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2013.09.29
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【砂の器】
20130929

『ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者は、もうどこにもいない』〈作品ラスト字幕より〉

私がこの作品を初めて見たのは中学生の時。
町の公民館で、“町民映画劇場”という月に一度の上映時に見た。
母からもらった500円でチケット代を支払い、小さなホールの大きなスクリーンで『砂の器』を食い入るように見たのだ。
思えば私は、『砂の器』を鑑賞することでどれだけ多くのことを学んだか知れない。
世の中、人は皆平等なのだと、誰からともなく教わっていたのだが、そんなものは幻想に過ぎないのだと知った。
必ず優劣が存在し、それによって、実は世の中がバランスを保っていることをこの『砂の器』という作品から学んだのである。
そして、たいていのことは努力によって改善されると思いがちだが、人は皆、生まれながらの宿命というものを背負っていて、それはどんなふうにしても変えられない、重い楔のようなものだということ。
キレイゴト抜きにして言わせていただくなら、どれほど血の滲む努力と、奮闘と、あらん限りの情熱を注いだところで、変えられない人間の業というものが存在することを知ったのである。

ストーリーはこうだ。

被害者の所持していたトリスバーのマッチから、前日の深夜に被害者と若い男性が酒を飲みながら話し込んでいたことが判明した。
バーのホステスの証言により、被害者にはひどい東北訛りがあることが分かり、東北は秋田の羽後亀田に調査が及ぶ。
警視庁の今西刑事と、西蒲田署の吉村刑事は、必死に手がかりを捜すものの、捜査に何の進展もなかった。
被害者の身元を特定するものが何もなく、捜査が行き詰っていたところ、岡山県から被害者の親族と思われる者が上京。
死体を確認後、間違いなく岡山県在住の三木謙一であることが分かった。
一方、吉村刑事が読んでいた新聞の記事に、気になるコラムが掲載されていた。
それは、“紙吹雪の女”と題された、旅の紀行文のようなものだった。
その記事によれば、女が列車の窓から細かく切った紙を散らす様子が書かれていた。
吉村刑事はピンと来た。
もしもこれが被害者の返り血を浴びた加害者の衣類だとしたら?
その処分のために列車の窓から散らしていたのではなかろうか?


女は、銀座のクラブに勤めるホステスで、名前を高木理恵子と言った。
この高木理恵子は、世界的にも有名な音楽家である和賀英良の情婦であった。
こうして捜査は、意外な局面へと突き当たる。

この作品のメガホンを取ったのは、野村芳太郎監督である。
慶応義塾大学卒のインテリで、黒澤組の助監督を長年経験している。


特徴としては、社会派サスペンスを数多く手掛けていることであろう。左翼思想の松本清張作品を多数映画化しており、とりわけ『砂の器』においては、興行的にも大成功を収めている。
映画と原作では、ところどころ違っているが、原作者である松本清張が、小説の世界ではとうてい表現し得ないものを見事に表現したものだと、野村作品に賛辞を送っている。
私も、視聴者の一人として感想を言わせていただくと、思春期の鋭敏な魂を揺さぶるものとして、これほどまでに衝撃を受けたものは、後にも先にも映画では『砂の器』、読書では『金閣寺』だけだ。
そういう作品が常に私自身に寄り添っていることを、ひしひしと感じる。
『砂の器』は、なるべく若い世代の方々に見ていただきたい。
言われのない差別が、つい最近まで、いやこの現代にも存在することに愕然とするであろう。
だが、そこから目を逸らしてはいけない。
我々が不平等意識を持って当然であることの所以を知れば、「自分だけではない」というささやかな希望と、励ましをも感じられるだろう。
この作品は、昭和における名作中の名作なのだ。

1974年公開
【監督】野村芳太郎
【出演】丹波哲郎、加藤剛、森田健作





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最終更新日  2013.09.29 06:00:31
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