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雪かきでもしたいわというほどうだる暑さ、本日梅雨明け。梅雨のためか、ここ2週間ぐらい、下着なのかシャツなのか、少し臭い気がした。きっと、梅雨のせいで、洗濯物が乾いていないからなんだろうと思いつつも、もしかしてこれってあの噂の加齢臭?いわゆるおっさん臭なのではないかと、AGE30代の私は純朴に危惧したのであった。そういう事情もあり、今日は、断腸の思いでニューなバナリパのシャツをだして着てみた。ニューじゃないかもしてないが、数年前までは律儀にもTシャツにまでアイロンをかけていたので、その頃に数回着たやつかも知れない。そういう特殊条件の下、本日も汗だくになったのだが、無事、臭くはならなかったので、きっと、おっさん臭ではないのだと、安心した安心の日であった。まだおっさんになるまで当分かかりそうだ。足はきっと臭くないわ。バリでビーチでそろそろバリバリしたくなってきたぞ。
2006.07.31
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ご存知の通り、フィリピンは経済的に貧しい国ではあるが、先日新聞を開くと、自分を幸せと思っている割合が9割弱となっていた。仕事はない、金はない、犯罪は多い、政情不安定、汚職・・・・しかし、孤独、疎外感、そういった心の不安やケアからは遠くにあるかもしれない。 何を隠そう、私の高校の友達が近くに住んでいる。近年は何かと疎遠になっているが、何を隠そう、医者と旦那と離婚してからは、1人暮らしである。現在、彼氏がいるかどうかは定かではない。ただ、駅から家路に向かう2,3分の間に、男の人が前後に歩いていたら、怖いので、携帯電話で、話しているふりをしながら歩くのだそうだ。その電話番号が、近くということだけで、私になっており、今まで、間違えて発信ボタンを押してしまい、2度ほど電話がかかってきたという実績もある。持つべきは人畜無害のご近所のマッチョマンというものなのだろう。 そんなこんなで、昨晩、急激に電話があり、救急車を呼ぶほどでもないけど、腹痛我慢できないということで、久し振りに会うのが近所の緊急病院に連れて行くという大役を急遽果たすことになった。まだ、私が独身であると勘違いしているのであろう。しかしそれはあながち勘違いでもなく、善意の第三者として、お連れしたのであった。 そんなこんなで、私は、家にいるとベリィホットな扇風機だけの環境であるが(一応、エアコン2機は持っているが)、帰り道、車はヒエヒエになり、夜半過ぎに駐車場に停めると、安堵感からか、少しだけ眠ることにしたのであるが、起きると、汗びっしょりの朝方であった。そんなこんなで、空が白んでいるモーニングコーヒーなのであった。そんな訳で、アップしようとすると、楽天メンテ中であった。
2006.07.30
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そうやって、適当に文章を書いていて、適当に世界が終わり、適当に何百年後かにこの文章を発見したら、この時代の人々は旅行ばっかりしていたのだなあと勘違いされるのではないだろうか。 考えてみれば、大抵の日常は、普通に飯食って仕事などをして、出して寝るだけなのだが、毎日そんなことは書かない、特別な料理や特別に寝過ごしたり、特別に寝すぎたり、特別に遊んだり、したときにだけ、今日はこんな珍しいことがあってさあと、書き記している。 考えてみれば、その通りで、世界史というのは、特殊な出来事だけをかき集めた集大成であり、一般人の日常なんて出てこないわけである。 考えてみれば、例えば、江戸時代は年貢に苦しみ、飢饉が頻発し、一揆ばかりの苦しい世の中であったと記載されそう習ってきたが、それは割合で記載してくれなければ、そんな時代がずっと続いていたのと勘違いする。飢饉はほとんどなかったし、それは一部地域であったし、一揆はほとんどなく、企てただけでも一回に換算し、毎日結構飯を食う日々であった。 江戸時代、いろいろ恐怖政治を敷いていたように語られるが、役人は300人もいなかった。(警官は30人いなかった。外注アウトソーシングが多かった)人口50万人にしてである。今の警視庁には43,000人の職員がいる。人口1260万人にしてである。これでは、恐怖政治もできねえ。
2006.07.29
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201円という大金を持ち帰ったオラは、そのまま、お金を借りて家に帰ったという訳ではないんだわ。いつものように、神戸で昼間から飲める外人がたむろするパブに直行するんだわ。今もその店はあるが、移転してから外人は減り、何だか健康的になってしまったんだわ。この前に、写真屋があり、現像の間、そこで他人のオカネでまたビールを飲むんだわ。勿論、所持金があって帰国した時には、ちゃんと、オラ自身の金で飲むんだわ。 成田からかえったりなんかすると、富豪根性で、すぐに帰らず、とにかくよく誰かの家に泊めさせもらったり、引き続き国内旅行なんかするんだわ。富豪なもので、青春時代も兼ねていたので、青春18キップを駆使したりするわけなんだわ。 とにかく、迂闊にも、そのときには、ソウル5日で、5日酔いのことばかり頭にあり、下半身が緩んでいたことをすっかり忘れていたし、帰りの無料OBビールで、腹タプタプになっいたのも忘れていたが、パブでビールを頼んでしまったので、富豪的律儀さで、無理して飲んだんだわ。 自分の住む駅を降りてしばらくあるくと、もうたまらなくなり、人生2度目の街中での野グソを敢行したんだわ。うんちに、紙があるというのは、うんちより、とっても汚いものに見えるんだワナ、これが。あ、このことは、警察及び、富豪仲間及び、MI6、モサド、タス通信、AP,UPI、スペナッツ、日本政府には秘密だよ。時効だとしてもね。 そいから、オラのことをうんこたれと呼ぶな。パンツ汚すよりましだろっぺ?
2006.07.28
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自分は、昨日の日記で、調子にのってソウルで昼間は一日中寝ていたと嘯いてしまいましたが、1度は、散歩に連れて行ってもらいました。泊めて貰っていた学生の後輩であり、彼女を連れてきており、学校では日本語も勉強しており、日本語を少しばかり話す人でした。名前は伏せておきますが、ドンボーという名前でした。泊めて貰っていた親父に日本語で毎日、「オマエタベル」とか戦中の名残で怖い言葉で更にニコニコしながら片言の日本語を話してくれていたために、ドンボーの日本語は敬語が散りばめられとても優しく感じました。ソウルタワーに行きました。 ドンボーの彼女は日本語と英語が出来なく、自分は英語と韓国語ができないので、ドンボーの彼女はニコニコしているだけでした。そこで、素早くドンボーはニコニコしながら日本語で言いました。「私の彼女は、あまり、うつくしくありません」自分は少し顔が引きつり、ドンボーの彼女の顔を見ました。ドンボーの彼女は微笑み返しで、更にニコニコっと笑っていました。 すこし、顔が凍りついた自分に気がついたドンボーは、更に得意の日本語でいいました。「そのベンチで、アンパン食べましょう」ドンボーは、誠にオカネのない自分がいうのも何ですが、彼自身も学生の分際でお金の持ち合わせが少なく、自分に食糧を供給するのに苦労していたようです。是非、日本に来られた時には、酒池肉森全漢千席の世界にご招待したいと心から誓ったのでした。 ソウルタワーからの景色のことは、今ではすっかり忘れてしまいましたが、そこで声をかけてきた女性が、今まで会った日本語を話す外国人で最も日本語が流暢な人でした。顔もアジア人なので、日本に紛れ込んでも、絶対にガイコクジンとは分かりません。分かったとしても絶対在日韓国人と思われるぐらいの熟練度でした。 結局、自分は、その帰りに、レコード屋でストーンズの「エモーショナルレスキュー」を買うほどの余裕ブリを発揮しました。700円でした。残りは、300円です。 そんなこんなで、自分は、空港までわざわざ送ってもらい、凱旋帰国を果たしたのでありました。大阪空港では、自分は、金がないのどうすべきか考えていたのですが、外に出る一番近い税関検査の所に並びました。他人が自動ドアから出て行くのを見ると、自動ドアの向こうに2人の友達が自分なんかの溜めに迎えに来てくれていました。そして、他の列の人々はどんどん税関を抜けていくのに対し、自分は犯罪者被疑者非国民の如く、唾棄されるが如く、目の敵にされるが如く、税関員にあれこれ拷問質問を受け、荷物を事細かにチェックしていただくのでした。他の人々がどんどん出て行き、そのたびに自動ドアが開き、2人は、最初は手を振ってくれていたのですが、そのうち心配そうな顔になり、仕舞いには大笑いしていました。税関員の人も気がついたようです。「お連れ様ですか?」そんな自分もようやく、税関無事抜け、2人に再会し、開口一番、帰りのバス代がないことを赤裸々に告白し、韓国ウォンを両替して、その201円を2人に前金として渡すのでありました。
2006.07.27
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バンコク、ドンムアン空港の床でで目覚めた小生は、所持金が1,000円である現実に対して、韓国5日間をどう対処していくか、それが目下の課題であった。 正確にいうと、日本円1,000円以外にも、タイバーツで数百円分あったことは、心の支えでさえあった。私の乗る大韓航空で、頑張って明後日の分程度まで飲みまくり、フラフラしながら、ローカルバスでソウル市内に向かい、そして、大学の前で下車したのであった。 当時は、何を隠そう、小生、西ノ宮市民なら誰でも知っている大学に通う大学生であったので、大学生的特権を使うことが得策と考えられた。何を隠そう、その大学は実名で出すと、東国大学という大学であり、すかさず、私は学生課に向かって言ったのである。勿論、髭面である私の風貌に、あまり髭を伸ばす習慣のない韓国人は驚き、何故か私の事をアメリカ人と間違えたようなのであるが、まあそれはよい。小生は、日本の学生を代表して、御大学を表敬訪問しました!と高らかに宣言したのである。きっと、日本の大学生は全員ヒッピーなのだと思われたかもしれないが、学生運動が吹き荒れる政治の季節である大学当局のシンパシーを得たことは間違いない。というか、もしかしたら乞食或いは物乞いと思われたのかも知れない。 しかしながら、韓国の大学は大変親切かつ親切かつ親切なのであった。1時間後には、大学の正門を出て一番近い中国料理店にて、学生数人と酒盛りをしていた冷静沈着な私であった。そこには、教授まで飛び入り参加し、私は本当に親善大使のような気がしてきた。しかし、親善で訪れたことに誤りはない。ただ飯に預かろう、誰かに泊めて貰おうなんていう浅ましく、卑しい考えは、小生の心の奥底にしかなかっただけなのであった。しかし、心の奥底でなく、体の胃袋は、最近1日1食という健全たる食生活を数日送っていたために、小さく小さくなっており、豪華絢爛満漢全席酒池肉林状態の中華料理をほんのちょっと食べただけで、小生の胃はパンパンに腫れ上がり入らなくなったのである。 韓国人は、私にお金を一銭も払わせようとしない。そんな訳で、5日間特にお金を使うことはなかった。そして毎晩、朝方まで飲んで飲まれて胃腸がおかしくなった。昼間は、夜の飲み会に備えて、二日酔いを少しでも抑えるために夕方まで泊めさせてもらっている家で眠るのみであった。まるで、狼が傷を癒すように、じっと時が過ぎ、体が癒えていくのを持っていたのみであった。
2006.07.26
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ワシの所持金は3,000円を切っておった。騙されたり、散財したり、ぼられたりし続けたただけである。残りのバンコク滞在日数は3日である。そのまま日本に帰るとは問屋が卸さず、ソウルにストオップオーバー5日が控えておる。勿論、齢10代にシテ、プチ大富豪であった私は、顔パスが効くと思ったので、クレジットカードは1枚も持っていない。学生の分際でカードを作るのも言語道断支離滅裂侃々諤々日々是毎日である。 そんな訳で、私は涙ながらに金の無心をすることにした。ちょうど、この日、先輩が日本に帰るということを覚えていたのである。ワシは、その人がきっと空港で寝ると踏み、最終29番バスで空港に向かったのである。そして、先輩はいた。先輩の名誉のために名前は伏せておくが、通称ガリバーである。本人の前では言えないのが玉に傷なのであるが、身長190センチにして、21歳にしてまだ身長が伸び続けるのボレロなのであった。名誉を殴り捨てて、ワシは、空港に存在感を漂わせながら、床に転がっている先輩に優しく声をかけたのであった。 「センパイ、オカネカシテ」ガリバー先輩は、目を覚まし、目を擦りながら、慎重な顔つきと、高潮させた頬のまま、どことなく元気がなかったのであった。 「ああ、詐欺にあって、金ないんや」ガリバー先輩の話によると、こういうことである。 それは昨日のことであった。最後のチャイナタウンをブラブラ歩いていた所、車から身を乗り出した美人に声をかけられたのだという。1人はシンガポール人、1人は香港人、1人はマレーシア人なのだということで、この時点で怪しい訳だが、旅行者、ハプニングを好むの法則に則り、ついつい観光案内に連れていってくれるという甘い誘いに、全財産をベルトに巻いていることを確認し、取れるわけないよな、と自己弁護しながらも、乗ったのであった。 しかし、車は、観光観光といいながらも、あるモーテルに入っていったというのである。この時点でヤバイ男が出てきて身包みはがされるのでは、と思うのが常時であるが、気分は高揚し平常心はないのである。平易に言えば、スケベ心がでたのではないだろうか。どんな高貴な言葉で語っても、ガリバー先輩の下半身もガリバー状態だったのであろうとワシは予測した。そして、ガリバー先輩は、生まれてはじめての4Pを体験したという寸前であったが、4人が裸になった数秒後には、そのうちの香港人か誰かが、外を見て、「きゃあ、彼氏がいる」とわめき出し、「これからお楽しみだったのにゴメンネ」といわれ、いそいそ服を着出したので、ガリバー先輩も自ら身包みはがされ状態から、馬のぶらさげニンジン状態と変貌し、急いで、Tシャツやパンツを反対に着ながらも(多分)、車に乗り込み、そして元いた場所へ下ろされたのであった。まあそれでも中途半端でもなんとなく得したと思ったガリバー先輩は、そこで、ビールを飲んじゃったりなんかして、いい思い出作ったよなあと感慨深く思ったのであった(と思う)。 しかし、これが作戦であり、そういった砂利金はちゃんと残っているのであったが、ハラマキに巻いた全財産は、驚くことに見事に空っぽなのであった。最後の夜をスリクロンなどの高級ホテルなんかでフィーバーして泊まってやろうといった先輩の企みは無残にも夢破れ、夜、空港に向かったとのことであった。そして、寝袋を床に敷いて、フテ寝、ウトウトというときにワシが出現したというわけである。 まあ、前置きが長くなったが、要約すれば、私はオカネを借りることができなかったということである。仕方なく、私は、チャイナタウンに戻り、7月22日噴水の前で、ただただ時間を潰していたのであった。何故なら、冒頭のとおり、空港税150バーツ(当時750円)を払うことを考えるともはや、ジュース一杯、煙一服も大事にしなければならないのである。 そこに、手ぶらの娼婦がフラフラ寄って来て、私の隣に座った。「スリープ、スリープ」と彼女は言った。ワシは、全財産がいかに少ないことを日本語で熱弁を奮い、これがあさってまで使える全財産であると、100バーツ1枚を見せたのであった。娼婦は、何を思ったのか、噴水の脇に座ったまま、本当にスリープしてしまったのであった。頭が舟を漕いでいた。ワシは、ランドアバウトになっている噴水の周りを回る車やトィクトゥクを眺めていた。 やがて、娼婦は立ち上がり、去っていった。しかし、娼婦は、戻ってきた。ゆで卵を一つ持って。殻を剥き、「あなたオカネないのね」といって卵をくれた。 ワシはタイのやさしさを知った。 ワシは、タイのいい思い出と残金1,000円を持って、韓国5日間の旅に出たのであった。
2006.07.25
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1980年代、オイラは、初めてバンコクに来ました。バンコクの空港は今の空港の隣にあって、レーダーがくるくる回るのが見える小さな空港でした。まだ「地球の騙し方タイ編」がなかったので、小富豪旅行者向けのガイドブックはオーストラリア人の書いたロンリープラネットしかありませんでした。それによると、空港からは29番バスか列車で行けると書いてました。今ほどの大富豪でもエグゼクティブでもなかったので、タクシーはつかまえずに、駅に行きました。列車を待っていた坊さんにファラポーン中央駅行を聞いたのですが、英語が通じませんでした。もしかしたら、オイラが英語ができなかったともいえます。駅員に聞いてもニヤニヤ笑うだけで要領を得ないので、バスに乗ることにしました。29番バスはどんどんいくらでもやってきますので、2、3本意味なく見過ごした後、バスに乗りました。2バーツでした。当時は1バーツ10円なので、10円です。(後年、少しエグゼクティブ度が増し、冷房にも乗りました)交通渋滞で、終点につくまで90分程度かかり、これで10円ならなんとなく得した気がしましたが、交通渋滞だっただけでした。オイラは、経済学部だったので、いくらプチ富豪といえども、経済的な宿を選択するしかありませんでした。念入りに調べ上げた結果、サイアムスクエア近くの競技場のユースホステルが30バーツ(150円)だったので、駅からサイアムスクエアまで歩きました。勿論、タクシーかバスで行ってもよかったのですが、空港からのバスが実はここを通り過ぎていたのに、むかついて歩いていったのです。1時間も歩かないうちに宿に到着しました。途中、屋台に何となく座り、バーミーナムを食べました(その名前を知ったのはずっとあとです)。屋台の中国人が、紙を持ってきて、「日本」と書き、私を指差し、「中国」と書き、自分を指差し、微笑みました。何となく旅情はじまったじゃん、心の交流、なんて結構勝手なこと思った純情なオイラでした。宿に着き、外へ出ると、早速、散歩中のタイ人おっさんに声をかけられ、ビールを飲むことにしました。いい人だなあと思っていると、いつの間にかオイラが勘定していました。タイでビールはとても高かったので、オイラはここで一気に意気消沈しましたが、まだパッポンもカオサンロードの存在も知りませんでした。マレーシアホテル周辺かチャイナタウン周辺にしか宿はないと思っていたのです(カオサンは多分まだロンリープラネットでさえ1行ぐらいしか書かれてなかったと思います。その存在は、チェンマイで出会った西洋人に教えてもらったのです) そんな訳で、ここからずっとバリまでの旅が続くのですが、また3ヵ月後バンコクに帰って来た時に最後の宿としてまたこのユースホステル(ナショナルスカウトホステル)に泊まったのですが、最終日は、最終空港行きバスに乗って空港にゴロ寝しにいったのでした。
2006.07.24
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というのは、特にないが、気持ちとしては、禁煙中である。2,3年禁煙している。何十年後かに吸うつもりでいるので、気分は楽である。禁煙しているが、時々飲みに行ったら貰い煙草する程度の緩やかな禁煙であり、1本もらうだけだったら常駐喫煙者に戻ることはない。禁煙を何年繰り返していても、我慢できる程度であるが、やっぱり吸いたいなあという気持ちは3パーセントぐらいあり、消えることはないのかも知れない。
2006.07.23
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・・・・雨が降る。それも酷い雨が日本を覆っている。18歳という未成年で大学に入学して1ヵ月後、合宿と称した拷問が敢行された。場所は大峰山、荷物は35キロ。ちゃんちゃら受験勉強を終えて体力を消耗してきた1年をものともせず、その前に鍛えた陸上部マラソンランナー魂で、というわけには、筋肉を使う場所が違いので、絞りかすのような体力が頼りであった。おまけに、山といっても景色はなく、永遠につづくブッシュ。精神的に参った。「ちゃんちゃらもてもてボーイになるために大学にはいったのに・・・」野坂如昭はえらいと思った。「早稲田大学に入った理由は?」と質問され「女の子にもてると思ったから」と答え、「じゃあ、早稲田を辞めた理由は?」と質問され、「女の子にもてなかったからだよ」と答えたそんな心意気がうらやましくもさえあった。やがてくる8時間後のテント場だけが、その日の私の楽しみであった。景色がないだけでない。日本一の降雨量を誇る尾瀬の近くだけあって、毎日雨である。食糧は減っていくはずなのに、水分が染みて、全然、荷物が軽くなっていかないのである。仲間が1人ばてたため、その日テント場についたのも夜の八時であった。そこから食事を作り、ソレも誰がどう間違えたのか、レトルトではないカレーであり、ニンジンタマネギ切からであり、食事が出来たのは夜半過ぎであった。おまけに大雨で、今ほど良いテントではないので、テントの中にも水が入ってくるので仕方なく、寝袋の両脇を押してくぼみを作り、水の通り場を作った。寝ている顔面の横5センチほどのところを水がちょろちょろ流れる。10センチ先には、汚い野郎の顔が見える。反対向いても、小川と野郎である。3泊、山篭りを越え、やっと下界に辿り着いたとき、友達がタバコ吸うかと聞いてきた。実際、それまで、数回しかタバコは吸ったことがなく、それもふかしていただけであった。でも、滅茶苦茶に疲れきった体に、肺まで通したこのときのタバコは旨かった。こんなに旨いものとは知らなかった。そうしてその後20年近く続くスモーカーになったのであった。
2006.07.22
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ヤングエグゼクティブなので告白するが、先週からトイレが壊れている。壊れているので、大変不便な思いをしているが、直すのが面倒なので、タライで水を流している。結構大変である。特に大きいほうなどは、5回は水を汲んで流さないといけないので、若くないとできないぐらいの体力を要するのである。自然物ではないので、ほっておけば自然に直るというものでもない。私の病気も自然に治らないので、自然物ではないのかも知れないと危惧しつつ、そんな訳で、最近は、努めて家ではトイレにいかないように精神誠意努力している。ややもすると便意をもよおすので、ややもしないように細心の注意を謀っている。何せ、エグゼクティブなので、安い北向きの日当たりの悪いバルコニーのない部屋に暮らしている。北向きにしたのは、家具が焼けるからという西洋人的発想からである。少し気になることは、家具を持っていないことぐらいである。 そんな賃貸暮らしだけが取り得の私ではあるが、実は、不動産を賃貸用に購入したりして、洗いをかけたりするエグゼクティブでもある。今後もどんどん増える予定である。しかし、エグゼクティブなので、まだ自分の家のトイレを直す費用を捻出できずにいる。 妹の旦那の母が家を買うということを聞いた。聞いたが何故だか、変なのである。プールがあるどころか、ヘリポートまであるという。購入価格は7億円だというのである。私も、7円置くぐらいならできるのだが、そんなにお金持ちの家に嫁いだと、今日の昨日まで知らなかったのである。ちなみに、何故だか、別居している父親の方は、何故か、広い家を売って賃貸のワンルームに移ったそうである。息子である旦那でさえ、何故そうしたか意味が分からないとのことである。勿論、本人の息子の嫁の兄である私も分からないし、1万キロ離れているので想像するのも困難なのである。まあ、そんな身内の話はどうでもよくって、私はトイレ問題で1人悩んでいるだけなのである。MY不動産
2006.07.21
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昼間、仕事中にもかかわらず、仕事で、20人程度の方々と高級うなぎコースを食った。テレビ番組や、何ヤカンやで、大の大人が飯を食って「うまい、うまい」というのは、普通に旨い程度である。前に座っていたこの店をアレンジしてくれた男性(年齢47歳)は、「オプション追加として最後に鰻お茶漬け頼みましたよ、これが旨いのですよ」といい、ついに、そのときがきた。 総勢、約20人の中年以上の男性共が、一同に啜り、ハフハフ、ズズズー以外は静寂が訪れた。私は体験した。本当に旨い時、中年男は口先だけでのし上がってきたその饒舌さを失い、黙るのである。そして、誰も「うまい」と感想やグルメ評論せず、独り言も呟かないのである。 怖いということはどういうことなんだろう。一つは未知数未体験、分からないものというのがあるだろう。宇宙人もその正体がはっきり分かれば随分怖さも激減するだろう。江戸時代の人間が車を見るとその得体知れずに、恐怖し腰を抜かすであろう。インドの聖者の話していることが、隣の八百屋のジャガイモの値段だということが、ヒンドゥー語を理解するものから聞くと、畏怖する心も消え、威厳ある顔が滑稽に見えてくるだろう。 もうひとつ、恐怖を考えると、精神的または肉体的苦痛というのがあるだろう。宇宙人の正体が分かっても、地球制服が目的と分かれば恐怖は維持される。江戸時代の人間がタイムスリップ後、車のメカニズムを理解しても、それに常に轢かれるかも知れないと思うと恐怖は消えないであろう。いくらジャガイモの話をするインド人聖者でも30年も立ちっ放しとか、土に顔を埋めて修行しているとすれば、やはり畏怖したままであろう。 しかし、人間にとって、苦痛といったらいっぱいあるかも知れないが、怖い体験をしたかというと、瞬間的には何度かあるかも知れないが、そんなにないものである。でも考えれば、赤ちゃんは常に恐怖しているのかも知れない。それは、いつ捨てられるかも知れないという恐怖と、取り込まれてしまうかも知れない恐怖である。それが大人になっても、恐怖が育てられていくのであろうか。パラサイト系や憑依系のオカルトなんか怖いじゃないか。マニアックになると高所恐怖症とか狭所恐怖症とか、先端恐怖症とか。でも怖いのは、何か起こりそうで何も起こらないとか、姿が見えないものだろう。英語でも、ホラーでなく、こういったテラーの方が高級な恐怖とされている。 ところで、私は、何度かお化け屋敷に入ったことがある。子供の時はやっぱり怖いが、何が怖いかというと、何だか分からないから怖い訳で、幽霊の人形を近くでみて、人形と分かれば何てことなかったし、恐怖の声を出すアルバイトの人を発見できると、なーんだと安心してしまったりするのである。勿論、大人になってしまった私は、全然お化け屋敷は怖くなくなってしまった訳である。 ただし、まあ、告白すると、世間には秘密であるが、バンコクで、いわゆる感情増幅作用効果のある神からの賜物実施中に、デパートの屋上のチンケお化け屋敷に意味なく入ったときには、恐怖心増幅作用で、心臓が飛び出そうなくらいドキドキしてしまったんだよ。な、秘密な、俺が時々びびりやということな。
2006.07.20
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オランダでは、売春が合法化されており、飾り窓をフラフラしながら見るのはとても楽しい。ガラス張りにすることが目的であり、売春宿はふつうの企業と同じ扱いを受けるようになり、経営者は税金の支払いを強制されるようになり、従業員(つまり売春婦)の健康保険から福利厚生、職場の安全義務が課されている。また18歳未満の者を雇用すると、経営者は罰せられるようになったり、不法滞在者の一掃、衛生面での管理も徹底しており、強制売春の防止保護に寄与していると思われる。 昼間、ブラブラ、いやフラフラしていると、飾り窓のガラスをピカピカに磨いている売春婦が、とても微笑ましく見えてしまったのは、多少健康的すぎるか。 オーストラリアのメルボルンにディリープラネットという不動産管理を名目としたホテルは世界史上初めて上場している売春宿である。 日本では、売春防止法がうまく機能しているかというと、たいていの法律同様、時代遅れになってきているといえよう。これが施行された1950年代、貧しい女性の身売りからくる搾取から保護するという本来の目的であった。いまや、経済も発展し、自由意志で売春するセックスワーカーが増えている。誰もが知っているとおり、売春は法律で禁止されようが消滅することはない。 日本も税収に困っている自己都合も考えると、性病エイズの蔓延や性犯罪を防ぐ意味も込めて合法化すればいいのではないか。多分、客にとって、合法化しても今と何ら代わらないと思われるし。 ところで、私には、分からないのであるが、性的に欲求不満が溜まりすぎストレス発散のための受け皿としての売春産業理論があるが、やっぱ完全に非合法禁止すると性犯罪は増えるのであろうか。何となく増えそうな感じはするが。 そんなことをだらだら書いている前から、今日は頭が1日中ぼーっとしているのである。普段の睡眠不足を取り返す如く、睡眠時間が長すぎた為と考えられる。10代までは、16時間以上眠ることはできなかったが、最近は寝ようと思えば、いつまででも寝られる気がして仕方なく、床ずれが心配である。
2006.07.19
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小学校の頃は、手を上げて発言することができなかった。発言したい主張したいことも無かったのかもしれない。虚無主義なのかもしれないが、発言しようがしまいが世の中変わらないという厭世主義が私の心の中を蔓延していたのである。言いたいことはちゃんと分かるように言うというのは、なかなかこの国では難しい面がる。諸行無常である。 テレビの評論,激論も大抵同じ人が出てくるのだが、勿論、話題はリアルな時事に対して行われ、去年や一昨年の話題は出てこず、去年一昨年に発言激論することによって何も変わっていなかったりもするエンターテーメント状態である。 エンターテーメント、アジア唯一のラテン系フェリピンもカトリック中心でありながら、実はなかなか諸行無常である。島国、南国、火山国ということで、自然災害が多いこの国では、結構諦めが早いというか、なすすべもなく、身を任せるって感じのシーンが多い。 昔、ナタデココが爆発的に流行り、とにかく畑を全部ナタデココ畑に入れ替えた所、ブームは去り、新聞の写真にカゴを持ってガニマタで情けない顔をしたフィリピンの農民のおばさんの姿が掲載されていた。キャプションには、「日本のOLの移り気の早さについていけなかった」と載っていた。 友達度を測る目安のひとつに断りなく相手の冷蔵庫を空けるというのがある。(勝手に料理した人もいたが) 因縁話を持ち出す。収入や職業の質問が多い、立派過ぎるオフィス、出会いを強調、即決を促す、自分のペース、具体例なし、ただのはずなのに、精神論を最後に出す、専門用語の連発、健全さをアピール、夢を金に変える、まあ、その辺に注意して悪徳商法にわざとキャッチされるのがいいかな。
2006.07.18
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藤原頼長。関白藤原忠実の息子。勿論当時は男色も当り前の時代。こやつは、差し込まれるのがお好きだったようなのだが、何せ内大臣と身分が高く、なかなか皆さん遠慮していたしてくれなかったそうである。仕方ないので、思い切り身分の低い男を引っ張ってきて、次々と攻めてもらい、嬉し涙を流したと記録されている。 ダビンチホモ説は有名であるが、弟子のサライを死ぬまで30年近くいつも連れていたのだが、弟子といっても何の大した作品も作っていないところが疑われる原因であろうか。でもまあ本当の所は分からない。当時は男色に厳しい世の中であったので、秘密にしていたのかも知れないし、すっごく禁欲的な男だったのかも知れないし、美というものに対する見方が違ったのかも知れない。森欄丸といえば、織田信長の片時も離れなかった側近中の側近である。小姓でありながら、5万石を与えられたり、信長の謁見には欄丸を通さねばならなかったので権力を持っていた。最後は、信長と共に本能寺で焼け死んだ。 3代将軍徳川家光は大男色家であった。輪をかけて5代将軍お犬様の綱吉も城内に桐之間を設け、130人の男をはべらせた。結局、彼は2人しか子供を残すことが出来ず、死後、度を過ぎた男色ルームは閉鎖されたのであった。 新撰組は非常に厳しい隊規があって、戦死したより隊規を乱して殺された人の方が多かったのであるが、男色はご法度ではなかった。ジャン・コクトー ジェイムズ・ホエール『フランケンシュタイン』『透明人間』 ルキノ・ヴィスコンティ『ヴェニスに死す』 ジョセフ・L・マンキウイッツ『去年の夏突然に』 パゾリーニ『ソドムの市』 ジョン・シュレシンジャー『真夜中のカウボーイ』 ジェイムズ・アイヴォリ『モーリス』 デレク・ジャーマン『カラヴァッジオ』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ケレル』 ジョン・ウオーターズ『ピンク・フラミンゴ』 ペドロ・アルモドバル『欲望の法則』 ガス・ヴァン・サント『マイ・プライヴェイト・アイダホ』 ヘンリー・ジェイムズ バイロン ブラム・ストーカー フランシス・ベイコン ジェイムズ・M・バリー『ピーター・パン』 ハンス・クリスチャン・アンデルセン『マッチ売りの少女』 サマセット・モーム『人間の絆』 E・M・フォスター『インドへの道』 ヴァージニア・ウルフ(ダロウエイ夫人) D・H・ロレンス テネシー・ウイリアムズ トーベ・ヤンソン(ムーミン) ウイリアム・バロウズ(『裸のランチ』) 三島由紀夫 マヌエル・プイグ(『欲望の法則』) アリス・ウオーカー『カラー・パープル』 アンディ・ウオーホル ランボー オスカーワイルド 斎藤綾子『ルビー・フルーツ』 橋本治『桃尻娘』 平賀源内 アラビアのロレンス 江戸川乱歩 母校の卒業生稲垣足穂 きりがないよね。(名誉のため死んだ人だけにしようとしたが、生きてる人もいたわ~) そんな人の事ばかりいっているが、私は、ビーチのコテジで外から部屋を覗かれ1人手淫されたことや、ゲイディスコでこくられたりしたぐらいで、実勢的にも、腕を組んできて歩いた程度である。
2006.07.17
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11代徳川家斉は、55人の子供を作った性豪ぶりであった。小林一茶は52歳の晩婚後、今までの放浪生活の禁欲的な暮らしを取り戻すかのごとく、セックスマシーンとなり、1日3回も5回もしてしまう。生理の日も、妊娠6ヶ月でも。伊藤博文行く所に必ず女ありといわれ、明治天皇にも控えるように叱られたほどである。女垂らしで仕方なかった山田耕作は妻を3回変えたが、露出狂でもあり、妻の前で女を抱いたり評判が悪かった。ちなみに、我が大学の校歌を作詞したのもこいつであーる。毛沢東も絶倫家であり、60代後半になってもやめられないとまらないカッパえびせん状態であった。一時、政治の表舞台から姿を消した時には、ほとんどをベッドで暮らし、次々と国中から選ばれてきた女性に性病を移した。勿論、男色も噂されている。チャップリンだって、54歳のときに17歳の娘と4回目の結婚をして、そこから73歳までに8人の子供をもうけた。まあ、彼が手を出した女性は10代がほとんどだというから、街の灯の哀愁の目も少し違った視点から見ると危ないかもしれない。
2006.07.16
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兎に角、漏れも多いが、古い順に紹介する訳である。第一回第ニ回第三回第四回神港ビル 昭和14年(1939)海岸通りでは一番巨大なビルであろう、何と奥行きは70m近くある。しかし、装飾を控えているためにあまり目立たないといえば目立たない。よく見ると、しかし最上階の塔屋の薄彫りと隅飾りが面白いく、当時既にアメリカで建設されつつあったモダニズムスタイルのビルをイメージさせる。アールデコ風というのは、多分、神戸ではこれしかないようだ。近代建築と現代建築の境界に位置する様式である。震災でもこれといった被害は無かったそうである。川崎汽船本社として竣工して以来、現役のオフィスビルとして利用されつづけており、現在でも川崎汽船の登記上の本店所在地となっている(実際の本社機能は東京都千代田区)。 日本銀行神戸支店 多分、そんなには古くはないと思う。流通の役目を終えたお札の裁断片(1億5千万円相当)で作成したソファを展示しているようで、趣味が悪いのである。岸本産業株式会社榮町ビルジング不明 2階建て 実は張りぼてで,中身は瓦葺の日本建築なのでした。二葉そば。
2006.07.15
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飯をドコで食うかという根源的問題に直面した私は、勿論、連日連夜の激務の溜めに下調べしてくるのもすっかり忘れていたのである。しかし、猫並みの嗅覚を持つ私は、「マニ」という言葉のロードサインの看板を見逃す筈が無かった。いっちょう、チベットに行ってマニ車を回す日々を思い出し、ご利益を得る為に、幹線道路を離れ、はるばる山の中を3キロばかし、走った。勿論、マラソンでなく、車で。 おいでやす、と石のガキに迎えられた訳。でも、石の修行僧にはあまりいい顔されなかった訳でもある。でも、地獄の案内はばっちり。マニ寺は摩尼寺であった。約1200年もの長い歴史を持つ天台宗の古刹。300段の階段・・・汗が噴き出ること、保証のうえ。源平茶屋で山菜料理を頂く。客は大賑わいで誰もおらず、その前に、参拝客も勿論いなかった。しかし、さすがに創業200年の味であった。
2006.07.14
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日本最大規模の鎧類を所有する博物館に、440キロ、片道4時間かけて行って来た。地道も走ったし、信号も守ったので、いつもの時速140キロという訳にはいかなかった。武田信玄型ヘルメット習字両刀使い型ヘルメットリアル鹿の角使用、ギャグ龍型ヘルメットマジ龍型ヘルメット蝶々が飛んだ飛んだ型ヘルメットやまあらしうっとうしい型ヘルメットウサギおいし型ヘルメットセルバンテスも参加
2006.07.13
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旅先でこんなものを買った という訳で、ペットとまではいかないが、ムササビやタランチュラも飼ったことがある。難点はちっとも馴れないことだろうか。巨大蜂は飼ったことがない。 子供の頃は、大人は泣かないものだと思っていた。子供の頃は、大人は19時からテレビマンガを観なくても平気な人種だと思っていた。
2006.07.12
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87年9月5日(土)インド、デリー抜け出せない、抜け出す気もないのか。ゲロは水平に、下痢は垂直に。「出逢い」「すれ違い」「別れo="153" alt="999">びろんびろんで楽しい世界もある。私はカラチでアラビア海のほとりで髭を剃ったことがある。題のついた夢をタイの列車の中でみた「流星になったポケット」ガンジス川対岸まで泳ぐ。風がなければ蚊取り線香の煙は夕闇をまっすぐ上がる。手抜きキスより安っぽいキスの方が、軽薄さゆえにまだましだろう。蟻の歩いていった後をマジックでなぞっていった。少し嘯いて。吸い終わり、投げ捨てた煙草が偶然壁の割れ目に突き刺さった。万事裏腹。蝋燭、ホウキ、ビールはビーチ3種の神器。恋でもすればデカダンス。中は熱いけど、外は、全く感じないわ。降り積む雪が、息を潜め、斜陽する体、希薄になるつつある意識を意識して、そおっと消え行く。消え行く面影。安定してゆく。隙間を埋めていく無。自由な軌跡を描き回る運動が閉oi.07.08) 「白と黒」トイモイダール ボクも小さい頃は、英才教育\ (2006.07.06) オオサカドーマー 先日、大阪ドームを買ったので、京セラに又貸の西九条、港区の九\18歳となった私と、同時に18歳になったS… (2006.06.29) 科学の頃 またもや、全然関係のない話なのであるが、中学生の頃… (2006.06.28) キャセイパシフィック 香港チェクラックコック新空港開港記念時(1998年…( 環境と志向性と劣等感・・・やさしさは愛じゃないよ 今日は、特段毎… (2006.06.25) インドへ おじいちゃんが死んだ日の夕日 そもそも、私21) 神戸建築シリーズ2(全5回、画像が多いので日記を書く… (2006.06.20) オーバーザレインボー 湯潅の方は、若い女性であった。借金苦か元看護婦(2006.06.19) 初めての携帯メール日記 初めての携帯メール日記 お通夜である。一段落す…(2006.06.18) 星になった日 昨晩夜中、車を飛ばす。 昨晩夜中、車を飛ば… (2006.06.18) 116079ヒット記念インタビュー 「心斎橋ワタル(仮名)さんに聞く“お… (2006.06.17) いい加減な言葉 正論は正論のままだ。異論はない。でも正論は結構誰に向け… (2006.06.16) トレンド何ちゃってアドバイザリー テレビとインターネットは相互乗り入… (2006.06.15) 「テレビが第3弾) (付録;… … (2006.06.12) 神戸近代建築シリーズ 1(全5回、画像が多いので日記… 実… (2006.06.11) 確実な利息、確実な投資先 と キャパ 目的は2つ。大丸に行ってき…(2006.06.11) その3 何となくオフィス街を潜り抜ける。 昭和5(1930)年築の、農林… (2006.06.10) omake SIRI-AI 淫猥と笑いの混在、美を愛でられながらも嫌悪される存在、… (2006.06.09) 06年06月06日06時06友達から連絡があり、「それなら… (2006.06.05) Mekuso never never ever \覚からすると、インセストタブー… (2006.06.03) HA NA KU SO 美しくない話であるが、痰系の風邪をひいているような… (2006.06.02) その2 もっかい大阪オフィス街レトロを走り回る 先日に続き、 大阪(2006.06.01) 銀行の支店には1億\ ところでトイモイ郷土料理俄か… (2006.05.29) 昼飯も夜飯も饂飩でキメ87国力の低下より、蔓延す… \… (2006.05.24) 自分探しのエチカ 大学に入った頃、私は、100以上あるテニス&ス… (2006.05.23) 自由な臆病者の独り言。 オイラは昨日車に乗ったんだけど、ガソリンが… (2006.05.22) 着々とだびんちこーどする 特に特別な訳78 … (2006.05.20) あついね スペイン人… (2006.05.17) 母の日にて、母は息子\する。署名は詩。 リフォーム屋さんと色決め… (2006.05.16) サンバでGO 仕事一筋と噂\、ヤボヨウで会社を遠… (2006.05.15) ひさしぶりにあいりん地区(釜ケ崎)に行く 釜ケ崎に散歩 (2006.05.13) oiでまだ買い物してないわ。昔、バイ… (2006.05.03) 良心の値段 こんな実験があるそうだ。2時間2,000円で、番号… (2006.05.02) 利益は俺に、責任はおまえに 「俺も、年収、2000万超えたけどよぉ~、… (2006.04.30) 善悪の彼岸、というより、習慣としての… (2006.04.27) 広告代理店大手のグーグル先生に聞け。 北米でトヨタがある車の凄い売…(2006.04.26) 月間余り画像特集(酔っ払いの手抜き) 鳥居 近所 品川 … (2006.04.25) 87分) いのししの出没及びいのし… (2006.04.23) いつもいつも酔えば、昔みたいに、海外旅行行って馬鹿し… … (2006.04.22) ちょっと大阪市城東区で考え事 昨日、テレビをつけると、「午後2… (2006.04.21) 伝説のスワニー バンコクのチャイナタウン、ヤワラートの、麗しきク… (2006.04.20) 準備は悲観的に行動は楽観的を食べた。ゴマ入り…(2006.04.16) 四天王寺へ 四天王は、推年(593)に建立ました。 今か… (2006.04.15) 俺様にとってだけ面白い映像 皆様にも楽隠そう、今まで、あらゆ…(2006.04.13) 残り写真集残照・ 今日は、ヤボヨウでリッツカールトンに行ってた。 … (2006.04) 今日は人生初めての経験をしたの まあ、その経験の詳置いて、… (2006.0411) 舞妓と・・・ フェイントである。 これは、昨日に起こった真実の物… (2006.10) 神戸→芦屋→西宮→大阪 桜行脚@車内より花見 朝から忙しいので…09) ちょっと大阪の地獄と仏の国へ。~大阪市平野区・・・ 大阪市平野区へ… (2006.04.機能も ヤプログ 水上警察です。麻薬の密売を… (2006.04.06) 歩き続ける、散歩極道 87レンタル半額期間だったの… (2006.04.04) 携帯電話最も似合わない男、寅さん。 散歩学への道を極めると、散歩極(2006.04.03) 決算期の激務の合間をかいくぐって目黒へ。 … (2006.04.02) しまった嘘つく日記かくつもりだったのに・・・ 自動歩行 昔.03.30) 少年時代のセンチメンタルジャーニー、あまりムキになっ… … (2006.03.29) 空中を制覇する夢 じっとストリーム、 じっとストリーム、 じっと… (2006.03.28) 佐世保で安保で保する 佐世保の中心でろいろ叫んでもよかとですか… (2006.03.27) カウンタックでユニ\クロへ、ではなく、自家用ジェット… モス… (2006.03.26) ータスヨーロッパで無印へ、ではなく、自家用ジェット… … (2006.03.25)ロールスロイスで100均へ、ではなく、自家用ジェット… … (87その2&古本屋 なので、女々しいことを言って申し… (2006.03.21) 今、決断を迫れている。今日はその下見に行ってきた。 大企業 1… (2006.03.20) 新明解国語辞書の素晴らしさ かみ【神】 ・・・絶対的な超能力を持ち、… (2006.03.19) 愛と幻想の198年代 シリーズ2 サイト上ので、女々しいこと(2006.03.19) 追憶と感傷的な80年代シリーズ その1 サイト上なので、女々しいこと(2006.03.18) 日本人の挫折した英雄好きはどこからきたのか 今月は週末… (… (2006.03.17) インドの第一歩はタラップから両足で踏んだ 1986年2月に… (2006.03.16) 走れメロスあらすじ・・・昨日の続き 村で牧人をしているメロスは、… (2006.03.15) 走れメロスの友情って変だよね。おまえは完ぺき主義者か。 先日よ…(2006.03.14) 彫刻の街、87烈!平凡な日 今日、トイレに行くと、塀の向こうからキュ… (2006.03.07) 沖縄ラビリンス 満員御礼であった 1950年代に出来たチャーリータコス … (2006.03.06) 10000アクセス記念・・・沖縄、アジアの北端。 見たことないジ… (2006.03.05) 母から葉書が来た。 「北向の部屋、引っ越したらどう… (2006.03.04) 知ことだらけは幸せ 今日、ばせていた本をどこか… (2006.03.03) 本当はいいたいこと実践したいことがいっぱある 急ぎであり重要な…(2006.03.02) マスコミュニケーションならマスコラボレーションの時… 。 イ… (2006.03.01) 明るい旅情 まあ、ヤードンである。鼻から吸引して、直… (2006.02.27) 吸収シリーズ最後の県、加護縞 不思議なこと、、電車の中で… (2006.02.26) 桜さく勝手に@鹿児島(ネットでお花見) 2月というのにさすが南収シリーズ最後の県、過誤死魔。 見た桜島、なーんて… (2006.02.25) 存在の仮説 昨日の続きではあるけれど、この世界は実は数秒前にできた… (2006.02.24) 人生七不思議 家から生87自分以外… … (2006.02.22) 神戸空港ご招待 間もなく、前年11月続いている九州シリーズ… (2006.02.20) 踊り候え、私の話を聞いてくれ (2006.02.19) 今日の仕事,今日も仕事 。(65… よく雑… (2006.02.16) わしは古本屋で何を思ったのか わしは、今日、古本屋で、古本を物色して… 今日辺青春の蹉跌 ふと今日は、 久し振り に、 千林商店街 にいた。大阪3大.02.11) 今日は焼き鳥食酔ったので、写真館で誤魔化すぞ芦屋川沿い… 萌えよケン、萌える痘痕 「お帰87目が覚めると、まだ夜… (2006.02.神々のトリック先日のニュースで出生率が死亡率ば下回り少子化が本格… (2006.02.05) それぞれの性 遺言版恐怖を感じるのは、死…(2006.02.04) 18年ぶりぐらいに横浜中華街を親善訪問してみたが、結… … (2006.02.04) 飛行機不安、否、ひこうきファン87 スーパー普通のリーマンである俺は激務… (2006.01.31) 強制労働 ラーゲリにて そして「デキモノ」には石切…今日は 石…(2006.01.30) それぞれの性のコメンタリー 今日は、寒空の中、鼻を垂らしながら一… (2006.01.29) したたかな日和見主義 昨晩も、夜中12時半よりDVDをセットして… (2006.01.26) マイフライトノープラン 日本は自殺の多い国である。それも根が真… (2006.01.23) 包帯に包まれた日常 聖なる酔っ払い伝説 ブラインド越しに夕刻を刻む… (2006.01.21) ガイドブックの想い出 世界中の人には秘密であるが、今日階段を下りなが(2006.01.20) To be to be ten made to be.(飛べ飛べ天まで飛べ) 北朝鮮ゴ一行… (2006.01.18) 震災11年目 ちょうど、10年前、三ノ宮に飲みに行った。震災1年目… (2006.01.17) サリンジャー畑で佐賀して (午後便編)l、今日は新春寒風水泳我大会。私で… (2006.01.10) 痴人の趣味 いろいろネットで検索してみると日本の受刑者は1ヶ月一… (2006.01.09) とある本日の1日の大まかな静的な行動 目が覚めたら、二日酔いはなか…(2006.01.08) 、飲み会の… (2006.01.07) 田舎の帰宅途中で思ったですよ? 今日は、特にネタがないので7酔い覚ま… (2006.01.05) 爺さん、陸が見えたよ 去年の正月は偉大なる使命の為(嘘)日本を不… (2006.01.04) 禁断の店 博多の ケリーさんに紹介してもらったラーメン屋 に行こう… (2006.01.03) 柳川とは 大晦日は忙しいのである。大掃除に正月の用意に見てないDV… (2006.01.03) トリッキーな日常、トリップな無常 福岡近辺にて躍進 福岡空港は日本… (2006.01.02) 太宰府天満宮にておめでとう ことしもよろしゅう (2006.01.01) 松山、その後・・・真面目に観光する 鎧を身に着けたサーバントを雇う… (2005.12.30) 突然8タガログ語で息子) 世界石油紛争→原油の高騰→アラブマネ(2005.12.27) 単独登頂隊、12年ぶりに実家の裏山標高260メートル… … (2005.12.26) インタラクティブに裏切り合うメディア 分からないもの理解のできな… 2005.12.25) 言葉のミニチュア 18歳、まず、高校を卒業した瞬間に原付の免許を… (2005.12.24) 朝もやの中、エッフェルよりパリ20区を案内する 誰も… … (2005.12.23) ビールがあれば国家は不要」と言わしめ(2005.04.01) 999日目で、1222日記のタイトルを挙げようとしたが、飽きた・・・
2006.07.11
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ドドドドーン!明朝未明また地震が来た!と思ったら、本が崩れた。まだ起きなくていい、という安堵感が全身を覆い尽くした。 (ブラザーからのお土産。チョコレートホテルって多分、チョコレート工場の隣にあるんだろう。ハリウッド1,2を争うパーティ好きのJデップも子供が出来て作風変わった?) 実は、身近過ぎて、気恥ずかしくて聞いたことがないのであるが、親はどうやって出会って、どんな小さいながらのドラマめいたものがあって、結婚に至り、いつの間にか私が生まれたということについては、直接聞いたことが無い。勿論、結婚するまでに、幾許かの恋愛なり付き合いがあったことも知らない。 「そんなこと知ってるよ、昔から」という男がいたら、多分、私は、仲のいい友達になれないかも知れないぐらいである。 両親の出身地が同じということ以外は、ほとんど接点がないように思うので、多分見合いなのだろうかと思う。実は、実際、2年ほど前に何かの機会に妹にそう聞いたのである。妹も母親に聞いたのではなく、母親の旧友?に聞いたそうなのであるが、見合いであり、神戸に住みたかったという結構ミーハーな理由で結婚に至ったということであった。その前にも、何やら大恋愛したということも小耳に挟んだのであるが、そういうようなものなのだろう。父母も男女である。しかし、今後も迂闊に踏み込めない領域である。 私の旧友が二十歳の日に、父親から日記を貰った。それは、自分が、生まれる前後の頃の日記である。父親になる心情が淡々と記載されていたとのことである。 そんなことを思い出しながら、本日こそ、私の出生の秘密を聞き出さねばという信念の下、夜に、実家に向かう。 実は、昨日の魚釣りが大漁過ぎて、実家に持って行って処理してもらうことと、妹に頼まれた甲子園のチケットを届けることだけだった。実は、妹は英国から帰ってきており、多分、それは、旦那に追い出されたのではないだろうと思う。何故なら、サッカー王国であるはずの英国人の彼が、ジャパニーズヤキューを見たいといいだしたのだから、野球評論家の私が、優雅で感傷的な野球のチケットを取ったまでである。イエローチケットって何や?(私もいつの間にか、妹の英国人との結婚により自動的に、この子達の立派な伯父様でござります。エーメン) そんな訳で、実家には凱旋帰国した私を迎えるために妹は、遊びに出かけ不在であり、両親はとっくに夕食を終え、私は、親孝行を施し、またも出生の秘密を聞きそびれて絨毯爆撃機の如く電光石火、早々に実家を離れたのであった。 家に帰ると、誰も、まだ本を棚に戻していなかった。というか、本棚からはみ出て、ただ本を縦に天井まで積んでいるのが崩れただけであった。
2006.07.10
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一応、本日は、雨もテポドンも降ってなかった。 北朝鮮も送金禁止ということなら、資金源であるパチンコ屋禁止というのもよろしいのではないか。利権をつかむ警察が困るからそんなことしないか。 魚を釣ることにした。鯛と縞アジを1匹づつ釣った。 泉州弁は、なかなか怖いものであった。親しげに話しかけてくるあんちゃんなのであるが、喧嘩を売られているように聞こえるのは何故か。 子供の頃は、海っ子山っ子であった。学校に帰りに投げ釣りのため、海によく行った。釣りは、2、3年ぶりか。関西空港前全日空ゲートタワーホテル バブルの塔、西日本一の高層ホテル。
2006.07.09
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兎に角、漏れも多いが、古い順に紹介する訳である。第一回第ニ回第三回 神戸ムスリムモスク(神戸回教寺院) 昭和10年(1935) 神戸に居をかまえたモスリム達が、異国での礼拝を望み、神戸在住のトルコ人、タタール人、インド人貿易商らが組織を立ち上げ寄付金を募った末に、インド人建築家の設計により建設された。玄関まわりの繊細な装飾と、大小4本の塔や大きな玉ねぎ形ドームが特徴の建物。日本で2番目のモスクである。(1番の名古屋モスクは戦火で消失) 戦時中(1943年)に日本海軍に接収されたことがある。モスクは頑強な地下室と建築構造を持っているとのことである。 子供の頃、初めて見た時は驚いたものだ。神戸海上火災保険(ニッセイ同和損保) 昭和10年(1935)神戸旧居留地19番に建つ正面の長い3階まで届く連続アーチ窓のロマネスク調が特徴の建物だが、新しく見える。しかし開け放たれた玄関から内部は、レトロなエントランスホールの空間が広がっている。神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店)昭和10(1935)年 横浜正金銀行は外国貿易金融を専業とする、特殊銀行として横浜で設立された。その神戸支店だったこの建物は、西側を増築して博物館として使用されている。(横浜の本店は現在、神奈川県立博物館となっており、どちらかが真似をしたのかもしれない)御影石で造られた古典主義の建物であり、ドリス式の半円柱と付け柱が並ぶ。普通、なかなか常設展は面白くないが、ここは結構楽しいのである。 そういえば、ほんの平成初期まで博物館の隣に神戸オリエンタルホテルもあったのだが、(確か、バイト先の飲み会に誘われて行ったことがある)(現在駐車場。多分、持ち主ダイエーはどこかに売却したのだろう)その中では、日本初のパーマ屋があったそうだ。まあ、ここはカレーライスが有名であった。今も多分、復刻100年カレーとか言って売り出していると思う。チャータードビル( 旧チャータード銀行神戸支店 )昭和13年(1938)チャータード銀行(英国)神戸支店。左右対照の建物の中央にあるイオニア式列柱と、その上壁にある壺の浮き彫りが特徴。現在1階は、E・H・バンクというカフェが入店、元銀行の重厚さを生かした店内は、装飾が施された折れ天井に全面大理石貼りの天井は8メートルで、広大な吹き抜け空間である。何度か行ったことがあるが、いつもトイレに行くのが楽しみである。金庫の扉をくぐり抜けるから。それでも、長らく廃墟同然だったらしい。ただ、オリジナルの硝子も多数残っていた窓サッシが全部取り替えられ新しい硝子になってしまい、蛇腹戸、針式インジケーターだったエレベータもデジタルなのに変えられてしまったらしい。しかし、入口の回転ドアも銀行当時のままである。そういえば、去年だったか、妹の旦那(イギリス人)を連れて行ったら、隣の席にインド人団体が座っていて、彼らが旦那に声をかけていた。「どのぐらいこちらにいるんだい?」旦那は「今日で2日目」といったら、インド人は申し訳なさそうに「私は50年だ」と言っていたのが何となくマヌケであった。側面
2006.07.08
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ボクも小さい頃は、英才教育と帝王学のついでに、小動物、英語で言えばペットを飼っていました。ゼニカメ、ザリガニ、金魚、手乗り文鳥、セキセイインコ、イシガメ・・・ そんな訳で、妹と一緒に始めて文鳥を買って貰ったのは、小学校低学年だったかもしれないです。妹が白い文鳥でボクが黒い文鳥、名前は英語で言うとネームだが、ネーミングは凝りにこって「シロ」と「クロ」でした。 手乗り文鳥なので、はじめはあかちゃんだったので、3時間ごとに、餌を与えていました。手乗り文鳥なのに、肩や頭にまで載ってくるのは、いいのですが、どうしても、脳が少なく学習能力が0に近いので、所構わずウンチをします。一度なんかは、ポップコーンを食べて漫画を読みながら、文鳥を放し飼いにしていたので、てっきりポップコーンのクズが床に落ちたのと勘違いして、ウンコを口に入れてしまった次第です。もちろん、ボクは、そんなことではすかとろじーに目覚める筈はありませんでしたが、敢えて感想をいうと、とっても苦かったです。 ある朝だったでしょうか、ヒルだったでしょうか、忘れましたが、ついつい掃除か何かをしていた母がうっかり文鳥のクロを多少ばかり踏みつけてしまったようで、足をやられてしまいました。鳥は足が折れてしまうと、すぐに死んでしまいます。そんな訳で、びっこをひきながら元気な毎日が続いたクロもある日を境に日に日に弱っていきました。 最後の夜が来て、何故か、もう今晩には死ぬんだという日が来ました。内臓が全部出てくるぐらいのおおきなウンチが出て、泣き叫びました。母は、「今日が最後だから、一緒に寝てあげてもいいよ」といいました。ボクは、布団にクロを連れて行きました。クロはとても苦しそうでした。 ボクは子供なので、睡魔には勝てません。 朝、起きると、クロは冷たくなっていました。その後も、妹のほうの文鳥シロは元気に長生きしていました。元気なので、妹は家の前にしょっちゅう連れ出していました。ある日、そこに三輪車が通り、シロは、見事にもその三輪車に轢かれ即死しました。いっしゅんのことでした。それは仕方のないことだったのかも知れません。でもそのとき、その三輪車に乗っていた子供の母親が隣にいたのですが、その母親が一言「きもちわるっ」と言ったのです。 ボクは、一瞬にしてその言葉に怒りがこみ上げ、そのおばちゃんに突進していったのでした。アデイインザライフのひとこまでした。空が青かったです。
2006.07.07
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兎に角、漏れも多いが、古い順に紹介する訳である。第一回第ニ回商船三井ビルディング( 旧・大阪商船神戸支店 ) 大正11(1922)年ルスティカ仕上げの荒石積みの低層部、曲線的なデザイン、浅い軒、最上部半円のペディメント(前述)や、テラコッタ(浮き彫り感のある大型タイル)をあしらった石張りの外壁、プラスターを内装に使用する等など、細部にも様々な工夫を施した建物で、おそらくこれがこの辺りのあえていえばランドマーク的存在であろう。アメリカルネサンス様式のこのビルは設計者が、このビルを設計するにあたって欧米を視察し、日本初となる技術を数多く導入することに成功している。 建物内部も欧米スタイルで統一され、サイズも欧米スタイルで天井が高く廊下が広い。貨物用として一台のみ残されているクラシカルな手動式エレベーターは米国A.B.SEE社製(シンドラー性ではない)、自動着床装置なしの完全手動駆動、扉は外扉が窓付き鋼製、籠扉が真鍮製伸縮扉(俗に蛇腹式という)、インジケーターも半円形時計式という創建時のスタイルそのままであるとのことである。毎日新聞神戸支局旧正面玄関太( 旧・横浜海上保険会社神戸支店 )大正14年(1925) 毎日新聞神戸横浜海上保険会社神戸支店として建設され、昭和28(1953)年から毎日新聞神戸支局として使用されてきた建物の正面玄関とそれに続く石壁。平成元(1989)年、この跡地に新社屋を建設する際に、「ミナト神戸を象徴する建物として末永く保存しよう」との事で、原形のまま残された。昭和ビル 昭和2年(1927年) 詳細は不明であるが三宅商会となっておる。面白い名前の店が入っているようである。銀泉神戸ビル( 旧神戸住友銀行ビル 昭和9(1934)年 東面・北面共に細かな装飾を施した3連アーチ窓が特徴の建物。内部は8mの天井高に幾何学模様の床。
2006.07.06
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先日、大阪ドームを買ったので、京セラに又貸ししている。オーナー特権として、野球に招待された。童夢には、ストーンズのコンサート以来かもしれないが、あの時はまだ第3セクターに任せていたので、招待されることもなく、存在も忘れ去られ、とっても見にくい席を用意された。 30余年の短い人生の中で野球に来たのは、4回目である。 1回目は、オヤジに連れて行ってもらった小学校の時の高校野球、地元、東洋大姫路高校が準決勝に出た時。準決勝というのは、4回の試合は長いし、1試合も寂しいという理由であった。結局、後日、東洋大姫路は優勝するが、その試合で、ピッチャー金村が、デッドボールかなんかで崩れていた体を起こした時、拍手が沸き起こったことだけを覚えている。そして、「父さん、何故みんな、拍手してるんだ」と尋ねたことも憶えている。私は阪神ファンであり、多分、田渕とか掛布が活躍していた。 2回目は、24歳程度の頃、甲子園で初めてナマの応援する阪神ファンを見た。ファシズムみたいだったが、マスゲームの小型版みたいで、面白かった。私は阪神ファンである。とりあえず、疲れてきたので、6回ぐらいで帰った記憶があるが、阪神電車はまだ空いていた。その時、新庄選手というのを知った。 3回目は30歳過ぎた頃であろうか。東京ドームの横で働いていたので、一度は東京ドームにいってみようと初めて自腹を切って、入ってみた。落合選手のみ知っていた。ドームの電気色というのは目がちかちかして原色はボヨヨーンって感じで、ちょっといきそうになるんだなあ。一応、3回分ぐらい見て帰った。何戦かは失念してしまっている。私は阪神ファンである。 今日は8階から眺めたのであるが、結構、高所にあり、応援する人々の原色が面白かった。売り子が多いのもゆかいだった。阪神ファンだというのに、誰も選手を知らないことに気がついた。監督も。
2006.07.05
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説明不足、それが、アタイの特権なのさ。今日は、最近の日記の写真が全然文章と関係ないのは、お馴染みのことであるが、写真が何なのだという説明がなかったので、過去を振り返り、シミジミ老兵ゴッコをするよう、脳に電波が走って、伝えられたのである。 ジンジャーピーナツオイルとセサミオイルである。ジンジャーは体にいいとか、夏ばてにいいとか、体によいとか言われるが、そんなこと関係無しに、うまいのである。そういえば、日本の誇るインド人もぼっくりの辛さは「わさび」である。わさびを大量に食べると、鼻が潰れる。インド人に誇れる日本の誇り高き食べ物である。 セサミという英語は、意味も知らずに幼稚園の頃から知っていた。勿論、セサミストリートがあったからだ。ナイル川流域からシルクロードを通ってゴマはやってきたことに思いを馳せ、アルカイックスマイルする。 天井にぶら下がっていたのは、毛沢東何某と書かれた看板。そのコジンマリした四川料理の店の料理は、旨かった、旨かったが、ナゼゆえ、汗をかきかきチャイニーズ?汗をかきながら食べるなら、是非、ランニング、短パン、草履のおっさん姿が良い。蚊に足元を噛まれようとも。毛沢東のだらしない私生活が何となく人間ぽくてそれでいて天才ぽくて好きだと思う。 子供の頃、こんなゲームが町中にあったよな気がするよね。10円入れて、それをパチンコばねでちょっとづつ上に上げていくんだよね。ゲーム機自体を持ち上げて斜めにしたりして、ズルしたんだよね。おもちゃ屋のおっちゃんに見つかってこっぴどく怒られたんだよね。 バックパッカーのタイのバンコクに集まるカオサン地区にあるスターバックス。マグカップにタイ語が印字されているのが珍しく、200円から200万円の間ぐらいでは転売できるのではないかと思っている。ガヴァジュースは既に飲んだが、バガヴァトギーターはインドの重要な聖典のひとつで、ハーハーラーバタにもでてくるのであるが、そういうことでなく、ガヴァは、よく盗難アジアで見られる果物である。あ、東南アジアでも良い。ロナウジーニニョのことは良く知らないが、ペプシに出てきたりなんかもしている。でもペプシを飲みたくなるのは、10年に1回ぐらいかもしれないが、コーラは、アタイにとって、乾燥した地域にて美味しく感じるのであり、飲んでいるときはいつも歯が溶けていくイメージで飲むのであるよ。
2006.07.04
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その前に・・・中国の「青蔵鉄道」が開通・チベット結ぶ 世界で最も高い地点を走る中国の「青蔵鉄道」(青海省西寧―チベット自治区ラサ)が7月1日、開通した。チベットを鉄道が走るのは初めてで、経済発展に貢献すると期待されている。チベット族の分離独立を求める機運はなお根強いだけに、中国指導部は他の地域との一体化を進め国家統一を維持するための足場にしたい考えだ。 開通したのは青海省ゴルムド―ラサ間の1142キロ。この日は北京、四川省成都、西寧をそれぞれ出発、ゴルムドを経てラサにいたる旅客便が仮営業を始めた。北京―ラサ間4064キロは約48時間かかる。1年後の2007年7月から本格的な営業に入る。政府は今後、ラサから自治区内に広がる3支線を建設する計画。(中国総局長 飯野克彦) (07:01) ・・・バスでも平均4000メートル2泊かかったのも夢のようだ。コンピュータ会社ある日本のコンピュータ会社がどんな質問にも答えられるスーパーコンピュータの開発に成功した。あるとこ、ジョニーがこのコンピュータにこう聞いた。「僕のパパは今どこにいる?」暫くシテコンピュータは答えた。「あなたのパパは湖で釣りをしています」ジョニーは笑いながら答えた。「ははは、僕のパパは5年前に死んだよ」これを聞いた日本人コンピュータ開発者は急いでメンテナンスと検査研究を再度繰り返した。そして、開発者はジョニーに言った。「ジョニー君、また同じ質問をしてくれるかな。でもパパではなく、ママの旦那と言い換えてくれるかな」ジョニーは、「うん、分かったよ」といい、「僕のママの旦那は今どこにいる?」暫くコンピュータは考え答えを出した。「あなたのママの旦那は5年前に亡くなりました。でもあなたのパパは、今、湖で釣りをしています」最先端技術オリンピック ある時、各国で技術を競い合う世界大会が催された。アメリカチームは直径1ミリのグラスファイバーを作りそれをドイツに送った。ドイツチームはそのグラスファイバーのチューブ内に細いワイヤーを通し、それを香港に送った。香港チームは、そのワイヤーの中にさらに数本の極細ワイヤーを通し、日本に送った。そして、日本を経由して審査員に送られたが、審査員は首をかしげた。「どこかに加工したというのかね」というと、日本チームは顕微鏡を持ってきた。極細ワイヤーに「MadeinJapan」と刻印されていた。レストランにてオランダ人と日本人とイタリア人が食事をしながら考えていた。オランダ人は、割り勘にするといくらになるか。日本人は、3人分払うといくらになるか。イタリア人はおごってくれた人になんとお礼をいうか。レストランにて2(有名ですが)スープにハエが入っていたら。ドイツ人、「このスープは熱いので十分に殺菌されている」と冷静に考え、蝿をスプーンで取り出してからスープを飲む。フランス人、スプーンで蝿を押しつぶし、出汁をとってからスープを飲む。中国人、問題なく、蝿を食べる。イギリス人、スプーンを置き、皮肉を言って店から出て行く。ロシア人、酔っ払っているので蝿が入っていることに気がつかない。アメリカ人、ボーイとコックと支配人を呼び、あげくに裁判沙汰になる。日本人、周りを見渡し、自分だけに蝿が入っていることを確認してから、そっとボーイを呼ぶ。韓国人、蝿が入っているのは日本人の制だと叫び、日の丸を燃やす。レストランにて3フランス人と日本人とイギリス人が食事をしながら言い合った。フランス人は、「日本は豊かだと聞いていたが、海草なんか食べている、そんなに食べ物に困っていたなんて」日本人は、「フランスは豊かだと聞いていたが、カタツムリなんか食べている、そんなに食べ物に困っていたなんて」イギリス人に向かってフランス人と日本人は、「イギリスは豊かだと聞いていたが、イギリス料理なんか食べている、そんなに食べ物に困っていたなんて」火事の対処世界宗教会議の最中に火事が発生した。キリスト教徒は、胸で十字を切り、聖書を朗読した。イスラム教徒はメッカに向かいアッラーへの祈りを捧げた。ユダヤ教徒は自爆テロだと思い震えた。仏教とは「火事は存在しない」と座り続けた。事務員は消火器を取ると、火を消した。アメリカ人と日本人アメリカ人「あなたは何ニーズだい?」日本人「それってどういう意味ですか?」アメリカ人「あなたはチャイニーズですか?ジャパニーズですか?べトナミーズだってことですよ」日本人「ああ、ジャパニースです。ところであなたは何キーですか?」アメリカ人「ナニ言ってんだ、それはどういう意味だ」日本人「あなたはヤンキーですか?モンキーですか?ドンキーですか?」日本人を怒らせる方法中国人政治家「わが国は潜水艦で日本海の領域を侵したが、日本の潜水艦は報復攻撃をしてこなかったぞ」韓国人政治家「わが国は竹島を占領したが、日本は攻撃をしてこないぞ」ロシア人政治家「わが国は長年にわたり北方の島々を占領しているが何も攻撃してこないぞ」北朝鮮人政治家「ははは。怒らせることなんか簡単ですよ。わが国の核兵器を日本に向けて打てば、さすがの日本人も報復に出るでしょう」アメリカ人政治家「ムリだね、もうやったもの」中国と日本の戦争勃発西暦200X年、日本と中国の間で戦争が勃発した。当初、日本軍の優勢が続いた。1週間後、日本軍は1億人の中国兵を捕虜にした。2週間後、日本軍はさらに1億人の中国兵を捕虜にした。翌日北京から東京に向けて、無条件降伏の勧告がきた。「どうです?まだ戦争を続けるつもりですか?」西洋人が聞きたくない日本人男性の話。第3位 野球の話第2位 会社の話第1位 会社で野球をした話有能な国際政治家の条件日本人に意見を言わせ、インド人を黙らせることジャパニーズビジネスマンアメリカに駐在することになった日本人ビジネスマンが、猛烈アメリカ新興企業に出向することになった。新しい上司はいった。「わが社では猛烈に働いてもらう。週6日間、1日12時間だ。それでいいかい?」日本人ビジネスマンは言った「ちょっと待ってください。私ははるばる日本から来たんですよ。そんなパートタイムの仕事を私に任せるつもりなんですか?」アメリカンビジネスマン日本企業で働くアメリカビジネスマンハルジーだが、彼の上司である日本人ワタルは時間に厳しいことで有名だ。ある日ハルジーは出勤時間になっても会社に現れなかった。1時間して、歯が抜け、血を出しながら足を引きずってオフィスにやってきたハルジーはワタルに苦しそうににった。「すみません、階段からすべり、落ちてしまったのです」ワタルは顔色を変えずにこう聞いた。「1時間もか?」魔法のランプあるアジアの貧しい村の青年が。1人歩いていると道端に魔法のランプを見つけた。そのランプから魔人が現れ、2つの願いを叶えてやろうといった。青年は答えた。「俺はこんな村を出て豊かな日本に行きたい。俺を日本人にしてくれよ」そういうと、手に日本のパスポートが現れ容姿もすっかり日本人になっていた。「それから、俺はもう仕事なんかしたくない、一生働きたくないよ」と言った。魔人は「お安い御用だ」といった。気がつくと、彼は元の姿に戻っていた。魔法の湖あるところに好きなものを叫びながら飛び込むと、それでいっぱいになるという魔法の湖があった。ドイツ人は「ビール」といいながら叫んで飛び込み、湖はビールで満たされた。フランス人は「ワイン」といいながら叫んで飛び込み、湖はワインで満たされた。日本人は「サケ」といいながら叫んで飛び込み、湖はサケで満たされた。ベルギー人は迷った挙句、ようやく決め、湖に向かって走り出したが、途中で石につまずいてしまい、「クソっ」といいながら湖に飛び込んだ。豪華客船の遭難。豪華客船が沈没しかけている中で、船長は、海に飛び込むように指示しなければならなかった。アメリカ人には、「飛び込めば、あなたは英雄ですよ」イギリス人には、「飛び込めば、あなたは紳士ですよ」ドイツ人には、「飛び込むのが、この船の規則になっています」イタリア人には、「飛び込めば、あなたは女性にもてますよ」フランス人には、「飛び込まないで下さい」日本人には、「みんな飛び込んでいますよ」日本人が発音しにくいRとL問い;あるときホワイトハウスに日本政府から大量のバイアグラが届けられた。何故か。答え;アメリカの選挙で深刻な問題が生じているというニュースを聞いたから。サウナにてロシア人、日本人。 「プルルルルー」電話がなった。日本人は、ロシア人に「皮膚の中に携帯電話を埋め込んであるのです。どこでも電話できます」といった。羨ましがるロシア人は、考えトイレにいった。トイレから出てきたロシア人のお尻には、トイレットペーパーが挟まれていた。「おお、体内からファックスを受信したようだ」 車の技術基準にてロシア人、日本人。日本人「車に猫を一晩入れておいて翌朝窒息死していたら、この車の気密性は十分と考えます。」ロシア人「車に猫を一晩入れておいて翌朝まだ猫がいたら、この車の気密性は十分と考えます。」最後に、イギリス人のように料理をし、フランス人のように運転し、イタリア人のように冷静で、日本人のようにユーモアがあり、スペイン人のように謙虚で、ポルトガル人のように勤勉で、ベルギー人のように役に立ち、オランダ人のように気前がよく、韓国人のように忍耐強く、インド人のように上品で、ロシア人のように酒を飲まず、トルコ人のように計画性があり、イラク人のように温厚で、ルクセンブルク人のように存在感がある、私はそんな人になりたい。
2006.07.03
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マオ・・・ まあ、そんな訳で急に気がついたのであるが、ほんの10年前程度までは「10年前はこうこうこうであった」などと言ったり書いたりしていた訳であるが、ここ2、3回ない知恵を絞って書いたのが、「もう20年前の話であるが・・・」とか「もう30年ほど前の話であるが・・・」ということであり、陰部矢の如しでなく、全く光陰矢の如しである。 勿論、日々そんな昔のことを思い出している訳でなく、何となく日常で何かのキーワードにより、昔こんなことがあったなあ、そやそれは今日のネタや、となる訳であるが、大抵、書く時にはキーワードを忘れていることになるので、どこかの紙の切れ端や携帯電話のメモにキーワードだけ入れておいたりする所存である。 てな訳で、ふと気がつくと、1日は映画が1,000円の日であり、レイトショーに急いで出かける。「ミッションノーポッシブル3」(インド英語風に)である。先日、「サイレントヒル」の試写会が当たったが、激情リーマンにはそんなに早い時間に行ける筈がないので、200円でオークションにかけたところ、あれよあれよいううまに12人もの入札があり、1,000円になり、大金持ちになったので、その1,000円を投資したまでである。今日からなので、21時に到着したが、もう席は、前の2列を残して、満席状態であった。 しかしながら、それ以上の来客はなかったようで、3列目以降は満席なのに、2列目は私と、恐らくトムクルーズジャンキーのキャピキャピ女性2人だけであり、俄か3人ベック状態になったのである(もしかすると、向こうの2人はそうは思っていないかも知れない)。2人の女性は、まるで、私が存在しないかのように、映画に夢中になり、ワーワーキャキャー言っているのである。私は微笑んで見守るしかなかった。おまけに映画が終わりエンディングのテロップが流れ出すと共に、余韻に浸ることもなく、2人は席を立つのであった。私と、後で、お茶を飲みながら映画の余韻を語り合うことを忘れているようである。まあいい。強がりをいうと、私も全然期待してなかったんだから。 毎日が楽しすぎてよく分からなくなることと、毎日が辛すぎてよく分からなくなること、それが毎日交代ごうたいに来るわ~。考えれば考えるほど、分からなくわるわ~。人に言われれば言われるほど、もっと分からなくなるわ~。でもわかんないのは私のせいじゃないわ~。わかんないのは私がバカだからじゃないわ~。そうミッションインポッシブルのテーマソングに合わせて唄いながら、私も帰路につくのであった。
2006.07.02
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自宅近くに有名な路上の花壇がある。化学の実験エピソードなのであるが・・・小学校6年、少しは大人の味を覚え始めた季節。1時間目から唾液のアミラーゼを調べる実験である。実験班から1人が、唾液を提供することになり、その栄誉をMが勝ち取ったのである(後年、彼はガソリンスタンド員経由、夜の黒服の男になる)。彼は、「そっか、じゃあ、唾液溜めなあかんなあ」と1人張り切り、朝の全体朝礼もサボったのである。運動場から校舎を見ると、我が4階のクラスの窓から、彼の姿が見えた。唾液を溜める、そんな行為、よく考えれば2,3分もあれば口に結構溜まる、が、彼は、よく考えてなかった。我々が全体集会から戻ると、耐え切れなくなったMは、多量の唾液を吐き出し、皆から避けられ、そのあと殴られたのであった。 小学校5年、分別のない時代だった。アルコールランプで石綿(アスベスト)の上にフラスコなりビーカーなりを乗せて温めていくのであるが、何を思ったのか、アルコールランプのアルコールを実験机に漏らしてしまった。机の上が一瞬にして炎上し、びびった私は、その机の上に、がばっと胸からスライディングし、無事消火に成功し、先生にも発見されず、同じ班の子たちを凍りつかせたまでであった。 高校3年生。もはや体だけは立派な大人である。但し、理性と知性はまだおこちゃまの時であった。塩酸を何かに混ぜる実験があったのだが、バイパスさせるのに、少し口で吸って隣のスピーカーに誘導させるのであるが、調子に乗った私は、ゴックンと飲んでしまい、舌がヌルヌルになった甘酸っぱい青春の思い出である。しかし、少量なら飲んでも何とも無いことが実証されたが、とりあえず、歴史的発見については、先生には黙っておいたが、一応、クラスメイトには自慢しておいた。アチョー!!!
2006.07.01
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