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時間をはずした日の青い空・・・・・ photo;clareyuko金沢からの帰り、青空禅フォーラムに参加。高速バスが遅れ、初めての遅刻、瞑想の途中で入室した。その日のテーマは「あらゆる記憶はホログラムの原理によって身体に蓄えられている」という、一見難しそうなお話。けれど、これ、実は光のお話で、とっても面白かった。光を2種類に分けると、ひとつはコヒーレント光(同じ振動数、いそう、方向をもった光子のビーム)、もうひとつはインコヒーレント光(無秩序なバラバラな光)なのだそうだ。そして、自然はこれらの情報をホログラフィックにどうやって蓄えるかというお話なのだが、これが思ったよりわかりやすいお話。伊東先生のお話はいつも、私が今までバガヴァンから学んだり、また、感じたりしたことを医学や量子物理学の立場からわかりやすく解明してくれる。今回のお話も、私たち自身を光の姿として考えてみた時、私は思わず、なるほど、、、と納得した。これはあくまで私流の解釈にすぎないのだが、この場で簡単に説明すると・・・・・・・世界が光だとすると、私たちはその光(参照光)を受け取る時に、まっすぐな美しい純粋意識という光を受け取ると同時に自分というフィルターを通した光が体験する光(作業光)をも受け取る。そして二つの光の相互作用によってフォログラフィーはできあがる。ふたつの光が話し合う観照作用で、波と波のぶつかりあいの差が波紋となり記憶となる。だから、体験する作業光は、なるべくコヒーレントに近い秩序ある光であるほうが、体験を純粋な体験として(フィルターを通さず)体験できるというお話だ。ちなみに、ここにふたつの卵があるとする。ひとつは抗生物質の餌を与えられ、狭い鳥かごで飼われた鶏が産んだ卵。もうひとつは庭を走りまわり、自然の餌で育った鶏が産んだ卵。それぞれの光がどうなのか測定すると、、、、、、????環境が悪い鶏が産んだ卵はたくさんの光をバシバシ放っているそうだ。そして元気な鶏が産んだ卵は、ろうそくのようにぼんやりうす紅い温かな光なのだという。ところがこの光の中身を調べると、悪い環境で生まれた卵はバラバラの無秩序のインコヒーレント光を発し、良い環境で生まれた卵は美しいコヒーレント光を放っているのだそうだ。光って、、、なんだか不思議。でも、すべてのものが光という波を放っているんだね。私はコヒーレント光で生きるということを体験するほうががラクチンで、幸せだろうなぁ。。。。もうひとつ、願望実現の秘訣というお話もあった。願い事は、力まず、リラックスしたほうが達成する、というお話。脳は3層構造となっていて、まずは知性を司る大脳新皮質で、達成したイメージする。次に五感の記憶を司る大脳辺縁系で,、現在完了形で達成感、その感情を味わう。ところがここは大変原始的な部位で、逃げるか戦うかをここで判断する。なので、その願望を実現不可能と感じた時点で、人は逃げることを選択してしまう、と言うわけだ。う~ん、ディクシャは感覚をスローダウンし、マインドの力を弱らせて五感の働きを促す、、、、だから、願望実現がしやすくなるんだな。そしてもちろん瞑想もその手段として有効なのだろう。3つめは脳幹部。ここは生命維持を司る部位と言われ、はじめは爬虫類の脳などと言われていたらしいが、最近はあらゆる現実を創造し続けるフェアリーブレインとういう美しい名前で呼ばれるようになった。ここでまできてやっと人は体感、、、、つまり、達成感という情動がすべての細胞に届くまで味わい尽くすことができる。つまり、願望はフェアリーブレインにまで到達して初めて実現可能となると言うわけだ。伊東先生はここで声を大にしておっしゃった。たとえ願望を達成しても、次の願望がまた現れる。願望を達成したい「私」がいる限り、いつまでも平安は訪れない。達成しようとする己の本質を極めれば、達成ゲームから降りることができるだろう。アッパレ伊東先生♪そして達成したい自分が悪いわけでは決してない。人は飽きるまで達成し続けながら、また飽きるまで挫折し続けながら、そんな自分を見つめるなかに、自分という本質に気づき、愛しいまでに尊く感じるに違いない。そしてその時、すべての人もたまらなく愛しく思う自分を発見するのだろう。 ★ レインボーくらぶのお知らせ 8月1日(火)13時~15時 自宅マンション集会室 明日の夜は荒川の花火大会 うちのリビングから見えるよ♪
2006.07.31
photo;kazesan念願の女神山でのひかりっ子くらぶの詳細が決まりました。キッズたち、喜んでくれるかなぁ大人もキッズに帰って、大自然の愛を感じようね☆美しい自然の中で大地と空の愛に抱かれて優しい草や花と語り合い風のささやく声を感じ木々の緑とふれあい太陽の光につつまれ雲とオニゴッコ懐かしい星たちに見守られなんの心配もなく母に抱かれてた苦しみも怒りも知らずに微笑んでいた人を傷つけるココロをもたない生まれたばかりのあの頃の愛につつまれ愛だけを信じてたあの頃のわたしたちを想い出す優しいままで生きても大丈夫だよそんなふうに思える3日間をご一緒できれば嬉しいです。 大人と子どもが、共に感じ合うひとときひかりっ子くらぶKIDSなぜ生まれてきたんだろう。死んだらどこへ行くんだろう。幼い頃、そんな思いに耽ったことはありませんか。それがいつの間にか遠い記憶の果てに忘れ去られてしまいました。気がつけば、家族があり、子どもがいます。人はなぜ生まれて来るんだろう。そんな思いがいまよみがえってきます。 この世は不思議で満ちています。こずえで歌う小鳥たち、足下に咲く小さな野の草花、地中にひっそりと息づいているもっと小さな生き物たち。身の回りの自然をゆっくりと感じ直してみるとき、共にいる人と人も見えてくるのかも知れません。おかあさんが耳をすませて子どもの鼓動に気づくとき、ふたりの間に眠っていた何かを思い出すのかも知れません。 ひかりっ子くらぶは、そんな人と人の深く静かなふれあいの中から生きる本当の力が生まれて来るのだろうと感じています。静かな森の優しい雰囲気に包まれて、大人も子ども、親も子も、ともに感じあうひとときを過ごしてみませんか。 と き 2006年8月18日~20日 18日午後1時受付、2時開始~20日午後3時解散ところ 女神山ライフセンター 長野県上田市野倉84-2 電話 0268-38-0777 38-9639参 加 費 中学生以上35,000円 小学生 25,000円 (2泊3日の宿泊費食費を含みます) 定員 5家族15人程度 ガイド役 桝野正博 と 谷口祐子ひかりっ子くらぶは今フィールドへも飛び出して新 しいステージの始まりです。大人と子どもが、親と子がその垣根を取り払って、人と人としてほんのひとときでもふれあえたらどんなに素敵だろうと描いています。女神山でのプログラムは集ったみなさんの声も聴きながら進めますが、単なる自然体験で終わるものではありません。森で遊びながら、一歩ずつでも本当の自分に帰って行けたらと思います。kazesanからのメッセージ ぼくが子どもだった頃からまだ40年ほどしか経っていません。そのわずかな間のこの社会の変わり様はどうでしょうか。大人も子どももコンクリートの塊に閉じ込められ、自然からあまりに離れてしまいました。都会に限らず田んぼと里山に囲まれたぼくの田舎でさえ、子どもたちの遊ぶ姿に出会わなくなっています。 何かがおかしい。どこかが狂っていると多くの人が感じています。でもそれが大勢の動きなんだと諦めていませんか。原因を突き止めることは無用だと思います。ひとりひとりの心に眠っている自然を取りもどすことから始めてみればいいのだと思います。 女神山の森の妖精たちが導いてくれる世界で、もう一度自分自身を創り始めてみませんか。心の森、心の海、心の空。心が本当に求めている世界を暮らしの中にも創ってみたい。子どもたちといっしょに。それは決してぼくひとりの夢ではないと思います。
2006.07.30
時間をはずした日の光・・・・photo;clareyuko登茂枝先生のアトリエを出て、三田の仏教伝導センターへ向った。東京での2度目の大矢塾が夕方から開かれた。スジャイ・ジーへの質問を私は用意していた。魂とはなにか?そして魂の進化というものはあるのか?ワンネスのあともそれは続くのか?私は知りたかった。言葉は決して真実を語れない。けれどスジャイ・ジーが答えてくださったお話を、簡単に訳すと次のような感じだと思う。魂とは保存された体験サイクルのリサイクルである。ひとつの意識が集合意識となってたくさんの人に現れる。人はプレゼンスにふれることによって気づきが増える。気づきがないと、分離感や孤独感が生じる。そして進化とは本質に目覚めることである。そしてそれは個々の進化ではなくひとつの意識としての人類全体の進化である。 スジャイ・ジーのお話をききながら、私は魂とは分離感が生んだ概念、幻想にすぎない・・・・そう感じていた。 今私たちには、本当の意味での個々の幸せなど在りえない。私の寂しさが決して癒されないのも、そこに原因がある。悲しいばかりまでの、この分離感。。。。。自分を責める気持ちがひとりひとりにある限り、人を責め、傷つけあう。人は皆、自分らしく生きられるようにならない限り、自分を愛することなんてできない。みんながみんな、愛に目覚めたなら、その時こそ初めて、私もみんなも、満たされるという意味を実感できるだろう。ひとりひとりが自分が神であることに目覚める、きっとその時がやってくる。天使クレアはその日のためにわたしのところへやってきた。彼女の切なる願いである。子どもたちもまた、その日を待っている、大人を導くために生まれてきてくれた天使たちにちがいない。すべての人が愛に微笑む日がきっとやってくると信じて今というこの時を刻んで生きよう。。。。。
2006.07.27
photo;clareyuko今日はコースの仲間の登茂枝先生の「アトリエこころ」へ行ってきた。登茂枝先生は知る人ぞ知る中国占星術の権威で、クライアントさんの中には聞けばビックリの政界、財界、スポーツ界、芸能界の大物さんたちがたくさんいらっしゃる。しかも、どんな有名人の方からも一回2000円(初回のみ4000円)以上はいただかない。私は1年間ディクシャ会などでご一緒しながらも、先生のアトリエへお邪魔するのは、なぜか今日が初めてだった。満員のアトリエに入ってきた私を見て、前世で先生の息子さんだったというNさんというお弟子さんが声をかけてこられた。「あなた、チベットで長い間修行されてましたね」私はいつもチベットへ行きたい行きたいと思いながら、まだ一度も行ったことがない。「そうなんですか。。。。でも、まだ行ったことないんですよ」四十肩の痛みもあったので、優秀なヒーラーであるNさんのヒーリングを私は受けることにした。 あなたの三次元の肉体はその祖先のカルマを解消するためにあなたがその家を選んで生まれてきました。あなたなりの方法で良いので、先祖の霊を供養するといいですね。あなたの感覚や価値観は、家族にも理解されず、友達にも、社会にも受けいれられないので、これまで大変だったでしょう。あなたを理解できる人があまりに少ないので、あなたは今までずっとひとりぼっちで、頑張ってきたんですよね。本当はこの社会の人たちが50点、あなたは100点なのかもしれませんよ。でも、あなたを採点できる人がいないのです。あなたは間違っていると言われつづけてきたかもしれませんが、決してそうではありません。あなたは菩薩界から如来界へ行くために、必要な修行として、この人生を選んで生まれてきたのです。でも、、、、あまりにつらくて、くじけちゃったんですね。キリストは前世では帝王だったのです。でも、真理の追究のために、あのような不遇な境遇にあえて生まれてきました。そして、この世を去るときには、キリストはすべての人を許されたのです。自分を傷つけるのは、もうやめましょう。自分に100点満点をつけてあげてくださいね。そしてあなたを理解できない人たちを許すのです。今までは孤独だったかもしれませんが、あなたと同じ思いの人は必ずいます。もう会っているのではないですか。その人たちと力を合わせればいいのです。ミラレパという聖者がチベットにいました。彼は後にチベット密教の聖者になりましたが、もともとは魔術師でした。彼には妹がいましたが、貧しい上に魔術師の妹ということで、誰にも相手にされず、孤独で不遇の女性でした。けれど心はいつも青空のように澄んで、そして彼女もまた、真理を究めた方です。前世のあなたです。私はミラレパという聖人さえ知らなかったが、Nさんが話し始めてからずっと涙が止まらなかった。私は悲しみや憎しみばかりのこの社会に生きるのが苦しかった。私はきっと誰かに許してもらいたかったのだ。世間の人たちに受け容れてもらえない自分が、自分自身のままで生きていってもいいのだと、誰かに認めてもらいたかったのかもしれない。私は生まれて初めて受け容れてもらった子どものように、涙が次から次へとあふれ、まるで永遠に止まらないかのように泣き続けた。自分の悲しみをわかってくれる人がいた、という安心感に、わたしは深いところで慰められていた。幾転生の人生で、ずっと耐えてきた悲しみがあふれてきたように思えた。身体中から力が抜けて、一歩も動けなくなった。 Nさんに抱きかかえられて部屋を出て、まだなき続ける私を登茂枝先生が抱きとめてくださった。そして、「よかったね、私も嬉しい」と言って泣いてくださった。お昼を食べて、電車に乗っても、まだ涙は止まらなかった。私は愛されたかっただけだ。涙と共に、悲しみが溶けていくのを感じながら、私はすべてを許すというよりも、みんなと助け合いながら、この世に生きる苦しみから、すべての人と共に解放されたいと願っていた。
2006.07.23
photo;clareyukoMキャプテンの船に乗ってきた。乗船した仲間は女性ばかり。しかもひとりひとりが私とつながりのある方たちだった。人は過去の記憶のフィルターを通してものごとを判断しようとする。そしてまた、言葉は決して真実を語ることはない。私はいつも人の言葉を丸ごとそのまま信じて受け止めてきた。しかもご丁寧に分離を感じさせる言葉を聞き逃さない。というか、思いっきり、そこにばかりフォーカスしてしまうのだ。そうして、その言葉の向こう側の、架空の世界にありもしない幻のストーリーを創り出す。その先に待っているのは、限りない自己否定だ。私はダメ人間、変らない限り、生きてる価値がない。自分を責め、人を責め、そしてクタクタになる。また、怒りや攻撃を受けると、あっさりダウンしてしまう。そうして生きることから逃げ出したくなる。なんだか、胸が痛むことばかりなのだ。 そんな私もこのごろになって、ようやく開き直ってきた。いいじゃん!私の何が悪いの?かまわないで!どう生きようと、私の自由でしょ ☆ 悲しみが怒りに変りなんだかバカバカしく思えてきて可笑しささえこみあげてくる。そして、力がぬけて自分が愛しく思えてくるのだ 。それでもまだ、誰かの言葉に振り回されたり胸を痛めたりする自分がいる。 う~ん。。。。どうやらまだ、自分の中の記憶のフィルターを探り自分を傷つける、幻の正体を発見する必要がありそうだ。その正体を見つけたら、幻をそっと抱きしめて虹の彼方へかえしてあげよう ・・・・新しい出航の朝に青空へかかる虹の彼方へ☆
2006.07.22

photo;clareyuko うわぁっ 、、、雨!水たまりに アスファルトに 跳ね返って踊る雨 ひとすじひとすじが喜びにはじけてる♪
2006.07.20

photo;clareyukoVOICEのセミナーに3日間スタッフとして参加してきました。たくさんの出会いと感動をありがとうございました。ギックリ腰で途中からワークに参加できなくなったIさんは、昨日ご主人がお迎えに来られて広島まで車でお帰りになられましたが、今朝無事、自宅に到着されたと、ご本人よりお電話をいただきました。心配されていらっしゃった皆様、どうぞ安心なさってくださいね。 最終日のリバースのワークはプレゼンスの子宮に戻り、光の子として生まれ変わるワークです。アンマのおなかから新しく生まれる、という方が多い中、今回私のプレゼンスはアンマではありませんでした。プレゼンスはいつもいろんな姿で現れます。眩しい光だったり、暖かなぬくもりだったり、頬をなでる優しい風だったり、静寂という名の、声なき声だったり、またバガヴァンだったりアンマだったり、、、そして時には友の微笑みだったり、またあるときは私の姿をした、笑顔のプレゼンスだったり。。。。微笑みのプレゼンスゆうこは今年になってから時どき現れるようになりました。あるとき彼女は赤ちゃんを抱いていました。その子は生まれたばかりの3歳のインナーチャイルドゆうちゃんでした。そして昨日のリバースで、彼女がまた現れました。私はなんと、プレゼンスゆうこの子宮に宿り、そして彼女のおなかから光の子としてリバースしたのです。その瞬間、私は、プレゼンスゆうこが自分そのものなのだと感じました。新しく生まれた私も、私を宿したプレゼンスも、同じ存在だったとわかったのです。以前にも、自分が光であり、アンマもバガヴァンも光、宇宙も光、すべてが光であり同じ存在なのだと感じたことがありました。でも、「感じた」という生きた感覚は、いつのまにか「理解」という過去の事実に変っていました。けれどまた、昨日のリバースのワークのなかで、プレゼンスとしての自分の体験が甦ったのです。私の目から涙が流れていました。そこにいるすべての人たちもまた、プレゼンスとしての自分の存在に目覚め、誕生を喜びあい、感動をわかちあったひとときでした。 セミナー中に一度だけ写真を撮りました。たくさんの光が写りました。その時の写真を皆さんにお分けする約束をセミナーの中でしました。以下に公開しますので、ご希望の方は お名前 ご住所 お電話番号(あればメールアドレス) ご希望の写真の番号をご記入の上、こちらまで、お送りください。一枚300円で郵便振替用紙を同封してお送りいたします。このところ忙しく、北陸に出かけたりもしますので、お届けは多分月末近くになると思います。どうか、気長にお待ちいただけると嬉しいです(=^_^=) 。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 ☆ レインボーくらぶのお知らせ *21日(金)10時~12時 *22日(土)10時~12時 自宅マンション集会室にて 参加費4000円 事前にお申し込みくださいませ☆ 今日の個人セッションにて ☆。・゜゜
2006.07.18
photo;kazesan初夏の秩父、上江洲先生の会へ行ってきた。先生はいつも、自分が神であることを思い出させてくださる。今日も病は概念、私たちは神の完全さのみを受け継いできている、というお話をされた。現象世界は針の先ほどの小さな世界その後ろにある生命の輝きこそが宇宙真理である。花の後ろにも、人の後ろにも、すべてのものの後ろに永遠の美しさがある。先生は沖縄にお住まいの時、真栄田岬での明想中にすべては美しき天使たち無限に飛びたつ美しき天使たち、、、、人や生き物だけでなく、花も石ころも天使である。とのメッセージを受け取られたということだ。 私は正しい自分が自身を傷つけてきたと気づいた。いい人でいることや、無条件の愛への憧れ、執着を手放すことなど、自分が望んできたすべてのことが、突然バカバカしくなっていた。そのままでいいって言ってたのに、変化を望むことは、葛藤を生むだけだと知っていたはずなのに、なぜ、いつのまにか、頑張っていたんだろう、と思った。 正しい自分って、なんだろう。それは、三次元のこの世のルール?嫉妬や怒りのない自分?あんなにも憧れた無条件の愛の自分?誰にも愛される自分? では、宇宙真理における正しさって、なんなんだろう?上江洲先生に聞いてみた。 宇宙真理における正しい生き方とは、人を傷つけない、神としての完全な生き方である、と先生は言われた。身口意、、、、表現(行為)、言葉、思い(ココロ)、すべてが神としての完全に生きること。真我として、完全と愛と慈悲に生きることだと、言われた。 私は「正しい自分」に囚われて、偽りの自分を生きるのは、もうやめた、と思ったけれど、言葉で、思いで、人を傷つけることがあってはならない、、、、あらためて、そう感じた。 先生のヒーリングの順番がやってきた。先生はアジナチャクラとハートチャクラを中心にヒーリングをされる。先生のヒーリングは魂のよごれ(カルマなど)を癒す、愛のヒーリングだ。ヒーリングを受けていると、自分がすーっと、クリアになっていくのがわかる。今日はハートへヒーリング中に胸が温かくなってきた。すると先生は、「今、実相世界へ行きましたね。けれど、一瞬の思いがよぎったために、戻って来られましたね。自分でわかりましたか」と言われた。私は、なんとなくわかっていた。けれど、いつも私をこの三次元に引き戻す思い、あるいはブロックが何なのか、それはわからなかった。いったい、何なんだろう。。。。疑い?執着?罪悪感?すべてを神に委ねて、どんな自分をもそっと感じてあげたいと思った。 明日からVOICEのセミナーのため、3日間富士へ行って来る。出会い、ふれあい、気づき、、、半年ぶりの集中セミナー参加だ。自分が、そしてすべてが愛であると感じるひとときを富士の麓で過ごしてこようと思う。
2006.07.14
photo;clareyuko二男が友達に誘われて、新しく出来た塾に行きたいと言って来た。長女も長男も塾には行っていない。これまでも二男が行きたいと言っても、いつも反対してノーの返事ばかりしてきた。進学塾の競争のエネルギーの中に、純真な子どもを置きたくなかった。けれど、今回ばかりは、まぁ、夏期講習だけならいいか、、、と、子どもに言われるままに説明会に足を運んだ。建物に入って、説明を聞いているだけで、私は息苦しくなってきた。学校へ行けなくなった長男の気持ちがわかるような気がした。そして、二男がこの空気の中でやっていけるのかと、心配になった。私は小学校からそして大人になって就職してからも、遅刻ひとつしたことのない真面目人間だ。(そのくせ、いまだに遅刻の夢を見る)これは決して自慢できることではない。堅い、融通のきかない人間だったのだ。けれど、そんな私も幼稚園の頃は行きたくなくって、いつも泣いて、そして母の背に負われて涙ながらに園に通ったのだった。なんのことはない、私は幼少の頃からの、立派な不登校生、不登校の大先輩、先駆者、元祖不登校・・・だったのだ。ただ、小学校に上がってからは、愛されたくて、一所懸命いい子を演じていただけだ。生きることが楽しくてしょうがない、といった具合に育ってきた人たちには信じらがたいことかもしれない。けど、私のような人間は案外多かったりもするのだ。今日レインボーくらぶに来られた方に、「最近正しい自分が自分をどんなに傷つけてきたかに気がついて、なんだか、やーめたって、感じで、開き直ってきちゃったんですよ」って言うと、ひとりの方が「あ、ボクもオンナジです。わかるなぁ、それ、ここんとこ、そんな感じだったんですよ」と言われた。私と似たタイプの人は私が開き直ると一緒につながって開き直ってくれるらしい。なんか、よかったな~って感じで、もっと開き直りたいなぁって思った。話が飛んだが、今日は三者面談。二男は時どき学校を休むので、そのことも言われた。彼は部活でクタクタになっても、そのあと海老釣りに行ったり、プールに遊びに行ったり、家で勉強することは殆どない代わりに、世の中学生と同じように、ゲーム三昧、漫画三昧で夜更かしするのだ。その結果の寝不足で休むのか、はたまた友達関係の嫌なことがあったりして休むのか、どちらにしろ、行きたくないときは行かなくいいではないか。だけれど、義務教育の先生の立場ではそうはいかないらしい。そしておまけに、今日はガラスの請求書まで戴いてきた。終礼のスキに友達をオブって飛び回り、扉のガラスを割ったのだ。褒められたり、怒られたり、さんざんの面談のあと、暗くなるまで部活、そして今日初めて塾というものを二男は体験してきた。帰ってくるなり「息苦しかった。Kがいっしょだったから、いられたけど、ひとりじゃ、あんなところにいられないよ」「やっぱそうだったでしょ。。。無理しないで、まぁ、体験だけにしておけばいいよ」世の子どもたちの殆どが行っている進学塾。私はなんだか子どもたちがかわいそうになってきた。そして大人たちも、、、と思うとせつなくなってきた。 *******************************★ 第10回ひかりっ子くらぶ~天使の親子のディクシャ会とき 7月30日(日)10時~16時場所 タワーホール船堀 4F 第1和室参加費 参加費 18歳以上7000円 小学生~18歳未満3000円 未就学児は無料 第9回ひかりっ子くらぶ以来、親子のためのディクシャ会を開催しております。大人も子どもも、それぞれが親子関係の中にあるトラウマを解放しながらひとりひとりがDivine Presenceとしてふれあう永遠のつながりでこの人生を旅していくためのディクシャ会です。 子どもたちがトラウマから解放され、スワダルマ(生涯の仕事)に目覚めるように。。。。大人の私たちも両親との人間関係を整え、そして子どもたちとの間に作られてきたかもしれないチャージを解放していきます。親子共にプレゼンスの絆を深め、プレゼンスと共に光の道を歩いていけるよう愛と光のひとときを過ごします。 お子さんがいらっしゃらない方で、両親との人間関係を整えたい方、 また、インナーチャイルドをいやしたい方も どうぞお気軽にご参加くださいね。
2006.07.13

photo;clareyuko二男のサッカーの試合を久々に連日観戦した。中学3年生最後の大会なので、私もできるだけ見に行こうと思った。区の大会の初日、球技場まで自転車で応援に行った。ママたちがたくさん見に来ている。息子は「お母さんのことをこんなにありがたく思ったことはないよ、ありがとう」と言って喜んだ。つまり、暑い中、ドリンクは買ってくれるし、着替えは持って帰ってくれるし・・・・ということらしい。実は私のほうも、泥だらけのユニフォームを少しでも早く持って帰って翌日の試合に間に合うように洗濯しておくと楽なのだ。本当に、毎日暑かった。見ているだけで、日焼けし、ぐったりするのだから、グランドを泥だらけになって走り回る子どもたちの疲れは相当だ。それが日に2試合続くこともあるのだから、私には気が遠くなる話だ。そのうえ息子はワントップだったりするので、グランドを縦横に走り回り、もうクタクタになるようだ。嬉しそうに喜ぶ息子に気を良くした私は、とうとうトーナメントを3日連続観戦した。地区大会をクリアし、ブロック大会の土日はリーグ戦なので、一日に2試合ずつ出場する。鞍馬から夜行バスで帰った日曜は、午前午後と2試合連続で観戦した。 罵声のようにも聞こえる声が飛び交う中、何度も転び、ぶつかりあい、泥だらけになりながら、そしてゲガで傷だらけになって頑張っている息子を見ていると、母親として少し胸が痛んだりする。競争や勝負事はキライな私のはずなのに、こんなに頑張ってるんだから、なんとか勝ち進んでほしい、と思ってしまう。そしてみんなの願いがかなって、都大会出場が決まった。キャプテンでもある息子は本当に嬉しそうに、みんなと抱き合って喜んでいた。先生も嬉しそうだった。私も嬉しくなった。 子どもたちはとっても可愛い。イレブンのメンバーの中にはひかりっ子くらぶキッズに参加して、自然の中で遊びたいという夢を絵に描いてくれたJ君もいて、とびっきりの笑顔を見せてくれている。 あれから半年。kazesanとクレア、それぞれのキッズ編に向けての準備は少しずつカタチになってきた。そして夏休みの8月18日(金)~20日(日)、いよいよ長野県の女神山ライフセンターで、「ひかりっ子くらぶキッズ~大人も子どもも森で遊ぼう」を開催することを決めた。女神山は美しいところだ。美しい林の中、聴こえるのは鳥のさえずりだけ。夜には遥か悠久の天の川を眺め、ろうそくを灯した森のお風呂に入る。そこにいるだけで、自分が自然の一部であることを思い出させてくれる、不思議な場所空間だ。しかもケイコさんとスタッフの皆さんが創る手料理がまた、とびっきり美味しい♪ そんな美しい場所で、それぞれがふれあい、感動をわかちあう優しいひととき。。。大人も子どもも、生まれてきてよかった、、、と感じられる、とびっきり素敵な3日間を、みんなで創り上げたいと思う。女神山での愛と光につつまれたひとときをkazesanとクレアと一緒にあなたも過ごしてみませんか♪ ☆「ひかりっ子くらぶ」 7月30日(日)10時~16時 もヨロシクね♪☆レインボーくらぶは 7月13日(木)10時30分~12時30分 7月18日(火)10時~12時 自宅マンション集会室にてディクシャ&セッションを行ないます 参加費は4000円です
2006.07.11

photo;clareyukoこんばんは☆年に一度のグルプルニマの夜。今日はふたつのディクシャ会に参加。聖なるひとときを過ごしました。 光カードたちへも シャバーサナへも 降り注ぐ光スマラナディクシャで 降り注ぐ光たちところで中村光也君のママは7日帝王切開で3人目を出産されました。7月7日は光也君の8回目の誕生日だったんですよ。生まれた天使の名前は律由(リツユ)君。3272g元気な男の子です。翌日の8日にはもう文字盤でお話できたそうです。典子ママが「生まれてきてくれてありがとう」と言って、ちっちゃなおててを持ったら、文字盤で「はい」を指したそうです。看護婦さんがきたので、そこでやめたら、もっとお話したかったみたいで、大泣きしたそうです。すごいなぁ。。。子どもたちは皆天使。生まれたばかりでも、耳を澄ませば、ちゃんと心の声が伝わってくるんだろうな。特に、ママとあかちゃんは強い絆でつながってるんだもんね。ココロの声がママにいつも届いていたら、子どもたちも安心、嬉しいだろうね♪ちなみに生後半年で文字盤でお話を始めた妹の涼日花(スピカ)ちゃんは2歳を過ぎた今ではお口でぺらぺら、文字盤はもう卒業みたいです。クレアが初めて、光也君に会ったのは2年と3ヶ月前。「お会いしたかったです。自分を責めないでね。それから、お金のことは心配しなくて大丈夫だよ。・・・・」と、言われて、なんでみんなわかっちゃうの~って、涙があふれてとまりませんでした。光也君はすべてを知ってるんですね。そして、必要なメッセージをきちんと届けてくれます。私はその日から、一週間は癒されモードが続いていました。 う~ん、誰に似てるかな~?以来、中村家には家族ぐるみでお世話になっています。 関東にお住まいの方はぜひ、光也君のドーマン法プログラムのお手伝いにご参加くださいね。可愛い3人の天使たちに会えますよ☆
2006.07.10

photo;clareyuko8日京都は鞍馬寺へ行ってきた。先月神戸で行なわれた親子ディクシャで出会ったギバーの方々にお誘いいただき、イソイソと京都まで出かけてきた。以前、京都2年間、そして高槻に5年間、また京都に3年間、と暮らしていたことがあって、京都は馴染みの土地なのだが、鞍馬寺には行ったことがなかった。出町柳から叡山電鉄に乗り換え、鞍馬山へ向かう。緑のアーチの中を電車はゆっくりと走る。終点の鞍馬で降りると、もうそこは空気が違うように感じた。山々の緑が美しく新鮮だ。山門をくぐり、やはり美しい緑のアーチの中、石段をず~っと登っていく。行きは100円でケーブルに乗ってみた。今日は曇り。時折キラキラ陽がさし、そして涼しい風も頬をなでてくる。ひんやりとした山の空気を満喫しながら、緑の林の道を歩いて登る。入山料は200円。いただいたパンフレットには次のように書いてあった。 鞍馬山の信仰は、尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、ついには尊天と合一するために、自分の霊性にめざめ自分に与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく生きてゆくことにある。宗派にも国境にもこだわることなく、ひとりひとりの真の目覚めと、共に生かされている万物の調和を祈るのである。(尊天とは「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギーであって、そのはたらきは愛と光と力となってあ現れる)宗教などというものが生まれるもっと遥か遠い昔から、私たちが宇宙に生かされて、宇宙生命と一体であることを忘れないように、大自然のなかに神聖な信仰というものが存在したのかもしれない。 本殿で、ゆっくり過ごして、更に奥の院まで登っていく。奥の院魔王殿には650万年前、金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司る護法魔王尊が奉安される。 ここで静かに座っているとさらに静寂の心地よさで時間を忘れる。 私は鞍馬山がすっかり気にいってしまった。下山して、冷たいかき氷を食べて、名残惜しい鞍馬の地を跡にした。そのあと、時間が少しあったので、teerthが始めたサルサ・バー「ゾルバ」でSheelと再会。彼とは去年の天河神社以来だった。私は鞍馬と天河には、なぜか同じ神聖さを感じていた。 どちらも、また訪れたい場所だ。案内してくれたじんこちゃん、ありがとう。誘ってくれたネーネー、ありがとう。急にこれなくなった潤子ちゃん、きっとまた会えるね。風邪でこれなかったSさん、祈ってくれたおかげで、雨降らなかったよ。ありがとう、早く風邪治るといいね。 teerth、美味しいコーヒーと、ありがとう、海老も美味しかったよ♪ 雨のなか、迷子になりそうな私を雨の中、地下鉄の改札までわざわざ送ってくれたSheel・・・おかげで、バス、間にあったよ、ありがとう☆ 優しい仲間たちに出会えて、とっても幸せです☆ ありがとう♪ 明日はきゅりあんでいやしの村のディクシャ会。そして夜は4月のコースの仲間たちとのディクシャ会です。 7月10日は、年に一度のグル・プルニマです。代々のマスターたちに感謝の意を表し、祝います。バガヴァンは 至高のマスター、グルの中のグル、ナラヤナン(最高人格神)の化身と言われます。グル・プージャをした後、参加した皆様に、最も強力と言われるスマラナ・ディクシャを数回します。直接頭に手を載せるスパルシャ・ディクシャも何回かします。ワラ(願望成就)もやりたいと思っています。7時位までにいらしてください。ディクシャで代々のマスターたちを呼びます。皆様は、瞑想状態で深い体験をして頂きます。感覚機能の処理スピードのスローダウン、世界平和の祈りのディクシャも考えています。花、果物類は、基本的にこちらで用意しますので、手ぶらでもOKです。ところで、プルニマは、満月を意味しています。グルプルニマは、毎年7月の満月に祝います。インドでは、11月のマハ・ラクシュミの日に次ぐ位、重要な日です。修行者には、一番重要な日とも言えます。特別な日です。素晴しい体験が期待できます。是非、お時間ありましたら、いらしてください。★7月10日(月) グル・プルニマ・ディクシャ会★開場午後6時、6時45分頃からグルプージャ ★場所 セシオン杉並 第4、5和室 杉並区梅里1-22-32★交通 新宿駅から8分位、丸ノ内線東高円寺駅徒歩5分、新高円寺駅徒歩7分(環七高円寺陸橋から方南町方面向って百m右側)★参加費3000円 (花、果物など1個づつ位持ってきて頂いても結構です。
2006.07.09
photo;clareyuko・・・・太陽もまた私たちを見守る大きく暖かな光自分を偽って生きるのは、やめよういつもそう思ってきた。いやだなぁって思うことは、やんなくていいよ人にはそう言ってきた。 けれど、私は自分らしく生きることが出来ないでいた。人からなにかを言われると、そうしなくてはと、頑張っていた。人からなにかを言われると、そうできない自分を、責めていた。自分の気持ちをすみっこに追いやって人に合わせることばかりを考えていた。 パターンから解放されたいと願ってやまなかった。なにかに囚われる自分を手放そうと頑張った。今の自分を受け容れることができないでいた。いい子にならなきゃ、、、、と自分を苦しめていた。私は愛されたかったのだ。ひとりぼっちが怖かった。私は傷だらけになっていた。もう限界を感じた。。。。。。 もう、いいよ。なにもかも失くしたってもう、いい。もうすでに、失っているのになにをこだわってるんだろう。こんなに傷ついて疲れきっておびえてクタクタなのにこれ以上、どうすればいいというの?もう、いいじゃない。 なんだか、自分が頑張ってることのすべてがバカバカしく思えてきた。 私は、今まで、ウソをついていた。でも、もう、無理をするのをやめよう。 ダメな自分でいいじゃないそのままの自分の、なにがいけないの?いいジャンそれもプレゼンスがしていること人の言うこといちいち気にすることないよ傷ついたら、泣いたって傷つけられたら、怒ったって人を責めたって自分を責めたっていいじゃない 愛されなくても自分にウソついて自分を傷つけるよりは・・・・・ひとりぼっちになるなんて幻想だよどのみち未来なんて架空の世界バカバカしいよそんなことにふりまわされてクタクタになってるなんてもういいよ疲れたねそんなことを心配するより今このときを大事にすればいいんだよ なんだか、すっきり♪笑えてきた。。。。気持ちが軽~く明るく爽やかになった☆
2006.07.06

photo;clareyuko・・・・オカリ座の夜、ゆっくり流れる光 言葉の向こう側に優しいココロ見つけたのは あなたの優しさあなたの愛そして、新発見!先日午前中、埼玉から車で来られるIさんの個人セッションを行なった。その日は道が空いていたということで30分早く着かれた。準備がまだ終ってなかったためにフォトカードを飾ることができなかった。光のカードを並べていると、なんだか気持ちが爽やかになってくるのだ。ところが、カードを飾らなかったためか、何度シャッターを切っても、その日は小さな光が写るだけ。(ありがとう☆小さな光さん♪)午後の個人セッションではいつものようにカードを飾った。すると光たちはいつものようにいくつもやってきた。なんと、光たちは光のカードを飾ると喜ぶみたい♪そういえば、前日のディクシャ会で最後に撮った記念撮影は何度撮っても、たまゆらが写るばかり。カードを飾らなかったからかもしれないと思った。。。。 午前のセッション 午後のセッション
2006.07.04

photo;clareyuko 6月の青空禅フォーラムに一郎パパ(中村光也君のパパ)とふたりで参加した。今回は新しい人が多くて、ドクターである伊東先生の、医学から、そして量子力学から見た、私たちの身体の実体についてのお話をわかりやすく解説してくださった。この時代はすべてが固体から液体へそして空間へとシフトして行っているという観点から、抵抗の医学から共生の医学へ移り変わりつつあるというお話だった。ココロも肉体も昔は外と分断された固体として分析されていたが、実は開かれた、自由自在のものなので、たとえば、肉体はONとOFFが繰り返し点滅し、生きているものだと捉えると、OFFの状態で奇跡の書き換えが起こり、不治の病が治ったりする。またココロも、喜びの種を育てれば、不安や怖れは消そうとしなくても逃げて消えていくということ。そして、以前にも紹介したことがある、肉体とは空間であるというお話である。肉体は液体であるけれど、原子レベルで見ると99.9999%は空間であるという事実についてである。そしてこの0,00001、10万分の1の原子の実体も、実は回転するエネルギーであるという。古代インドでは宇宙はリーラ(神の戯れ、遊び)だと言われた。ひとつひとつの回転が速すぎて、互いにぶつかると固体と勘違いして、分離感が生まれた。つまり、遊びすぎて空間であることを忘れ、固体であると思い込んでしまった、というわけだ。だから、私という実体は実はない。そして考えや気分はもちろん、私ではない。反応として生まれる単なる一時的思考である。そのことに気づけば、2次的思考から3次的思考、と無限に続くマインドの罠から解放される。無でありたいというマインドの罠にひっかることはない。自分自身が青空という純粋意識であることに気がつけば、生まれては消える雲を静かに感じているだけ。どんなに雲が流れていようとその向こうにはいつも美しい青空がある。そしてさらに遥か向こうには美しい宇宙がある。肉体の目という高性能レンズを通して世界を眺めているのは私ではない、誰かであることを常に問いかけて生きよう。伊東先生への質問メールにお返事をいただいた。パターンも感情も終わりはありません。実体もありません。 それを失くそうとか、止めようとか思って見ること自体、すでに囚われているので、よけいに苦しくなってしまいますよ。ですから、どのようなパターンも思考も感情も 私ではないとはっきりと気付くことがなにより早道です。(略)人生は神秘ですよ。解くべき問題など一つもありません。神秘は解けないから 神秘というのです。気楽に生きましょうよ。苦しんでいるパターンや感情ですら 神我が生み出しているのですから。何も問題はありません。 同じ道を行く兄弟として、愛をこめてリーラ。。。。そう、なにも深刻になることはないのかもしれない。先生のお話を聴いて、今日も私のココロに青空が広がっている。生まれては消える雲の向こうで青空のココロの天使がにっこり微笑みかけてきた。
2006.07.02
photo;kazesanMキャプテンのディクシャ会に参加した。彼の誘導で「ダメな自分」の正体を追った。私の自己否定の向こう側には、人の言葉に傷つく自分がいた。愛を求める私は、もっと愛されるために、もっと、もっと、正しく生きる道を選択した。そして、努力した。そしてできない自分を責めた。幼い頃から、それを繰り返し、そして、それは今も続いていた。次に「正しさ」にフォーカスした。すると、右腕がズキズキ痛み出した。あまりの痛さにうめき声をあげそうになった。ここ10日ほど、右肩の痛みがどんどんひどくなって、夜もゆっくり眠れない日が続いていた。とうとう洋服の脱ぎ着を子どもに手伝ってもらうまでになっていた。肩の激痛だけでなく、右腕全体が痛み、掌がむくんで腫れている感じだった。「正しさ」にフォーカスし始めたとたん、その右腕が突然痛みだしたのだ。「正しいなんて、ないんだよ」っていつも言って来たはずだったのに、正しく生きようとして、自分をいつも傷つけてきたのだった。私の右腕は「正しい考え」が苦しくて悲鳴をあげていた。「正しい自分」は自分を一番傷つける。私の胸も痛み、傷ついていた。涙があふれてきた。仲間たちの前で、泣きじゃくりそうな自分を必死に我慢していた。あふれる涙はとまらなかった。。。「とっても無理してるよ、自分をもっと労わって、大切にしないとね」Mキャプテンが痛む腕をヒーリングしてくれながら、優しく言った。自分を偽って生きるのはやめよう、そう思ったはずだったのにまだ、そんなに無理してたなんて・・・・涙が静かに流れていった。帰りの電車はゆうちゃんとふたりだった。「最近調子はどう?」「自分を偽っても傷つくし、自分のままでも傷つくし、どっちもできないで、今、つらいかも・・・」「だって、、、ハートがとても痛いんだもん。だいいち右腕のラインはハートそのものなんだよ」ゆうちゃんはそばにいるだけで、私以上に私の痛みを感じてしまう人だ。右の掌に愛のエネルギーを注いでくれた。 そのままの自分だろうが、偽りの自分であろうが、たとえどんな自分だろうと、傷ついた自分を労わろうという思いがわいてきた。 どんな自分をも愛しく思って、ちゃんと見つめてようと思った。愛と優しさを感じた一日。人に必要なのは愛だけなのだと感じた。
2006.07.01
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