《櫻井ジャーナル》

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2013.02.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 イスラエルのアヤロン刑務所で死亡した「囚人X」が話題になっている。2010年2月までに収監されたというのだが、刑務所に入れられた理由はおろか、囚人の名前さえ明らかにされていなかった。その囚人がオーストラリア国籍を持つベン・ジギヤーであり、2010年12月に首をくくって死んだということを オーストラリアの放送局ABCが今月12日に報道

 イスラエル政府は囚人Xの存在自体を秘密にしていた。イスラエルのウェブサイトYnetが謎の囚人の存在を2010年3月に明らかにしたが、その囚人に関する報道をイスラエル政府はすぐに禁止、記事はサイトから削除されていた。明るみに出るとイスラエル政府にとってよほど都合の悪いことがあるのだろう、ということで多くの人が興味を持った。

 ジギヤーの遺体はオーストラリアへ運ばれ、死亡から1週間後には埋葬されている。こうした経過を考えるとオーストラリア政府も何らかの情報を持っているはずなのだが、明らかにされなかった。遺族や友人も沈黙を守っている。その理由もはっきりしない。

 ABCが報道した後、ジギヤーについて知ったのは彼が死んだ後だとオーストラリアのボブ・カー外相は述べていたが、2月14日に開かれた議会の委員会では話を変えている。イスラエルが拘束した時点でジギヤーに関する情報をオーストラリア政府が得ていたというのだ。

 「暫定自治原則宣言」、いわゆるオスロ合意に署名したイスラエルのイツハク・ラビン首相を暗殺したとされるイーガル・アミールを収監するために作られた刑務所にジギヤーは入れられていた。自殺は困難だとされていた刑務所だが、そこでジギヤーは自殺したことにされている。

 ジギヤーが2000年代の初頭からモサド(イスラエルの情報機関)に雇われていたとも伝えられているが、このことも謎を深めた。イスラエル政府が「裏切り」と考える何かをしたと多くの人が推測したのは当然だろう。

 その謎を解くカギだと言われているのがハマスの幹部だったマームード・アル・マボーの暗殺。2010年1月にアラブ首長国連邦のドバイで殺されたのだが、すぐにモサドの名前が挙がり、容疑者の写真もメディアに掲載されている。2月15日になると、ドバイの警察が暗殺犯は11名だと発表、モサドの関与が明確になれば、イスラエルのベンジャミン・ネタニアフ首相に対する逮捕令状を出すとしていた。

 ここにきて、クウェートのアル・ジャリダ紙が報道した情報として、 ジギヤーがドバイ当局と接触していたという話

 オーストラリアの シドニー・モーニング・ヘラルド紙によると 、ハマス幹部暗殺の6カ月以上前からASIOは少なくとも3名のオーストラリア系イスラエル人をモサドのスパイだと疑い、調査していたという。

 2009年12月に ジギヤーを取材したというジャーナリスト がいる。ジェイソン・クートスーキスだ。その年の10月、オーストラリアの情報機関に協力している人物と接触、イスラエルの機関がオーストラリアの法律を破り、身分証明に関する書類を集めていることを知らされた。そうした活動をしていた3名のうちひとりがジギヤーで、12月に会うことができたという。こうした接触をモサドが気づかなかったとは思えない。クートスーキスもそう考えている。

 ところで、ジギヤーが拉致され、獄死した2010年にイスラエル政府は戦争を始めようという動きがあったと報道されている。 ベンヤミン・ネタニヤフ首相とエウド・バラク国防相はイランを攻撃しようと考え、戦争の準備をガビ・アシュケナジ参謀総長とモサドのメイル・ダガン長官に命令 したというのだ。この時はアシュケナジとダガンが戦争に反対し、実現しなかった。

 モサドのエージェントであろうと、拉致したうえ、獄死させるということは大きな問題であり、非難されて当然だが、秘密工作が露見するときは支配層の内部で深刻な対立の生じている場合がある。このケースでも、そうしたことが起こっているのかもしれない。





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最終更新日  2013.02.16 21:35:37


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