《櫻井ジャーナル》

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2012.08.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 中国の体制を暴力的に転覆させようという勢力がアメリカには存在する。このところ、そうした勢力の動きが目立つ。その影響からか、「大日本帝国」の亡霊のような人たちが日本で息を吹き返したようだ。そうした中で尖閣諸島/釣魚台群島や竹島/独島の問題に火がつき、日本は東アジアで孤立する道、つまりアメリカへの従属を強める道を歩き始めた。

 海外との交流が制限されていた徳川時代、日本は隣国と友好的な関係を築いていた。状況が大きく変わるのは明治以降。友好的な関係は崩れ去り、現在に至っている。明治政府の背後にイギリスが存在していたことは言うまでもない。

 当時、イギリスは貿易で清(中国)に完敗、経済的に追い詰められていた。そこで考えられたのが麻薬取引。清にアヘン(ケシから作られる麻薬の一種)を売りつけることで窮地を脱しようと計画、麻薬取引を禁止しようとする清と対立する。そして1840年にアヘン戦争が始まった。

 その戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会が1859年に日本へ送り込んできたのがトーマス・グラバーである。緑茶を買い付けるためということだったが、すぐ武器商人へ変身する。

 1859年にはイギリスから駐日総領事としてラザフォード・オールコックが赴任してくる。そして決められたのが長州藩の若者をイギリスへ留学させる話。そして選ばれた井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名は1863年にロンドンへ渡った。このとき、グラバーの仲介でジャーディン・マセソンの船が手配された。勿論、物見遊山の旅ではない。長州藩にもイギリスにも将来を見据えた思惑があった。

 1867年の大政奉還、68年の戊辰戦争などを経て長州藩と薩摩藩を中心とする明治体制へ移行し、71年に実施したのが廃藩置県。中央集権体制、天皇制官僚国家への第一歩と言えるだろう。

 ところが、藩を廃止した後、1872年に琉球藩が新たに設置される。琉球王国の滅亡と言えるだろう。そして1879年に沖縄県が置かれた。

 この不自然な動きは、台湾の問題と結びついている。1871年に宮古島の漁民が難破して台湾へ漂着、現地の人に何人かが殺されるという事件があった。日本政府は清(中国)の政府に賠償や謝罪を要求、1874年には軍隊を台湾へ送り込むのだが、そのためには宮古島は自分たちの領土だということにしなければならない。つまり、琉球王国を乗っ取る必要があったわけだ。

 日本の派兵は台湾で止まらなかった。1875年には李氏朝鮮の首都、漢城(現在のソウル)に通じる要衝だった江華島に軍艦「雲揚号」を派遣して軍事衝突に発展、「日朝修好条規」を結ばせることに成功した。



 1921年に四カ国条約が結ばれたことにともない、日英同盟は22年に廃棄される。その翌年に起こったのが関東大震災。復興のため、日本政府が頼った相手がJPモルガンで、それ以降、日本経済はJPモルガンの支配下に入る。

 1933年にこの関係はギクシャクしてくる。「ニューディール」という看板を掲げ、植民地やファシズムに反対、巨大企業の活動を規制して労働者の権利を拡大するという方針のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任したのである。

 大統領就任前の銃撃事件を生き抜いたルーズベルトだが、1933年になるとJPモルガンを中心とするウォール街の勢力がクーデターを企てる。この計画は海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将が議会で証言したことで頓挫する。当然、日米関係にも大きな影響を及ぼすことになった。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)

 第2次世界大戦で日本は敗北、連合軍、事実上のアメリカ軍が日本を占領した。言うまでもなく、最高司令官はダグラス・マッカーサー元帥。当初はマッカーサーのスタッフが日本を動かしていたのだが、1948年には別の力が日本に及んでくる。この年、ワシントンDCで創設されたACJ(アメリカ対日協議会)を実働部隊とするジャパン・ロビーだ。

 そうした勢力には、ジョン・フォスター・ダレス、ジョージ・マーシャル国務長官、ロバート・ラベット国務次官、ジェームズ・フォレスタル国防長官、陸軍省のケネス・ロイヤル長官とウィリアム・ドレーパー次官、ロックフェラー財閥と関係の深いジョン・マックロイ、アレン・ダレスの腹心で極秘の破壊工作部隊OPCを指揮していたフランク・ウィズナーなどが含まれていた。1949年からOPCの東アジアでの拠点は日本になっている。この組織に触れず、下山事件、三鷹事件、松川事件を語ることはできない。

 この勢力はマッカーサーの政策を攻撃、ニューズウィーク誌などのメディアを使って影響力を拡大、関西学院大学の豊下楢彦教授によると、日米関係の枠組みはジョン・フォスター・ダレスと昭和天皇によって決められるようになる。

 この当時、中国では天皇が恐怖する展開になっていた。圧倒的に有利だと見られていた国民党軍が敗北、コミュニストの体制が樹立される可能性が高まったのである。そこでアレン・ダレスたちは天安門で共産党の主要幹部を一気に暗殺し、偽装帰順していた部隊を蜂起させるという作戦の準備を進めたのだが、途中で発覚して中止になった。国民党軍を率いて軍事侵攻を試みたが、これも失敗している。

 そのころからアメリカの軍事戦略に関わり、今でも大きな影響力を持っている人物がいる。アンドリュー・マーシャルだ。中東/北アフリカに対する軍事介入にしても、中国に対する軍事的な圧力にしても、この人物を抜きに語ることはできない。





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最終更新日  2012.08.24 01:58:59


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