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怪奇大作戦が放映されますね~♪昔、LDやビデオでソフトは所有していたのだけど、最近のDVDリマスター版のは見ていませんので楽しみです。光る通り魔だけ持っていないのよね~。放映自粛の狂気人間は持ってるくせにw38年も前の作品だけどそのクオリティの高さと社会問題を先読みしたドラマは今見ても楽しめるはず。
Dec 31, 2005
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今年も色んなものいっぱい愛します~♪
Dec 31, 2005
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最近は昔の映像記録等が掘り起こされたりしてDVD等で見られるようになったりして良い時代だなと思ったりもしますな♪今回は四半世紀ほど前にまことしやかに語られていた「キングクリムゾン、NHKヤングミュージックショー映像」について振り返ってみよう。70年代末期からプログレ物中心に廃盤のブームがマニアや一部専門店で騒がれた頃、一部マニアから驚くような話を聞かされたのを覚えている。どうも74~5年に予定されていたキングクリムゾン来日に合わせてNHKでも当時のヤングミュージックショーでライブ映像を放映しようと計画されていたというのだ。その話をしてくれた人は有志を集めてNHKに放映嘆願書を出そうとか今考えると無茶な話をしていたのを苦笑して聞いていたのを思い出す。実は私はNHKとかに子供の頃から見学にいって局のライブラリー管理について若干ながら知識もあったし、当時の音響専門学校の関わりで本局に見学にも行っていたのである。現在はNHKでもライブラリーの消失を防ぐ目的でアーカイブ化を進めてはいるが、70年代までのNHKではライブラリーで管理されていたVTRは5千本程度であったと記憶している。だから当時「クリムゾン映像」の件を聞かされた時も「著作権の問題もあるだろうしNHKに無いんじゃないの?それにライブラリー自体も少ないし」と答えた。NHKが制作した著作物ならいざしらず、外国制作の映像はNHKでもそれに関わる部門での放映権で使用料問題が当然あるし、局に残す意味がわからないと(笑)。しかもホントに放映しようとしたのか、そもそもその映像が存在したのかもわからない(爆)。ちなみに74、5年あたりのクリムゾン来日が無かったのはクリムゾンの活動停止もあるのだろうが、当時の日本側レコード会社やプロモーターが熱心では無かったのもあるとは当時の関係者の記事にもある。戦慄~レッドあたりの発売当時クリムゾンの日本での評価は今から考えると信じられないほどに低かったし、レッドあたりも専門誌の評価のスゴク低かったからね。まあ、聴く側の耳が追いついていかなかったともいえるのであるがっ!では、また来年!良いお年を~♪
Dec 29, 2005
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偶然であるが前回に取り上げた邦題にまつわる意見と同様な考えを示している所があるのを発見した。===邦題を守る会===http://boat.zero.ad.jp/floyd/japanese-titles/top.htm邦題の偏移に対しての意見は前にも述べたので今回はこの曲の制作経過を少し振り返ってみようと思う。68年のバンド編成の混沌もグレッグの加入とマネージメント決定で落ち着き、年末年始の準備を経て69年頭よりのリハーサルから驚異的な化学変化を遂げていった。それはイアンの語る「誰か一人が意見を押し付けるのではなく全員の意見が有機的に昇華していく共同作業」であったらしい。バンドが注目を浴び始めムーディ・ブルースのプロデューサー、トニー・クラーク(エンジニアはストーンズ等で知られるアンディ・ジョーンズ)の手により最初のレコーディングがロンドンのモーガン・スタジオにて行われた事はファンの方なら知っている人も多いだろうが、バンド側と意見が合わずに失敗に終わっている。イアンによるとこの時のセッションで21世紀の精神異常者は演奏されていたようだが他の曲に付いては不明との事である。バンドサイドは自分たちの作品を「単にレコーディングしたかっただけ」といい、トニー流儀の制作での指示の押し付けや狭い当時のモーガンの環境での録音結果にも不満が出て初段階で暗礁に乗り上げてしまったらしい。モーガンヴァージョンが残っているのかは不明だが、イアンによると後の自己プロデュースの1STアルバムで自分たち望む形に変わっていったと述べている。自らのプロデュースで制作が行われた頃にはバンドも作品をライブにて相当練り込んでいただけに、この21世紀の精神異常者を録音する際もマイクチェックやリハーサルしたあと、通し一発でベーシックトラックを完成している。例のボーカルの部分は70年代には研究諸説がありバンドの複数メンバーが1本のマイクで同位相になるように収録しているとの分析もあったが、イアンによると「当時の録音は8トラックだったので限られた中でやるしかなかった。ベーストラックでもグレッグは歌っていてその上にオーヴァーダビング」と語られており真相が解明された。印象的なオープニングの謎のノイズはクリムゾンキングの宮殿でも使用されている木製の小型パイプオルガンのキーを多数押す事でエアー圧力が音階振動を発せず拡散ノイズになるのを利用している。(リハーサルでは意図されていなかったがスタジオ入りした時にオルガンがあったので使われたらしい。)あの混沌とした2度目のエンディングも最初意図されていた訳ではなく、録音時にイアンが仕掛け、全員がその乗りに合わせた物だと語られている。ライブで練り上げた以上にメンバーが様々なアイディアを出し合い、イキの良いままに収音されたのがあの絶妙な作品として結実したのであろう。ちなみにアルバム完成後のライブの音源では、アルバム同様にエンディングに2回フリークアウトしている演奏があるのは、ご存知の方も多いんじゃないかな?
Dec 29, 2005
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キング・クリムゾンのデビューと共に歴史に残る超ど級の作品として語り継がれるこの曲は、現在21世紀突入後の世界から考えていかなる意味合いを持つのだろうか?そもそもこの曲の詩がピート・シンフィールドの脳内に沸き上がったのは、ベトナム戦争が深刻化し世界中に反戦運動の波が広がっていた最中だった。リハーサルルームから程近くの公園で散策していたピートの思考回路には、時の政治や戦争に対する怒りが渦巻いていたのであった。その強い憤怒のエナジーはそのままあの歌の短いながらも強烈なメッセージとなってデビューアルバムの冒頭を飾る事となるのである。さて、あれから36年。21世紀の現在は果たしてピートの予想の様になってしまったのだろうか?かってアイゼンハワーの危惧した軍産の介入する米軍事政権化も著しく、その実状は覆い隠されて実質ベトナム以上の悲惨な状況となりつつあるのかもしれない世界の悪者に仕立て上げられるイラクもイランも元々は、過去に米の「傀儡政権」が造られたから今の混沌たる状況が導かれているのである。そしてその責任をかの地の民に押し付け、自らは正義と言い張るのである。この横暴はいずれ彼らの言う神に裁かれる事になるのであろう。何故なら過去、人類の歴史において覇権を謳った権力は全て、時のかなたへと押し流されて消える運命にあるから。そして蛇足ながら現在この曲の元タイトルの和訳は使用されていない。元曲の指し示す対称は精神病理学的表現では決して無くあくまでも血に飢えた軍事産業に向けたプロテスタントの抽象的表現である。表現への過剰な自主規制も考えものであろう。
Dec 18, 2005
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拝める日が来るとはねぇ。アディアマスの来日コンサート予告CMだったけど。指揮棒振ってたなぁ。。。
Dec 15, 2005
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時代や流行、生まれ育つ環境で人それぞれ触れる音楽も様々。もちろん、そういった中でその人ごとに感化される部分も演者なりジャンルであったりスタイルやグラフィカルな様式等色々とあるもの。 私自身は60’Sのビートムーブメントが産湯で幼い頃にサイケな音楽に散々浸かってきた故、物心つく頃には爆発的に花開いたロックに非常に愛着を持つに至った。FENから流れるアニマルズやジャニスやヴァニラファッジの情念暴発な感情表現は至極刺激的だったものだった。 プログレッシブロックと表される音楽も当時の流れの中の一つであっただけだったし、聞き手にとってはもとより表現者側も後年にそれほどジャンル化されていくとは思っていた訳でも無かったであろう。ビートルズをはじめその後のクリーム等のそれまでの壁を突き抜けて行く爆発的な広がり。何しろ初期のディープパープルだってオーケストラとのコンサート共演という実験精神旺盛な活動をしていたくらいだったからね。人のやってない目新しい事なんでもありな面白さが今振り返っても感じ取れる。 もちろん一口にプログレといっても本人たちの側からするとまず自分の音楽ありきで、ジャンル分けはあくまでもマーケットサイドが勝手に決め付けたものと思うのであろうけど。たとえばイエスはイエスであり、決してフロイドでもクリムゾンでもELPでも無く、イエス独自の音楽表現であるという点でだ。 70年代のプログレ者の入り口としていくつかのメジャーバンドが上げられるだろうが、個人的にはELPとの出会いが取っ掛かりになったのである。当時のELPはアイドル人気も兼ね備えた時期だったし、日本においての宣伝も大々的だったしね。キーボード主体だけど時に攻撃的なハードロックでもあり、グレッグの歌声の美しさもキースの多才さもカールの曲にあった良く歌うドラミングも「いちげんさん」にも聴き易くポップな手触りで提供されていたね。 だれでも経験があると思うが、ある小説なりマンガなり映画なりお気に入りになると「その表現者」である作家やタレントの他の作品が読みたくなったり見たくなるもの。音楽も御多分に漏れず、お気に入りアーチストの作品を一通り聴くともっともっとその作品に触れたくなるのがファン心理。私も多くのプログレ者と大差無くELPのメンバーの結成以前の作品に手を伸ばしたのが運の尽き(?)となるのであった。 70年代には外国の輸入レコードは当初高価であったのだが、為替の自由化と円高により一気に格安なLPがお手頃に買えるようになっていった時期。キースのいたナイスもカールのいたクレージーワールドオブアーサーブラウンやアトミックルースターも輸入盤や中古盤屋で買ったがいまいちELP程に個人的に面白い訳でもなかった。で、なかなか手を出さなかったあのコワイ顔のLPである(苦笑)。レコード店であのレコードジャケットに何も知らないで手を出そうとは普通思わないわな。グレッグの他の作品が聴きたかっただけという単純な理由で、お茶の水でさしたる期待もせずに買って帰宅した記憶が残っている。 はい、ノックアウトされました。その後の鬼のプログレ道はここからが本当の出発点といってもいいかもしんない(自爆)。 さて、メジャーなプログレ系バンドと言えばその比類無い個性が特徴なのであるが、ゴング、ソフトマシーン、キャラバン、ヴァンダーグラフ、ジェネシス他に発生した諸派やらジャーマン系にイタリア系やら北欧系やらなんやらとメジャー中堅マイナー作品までひっくるめるともう手の付けられない無限な広がりなんである。となると最後に決め手になるのは聞き手の好み。自分がどんなものが好みなんだろうと確かめてみれば、コレクター相手のぼったくり商売のうまいコピーの文面にだまされる事も少ない、、、かもしれない(爆)。 要は自分の好きな音楽が自分に一番。変にカテゴライズされ関連づけされているといってもそれが自分にとって心地よさや面白さを提供することを保証するものでは無い!ということである。プログレと称されるものの中には、極めて実験性の高いある意味非エンターテインメントでコーマシャリズムのかけらも無い作品も多い。興味があるなら別であるが、仕事から家に帰ってカレーでも食べながらデレク・ベイリーのカンパニーでのジェミー・ミューアのパーカッションプレイに聞き入って悦に入っていると周りからかな~り変人と確定されちまうのである。誰だよそれは!そうおいらである(自爆)。 自分の気に入ったアーチストを聴く行為は他人に推奨されこそすれ、押し付けられてまで聞く物ではない。楽しむのが音楽。興味深かったり、浸りたかったり、歌い演奏したかったり、楽しみ方も人それぞれ。そんなものじゃないかな?
Dec 14, 2005
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