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女神山のドラゴンフライ ☆ photo;clareyuko深川にある成田不動尊は会社へ行く道の途中にある。護摩焚の28日、同僚の由美ちゃんと二人で、お参りに行ってきた。燃え上がる炎の前でお経を聞きながら、遠い昔を思い出していた。小学生の頃、毎朝読んでいたお経だった。その頃、家族で毎月お隣の富山県にある倶利伽羅不動尊にお参りに通っていた。まだ倶利伽羅トンネルが出来る前で、冬などは山の中の一本道を歩いて行くのが結構大変で、雪深い夜道など、懐中電灯を手に、冒険のようにワクワクしながら歩いた、懐かしい思い出もある。不動明王の前で手をあわせながら、あぁ、この人、ずっと私を守ってくれてたんだ、、、、なんだかそんな気持ちが湧いてきた。 いつしか倶利伽羅から足が遠のいて、その後浄土真宗の信者として、ここ数十年は朝夕のお参りに30分以上仏壇の前に座っている母の姿を見るようになっていた。先日帰郷した時に、「いつも何をお祈りしとるん?」と聞いてみた。「感謝と懺悔」という答えが返ってきた。仏壇には先祖代々も、父の位牌もない、仏様が奉ってあるだけだ。昨年から墨絵を始めた母の筆をとり、私は文を書き始めた。我は神仏也、自分自身を尊べば、仏様もご先祖様も喜ぶというような内容だった。それを読んで母は、「自分は修行もしていない煩夫だから、仏にはなれない」と言った。母にとって仏様は本当に尊い、恭しい存在のようだった。 私という存在、仏という存在についてぼんやり考えながら深川不動尊に奉ってある如来や、菩薩を見て廻った。帰宅して家族で話していたら、夫はこう言った。「ちょっと理屈っぽいけど、仏様といっしょに歩く人生というのは、つまり、神仏は自分より上でも下でもない、神も仏も、如来も、菩薩も、すべて自分の側面なんじゃないの?」「それって、なんか、わかりやすいねぇ。そうだね、みんな、自分の側面だね。そして、みんな神の側面だね。」私は妙に納得した。母にもそんなふうに言えばよかったかな。プレゼンスがにっこり微笑んでいるようだった。
2006.08.31

女神山の朝 ☆ photo;clareyuko 女神山でのひかりっ子くらぶKIDSの翌日、富山のディクシャ会に行ってきた。高岡にお住まいのOさんご夫妻は、学習塾を開いて子どもたちに勉強を教えながら、いろんな講師の方を招いて、ディクシャ会を開催されている。私もご縁をいただいて何度かお邪魔させていただいている。先月の松田先生のディクシャ会に続き、今月は菅澤照真先生のディクシャ会だった。照真さんとは昨年12月の上級コース以来の再会だった。会が終って、個人的な相談があればどうぞと言われた。別に何も浮かんでこない。けれど、せっかく声をかけてくださったので、「そうだ、先祖供養の方法をきいてみよう」と思った。すると照真さんは「インドで教えてもらったとおりでいいよ、アンマとバガヴァンを呼んでお願いするんだよ」と言われた。「なんだ、それで、いいの?私も、あまりそんなことしたことないし、考えたこともなかったんだけど、このごろなぜか、そうしなさい、ってけっこういろんな人から言われちゃって。なんか、やっぱ先祖供養したほうがいいのかなぁって思うようになったの。。。」「なに言ってんの、インドへ行って、しっかりつながってきたんだから、なにも不安に思う必要なんてないよ。自分に自信がないから、いろんな人につけいれられてるだけだよ。誰になに言われたって、なんにも気にする必要ないよ」私はおかしくなって笑ってしまった。最近自分が思ってることを、そのまんま照真さんに言われたのだった。「そうですよねー、ほんとうに。私も、人に振り回されてばかりいる自分をこの頃バカバカしく思うようになってきたんです。でもね、そうやって私に近づいてくる人は、もしかして、プレゼンスが助けてって叫んでるのかもしれないって思うと、たとえ憑依されてるとか言われても、ま、いっかって思って、そのまま受け容れちゃうんですよ。」「なに言ってんの、ゆうこさん、つけいれられてるだけじゃないの」ふたりで大笑いして、そしておまじないでもするようにお祓いもしてくださった。いろんな人がいろんなことを話す。いろんな話が耳に入ってきたりもする。けれど、大切なことは言葉でも、想像でもないだろう。自分にとって一番大切な真実は、ひとりひとりとの関係以外にありえない。私にとっての、彼、彼女、あの人、あなた、、、、それ以外の真実はなにもない。で、あれば、人の話に胸を痛めるよりは、あふれる愛でふれあう誰かをつつめる自分でありたいと思う。おっと、その前に、まずは自分を愛することだった。ガラスのハートに入りきらずにあふれるほどの愛で、私自身を、つつんであげよう☆ どんなに醜い私をも。。。。。。
2006.08.29

photo;clareyuko上海のちこちゃんがお里帰りで東京へやってきた。ちこちゃんにお会いするのはこれで2回め。思いもかけず、大学生と高校生の天使君たちにディクシャする時間もあって、嬉しかった♪ディクシャのエネルギーはそれぞれに必要なところへ働くと言われているから、若者へのディクシャは知性や身体に必要なエネルギーとなるのだろうか。可愛い彼らのお願いごとが叶うことを、いっしょに夢見る私たちもなんだか楽しい。ちこちゃんはとても楽しそうにお話しする方。奇跡のように毎日が展開している、その感動が私にも伝わってくる。たっぷりおしゃべりしてもまだまだ時間が足りないくらい、話題に尽きることはなかった。そんな中、インナーチャイルドのお話になった。 ちこ「母が心配性でね、いつもそんなふうだから、何にも話せなくて寂しかったの」ゆうこ「そうそう、私もね、もっと、もっと、って感じで。ついこの前も、安心してもらおうと思って近況報告したら、『そんなことより、子どもをきちんと育てなさい』、って言われて。。。。母の気持ちをありがたく受け止めてはみたけれど、一方で、『やっぱり、いくつになっても、母にとって私はダメな娘なんだ~』って思いがやってきて、ガクッて感じ(笑)母に安心してもらえることなんて、永遠に来そうにないわ。」ちこ「子どもって、否定的な部分をとても大きくとらえて、傷ついたりするのよね。母が亡くなって少しずつ、自分を縛っていたものが溶けていったみたいで、あぁ、母も一所懸命愛してくれてたんだなぁ、って思えるようになってきたのよ。」私は母の思いが息苦しく、親元を離れたくて大学時代を名古屋で過ごした。そして帰って来いとの声に従い、金沢へ戻って、就職。7年後には「雪よけ、これから誰がするんや?」と言われつつ、再び親元を離れ京都で再就職した。人間関係を整える。それぞれの生き方は違って当たり前。母には母の生き方がある。言葉の奥に母の愛を感じて、感謝の心がわいてくる。と同時に、母に安心してもらえる日が永遠に来ないことを胸の痛みと共に感じながら、そんな自分さえもただ、受け容れる、それこそが「整える」、ということなのと思い出していた。ちこちゃんと別れて歩いていると、ちょうど母からメールが届いた。今度は兄の体調を心配するメールだった。一人暮らしの母にとっては、離れて暮らす家族たちのことがどんなにか心配なことだろう。「今まで頑張りすぎてきたんだから、無理するなってことだよね。ベストな生き方を選ぶ時がきたんだね。」オキラクにそう返したところ「ゆうこまで巻き添えにしてごめんね、反省」と返ってきた。母はいつも反省ばかり。兄も小さな頃から誰にも頼らずひとりで頑張る人だった。そして私自身もまったくオンナジ。人に頼ったり、甘えたりできないのだから、偉そうに言えることではない。(あ、でも今は子どもたちには甘えてるかも・・・・)自分がこんなだから、人を甘えさせてあげることもできていないのかもしれない。自分のことを棚にあげてまた返信した。 「いいよ、 みんな家族だし、、、、、むしろ人に頼らず自分ひとりでかかえて無理することに問題がある 我慢するから悪くなるんだね。それでもそれぞれのそんな生き方も認めてあげて、私にできることは祈ることだけ 。今まで頑張ったね もう充分だよって」 すると「有難う、貴女も大人になって私は嬉しい 心配していた子が今は優しい子に成長してくれて有難う」 と返ってきた。私はビックリ☆母に褒められた記憶は今までになかった。あるのかもしれないが、恩知らずなことに覚えていない。生まれて初めての母からの言葉に感動しながら、気弱になっている母のことを思った。母は好き放題に生きてきた私のことを、否定しているわけではなかっただろう。ただ、少しの不安や心配を言葉にして、私に伝えずにはいられなかっただけかもしれない。私たち母子はお互いに否定的な部分にばかりフォーカスして、ぶつかりあっていただけなのだろう。けれど、それさえも、わかっていながら、どうすることもできないのが人間としての私たちだ。 金沢から帰った日、ゆうちゃんと会ったら、「ハートが痛いよ」って言われた。自分ではすっきり穏やかなつもりだったので、「えっ?」と思った。すると「自分を愛するんだよ。自分を愛していないと人からも愛されないよ。」と、自分の体験を話してくれた。このときばかりはゆうちゃんのいうとおりだなぁ、と胸に感じていた。 胸の痛みの原因をたどれば、いろいろあるだろう。そこにはきっと、どこまでも癒されることのない淋しさが、頑張って存在しているのかもしれない。母から受け取った言葉が胸に広がる中、ゆうちゃんの言葉を思い出してあぁ、私も、ちょっとは自分のことを愛せるようになったのかもしれない・・・・と思えた。 「私こそ産んでくれてありがとう育ててくれて、今なお見守ってくれて ありがとうございます☆ 言葉では伝えられないほどに、感謝してます...」 メールを送り終えると会社に着いた。頑張って働いている友オキラクに楽しんで過ごしている友無理しすぎて疲れている友めっちゃ楽しんで働いている友それぞれにそれぞれの道を自由に歩いている仲間たちが笑顔で迎えてくれた。
2006.08.27

photo;clareyuko 故郷金沢から東京へ帰ってきて3日が過ぎました。女神山へ向けて、東京を発って、あっという間の日々でした。こうして流れるような記憶をたどってみると、時間という概念は錯覚で、本当に、真実は今、この一瞬にあるのだと感じます。この一瞬、それは今体験していることばかりではなく、遠く思いを馳せて心で感じていることさえも、時空を超えて、真実なのかもしれませんね。 念願だった女神山でのひかりっ子くらぶKIDSがついに実現♪ただ、ただ、感謝です。今回はKIDSたちの生きる喜び、そして親子のふれあいということをメインに考えての会だったので、当初は参加者を小学生以上ということで限定、また、大人だけの参加はナシ、あくまで家族単位でご参加くださいということでインフォメーションさせていただきした。ところが、中学生のご家族が、やむを得ない事情で参加をキャンセルされたため、今回果たして開催できるかどうかの危機を迎えていたのでした。そして縁あって3歳のお子さんのご家族が二組参加されることになり、初めての2泊3日のセミナーが開催できることになったのです。マー君パパとしおりんママ、そして7歳のみっ君のおにいちゃん一家あやママと光君(3歳)とももちゃん(0歳)の温か親子ときえママとのぶ君(3歳)の仲良し親子この3組の素敵なご家族が東京から参加されました。 いつも必要な人たちがそこに集う。これは神さまの計画で、最初から決まっていたのかもしれないけれど、私には驚きと感動の連続でした。 そして参加されなかったご家族の方々も、きっとさらに素敵な体験をされていることでしょう。ひかりっ子くらぶキッズ・・・・私たちはそこでなにを創ろうとしているかなにを伝えようとしているかそして参加者の方々はなにを求めてきてくださるのか。 天使の年齢がイッキに下がったので、スタート地点に立ち返った思いで、私たちは話し合いました。と言っても、親の心に支配などされない自由な天使たち。スケジュールどおりいくはずはないことは初めからわかっていました。 前泊で入った長野は雨でした。陶芸教室(粘土遊び)をお願いしていた「工房土喜」の義之さんの谷あいのアトリエを訪ね、新鮮な空気を満喫、最後にはディクシャもさせていただいたこと。停電で、ろうそくの明かりを灯して、ひっそり静かに夕飯をいただいたこと。アートセラピーのセミナーに参加しに来ていたギバーのともちゃんとの偶然の再会。ぬかるんだ道を長靴で歩きながら、うっかり、しっかりと転んで、泥だらけになったこと。しと降る雨の中、静かな薄明かりの森のお風呂に入ったこと。そして、翌朝の雨上がりの森の朝の美しさといったら、それこそ言葉にはできません。たくさんの想い出をつめこんで、女神山での初日がスタートしました。
2006.08.26

photo;clareyuko昨日はアンマの誕生日、祝福につつまれた一日でした。私は穏やかに過ごす日々と,すべての生命に愛と感謝の祈りを捧げました。祝福につつまれているのは、昨日だけではありませんね。愛につつまれているのは、私たちだけではありませんね。すべての存在、すべての生命がそのままで祝福されていますね☆ このごろ、時どき、そんなふうに思います。 アンマのお誕生日の夜に・・・・ 上江洲先生へも・・・・明日から女神山。森の妖精たちとお話してきますね☆
2006.08.16
photo;clareyuko事の真偽について物議を醸すという出来事が、最近よく近辺で起きています。 あの人はほんもの?あの光はなんの光?それってほんとなの?その言葉、信じていいの? なにかを言葉にすると、人はその言葉にふりまわされます。そしてそれがいいことなのか悪いことなのかマインドはジャッジしようとします。いつも人の言うことにふりまわされている私自身がいい例かもしれません。そんなにまで、人の言葉で落ちこんだり、胸を痛めたりいったい自分自身の考えは、ないの?外に求めるのではなくて、内側の答えを聴きなさいよ!と。自分でもあきれることがあるけれど、それが自分なのだから抵抗してもしかたありません。気のすむまで落ち込んで、飽きるまでそこにいるだけです。私ができることと言ったら、せいぜいそんな自分を観察し続けることことぐらいです。っていうか、それがそこから脱出する一番の近道かもしれません。そこで「そうだよね、つらいかったね」と慰めてくれる人がいれば、本当に、救われた気持ちになって、立ち直ることができるかもしれません。けれど、なにかに振り回されるという現実は、ほかからもまたやってくるに違いありません。この春の私は、そのどん底で苦しみました。人からみればそんなこと、、、、って思うことかもしれないけれど、私にとってはこの人生で1~2を争うほどの、最低の苦しみと悲しみでした。その波は何度も執拗に押し寄せて、終ることがない絶望感を味わいました。そしてその後初めて、怒りとバカバカしさ、そして、おかしさがこみあげてきて、自分を愛しくさえ思えた瞬間がありました。こうしてはいけないこうしなくては・・・・!そんな思いが苦しみを生んでいたようです。正しい自分はいつも自分を傷つけてきました。もう、誰かに愛されたいなど、思うのは疲れた、私は私、こんな私でなにが悪いの?自分の感情に蓋をすることなく、飽きるまでそれを味わった瞬間のことでした。昭和初期に肺病が流行った時、なるべく栄養があるものを食べて養生したそうですが、以前師友塾での村上和雄先生の講演の中で、「下手に栄養をとらずにそのまま過ごしていれば、細胞は危機を感じ、別の遺伝子のスイッチがONになって体が回復してくる」そんなお話をうかがったことがあります。過食の友人から、「それをとことん味わうのはちょっとしんどいぜ」と、メールをいただきました。そうだよね、ココロだけでなく、体だって悲鳴をあげるかもしれない。体の声、心の声を聴きながら、こんなのイヤだ~と、逃げ出したくなったら、逃げ出した自分をやはり観察しつづけるんですね、ジャッジ(マインドの介入)なしに。そんな私もこのごろは少しだけ自己主張するようになってきました。ただ、開き直ってきただけかもしれませんが、それでもいいかな、と思っています。先日メルトモのひとりが「運命を変えることはできるか」との疑問を投げかけてきました。その疑問がどこから生まれてくるのでしょう。なぜ運命を変えたいと思うのでしょう。自分の人生は神に委ねるのではなく、自分自身の手で切り開きたいということなのでしょうか。またある友に聞かれました。「すべて神さまが決めてる、って、どういう意味?神さまが見守っているなかで、自分自身が切り開いていくんでしょ。」人の言葉ではなく自分の体験で答えなければならないところでしょうが、私には体験がありません。ただ、自分の感覚から生まれる言葉で言い表せば・・・・・。「私」とは自分という人間を通して運命をというドラマを楽しんでいる神さま。運命を、そして人生を創造するのは「私」という神さまで、そのまま受け容れているのはただ体験している自分という人間 。人間として生きるか神として生きるかただ、その表現の違いではないでしょうか。言葉を変えるなら、マインドを中心に生きるか、ハートを開いて生きるか、とも言えるかもしれませんね。 「 私」って、人間として生きている、神様 なんじゃないかな・・・・そんなふうに感じています。話を最初に戻すと、事の真偽を問い詰めても仕方がないこと、特に言葉は真実の1割をも語ることはできないでしょう。まして人はそこから、どれだけのことを聴き取ることができるというのでしょう。言葉の向こうに、声なき声を感じてみる。その人の後ろに見えないものを感じてみる。そこにいて気持ちがいいからそこへ行く。会うと、ココロが洗われるからその人と会う。見ると、温かな気持ちになるから、それを見る。それ以外になにが必要なのでしょうか。ハートが喜ぶことを感じて生きる。それを一番大切にして、この瞬間を生きることがサイコウの幸せなのかもしれません。このごろ思うことを徒然なるままに書いてみました。言葉で真実を表現するのは、とっても難しいからY(>_<、)Y、と(単なる言い訳ですが)、わかりにくいところはどうぞお許しくださいね(=^^=)明日8月15日は終戦記念日、そしてアンマのお誕生日☆アンマに願い事をお祈りすることで、慈愛と祝福を受け取ることが出来ることしょう☆生きとし生けるすべての生命に愛と感謝をこめて・・・・・
2006.08.14
photo;clareyuko昼夜転倒気味の二男は,、塾の夏期講習(体験)をさぼりまくっている。昨日も早々と起きたものの「休んでいい?」と聴くので、「お母さんは最初から行かない方がいいって言ってるでしょ。好きにすればいいじゃない」と言うと、すまなさそうに「ごめんね、明日からちゃんとするから」とか言ってひとりでボールを蹴りに出かけていった。休む自分をどうも、だらしないヤツ、と思っているようだ。今回の塾の体験夏期講習。毎朝、行こうとするのだが、時間が迫ると、おなかが痛くなったり、ぼーっとしたりして、身体がいうことを利かなくなるらしい。行ってしまえば、それなりに楽しく過ごして帰ってくるのを自分でもわかっているので、そんな自分をなおさらもてあましてしまう。長男が小学生の頃、学校へ行けなくなったときと同じだ。ココロも身体も一応行くつもりで起きるのだが、玄関で靴をはこうとするところで突然身体が動かなくなる。魂は偽れない。人は自分をコントロールできないけれど、魂が自分を守ろうと頑張っているのだと私は思う。あるいは、そんなに大袈裟なことではなかったとしても、「そんなところ、行く必要なんてないさ」と、プレゼンスが微笑んでいるのは確かだ。塾へ行くことを望んでいない魂は、最初から行かないことに決まっているのに、心が無理やり行こうとして、葛藤しているだけなのかもしれない。長女も同じパターンだ。「夏期講習においで」と先生に誘われて、行き始めたはいいのだが、遅刻と欠席が続いている。今日も朝から起きて準備していたから、先生が喜ぶだろうなぁ、って思っていたら、昼近くまでのんびり準備して、そのあげく時間切れで、私がセッションから戻ったら、リビングで、、、、、寝ていた。。。(* ̄∇ ̄*) みんな気持ちが進まないことは無理してすることはないだろうに、それでもやろうとするところはエライのかもしれない。夕方仕事から戻ったら、今度は二男が、寝ていた(* ̄∇ ̄*) なんて素敵な夏休み(^.^; いつもとは逆に早寝早起きが続いている長男は、翌日は早朝から友達と壁打ちに行くらしく「7時に起きるからね」と言う。夜帰宅した夫は、せっかく朝起きたのに塾を休んで夕寝をしていた二男を横目で見ながら「寝るために起きるヤツもいるからなぁ」とやじった。寝転んでゲームをしていた二男は、思わずガバッと起き上がり「ありがとう!」とにこにこ作り笑顔で返した。夫は可笑しそうに「おもろいやんか、『さぁ、明日の朝は頑張って早起きして寝るぞ!』って。。。」それを聴いた長女「きゃははは~♪おもしろ~」と大笑いしている。さすがに私は「あんた、笑ってる場合?」とあきれると「きゃははは~、そうだった、人のことは言えん~」と益々大笑いしている。ノウテンキな娘だ。あぁ、幸せな子どもたちよ。優しいだけで、充分だよ☆どうかそのままで、いつまでもノウテンキでいてくれ~♪****************女神山でのひかりっ子くらぶKIDSに小中学生の天使ちゃんのほかにちっちゃな天使ちゃんたちも参加されることになりました。可愛い~!嬉しい☆楽しみー♪
2006.08.13
photo;clareyuko昨日久しぶりに前世療法の個人セッションを行なった。埼玉から車で余裕を見て8時に家を出られたのだが、うちに着いた時はなんと12時近かった。昨日の最高気温は34度。暑いなか、本当に申し訳なかった。そのお客様は先日某所でお会いして初めてお話した方だったが、過去生を見たいとおっしゃって、わざわざお電話をくださったのだ。私はトリシア・カエタノ先生から前世療法とインナーチャイルドヒーリングを学んだ。リーディングでなく、誘導によってご本人に過去生を思い出してもらうものだ。クレアという名前もその講座を受けているときに自分で見た、未来生の天使クレアのビジョンから借りたものだ。悲惨な状態の地球に降りて、人々の悲しみをつつんでいる未来生のクレアを見ながら、あまりの悲しみで私は涙がとまらなかったのだ。クレアは優しく微笑んでいたというのに。。。。 前世療法を専門にカウンセリングされている方もたくさんいらっしゃるので、そちらをお勧めもしたけれど、私のセッションを希望してわざわざ遠くから来てくださったのだ。セッションの始めに、必要な過去生を思い出させてくださいとアンマとバガヴァンにお願いした。そして終わりには、過去生ワークで得た気づきが更に深まり、これからのプロセスが進むように、パドゥカによるディクシャに願いをこめた。 人との出会いやふれあいの中には気づきや愛、感動がある。セッションを進めながら、私はその方と自分との間にある接点を深く感じていた。その方との温かなひととき、彼女の涙に思わず共感して涙ぐむ私がそこにいた。あっと思った瞬間、そんな自分を眺めているもうひとりの自分に気づき、涙は止まった。カウンセリングの基本はジャッジしないこと。そして、そこに境界線という言葉がある。私は境界線を飛び越えてつながってしまうことがたびたびある。けれど、すぐにプレゼンスの光を感じる。涙のむこうでプレゼンスが微笑んでいるのだ。これから先、私が彼女とどう関わっていくのかわからないけれど、あのひととき、確かに、つながって、支えあっているふたりがいた。私たちはいつも、助け合って生きている。人は皆、手をとりあい、光の道を歩いていく仲間なのだ。悲しい時は思う存分悲しめばいい。すべての存在に愛されていた幼いあのころのように。悲しんではいけないと思う心が苦しみを創りだす。どんなに悲しみの中にどっぷり浸かっていようと、いつかそれに飽きたら、起き上がり、そして歩きだす日がやってくる。 仲間が歩き出す姿は、誰かに勇気を与えてくれるかもしれない。翼広げて大空を飛ぶ姿を見て、私も飛ぼう、と思う人がいるかもしれない。そうだ!遠い昔、愛につつまれて、青空を自由に飛んでいたあのころを思い出すかもしれない。自分らしく、そのままで生きて、大丈夫。でも、無理しないで、ゆっくりで大丈夫。ひとりひとりが、そうなる日が必ず来るから。誰も傷つくことのない時代が、きっと。。。。今この瞬間にも☆
2006.08.11

photo;clareyuko人生という名のキャンバスに自由を描く愛を描くこの一瞬 ひかりっ子くらぶKIDSin女神山生命を感じながら親子で過ごす女神山での静かな時間すべての生命の愛しさと生きる喜びを感じるひとときを共にすごしませんか?と き 2006年8月18日~20日 18日午後1時受付、2時開始~20日午後3時解散ところ 女神山ライフセンター 長野県上田市野倉84-2 電話 0268-38-0777 38-9639参 加 費 中学生以上35,000円 小学生 25,000円 (2泊3日の宿泊費食費を含みます) 定員 5家族15人程度お問い合わせ、お申し込みはこちらへひかりっ子くらぶ
2006.08.10

photo;clareyuko このところ珍しく体調が悪く、昨日はとうとうダウンして家で寝ていた。血圧が低~く、身体に力が入らない。うとうとしていたら夕方、ふと目が覚めた。部屋全体がオレンジ色に染まっている。 荒川を臨むリビングは南西向きで全面ハイサッシの5面ガラスになっている。 いったいなにが起こったの?驚いて外を見ると空も川もオレンジ色に染まっている。前日の優しい青空がウソのように昨日は朝から雨が降りしきっていた。午後になってようやくやんだが、台風が近いせいか、空が低い。それぞれの言葉でひとりひとりに神の声が届いているのだろうか。自然の力強さの前に畏敬の想いでしばし佇んだ。
2006.08.09

photo;clareyukoひかりよいつもどんなときもそばにいてくれるやさしい、ひかりたちよ ★ レインボーーくらぶ~天使のセッション 8月11日(金) 10時30分~12時30分 自宅マンション集会室にて 参加費4000円 お問い合わせはこちらへ
2006.08.08

花火の妖精たち・・・・photo;clareyuko わたしたちはいつも 光と共に暮らしているわたしたちはいつも 神さまに見守られて暮らしている毎日起きる出来事それさえも、ただ、起きているだけこうしよう、あぁしようと思ってそうなったのかなそんなふうに思ったあなたっていったい、だぁれ結果がほしいって誰が思ってるのマインドはいつも 納得したがるねでも、大丈夫過去も未来も幻のストーリー急いでも、急がなくてもそのままの今がすべて 安心していいよあなたのハートのその奥でプレゼンスがにっこり微笑んでるから 8月18日~20日の女神山でのひかりっ子くらぶに向けて(というより、、、、女神山がひかりっ子の新しいスタートかな)kazesanがHPを創ってくれました。今を生きる私たちとすべての命を大切に☆あなたもひかりっ子の世界の創造に参加してみてね☆♪★ 噛みつかれるリク
2006.08.05

もうすぐ、花火、始まるよ♪・・・・photo;clareyuko 花火大会の夜光も集まり、共に踊る初めての花火の音に驚いたリク(キャバリア11ヶ月)はワンワン吠えた。リクは人が大好き誰かれかまわずしっぽふ振ってとびついてくる。 いつも誰かのそばにいる。私が台所にいると台所で寝そべる洗面所にいると洗面所で座っているソファに座ると膝の上の飛び乗って、顔をうずめて眠る そのうちに花火の音にも慣れて、静かに抱かれていた。 ☆。・゜゜♪・゜゜・。☆。゜・。♪・゜゜・。。☆ ★ リクはいつもいっしょ
2006.08.04
photo;clareyuko 富山へ行ってきました。いつもメッセージをくださる高山のタオ(道)さんが,松田先生を呼ばれてのディクシャ会でした。2年前、私が初めて受けたディクシャが松田先生のディクシャでした。先生のディクシャ会は2年ぶりということになります。しかも先生はミラレパの前世のワサナをつけていらっしゃいました。でも、過去生など、ワンネスの世界が訪れたら、消えてなくなる幻想となるだろうから、気にするほどのものではないかもしれませんね。それでも出会う人のすべて、また、このブログを読んでくださっている、まだお会いしていないどなたかとも、遠い過去に、共に過ごした共有の思い出があるのだろうと思うと、なんだか、ふんわりあたたかな気持ちにもなります。チャネラーでもあるタオさんはクリスタルでブレスレットなどをつくっていらっしゃいます。もっともタオさんに言わせると 「私が創っているのではなくて、アンマやバガヴァン、たくさんの神さまたちが私の手を借りて創っている」 のだそうです。タオさんはまだ会っていない私を想ったとき、<自由に大空を飛んでいたエンジェルが翼が折れて、泥まみれになって歩いてる>というビジョンが見えたそうです。「その悲しみがどうぞ溶けますように、天使のブレスレットを創るから、受け取ってください」そうおっしゃってくださいました。「ブレスレットができました。」とお電話をいただいてから、なかなか手元に届かないまま時が過ぎました。そして今回、初めてタオさんとお会いし、ずうずうしくもオンリーワンブレスレットをいただきました。この間、なんと4回も創り直されたとのこと。本当にありがとうございました。 富山では突然のメッセージに驚き、混乱していた私ではありましたが、こちらへ戻って、落ち着いてきました。天使の悲しみは、多分、タオさんがブレスレットを創り始めた頃から、とけはじめていると思います。ブレスレットをつけてからの私はどうでしょう。目に見える世界としては、これからのわたしの大きな変化となりそうな3つの出来事が起こり、私を驚かせました。けれど、多分重要なことは、目に見えない部分なのでしょう。いろいろと起きる出来事のなかでの、私のココロの在りよう・・・・それが波動となり宇宙の果てまで届くのでしょうから。そんな私にブレスレットがプレゼンスの声を聴く手助けをしてくれているかもしれませんね。タオさん、いつも私を見守ってくださり、ありがとうございます。世界がいつもが愛につつまれていることにひとりひとりが目覚めますように。。。。プレゼンスと共にすごしたいと思います。いつか自分自身がプレゼンスとして目覚める、そのときまで・・・・・
2006.08.02
photo;clareyuko 深川の水路を歩いていたら風にゆれて草が、花が、川面の波紋が優しく語りかけてきた「大丈夫、なんにも心配いらないよ」優しい風は私の髪もゆらしたすぐ後ろで力強い声が静かに聴こえてきた「大丈夫、いつもそばにいるから」私の瞳に涙がにじんだ
2006.08.01
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