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最近、雨降りの日が多くなってきました。そろそろ梅雨の気配。雨が少ないのも困るのですが、やはりこの時期は苦手です。特に今年は、春の心地よい気候が少なかったので、余計に憂鬱になります。春の訪れを感じないまま、もう梅雨が来たのかという思いです。梅雨が明ければ当然夏になるのですが、うちの病院のビルは午後6時で空調が切れるので夕方以降の診療は本当にうんざりします。今年も無事に乗り切れますようにと願うだけです。
2005年05月30日
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私の住んでいるところに、小さな小庭があります。例年、この時期になると雑草が生い茂り、それを処理するのに大変な思いをしています。以前、管理料を払っているのだから管理会社が処理すべき問題だと感じたので、電話で確認したら雑草に関しては各自処理してくださいとのこと。梅雨時期から初夏にかけて二回くらい雑草取りが必要なくらい無節操に伸びまくるのだ。ところがどうしたことだろう。今年になって、雑草の勢いが感じられないではないか。気候のせいだろうか。あれこれ考えてたどり着いた結論は、ジャガイモだった。三月ごろ、スーパーで買ってきたジャガイモの存在をすっかり忘れていた私。気がついたときは、ときすでに遅く、すべてのジャガイモから芽が出てしまった。捨てるしかない状態だった。そこでただ捨てるのもなんだと思い、小庭にジャガイモをすべて埋めたのだ。それから数ヶ月がたち、芋の芽が見る見る伸びジャングルのような有様に。芋に栄養を取られたのか、雑草は今、鳴りを潜めている。
2005年05月29日
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今日は、帰り際、ばたばたしてとても疲れた。
2005年05月28日
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今日、初めて最初から最後まで見ました。なかなかうまく作られたよいドラマだと感じました。このドラマの影響かは知りませんが、世の中は空前の落語ブームらしい(本当か?)。私は一度だけ新宿の末広亭に行って落語を生で聴いたことがあります。当初映画を観に行く予定をしていたのですが、すでに上映が始まっていて次の時間まで二時間以上あったので急遽予定を変更して落語を聴きに行くことになったのです。開演から閉演までいたので、五時間近くそこで過ごしました。最初はそんなに期待していなかったのですが、時間の経過とともに落語に引き込まれていきました。初めから終わりまでいると、若手とベテランのうでの差が初心者の私でもわかるようになりました。上手い人というのは、心地よい声のトーンとリズムで聴いていて耳に優しい。話の内容などではなく、人をひきつける話し方がとても巧みなのである。客層もお年寄りばかりでなく、小学生くらいの子供を連れたお父さんやおばあちゃんを連れた20才代くらいの若い女性などわりと多様でした。やることがなくて暇な人は、新宿の喧騒に疲れたら一度でいいから訪れてみてください。漫画喫茶ばかりではつまらないでしょう。
2005年05月27日
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人間が完全を成す事は恐らく不可能であろう。しかし、それを求めて努力するところに人間の不幸が存在する。私もそういう人間の一人である。望み得ない理想をいつまでも追い求めることは、救いようのない病気だ。完全に限りなく近い妥協点を見出せる人は、幸多い人であろう。理想に対する努力と才能を持ち合わせていない人は、いち早くその理想を捨てるべきなのかもしれない。なぜなら、理想を実現するどころか妥協点さえ見出せないから。
2005年05月26日
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昨日の朝のことです。渋谷駅から病院に向かっていると、なにやらショップカードを配っている集団が。何気なく受け取ってみると、どうやらラーメン屋のショップカードのようだ。それも、オープン記念でカード持参だと餃子一人前が無料。その日の昼、いろいろ考えた挙句、そのお店に行ってみることにしました。ネットで調べてみると、国内外に何店舗もあるお店のようだ。味はどうかわからないが、餃子無料に引かれて行くことにしたのだ。行ってみるとカード無しでも餃子は無料だった。メニューも結構豊富で、店内もラーメン屋とは思えないくらいきれいだった。何より、いすが心地よかった。ラーメン屋には珍しく、クッションが効いていた。私は相も変わらずつけ麺を注文。恐らくあまり力を入れていないメニューだと思うが、そこそこおいしかった。量も十分。しかし、舌の記憶とは恐ろしいもので「伝丸」のつけ麺にはかなわないと思ってしまう。多分、一般的には「大島ラーメン」のつけ麺のほうがおいしいのだろうが。公園通りにあるので渋谷を訪れたらぜひ行ってみてください。今なら餃子が無料です。いつまでかはわかりませんが。
2005年05月25日
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昨日の夜から、どうも左足首が痛い。最初は痛みも大したことなかったのですが、今朝、起きてみると患部が熱っぽい。恐らく捻挫だろう。しかし、昨日の行動を振り返ってみて足首をひねったことなど一度もない。多分ひねってはないのだろう。足首を左右に動かしても痛みはないのだから。痛みがあるのは上下に動かしたとき。と言うことは、普通に歩いていただけで足首を痛めたということなのだろうか?
2005年05月23日
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今日は久しぶりに、昼間の高円寺に出かけてきました。
2005年05月22日
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先週、親不知を抜いたときかなり痛い思いをさせた患者さんが消毒のため来院しました。私の想像より腫れや痛みが少なくほっとしました。患者さんには、かなり激しい痛みと腫れがあると説明していましたが、見た感じの腫れも抜いた日の腫れとそう変わりはなかったので安心しました。当日は炎症がひどく顎も開きづらかったようだが、今日はだいぶ落ち着いていて普通に開けることができました。昨日もそのことが気になっていましたので、本当に安心しました。これで食事も普通にできるし、彼女の症状も快方に向かうでしょう。
2005年05月16日
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今日の相変わらず、外出したのはタバコを買いに行くだけという状態でした。
2005年05月15日
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人によって多少の違いがあるが、ある年齢にさしかかると日常の生活の変化が乏しくなってしまいます。学生時代は、入学・卒業・クラス替えなど数年おきに環境が大きく変わり、そこで新しい出会いや刺激的な出来事に遭遇することも多いでしょう。大きく変化するのは、新社会人となった最初の年が最後となるのではないでしょうか。そこから先の人生は、単調な生活が日々繰り返される。もちろん、結婚・出産・新居購入などさまざまな変化もあるでしょうが、学生時代に生ずる自分の力ではどうしようもないような内部、外部からの変化を体験することはできない。それを大人になってから再度、体験しようと試みるのは愚かな行為である。既にかつての感性も失われていて、同じように刺激を受けることはないだろう。自分の方向性もないまま、刺激だけを求めて転職を繰り返し、新しい出会いを求めるのはどうかと思う。人間は年とともに柔軟な心を失っていく。新しい出会い、環境を求めたところで、自分にとって居心地のいい人たちや環境は大人になる前に既に出来上がってしまっている。だから、どんなに生活環境やつきあう人間を変えてみたところでそれは既に自分がかつて経験したような出会いにほかならない。人間だから全く同じではないが。私は日々繰り返される日常をこよなく愛する。それはマンネリかもしれないが、惰性的生活ではない。同じような日常でも、注意していればわずかな変化に気がつくはずである。刺激を求める人には退屈かもしれないが、そこには小さな喜びがある。私はあえて刺激的人生を求める人に言いたい。繰り返し刺激を求めることそれ自体既にマンネリ、悪くいえば惰性的になっているのではないか。日常のわずかな変化に刺激を受けぬような人は、どんなに劇的な変化がおきようとそこから刺激を受けることはないのではないか。人間はマンネリな生活の期間のほうが圧倒的に長い。だから、その生活をより楽しめるように私はマンネリライフを満喫している。
2005年05月13日
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私が、幼稚園児のころ近所に4歳くらい年上の面倒見のいいお兄さんが住んでいました。兄ともども、そのお兄さんにはよく遊んでもらいました。彼の住まいは、社宅の管理人用の仮眠室のようなところで、6畳一間くらいの窓もない薄暗い部屋でした。両親は離婚して、父と二人暮し。家財道具もろくになく、鍵もかからないような部屋に私たち兄弟は勝手にお邪魔していたものです。私の母はそのお兄さんと付き合うことをあまりよく思っていなかったので、いつも内緒で遊びに行っていました。薄暗い部屋で、お兄さんが話してくれる怖い話に兄弟二人とても興奮したものです。そんな付き合いが始まってからしばらくして、お兄さんが隣の町まで遊びに行こうと提案してきました。子供だけでの県境越えは初めての経験である。私はお兄さんを信頼していたし、遊園地に連れて行ってくれるという誘惑もあり是が非でも行きたいと感じました。もちろん旅費はない。お兄さん持ちである。私の兄も珍しく乗り気だった。条件として、親に承諾を取ってくるようにお兄さんに言われました。そして、その役目は兄ではなくなぜか私に回ってきた。私は、子供ながらにとても困ってしまいました。母はお兄さんのことを嫌っている。正攻法で行けば反対されるに決まっている。まして、県外に子供だけで出かけるとなると尚更だ。私のとった行動は、何食わぬ顔で母のもとに行き、「ちょっとそこまで出かけてくる」という言葉で承諾を取ろうというものだ。案の定、母は「行っておいで」と応えた。その後、私は兄とお兄さんのもとに行き、承諾を得たことを伝えた。兄は疑いの目を私に向けたが、そんなことは気にしない。出かけることが決まった。私と兄は、散々人のお金で遊びを満喫した。出かけた先は、お兄さんが昔、家族で暮らしていたところだったようで、ガイドも抜群だった。分別がつくようになってから気がついたのですが、もしかしたら彼はただ遊びに来たのではなく、離れ離れになった母に会いに来たのではないだろうか?僕達から見れば大人に見えたが、彼も小学校3,4年生くらい。明らかにまだ子供だ。彼の父親もほとんど家におらず、まるでひとりで生活しているようだった。出かけてからかなりの時間が経過して、私たちは帰路についた。帰ってみると、そこには鬼の形相の母が。私たちの姿が見当たらないので、誘拐でもされたかと捜索願を出す寸前で、近所中、大騒ぎになっていた。私たち兄弟は、親にこっぴどく叱られた。兄は、「お前がちゃんと言わないから」と言い冷たい視線を浴びせた。仕方がない。子供の武器を使うか。私は、とりあえず泣いて見せ、母に抱きつきその場をしのいだ。その事件以来、お兄さんと遊ぶこと禁じられた。そして、いつの間にかお兄さんの姿も見かけなくなった。あの事件のせいで、そこに住めなくなったのか、それとも離れ離れの母と幸せに暮らすためにいなくなったのかは定かではない。
2005年05月09日
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今日も一日外に出ず、寝るだけの生活でした。
2005年05月08日
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私は、幼稚園から小学校高学年になるまで毎年、夏休みになると母方の祖父母の家で三週間くらい過ごしていました。海沿いにある閑散とした集落に位置し、娯楽といえば海に入るくらいしかないところです。そんな田舎の家に、母方のいとこたちほぼ全員が長期間、寝起きをともにしていました。母は六人兄弟で、いとこの人数は私を含めて13人にのぼる。当時、まだ生まれていない従兄弟もいましたので総数は十人。既に成人していた従兄弟もいましたので、寝泊りしていたのは8人くらい。もちろん、その場に親は存在していません。夏休みに入るとすぐに子供達だけ預けられ、8月15日のお盆の時期になると親が迎えに来るといった状態でした。その時は子供でしたから、あまりそのことに対して深く考えていませんでしたが、今、冷静に考えると多くの子供を長期間預かることはとても大変だったと思います。学校の友達が家族旅行などしているのを聞いて、うらやましく感じていたものです。夏休みの宿題として必ず絵日記を書かされたのですが、かつてはボキャブラリーも乏しく同じ空間の平凡な出来事を面白おかしく書くすべを知らず、大変困ったものです。そういうことが当たり前だと思っていましたが、月日が流れるうちに従兄弟達も成長し自分の家庭や仕事を持ち、大勢で何日も寝泊りすることが全くなくなりました。それでも、8月15日になるとほぼ全員が顔を揃えるのですが。そして、今年のゴールデン・ウイーク、母方の本家の叔父家族、私の兄の家族と私より四歳上の従兄弟の家族が東京の叔父の家に勢ぞろいしました。東京にこれだけそろったのも恐らく初めてだと思います。次の世代の小さい子供達もいて、かつてとは随分と顔ぶれが変わってしまいましたが、大人数がそろった状況を見て子供のころを思い出しました。いつでも当たり前だと感じていたことが、当たり前のことではなくなって初めて物事の大切さを知るのかもしれません。家族旅行より大切なものを与えてくれた人たちに感謝したい。当時、永遠に続くと思っていたかけがえのない夏休みはもう二度と訪れないでしょう。
2005年05月07日
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昨日、おいしいと評判の恵比寿の蟻月というモツ鍋屋に行ってきました。おいしいといわれても、モツ鍋自体を食べるのが初めてなのでよくわからない。モツ煮込みを食べたことは何度かあるが、モツ鍋はよく考えてみたら食べた記憶がない。バブル崩壊後、そこら中にモツ鍋屋が乱立していたころも不思議と食べに行こうとは思わなかった。世の中の流行に対する反発もあったと思うが。モツは確かにおいしいがマスコミで取り上げて大騒ぎするものではない。昔からの庶民の食べ物である。流行が一度起きてしまうと下火になったとき、本当においしいお店まで消えてしまう恐れがある。世の中なんていい加減なものだ。そんなにおいしいなら、何十年前から騒いでいればいいのに。女性にいたっては、ますますたちが悪い。モツ鍋はどちらかというとおじさんたちの食べ物なのに、流行に乗った女性たちが大挙して押し寄せたため、肩身の狭い思いをしたおじさんたちもいたのではないか。挙句にブームが下火になると来店しなくなり、おじさんたちが通っていたお店まで閉店に追い込まれる事態になったところもあるのではないか。だから、私はモツ鍋など一度も食べたことがない。うまいまずい以前の問題で。
2005年05月04日
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今年も、もうすぐ「こどもの日」が近づいています。子供のころ、私の家には鯉のぼりがありました。当時の自分の身長より大きかった事を記憶しているので、かなり大きなものだったと思います。その鯉のぼりがうちに来る経緯は、ほとんど記憶にないのですが母の話によると端午の節句のお祝いに祖父母がかぶとを買ってきたことが事の発端だったようです。かぶとを見た私は、何を思ったのか「こんなもの鯉のぼりじゃない」とのたまったそうです。祖父母がこどもの日に来るというので勝手に鯉のぼりを買ってきてくれると思ったのか。そういわれた祖父母も祖父母で、後日、鯉のぼりを買ってきた。そういう理由で、賃貸物件にはそぐわない巨大な鯉のぼりがうちに存在することになったのです。親から聞いた話で私自身、確証はないのですが子供のころは考えなしに思ったことを口にする性格だったらしく、銭湯に行けばおばさんのお尻を叩き「でっけいケツ」と叫んだり。現在実家には、あの鯉のぼりはもう存在していません。せっかく祖父母が買ってきてくれたのに誰かにあげてしまったらしい。まあ、その祖父母がいまだに健在だからよしとするか。
2005年05月02日
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今日は、本当に何も予定がなくほとんど外出することがありませんでした。
2005年05月01日
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