《櫻井ジャーナル》

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2015.08.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 アメリカ陸軍の戦闘用ヘリコプター、MH60ブラック・ホークが沖縄県うるま市沖で墜落したと伝えられている。このヘリコプターは陸軍第160特殊作戦航空連隊第4大隊に所属、同乗していた陸上自衛隊中央即応集団所属の2隊員も負傷したという。この大隊は戦闘の支援を任務にしているが、自衛隊員は支援でなく、特殊工作の訓練に参加していたのだろう。

 大隊は1981年10月に創設されているが、1980年4月に行われた人質救出作戦に失敗したことを受けてのこと。この作戦はイランのアメリカ大使館で拘束された52名を救出するために陸軍の特殊部隊デルタ・フォースが実行したもので、「イーグル・クロー」と呼ばれている。

 特殊部隊の活動例として、今年8月1日に イギリスのサンデー・エクスプレス紙 が伝えたシリアでのSAS部隊の活動を挙げることができる。ISの服装を身につけ、ISの旗を掲げたSASの隊員120名以上がシリアでの戦闘に参加、通信支援のために250人以上のイギリスの専門家が関与、アメリカ軍の特殊部隊やCIAも同じようなことをしていると見られている。米英はシリア政府の打倒を公言している。

 シリアで体制転覆プロジェクトが始動、武装集団が蜂起したのは2011年3月のこと。その直後からトルコにある米空軍インシルリク基地では反シリア政府軍の戦闘員が軍事訓練を受けているが、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員だとされている。訓練するだけでなく、イギリス、アメリカ、フランス、カタール、ヨルダン、トルコは特殊部隊をシリア領内へ潜入させている可能性も高い。

 主権国家の体制を軍事的に転覆させようとすること自体、大きな問題なのだが、リビアやシリアの場合、その手先として使われた戦闘集団の実態はさらに大きな問題。リビアでNATOと連合した LIFG(リビア・イスラム戦闘団)がアル・カイダ系武装集団 だということは自他共に認めるところで、2011年10月にムアンマル・アル・カダフィが惨殺された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。( その1 その2

戦闘員は武器と一緒にシリアなどへ移動 する。 マークを消したNATOの輸送機 がリビアからトルコの基地まで武器を輸送、反シリア政府軍へ渡されたという報道もあった。2012年10月に作成された DIA(アメリカ軍の情報機関)の文書 でもカダフィ体制崩壊後、ベンガジからシリアへ武器が運ばれていると詳しく書かれている。武器と一緒にシリアへ移動した戦闘員もアル・カイダ系だ。

DIAが2012年8月に作成した文書 の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)であり、シリアで戦闘が始まった直後から、AQIは西側(アメリカ/NATO)、湾岸諸国、そしてトルコと同じように反シリア政府軍を支援しているとしている。文書が作成されたときに DIA局長だったマイケル・フリン中将 は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をアメリカ政府が支援してきたのは政府の決定だと語った。

 アル・カイダ/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)に関しては何度も書いてきたので今回は割愛、アメリカの特殊部隊について少し触れてみたい。

 その歴史をさかのぼると、アメリカの場合、第2次世界大戦の際に編成された情報機関OSSにたどり着く。その内部にあった秘密工作部(SO)が特殊工作を担当していた。このSOと緊密な関係にあったのがイギリスの特殊作戦執行部(SOE)。

 このSOとSOEは1944年にフランスでゲリラ戦を展開するために「ジェドバラ」という部隊を編成した。1948年頃、「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、翌年に出された統合参謀本部の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012 )この戦争を戦うために特殊部隊のグリーン・ベレーが創設され、ジェドバラの一部メンバーが参加する。

 こうした歴史的な背景もあり、特殊部隊はCIAの秘密工作部門と関係が深く、「対テロ」ではなく、「テロ」を実行することも珍しくない。例えば、ベトナム戦争の最中、1967年にCIAとMACV(南ベトナム援助軍司令部)が始めたICEXという秘密作戦。この作戦はすぐに「フェニックス・プログラム」と呼ばれるようになるが、このプログラムには海軍兵学校を卒業した直後のリチャード・アーミテージも参加、黄金の三角地帯で生産されたヘロインをアメリカの犯罪組織へ引き渡す役目を負っていたとも言われている。

 プログラムの中核はCIAの秘密工作部門で、特殊部隊からメンバーが引き抜かれている。その下に設置された実働部隊(PRU)には殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが含まれていた。1968年3月にミ・ライ(ソンミ)でウィリアム・カリー大尉の部隊が350名以上の村人を虐殺したことは広く知られているが、これもフェニックス・プログラムの一環だった。



 ジェドバラやフェニックスに参加したウイリアム・コルビーが後にCIA長官として議会で証言したところによると、1968年8月から71年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587人のベトナム市民を殺害したという。別の推計では4万1000名がこのプログラムで殺されている。

 ベトナム戦争のとき、アメリカにはふたつの軍事組織が存在、それぞれが戦っていた。ひとつは正規軍で、もうひとつはCIAの破壊工作部門と特殊部隊だ。最近では、特殊部隊出身の人間が作っている傭兵会社も後者につながっている。この人脈はNATOにもネットワークがあり、ヨーロッパを支配するために秘密部隊を編成している。中でも有名なものがイタリアのグラディオで、1960年代から1980年頃まで国内で「極左」を装い、爆弾攻撃を繰り返していた。





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最終更新日  2015.08.14 15:01:21


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