《櫻井ジャーナル》

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2012.08.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今から27年前、1985年8月12日に日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡した。羽田空港を離陸、伊丹空港に向かっていたのだが、18時24分頃、相模湾上空のあたりで異常事態が発生したと考えられている。

 運輸省航空事故調査委員会は、ボーイング社の「修理ミスが原因」だとしている。「飛行中に後部圧力隔壁が客室与圧に耐えられなくなって破壊し、客室内与圧空気の圧力によって尾部胴体、垂直尾翼が破壊され、油圧系統も破壊され操縦不能となり墜落した」というのだが、再現実験で客室ないの急減圧がなかったことが確認され、委員会のシナリオに説得力がないことが示されている。

 急減圧した場合、酸素マスクをつけなければ、3分程度で小学校1年の国語教科書を読む速度が遅くなり、6分30秒を経過すると手に痙攣が見られるようになり、チアノーゼで指先が紫色に近くなることがわかっている。ところが、異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないにもかかわらず、手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高い。

 123便に異常事態が発生した頃、大島の上空をアメリカ軍の輸送機C-130が飛行していた。そのクルーだったマイケル・アントヌッチは、1995年8月27日付けの「星条旗」で興味深い話を明らかにしている。

 彼によると、18時40分には叫び声のようなコールを聞いている。明らかに尋常ではなかったので、横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図ったという。

 日航機は18時56分には墜落したが、その地点を彼らの輸送機は19時20分に特定、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのは19時45分。この時点で正確な墜落地点を捜索本部、そして日本政府は把握していたはずである。地上でも、住民などから正確な墜落地点が伝えられていたようだ。

 米軍機の報告を受け、厚木基地から海兵隊の救援チーム(後に座間の陸軍と訂正されたようだ)が現地に向かい、20時50分には救援チームのヘリコプターが現地に到着した。早速、2名の隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。21時20分に日本の救援部隊を乗せた航空機が現場に現れたのを確認してからC-130と米軍の救援チームはその場を離れた。

 墜落から間もない段階で自衛隊が現場にいたことは明らかにされていなかったが、今では百里基地のヘリコプターが救援に向かったとされているようだ。自衛隊が現場に到着したのは20時42分だという。すでのC-130はいたはずだが、米軍のヘリコプターが到着する8分前ということになり、アントヌッチの証言と矛盾する。

 それはともかく、到着した自衛隊は救援活動を行っていない。「本格的な夜間救援装備がない」ので隊員を降下させなかったというのだが、では、何のために現場へ向かったのだろうか。もし、救援に向かいながら救援に必要な装備を持っていかなかったという間抜けな話が事実なら、自衛隊機の後に来たアメリカ軍の救援活動を止めるべきではなかった。もし、自衛隊側が自分たちのヘリコプターが到着した時刻を間違っていて、米軍側が正しかった、つまり自衛隊の方が後から来たということなら、すぐに米軍に引き返してもらうべきだった。結局、長野県警の機動部隊員がヘリコプターから現場へ降下したのは翌日の8時半頃だ。



 事実を隠して責任を回避するという日本政府の体質は、東電福島第一原発の事故への対応と基本的に同じなようだ。





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最終更新日  2012.08.14 02:00:11


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