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2014.07.13
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【東京新聞 筆洗】
20140713

〈そもそも恋をするならば文の二百も三百も 千四五百も遣(や)ってみて それでも叶(かな)はぬものならば ひとりで寝るが ましぢゃもの〉。

江戸時代前期の歌人、烏丸光広の小唄という。「千四五百」は大袈裟(おおげさ)だろうが、江戸の人はそれほどたくさんのラブレター、恋文を書いた。

効果的な恋文を書くための指南書もかなりの数が出版されていたという。内容も凝っており、天保期に出た「文のはやし」は「最初の附文(つけぶみ)にて返事のおそき時 おいかけて遣(つかわ)す文」「別れし後遣す文」など、状況に応じた、模範文を載せている。『江戸の恋文』(綿抜豊昭著・平凡社新書)に教わった。江戸の人は恋文を頼りにしていた。

現代事情は、とんと分からないが、恋文は携帯電話やメール、LINE(ライン)に取って代わられたか。恋文の消える時代にあって最近発見された川端康成が一時期、婚約していた女性にあてた恋文の内容が実に新鮮である。

「恋しくつて恋しくつて」「何も手につかない」「夜も眠れない」。飾らぬ文面に若い人は照れるかもしれぬが、そこが恋文の身上。しかも、この一通は投函(とうかん)されていない。青年川端の苦しい胸の内を思うと切ない。

研究者には貴重な資料で、この女性がなぜ川端を袖にしたかの謎も解けるかもしれない。お気の毒なのは川端さんの方で、手紙を読まれ、どこかで身もだえしているはずである。
(7月10日付)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それは違う、そう思った。


「青年川端の苦しい胸の内を思うと切ない。」

文豪 川端康成はそんなに安っぽくはない。
後に別れた恋人をモチーフとして、川端は作品を書き上げている。名作「伊豆の踊子」もそうだ。それが文豪の執念であり、今日、川端を小説家とではなく文豪と称する所以である。

恋文を眺め何度も読み返して私は確信した。
投函されなかった恋文は、川端は公開されることを前提にそれを綴ったのだ。もしくは、書き上げてからそう段取りを付けたか。いずれにしても、いまこうやって我々は川端の「掌」の中に落ちたわけだ。「恋文」は川端の作品のひとつに他ならないのだ。
したがってコラム氏の心配は無用である。

「お気の毒なのは川端さんの方で、手紙を読まれ、どこかで身もだえしているはずである。」

きっと・・・
「掌」の中で踊る後世の我々を見て、身もだえどころか薄ら笑いを浮かべていることであろう。

川端は自己を冷徹なまでに客観的に分析し、それを作品に仕上げ自身の美を表現した。だがそれは川端の心の奥底の部分であり、意図して厚いひだで二重三重に覆われているのだ。常人が容易にうかがい知ることなどできるはずはないのだ。
おそらくコラム氏は、青春時代を振り返り自身の失恋経験をもって、文豪の心の奥底を推察されたのであろうが、それは恐れ多いというものだ。ちなみに川端は恋愛の不結果について、それを語るくらいなら死んだ方がまし、と言っている。
ということで、

「研究者には貴重な資料で、この女性がなぜ川端を袖にしたかの謎も解けるかもしれない。」

アレコレ詮索するのは野暮でしょう。


それにしても、川端にしろ谷崎にしろ、昭和には大文豪がいたわけだ。すでに「文豪」という言葉が死語となった昨今の文壇を思うと、隔世の感を禁じ得ないのである。

恋しくつて 昭和は遠く なりにけり


20130124aisatsu





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最終更新日  2014.07.13 05:58:10
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