。朝ごはんはパンだけでは足りないから、朝ごはん食べに行こう!
2018.02.17
コメント(2)
翌日は朝9時チェックアウトして、いざ朝食へ!タクシーで10分もないくらい。またしてもタクシーは端数をサービス。なんかいいぞ、機張のタクシー。笑機張海女村 同じ屋台が並んで同じムードのアジュンマが呼び込む。まだ開けたばかりで、平日の朝はお客さんというと、私らだけ。笑屋台の海産物を覗きながら歩いていたら、「イモー!」「イモー!」と呼ばれる。「プリンセス!」て呼んでくれたら、振り向くのに。笑あら、夫へ「シャチョー!」はなかったな。笑テキトーに屋台をのぞいていたら、「イルボン?」と言ってすかさず私に自分の携帯を渡すアジュンマ。相手は日本語を話せるアジュンマで、何を食べたいかを伝えるみたい。うーん、やり手のアジュンマだ。笑店の奥にテントが設置してあり食事ができる。で、アワビ粥にアワビとサザエのお刺身などを。アワビ粥、私は美味しかったけど、夫はゴマ油が調味料で入れてあったのが向かないみたいだ。東京にいたら、サザエやアワビの刺身なぞ気軽に食べないのだから、やはり機張海女村は来て良かった。本当は、ウニの美味しいお店もあるけど、遠いんだよね。海雲台とは反対方向で、お腹もいっぱいだし、断念した。次の目的地としよう。アジュンマがタクシーを携帯で呼んでくれ、タクシーが来るまで待っていてくれた。屋台は40代くらいのお嫁さんとやっているみたいだったが、どの屋台も女性ばかり働いていた。男性たちは船に乗るのかな。機張グルメは終えて、機張から海雲台に戻った。
2018.02.15
コメント(8)
夕方、ホテルからタクシーで10分、またも運賃端数をオマケしてくれた。8000ウォンくらい。機張市場にて市場のオバちゃんは、みんな元気!冷たい水を使って1日頑張っているのが頼もしい。穴子やどじょうも売っていたよ。韓国のお芋って、すごく美味しいと思う。さて、お店で蟹二杯を買い、お店で茹でカニにしていただく。今回の目的は機張グルメ。かにみそはチャーハンが定番。だけど、ミソの味が飛んでしまい、やはりそのままがいいかも?ひとり1杯で充分だと思うが、蟹好きな夫はまだまだ食べられるという。塩分取り過ぎだと思うけど?支払いする時、お店オーナー奥さんから名刺をもらう。来年も来れたらいいけどね。ひとり50000ウォンくらいで精算。飛行機、ホテルを無料にした分、今回はグルメ旅。お腹いっぱいになってホテルへ戻った。しかし、北陸の蟹、山陰の蟹もすごく美味しいんだよね。高級食材なんだよねー。
2018.02.14
コメント(6)
平昌オリンピックを全く意識せず、旧正月と重ならないようにと昨年春に計画した「蟹食べに行こう」の機張の旅。夫がとにかく蟹が大好きという理由に加えて昨年の機張「蟹食べに行こう」が気にいったから。マイレージで無料特典航空券手配は、成田空港から金海空港。釜山行きは羽田空港発がないから面倒だが、とりあえず早朝2時間かけて成田空港へ。無料で乗せてもらうのだから仕方ない。成田空港ラウンジで朝食もりもり。富士山見ながら機内食もりもり。金海空港から機張行きのリムジンバスでも出ていれば良いのにないので、海雲台までバスで。空港バス停でサラリーマン風の男性二人に英語で釜山駅行きバスを聞かれたから、てっきり中国人かと思って、つたない英語で話していたら、夫が彼らが持っている紙が日本語で書いてあるコネストの案内に気づき、「日本人なんだから、日本語で話せば?」と言って、双方大笑い。私を韓国人と思ったのか?私なんかすごく地味なのに。笑そして、海雲台のパラダイスホテルからタクシーで機張に昨年7月にできたヒルトン釜山ホテルへ。なんと、タクシーアジョッシは、タクシー代をサービスしてくれたよ。笑(ところが今回サービスしてくれるタクシーばかりだったので、いったいどうなってんだ感いっぱい!)10800ウォンを1万ウォンでいいからと、1000ウォン札を返してくれた。カムサハムニダ。ホテルのベルデスクで英語でたたみかけるように話しかけられ、頭に浮かぶ返事が韓国語だったから韓国語で一度答えたら、早口で韓国語で話しかけられた。「日本人なんだからゆっくり話して」というとベルデスクのお兄さんはびっくりした。笑東京で水原出身の日本の大学に留学中の韓国人アイドルのような男の子と話している時、私の韓国語はソウル訛りだと言われたことがある。ソウル出身の人に習っていたせいだ。日本語では地元のイントネーションしか話せないのにね。笑実は機張一泊のこのホテルもポイント利用で無料なわけで、部屋に文句は言えない。オーシャンビューはできなかったけど、部屋の広さは60平米はあるかな。昨年7月にオープンしたばかりのホテルは確かに綺麗だが、デザインが私には向かないムード。笑奇抜なエントランスを抜けてエレベーターへ。チェックインカウンターは10階、海の景色。ツインの部屋このホテルの周りにはなーんにも無い。同じ敷地にアベンティというおしゃれなストリートにおしゃれな店しかない。この上はコンドミニアムになっているみたい。だからか、ホテル途中に路上駐車の自家用車がいっぱいで、とても見苦しい。駐車スペースをあらかじめ確保せず、これを良しとするのが韓国なんだろな。何より旅人必須コンビニがないのは痛い。ヒルトン2泊にしてなくて正解だったかも。さて、日本から持参した味ぽん持って機張市場へ行こう。
2018.02.12
コメント(8)
蟹を食べるのが大好きなパパである。しかし、いつも食べているのは、冷凍カチカチのロシア産ズワイ蟹とかで、せめて北海道産カチカチ冷凍蟹にしたい。とにかくパパは、ネットでいつも激安蟹販売をのぞいていて、お財布事情から、いつも激安物をポチるから、身がスカスカの蟹の鍋となる。蟹といっても、すごく期待して上海に上海蟹を食べに行った時は、口に合わなかったらしい。だから渡り蟹のサイズは今ひとつ。韓国のケジャンも興味ない。しかし例年に比べ、今年の蟹は豊漁だと聞いた。広島では、憧れの山陰松葉カニの種類を、いざ!!突然ですが、場所は、機張(キチャン)昼から釜山に飛んで夕方、機張の途中にある海東龍宮寺に再び訪れたら、何もかも終わっていて、静かな寺だった。この寺の位置は夕日は見えなくて残念だ。はんらさんが食べたホットクの店で紙コップ入りホットクを食べた。ついでに、おでんの出汁もくれた。笑機張市場には、たくさんの魚とワカメ、おばちゃんが寒さ対策しながら路上で売っていたり、面白い!もしかして、フグだ!!もしかして、フグも調理して出すのか?いや、ちょっと機張のフグは不安。笑生きた蟹を買って、二階で調理した蟹を食べるのが機張のスタイル。ただ、鍋やら酢物やら蒸したり焼いたり、バラエティはないのが残念。しかし、日本の半額で美味しい蟹を食べたのは、かなり満足。松葉蟹を四人(韓国人知り合いに連れてきてもらい、お勘定は我が家、笑)で3匹買うと紅ズワイ蟹が2匹ついてきたよ。笑笑宿は、釜山海雲台まで戻って、ゆっくりして過ごした。新しいパークハィアットホテル釜山、18階の部屋は広安里橋が少し見えた。最近、日本と韓国を結ぶのに、LCCがかなり増えたから、釜山空港もすごいことになっていて、前に簡単に15分で出国していたのに、どこも行列で、大韓航空カウンターから搭乗口まで1時間半かかった。仁川空港の混雑は聞いていたが、釜山までこうだと、しばらく遠ざかるかな。LCCのチケットを握り、アジア各地に海外旅行に行く韓国人おじさんたちの半数以上、スポーツウェアを着ているが、ズボンもジャージだ。パパがラフなおじさんたちにびっくりしていた。はんらさんが観光していた、カラフルなペンキで塗られた民家の丘、甘川洞地域を観光してみたいと言うと、「あのビンボーを売りにした地域に行くんですか?楽しくないですよ。ビンボーがメジャーな観光地になるなんて韓国だけ!」と釜山韓国人に却下された。笑
2017.02.27
コメント(16)
韓国に来たら食べたくなるもの。トッポギ、ホットク、トック、ネンミョン、ソルロンタン、トースト、キンパ、韓国ではいろいろ安くてお手軽なものがあって嬉しい。で、ネンミョンもソルロンタンも明洞で。ネンミョンとマンドゥごく普通のソルロンタンが一番!あー、美味しい。これだけでも韓国に来た甲斐がある。今回は、全州から始まったので、結構お手軽な韓国料理を食べた。でもこれが毎日では、少しおしゃれなお店に行きたい気もする。最近、味に評判のイタリアンレストランも出てきたしね。韓国の赤い料理は、洋服が汚れると大変だから、気をつけないとね。
2015.12.14
コメント(6)
韓国4日目、帰国日。夕方の便なので、ゆっくりできる。チェックアウトした「ソラリア西鉄ホテル明洞」に荷物を預け、「高速ターミナル駅」へ。もうひとりの在韓マダムM-なさんとシンセゲデパートで待ち合わせだった。日本でも日頃からデパ地下大好き。近所のお手頃高島屋からセレブ感いっぱいの伊勢丹デパ地下に出かけるけど、地上の階にはあまり利用しないのはさびしい限り。(新宿OLの時は毎日高島屋デパ地下を通るので、全国蔵元試飲吟醸酒、輸入ワインを味見して帰っておりました。)で、韓国でもロッテデパートデパ地下は大好き。今回は新世界デパート。ちょっと、ちょっと、シンセゲ(新世界)デパート、なんだか日本のお店がやたらと入っていて、広島三原の「八天堂シュークリーム」まであったのにはびっくり!!DEAN&DELUCAも日本と変わらない品揃え。ルタオもあった。お値段はやはり2割~3割増しなのだが、美味しい日本のお菓子をここで買えるってことね。韓国のケーキも以前のドきつい配色よりも自然な色のケーキが出没、お値段は日本と変わらない。ひとりでふらふらショーケースを覗いていたら、やたらと声を掛けられて、日本のお菓子を勧められた。いや、今から日本に帰るんです、すみません。デパ地下ゆえ、市場よりはかなり高価には違いないが、偽物がないだろうと安心できる。笑ただ、韓国のセットもの、やたら箱が大きすぎる。そして大量すぎる。次回はギャラリアデパートに行ってみたいな。さて、M-なさんとMりんさんとランチは、オムレツのお店。メニューで見たよりはるかに大きなプレートにはびっくり。これもシェアして食べる文化だってこと??いや、ひとりずつ食べて、食べきれなくて残したわ・・・韓国料理は特別安いように思うけど、洋食和食は特別高いように思える韓国、日本の物価の価格を韓国に持ってきても、高級感あるこういうお店が繁盛するのはなぜだろう。韓国あちこちで1杯400~600円価格のカフェもすごい繁盛しているけど、そのコーヒー自体があまり美味しくないことが多い。M-なさんともブログのやり取りがあるので、近況はだいたい分かる。仕事に子育てに頑張っている在韓日本人女性M-なさん、遠い空から応援しております。ふわふわオムレツ、大きすぎて途中で厭きる・・・さてと、4日目も終わり、金浦空港から帰国となる。
2015.12.12
コメント(8)
今回の旅で訪れたい場所のひとつ、費用面で物議をかもし出し結局振り出しにもどった日本の国立競技場の元建築デザイナーザハ・ハディト設計の東大門デザインプラザ。夜がとても綺麗だと噂に聞いていたので、オフ会後寄ってみた。限りなく曲線で大きいグレーの建築物、歩いても歩いても角がないから、地図を見て歩いているのにとても迷ってしまう構造に思える。しかし、建物の下は影が多いので、真夏に逃げ込むには適していそう。中はコンベンションセンター、ショップ、イベントスペース、ミュージアムとかに利用。デザインプラザらしく、かなりデザイン性の高い商品が陳列されていた。(北欧らしきものをたくさん見た)日が暮れて、デザインプラザの外に出ると、とても綺麗。宇宙もの映画に出てきそうな趣きだった。いろんな視点からデザインを考えられている感じは、さすがザハ・ハディト建築。日本はもうこんな大きなザハ・ハディト建築は見られないかもしれないけど、ソウルにあればまた来れる。韓国も費用面で大変だっただろう。でもこうして市民の憩いの場になれば正解だったのかも?
2015.12.09
コメント(10)
韓国の旅3日目楽天ブロガー在韓マダムHんらさんHおんまさんと待ち合わせ!安国駅11時半集合だったので、Mりんさんと集合時間早めに仁寺洞に行き、トック買ったり、韓国の風景額絵を買ったり、テキトーに過ごした後、5年ぶりに在韓マダムブロガーさんにご対面!!!まったく久しぶりという気もせず、ブログの行き来は、時間も距離も越えてしまうのね~~!!歳を重ねたプリンセスもハートはお若いままなのよ。さぁプリンセス会!フォーエバー!前回から切望していた「モッシドンナ」の創作トッポギを、無事食べることができ、今回安心して帰国できる。笑それにしてもお店が大きくなり繁盛している。それから、Hおんまさんに案内いただいて、お茶しに北村マウム。韓国伝統茶なつめ茶。独特の香りと味は、癒される。小さなお店だけど続くといいな。安国駅から北村あたりは、なんだか静寂感あり、おしゃれな店が多くて散歩していてもハイソな気分。そして、プリンセスたちのおしゃべりは永遠、次はソウルにある「自由が丘8丁目」カフェ。実際東京の自由が丘は8丁目はなく、1丁目2丁目あたりで、住所でいえば奥沢あたり。次は、在韓プリンセスたちを東京の自由が丘にお連れしたい。(プリンスよしくんもどうぞ!)「自由が丘8丁目」より、有名パテェシエのケーキは安いよ。(~_~;)皆さんどこでもバリバリ日本語で、日々の話や楽天ブログのことやら話はつきず、プリンセスたちに時間は足りなかったが、日も暮れて、楽しいひとときは終わり、安国駅で解散となった。次回お会いできるまで、皆さん御達者で!カムサハムニダ、アンニョン!!地元に引き上げるまでにもう一度ソウルに来れたらいいなぁ。
2015.12.08
コメント(8)
全州に行ってみたかった理由に、韓国の田舎の食事の美味しさがある。全州は、全州ビビンバが特に有名だけど、マッコリ横丁なるものも有名。今回は大雪のせいもあり、とにかく韓国料理が食べられたらGOOD!!二日目の朝ごはんは、歩いていて見つけたカルビタンの店。ミオクカルビタンをチョイスしたら、大当たり。とろろ状態のミオクが一面に浮かび、美味しかったわ~!骨付きカルビぶつ切りが結構入っていて、美味しかった。日本じゃ朝から骨付きカルビスープなんて食べないもんね。韓国に来たからには!って感じよね。二日目の午後はKTXでソウルに戻る予定だったので、やはりお昼ご飯は、全州ビビンバを食べなければ!と、全州のYさんお勧めのお店へ。全州出身パク・クネ大統領も父親の代から懇意な由緒あるお店でした。ゆっくり観光できるお天気ではなかったが、全州らしさを観ることができてよかった。新幹線に乗り慣れていると違和感のある、座席が動かないため後ろ向きの座席のKTXで、ソウル龍山駅に戻った。
2015.12.03
コメント(12)
全州二日目。大雪の翌日、まだ朝方ちらちらしたり雨に変わったりいたが、観光するに困るほどじゃなかった。ホテルから観光スポットへ、雪道を気を付けながら歩く。雪道を踏みしめて歩いているうちに、ショートブーツの内側が濡れてきて、靴下に浸みてくるようになった。(T_T)突然の雪で、紅葉が遅れている紅葉の青い葉も、そのまま雪の重みで枝を折られていたのが、かわいそう。イチョウの黄色い落ち葉もすべて雪で隠された感じだ。街が見下ろせる丘から、白い街が綺麗だったが、紅葉の街のほうが嬉しかったかも。昔の街並みを修復保存するどころか、古い家屋は壊して新しい木材で昔の家屋風に立て直して商売する店に替えてしまうのが韓国らしくて、日本人の私にしたらとても残念な光景だ。土日は韓国人観光客が押し寄せてくるらしくて、宿泊ホテルもカフェも食堂もたくさんあった。韓紙の店や韓服の店が多いのは全州だからだろう。韓紙の小さなお皿と箱を買った。
2015.12.01
コメント(6)
全州初日、遅くなった夕食。韓国の食堂「イェチチョン」テーブルにいっぱい並べられたおかずの数々。お皿ひとつひとつ違うおかずをシェアする。今までも馴染みのおかずだが、ケジャンもあり、茶わん蒸しもあり、なんてたって、素朴で美味しい。でも食べきれないよね。ビールで乾杯したけど、まっこり飲まなかった。寒いから食べたらすぐホテルへ。街の中のお手軽な新しいホテルに泊まる。ツインルームもオンドルなので、部屋はぽかぽか。どんどん降る雪、翌日の朝の全州の街は、すっぽり雪景色。
2015.11.30
コメント(10)
JALマイレージクラブから、11月末期限切れのマイレージがあるお知らせをもらって焦った。で、どうせなら、マイレージを使い、久しぶりに韓国へ飛ぶことにした。四年ぶりだ。どうせなら都合をつけて、東京の韓国情報ブロガーMさんにお供していただくことで、ひとり旅より二人で楽しい旅となる。早朝、羽田空港ー金浦空港線JALにて韓国に渡る。東京は雨、まあ雨女にふさわしい旅の出発かなと軽く考えていた。機内食は、ジャワカレー。金浦空港から、先ず、私は初めての全州に行くことにしていた。Mさんは全州リピーターなので心強い。空港から高速バスで全州に行く。ところが時間通りバス停に来た全州行きのバスに乗ろうとしたら、運転手が乗車させず過ぎ去ってしまった。直ぐ後に来たバスには乗れたが、現金はダメでチケットを自動販売機で買うように言われた。その時、予定より半額近いチケット代金を不思議に思っていたが、パリパリ乗車をうながされ乗車したのが、間違いだった。全州バスターミナルでMさんのお知り合いの全州の韓国人観光ガイドYさんと待ち合わせしていたが、着いたバスターミナルで、いくら待ってもYさんと会うことが出来ない。なぜなら、ジャーン!私たちは、全州ではなく、パッチム違いの清州バスターミナルに降りたからね。(^_^;)ちっとも気が付かなかったわ。(^_^;)自動販売機でチケット管理することで、バス乗降者も管理しているのではないかと今更に思い、チケットも買わずにバス停に立っていても全くダメなのね。おまけに不幸なことに、全州と清州が同じバス停だったのだわ。こんな時に表示が漢字もあれば、間違わなかったかもね。結局、清州ー大田ー全州とバス乗り継いで、余分に2時間かかり、やっと到着した目的地全州は、大雪だった。びっくりポン。ずいぶんお待たせした全州のYさんに連れて行ってもらった韓食のお店はパンジャンがテーブルいっぱい並べられ、とても美味しかった。ふぅ!
2015.11.30
コメント(14)
朝6時に外を見ると、昨夜からの強風は止んだが、引き続き雨が降っていた。旅行に出かける、美容院に行くという時は、決まって雨が付きまとう。そして、ある日は豪雨、ある日は台風、ある日は豪雪。スロバキアの降りしきる大雪は、足元も深くて、膝上まで埋まり、大変だった。さて、東京も昨夜から寒くなり、慌てて買い足しに行ったヒートテックシャツも、即、活躍しそうだ。しかし、今年の初雪は、海外で迎えた。ロマンチックな初雪は、ひどい吹雪と化して、明日の観光はどうなることかと思っている。四年ぶりのプリンセスたちの集合も、ババシャツ、いやヒートテックシャツを着込んで、ダウンコートを着て、温かい茶でもすすることになるのか、ドレスの裾を雪解けドロで汚さぬよう、ご注意ください。しかし、いろいろアクシデントに合いながら、なんとかたどり着いた街、何としても観光しますわ。詳しくは後日。
2015.11.26
コメント(10)
孔徳駅のホテルに泊まった理由は、ここにある。有名な平壌冷麺「乙密台(ウルミルテ)」の凍った出汁の冷麺!!路地を入っていくと、韓国人も行列の店。少し昼食時間をずらしたから、すぐ座れた。もちろん、ここは冷麺!!シンプルな冷麺で、出汁が凍って出てきたが、すぐシャリシャリ感。麺が結構多いが、美味しいので、さらさら食べられた!!それより、トッピングの梨が甘くて美味しい!!やっぱりネンミョン、大好き!!寒い冬にはストーブのそばで! ホテルへの帰り道にあったアジュンマ屋台のホットクを買って、ソウルの旅の終わりにした。夕刻、仁川空港からアシアナ便で広島空港へ。友人は機内食に付いてきたホドカジャ(クルミ饅頭)が美味しいと言っていた。前に天安でいただいた水蒸気のついた出来立てホドカジャが一番!!2012年早々の旅はソウルだった。行っておいてよかったかも。最近、義母の体調が悪くなり、今年はこれからが正念場になりそうだ。私がまさかの農家の嫁(末っ子)となり、27年過ぎた。その間、時々、右往左往で手伝いながら、今日まで美味しい米と野菜を食べ続けてこれた。義父母には、感謝をこめて、できるだけのことはしてあげたいと思っている。
2012.01.30
コメント(14)
2泊3日最後の日朝食は、孔徳駅そばにあるパン屋さん「TOUS les JOURS」 韓国のパンは美味しくないと期待せずお店に入るが、とても美味しかったので意外だった。(笑)韓国も異文化ものが溶け込んできている。ホールケーキは相変わらず、きれいな色でデコレーションされている。ケーキのクリームは生クリームのように見える。3歳くらいの女の子連れのオンマがケーキを1台買い、アッパの運転する車であわてて去っていった。さて、地下鉄「三角地」駅下車「戦争記念館」へとても広い敷地にびっくりした。今までこの前を通ることは何度もあったが、入ったのは初めてだった。なぜか無料。そして地下では大恐竜展で、グゥオ~という音声が、記念館いっぱいに響いてる。厳かなムードは、全く無し。私が観たのは朝鮮戦争ブース。昨年夏に行った銅雀にある国立墓地の資料館とほぼ同じ内容の展示物。観覧にきていたのは、先生と小学生一行多し。先生や子供たちの「ウリ ナラ」という言葉を多く聞いた。これが韓国の愛国心教育。兵役がある以上、そのために国を守る使命感。1時間回って、別棟の土産物屋さんに寄ったら、私が日本人と分かると、お店のアガシがすぐに、「兵役中の俳優イ・ジュンギと同じ帽子がありますよ」と言ってきた。まさか、日本人アジュンマは、その帽子目当てにここに来てるのか??と、苦笑いしながらお断りしたが、兵役のない日本の幸せを、どうかせめて記念館を回り、感じてほしいと思った。
2012.01.29
コメント(8)
安国駅から、新沙のカロスキルを散策した。昨年8月下旬に入ったB級韓国料理「スクールフード」はすでになくなっていた@@夕飯は弘大入口駅で降りて、少し歩いたが、「紅家(ホンガ)」へ。友人はお鍋がよくて肉が食べられないとなると、やはり海鮮ものしかない。釜山の西面にもあるお店で、私は西面の店しか行ったことがないけど、ホンデのほうが、大きくてきれいなお店だ。ここは大人数でくればくるほど、お得感いっぱいなんだけど、二人なので「ヘムルヌルンジタン」名前の通り、海鮮ものにヌルンジ(おこげ)を入れた鍋。貝の出汁がよく出て美味しくて、安い。鍋16000ウォン。 なぜかいつも出てくるつまみの乾パン。11時過ぎにお店を出て駅に歩いていると、クラブに入る若者でかなりの行列が・・@@さすがホンデは若者の街、この時間からがメインなのねとアジュンマ二人、ホテルへ戻った。どうせホテルでもビールにオジンオ!!楽天フォトが今月末で終わるから、せめて旅行記を今月末までに終わらせたい。もう少しで旅は終わる!
2012.01.28
コメント(6)
仁寺洞でおなかを満たし、さぁ観光へ、北村へ。 たくさんの路地をうろうろ回ると、結構いろんな小物や洋服屋さんやカフェがある。もうしっかり観光地だけど、「大きな声で歩かないで」という貼り紙を見つけた。ここは、だいたい住居地域で、商業地域じゃないから、住民は普通に生活している。家をのぞかれたり、夜も観光客が大声で歩くんだろうなと思うと、お気の毒な感じもある。歩いていると、昔からの古い家はあまりなく、伝統家屋に新築された家が多く、日本のように、古い家屋を手入れしながら大事に住んで維持するってことがないように思えて残念。寒くて、お手頃な伝統家屋風カフェに入ると、私の背中で、オモニ会のような韓国人オモニ5人組がおしゃべりに夢中。「アッパが~~」「シオモニが~~」「ミッチゲッタ~!!」「タリ~~」「アドゥル~~」「アングレヨ~?」と日本のお母さんたちがお茶している内容と変わらないのが笑えた。時計は6時半を過ぎて、「アイゴ~~」「オモオモ~」とどこかに携帯で電話しながら、あわててお店を出てった。LUDEN LOQUEN CAFE LN
2012.01.27
コメント(16)
歩いて北村に着いたのが、午後1時過ぎ、お店のお昼ご飯の時間に間に合うように、先に食事することにした。日本から、仁寺洞ではここで食べると調べておいたお店は、創作山菜薬膳料理「ヌイジョ」(参照ソウルナビ)ここだとお肉が食べられない友人もお肉が好きな私でお肉がなくても少し豪華な気分にしてくれる。自然な野菜、野草のうまみを生かして、念入りに作られた創作料理。(少しだけど、お魚小皿1品、肉類小皿1品はあり)ガツガツ食べたい人には向かないが、少しずつ運ばれてくる料理は、私の年齢にはふさわしく、デザートとして出てきた野草のシッケは、甘くて美味しくて身体に効きそうだった。個室でふたりでのんびり昼食タイム。お店の韓国人男性は日本語が話せた。 右の野菜サラダは、土の匂いと味がする。お日様に照らされた元気な山の土の味。手前のきのこスープは唐辛子をきかせたゴマ味、美味しかった。 この後に、野草のシッケがきた。25000ウォンコース(15000ウォン~70000ウォンコースとバラエティ)お客さんには着飾った韓国マダム多し。友人は韓国語分からないので、トイレで順番待っているのを知らずに入ったら、マダム達からものすごい攻撃を受けて、ショックで席に戻ってきた(笑) お店を出て、仁寺洞を少し歩いて北村に向かった。実演販売で、「龍のひげ クルタレ」を7箱も買い込んだ友人、そんなに美味しかった??私は相変わらず、「ジルシル」で韓菓を買う。
2012.01.18
コメント(22)
2日目の朝食は、ホテル地下のエンジェリナス・コーヒーでコーヒーとマフィンで簡単に済ました。しかし、ここのアメリカンコーヒーは、いつもあまりに薄い(美味しくない)が、我慢した。友達が行ったことがないというので、景福宮へ。2日目は江北中心に回る予定にしていた。手袋を取ってはチケットを買うのが面倒だが、手袋がないと、冷気で痛いので辛い。交代式には少し間に合わなかったが、広い景福宮や国立民族博物館を2時間くらいかけてまわった。民族博物館は私は3度目だけど、結構何度来ても楽しい。やたらマネキンが多くて、ドキッとすることもあるが、マネキンの古風な韓国人顔に感動することが多い(^^;)景福宮に来て周りを眺めると、背の高い今どきの高層ビルディングが立ち並び、あえてそのど真ん中にある景福宮、今と昔を同時に見られるわけだ。 博物館は無料の日だった。子供が多い。 昔の生活風景を表す商店街ができていた。食堂、タバコ屋、散髪屋、本屋など。写真は友人。考えたら、私が撮ってばかりで、自分の姿がない・・・ 干支の龍には赤いマフラーが。博物館前の大きな敷地に、今、韓屋マウルのような家屋が建築中、アパート群に住む子供たちが楽しめたり、昔はこういう生活だったと語るオモニたちのためにいろいろ工夫されている。もう1年後、ここに来てみたいと思う。ちょっと博物館限定で売り切れだった土産ものも買いたいんだよね。!追記次の目的地は北村博物館の横の門を出て徒歩で向かうことにした。博物館を出てすぐ目についたモナリザ!!以前、ソウル在住ブロガーソウル情報局seoulmikiさんのブログで見かけた通り、裸で横たわるモナリザの大きな衝立で、モナリザは赤い頬でビキニの代わりに樹木。建設中の国立近代博物館のコンセプト「NAKED MUSEUM」裸の博物館コンセプト通りに「すべてを丸裸にしますよ(ありのまま、着飾らずに見せますよ)」っていうジョークかと私は解釈したのだけど、はたしてそういうことなのか?どれだけの人にこの頬染めた裸のモナリザで通じるか??国立博物館だけに、くだけた姿勢が、アン ケンチャナ(@_@;)・・・???
2012.01.17
コメント(10)
ロッテ百貨店でみかけたソルラル(旧正月)のお供え明洞で免税店やら百貨店やらうろうろして、いろいろな油菓を量り売りで買い込み、百貨店地下のクリスピードーナッツなどおやつを食べて、夜景のきれいな時間を待ち、南山ソウルタワーへ上がった。やはり、私は、ここはケーブルカーで行くのが好きだ。友達はやはり初めてのタワー。私は何度目だろう?きっと8回目くらい。寒い季節の空気が澄んでいるのか、タワーからのソウルの街明かりは、きれいだ。 タワーからの夜景は写真には撮らず、心の中に。エレベーター乗り込む前、強制に写真を撮られ、上の階で記念写真として、南山ソウルタワーの背景の写真を売る。これはディズニーランドもそうだけど、台湾101ビルもそうだった。結構、面白かったので、2枚12000ウォンを買った。(2枚で800円くらい)夕食は、ビビンパやチヂミなど、肉のメインでない定番韓国食を食べる予定が、中途半端な時間に食べたトッポギ鍋が、私の胃にもたれ、夜は簡単に私の好きな「神仙ソルロンタン」で我慢してもらった。肉の苦手な友人は、肉そのものはダメだけど、なんとか野菜・豆腐入りスープを食べられたので、助かった。ロッテシティホテル地下にあるロッテマートは夜11時まで営業。ぎりぎりの時間、韓国ビールやオジンオをマートで買い込んで、お風呂のあとも寝るまで歓談^^ここのオジンオつまみがすごく美味しくて、毎日買って部屋で食べて、再度持ち帰りに買いに走ったよ。(笑)ここのホテル、バスタブがあるので、真冬の冷えた足腰にすごく助かる。マリオットホテルなんか、ホテルランクは上なのに指定しないとバスタブなしだから、やはり日本人の私には冬はバスタブ必要だなぁ!
2012.01.16
コメント(14)
ソウルの宿泊は、去年夏に宿泊したロッテシティホテル麻浦。地下鉄・孔徳駅そば、まだ新しいといえるロッテ系ビジネスホテル、清潔な室内と適度な広さ、明洞のような繁華街じゃないので、夜も静か。景観は期待できないが、コストパフォーマンスの良さで今回もここに決めた。チェックインは14時とあるが、13時過ぎにホテル着。すぐに部屋に入れたのがうれしい。荷物を分けて、さあ、地下鉄孔徳駅から新堂駅へ。目的は、新堂洞トッポギタウン肉を食べられない友人のために、今回の旅は、サムギョプサルも参鶏湯も、ボッサムもチキン、焼肉もあきらめて、3日間肉のない食事に挑戦。トッポギタウンまでは地下鉄新堂駅から徒歩5分くらい。トッポギのお店が左右に並ぶが、あまり広くなく、奥に行かないで、適当なお店に入った。午後3時過ぎ、若いカップルと幼稚園くらいの子供ひとりを連れた家族が先客。みんな、赤い鍋と黄色いたくあんで楽しそうに食べていた。B級グルメはとても美味しい!屋台のトッポギもいいけど、こうしてのんびり鍋のトッポギも楽しい。鍋の中身を初めての友人に説明しながら、キノコやら追加。二人で11000ウォンで幸せな気分になったよ^^
2012.01.15
コメント(12)
2012年最初の旅は、ソウルになった。昨年11月乳癌治療に一息ついた友人と、国内外どこでもいいから旅行しようと話していて、目的地を友人にお任せしていたら、急にお正月過ぎ、話がまとまった。さて、韓流ファンでもなく、だいたい肉全般が食べられないという友人なのだ。私は上海・台湾がいいかもと思ったが、辛い物が食べたい友人の希望で、厳寒のソウルの旅は突然始まった。地元の友人なので、出発は広島空港アシアナ便。久しぶりに地元からの出発だが、滞在時間が最適で、一日1便広島空港9:40発仁川空港行き帰国は、仁川空港18:40発2泊3日の短い旅でも、一日が有効に使える。韓国リピーターの私だけれど、今回、韓国入国審査は、変更された。韓国法務省は日本人観光客を含む17歳以上の外国人全てを対象に、入国審査の際に原則として顔写真の撮影と指紋の採取を義務付ける制度を、2012年1月1日から実施すると発表した。 同省によると、テロリストの流入などを防ぐのが目的で、長期滞在の外国人には今年7月から適用されている。指紋の採取などのやり方については、英語や中国語などとともに日本語の案内も設置されるという。 韓国は昨年8月に出入国管理法を改正し、顔写真の撮影や指紋採取を求める措置を段階的に拡大してきた。(2011年記事)1月からの実施で、慣れないせいもあり、入国審査は以前より時間がかかった。私の前の日本人男性ビジネスマンはとても時間がかかった。それはセンサーの不備のように思える。入国審査係の若い韓国人青年も何度も首をひねり、苦笑していた。どうやら指紋をセンサーで感知するのに、皮膚が乾燥しすぎていたら感知しにくそうだ。携帯のタッチ画面もなかなか思うようにいかない私の指は心配だったが、なんとかなってよかった。顔の撮影もニコッと笑いたい余裕が欲しいところだけど(笑)左右人差し指をセンサー器に乗せて、その後、正面のカメラに顔を向けて撮影。機内食で少しお腹を満たして、友人と二人、ユニクロのヒートテック下着を着こんで厳冬のソウルの街へ出発した。雪がないのは幸いだった。ー10度近いという気温のソウルは、手袋なしでは痛すぎたので、外ではいつも手袋着用した。タバコを吸うパパから免税店でセブンスターや外国たばこの購入の使命をもらってるが、今回は買い物の目的は特に無し。(昨年冬、娘の上海土産で1カートン1050円という安さだった!)しかし高価になるばかりのタバコ、いつ止めるんでしょう??
2012.01.14
コメント(22)
韓国の旅2011.8月最終回!!10月にしてやっとたどり着けました(^^;)帰国の日の朝、24時間営業と案内があった永登浦E-マートは、閉まっていた。高速リムジンバスで仁川空港へ。娘と空港内で食べたのは、娘の要望で、お粥。 今回早めに空港に入って正解。仁川空港発成田空港行き全日空機搭乗口が、別の棟に渡りそこからもバスに乗る。ANAって韓国で待遇悪いんじゃないか?と思う面倒くささと時間ロス。前にブログに書いた通り、機上で、往路は、東北震災にあわれた気仙沼の方、帰路はタジキスタンの青年と会うというエピソードもあり、韓国では、在韓マダム方や、江陵でお世話になったタクシーの運転手さんやら、うちに居候していたYジュとの再会やら、娘は大学関係で、今回の旅はいろいろな人と出会い楽しかった。1年ぶりの韓国の旅、皆さん、いろいろありがとうございました。そして風変わりなつたない旅日記を読んでいただき、ありがとうございました^^ 全日空機内食ついでに、アップ^^羽田空港発広島行、ANA国内機内食(プレミアムクラス)匠味 釜山やソウルを離れた旅も楽しいかもと思う1週間でした。^^あんにょん、韓国!!
2011.10.18
コメント(16)
風変わりな韓国の旅もそろそろ終わりに近づきました。。渡韓前に、連絡させていただいて、今回3人の在韓マダムブロガーさんにお会いすることができました。一日、どっぷり食事とおしゃべりですっかり癒しの時間が過ごせました。一度に会えなかったので、お昼の部は、安国駅で待ち合わせ。天安からわざわざソウルまで来ていただいたはんらさんとひなオンマさんとお会いしました。はんらさんは前に天安でお会いしたことがあるので再会、ひなオンマさんは初対面だけど、同じ韓国ネタブロガーということですぐに打ち解けて話が弾み、美味しいご飯を食べながら、おしゃべりし続け、私はもう途中写真を撮るのをもう放棄しましたよ。そして、「勝手にプリンセス会」とでも命名したいこのオフ会も、いつのまにか仁寺洞~光化門あたりをひたすら歩き続けておしゃべりし、2PMのような体育系トレッキング会のようになり、お二人とも、さぞかし帰りの電車で足がパンパンだったことでしょう。私は韓国の連日の歩きで、太い足は根性あるので、大丈夫^^韓国の宮廷料理やら韓屋カフェでパッピンズを食べながら、楽しいひとときありがとうございました^^遠いところ、カムサハムニダ!! 開城式(北朝鮮)韓定食「龍水山」個室で高級感いっぱいなインテリアとお料理わざわざ予約していただいていたので入れました。3人でフンパツしましたね^^コマスミダ お茶をしに入った「アルムダウン茶博物館」紅茶のパッピンス、クルミやら木の実を混ぜて・・もちろん3人で^^こういうフルーツ系でないパッピンスもアイデアですね。さっぱりしてましたよ。夕べの部は、お昼に仕事中だったミーナさん、待ち合わせは恵化駅、ここは大学路(テハンノ)ここに初めて降りたけど、なんだかムードが活気があり、若者多いから鍾路とは違うさわやかな夕べのムード(笑)ちょっと弘大(ホンデ)のように思え、アジュンマだが若者が好きな私は、大学路気に入ったよ~~ミーナさんとは初対面だけど、立ち姿でやはり日本人オーラがありましたよ^^ご挨拶そこそこにカフェから夕食に。最近犬を飼い始めたミーナさんは、愛犬クルミちゃんに夢中であります。ミーナさんとも初対面ながら、年齢も違うのだけど、いろいろ楽しいお話しました。お忙しい中、時間を作っていただき、ありがとうございました。 大学路にある「テンジャンイェスル」韓国の料理はとても健康的で野菜が多いのが好き。在韓マダム達との話は、やはり韓国は日本人には摩訶不思議な国であり、私はそれが好きになったり嫌になったりの繰り返しなんだけど、こうして皆さんのように地に足を着けて生活していくには、愛情持ってブログのネタにしながらも、心も身体もたくましくならないとねと思うのであります。そして寛容な心も持ちながらも、断固、主張する姿勢も時には必要ですね。韓国に住んでいない私もなにかとご縁がありそうだし、これからもこうしてたまには韓国や日本でオフ会できたら最高に楽しいですね^^ご希望あれば、ホットプレートさえあれば、出張広島風お好み焼き大会開きます(笑)夜の部は、ミーナさんと別れて、江南駅へ行きました。娘と娘の韓国人友人Yジェと待ち合わせ。広島の我が家にも娘なしでも結構居たし、名古屋にある大学にも交換留学し今は日系企業で働くYジュは典型的な韓国アガシ。もちろん日本語できるので、江南の「TWO SOME+COFFEE」でケーキとお茶しながら、ひとり暮らしを始めたYジュの近況を楽しく聞きました。この「TWO SOME PLACE」カフェ、スィーツが美味しいと聞くが、この店はソウルで2店舗しかないコーヒーに力を入れてるお店のようです。つきない話を止めて最終電車近くに別れ、娘と永登浦のホテルに深夜戻りました。 江南駅そば、韓国人学生や若い子たちで満員のお店こうして私の韓国の旅も、とうとう翌日帰国の日を残すだけになりました。
2011.10.15
コメント(16)
歩き疲れて、お腹がすいたので、早めの夕食へ。永登浦(ヨンドンポ) 地下鉄5号線新世界百貨店ができ、タイムススクエアというショッピング街ができた場所。しかし地下鉄駅からそのショッピング街への通路は今工事中で、狭くて危なくて、なんと中途半端な計画性のないオープンなんだろうと、日本人は思ってしまうよ(@@;)江南のCOEXのようなところかと思うと、中途半端なアーケードの導線と店舗の個性のなさと、なんてったって客層の違いが顕著。それでも江南同様、新世界百貨店はセレブ感を出そうとしているが。ここには24時間Eマートあると情報にあったし、案内板にもあるのに、朝8時に行ってみると閉まっていて、9時半からだと聞く@@、じゃぁ看板直しておいてほしい!! 夜、サムギョプサルを食べに永登浦駅そばの飲食街にある「トヌラン」地元客が多そうで、日本語、英語も通じない。働く男の子が娘に「日本人だろ?」と聞く。黙々とこまめに動き、仕事も真面目な子のようで、私がほかの店をやっているのなら、こういう子をスカウトしたいと思ったほど(笑)この子のテキパキさばかり目についたよ。(ほかの店員がグータラなのか?) 実は、汝矣島のマリオット・エグゼクティブ・アパートメントには泊まれなかったが、ここ永登浦タイムススクエアにできた「マリオット・コートヤード・ホテル」に泊まってみた。マリオットって世界の外資チェーンホテルなので、シングル・ツインというより、キングサイズベッドのみの部屋が予約可能。(私はキングベッドにエクストラベッドを入れてもらったよ)エレベーターやロビーで各国の航空会社CAやパイロットの方を多く見かけた。常宿なのね。残念ながら、私の評価は・・高い割には、アメニティも揃わず、広さもさほどでなく、バスタブなしの部屋。おまけに洗面台の蛇口のデザイン重視で、水を使えば使うほど、流水が散って床が水浸しになるという欠陥。先に泊まったロッテシティホテルのアメニティ充実さ、コストパフォーマンスと比べれば、私はタイムススクエアのマリオットホテルは次回予約はしない。ビルディングの上層階がホテルということだったので、入口も分かりにくい。周辺も目立ってこだわるものもなし。仁川空港リムジンバスが目の前に止まるので、帰国はそれを使った。地下鉄駅は身軽ならいいけど、荷物があれば、少し距離があって不便だ。タイムススクエアも外国人旅行者にはわざわざ来る場所でもなさそう。私のソウルの旅には、今回ロッテシティホテルがとても便利よかったし、9号線新ノニョン駅あたりのホテルやレジデンスがいいかもしれない。韓国内ではあと、全州、大邱にも行きたいなぁ。 ホテルの部屋から見た永登浦 タイムススクエア地上入口にあります@@;意味不明、わけわからん・・
2011.10.14
コメント(8)
国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)続きとにかく国立墓地はめちゃくちゃ広い。それでも知らずに、坂道を上に上に歩く。炎天下というのが辛い。左右に広大な墓地のきれいに並ぶお墓を見ながら。そしてそれぞれ、造花がきれいに整頓されて置かれている素晴らしさに驚きながら。酒盛りするハルモニ集団を過ぎて、しばらく歩くと、頂上付近に運動着でトレッキングするアジュンマ、アジョッシを見かけるようになった。あとは私たちの横をすり抜ける車だけ。大統領の墓地は頂上付近。やはり大きな造花で飾られている。記帳台もあり、大きいけど、シンプルなお墓だった。後ろを振り向くと、ソウル市内が見渡せるすごくいい位置。汗をかいているので、景色がすがすがしく感じた。故朴正熙大統領 故金大中大統領 クリスチャンなので、祭壇にマリア像が並べてあった
2011.10.12
コメント(6)
娘と待ち合わせをしたのは、9号線・銅雀(ドンジャッ)駅地下鉄駅を上がるとすぐ目の前にある、国立墓地「国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)」へ参拝した。とにかく、広くて大きい国立墓地。徒歩で坂道を歩き、大統領墓地まで行こうとしたのは、失敗だった。この日は暑くて、歩いていくには、かなり遠かった。 (地下通路には、国立ソウル顕忠院の写真展示がある)祖国の守護と発展のために献身した人々が眠る国立墓地前方に漢江(ハンガン)を臨み、冠岳山(クァナッサン)の麓・孔雀峰(コンジャッポン)に屏風のように後ろの三方を取り囲まれた国立墓地、「国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)」。約1,430,000平方メートルの広大な敷地には、日本植民地時代の独立運動家をはじめ、国家功労者や、朝鮮戦争で戦死した韓国軍将兵、予備軍、警察官、そして国葬・国民葬が執り行われた元大統領など、約168,000人が記念碑・記念塔のかたわらで眠っています。各展示館では遺品や写真などが展示されており、歴史を実物や映像で見ることもできます。現在、全埋葬者の80%が朝鮮戦争戦没者となっています。 軍隊の警備の下、年中無休で無料開放されており、いつでも参拝・見学できるようになっています。 ●「国立ソウル顕忠院」の概略朝鮮半島が南北分断国家となるに至った悲劇の朝鮮戦争(1950~1953年)。その戦没将兵を埋葬するため、前身となる「国軍墓地」が1955年に造成された。その後独立運動家らが埋葬されるに従って1965年に「国立墓地」に名称を変更、さらに顕忠塔や位牌奉安館、顕忠門などの建設で1996年に「国立顕忠院」となった。2006年に現在の名称に至る。 (コネストより参照) ちょうど顕忠門で海軍と陸軍の交代式を行っていたが、前日JSAに行っていた私には、この笑顔のふにゃふにゃした交代式は気合が足りないと思った(笑)遺品展示館・写真展示館朝鮮戦争をはじめ、貴重な遺品や写真展示。兵役中の事故で亡くなった兵役の青年の遺品もあり、娘と年齢が変わらない。訓練中の事故もあるだろうし、病気もあるだろうし、兵役に出す母の気持ちになると、仕方ないと片づけられない。こうして軍服やら洋品やらネームやら、遺品を寄贈して展示に至っているようだ。広い墓地も埋め尽くすひとりひとりのお墓。こんなにも多くの戦没者がいるという事実、どうかこれからは、増えませんようにと祈るしかない。刻まれた名前を時々読みながら、坂道を上がって行った。一般公開されているので、ここで休んでいたり、トレッキングしているアジュンマ、ハルモニ、ハラボジを見かけたが、木陰で輪になって酒盛りしているハルモニ集団を目撃@@あいご~~! 次回も続く
2011.10.12
コメント(8)
ソウル仁川空港から成田空港への帰路の全日空機内。窓側に私、中央に娘。往路は気仙沼の震災被災者の方と出会った。さて、通路側に座ったのは、日本人でも韓国人でもない肌の色の外国人青年。上空でしばらくして、英語で娘と話を始めた。彼の手に持っているパスポートは韓国と同じ色のグリーンだけど、どこか分からない。彼はタジキスタンの青年だった。のちに分かったが、28歳。ソウルでトランジット、今から日本の大学院に留学するという。しかし、日本についてタジキスタンでなんの情報もなく、もちろん日本語の勉強も日本についての勉強もなにもしていなかった。娘と話せる唯一の英語のみ。後で娘が言うに、タジキスタン訛りの英語なので、単語も分かりにくいという(笑)公用語はタジキスタン語かロシア語。日本のJICA支援で日本に留学すると言い、前はタジキスタンの大学を出て、政府で働いていたという。歴史的にも政治的にも大変な国。帰国して、タジキスタンを調べたら、ちょっと調べただけでも、こんな感じ・・タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。日本の外務省から渡航を延期、あるいは退避の検討・準備をするよう、危険情報が出されています。治安が悪く、衛生面・医療面でもかなり劣悪な状況なので、ODAやJICAが国際支援している。前に研究にタジキスタンに入った日本人教授が襲撃され死亡している。娘が、「日本は大地震、津波があり、不安でしょう?」と聞いたら、彼は、「国はもっとひどい状況なので、そんなのはちっとも気にならない」という答えだったのも、うなずける。それにタジキスタンには海がない。そして、なにより、彼が初めて仲良く話した日本人は、娘であり、二番目は私なのであった。彼は初めての日本人の友だちは娘であり、その母が二番目と嬉しそうに言った(笑)。私も固い握手をさせてもらったよ(笑)彼はすごく紳士的。荷物入れから大きなカバンを下してくれて、入国審査の場所まで持ってくれた。バスにもどんどん女性や老人に順番を譲り最後に乗車した。国ではレディファースト当たり前なのだそうだ。私たちは彼とは空港で分かれたが、娘が大学院の名刺を渡していたため、数日後連絡があり、初めての日本人友達の娘は、のちに彼と「焼き鳥」を食べに出かけたよ。あわてて書いたのは、もう少ししたら、サッカーでタジキスタン戦があるからだ。日本に十数人しかいないタジキスタン人、もちろん彼は試合会場に応援に行くらしい。私も彼のおかげで、身近になったタジキスタン、勝敗は別として、タジキスタンを応援してあげたいと思っている。日本で充実した毎日を送り、帰国して頑張ってほしいところだ。旅というのは、旅先だけではなく、いろいろなシーンで出会いがあり、それをのちのちも、いろいろな形で楽しめるものだと感慨深い。
2011.10.10
コメント(14)
9号線、汝矣島ヨイドさて、カロスキル散歩の次は汝矣島で少し散歩。オフィス街で国会議事堂などがある、江北のショッピング街にはない、新しいビルの立ち並ぶ静かな緑な街。汝矣島公園も河川敷にあり、ドラマロケ地にもよく使われている。63ビルディングや漢江観光桟橋もあり、少しゆっくり観光する時間があれば、最適。 ソウル観光局設置、レンタサイクル コイン式公園に行くにも便利。ホテル前に。私が散歩しながら向かった、マリオット・エグザクティブ・アパートメント汝矣島駅から徒歩7分くらい。徒歩でチェックインする人がいるかといえば疑問だけどね。高級長期滞在型ホテルで欧米人ビジネス宿泊が多いと聞く。CEOとかね・・(笑)ショッピングも観光もほどほどに、汝矣島からの夜景を楽しんだり、汝矣島公園でのんびりしたり、スパで癒したり、そういうセレブ旅行向き。(~_~;)CEOおよびオポロンスリーダー、専門職従事者など業務上長期滞留者ためのレジデンス型特級ホテル と情報あり。ハハハ、泊まるチャンスあるかしらね(笑) そこの1階にフランスパン・菓子店「PAUL」があるので、ひとりカフェは、ここに。韓国ソウル1号店。「PAUL」はパリ本店、日本でもおなじみで、広島にはないけど、博多にもあるし、東京も田園都市線には2店舗ある。(店舗インテリアはどこも同じ雰囲気)羽田空港にも小さなショップがあるので、寄ってカヌレを買う。なかなか味のあるフランスパンのお店なので、よく朝食用パンやおやつを買いにでかける店だ。ソウル店も土曜日の昼なので、お客さんが多い。欧米人より韓国人の若い世代が多かったのが意外だった。日本よりパンやお菓子の種類が極端に少なく感じた。「カヌレはないの?」と聞くと「ないです」と残念。日本で売れ筋のカヌレを置いてないのか、売り切れたのか・・・ とりあえず、冷たいコーヒーとタルトを注文。実はこのタルト、8500ウォンなのである。先ほど食べたキンパより高い。(笑)ウ~ン、値段に見合ったタルトとは思えず。(飲み物と合わせて16800ウォン)パンは買わなかったけど、パリ本店のコンセプトを世界に展開するPAUL、ソウルでもう少し外見より中身を充実させてほしい。でも味覚って国民性もあるからね、パン食文化のない韓国で、立地も汝矣島を選んだところは、なるほどうなずけるし、PAULを知る顧客も多そうなので、頑張ってるのかな?実はモーニングやランチに最適なオムレツセットなどのメニューがある。先にキンパを食べていたので、注文できなかったけど、パン付でかなり美味しそうだった。次回はこれで・・。 ミーナさん、いつもの社長さんやOさんといかが~~??
2011.10.06
コメント(22)
バジュからソウルに戻った翌日は、少しのんびりできた。朝はカフェのコーヒーでゆっくりして、新村の大学に向かう娘と分かれ、私は反対方向の新沙駅に向かった。 有名なカフェスミスその前に歌手セブンが出資しているチキンのお店 カロスキルは、新しい街。日本の雑誌など、おしゃれなカフェやレストランや雑貨屋や特集があるほど、若い世代には魅力の街かもしれないが、私はただ、特に目的などなくひとりで散歩するためだ。午後の予定があるので、三清洞も考えたが、少し遠い。連日が濃い毎日だったので、ぼーっと過ごすのも私には大事(笑)歩道でモデル撮影もどきのポーズをとる女の子と、首からかけた大きなカメラでシャッターを押す男の子を見かけた。これはきっとモデル撮影ごっこのカップルではないかと想像し笑えた。おおげさなポーズと、人目をはばからず歩道に陣取る二人は、いつもの韓国若者の一風景だ。(だいたい女の子がプロモデルに見えないし・・)漢江でも63ビルディンでもこういうカップルがわんさかいる。あ~やっぱりソウルに来てるんだと実感(笑)面白い!!メイン通りすぐ入ったところに、私の好きな韓国デザイナーのお店があり、雑貨数点購入。レートがいいので、いつもより気前よく買えるのがうれしい。 小腹がすいてきて、通りにあった韓国お手軽料理「スクールプード」へ入る。基本2人以上の設定メニューなので、ひとりはオーダーが楽しくない。日本のおひとり様セットメニューがない韓国文化、仕方なくキンパだけ注文。「残したら包んでくれるよね?」と働くアガシに確認はしたものの、あら、全部食べられたじゃないの(@@;)笑ラッポギも注文できちゃう勢いだけど、カフェに行く予定だったので我慢して、汝矣島に向かった。
2011.10.04
コメント(12)
貴重な一枚 北朝鮮兵士が見えますか? 会議場見学を終えて、また国連軍のバスで戻る。道路の脇には立ち入り禁止の札がたくさんあり、まだ地雷があるので、危険区域。途中、映画「JSA」で登場した「帰らざる橋」がある。渡りきれない橋。渡っても戻ることはない橋。 そして、もうひとつ、メモリアルのある場所がある。ポプラ事件1976年8月18日に国連軍の第3哨舎近くのポプラの木が大きくなり、北を監視するのに見えにくくなったため国連軍兵士が枝の剪定作業をした。このことで北朝鮮軍が作業の中止を要求してきたが国連軍が無視して作業を続けると、北朝鮮軍兵士が国連軍兵士の作業中に襲撃し、アメリカ陸軍将校、ボニファス大尉とバレット中尉が北朝鮮軍兵士に撲殺された。国連軍もまたそれに反撃し、殴り合いになり、国連兵、北朝鮮兵計8人が負傷し事件。 ポプラの木があった場所 周りに地雷も・・・帰りの国連バスに乗り込んできた韓国軍兵士の子はもうすぐ除隊のアン君。除隊したら、前から勉強している日本語を生かし、日本の歴史に興味があるので、来春から東京の大学に留学することに決まっているそうだ。バスの中は日本人観光客と韓国人ガイドとアン君の日本語の会話になり、緊張状態の観光のJSAで、つかの間の笑顔の瞬間だった。礼儀正しいアン君はソウル出身だと言った。JSAに赴任して過酷な兵役生活を終えるアン君、ご苦労様!日本で充実した留学生活を送れますように祈ってます!アン君の話だが、毎日交代で同じ場所を勤務するのは、北朝鮮兵士も同じ。当然顔見知りにはなるが、会話をすることはない。もちろん、してはいけない。けれど、お互い警備中に、おかしなハプニング(たとえば、うっかり転んだととか・・)にあったりすると、思わずお互いに笑ってしまうこともあるという。緊張状態の中、なんだか人間ぽくて、ほんわかしてしまったよ。こうして、私のDMZの一日は終わり、ソウルへと戻って行った。
2011.10.01
コメント(10)
JSA(Joint Security Area)共同警備地帯板門店(パンムンジョン)いよいよ板門店の見学。ここからはツアーバスを降りて、国連軍のバスへと乗換え。荷物も一切禁止だが、一部分だけ写真撮影可能な場所があるので、カメラだけ持参。セキュリティチェックにパスポートと顔を確認するために兵士がバスに乗り込んできて、ひとりひとり顔を見ながら回った。兵役1年半の子だった。夏の軍服の生地は思ったより薄かった。真夏にヘルメットにブーツは暑かろうと母の気持ちになる。検問を終えてバスは共同警備区域JSAへ。回りの雑草生い茂る道路をゆっくりと板門店(パンムンジョン)へ到着。板門店(パンムンジョン)は韓国と北朝鮮の間の軍事境界線上にある場所名。イ・ビョンホン主演映画「JSA」はここのこと。韓国のソウルの北約80km京畿道坡州市に隣接し北朝鮮の平壌(ピヨンヤン)の南約215km、開城(ケソン)の南約6キロ。板門店(パンムンジョン)に朝鮮戦争の休戦会談が開かれた会議場があり、そこを見学することになる。仮の建物のような簡素な会議場だった。南北境界線がまさにその会議場を半分に分ける。ここで朝鮮戦争における北側の朝鮮人民軍と南側の国連軍の停戦条約が1953年に調印され、同年10月以降は「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」の本会議場が設置されて停戦協定遵守の監視を行っている。唯一、北朝鮮兵士と国連兵士がここにいるわけだ。といっても一緒にいるわけではないけど。バスを降りてから韓国兵を先頭に2列になるよう言われて、結構それには厳しく監視された。また北側を指さしてはいけないなど、身を守るための指示がある。『自由の家』と言われる建物で解説のビデオ鑑賞、また2列厳守で、建物の中を通り外へ出てからいよいよ簡素な会議場へ。中には韓国兵が数人いた。サングラスで顔の表情が読めないようにしてある。会議場の机に物を置いてはいけない、椅子に座ってはいけないと指示の中、数分の滞在時間で、とにかく、ササッと写真を撮った。会議場を出て、北朝鮮側の見える位置で写真撮影可。韓国兵はじっと北を見つめるが、北朝鮮側は韓国側を見ないで立つ。韓国側から行動を起こすことがないとみてるのか、北の警備は北を向く。北の要人のほうを向くのだ。最初は北の兵士は警備に当たってなかったが、バスに乗り込んで帰る時、出てきて警備をし始めた。どうやらなにか写真撮影を行ったようだった。 会議場内部 韓国兵士が立っているのは北朝鮮側 コンクリートが北、砂利が南の境界線北朝鮮を眺める JSA次に続く・・・
2011.09.29
コメント(12)
第3トンネル北朝鮮は、終わらない南北戦争に備えて、地下をソウルまで掘り続けているという噂があって、実は本当だったということ。私が行ったのは、第3トンネル。3番目に発見されたトンネルということか。ソクチョ(束草)のほうにも1.2トンネルがある。(在韓ブロガーアントニー3309さんの日記で読ませていただきました^^)現在韓国にて北朝鮮の4つのトンネルが発見されているらしいが、8本はあるだろうと予想されている。第3トンネル、1978年10月発見。地下73メートル。このトンネルは北朝鮮兵部隊を短時間に大量に韓国側に送り込む目的なので、もし、まだトンネルがあるのなら、早く見つけたいところだ。第3トンネルは板門店(パンムンジョン)から4km。第3トンネル入口に第3トンネル映像・資料館があったが時間がなくてゆっくり見ることができなかったのが残念だった。館内には北朝鮮軍使用の武器や地雷も展示されていた。第3トンネルへ入るにはトロッコと徒歩という手段があったが、私たちは黄色いヘルメットをかぶって、途中までトロッコを使った。荷物はすべてロッカーへ。カメラ禁止。トロッコで行くのは正解で、このトンネルは幅2Mくらい?距離は2キロメートルくらい。かなり長く、坂道なので徒歩だとかなり足元も悪く大変だったろうと思う。閉所恐怖症の人はここはダメだよ・・@@;ヘルメットのおかげで助かったけど、何度も頭を岩にぶつけたよ。しかし、この第3トンネルはかなりの大きさ!!本当にここを使って北の兵士が何万人も浸透してきたらと思うとぞっとする。トンネルの行き止まりの先は北のトンネルへと続き、これからも警備必要だよね。トンネル発見の糸口は、韓国軍が地下がなにか怪しい音がするということで掘削してパイプを埋めて、パイプへ水を流し込んで調査。そのパイプが2本トンネルの天井に。まさにトンネルはソウルを目指して掘られていたという。それにしても、湿気も多く、空気も薄く、光のないトンネル掘削作業、過酷な労働だよ。あの~~、もしかして、今もどこかでひたすら掘ってませんよね??@@江陵では海から、パジュは地下からと、いろいろ勉強になった今回。休戦中とはいえ、戦争中の韓国の一面・・ さて、次はとうとう、大詰めな場所・・
2011.09.27
コメント(12)
臨津閣(イムジンガン)公園ソウルから50kmの地点で朝鮮半島の統一を祈願して立てられた公園。軍事境界線から南に7km離れた所にあるので、国内外一般人も許可なく訪問できるので、離散家族等多く訪れて遠くの家族を想う場所となっている。DMZツアーで最初に訪れた場所が臨津閣公園だった。ここはまだ非武装地帯ではないので、観光客と、北に想いを馳せる人々が多く訪れる場所。都羅山駅に向かう鉄橋も見える。一時期、北朝鮮の開城(ケソン)工業地帯まで乗り入れたことがあるようだが、すぐ運行中止になったらしい。 統一を想う歌碑 祈りの短冊 朝鮮戦争で被弾した京義線蒸気機関車 これは日本の川崎製鉄製 自由の橋 「ここまで来るのに50年」 1953年休戦が決まり直後、1万人超える捕虜が渡った橋 「自由万歳!」と叫んで渡ったとされ、「自由の橋」とつけられた。 都羅山駅に向かう鉄橋ここで、DMZのパンフレットを買った。ここから第三トンネルに向かう。
2011.09.26
コメント(6)
今回の旅の第二の目的、DMZ(非武装地帯)北を感じる旅、江陵に続き、第二弾(^^;)個人ではなかなか思うようには回れない場所。前もって、韓国政府公認の旅行会社に申込み、パスポートも確認して、ロッテホテル集合のツアー参加。服装も厳しく、半パン、Tシャツ、サンダルなどの軽装は禁止な板門店(パンムンジョン)のJSAツアーの一日。ここは、思いついたところから記録していくことにした。回った順を追わないでおく。江原道、江陵からせっかくソウルへ戻ったけど、荷物を置いて、翌日は、DMZの韓国京畿道坡州市(パジュシ)へDMZ(非武装地帯・DeMilitarized Zone)とは戦争・紛争、停戦状態の2つ以上の国家間に、平和条約・休戦協定などによって設けられる軍事活動が許されない地域。その軍事活動が許されない軍事境界線の南北には、韓国・北朝鮮双方の領土へ幅2キロメートル(合計4キロメートル)のDMZ(DeMilitarized Zone・非武装地帯) が設定されている。現在、北朝鮮軍側と韓国軍・米軍を中心とする国連軍側が管理している。 ピョンヤン方面と表示する乗車口 もしも、いつか南北統一された時には、すぐ利用できる駅。都羅山駅(DMZ内)昔の友達や親戚に会いに、ピョンヤンに行くことが可能になるのは、いつのことか。チケット(500ウォン)を買い、ホームまで降りることはできるけど、電車は来ることはない。ひとつ前のイムジンガッ駅が終点となるのだ。 どこでもある改札口なのに・・・ いつかはピョンヤンへ、そしてその先はシベリア、中国満州へ続くはずの鉄道 都羅山駅構内で会ったキム君。学生だという彼は、「お会いできてうれしいです」とだけ日本語を話せた。人懐っこい笑顔、ヘルメットの線を数えたら、兵役1年半、除隊のほうが近くなった彼。都羅山駅警備担当は辛くないですと答えた。家は坡州市(バジュシ)にあるという。ふと江陵の海岸・砂浜を銃を抱えて夜通し歩いて警備する過酷な兵役の子たちが頭に浮かんだ。都羅山駅この駅は2002年4月11日オープン。民間人統制区域内になるので自由に当駅を利用することができない。京義線の最北端の駅となる。また民間人統制区域内に駅があるために生活目的の利用者はいない。 都羅山(トラサン)駅は現在、国鉄職員と韓国軍が共同管理。 南の最終駅であるより、北へ行く始発の駅になれれば・・
2011.09.25
コメント(16)
久しぶりのソウル!!地下鉄で鍾路(チョンノ)へ。私の好きなお店、伝統菓子、餅のお店「ジルシル」本店へ。久しぶりにトック(お餅)を食べたくて8時半頃行ったが、9時閉店。それでも簡単にお茶とトックを食べて、明日の朝早いことを考えて、孔徳駅へ戻った。 トックを食べたので、そんなにおなかがすいていない。けど、夜はここに行こうと決めていた。「麻浦元祖ハルモニピンデトッ」24時間営業の韓国庶民のお店。なるほど、ぼろぼろの机と椅子の下には、とんでもない数のたばこの吸い殻いろいろなジョン盛り合わせを注文、これで10000ウォン!!マッコリ(750ミリ)、ソジュ、一瓶3000ウォン!! 安くて気軽な店は、仕事帰りにちょっと飲んで帰るってのに最適。隣のテーブルのいかにも庶民のアジョッシ二人は、ソジュ(焼酎チャミスル)の瓶を何本か転がして、赤い顔で大きな身振り手振りで、気持ちよく大声で話している。(笑)24時間営業のお店は、いつまででも居座れるしね(^^;)てんぷらやチヂミが、たくさん並べられて売っている市場は、好きなジョンを買ってマッコリ買えば、ホテルの部屋で飲めるよね麻浦、孔徳駅付近、適当に安くて美味しいお店があり、遅くまで開いてるお店多く、チープな旅にはいいところかもしれない。韓国人に評判な北朝鮮の冷麺の美味しいお店もあるらしい。ロッテシティホテルへ徒歩10分足らずで戻れた。いろいろな意味で日本人向けなお店の並ぶ明洞には、なかなか足が向かなくなった。
2011.09.19
コメント(10)
江陵高速バスターミナル15時発ーソウル江南高速バスターミナル行き30分間隔である便なのに、バスは満員に近い。15分前にターミナルに到着して、15時のチケット買った。ターミナルには、松葉杖の兵役軍服姿の青年と見送る父親がいた。足の怪我で家に戻っていたのかな、赴任地に向かうのかなと心配そうに息子を見送る父親らしき男性を見ながらふと考えたりした。バスの席は最後尾の長椅子まで座る人がいた。なのに、私の前の席に堂々と座っていた20代の女の子、最後に携帯電話しながら乗ってきたサラリーマンの席に座っていて、サラリーマンに言われて、前のほうの自分の席に座りかえた。韓国によくある風景。自分の席になぜ座らない??江陵に来た時とは反対に、走って1時間くらいしか経ってないのに、サービスエリアで休憩した。残り3時間、もしくは渋滞で4時間、なんてバランスの悪い休憩時間なんだろう。午後7時頃、無事にソウル江南高速ターミナルに戻った。これからの宿泊は「ロッテシティホテル麻浦」荷物を置きに、先ず、孔徳(コンドク)駅へ。ロッテシティホテル、今回初めての宿泊。地下鉄孔徳駅直結なので、天気に左右されなくていい。ビルの地下から2階のフロントへ。チェックインすると、カードキーをもらう。このカードキーはビルのエレベーターのキーともなり、フロントを通過して、直接宿泊階に行けるので便利だった。地下にはロッテマートもあり、7時半から開いてるエンジェリナスのカフェもあり、適当に便利。また、バスタブがあり、無料歯ブラシなどアメニティも揃っていた。金庫も使いやすい。毎日疲れを癒せて、ゆっくり眠れそうだ。荷物を置き、さぁちょっと出かけよう。
2011.09.18
コメント(6)
いよいよ、江陵観光スポット最後の地。鏡浦台 キョンポデ鏡浦湖(キョンポコ笑)一面見渡せる展望台。韓国焼酎「鏡月」はここからの名前。月が湖に映り、美しいという意味。天気もよく、鏡浦湖が美しい。朝方は散歩やランニングしている人を見かけたし、観光地にありがちなスワンの足漕ぎボートも見かけた。 最後に、お昼ご飯を食べる予定の江陵名物草堂スンドゥブ(純豆腐)村の美味しいお店で下してもらった。この湖の回りに「スンドゥブ村」なるものがあり、スンドゥブをメインにするお店がかたまってある。スンドゥブ(純豆腐)は日本のおぼろ豆腐で、まだ固まっていないもの。日本で調べていた老舗のお店に行ったが、すいていてラッキー!昼ごはん時間には少し遅かったのでお腹すいていた。「チョダン ハルモニ スンドゥブ」本当にお豆腐を食べたって感じだった。温かいお豆腐で、美味しい。ひとつは「スンドゥブ定食」、もうひとつは、「お豆腐」という注文で、やってきた料理。朝ごはん、昼ごはんにはちょうどいい感じだったよ。大豆のいい匂いのする私には懐かしい豆腐だった。スンドゥブ定食7000ウォン 豆腐8000ウォン(なぜに豆腐だけのほうが高い?)日本で調べたお値段よりアップしていたわ。 荷物を置いているホテルまで散歩がてら歩いていると、収穫できるコチュ畑がたくさんあった。このあたりは、江陵繁華街でないせいか、のどかでゆったりしている。ホテルの周りのビーチをもう一度歩いた。江陵最後にビーチ前のカフェでパッピンズを食べてみた。 高速バスターミナルからソウルへ戻らなくちゃ!江陵、とても充実した一日を過ごせた。もう少しゆっくりできたらよかったな。正東津に行けなかったのは心残りだし、いつか海を見ながら向かう列車で行かなくちゃ!今回の私の江陵の旅は終わりました
2011.09.12
コメント(12)
統一公園より鏡浦に戻る。すでに11時30分、足早に観光名所を回ることにした。<烏竹軒> オジュッコン 江陵を代表する遺跡であり、韓国の良妻賢母(善良な母であり善良な妻である)の象徴である「申師任堂(1504~1551)」と、彼女の息子であり朝鮮時代の大学者である「栗谷李珥(1536~1584)」が生まれた場所です。家の周辺に黒竹が多いことから「烏竹軒」という名が付けられました。境内には、栗谷が生まれた「夢龍室」、栗谷の肖像画がある位牌堂の「文成祠」、栗谷の著書や幼年期に使用した遺品を保管した「御製閣」、一家の遺品を展示した「栗谷記念館」、 江陵市立博物館などがあります。申師任堂は5万ウォン札、栗谷李珥と烏竹軒は5千ウォン札のモデルとなっています(韓国観光公社より)お札の通りに銅像があり。親子でお札なんて幸せ!やはり母のほうが金額が多いお札なのがうれしいじゃないですか(笑)急いで回ったので、気になっていたけど、博物館には寄らなかった。(内輪の話だが、あとでブロ友はんらさんと話すのに、ブロガーみっとりさんが見つけたリアル人形キヨシがここにあったはずと。あ~残念(><)見逃した!!) <船橋荘> ソンギョジャン朝鮮時代(1392~1910)の上流階級が暮らした邸宅の代表とも言え、韓国の伝統家屋の特徴を知ることができる美しい建物が保存されています。特に、入口を入って右手に見える大きな池とあずまやは、韓国の庭園の極みと言えます。総面積 1,051.24m? の広い敷地内に母屋、サランチェ(別棟)など、多くの建物があります。(韓国観光公社より) 現在もハングルを創った世宗大王の兄である孝寧大君の子孫の住居であるそうです。 ここは韓国ドラマ「ファン・ジニ」のロケ地。タクシーアジョッシも教えてくれた。また「宮」でもシン君の別荘のシーン。映画「食客」もロケしたようだ。それにしても、かなり広いヤンパンのお屋敷。豪華絢爛ではなくて、韓屋を守りながら、たくさん建築しているという感じ。現在でも公開しながらも子孫が住んでいるのも管理がたいへんだろう。それに研修センターにも使え、部屋も宿泊できて、体験教室に利用できるのも、この広いお屋敷を有効に利用していると思った。 ファン・ジニ役のハ・ジウォンが美しかった。蓮池とかかる橋がとても美しい。 こういうところに体験で宿泊するのは、思い出になるかもしれない。別棟に炊事場があったので、賄いはないかもしれないけど。ささっと回ったつもりでも、午後1時、あわてて、最後の観光スポットに連れていってもらう。 暑い一日でもあり、車で待ってくれてはいるけど、だんだん覇気がなくなっていくタクシーアジョッシ・・・
2011.09.11
コメント(10)
江陵統一公園続き。 1996年江陵浸透事件で見つかった北朝鮮サンオ級潜水艦。1996年、9月18日早朝海岸線を走っていたタクシーが座礁していた黒い潜水艦を発見。それから大きな事件となる。黄色いヘルメットをかぶり、中に入った。狭い!!電子機器類、雑貨など日本製品を見かけたが、韓国からでなくても、ロシア経由中国経由で、北朝鮮が容易に入手できるんだろう。リアルティ出すためか、北朝鮮軍服着たマネキン右左5体が出口付近に座っていて、びっくりして大声出して、心臓が止まるかと思った・・・ここでマネキン、必要?? 1996年当時山側の安保展示館のある公園でも、この事件の経過が詳しく述べられてあり、押収物、写真が多く残されていた。北朝鮮工作員がいかに訓練されたメンバーであったか驚くとともに、休戦中と言えども、1996年も去年のヨンピョン島事件も緊張は続いているのだと考えさせられる。日本からやってくる韓流ファンの若いお嬢さん達が、大邱地下鉄火災以後用意されたソウルの地下鉄駅にある火災・テロ用の防毒マスクに気が付いているだろうか?(しかし、これ、使用期限とか数とかかなり問題ありとの最近のニュースを見たけど)海の方と山の方を回ろうと思うと、歩くには少し遠くて、車で回らないといけないような距離だ。この2か所を回るシャトルバスがあったのかどうか、分からない。この海側で観覧を終える人が多くいるだろうなと思った。それも山側の展示館も、戦闘機やモニュメントがあるところから展示館までが、かなりの坂道を登り(いや、山道だ!)、夏の暑さと運動不足で、私はバテバテ。ひととおり回ると2時間経っていた。自動販売機で700ウォンのお水を買った。アジョッシにはジュースを。 戦闘機も数機展示 海軍兵士へのモニュメント 忘れてはいけないベトナム戦争参戦で命を落とした兵士の慰霊碑 統一安保公園より海を臨む。この場所で大きな事件もあったとは思えないきれいな海だった。さて、待ちくたびれたタクシーアジョッシ!江陵、鏡浦に戻りましょうか!ここからは観光客らしく鏡浦湖周辺へ!
2011.09.10
コメント(8)
2日目観光開始!江陵に着た第一の目的は、学生の娘の研究で、江陵統一公園に行くこと。鏡浦リゾートからバスが出ていなくて、江陵駅やバスターミナルからも、1時間に数本(もしくは1本)だというので、ロスタイムをなくそうとホテルからタクシー利用。ところが、日本人の母娘と分かると、タクシーアジョッシは、韓流ファンのロケ地めぐりに江陵まで来たのだと思い、「統一公園は面白くなくて、せいぜい20分くらいだから、正東津(チョンドンジン)へ行こう!「砂時計」「ベートーベンウィルス」ロケ地になっている名所だし、サンクルーズホテルという豪華客船の形のホテルがあるよ」と統一公園より少し南下する、一番海に近い駅「正東津駅」を勧めてくれた。一応私も行きたかった所なんだけど、今回は韓流モードのスイッチを入れない旅と決めていて、遅くならない頃にソウルに戻る予定だったので時間がなく、正東津は断り、予定した鏡浦観光スポット3か所を、午前中貸切で乗せてまわってもらうよう値段交渉した。「江陵統一公園」アジョッシに20分くらいで終わるよと言われたこの公園(海と山側2か所ある)私たちは丁寧に2時間見て回り、まさかこんなにここにはいないだろうと思って、ずっと説明してくれていたタクシーアジョッシも途中で疲れて休んでいた。ここは、海側に韓国海軍の駆逐艦、江陵事件の北朝鮮潜水艦を展示して山側にも統一安保展示館として海軍の歴史館、役目を終わった戦闘機なるものがある。 私は戦前でいう海軍士官学校そばで育ったので、こういうユニフォームが懐かしい。日本も韓国もユニフォームが似ているのは、アメリカに似せているのかも。実は北朝鮮が延坪島(ヨンピョン島)に砲撃した砲弾の残骸が、江陵統一公園に運ばれ、ここの駆逐艦内に展示されていたのだ。 ヨンピョン島(延坪島)砲撃の当時の写真 延坪島砲撃事件2010年11月23日14時34分ごろ(日本時間同)、朝鮮人民軍が北方限界線(NLL)を越えた大延坪島に向けて突然、砲弾約170発を発射、90発が海上に落下し、80発が同島に着弾した。これに対し、韓国軍は島に配備していたK9 155mm自走榴弾砲6門のうち当初正常に作動した3門、後に1門を加えた4門で朝鮮人民軍の砲台を目標に80発の対抗射撃を行った。またF-15KとKF-16戦闘機4機ずつを島に向け非常出撃させた。この事件で韓国の海兵隊員2名、民間人2名が死亡、海兵隊員16名が重軽傷、民間人3名が軽傷を負い山火事や家屋の火災が発生した。住人1,300人には避難命令が出された。韓国軍合同参謀本部は直ちに珍島犬1号(非常事態警報)を発令し、金滉植国務総理も全公務員に対し非常待機命令を発令した。韓国政府高官は、砲撃は韓国軍の訓練に対する反発との見解を示している。事件発生時に韓国軍は黄海付近で実弾を使った軍事訓練を実施していた。朝鮮人民軍はこれに先立って「我が国の領海に向けて砲撃が行われた場合、直ちに物理的な措置を取る」とファックスで通告していたが、韓国軍側はこれを無視して訓練をしていた 延坪島は仁川方面、西側にあるけど、北と攻防する海軍の資料館として、江陵統一公園の役割があるように思う。この事件は、まだ昨年のことだったんだと、思い出した。 天気がよくなり、かなり暑くなってきた一日、平日のせいか、午前中のせいか、私たちのほかに観光する人はあまりなく、のんびり丁寧に回る。今までも出会ってきただろう日本人韓流ファンとはかけ離れた私たちにアジョッシは呆れつつ、さらに統一公園の充実した時間は続く。タクシーアジョッシが連れて行きたかった「チョンドンジン、シャンクルージュホテル」ソウルに戻ってから、テレビで何度もCMしていてびっくりした!ちょっと行きたかったかも・・・行かなかったので、行かれたブロガーさんのお写真をお借りしました。こんなホテル! 韓流ロケ地情報には全く縁のない旅日記になっております。あしからず・・・
2011.09.09
コメント(8)
初日もあいまいな天気だったけど、明朝まで持ち越した。日の出よりも前に砂浜に出かけて砂浜を歩く予定だったので、昨晩遅く寝て早起きはきつい。砂浜には人がいなくて、砂浜に置いてあるブランコ乗り放題^^だんだん明るくなってはきてるが、人影はあまりない。ところが・・・人影あり・・・ たぶん、毎日、深夜から長いトンヘ(東海)の砂浜をず~~っと歩いて警備しているのだろう、軍隊の彼ら。こういうところに、韓国の現実を思い知らされる。こんなことがあった江陵の海岸なので、こうして地道な警備↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓江陵浸透事件(カンヌンしんとうじけん)は、韓国の江原道江陵市において、韓国内に進入していた工作員を回収しにきた北朝鮮の特殊潜水艦(サンオ型潜水艦)が座礁し、帰国手段を失った乗組員と工作員計26名が韓国内に逃亡・潜伏した事件。事件は1996年9月18日に発覚し、韓国は軍・警察を動員しての掃討作戦を開始した。1996年11月7日に掃討作戦は終了。北朝鮮側の被害は、逮捕1名、射殺13名、集団自決11名、行方不明1名とされる。韓国側の被害としては、軍人13名、民間人6名が死亡している。また、韓国当局は座礁した潜水艦からRPG-7、対戦車手榴弾などの火器類、地図、偵察用カメラなど計327種4012点を押収した。 日の出は5時37分雲にかかり、残念ながら太陽は見ることができなかった。朝6時すぎると、砂浜に人が来はじめ、中高年のダイバーの姿も。韓国の中高年は、とても元気だ!!私の知っている日本人中高年ダイバーはyanpaさんだけだ・・^^ 朝ごはんは、昨夜の通りの別の店で。「朝ごはんあります」と看板を出しているが、朝定食というわけでなく、一日中のメニュー。私は「テンジャンチゲ」娘は「ヘムルカルグクス」 お店で見かけた、珍しい海の幸の写真^^;
2011.09.06
コメント(22)
晩御飯は海の幸江陵で獲れたばかりの貝ではないけど、夏の岩牡蠣などもあり、超ごちそう江陵のチョゲグイは、炭火で焼いたあと、アルミカップにあるチーズや魚の出汁に一度入れてもう一度煮て食べるらしい。これなら、もしもの貝にアタッて辛いことにはなりにくい。母娘で網を放置していたら、「日本人?マッチョ?日本人だからやってあげる」と店のアジュンマがやってきた。「日本人はよく焼いて食べるのが好きなんでしょ?」と聞いた。「そうです、旅行中、夏は食べ物にあたるのが怖くって・・・」とは言えなかった。地元広島産牡蠣、生でも食べます・・・(笑)パンチャンもあるけど、新鮮な貝だけでおなかいっぱいになり、初日の夜は終わった。
2011.09.04
コメント(14)
江陵(カンルン)は、日本人観光客がわさわさくるところではないので、日本から宿泊場所を予約するのに、少し探した。江原道は、冬ソナなど「春川(チュンチョン)」が人気だが、春川でさえ、ソウルから日帰りできるので、宿泊施設等も充実しているとは思えない。モーテルなら江陵にも駅やビーチにいくらでもあるだろうが、今回母娘で遠出してハードな毎日を癒してくれるホテルは少し選びたかった。東海(トンヘ、日本では日本海だけど)から昇る朝日を見なくちゃいけないし、砂浜も歩かなくちゃいけないし、宿泊は海岸近くのホテルに決めていた。バスターミナルから、タクシーで15分、6500ウォンくらいで、前側には海、後ろは湖という最高のロケーションの「鏡浦(キョンポ)ビーチホテル」に向かった。コネストにもナビにも江陵のホテルは登録がなく、ブロガーの宿泊情報もないので、なんとか地図を見ながら探した、ドキドキのホテルであった。多くのタクシーのボディに「pine city」と書いてあり、江陵は砂浜の松林をシンボルにしているようだ。ぼったくりの多いソウルと違い、のんびりした対応のタクシーアジョッシにほっとしたが、びゅんびゅん飛ばして暴走気味に湖の回りを走った。もう少し前なら、ビーチリゾートを楽しむ韓国人観光客でにぎわっていただろうが、すでに小中学校は新学期が始まっている平日の夜は、人出もパラパラ。 韓国人ばかりのリゾートホテルだが、ホテルランクは上なので古くても小ざっぱりときれい。ホテルマンもフロントのアガシたちも優しい笑顔で親切で印象はかなりいい。チェックインで「〇〇さん」とよばれたが日本語が話せるわけではなった。バウチャーが日本語のあるものだから、日本人と分かるのだろう。バスタブもなくアメニティもランクの割には残念だけど、日本人が細やかな配慮の部屋に慣れすぎているからだろう。部屋に荷物を置いて、夜9時前、遅い晩御飯と散策へと、東海(トンヘ)へ繰り出してみた。砂浜は・・・暗い。黒い海という印象。仕方ないよね、夜だもん。白い波しぶきしか見えない。それでも家族連れも少しいて、「チャリガ・・チャリ・・」と砂浜に落ちている小銭を拾う小さな子供の声がする。貝殻でなくて小銭ってのが笑える。東海の砂浜はなが~~くなが~~く続くから、砂浜や散歩道を歩けば歩くほど、どんどん遠くに行ける。明日、日本では見ることのない東の海の水平線に期待大! 今まで何度も釜山の海雲台や広安里の海に行ったが、大観光地化して、いろいろな施設やネオンや、おしゃれな若者や日本人を含め外国人の多さや賑やかなそこらと違って、江陵は、田舎ぽいが、それでも心地いいリゾートだと感じた。広安里など大きな橋がかかり、夜景もライトアップも素敵だが、このトンヘは、人工感の全くない、水平線を見るのが一番素敵なのだ。このビーチ沿いには、スタバやコーヒービーンなどのチェーン店カフェが全く無く、小さなコンビニも数件と限られていた。ガメツク都会化しないのが江陵のいいムードを維持しているのかも。しかしお店の表示している値段は、さすがにリゾート地で高めであったのが残念。おなかがすいた母娘は、ビーチ反対側に並んでいる同じような食堂の中で、呼び込みの声の元気なお兄さんのいるお店で、夜ご飯をすることにした。
2011.09.03
コメント(8)
仁川空港に14時過ぎて到着、15時発の高速バスに乗りたくて、バスチケット売り場へ。仁川空港ー江陵(カンルン) 地図の通りに、仁川は西端、江陵は東端。まさに西から江原道の東へ横断。所要時間4時間でも鉄道だと6時間以上かかってしまうので、高速バスが速くて便利。この距離で20600ウォンは安いと思う。仁川空港発でなくても、江南の高速バスターミナルからも江陵行きがたくさん出るが、旅の途中で江陵に行くより、最初に遠出することにした。ただ、不安なのが、韓国の高速バスにはトイレがついてなくて、飲み物など控えながら乗っていないと辛いことになる。平日なので、渋滞はないと思うけど、夏休みということもあり、江原道はリゾート地が多いので、バスの運行がスムーズであることを祈った。一度は休憩あると思うんだけどね。無事15時のチケットを買えた。次の便は16時半なので、ラッキー。結構乗客がいて、大学生くらいの若い子が多い。座席がゆったりしているので、4時間のバスの旅も疲れず快適。フットレストがあるのはうれしい。若い乗客は、みんなスマホしたり、アイポット聴いたりしてるけど、私は外の風景を眺めながら、時々居眠りしながら、過ごした。 韓国のバスは荒い運転だと経験済みだけど、この高速バスは、思ったより安全運転で安心した。というより、ほかの車両が急な割り込み、無理な車線変更とか、ひどいのが目につく。高速道路はどんどんと山の中を走る。ソウルから江原道に入ると車外の温度が下がっていくように感じる。看板を見ると、九里を通り、冬季オリンピック決定の平昌(ピョンチャン)を通った。冬季オリンピック誘致の看板が目立っていた。しかし、平昌に常時雪があるように思えないんだけど。田畑は、日本の農村とあまり変わらない。グリーンがきれい。3時間くらい走って、やっとサービスエリアに寄った。もっと早く休憩してもいいんじゃないかと思ってしまう。日本と同じように小腹がすいた人用に、グラム数で計算された一人用の食べ物が売られ、レストランもあるけど、コンビニやお土産品売り場は見かけなかった。私はトッポギとホドカジャを買い込み、バスの席で食べた。適当におなかがすいていたので、美味しいじゃないですか。 サービスエリアを出発したら、1時間で、目的地「江陵 カンルン」に着いた。「江陵市外高速バスターミナル」の隣には大きな市庁があり、このあたりが中心地なのか? 曇り空。時々小雨。それでも、日本で予約したホテルまでタクシーでと決めているので、問題ない。午後7時過ぎ、初めての江陵に降りて、いよいよ韓国の旅の始まり。
2011.09.02
コメント(8)
今回は、成田ー仁川のANA便。ネット予約・決済だったので、あらかじめ席も希望の位置を娘と並んで取れた。今回初めて自動チェックイン機を使ったが、預ける荷物のない人には迅速で便利かもしれない。しかし、搭乗口が不便だ。搭乗口からバス利用。仁川空港も同じように、到着場所はターミナルより遠く、ライナーに乗ってさらにひたすら歩く。荷物を預けているからいいけど、機内持ち込みできるスーツケースを持っていると最悪だ。昨年はプサンばかり出かけたので、久しぶりのソウル。私の隣に座った60代くらいの女性は、韓国パスポートを持たれていたので、帰国されるのかと思ったら・・・宮城、気仙沼に住んでる方だった。あの東北大震災の津波で、夫婦で営んでいた会社が流され、命からがら逃げて、自宅は高台にあったため、今とりあえず住むところはあるけど、会社の再建は絶望的で、自宅があるために国からの援助もないという。先が見えず落ち込んで暮らす日々に、友人がソウル旅行を誘ってくれて、ご主人もこころよく送り出してくれて、2度目の韓国2泊3日の旅行が実現したという。仙台空港はもとに戻ったが、国際線はまだ運行されず、成田空港まで来たと話された。「本当は旅行している場合じゃないんだけど」と話されたが、「楽しいこともないといけませんね。それを励みに、また生活も前向きになりますよ」と答えた私は、横浜にもいるけど西日本中心に住み、映像だけの大震災しか知らないので、どんなに励ましの言葉を言っても、ありきたりで軽いような気がしてしまう。ペンションで過ごす予定と言われた気仙沼のその女性が、辛い気持ちを少しでも癒され、日本に戻られたことを願っている。機内食はツナとチーズを挟んだパンとサラダの簡単なもの。ワゴンサービスで早速ビールをもらい飲む我が娘であった。成田空港は曇りのち雨。雨女の私のバッグには折り畳み傘もビニールのレインコートも準備万端だったが、旅行中、活躍することはなかった。時間通りに仁川空港に着いたらみごとに晴天だった。
2011.09.02
コメント(18)
韓国から帰国した。慣れている土地とはいえ、今回とても有意義な日々であった。雨女の私には珍しく、初日雨で、あとは晴天。油断していたのと、汗で日焼け止めも効果なく、顔も手も首も日焼けで真っ黒で、今朝、鏡を見て、仰天してしまった。とほほ・・韓国滞在中に地元で義父義母と住んでいた義兄(前から持病があったんだけど)が病死し、また義母も再入院が決まった。今思えば、義兄の急死が渡韓前だとさすがに私も旅行も中止していた。「予定通りでいいよ」というパパのメールに甘んじて、娘との取材旅行をこなしてきた。(まぁ私は単なる同行者)複雑な心境の中、やはり羽目を外すこともなく過ごした。まぁ毎日、1万歩~2万歩(ブロ友はんらさん認定)も歩いて、深夜のホテルで娘と、毎日、「足がいた~~い」「足がしびれてる~~」と悲鳴を上げていた。私は土踏まずに水膨れができているよ。私のちょっとマニアックな旅、仲良しブロガーの皆様、何とぞお付き合いください^^
2011.08.31
コメント(12)
いよいよ釜山最後の食事広安里で刺身もよかったんだけど、真夏はなんだか避けたい(笑)友達は辛い料理で〆たいというので、タクシーに乗り海雲台のケミチブへ。タクシーは60歳は過ぎているだろうアジョッシ。行き先を海雲台と告げると、「何しに行くんだ」と聞く。「ナッチポックンのお店ケミチブに行くけど、知ってますか」と私。アジョッシ「釜山のご飯ならトンネに行くのがいい。よし、今からトンネに行こう」私「いや、時間ないし、海雲台に行ってほしい」ちょっと残念そうなアジョッシではあるが、ホント、トンネに連れて行かれるところだったわ~~それも、新しくナビを搭載したとかで、ナビに登録。ナビの指示通りに道路を通る。私が海雲台駅の近くにあるケミチブに行きたいというのに、海雲台ではあるけれど、少し離れたところにあるケミチブに行くと言うなぜ、お客さんの言うとおりにしないんだ、アジョッシもう面倒になりナビにまかせて、ケミチブに着く。「ほ~~ら、そうでしょ??」と「マッチョ~~!!」と得意そうなアジョッシ。はいはい、そうですね・・・と苦笑する私だった。「ケミチブ」3月に行ったお店より若干広い。ナクセポックンを注文。おいし~~いタクシーのアジョッシの言う釜山のご飯、「サゴ、メッコ、マシゴ~~!!」安くて辛くて美味しい!!まさにそうです!! 2泊3日の旅は早い。でもまた来ようと思う旅になる。今度はいつになるかな?夕方のアシアナ便で福岡に戻った。釜山、あんにょん~~~ 追記:最後にロッテデパートに寄った友達と私は、ZARAのバーゲンに遭遇。 円高もあり、予定時間ぎりぎりまでZARAで買い物 友達も私もサイズの大きな息子や娘に大量のTシャツを買い込んだのだった・・・ 荷物も重くなったので一番大きいスーツケースで来るんだったと後悔した・・・・
2010.09.05
コメント(18)
全100件 (100件中 1-50件目)