韓国のケミカルタンカーが海洋汚染の容疑でイランの革命防衛隊にホルムズ海峡で1月4日に拿捕されたと伝えられている。韓国は近くにいた対海賊部隊の清海部隊を乗せた駆逐艦「崔瑩」を海峡へ向かわせる一方、特使をイランへ派遣するという。
韓国はアメリカ政府の命令でイランの資産70億ドルを凍結しているのだが、韓国も参加している経済封鎖について話し合うために韓国の外交官がイランを訪れるという話がタンカーが拿捕される2日前に流れていた。こうした韓国の動きをアメリカの支配者が快く思うはずはなく、何らかの働きかけがあっても不思議ではない。
イラン問題では2015年7月に合意されたJCPOA (包括的共同作業計画) が話題になる。NPT(核兵器不拡散条約)に基づいて核を平和的に利用する権利をイランに認め、国連安全保障理事会などによる制裁は解除されることが定められている。
しかし、アメリカの支配者に強い影響下にあるIAEA(国際原子力機関)によって潰すことは難しくないようにも見える。アメリカはこれまでも目障りな国、体制に「制裁」を加え、「制裁」の解除を餌にして譲歩を引き出すという手口を使ってきたが、アメリカの支配者は約束を守らない。実際に制裁が解除されると考えることはできない。
そもそもイランはイラクやシリアと同様、シオニストの一派であるネオコンが1980年代から殲滅の対象にしてきた国。1997年から2000年まで欧州連合軍最高司令官だったウェズリー・クラークによると、1991年にアメリカの国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。( 3月 、 10月 )
ヒラリー・クリントンやジョー・バイデンはネオコンに担がれている政治家で、CIAとの関係の深いバラク・オバマもネオコンの影響下にある。こうした政治家がイランと真の意味で友好的な関係を結ぶことはありえない。
オバマの師と見なされているズビグネフ・ブレジンスキーは1977年1月にジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官に就任すると、アフガニスタンで秘密工作を始めている。王制だったイラン、軍事クーデターでズルフィカル・アリ・ブットを倒したムハンマド・ジア・ウル・ハクが君臨するパキスタン、ワッハーブ派の国であるサウジアラビアなどからの協力を得ていた。戦闘員を供給したのは主にサウジアラビアで、ワッハーブ派やムスリム同胞団のメンバーが中心だった。パキスタンのハクもワッハーブ派だ。
この時に集められた戦闘員はCIAなどから訓練を受けたが、イギリスの外務大臣を1997年から2001年まで務めたロビン・クックも指摘していたように、 そうした戦闘員の登録リストがアル・カイダ(データベース) であり、そうした戦闘員を集める活動をしていたひとりがオサマ・ビン・ラディンだ。
ジョージ・W・ブッシュ大統領もネオコンに担がれていたが、イラク侵略は正規軍を使っている。イラクのサダム・フセイン体制を倒した後にアメリカの大統領に就任したオバマはブレジンスキーと同じようにムスリム同胞団やワッハーブ派を戦闘員として使い、リビアやシリアへの侵略戦争を始めた。イランはその次ということだ。
シリアの体制転覆は難しい状況だが、オバマやヒラリー・クリントンに近いジョー・バイデンはシリアを諦めることはないだろう。シリアへの侵略戦争に当初は参加していたトルコは途中で離脱、ロシアへ接近したが、そのトルコをアメリカは引き戻そうとしているだろうが、そのトルコと敵対関係にあるクルドをアメリカは手先として利用していることからアメリカとトルコとの関係は複雑になっている。
ドナルド・トランプが手を組んできたネオコンと違うシオニストはここにきてトランプから離れているように見える。そこで閣僚の入れ替えが始まり、国防長官はミサイルの製造で有名な大手軍需企業のレイセオン出身のマーク・エスパーが解任されてクリストファー・ミラーが長官代理になったが、その上級顧問のダグラス・マグレガーはイスラエル・ロビーのアメリカに対する影響力の大きさに批判的で、マイク・ポンペオやジョン・ボルトンはイスラエル・ロビーからカネを受け取って大金持ちになったと主張している。
それ位に対し、次期大統領になる可能性の高いジョー・バイデンの周辺はネオコンのほか、戦争ビジネスや金融資本で固められている。国防長官に指名されたロイド・オースチン元米中央軍司令官は退役後、レイセオンの重役になった人物だ。
誰がアメリカ大統領になろうと、欧米の支配者達が始めた「超限戦」を止めることは極めて困難。古典的な軍事衝突もありえる。イランだけでなく中国も対応しはじめた。ロシアも準備を進めているはずだ。COVID-19を口実にしたロックダウンが戦争のための戒厳令へタグが付け替えられても驚きではない。中東情勢がさらに悪化した場合、中東からの石油輸送が困難になることをイランは示そうとしたのかもしれない。