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今日は、私用で病院自体を休みにしました。かなり眠いので、続きはまた明日。訪問者の皆さん、せっかく書き込んでくださったのに、最近忙しく返事を書けなくて申し訳なく思っております。後日あらためて、書き込みますので懲りずに訪問してください。それでは明日。その日は、また食事会があり予定の時刻までかなり時間があったので六本木ヒルズに行くことにしました。もちろん初めてである。私は、最新スポットや流行の場所にはトンと縁が無い。何かきっかけでもあれば出かけるのですが、そのきっかけさえほとんど無い。私の行動の原則は用事が無ければ出かけない。お台場にしたって、うちの病院の理事長と大塚家具で家具を見た帰りによって以来出向いていない。それも、私から行きたいと言ったわけではなく、「こういう機会でもないと行かないから寄っていく?」と理事長に促されて。恐らく、六本木ヒルズに出かけるのもこれが最初で最後になるだろう。ほんの数時間しかいなかったのですが、見るべきものはほとんど無かった。唯一、釘付けになったのはテレビ朝日内のドラえもんグッズコーナー。しかし、購買意欲はかきたてられなかった。そして、食事会でのこと。店の雰囲気も料理の味もまずまず、近くの席にハイヒール・モモコ似の若い女性がいることを除いてなんら問題は無かった。私は、アルコールはあまり強くないのですがその日はなぜか体調がよくいつもより速いペースでお酒を飲んでいました。途中までは、全く問題なかったのですがメインディッシュが運ばれてくるころ体に異変を感じ始めていました。周りの話が全く聞こえない、完全に酔っ払ってしまった。そこで、お酒を控え水をもらうと何とか持ち直してきました。デザートが終わり、最後の飲み物コーヒー、紅茶に。コーヒーだと匂いと刺激が強すぎてまずいと思い、迷わず紅茶を選択。そこに、油断があったのかもしれません。二口目を飲んだときに、それが気管に入りむせ返ってしまった。全然意識していないのに、鼻から逆流。もうそれが紅茶なのか、嘔吐物なのか分らない。とにかく、自分の意思ではとめられないくらい滝のように流れている。私は、そこで怯まず鼻をナプキンで押さえ何事も無かったかのように退席してトイレに向かった。トイレでは吐くことができなかった。やはり、あれは紅茶の逆流だったのか?しかし、店を出るときにはもはや体力の限界状態でした。店員と私の連れがやり取りをしているころ、嘔吐感を抑えることができず店の玄関口で最初の噴射。店員が来たらばれると思いそこでは軽めに抑え、玄関口から少し離れたところで二発目の噴射。大分、すっきりした。みんなと合流してから駅に向かう途中の植え込みに三発目の噴射。駅の近くでも吐きそうになったが時間が早いのと大勢の人がいるので、何とかこらえて家路に着いた。帰宅すると、あんなに食べたはずなのにものすごい空腹感が。知り合いにもらったナチュラルハウスの五穀おこげというせんべいを一袋食べて寝ました。朝起きると体調もすっかり回復。凄いぞ、五穀おこげ。
2005年03月24日
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小学校4,5年生のときに、「あしたのジョー」ブームが巻き起こった。私たちの世代は、少年マガジンで連載されていたころの社会現象を知らないので、ブーム第二世代といったところでしょうか。アニメの再放送開始とともに、人気に火がつきあれよあれよという間に映画化されるまでに人気が盛り上がっていきました。もちろん私も「あしたのジョー」が好きで毎週、アニメの放送を楽しみにしていました。映画化されるや否や、人生で初めて前売りチケットを購入しました。別に当日券でもよかったのですが、前売りチケットを購入するとおまけが付いていたのでどうせ見るのならとお小遣いをはたいて友達と一緒に買うことにしました。確か、ジョーのパスポートとボクシンググローブの付いたキーホルダーがおまけだったと思います。4~5年くらい前まで、実家においてあったのにいつの間にか捨てられていました。全く使わずに保管してあったのに、本当に残念です。下敷きや、カンペンケースはあるのに。それまで映画館で映画を見たことは何度もあるが、親の暇つぶしに付き合っていくというのがほとんどで自分から見に行こうと思ってお小遣いを使ったのも初めてもことでした。もちろん、友達だけでいくのも。数ヵ月後に公開初日が訪れ、もちろん私たちも朝早くから今か今かと待ちわびながら、人の列に並んでいました。しかし、なぜかすぐ後ろにHくんのお母さんの姿が。子供同士でいくのが心配で、付いてきてくれたようだ。他の親は来ていなかったから、もしかしたら一人だけ他のお母さん達に頼まれたのかも。映画館には入らず、映画が終わる時間には出入り口で待っていてくれました。当初の子供だけでという計画は崩れましたが、映画の内容には満足していました。そして、パート2の公開日にまた同じメンバーで見に来ようと誓い合いました。今でも時々、ジョーが懐かしくなりビデオで見たり、ジョーの映画やテレビアニメの音楽を収録したCDを聞いたりしています。以前、病院のBGMとして流したことがあったのですが、あまり評判はよくありませんでした。まあ、女子供にジョーの良さが分らないのも仕方が無いことだが。
2005年03月23日
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人生において、自分を飛躍的に向上させる存在がある年代では必要だと思います。私にとっては、中学時代に「過去の日記でも紹介したHくん」がそうでした。いがみ合うようなライバル関係ではなく、お互いにその存在を認め合う間柄でした。彼に確認したわけではないので私をどう見ていたのかは知りませんが、少なくとも私は彼に対して敬意を払っていました。当時、私と彼の家は道路を挟んでお向かい同士で私の部屋から彼の部屋の明かりを確認することが出来ました。試験前になると、彼の部屋の明かりが夜遅くまで点いているのを確認すると、彼に負けられないという思いで部屋の明かりが消えるまで勉強を続けたものです。そのころは、学年全体の成績も彼と同じくらいで、まさに目先のライバルという感じでした。彼に対する勝手なライバル意識の甲斐あって、一年後には学年トップに立っていました。その後、私の地元で一番の進学校に進み、高校ではライバル不在で少し堕落してしまいましたがまがりなりにも国立の大学に進学して、歯科医師としての今があるのも中学時代の彼への競争心のおかげだと思っています。部活動でも、彼とは同じサッカー部で同じポジション。とにかく彼に負けないように、練習した甲斐あってレギュラーとなりました。背番号は私が4番で、彼が14番。一度だけ、ユニフォームを交換したくなって申し出たことがあり、彼は快く承諾してくれましたが交換せずじまい。何でそういうことを言ったのか今でもよくわからないのですが、ライバルの番号がほしくなったのかも。中学時代の後半は、二人の差が開いてしまいましたが私にとってライバルはずっと彼一人でした。その気持ちを、伝えたくて中学三年生のときに年賀状に「いつまでもよき友達、そしてよきライバルでいてください。」と書いた。彼はあまりピンと来ていないようでしたが、彼の母親が喜んでいたと私の母が言っていました。もうすぐ受験だというとき、彼の部屋の明かりが連日、朝方まで点いていたので恐る恐る聞いてみました。私:「最近、徹夜でべんきょうしてる?」Hくん:「結構早く寝てるよ。電気つけっぱなしにして。」もしかして、私が三年間見ていた彼の部屋から漏れてくる明かりは、遅くまで勉強している明かりではなく、単にずぼらな性格のため消し忘れていた明かりだったのかも。まあ、今となってはどちらでもよい。彼も優秀な高校に進学したのだから、私が明かりを見ていた時間、全く勉強していなかったわけではないのだから。本当にライバルと、プラス思考の勘違いは人間を飛躍的に成長させる。
2005年03月22日
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今日の昼、新宿のパークハイアットの最上階にあるニューヨークグリルに行ってきました。はじめて行く場所だったので、当日着る服など気になることがあったので数日前に下見をしておいた。その結果、スーツで出かけることにした。私は少し遅れて到着したのですが、何人かはすでに席についていた。下見をした時間が夜だったので気が付かなかったのだが、他のお客さんを見ると随分ラフな格好をしている。ジーンズの人が多い。おまけに下見したときに比べると店内が以上に明るい。もちろん昼と夜の差があるとは思っていたが、あんなに明るいとは。昼でも薄暗いのかと思って損をした。私は、仕事以外ではほとんど眼鏡を掛けないのですが、薄暗い中でメニューを見るのはきついと思いその日はわざわざ眼鏡を掛けていったのだ。すべてが裏目に出ている。スーツでなくても良かったのか?いやいやそんなことはない。確かに、この店はラフな格好の人ばかりだがここに来るまでの道程はみんなきっちりした格好をしていた。52階までの直通エレベーターがないので、41階まで行ってそこから52階まで行くエレベーターに乗り換えるのですが、かなりの距離を歩かなければならない。その間、ジーンズ姿の人に出会うことはなかった。そんな格好で、うろうろできる雰囲気ではない。一体どうやって、今ここにいるラフな格好の人たちは、最上階に湧いて出てきたのか?考えれば考えるほど不思議だ。席に着くとなぜかメニューが決まっていて、メイン・ディッシュを6から7種類の中から一つ選ぶように促された。前菜は、セルフ・サービスとのこと。ランチ・コースは一つしかないのか?ネットで調べたときは、6000円から9000円の三種類から選べたはずなのに。勘違いだったのか?味のほうはというと、私は特別グルメではないのですが、「うーん?」という感じ。私と同じメイン・ディッシュを選んだ人は私を含めて二人いたのですが、もう一人の人の感想も私と同じような感じ。ポーク・グリルを選んだのだが、決して美味くはない。温かくもないし。52階だから、酸素が薄くて火力が弱いのか?他の料理を選んだ人に聞くと、おいしかったようだ。われわれ二人とは味覚が違うのか、それともわれわれが選んだのがその日のハズレ、つまりババだったのか。答えは永久に解らないだろう。
2005年03月20日
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子供時代を振り返るとき、さほど思い出のない場所や親しくなかった人が記憶から離れないことがあります。今日はそんなお話。私の一つ上の兄の同級生で和菓子屋の息子のY君という人がいました。彼は精神遅滞があるという以外、他の小学生となんら変わらない生徒でした。特に暴れたりするということもなく、むしろ健常者の生徒達より手がかからなかったのではないかと記憶しています。もちろん、勝手に早退したり、遅刻をしたことは何度もあると思いますが。彼は特に仲の良い友達がいるわけではなかったが、学校中の生徒に知られるぐらい有名で人気がありました。その理由は、彼が無意識で行っていた巧みなコミュニケーションのとり方だ。自分から積極的に、人々に声を掛けていた。唯一言、「お菓子たべるぅ~?」と。それ以外はほとんど喋らない。初めて遭遇する人は一度は断るがそれが度重なると、お菓子をもらってしまう。和菓子屋の息子なのにいつも持っているのはスナック菓子。いつも自転車にまたがり愛犬の柴犬を連れて。雪が積もるとソリを引き、その中にスナック菓子の袋を乗せて、もちろん愛犬も連れている。お菓子をくれるときは必ず手渡しでくれた。手垢のたまった手で、最初はいやいやもらうがそのうち気にならなくなっていた。ほとんど会話をしないので、それが彼との唯一のコミュニケーションだった。彼は、私たちが遊ぶ路地、公園、グラウンド、場所を問わず現れた。まるで、元々そこに存在する風景の一部のように。恐らく、彼を知っている人たちの過去に戻って何気ない日常の風景を切り取ったとしたら、どこかで彼がひっそりと邪魔にならないように佇んでいることでしょう。ともに遊んだわけではないが記憶から消えない存在。私が小学校の高学年になるころ、彼の姿を見なくなりました。卒業していなくなったのか、途中でいなくなったのかは定かではありません。普通の中学ではなく、養護学校に通っていると兄から聞いたことだけは覚えています。彼の姿を見なくなってから、いつものまにか和菓子屋もなくなっていました。養護学校が遠くて通えないため、家族で転居したのか。彼の消息は多分誰も知らないでしょう。新しい環境でうまくやっているのか。もちろん誰でもそうですが、小学校時代のようにはいかないでしょう。しかし、彼の絶妙なコミュニケーション方法を用いて、いい人たちに囲まれているだろう。
2005年03月19日
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春になって、いろんな人のブログでテーマにあげられている卒業ねた。今日は、それに関連したお話を書こうと思います。ほんの数時間前、懐かしい人が病院に顔を見せに来てくれました。診療中ですぐには出られなかったのですが、声ですぐにHくんだとわかりました。彼は、私の病院に出入りしている歯科材料会社の社員で開院以来の付き合いです。開院間もないころ飛び込みで営業に入ってきたのがHくんでした。とにかく明るく元気な人だという第一印象。他の材料屋さんから材料を買っていて、すべては無理だとしても彼の会社独自のものでいいものがあれば取り扱うことにしました。最初の出会いから数日して、再び彼が訪れました。話を聞くと、会社内で担当地区が決められていて私の病院を担当することはできないとのこと。開院間もないということもあり、私は最初の出会いを大切にしたいと思っていた。だから、彼に「Hくんが担当でなければ困るから、担当はHくんにするよう会社に伝えてください。もし、必要であれば私のほうからも伝えます。」というような内容のことを話しました。顔を一度も出したことがない人が担当といわれてピンと来ないし、入社間もなく歯科業界のことをほとんど知らない彼が飛び込み営業したという彼のガッツに敬意を評したいというのが何よりの理由でした。彼を担当にして正解でした。何より勉強熱心。あまり、材料を買ってあげられないのに毎週顔を出し、新製品を毎度紹介してくれる。彼が他の材料屋さんと違うところは、何より仕事が速く、こちらが質問したこと一つに対して十くらいの答えを常に用意してくれていることです。毎回感心させられていました。これを読んだ人は、そんなの当たり前だと思うかもしれませんが歯科業界ではなかなかいないんですよ。単なる御用聞きになってしまっている人が多くて。今日、彼と会ったのは数ヶ月ぶりのことでした。担当地区の変更で、新人と引継ぎに来て以来。どうやら一月末で会社を辞めたらしい。前々から抱いていた夢を実現するために。四月ごろに飲食店をオープンするらしく、その店がちょうど渋谷なので挨拶がてら立ち寄ったようだ。ほんの少しの付き合いなのに、報告をしてくれたことが嬉しく思いました。もちろんお店の宣伝もあるでしょうが。オープン日には必ず顔を出したいと思います。今までのように、人一倍の元気と明るさ、研究熱心さとガッツでいいお店を作れるように頑張れ。行ってみて、いいお店でしたらブログでも紹介していきます。
2005年03月18日
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二日前、朝のことです。前日、なかなか寝つけず夜更かしをしたせいなのか、携帯電話のアラームを止めようとした時、いつもなら簡単に携帯を手にすることが出来るのに寝ぼけていつまでたっても見つけ出せずにいた。布団の中で、モゾモゾ動いているうちに「ゴキッ!」という音とともに首があらぬ方向に。完全に寝違えてしまった。昨日は、朝から体中が痛くて重い感じでしたが何とか診療をこなし、帰宅しました。寝違いの痛みのために普段とは比べ物にならないくらい体力を使ったのか、その日はいつの間にか眠ってしまっていました。そして今朝、目覚めてみると昨日よりは幾分からだが軽い。痛みもだいぶ和らいでいた。このまま快方に向かうだろうと思ったのですが、間違いでした。朝から水平埋伏智歯(下の親知らず、まっすぐ生えておらず水平に生えている、ほとんどあごの骨に埋まっている)の抜歯があったのがよくなかった。無理な姿勢と右腕に負荷をかけすぎることにより生じる首から背中にかけての激しい痛み。途中、痛みのせいで集中力をそがれたが難なく抜くことが出来た。午前中の診療が終わり一息ついてから、知り合いにインドメタシン配合の湿布薬かジェルを買っておいてもらおうと携帯で連絡をとろうとした。駄目だ、連絡が取れない。そして、携帯の異変に気づいてしまった。電源ボタンが効かなくなっていることに。完全に効かないわけではなく、爪を立ててある一点に集中すればON/OFは可能だ。何度もON/OFを繰り返しているうちに、さらに痛みが増してきた。午後は割りと暇だったので、何とかなると思ったがあえなく期待は裏切られた。急患のオンパレードで、五時から七時の間に十人が来院。一人こなすごとに痛みがよりいっそう増していく。今、私はどうにか帰宅して激しい痛みと戦いながら日記を書き込んでいます。こんなにがんばっているのに明日も痛みは消えないでしょう。明日もし、渋谷で苦悶の表情を浮かべダスティン・ホフマン主演の映画「レインマン」の主人公のように小首を傾げて歩いている人がいたら、寝違えた痛みに耐えている私だと思ってください。
2005年03月17日
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私が小学生のころ、それは爆発的にヒットした。まだ、家庭用ゲーム機やパソコンが普及していない時代の話。それまで、ブロック崩しやテーブルテニスなどそこそこ人気のあるゲームもありましたが、インベーダーゲームはそれらのものとは比べ物にならないくらいの人気ゲームでした。まだ、コンピューターゲームが普及していないので当然ゲームセンターもほとんど存在しておらず、主にゲーム機は喫茶店や駄菓子屋の一角に設置されていました。喫茶店では、ゲーム機がテーブル代わりでした。大人は朝から晩まで喫茶店に入り浸り百円玉を高く積み上げゲームに興じ、喫茶店に入れない子供達は放課後、駄菓子屋に入り浸っていました。あまりの熱狂ぶりに子供達はカツ上げで資金を作ったり、親の財布からお金を盗んだり社会問題になるくらいの現象になっていきました。その中で人々は、ナゴヤ打ちなどの技を編み出したり、針金を使ってクレジットを増やしタダでいつまでも遊び続ける技を身に付けたり。私の一つ下のクラスの男の子は、ゲームに熱中するあまりゲーム機を駄菓子屋から風呂敷に包んで盗み出そうとしてあえなく入り口付近で御用となりました。現場を見ていないのですが、朝の全校集会で校長先生からそのことを伝えられみんなの知ることとなりました。いまだに犯人の顔と名前は知らないのですが、彼は立派な大人になっているのだろうか。そのうち大人たちからのゲーム禁止令や、ブームがすごすぎて下火になるのが早かったのか、インベーダーにそれほど熱中しなくなっていきました。完全にインベーダーゲームを忘れかけていたとき、クラスメイトの部屋にゲーム機があるとの情報を入手。事の真偽を確認すると、確かにあるとのこと。何でもその子のお父さんの知り合いから安く購入したらしい。それでも何十万はしただろう。嬉しいことに、彼は気軽に遊びにおいでよといってくれた。もちろん行くに決まっている。その後、一月以上その子の家に連日10人くらいで遊びに行き、インベーダーゲームに興じました。その家の家族の方には、大変ご迷惑をかけたと反省しております。
2005年03月16日
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私は現在、マイカーなるものを所有していません。理由は必要としていないから。それに、私は住むところを選ぶとき駅近を絶対条件に入れているので駐車場を借りようとすると一月の料金は三万円くらいする。それでは、維持費がかかり過ぎる。駐車場が三万円もするのなら、私は借りている部屋を引き払って駐車場に住むだろう。年齢とともに自動車に対する興味を失っていく私にも、自動車にものすごく興味がある時代があった。小学校時代のことである。当時、全国的にスーパーカーブームが巻き起こり、各地でイベントが開催され、プラモデル、めんこ、ペンケース、消しゴムなどの関連商品であふれかえっていた。私と同世代の男性なら、スーパーカーのプラモデルを作ったり、スーパーカー消しゴムを使って授業の合間に机の上でレースをしたり、一度は経験があるはずです。ランボルギーニカウンタック・ミウラ・イオタ、ロータス、マセラッティ、そしてもちろんフェラーリ、ポルシェ。夢のようなクルマばかりでした。あのころは、外車自体割と珍しい時代でしたから、ワクワクしたものです。そして、スーパーカーではないが6輪のフォーミュラカー「タイレル」。後に大人になって気づくのですが、それは「ティレル」というのです。でもなせか、あのころはみんな「タイレル」と呼んでいた。私の周りだけかもしれませんが。そんなすごいクルマの中で、印象に残っているのは「ランチャストラトス」と「デトマソパンテーラ」。前者はフォルム自体が独特でとてもかっこよかった。プラモデルも作りました。しかし、後者に関してはそのフォルム自体全く思い出せない。それなのに今でも記憶にあるのはその名前。「デトマソパンテーラ」なんといういい響きだ。「デトマソパンテーラ」・・・・・。さあ皆さんも、声に出していってみてください。低くそして抑えた口調で。「デトマソパンテーラ」と。生活する上でほとんど、口にすることのない単語だ。それでいてなぜか言った後は心地いい。
2005年03月15日
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子供のころ、大人の男に対して抱いていた単純なイメージがあります。(1)毎日スーツとネクタイで出勤する。(2)テレビはニュースかスポーツ番組しか見ないかつて、大人とはこんな風だと考え、自分も将来こうなるだろうと想像していた。そして、大学生のころふと考えた。自分は一体いつまで漫画を読んだり、アニメを見たり、ゲームをし続けるのだろう?と。さすがに働き出してからは、漫画をほとんど読まなくなったし、ゲームもしなくなったがアニメは見ている。まあ、最近はアニメといってもディズニー映画やジブリ映画など大人の鑑賞に堪えられる作品が多いのでそんなに恥ずかしいことではないが。しかし、そんなことは大したことではない。やはり、自分が大人ではないと感じるのはスーツとネクタイを着用していないことだ。仕事柄どうしてもしょうがないのですが、リクルートスーツの大学生や新入社員風の人たちを見ると自分の出勤時の服装と比べるとものすごく大人に感じてしまう。私の格好は、どう見てもまっとうな社会人には見えないでしょう。見た目的にも大学生では通らない。さらに、困ったことがある。着る機会がないので、もちろんスーツを買うことなどここ何年もしていない。着ないものにお金をかける必要もない。しかし、数年に一度、着る機会が訪れるのだ。もちろんスーツは持っているが、着慣れていないのでスーツ姿でいることがとても恥ずかしい。なんだかスーツに着られているような気がして。今度、ホテルで食事会があるのでスーツを着ると宣言するとなぜかみんなが止める。理由を聞くと浮くからだそうだ。その会合にスーツが浮くのか、単に私のスーツ姿が浮くのか。どっちだ!
2005年03月14日
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一月前から恐れていた日がやってきました。誰が考えたのか知らないが、恐らくお菓子業界の陰謀により誕生した日、ホワイトデーが。バレンタインのお礼は、もらったときの感謝の気持ちと言葉だけではだめなのだろうか?なぜ一月もたってから、お返しをするのだろう?何で、ホワイトなんだろう?しかし、私がいくらおかしな慣習だと訴えたところでチョコレートをくれた人たちはお返し無しでは満足しないだろう。自分の理論を貫き通して人間関係を壊す根性もない。それで今日、お返しのお菓子を買いに行くことにした。全部で五人分くらい、結構な出費だ。おまけに女性というのは、男と違ってお菓子の味にうるさい。そこで、そこそこ味に定評があり、値段もほどほどのお店に行くことにした。いろんなお店でホワイトデーのキャンペーンを打っていた。目的のお店に到着して、店頭で見たキャンペーン広告。「男は義理堅い」。買わせる気満々である。ただし、あまりにもストレートな言葉ですがすがしい。私は、ほかの店も見ずそのお店で買うことに決めた。数個しか入っていないのに、結構な値段だ。大きいほうが見栄えがいいのかもしれないが、味はいいのだろう。食べてはいないが。出来れば、袋かラッピングにも「男は義理堅い」という文字を入れてほしかった。感謝の心がよりいっそう伝わると思うのだが。ダサい感じになるから、お店的にはだめなのだろうか?
2005年03月13日
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以前からうちの病院に欠けていると思っていたことがある。ゴミ箱だ。もちろん全くないわけではない。必要な場所に存在してないだけ。というのも、診察台のそばにティッシュッペーパーの箱がおいてあり、うがいの後患者さんが使うのですが、近くにゴミ箱がないのでいつまでも使用後のティッシュペーパーを手の中にもてあましていることがよくあるのです。そんな状況を見るにつけ、早く買わなければいけないと思っていたところ、数日前にロフトで手ごろな大きさのゴミ箱を見つけた。ちょうどうちの病院で使っているゴミ箱と同じシリーズの商品だったので、そのとき購入しようと思ったのですが、同じ色がない。それで、その日は買わずに後日フランフランで見てみることにしました。ロフトとフランフランはほとんど品揃えが同じなのでもしかしたら求めている色のものがあるのではないかと考えたのです。本当なら昨日見に行く予定をしていたのですが、あいにくの雨だったので今日の昼に見に行ってきました。行ってみるとうちの病院と同じ大きさのものは売っているが、小型のものは取り扱いがなかった。仕方が無いので、患者さんの荷物を置く手ごろな大きさの棚のようなワゴンのようなものを探したがピンとくるものがありませんでした。そこで、フランフランはあきらめてロフトに行くことに。ロフトの入り口に入ったとき予想だにしないことが起こった。手ごろなミニテーブルが展示されていた。これは荷物置きに使えるのではと考えた。予算は際限なく使えるわけではないので、値段を確認しようと歩いて値札を覗き込もうとしたとき、「ゴン!」という鈍い大きな音と左目の上あたりにとてつもない激痛が。そこはガラス張りになっていて、目測を誤って思い切り激突してしまった。近くにいた見知らぬ男性が、驚いて振り向くくらい大きな音でした。その後、三十秒くらいそこから動けない状況で、帰ろうかと思いましたが気をとりなおしていざ買い物へ。結局ゴミ箱は色違いのものしかなかったのですが、痛い思いまでしたので買わずにいられませんでした。何とか目的を果たすことが出来た。病院に帰ってぶつけたところを確認してみると、小さなたんこぶが出来ていた。こぶが出来るなんて子供のとき以来です。情けない。
2005年03月12日
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この作品は、脳外科手術によって超天才となってしまった精神遅滞者である主人公チャーリー・ゴードンの顛末を描いた物語である。映画化やテレビドラマ化され知っている人も多いと思います。この物語は著者であるダニエル・キースの教師時代のある出来事がきっかけで生まれたそうです。彼が教師として働いているとき、放課後一人の精神遅帯の生徒から質問されたそうです。「僕も、もっともっと勉強すればみんなのように賢くなれますか?」と。彼は返答に困ったそうです。そして今までの自分の認識が間違っていることに気が付いたそうです。彼ら精神遅滞者は、知識を身に付けることに興味がないのではなくわれわれと同じように知識を身に付けたいと感じているのだと。彼らを特別視しているのは、われわれの方であり彼らは特別だと感じていないと。本の内容を大まかに書くと、超天才となってしまったことによる疎外感、かつての自分と同じ精神遅滞者を自ら差別していることへの自己嫌悪、過去の自分に対する家族の本当の気持ち知ることによる苦悩。やがて起こる手術の副作用による知能の退化に対する恐怖。知識を得ることとそれに伴い失うこと、人生に必要なもの、本当の幸福とは何かを考えさせる秀作です。まだ読んでない人は是非読んでみてほしい一冊です。主人公の言葉が印象的です。「賢くなくたっていい、友達に囲まれていれば」。何年も前に読んだ作品なので、大体こんな感じだったと思います。明日の日記に続く。
2005年03月11日
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私が新しい小学校に通い始めて最初の冬休みがもうすぐ終わるころ、突然クラスメイトのNくんが私の家を訪れた。一度だけ彼がコンバトラーVの巨大超合金を持っているというので友達数人と彼の家に遊びに行ったことがあるが、それ以外で彼と放課後遊んだ記憶はほとんどない。それだけに、野球をしようと私を誘いに来た彼の行動は不思議に思えた。クラスメイトと野球をしていてもほとんど参加しない彼が野球をするのも初耳だし、とにかく驚いていた。彼とはあまり親しくはなかったが、嫌いではないしむしろ好きなほうだったので快く了解した。「他に誰か来るのか?」と聞いたら誰も誘っていないと言うので、困ってしまった。冬休み中ということもあり、野球を本格的にするにも人数を集めることは出来ない。キャッチボールぐらいは出来るが、あまり親しくはないので私一人では心もとない。それでクラスで一番仲のいいHくんを誘うことにした。運良くHくんを誘い出すことが出来た。三人ならなんとか間が持つだろう。そう思った。遊び始めて数時間が経過したころ、N君から思いもよらぬ話をされた。「明日、大阪に引っ越す」と。そのことを知っているのはクラスで私とHくんだけだった。暫し、コメントのしようがなかった。私とHくんは大阪になど行ったことがなく、とりあえずNくんに大阪のことをいろいろ質問した。当然、彼も新居を見に行ったくらいで大阪のことは何も知るわけもなく、ただ人が多くここよりかなり都会だということしか分からなかった。新居は今までのように戸建ではなくマンションらしい。私が育ったところは、ほとんど戸建に住んでいてマンションなるものを見たことがなくアパートとの区別がつかなかった。「アパートかぁ・・・(頭の中で1Kくらいのボロアパートを想像)」と言う二人の発言に、彼はずいぶん憤慨していました。その後も日が暮れるまで、明日も今と変わらず遊べるかのように三人で遊びました。そして、明日もまたという雰囲気でそれぞれの家路についた。それから新学期が始まりました。先生はN君が突然転校して行った事をみんなに伝えると、クラス中はびっくりしていました。私はそのことをいち早く知っていたので、なんだか優越感に浸っていました。本当にみんな知らなかったんだ。数日してNくんから手紙が届いた。新居はかなり高層のマンションだというようなことが、長々と書いてあった。結構拘っていたんだな。アパート発言。読み終えると、私は年賀状以外では生涯初の手紙をNくん宛に書いた。その後、年二回くらいの手紙のやり取りを十年近く彼とすることになる。今はもう手紙のやり取りさえしていないし、彼にあったのはあの日が最後となってしまいました。会えば思い出が崩れるのでこれでいいと思うのですが、時々彼がどういう人間になったのか知りたくなることもあります。想像ですが、彼があの日、なぜ私のところに来たのか今はなんとなく分かる気がします。彼は新しい生活に不安を感じていて、転校生の先輩である私のことを思い出して無性に会いたくなったのではないかと。私と同じで突然転校する羽目になり、ほとんどお別れを言えずに去っていった寂しさ。彼のささやかなお別れ会に参加できてよかったと思います。
2005年03月10日
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最近、何かと昔のことを思い出します。だんだん記憶が薄れていますが、その時起こった出来事を冷静に分析して過去と現在の因果関係を自分なりに考察しています。誰にでも人生の転機となる出来事があると思いますが、私の場合、それは突然訪れました。小学一年生の三学期の終業式の前日、母から明日引っ越すことと移り住むところから今の学校に通うことはできないので転校しなければならないということを告げられた。なんだかその時は、遠足か旅行に行くみたいな気分で寂しさや不安な気持ちは微塵もありませんでした。翌日、私と兄はいつもより早く学校に出かけ職員室を訪れ担任の先生にお別れをした。引越しの準備があり同席できなかった両親の変わりにおそらく兄が転校手続きをしたと思うが、記憶は定かではない。それだけ慌ただしかった。それから私たち兄弟は、終業式には出ず家路を急ぐのですが、当然のことながら登校してくる生徒の流れに対して逆走することになる。事情を知らない人にとっては不思議な光景である。友達とすれ違うたびに理由を聞かれる。突然の転校で誰にも伝えていないので無理もない。「転校するんだ」そう言おうとするが、声にならない。何故だか急に悲しくなり泣きそうになって、隣にいる兄を見るともうすでにうつむいて泣いていた。私たち二人は、ただ無言でうつむいたまま帰宅した。(当時は泣く事が格好悪いことと感じていたから)そして、新しい小学校での始業式。まだ私には居場所がなく、他の転校生達(もちろん私の兄も)と控え室で待機させられた。その後、式が終わり私たちの出番となった。各自配属されるクラスに担任の先生と行って、クラスメイトの前で自己紹介するのだ。今でこそ見知らぬ人の前で話をすることはそんなに苦ではないが、その時はおそらく人生で初めての体験だったと思います。口から心臓が飛び出すくらいに緊張しました。全く知らない40人の注目を集めている自分。その光景を今でも時々思い出します。当初の不安や孤独はすぐに解消され、私はそこで楽しい暮らしを満喫しましたが。その後数年間、兄は友達に別れを告げられなかったことで親を恨んでいましたが、今思えばそういう経験があったからこそ今の自分があるように思えます。生まれたところで死ぬまで暮らしていける人は幸せだと思いますが、そういう人は稀でしょう。幼少期の体験のおかげで、私は環境の変化に対してそれほど敏感にならずに暮らすことができます。新しいところでもすばらしい未来があると思えるから。
2005年03月09日
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昨日のお昼休憩のことです。私は、さほどおなかが空いていたわけではなかったので、女性スタッフとともに近くのコンビニに食糧を買いに出かけました。まあ、ここまでは普段よくある光景です。しかし、ここで今まで一度も経験したことのない奇跡を目撃しました。そのコンビニのレジは三台あり、右端に女性スタッフ、真ん中のレジに私が。会計のときに店員に言われた額が、284円。食糧を買ったにしては少額すぎるという事ではありません。何気なく隣を見ると、ナント彼女の合計金額も284円。店員二人も、彼女も気づいていない。気づいたのは私一人。支払いが終わった後、私は彼女にレシートを捨てないように指示。彼女からレシートを受け取ると二枚を並べて見せた。それでも気づいていないので合計金額を指し示した。私:「買った商品が違うのに、すごい偶然じゃない?」彼女:「そうねぇ」あんまり感動してない様子。私:「これって、運命じゃない?」彼女:「(フッ)」鼻で笑われてしまった。店員さんは数限りなくレジ打ちをしているのでそういうことに遭遇することもあると思いますが、お客さんとして訪れる人はほとんどないのではないでしょうか?商品一つしか買わない人は別として。私はこの奇跡を何かの啓示と思い、その二つのレシートを大事に財布の中に保管しています。
2005年03月03日
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私が渋谷に勤務し始めてからずーッと思っていることがあります。渋谷駅を出て原宿方面へ歩くとタワーレコードの手前にハーゲンダッツがあります。今ではコンビニだってスーパーマーケットだって売っているアイスクリームのお店です。週末ともなれば狭い店内に人が並び、寒い中、外で食べている人もいるくらいです。その店内なのですが、狭いんです。とても狭いのです。テナントとして入っているわけではなく、丸々ハーゲンダッツの建物です。2Fは食べるだけのスペースになっている2階建の小さい建物なのですが、薄いんです。奥行きが全然ないです。昔、おぼっちゃまくんというアニメがありました。そのアニメに出てくる通称びんぼっちゃまの家のようです。アニメの中のびんぼっちゃまは見た目は大きなお屋敷なのですが、一歩入ると見ていたお屋敷はベニア板に書かれただけの見せ掛けで、断崖絶壁に暮らしているという貧乏なおぼっちゃま(気取り?)なのです。さすがに渋谷のハーゲンダッツはベニア板の門構えではありませんが、薄いです。裏手に何かの施設だか事務所かがあるみたいなのですが、土地の高い東京だとこういう建物になるんだなぁ~と思います。気を付けて見ていると『なぜこうなんだ!?』と思う建物がたくさんあります。
2005年03月02日
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