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「メリハリのある生活にしたいもんだ」の、“メリハリ”って何なんだという疑問がわいた。パソコンで変換すると『減り張り』と出た。何となくわかるので安心してたら『乙張り』なんて変換が出てきたので面食らった。何なんだ、この『おっぱり』って。ネットで検索したら『メリハリは、「メリカリ」が転じた言葉。「メリカリ」とは、低い音を「減り(めり)」、高い音を「上り・甲(かり)」と呼んでいた邦楽用語のひとつで、現代では、主に尺八などの管楽器で「浮り(かり)」が使われている。「減り」は「減り込む」など、一般的にも使われていた語であるが、「上り・甲」は邦楽以外で使われることがなかったため、一般では近世頃より、「減り張り(めりはり)」と「張り」が使われ、音以外にも「仕事にメリハリをつける」「メリハリボディー」など、比喩的に用いられるようになった。』という解説に行き当たった。ナルホド。しかし、『おっぱり』問題がまだ解決しない。さらに検索すると『「メリハリ」は漢字では「減り張り」と書き、これは「メリカリ」(表記は「減上」あるいは「乙甲」)という尺八の奏法と関係があり』と出てきた。ナルホド。ナルホド。じゃあ、もうこの際、前から気になってた『ピンからきりまで』についても調べてしまえ。とりあえず『最高級から最下層・粗悪品まで』というのが俺のイメージなのだが何となく『1から10まで』っぽい気分もある。ピン言うたら『ピン芸人』という言葉もあるし、『1』って感覚はあるのだが冷静に考えれば、キリに『10』のイメージはない。むしろ、キリ=切りがない、って感じだ。ドコで『1から10まで』のイメージが根づいたんだろう。ところが調べてみるもんだ。ピンもキリも外来語だったようだ。『ピン』の語源は中国語で、丸いモノを指すらしく『ピンズ』の『ピン』だ。で、サイコロの“1”の赤い目=ピンとなったクサイ。次に『キリ』だが、終わりとか区切り、切れ目の『切り』と誤解されてるが、実はこれはオランダ語らしく、ナント『キリシタン』『キリスト』の『キリ』らしい。漢字の『十』=『十字架(クロス)』=『キリシタン』といういにしえの三段変換活用のなせるワザらしい。やはり本来の意味は「1から10まで」だったようだ。つまるところ『ピンからきりまで』とは『中国語からオランダ語まで』らしいのだけど…誰が言いだした言葉か知らんが、もう少し整理して使わんかい。ってゆーか、お前ら、よくもこんなダジャレまじりで複雑怪奇な言葉の組合わせを「あ、なるほど。1から10まで、ってコトね」と、理解できたもんだな、昔の人よ。それにしても、今では『キリ』が、ある種、悪いモノになってしまっているが、キリストだぞ、キリスト。ええんかい、そんな扱いで。
2005年11月30日
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名古屋時代に通っていたバーがある。ほとんどカウンターしかない小さなバーでなかなか人目につかない上に、「自分が気に入ったお客さんにだけ来ていただければシアワセ」という我儘なバーテンの経営方針により広告も一切打たない店だったりする。人の紹介ではじめて訪れたのは、もう4年近く前か。俺が関東に移ったことでなかなか顔を出せなくなってしまったのだが夕べ久しぶりに顔を出してみた。風の便りに『最近、やっと混む日も出てきた』と聞いてたので行ってみて混んでるのもシャクなので事前にメールを入れてみた。『あたしの席はまだ空いてるのかしら』バーテンからの返信『私にあなたへの愛がまだあるのなら』うーむ。相変わらずバカだ。ま、どっちもどっちだけど。「ごぶさたです。半年ぶりかな」とバーテンに声をかける「一年ぶりです」と言われてしまう。ゲゲ。せっかく行ったのなら会えたらいいなと思ってた当時の常連さんにもドンピシャで会えた。「うわっ。何で居るんですか。30分で帰ろうと思ってたけど、こりゃダメだ」とか言ってくれる。久しぶりのバカ話で盛り上がる。たしか総理大臣を小沢にやらせろ、って話をしてたはずだが、いつのまにか『火垂の墓』の話に流れ、『日本がダメになったのは、グレープ味が出てきて欲しいのに サクマドロップの缶を振れども振れどもハッカしか出てこないという “人生ってなかなか思い通りにいかない”という実感や経験を 持たない人が増えたからだ』という真理にたどり着く。非常に良質な時間を過ごした気がしたのだがこうやって文字にしてみると非常に情けない気持ちでイッパイになってしまったのはナゼだろう。
2005年11月30日
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いや、ラーメンが食べたかったのだ、俺は。今日のお昼は。晴れてはいたけど、肌寒さを感じていたし。そういえば、しばらくラーメンを食べてなかったし。そういえば、あそこにラーメン屋があったっけなと、思い出したし。ラーメンは好きだし、思い入れのあるラーメンはあるけど世間で騒がれるほどラーメンに執着はない。そんなスタンスではあるけれど、それでも時々無性に食べたくなる時があって、それが今日のお昼にやってきたって感じだった。部下の子を一人連れて事務所にほど近いトコにある「神戸ラーメン 第一旭」という店に行った。チェーン店でそこそこ有名なので知ってる人も多いだろう。近いといっても、そこそこ距離があるため普段、なかなか行く気になれない。ので、今日で二回目だ。前回は確か、スタンダードに醤油ラーメンを食したはずだ。麺が俺には細くて頼りない感じがしたが、味付けがそこそこ濃厚でマズイ印象は残ってなかった。その前回の時には見落としていたのだと思うが店頭に出てたお品書きに見慣れない品名があり、思わず目が釘付けになった。「なんだコレ」「トマトラーメンって書いてありますね」「うん」「狙いは何なんでしょう」「皆目見当がつかんな。それにコッチを見ろ」「な、何ですか。この『イタリアン油そば』って」「知るか。パスタ狙いか?」「創業者にそんな野心を感じません(店頭に創業時代の店長の写真もあった)」「やりますか?」「俺はトマトの方が危険な気がする」「では、若い私がトマトに挑戦しましょう」「じゃ、俺イタリアン油そば」今年42歳、来年早々には43歳になろうというのにいまだに危険地帯に自ら足を踏み入れてしまうクセが無くならないのはなぜだろう。こーゆー場合、『変なモノから順番に』試すクセが抜けない。結果的にトマトラーメンは坦々麺の挽肉がトマトになってる感じなのだが、そのトマトはスープとともに煮込んだワケでなく、口の中にいれるとヒンヤリしてるというスグレモノだ。結構なピリ辛スープだったが、部下は、これに酢をバンバン入れ「あ、美味い」と言っていた。コイツは結局何を食わせても一緒に感じる味覚ゼロなのだろう。俺がオーダーした『イタリアン油ソバ』は、もはや、それは「ラーメン」ではなく見た目の雰囲気パスタ7割、冷やし中華3割といった風情でパスタ皿、ノー・スープ、麺ペペロンチーノ状態で、早い話が「悪いけど今日食いたかったのは、パスタじゃなくてラーメンなんだけど」なのであった。こーゆーのが食べたい時、私の国ではスパゲッティを食べます。ハッキリ言って惨敗な気分で席を立つ。「何なんだ、この店は。狙いがわかんねえよ」と小声でブツブツと部下と2人でツッコミ入れながら店を出ようとした時にカウンターにバカでかいヒスイの原石(だっけ?)がディスプレイしてあることに気がついた。プロジェクタがあって壁に映画『皇帝ペンギン』が映し出されている。BGMはさっきからドリカムだ。何だナンダ。お前の狙いは何なんだ。創業者は今ごろ泣いてるぞ。
2005年11月26日
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今朝、通勤のために東西線に乗ってた時のこと。俺は座席横のポール(入り口脇んトコね)にもたれて、いつものように本を読んでた。茅場町に近づくにつれて、乗車する人が増えてきて俺の回りにも立ってる人が増えてきた。ま、いつものことだけど。それでも、本から視線を外すこともなく『いまなぜ青山二郎なのか(白州正子著)』を読んでたら突然、すぐ近くから朗々とした歌声が聞こえてきたのでビックリした。目を上げると、俺の前に立ってたオッチャンが仁王立ちになって歌っているではないか。耳がヘッドフォンでふさがっているところを見ると何かの曲に合わせて歌っているクサイ。どうせなら初志貫徹で、朗々と歌いきってもらいたいのだが途中途中、自信なさげにハミングになったりしやがってからに横にいる俺としては、どうにも苛立たしいのだ。たぶんカラオケの練習でもしているのだろうが、イキナリ電車の中で歌い出すヤツあるか。しかし、こーゆーのは、ケータイでグチャグチャ話されるよりよっぽど面白いので、とくに注意もせず放っておいた、というよりむしろシゲシゲと観察してしまった。『電車の中で突然に』というシチュエーションは昔もあって、名古屋時代に地下鉄に乗ってたらやはり隣に座っていたヘッドフォンをしたオッチャンが突然「…イエス!アイウィルビー…アー」とか言い出しやがったからのけ反るほど驚かされた。どうやら彼のヘッドフォンの中に英語の先生がいるらしく「リピート」だか「スピーキン」とか言われたので真っ正直に英語で話始めたのだろう。だから、電車の中でイキナリ練習すんなってば。電車内ではヒアリングまでで我慢してくれ。どうしてオッチャンたちは、かくも自由人なのか。
2005年11月26日
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人は誰も電車に乗ると爆睡し、夢を見、寝汗をかき、よだれを豪快に垂らし、必然的結果として乗り越すものだが、中には目的の駅に到着すると同時にパチリと目を覚まし何ごともなかったかのように立ち上がりホームに降りる不届き者がいる。つまりコイツはずっとタヌキ寝入りをしていたことがバレてしまっているワケで、そーゆー後先を考えないアタマの弱い、とんだ食わせ者なのだがそういうヤツ等に限って「いえ、私も本当に寝ていたのです」などと底の見え透いたウソをつくものだ。そんなことできるワケがない。普段、千葉の行徳から茅場町まで東西線を利用しているのだがその時間は俺にとって貴重な読書タイムとなっている。なっているはずなんだが、電車が地上から地下へと潜りはじめる頃、俺自身も意識下では電車と一緒になってドンドン潜ってしまう傾向がある。それはそれで自然の摂理というか、宇宙の秩序なので逃れることはできないから文句はない。文句はないのだが、一度眠ってしまった以上次に目が覚めるのは『気が済むまで寝た』実感を得るまで待たねばならないから問題なのだ。一通り夢を見終えるとか、寝汗をたっぷりかき気持ち悪さにうなされてとか、いつの間にか頭が下がってしまい、というか下がり過ぎて自分の股間に顔を突っ込むような前屈姿勢のまま眠りこけたために顔面に血が溜まり顔中が痺れてしまうとか、悪気はないんだけど隣の人の肩に頭を預けてしまってでも、アナタもホントは俺にもたれかかられて嬉しいんじゃないの?なはずなのに思いっきりその肩でエルボーを食らわされたりとかしない限り俺は目が覚めない(きっぱり)ついに電車の運行中に目覚める機会を逸してしまったために真っ暗な倉庫の中で目が覚めたこともあるほどだ。寝る、ということは、つまり覚悟の問題なのだ。覚悟のないヤツぁ、最初っから起き続け、ご老人に席を譲ったり黙って自分の肩を俺の頭のために差し出せばいいのだ。何でこんなことを言いだしたのかというと今朝もいつものように無自覚に眠りこけてしまったのはいつものことだがこんな時に、時々起こる生理現象のひとつで『ビクン!』ってのをやらかした。結果、手に持っていた文庫本を、真向かいに座ってたご夫人に投げつけるという暴挙に出てしまった(らしい)。「あーっ!どどどど、どうもスイマセーン!」慌てて本を拾いに行きつつ詫びたのだがそのまま茅場町まで、そのご夫人に睨まれっぱなしとなった。俺の何が悪いというのか。詫びたでわないか。それよか、俺の隣でさっきまで寝てたアイツ。アイツ、門前仲町に着くと同時にすっくと立ち上がって降りちゃったけど、ああやって寝てるフリしてたアイツの方がよっぽどワルなんじゃないのか。
2005年11月22日
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お酒飲みとしては、バカラのロックグラスぐらい持っていたいモンだが、残念ながらとても手が出やしない現実がある。いつかは、当たり前のようにバカラのグラスでうがいとかデキるようになりたい俺だけど、それはきっと随分先の見果てぬ夢なのだろう。先日、名古屋のオフィスに滞在してた折りに社長の机の上にクリスタルなドラえモンを発見。ペーパーウェイトとして使われているそのドラえモンのポケットにナント!『バカラ』のロゴが。うっそお~、マジかよ。思わず手に取りひっくり返してみると、そこには『Fujiko-pro』と『Baccarat』2つのクレジットが掘り込まれている。何という悪趣味なシロモノなんだろう。全国の名所旧跡を完全制覇したケテーちゃんにも相当にエゲツない商魂を感じたものだが、これはないでしょう、バカラさん。も少し仕事を選んでほしかった。まぁ、ケテーちゃんには興味がないので、どうでもいいが。なまじ憧れ度合いが高いブランドだったのでこーゆーのはちょっとイヤなのだ。グッチの草履とかシャネルの畳と同じ『嫌さ具合』だな。社長登場。「これ、本物ですか?」「うん、バカラ」「へぇ~」「あ、欲しい?」「ん?あっ!?…いや、その」「あげるよ」「へ!いいんですか」「はい、どうぞ」「あ、ども」あっけなくバカラが自分のモノになってしまった。なぜ、毅然と断らかったのか。それはバカラであってバカラじゃありません!となぜ突っぱねなかったのか。このウツケ者めが、俺。腐ってもバカラ。ブランドに弱い名古屋生まれのサガなのかもしれん。
2005年11月22日
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ま、そんなワケで話はドロボーさんだ。部下のマンションに『誰かが進入しそして出ていったかもしれない』と警備会社から部下のケータイに連絡が入ったらしい。何だソレ。『単なる警報器の誤作動かもしれない』らしい。何だソレ。『誤作動の可能性はない』らしい。じゃ、何らかの犯行があったのかよ。『警報装置が作動した時は警備員が持ち場を離れてたので』わからないらしい。何だソレ。警備会社の役割ってのは、そんなモンなんだろうか。警察との連携とか、詳細な連絡とかはないのか。それはただ、市民の日常を無駄にかきまわしてるだけではないのか。役に立たないゾ、○ーテック。俺もドロボーのたぐいには何度か遭遇している。●古くは俺が小学校低学年の頃、 自宅のガレージに停めてあった車にキーを指しっぱなしにしてたために 深夜のうちに車を盗まれかけた。 気づいた近隣の方が懐中電灯を振りかざし『ドロボー!』っと叫んだために 慌てたドロボーがハンドルを切りそこねたために 道路脇の溝にハマり車を捨てて逃走。●以前勤めてた会社に泥棒が進入。思いっきり荒らされたワリに 被害ナシ、というか会社に現金を置いてなかったので 盗りようがなかった。 その前夜まで会社に泊まり込んでたために一命をとりとめた思いだった。●車上荒らしにもあった。鍵をかけたかどうかは覚えていないが 朝、会社に行こうとしたら思いっきり引っかき回されていた。 盗られたモノはナシ。 むしろ、普段から汚かったために荒らされたんだか そのままなんだか、判断がつかなかったほどだ。●今の会社が運営している学習塾にドロボーが2回は入ってる。 世界に自慢できるほどビンボーな会社なので被害はナシ。 むしろガラスを割られてしまったので、損してる。●実家にもドロボーが入った。神経質で心配性で凝り性の 父親(俺はこの人の遺伝子を一本も引き継いでいない)らしく 以来、『自分でできるセキュリティ・システム』の構築に余念がない。 おかげで、夜間は特に気軽に実家に顔を出すことが非常に困難になった。ま、こんな感じでドロボーとの接近遭遇は意外に多い。今、書き出してビックリしてるとこだ。すべての犯行が同一人物ではないだろうから世の中には実に沢山のドロボーさんがいて、実際にご活躍中だということになる。今日は特にオチをつけるつもりはない。すでに年末。みなさんもお気を付けて。
2005年11月21日
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我が社の社長と話してた時、話題が「ムー」系に及んだことがある。きっかけは『ヒバゴン』だったはずだ。俺のスタンスは「あんなもんチャラくせぇ」なのだが、社長がボソッと「今頃どうしてんだろな、ヒバゴン」と漏らしたために俺が思わず食い付いた。「まさか、ヒバゴンが本当にいると思ってないでしょうね」「いるに決まってるだろう」「へっ?!マジっすか」「いるいる!あーゆーのはちゃんといる!」「じゃ、ネス湖のネッシーは?」「もちろん、いる!」「じゃ、ツチノコは?」「いるに決まってるじゃないか」「こないだ韓国でUFO騒ぎがありましたよね」「あんなん、大マジメにいる。お前は宇宙人がいないと思ってるの?」「いや、こんなに宇宙は広いんだから宇宙人はいるのかなとは思いますよ」「当たり前だ。いるに決まってるよぉ」「宇宙人とヒバゴンでは可能性が違いすぎませんか?」「可能性じゃなくて、いる!」「あぁ、いることが前提(笑)」アンタの下に何十人社員がぶら下がってると思ってんだ、とはいわなかったけど。いやぁ、いろんな意味でショッキングな時間だったな、あれは。川口探検隊の行動に何一つ疑問を持たなかったんだろうなぁ、このヒトは(きっと今でも)ファンタジーとしてなら日本の妖怪が好きだ。いる・いないじゃなくて。間違いなく水木チルドレンだ。あの、何のために存在してんだかわからない役どころの妖怪が特に。「あずき洗い」とか「あか舐め」とか。気がつけば我が家の本棚も妖怪系の本で一角が占められているほどだ。しかし、それは先人達の想像力というか創造力というかそーゆークリエイティビティに敬意を示すような心持ちなのだった。間違っても信じているからではない。信じてないってば。
2005年11月20日
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『滝のような』と来れば普通『汗』となるのだろうが『滝のような鼻水』なんですけど、今のワタシ。ここのところの風邪で、ずっと咳と鼻水が止まらなかったのだが今朝になって鼻水の質が“ネバネバ”から“サラサラ”に変質した。老廃物が出切ったワケで、いよいよ完治に近づいた証拠なのだろう。誰にでも経験があると思うが、まったくもって『どこの管が破れてんだバカヤロウ』的な鼻水降水量で誇張でも比喩でもなく、今日1日でリットル単位の鼻水をかんだ。気分的にはガロンで量ってもいいくらいだ。まるで男子中学生の勉強部屋並みに仕事場のゴミ箱はティッシュで溢れかえっている。ちょっと油断すると鼻水がポタポタと机の上にこぼれてしまう。何の粘りもないので、堪えることができないのだ。今も鼻の穴にティッシュを詰めて、このブログを書いてる。うっかりパソコンのキーボードの上に鼻水をたらしたことでパソコンが壊れてしまったら、メンテナンスの人に説明できないからだ。「すいません。壊れたみたいなので、ちょっと見てもらえませんか」「はい、どれどれ。ははぁ、キーボードが逝っちゃってますね」「やっぱりぃ」「どんな状況で使われてたんですか?」「えっと、ちょっと鼻水が垂れちゃってね」バカである。朝から鼻水をかみまくってる俺に部下どもは、「今日はもうお休みになってください」「あとは我々で何とかカバーします」「今から車を手配しますから病院に行かれてください」というケナゲな発言をする者は、誰もおらず、「確か小指のツメが鼻水のツボです。黒柳徹子が言ってました」「ネギ焼いて首に巻くといいですよ。それやってるトコ見たいです」というばかりで全然ダメダメなのだった。ツボ効かないし(←一応試してみた)
2005年11月19日
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DSトレーニング系ゲームのテレビCMでサラリーマン2人の会話で「あの映画観ました?あの、アレ」「あー、アレな。あの女優の」「そーそー、アレ」とかってヤツ。思わずテレビに向かって「ハーイ!」と手を上げそうになるほど俺も重度の「アレアレ症候群」だ。とにかく固有名詞が出てこない。最近では漢字を書くのも相当困難だ。それどころか、アタマの中で書きたいと思ったコトとクチや指先から出てきた内容が全然違うというトンでもない現象まで出てきた。少し前の話になるが、部下と出張に行ったことがあった。ホテルのフロントでチェックインした時に「では、こちらをご記入ください」と、いつものように宿帳を差し出されたのだが、無意識のうちに今の会社ではなく俺が昔在籍してた会社名をそこに書込んでたのだった。「とっ、取締役ぅっ!」と叫ぶ部下の声に思わず、ハッ!となり、やっと己の過ちに気づいたのだがヤバい現場を部下に視られてしまった。取締役員としての自覚皆無と彼の目には映ったのだろうか。だろうな、きっと。取材や打合わせでクライアントのトコでメモをとってる時にこの症状が発生した場合も恥ずかしいコトこの上ない。そーゆー時に限って、もんのスゲく簡単な漢字が出てこないのだ。たとえば『偏差値』とかを『偏さ値』って書いたりして(↑妙なことに偏とか値は覚えてる)。赤瀬川源平に倣えば『いやぁ、本日も老人力がみなぎってますなぁ』『ますます老人力に磨きがかかってきましたわ』と、なるのだろうが、そんな余裕カマしてる場合じゃない。今から数年前の話だが、社会人向け右脳トレーニング・ジムといった事業立ち上げのお手伝いをしたことがあって、その取材の折りに、実際のトレーニングを体験させていただく機会に恵まれた。右脳といえばイメージ力であって、感性であってそれはお前、俺の領域じゃん。大得意ですわアッハッハのはずだったが実際にやってみた結果トレーナーの人に「およそ60歳レベルですね」と当時まだ30代だった俺にアッサリ判定を下しやがった。その直前まで『デキるクリエーター』の顔をしてオリエンテーション&取材をしていただけに同席していた先方の広報担当者も面食らったに違いない。俺も俺で『さ、さっきの話はなかったことに…』とか言い出しゃしないかヒヤヒヤだったのだ。兆候はすでにあの時に出ていたワケで、青いサカナもそれなりに食べたはずだけどDHAが追いつかなかったとみえる。今日もバトミントンの、あの『羽根』の名前が思い出せず胸板の厚い男好き新卒ライターに教えてもらったのだった。「なぁ、悪ぃワリィ。あのさ、バトミントンのな 羽根あるやん。アレ、何て言ったっけ?」「羽根です!」「ちゃうわ、アホ。羽根なら俺が今言ったろ。違うよ。カタカナでさ」「え。あれはハネですよ」コイツはもとからバカなので将来もDSトレーニングの必要がなくて羨ましい限りだ。※↑正解はもちろん「シャトル」
2005年11月19日
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きっとどこかで記憶がねじれ結果のはずで、ホントは『寺山』と『金粉』の間に『唐十郎』と『天井桟敷』を入れないとダメなのだろう。念のために『寺山修司』『金粉ショー』でググったら30件もヒットした。少なく見積もっても世界には12~3人の俺並みのお馬鹿さんがいるのだろう。『虚人 寺山修司伝』(田澤拓也 著)という本を読んでいる。古本屋で見つけた一冊だ。申し訳ないが田澤に惹かれたのでわなく虚人でもなく寺山修司に興味があってのご購入だ。さよならだけが人生ならばまた来る春は何だろうはるかなはるかな地の果てに咲いてる野の百合何だろうという、有名なアレを実は10代半ばからずっと引きずってたりするのでこういう本に目が止まってしまうのだ。三つ子の魂百までというが、10代の頃につけた引っかき傷もなかなか強敵で、カサブタになったまま、きっと完治しないものなんだろう。10代特有の、あの何とも言えないメラメラと沸き上がる激情というか劣情というか、あのモヤモヤした気分を腕力にモノ言わす方法論もあれば、文学を隠れみのにやり過ごす方法だってある。享楽的に異性方面にドップリ浸かる人だっているのだろう。俺はどうだったかというと、きっと全部に手を出したクチでつまりはとてもハンパな10代だったのだと思う。そんなハンパなアレだったとしても42歳になった今でも、古本屋で『寺山』という字を見た途端後先考えずに買ってしまうのだから、刷り込みとはスゲエもんだ。ほかにも『中原中也』とか『大宰』とか『三島』とか『谷川俊太郎』とか『森田童子』とか『桜田淳子』とか『うわさのチャンネル』とか『お父さんはチビ3』とか『死刑っ!』などのキーワードにはいまだに反応してしまう。お里が知れちゃうほどハンパで、よくあるタイプの10代なのだった。う~む。今日はこーゆーコトが言いたかったワケではないのだが何でかこんなオチとなった。
2005年11月18日
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『今日のお昼は、ドコにメシを食いに行くか』というのは、1日の中でもかなり重要度の高いテーマだ。俺の仕事場がある中央区・八丁堀は、新橋並みに“オヤジの街”なので選択肢の多くは『居酒屋ランチ→塩サバ定食780円』というタグイになりがちだ。中華系なら『飲茶セット』ではなく『チャーラーセット』『洋食屋さん』ではなく『豚カツ屋』だったりする。当然のことながら『カフェめし』とかのコジャレたアイテムは無い。基本的にサカナ好き・和食好きなのでそれほど不自由してるワケではないが『店を換えても変えても塩サバ定食』という山頭火みたいなローテは、とても健全だとは思えない。そんなワケで、徒歩圏内は行き尽くした感のあるこの八丁堀界隈を今日は、今一度ほじくり返してみたのだが、やはり本日も入った店は居酒屋であった。入ったのは初めての店だけど。が、しかし。その店で俺は『まだ見ぬ世界の強豪』に出会ってしまったのでした。店のノレンをくぐり抜け、店内に足を踏み入れた途端に店の奥から亭主だか、板さんだかの声が飛ぶ。『いらいらいらいらぁーっ!』はっ?!今、何と?とても日本語とは思えないフレーズに気圧されつつ席につく。ちょうど昼飯時で、人の出入りが激しく、絶えず店内にそのワケのわからないコールが響き渡ることになった。入ってくる人には『いらいらいらいらぁーっ』そして出ていく人には、ナント!『あーりあいあいあーっ!』あるいは『あーりあいあいあさぁーっ!』の2種類があることを発見したが、使い分け方に法則性を見つけることはできなかった。何を言っておるのか。レゲエかよ。挨拶とかお礼だとしたら、ちゃんと言いなさいね。それでわ、本日はこのへんで。あーりあいあいあさぁーっ!
2005年11月17日
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東京メトロ東西線、という言葉を聞いて真っ先にイメージしてしまうのは、阿鼻叫喚の生き地獄列車、という非常に壮絶な世界だったりするのだが、千葉県民が毎日、都内大移動を果たしている一翼を担っているのは間違いない。そして俺も、その一員だ。何なんだ、あの混みようは。平日の昼間に利用したことがないので、日中の混み具合は知らないが朝/夜のせめぎ合いは相当なモノだ。朝、会社に着いた時にはすっかり体力を消耗してるので勤労意欲が湧かずこのままUターンして帰ろうかと思ってしまう。土曜日が出勤日の時は比較的混んでないし、まず座れるのだけどそれでもやっぱり会社に着くなり「今日はもう帰ろう」と思ってしまう。平日のダメージが蓄積され週末になっても解消されていないからに違いない。休み明けの月曜、朝起きて布団から出ようかという時でも無意識のうちに「今日は会社に行きたくないな」と考えてしまうほどなので、いかに東西線の満員電車っぷりが俺に与えるダメージが強烈なのかおわかりいただけるはずだ。今こうして仕事場のパソコンから日記を書込んでいるのも東西線の満員電車から来る疲れが影響しているのは間違いなく、いざ、仕事をする体制になっても「何かやりたくないな」と思ってしまうなんて働き盛りの俺にとって考えられないことだからだ。この俺がどれほど仕事熱心な男かというと、こうしてパソコンのキーボードを叩いてる限りほかのメンバーからは、俺がバリバリ仕事してるように見えるから間違いないのだ。すべて東西線が悪い。
2005年11月17日
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今年の春に入った新人コピーライターが起こした原稿をチェックしてた。原稿のテーマは『職人待望論』『職人礼賛』とでも言うものでたとえば「技術力がある」だの「知識が豊富」だの、って下りに「人情」とい切り口が出てきたので、思わずチェックを入れた。「ここだけどさ。“人情”だけだったら誰でもあるやん」「…はぁ、そうですかね」「お前が言いたいのは、もっと、こう…高い次元の “懐が深い”とか“情に厚い”とかってコトだろ?」「あー!そうですそうです。胸板が厚いとか」「胸板が厚いのは、肉体的な特長だろうが」「あれ?言いません?胸板が厚い」「や。言うけど、それは慣用句ではないだろ。 お前、胸板が厚い男が好きなのかよ」「あ、かもしれない」「お前の性癖なんてどうでもいいよ。 ちなみに俺は胸筋をピクピクさせられるぜ」「あ、そうなんですか?」「あ、いや。だからどうだっていいってば。そんな話」「あそうか」「だから、ここは変えよう。どうしたい?」「…えーっと。胸板が厚い」「だから、それはお前の性癖だってば」「えーっ」「それを言うなら“情に厚い”だろ」「あ、そうかも。そうですそうです」私の部下は胸板の厚い男が好き。どうでもいい個人情報を手に入れてしまった。そして胸板の厚い男を好きな部下は慣用句に弱い。どーでもいい。
2005年11月16日
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1974 年といえば今から30年以上前ってことになる。何の話かといえば、俺が今住んでるマンションが建った年だ。当時、30代前後だっただろう住人も今はマンションとともにそのまま加齢して定年を迎えるかどうか、って感じだ。先日の名古屋出張から帰ってみると1枚の通達が郵便受けに入ってた。以下要約。『このマンションのベランダや外壁の一部にヒビが入っとるけん、 補修工事をすることにしたっぺ。 だもんで、どこを工事せなアカンのか下見の調査が必要だで 今度の土日は、ドコにも出かけんと待機しといてつかぁさい。 お前んとこのベランダの上下を調べさせてもらいもっそ』要約した分、ふんだんに方言を織り交ぜてみた。意味はないが。1年半ほど住んでみて思うのだが、昔のマンションって防音はかなり完ぺきなのね。隣や上下の音はほとんど聞こえない。こりゃあ、ありがたいや、って思ってたんだけどやはり寄る年波には勝てないもんらしい。で、その日の朝、検査に来た。金属製の如意棒のようなのを持ったオッチャンとニイチャンがベランダに出て、俺の部屋から見ると屋根に相当する『上の階のベランダの底』をその金属の如意棒で、あっちこっちをコンコン突っつきまくり始めた。コンコン、コンコン、コン、コポ「あ、ここダメだな」え?コポコポ、コン、コポコポ、コポ、コポ「あ~、こっからこっちまで来てるなぁ」はひ?コポコポ、コポ、コポ「な?」「ですね」住人(俺)を無視してオッチャンとニイチャンが確認しあってる。確かに素人の耳にも場所によって音が違うことがわかる。「そのコポコポがマズイんですか?」聞いてみた。「うん。中の方までは行ってないけど、来てるわな」「来てますか」何が“中の方まで”どれくらい“行って”るのか全然わからんが、場所によって“来てる”らしい。行ってるんだか来てるんだかどっちだ。で、中に何がいるんだ。まっくろくろすけか。俺は仲介業者を通じてオーナーから又借りしてるだけなので工事費の負担を俺がすることはないのだけど工事が始まっちゃうことは確からしい。頑丈だと思ってたマンションも30年でそーゆーコトになるらしい。まぁね、洗濯物を干してる最中に上の階のベランダが崩れて逝く、ってのも死に際としては非常にノドカではあるけれど今はまだ勘弁なのでお願いするよりしょうがない。もし中にまっくろくろすけがいるんなら1っ匹くらい分けてほしいけど。
2005年11月16日
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たとえば『アイナメ』という魚がいる。コイツを漢字で書くと『鮎並』となる。『鮎魚女』とも書くけど。鮎と同じくらい美味いってコトらしい。『カワハギ』は、そのまま『皮剥ぎ』で、硬い皮を剥いでから調理する魚だからだそうだ。最近読んだ本の受け売りなんだけど、相変わらず語源とか、言葉の成り立ちに興味が行ってしまう。「熊さん、糸ひいてるぜ。当たりが来てるよ」「おっと、今日は調子がいいね。それっ」「どうだい?何が釣れたい?」「あぁ、コイツだ。ほら。皮を剥がねぇと食えねえ魚だよ」「そうそう。まったく世話が焼ける魚だよな、それ」「…」「何だよ、どうしたい?急に黙っちまって」「…カワハギ」「えっ?」「んあ、いやあ、だからカワハギって、どうよ?」「何を言い出すンだ、薮から棒に」「だからね、この魚、名前ないだろ。何て呼ぼうかなって 思ったんだけどな。カワハギってどうだ?」「お!お前さん、上手いこと言いやがる。なるほど!カワハギね」「どうだい?悪くねえだろ?」「あぁ、確かにカワハギってツラしてやがるぜ」「じゃあ、とりあえずこれからはカワハギで」「おうっ。港のヤツラには俺から言っとくよ」なんて会話がされたんだろうか。名前が決まる瞬間ってヤツに立ち会いたいもんだとつくづく思う。毎年、現れては消えてくコギャル系言葉でもなく、星や動物の発見者が自分の名前をつける、ってエゴっぽいのじゃなくて自然についた、伝わった系の、その自然の最初のトコに。今できた言葉(名前)が何百年あとにも残ってる。そーゆーの。で、「あれは、俺が作った」って何百年後にエバりたい。できっこない話だけどね。
2005年11月15日
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本格的に風邪ひきサンになる。なった。ゲホゲホ。咳と鼻水が止まらない。神保町での打合わせのあと、遅い昼食として前から気になってた『薬膳カレー』の店に転がり込む。本人の体調が悪く気分的にメゲメゲな分だけ特にこーゆー献立に意識が行ってしまうのだろう。本来の俺は決してスローフード志向を気取ってるワケでない。ま、糖尿がブリ返すような食生活にならないように気をつけているけど。朝ご飯を抜いてた&今はもう2時30分という条件のもと、躊躇なく「あ、大盛りってできます?」風邪はひいてても熱があるワケじゃないから食欲は全然減ってないのだ。薬膳の概念くらいは知ってるが、特別コダワリも知識もない。どうせ漢方なエキスが紛れ込んでるのだろう、くらいだ。で、何だコレ。ルーの中に小さなトマトが2つほど転がっている。一緒に煮込んだワケでわない。サラダに入れようかどうしようかええいルーん中に転がしちゃえ的にトマトが2ヶ。あと草が3本と、ほうれん草のオヒタシがヒトヤマに半分に切ったウズラのゆで卵が1ヶ分ルーの中に転がっている。トマトとナニガシカの葉っぱとほうれん草とウズラで薬膳の完成らしい。どれがアタマでどれがトイツでドラがどれだかワカランがツモ上がりしたってワケだ。ふざけるんじゃない。なんだ、この貧相な野菜カレーわ。こーゆのは私が産まれた国(名古屋市)では“薬膳”ではなく“貧相なカレー”と言います。どうしてお前ら“薬膳・滋味・スロー連合”は、いつも、こーゆー過ちを犯すのか。ガツンと来んかい、ガツンと。“薬膳”と名がつけば誰もがアリガタがると思ってんじゃねえ。カツを乗せろカツを。キャベツの千切りはどうした。そうでないならオーダー取る時に『当店のカレーは、かなり貧相ですがよろしいでしょうか?』と、なぜ断りを入れなかったのか。ま、たぶん、入るべき店を間違えたんだけどな、俺が。ココイチにでも行けばよかったのだ。
2005年11月14日
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アンティークや古着、昭和レトロは好きな世界だが『貧乏クサイ』ものは嫌い、というタチだ。たとえば台所用品や100均ショップによく売られている無意味な花柄とか。なぜボトルキャップを開けるゴムやレトルトパックを搾り出すヤツにいちいち花柄をつけたりするのだ。あーゆーセンスがダメなのだ。赤貧の子ども時代を過ごした覚えも、欲しいものは何でも手に入る環境で育った記憶もない。ま、たぶん、今が人生で一番貧乏なくらいだが、きっと普通の家庭で育ったワケで、金銭感覚も美的センスも、それほど世間ズレしているつもりはない。風邪をひいて鼻水と咳が止まらない、という話は昨日書いた。一応、薬でノドの痛み・咳・鼻水に効果的と書かれてる薬で処方しているが、それでも咳は止まらないし、鼻水は出てくる。『咳にはマスク。鼻水にはティッシュ。アベコベに覚えると不幸を招く』というロシアのコトワザにある通り(ウソ)なので今朝、仕事場に途中のコンビニでティッシュを買い求めた。直感的に鼻のかみ過ぎで痛くなるのがイヤで、2~3の保湿性の高いティッシュの中から選んだのが『鼻セレブ』白地にウサギの写真が添えられているパッケージだ。購入する時は何も思わなかったのだが、いざ仕事場の机の脇に置いて何度か使ってるウチにひどくビンボーくさい名前な気がしてきた。『鼻セレブ』ティッシュのわりに高級だから=セレブ。鼻だけセレブ。ほかは全然ダメだけど、せめて鼻だけでもセレブ。あなたが全然セレブじゃないのはわかってるからせめて風邪ひいた時くらいセレブ気分を味わってくださいね、鼻だけでも。なーんか、アレですかね。病気だと気弱になって、基本的に負けマケ気分になるからっすかね。こーゆーモノを選んでしまった自分を自分で責めてしまってる。このネーミングって、台所用品の花柄と基本的に同じだと思うんだよね。『この辺に花柄でもつけとけ』みたいなノリ。で、それを素直に買ってしまう人。はーい(←俺)こーゆーチョイスだけは、しないと思ってただけにふと気づいてしまった今、自己嫌悪気味。今がビンボーだからでしょうか。風邪だからでしょうか。
2005年11月12日
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久しぶりにブログを再開した途端に風邪をひいてしまった。きっとブログと風邪に因果関係はないけど。咳が止まらないのが先か後かワカンナイけど、ノドが痛いのとダブル症状。今んトコは熱までは出てない。昨日まで恒例の名古屋一週間出張だったのだけどその間に社長から移されたっぽい。「風邪をひいたみたい」というと7割8分9毛くらいの確立で「今年の風邪はね…」と言われる。どうしてみんな、そんなに「今年の風邪」に詳しいのだ。たとえば化粧品なら『秋の新色』だのファッションなら『今年はオレンジにこだわる』だの『ここら辺りじゃあ紅葉はもうオシマイで今からなら東北』だのそーゆーコトよりも断然、知ってる率が高いのはナゼか。ついでに言えば俺の感覚では、まだ日本全国でも関係者の10人くらいしか知らないはずの誰も知らないような歌手の、誰も知らないはずの新曲をなぜ、みんなカラオケで普通に歌い出せるのだろう。「風邪ひいちゃったみたい。ゲホゲホ」「あぁあ。お大事に。今年の風邪は熱がなかなかひかないらしいよ」「いや。熱は出てないよ。咳と鼻水だけ。ゴホゴヘ」「あらら。じゃあ、今から出てくるんだよ」「そーかなぁ。俺がもらっちゃった風邪の張本人も咳と鼻水だったけど。ンゴゲハ」「あ、っそお。ふ~ん…(音楽的にはデクレッシェンド)」そして、さらに不思議なことに自分の意見とその実際が違ってた場合、詫びるでもなく、驚くでもなく、まして謝るでもなく妙な間を作りやがるのだ。「ふ~ん…(デクレッシェンド)」のあとに。まるで俺の風邪じゃダメなんだと言わんばかりの気配も漂わせて。ま、どなた様に風邪には気をつけて。今年の風邪は咳とノドですってよ。
2005年11月11日
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最後の更新が「May」となってる。Mayとくりゃあサツキ。トトロ。そして五月だ。半年も放っておいたのにアクセスだけは続いて気がついてみれば8000件を超えている。ありがたい、ありがたい。活字中毒になって、すでに、たぶん、30年以上なんだろうがその間、いくつかのマイブームというかビッグウェーブがあった。それは時に作家であったり、時にナニガシカのテーマだったりする。作家で言えば、古くは筒井康隆、椎名誠(ただしエッセイに限る)、宮部みゆきなどで、テーマとしては、国産ミステリだったり、日本語ってどうやってできたの?だったり日本人とは何か!であったり、パパッと作る簡単料理だったり超便利!炊飯ジャーで作るおかず50選だったりする。ちなみに炊飯ジャーでオカズを作ったあとにご飯を炊くとご飯焚いてる段階でオカズが冷めちゃうわ、炊き上がったご飯がオカズの匂いが移っちゃうわ、じゃあ、ご飯を後にしようか、って順番を入れ替えるとせっかく焚いたご飯を他の容器に移さなアカンくて「え~!保温はぁ?」となって、これも何だかイケマセン。あれは炊飯ジャーが二つ必要なのですね。どうでもいいですが↑さっき「ご飯焚いてる」と打ったつもりが「ご反対tel」と誤変換しました。クレームってことでしょうか。さて、本題に戻りますが今、また新たなテーマが沸き上がってて、それは『ケンポー』だったのでした。『日本国憲法』最近、改憲の話がアッチコッチで話題になってるけど、それはそれとして、少し前に古本屋で俺の好きな作家、池澤夏樹の『憲法なんて知らないよ』を見つけたことがブームの突端。この本は、終戦後日本政府側が草案した新憲法に『NO!』を突き付けた米国総司令部側が起こした草案(もちろん英文)を池澤夏樹が『翻訳』したもの。池澤は『改憲カイケン、って言うけど今の日本の憲法ってのは、なかなか悪くないもんだぜ』というスタンス。この本で一気に自分の中に火がついた感じ。どうして総司令本部はこの憲法を突き付けたのか。否定された日本の憲法はどんなだったのだろう。誰がどんな状況で作ったのか。そもそも当時の政府・閣僚はどんな陣容だったんだろう、ってことまでよく考えたら(42歳にもなって恥ずかしい話だけど)全然知らなくて。それで、アチコチの古本屋で目に付いた『らしい本』を買い漁ってる日々だ。ちなみに今は『日本国憲法をつくった男 宰相幣原喜重郎』って本を読んでます。
2005年11月09日
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