《櫻井ジャーナル》

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2009.06.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 無期懲役が「確定」していた受刑者が釈放された。1990年5月12日、足利市のパチンコ店駐車場にいた4歳(当時)の女児が行方不明になり、その翌日に渡良瀬川の河川敷で全裸の遺体が発見されているが、この事件で「犯人」とされた人物である。

 弁護側が求めていたDNAの再鑑定が実施されて誤審だということが決定的になり、東京高検は再審の開始を容認する意見書を東京高裁に提出、刑の執行を停止することを決めた。ここで無罪を認めた方が検察の受けるダメージは小さいと判断したのだろう。本来なら、もっと早く釈放されて当然なのだが、裁判所が拒否したことで遅れていた。

 足利市では1979年と1984年にも同様の殺人事件があり、とりあえず、栃木県警は「犯人」を逮捕する必要があった。県警幹部にしてみると、事件が未解決のまま推移すると出世にも影響する。そこで、近所の人から「怪しい」と名指しされ、勤め先である幼稚園の園長から「子どもを見る目つきが怪しい」と言われ、パチンコ好きでアダルト向けを含む多数の映画ビデオを持っているSが目をつけられた。Sを逮捕した後、県警は「市民を恐怖に陥れた幼女連続殺害事件の全面解決」を宣伝している。

 足利事件に限らず、逮捕、起訴、判決に疑問のある裁判は少なくない。なぜ逮捕されたのかわからない事件、捜査官が証拠を捏造した可能性の高い事件もあるが、それでも死刑や無期懲役が言い渡されているのが実態。冤罪を訴えていた人物が処刑されたケースもある。今回の釈放は、DNAの再鑑定でSの無罪を示す証拠を検察側は突きつけられ、追い詰められた結果。こうした決定的な証拠がなければ、これからも冤罪は放置されるはずだ。

 ここで日本の警察や検察に「自浄能力」を求めるつもりはない。警察や検察は「人を見たら泥棒と思え」という視点から人々を見るわけで、警官や検察官の善意を信じたとしても、見方は一方的で、判断を間違えることがある。逮捕、起訴した人物を有罪にするため、被告に有利な証拠を隠すことも珍しくない。だからこそ、別の視点から事件や容疑者を見る人間が必要になり、弁護人がつくわけだが、足利事件では一審の弁護人が検察側の主張を鵜呑みにして有罪を認めている。

 裁判官が信頼できないことも足利事件は証明した。善意の判事でも間違いはあるが、日本では強者に弱く、弱者に強いのが裁判所の現実。行政の暴走が止まらない一因はここにある。政治犯の場合、裁判官と検察官は一体の関係になりがちだ。裁判が公開を原則にしているのは、そうしたことを先人が知っていたからであろう。

 事件が起こり、警察が容疑者を逮捕し、検察が起訴した時点で日本のマスコミは犯人扱いする。「無罪の推定」などはしない。血祭りに上げる人間を求めている多くの人々も同じだ。マスコミに警察/検察のチェックなどできない。捜査当局は便利な「情報源」であり、警察/検察からみるとマスコミはプロパガンダ機関にすぎない。

 足利事件の場合、自白と客観的な事実との間に矛盾があることは早い段階から指摘されていたことで、マスコミにも事件をチェックするチャンスはあった。つまり、この事件で「執念の捜査が実を結んだ」と報じたマスコミは警察/検察/裁判所と共犯関係にある。今回の事件でマスコミは「誤報」を訂正し、受刑者などに謝罪する義務がある。

 さて、日本では「裁判員制度」がスタートしたが、現在のシステムでは裁判員も冤罪の片棒を担がされることになりかねない。証拠の全面的な開示を罰則付きで定め、裁判官の不適切な「説示」をなくすために評議を透明化する必要があるだろう。秘密にできるのはプライバシーなど限られた情報にするべきだ。






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最終更新日  2009.06.04 19:01:47


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