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さっき、このネットカフェに来る途中に道端で雑誌を売っているところに(地べたに売ってる)見なれた赤い表紙を発見。DER SPIEGEL!!!旧友と街中で偶然再開したように思わず駆け寄っていって手に取って、表裏眺めて、匂いをかいで、撫でてみる。状態がいい・・・。しかも結構新しい。一号前。特集が面白そう。欲しい。いくら?と聞くと600Kshとのお答え。うー・・・6,5ユーロか。元値は3、5ユーロ。高い!でも日本で買うと税込みで1650円なのを考えるとまだまだ安い。苦手だけど頑張って値切ろうと思ったが、本は値切るな!と以前マイカにいわれた事があったのでやめた。あ、あ、あ、あ、あ、あ後で来ます・・・。と、ヨロヨロ立ち上がってその場を去ったアタクシ。買うべきか否か。ナイロビは恐ろしく外国語の本が少ない。ドイツ語の本はドイツ語学校の図書館で借りるか、知り合いから借りるかしている。セバと回し読みをしている。本はなかなか鮮度が落ちないものなのでいつ読んでも楽しめるが、純粋に活字が読みたいという欲求と新鮮な情報が欲しいというときが一番困る。ドイツ語の新聞がどこかに売っていたら多分間違いなく買いに行ったが、そんな場所は見たことがないのでドイツ語学校の古新聞をもらってきたのだが、一ヶ月前の新聞をそこまでありがたく読む気にもなれず、なんだか消化不良だった。そこにあのDER SPIEGEL渡りに船。昨日、セバと大喧嘩をした事だし、仲直りの印に買ってやろうっと。
2007.01.31
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知人から借りた本が面白い。結構前の本になって話題が古いのが難点だが、テーマはアフリカそして著者はアメリカ人のジャーナリスト。黒人。「何世代か前の先祖が奴隷としてアフリカからアメリカに連れてこられて、生き残り、私が生まれた。そしてジャーナリストとしてアフリカの地を踏んで、この大陸の現状を目の当たりにして、私は心から先祖に感謝をした。彼らがアフリカに残れていたなら、私もこの地で内紛や飢餓や虐殺の犠牲者になっていたはずである。アメリカ人である事を感謝する」みたいな前書きの内容から始まって、終始ブラックアメリカンの眼から見たアフリカが描かれている。彼が赴任した90年代前半は、ルワンダの大量虐殺からソマリアの内紛からスーダンの内戦が一番ひどかった時期だし、彼が住んだナイロビも10年以上前なので、今の状況と単純に重ね合わせる事はすべきではないかもしれないが、それでも読んでいて興味深いし、頷きたくなるようなことばかり。ナイロビに住んだ彼は、現地スタッフを雇うのだが、そのスタッフが給料を一年分も前借りしたり、彼の名で他の人からも借金をしたり、支払うべき請求書を半分しか払わずに残りの半分は自分の物にしたりしてしまう。仕舞いには子供の学費を払って欲しいとか、妻が病気だから通院費を払えとか平気で言い出す。著者は憤慨するが、『彼らと私の生活・文化のバックグラウンドが違い過ぎて、理解しあうのが不可能に違いほど困難だと言う絶望感』に襲われる。わかる!わかるー!!!と心の中で賛同するアタクシ。もちろん、ケニア人の中にもびっくりするほどお金持ちで、欧米で教育を受けている人もいる。でも、それって全体の何%に当たるんだろう。それ以外の圧倒的多数の人達は、平均月給が3万円にも満たない生活をしている。以前、車の教習で郊外に出た時に、ゴチャゴチャした地域を走った。アタクシはスラム街!?とぎょっとしたが、教官が「ここは中流階級が住んでいる地域」と教えてくれた時はもっとぎょっとした。教官はとても良い人だったが、一本35円のコーラをお金が無くて買えないと言うのを聞いた時はその本の著者ではないが、埋めがたい大きな溝を感じた。国連や大使館の仕事で来ている白人達は、ケニア人の生活とは隔たって生活をしている。門番やメイドとの接点がせいぜいじゃないか、というくらい。多分、そういう生活をしているとケニアは過ごしやすいのではないかと思う。気候もいいし、物価も安いし。セバやアタクシみたいに白人の生活にもケニア人の生活にも中途半端に足を突っ込んでいると、その生活ギャップに精神的に疲れてしまう。幸いアタクシは大量虐殺が行われている地に赴く必要も無い。デトロイト出身の著者は述べている。「デトロイトに比べればナイロビははるかに安全。多分N.YやLAよりも安全なくらいだろう。それでも白人たちのパーティで繰り返される、ナイロビでの盗難・強盗・犯罪・殺人の話題はどこからくるのか。それは自分達がマイノリティーになった不安からではないか。黒人がひしめき合っているなかにポンっと放り出された心理的な不安が、ナイロビを現実以上に危険な町にしている。」本当にそうか?!週末に高級住宅街の何でもない道で、アメリカ人が銃殺されたぞー!と、そこのところは反論。あまりにその本にのめり込んでいるので、セバが心配しているくらい。こういう本を読みたかった、というような本。
2007.01.30
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久々の日記。実は結構へたばってました。ナイロビに来てからお腹を壊す事なんてしょっちゅうで慣れたと思っていたのに3日も4日もそういう状態が続くと結構参るもので。でも、今回は、セバも一緒!腸の不調を伴う伝染性の病気はウィルスの種類によって潜伏期間が違うので何時食べた何が原因とはっきり特定できない。これが普通の食中毒なら比較的簡単らしいが。で、二人で「アテネフランセで食べたアボガドとベーコンのバゲットか」とか「昨日招待されたGの家で食べたレッドスナッパーか」とか「それとも一昨日食べたラム肉のステーキか」とか考えたけど有力な候補は出てこなかった。赤痢とか腸チフスなんかはお腹をこわすのと一緒に熱が出るというのが典型的症状なので、熱が出たらどうしようどうしようとはらはらしていたが結局出なかったので、大した病気じゃなかったようだ。でも、セバには嘔吐も伴っていたけど。あまりに食欲がなくて、ろくにモノも食べずベッドで腑抜け状態になっていたので、一気に弱って、後半は倦怠感と立ち眩みとだるさとの闘いだった。あー。アフリカ。奥が深すぎて先が全然見えない。
2007.01.30
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どうしてこう毎日毎日こんなに沢山眠れるんだろうというくらい寝ている。今日は心を鬼にして、日が高くなって灼熱地獄になるまえに街に辿り着けるように早めに起きた。と、言っても9時半・・・。駄目駄目人生。夜からコンサートに行く予定でいる。ケニア人の女性シンガー。つくづく凄い、と思うのはフランスの文化事業にかける意気込みである。在ケニアの数でみると、ドイツ人の方が圧倒的に多いのに、フランス政府はナイロビにアテネ・フランセを丸々ビル一つ分入れている。一階には美味しいカフェがあって、庭がついていて、ミニシアターもあって、絵画やら写真の展覧会も出来るスペースもある。それに引き換え、ドイツ文化センターことゲーテ・インスティテュートは、ビルの1フロアだけで、カフェどころか飲み水のディスペンサーすらない。かろうじて図書館はあるけど。日本のケニアにおける文化事業に関してはぜんぜん知らないが。というわけで、今日のコンサートもアテネフランセで開催。ここにいつもドイツ人の知り合いとこぞっていって「やっぱりフランスは金のかけかたが違う」とため息をつくのが金曜日の恒例になりつつある。
2007.01.26
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いつもは町に出るのだが、今日はJという郊外にあるショッピングセンターに行ってみた。アフリカの民芸品をセンス良くしたような雑貨屋やアクセサリーショップが入っていて、カフェとか本屋とか大きなスーパーもあるので結構楽しめた。ネットカフェがないのが難だが。しかし、往復のミニバスで体力を消耗。別に乗ってれば着くんだからどうしてこんなに疲れるのか分からないが、ここのところ雨が降っていない(乾季なので)せいで、道という道が砂埃で、太陽はじりじり暑いし、道は渋滞で普通は10分で着くところが45分くらいかかったし、で家に帰ってからほぼ熱射病状態でダウン。なんてことないことが何でこんなに疲れるんだ。ナイロビ。しかも外出した後は鼻ク○が真っ黒。顔も真っ黒。髪の毛ぎしぎし。最低。夕方仕事を終わったセバが迎えに来てくれて、夕涼みがてら車でまた別のショッピングセンターに来て今ネットカフェで書いているところ。まだ頭が痛い。目立つから嫌だけど、明日から帽子でもかぶるか。
2007.01.25
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昨日、ドイツ大使館に行ってきた。大使館からお手紙が届いて、「博士号の証書がB大学から届いていますので以下の開館時間に取りに来て下さい」ということだったので、セバがあたくしも連れていってくれた。もう博士試験にも合格してるってわかっているのに証書があるとないとじゃ随分違うらしくて、セバはとても喜んでいて、その足でナイロビでとってもお世話になっているユルゲンのオフィスにそれを見せに行って一緒にランチをした。これで正式にDR.を名乗れるらしい。婚約しても博士になってもあたくし達は何にも変わらなくてちょっと拍子抜けしてしまうが。今日はドイツ大使を囲んだ座談会がある。アタクシはケニアのドイツ大使の隠れファンなのでとっても楽しみである。うふ。
2007.01.24
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昨晩、セバにプロポーズをされたので「はい」と答えた。でも指輪も何もないので何も変化した様子もなくて拍子抜け気味。大体、婚約したからといって結婚する時期の目途も立ってないんだってば。でもセバは今日から婚約者。
2007.01.22
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ケニアに来て知り合ったヘラルドというドイツ人が本を貸してくれた。友達が書いた、とかで。http://www.amazon.de/Zazen-oder-Weg-zum-Gl%C3%BCck/dp/3499622033/sr=8-1/qid=1169188881/ref=pd_ka_1/302-3633206-4776047?ie=UTF8&s=books日本で禅寺を開いて修行しているらしい。で、その本の中に載っていたポーランドのことわざ。Da,du nicht bist, da ist das Glueck君の居ないところに幸せはある非情な諺だけど、一理あるよなあ、と深くうなずくあたくし。いつも、ここじゃないどこかに自分の幸せがあるような気がしてしまうのが、人間。
2007.01.19
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先日、街から家に帰るバスに乗っていた。紫色のバスで、緑とか青のバス会社に比べるとちょっと小型のバス。このバスだと、他のバスよりも家の近くのバス停に止まってくれるので便利である。降りようとしていたバス停の一つ手前が国立病院なのでここで大半が降りる。そこで降りた男がバスの外から手を伸ばして空いていた窓からおもむろに、あたくしの腕をつねったのである!!!!あたくしの動転ぶりときたら。子どもに石を投げられたり、大人にぼそっと差別的な事を言われたりするのは経験したことがあるものの、大人につねられるなんて!なんで?あたくし何かしました?こんなことが起こるなんてさすがケニア。非市民的で非国際的で非社会的!あのドレッド野郎、覚えてろよ!と、家に帰って散々わめきちらしていた。そこから何とか気を取り直して鶏の照焼きどんぶりを作った。この甘辛い味。日本人の心なり。と思って涙を流しながら食べている横で、マイカが照焼きにどっぶりどっぶりトマトケチャップをかけてるのをみて撃沈。そんなんだったら食べないで。と、心の中で叫ぶあたくし。ちなみに、ケニアのトマトケチャップは恐ろしい色をしている。その色を見た時にどうして「早死にしそうなくらいの危ない着色料がいっぱい入ってる」と思わないのか、ケニア人。そしてそんなトマトケチャップはトマトの味がしないくせにケニア人は「トマトソース」と呼ぶ。マイカに「トマトソース取って」と言われるたびに「は?・・・ああ。トマトケチャップね。」といちいち直す意地悪なあたくし。まだまだケニアは手強い。だって、一般市民(大人)に何の前触れもなくつねられるんだもん・・・。
2007.01.19
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この前ドイツに帰っていた時に、ナイロビに発つ前夜に観た映画がBABEL。あの監督も、ガエル・ガルシア・ベルナールもアモーレス・ぺロスのときから大好きだったので、どうしても観たかった映画。2時間半の大作で、多分好き嫌いは分かれるだろうけど、複数のストーリーをある事件を軸に、時系列を前後させながら、描くというのはこの監督の得意とするところ。今回はそれぞれのストーリーが独立していなかったのでわかりにくかった気もするけど、それが緊張感を増していた気もする。ただ心残りはセバ抜きで観てしまった事。多分こういうの好きだろうなー、と思ったし、映画の中に出て来る東京の夜景を自慢気に見せてやりたい気もした。早くナイロビでもやらないかなー、と思うものの全然その気配なし。日本での公開も5月頃だということなので、ケニアでもあまり期待はできないだろうが・・・。しょうがないので、四六時中サウンドトラックを聞いている北アフリカの音楽と、メキシカンソングとJ POPと典型的映画音楽がローテーションで流れる非常に面白いCD。
2007.01.16
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日曜日はジラフセンターに行って、きりんの灰色の舌に顔の半分をべロン!と舐められた。なんできりんの唾液は納豆並みに糸を引くのか、あたくしにはさっぱりわからなかった。そしてその夜、招待された知り合いの家にて、犬の猛烈歓迎を受ける。多分、キリンの唾液の匂いが犬の嗅覚レベルでは残っていたらしく、もうべろんべろんべろんってな具合。番犬用に最近貰った、という子犬があまりに可愛くて羨ましがっていたら「まだ何匹か残ってるみたいだから多分貰えるわよ」と言われて心がぐらぐら揺れたものの、マンションに住んでいるという事と、犬は好きだけどアレルギーがあるというセバが、あたくしの隣で息も絶え絶えになりながら注射を打っているのを見て泣く泣く断念。しかし、月曜日、セバが猫を貰って来た。友人が見つけた捨て猫で、とっても可愛がっていたのだが新しく同居を始めた相手の子が猫アレルギーとかで、泣く泣く里親を探していたのだ。まだ小猫で甘えん坊で目茶苦茶可愛い。セバとデレデレしながら取り合っているが、マイカはアレルギーがあるとかで近寄ろうともしないが、昨晩は猫がマイカの部屋に侵入してしまい「今度入ったら殺す!」と今朝怒られていた。あたくしがソファでごろごろしているとお腹に乗ってきてぐうぐう寝てしまう。きっと生気振りではあたくしとこの小猫は同レベルなのだろう。この小猫が居る限り、あたくしがケニアから離れにくくする、というのがセバの策略だったらどうしよう。
2007.01.16
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昨日は、運転免許の試験だった。ここはケニア。もちろんかなりいい加減なんだろうなー、と思っていたが想像を絶するほどのいい加減さにかえって疲れてしまった。まずはセオリー。筆記なんかじゃなくて、口頭。聞かれたのは「ケニアの交通ルールは」(答:左側通行)と、標識が数点(give way、no parking、no parking and waiting、no entry基本中の基本)、そしてあたくしにとって鬼門だったモデルタウンボードの上をミニカーを動かして、Aの車を正しい方法でBの車の後ろまで運転する、ってやつは教本と同じ問題が出たにも関わらず、最初の駐車場の出口を間違えてしまったが、試験管はぜんぜん見ていなくて、セオリー合格。所用時間2分。実技で運転したのは多分200メートルくらい。直線。「運転中は『ギアチェンジします』とか『バックミラーで確認します』とか自分がしていることを言わなくちゃだめだぞ!」とマイカ言われていたのに、そんな隙も無いくらい試験管がどうでもいいことを話していた「君、どこからきたの?」「TOYOTAって日本の車?」「ケニアで何してるの?」等々。そしてあっというまに、車を脇に寄せて停止するように言われて車を停めるや否や試験管自らギアをニュートラルにしてハンドブレーキを上げてくれてあっというまにおしまい。絶対に不合格な人なんていない!と確信した試験。ちなみに一緒に試験車に乗り込んだ、ケニア人3人はあたくしより下手だった。こんなあたしたちが路上に出ていいんですか?と誰かに聞いてみたい気分。高速道路を平気な顔して横断している人を、幹線道路をリアカーを引きながら歩いている人を、コーラの箱を5つも積んで自転車でフラフラ走っている人を、いつの日か挽くでしょう。あたくし。
2007.01.12
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停電が日常茶飯事のケニア。昨日は大事な御呼ばれだったのに夕方になっても電気が復旧しなくて黄昏の中で化粧をしなければならず、セバのシャツにアイロンをかけることもできず、非常に不便だった・・・。最初に顔を出したパーティは、セバがゴルフで知り合ったイギリス人のお宅で、前大統領にメルセデスのCクラスを売ったのが自慢な高級車のディーラー。相当な歳なのに再婚相手の奥様はモデルばりの美しいケニア人、というよくある組み合わせ。そんなのがうじゃうじゃ集まってあたくしちょっと気分が悪くなった。別にいいんだけどさ・・・。結婚ってエゴとエゴのぶつかり合い?!みたいな略図で。次があたくしの大好きなドイツ人のお宅。居候していたこともあるのでこの人の家に行くとめちゃくちゃくつろげる。優しい優しいおじちゃま。みんなで観たZDFの「アフリカ モナムー」は突っ込み所満載の長編ドラマ。今後の展開が非常に楽しみ。で、帰ったのは2時とか。セバは知り合いのドイツ人医師がモンバサの病院で手術をするから見においで、と誘ってくださったので今日・明日と家を留守にしている。彼は眼科の手術を極めて、開業したドイツの病院で毎年2000人もの手術をしているが、その手術はケニアで訓練したらしい。奥様がこれまたモデルばりのケニア人でモンバサに家もあるので数年のうちに定年してケニアに完全に移る予定らしくクリニックをセバに売ってあげるから、セバにさっさと手術を習得して欲しいらしい。あたくしは、日本でドイツ語をばりばり使える仕事が見つかりそうなので大きく心が揺れている。2年間、修行のつもりでセバはケニアで手術をあたくしは東京で仕事を、別々に頑張れるのか。
2007.01.09
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土曜日はセバの誕生日だった。朝から大忙しで買い物に出かけて、巻き寿司、散らし寿司鶏のから揚げ、吸い物、サラダ、デザートを作って夜は新年会と誕生会を兼ねた食事会を開いた。あたくし、へとへと。日曜日は街のカフェでブランチを食べてインド人居住区のインドショッピングモールを散策して家に帰ってジムに一時間、サウナに一時間。あたくし、へとへと。今日はドイツのテレビ(ZDF)でケニアを舞台にしたテレビフィルムが始まるのでZDFを受信出来る人の家に集まる。時差の関係で夜10時から・・・。知り合いのドイツ人留学生も二人ほどエキストラで出ている。これが今週は3回予定されている。今後について考えると頭が痛いけど少しでもナイロビを楽しもうと奔走しているところ。
2007.01.08
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セバが昨日は夜勤で深夜3時くらいに帰ってきた。ごそごそベッドに潜りながら、「緊急で運ばれてきた人が、銃で目を打ち抜かれててさ。失明だよ。ま、脳じゃなかっただけいいし、片目が残っただけでもいいと思わないと」とグロい話しをしたすぐあとにぐうぐうぐうぐうぐうぐう寝ていた。眼科とは言えナイロビの病院で働いていると、想像以上にグロい現場に出くわす事が多いらしい。スラムのギャング同士の喧嘩でナイフで目を負傷した人や、刑務所の中の喧嘩で負傷をして銃で武装した刑務所の人に連れられて来るめちゃくちゃ恐そうな服役囚もちゃんと看なくちゃいけない。でもぜんぜん凹んだり憔悴したりすることなく家では普通にしている。それがセバの日常。あたくしは見事な怠惰生活を送っている。教習が終ったら本当に一日中やることがなくて退屈で気が狂いそうなので、もっと教習時間を取ろうかと思ったら、来週の木曜日の試験が決定してしまった。「事前に僕が電話で話しをつけておくから、落ちる事はまずないよ!」と教習所のマネージャーのアセムが太鼓判を押してくれた。いいのか。それで。教習が終ると大抵は街に行く。ネットカフェと買い出し。危ないところには近づくな、とか、暗くなる前に帰ってこい、とか、現金は最低限持っていけ、とか、セバが子どもに言うみたいにいつも口やかましく言うが、市街地の事はセバよりもあたくしのほうがくわしくなりつつある。道を歩いている時は、うっかり変な人と目が合わないようにサングラスをかけることにしている。それ以外は、あたくしがいつも行くネットカフェもお茶をするカフェも、顔見知りになっているのでみんな親切にしてくれる。これがあたくしの日常。正反対の日常を営むあたくしとセバが、ナイロビに一緒に暮らして数ヶ月。不思議とうまくやっている。
2007.01.05
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誕生日だったのでセバと日本レストランに行った。寿司?と思ったら今回は鉄板焼きだった。ケニアのスタンダードからするとめちゃくちゃ高くて平均収入の半分くらいが一人分のコースだった。食事が終ると厨房とホールの人がみんなで誕生日の歌を歌いながらテーブルに来てくれて、キバキ大統領似のマネージャーに握手されて、周りの客に拍手されて何だか照れくさかった。今日も昼まで寝て教習に行こうと思ったら時間を過ぎても迎えに来ないので、こっちから電話してみると「あ、今日は俺外に出ないからレッスン無しね。明日ね!」と言われてしまった。連絡しろよ!ま、これもケニア。セバが昨日、何だかナイロビが変わった、と盛んに言っていた。前(クリスマスの前)はもっと雰囲気の悪い町だったけど今はさわやかな感じがする。と。それは街が変わったんじゃなくてセバが変わって、余裕が出てきたんじゃない?とあたくしが言うと何だかやたらと納得していた。あたくしはまだまだ全然余裕が無い。ちっとも変わっていない。だからナイロビが相変わらずうるさくて汚くて危なくて疲れる街にしか思えない。まだまだ。
2007.01.03
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あけましておめでとうございます。そしてアタクシごとだけど今日誕生日を迎えた。新年も誕生日も祝っている余裕がないくらいアタクシはナイロビ病に襲われている。アタクシが適当に命名したのだが1800mの標高のせいで酸素が薄く、それに体が慣れるまでの間、だるさや頭痛に襲われる症状で、個人差があるのだろうがアタクシの場合はセバなんかと比べてみると結構ひどい。10日もすれば慣れるのだが、4日間ケニアの海岸に行ったときも今回2週間ナイロビを離れただけでも、結構辛い。でもこのままじゃいけないと思って、日常を建てなおすべく今日は久々の教習に行ってきた。アタクシの運転が問題なのではなくてこの街の道路の悪さと交通事情の悪さが原因でアタクシがまともに運転できないに違いない、と悟りを開いて以来思い切りが良くなって結構上達したような、投げやりさが命の危険を招いているような。ナイロビは今日も暑い。ドイツの寒さがなんだか恋しい。日本のお正月はもっと恋しい。無いものねだりの人生はまだまだ続く。
2007.01.02
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