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私は、顔に似合って小食の部類に入るが、今日の昼飯は大食いであった。ヘラクレスカレーと称するそのカレーはカツが2枚にジャンボコロッケに、えび一匹であり、ご飯は少なめにしてもらったわけだが、こういう大食いに挑戦したのは、初めてである。こういうときは、恐らくコツがあるのだが、体にあまりよくないのである。コツといったが、コツというほどのものではなく、ただ、胃が食事に気がつく前に、どんどん一目散に食ってしまうのである。お喋りなんかしている暇なんかないのである。髪の毛をひりかざして、セットし直す暇なんかないのである。来週、どこに行こうかと哲学的アプローチし、沈思彷徨する暇もない。ただ食うのみである。 贅沢に食って、気分が悪くなって、今日はもう朝飯も晩飯もいらないのである。 カレーの食べ過ぎというのは、もう20年ぶりなのである。あの時、インドでカレーを毎日食べていたのだが、デリーより南下4時間の町中がピンク色のジャイプルのあるホテルで、何故だか日本のカレー食べ放題というのがあって、思わず、2杯も食べてしまったのであった。 それは、苦しかった。そのまま夜行バスに乗るというのに、苦しくて歩いて行けず、道の途中からリキシャーに乗ったのだったなあ。 食い過ぎて、苦しくなったら、歩けない程なのであるということを学んだ10代の日々であった。
2006.09.30
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浪の達人さん所有の中部国際空港をぬける。 富士山の頂上火口に造った自家用飛行場へ向かう。といっても、富士山は死火山ではなく、まだ休火山であり、江戸時代おおよそ300年前にも大噴火を起こしている。今でも、噴火すれば、関東方面は結構ヤバイことになるので、そのときは、飛行場も終わりである。10数年前までの、私の現実の大家族制によるファミリー(父母妹と私)の中でも、私は有名人であることは、以前にも暴露させてもらったが、この中で富士山に登ったことがないのは、何を隠そう私だけなのである。数年前には親戚一族郎党8人組ぐらいで、富士山を登っていたりなんかもするのである。しかし、私には、なかなかお呼びではない模様である。何せ、5,6時間で登れ、3時間で下れるのである。年間約20万人が登るのである。富士山は、古くからの霊山であり、最初の登山は勿論修行僧であり、富士山新興宗教がはびこびりすぎて、江戸幕府は弾圧したぐらいである。古くは、『日本霊異記』や『今昔物語集』『扶桑略記』などに伝えられる、修験道の開祖の役の行者に関するものもあり、罪のために伊豆に流されるが、術を使って海上を走り、空を飛んで、夜は富士の山で修行を積み、富士明神の神助を得て罪を許され、ついには唐土へ渡ったという。えんの行者は、日本のスーパーマンである。今昔物語といえば、恋した女性にふられた位の高い男が、恋に苦しみ、その女性のウンコを見たら、いっぺんに興ざめするのではないかと、思いつき、ウンコの箱を持った女性(昔の位の高い人はオマルにウンコをして、ウンコ係の人間が運んでいたのである)を捕まえ、箱を奪い去り、思わず、オマルを開けたそうである。しかしそこには、ピーンという臭いではなく、甘い香りだったとのことで、そこに顔を思わずうずめてしまったということであり、その後、ますます、恋心は増し、恋煩いで死んでしまいました、という笑うに泣けない物語もあるのである。いやはや、昔の物語って面白いですねえ。 PSちなみに、私の知り合い夫婦は、旦那が巨大ウンコをすると、嫁が、はしゃいで見に来るそうである。
2006.09.29
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非常にオーソドックスなコースを辿り、山を楽しむ予定であったが、擬似アメフトラガーHのおかげで、我々の2日目はなかなか厳しいことが予想されたのである。東鎌尾根(表銀座ルート)といった有名なルートではあったが、私にとっては、いつも生意気なことを言っている猿知恵擬似右翼先輩Mをばてさすことが、今回の密かな楽しみでもあったのだ。そのためには、自閉症後輩Yの協力が必要であった。Yは高校で水泳部に属していたので、何とか高校帰宅部のMをコテンパンにやっちまおうという優雅で淫靡な作戦であった。勿論、そのためには、擬似アメフト部Hをメンバーから外す必要があったので、何とか2班に別れた時も、うまく細工して、どうせ遅れる組にHを放り込んでおいたのである。 大天井岳を目差し、尾根沿いに歩き続ける私は、先頭に立ち、飛ばしに飛ばした。まるで、走っているかのようである。もう昼過ぎには到着してしまうほどの勢いであった。後ろをスルドイ視線で振り向くと、7人全員が険しい顔をしている。必死のパッチで着いて来るのが分かる。シメシメ、私は微笑んだが、共謀者自閉症後輩Yが一番厳しい顔をしていることには、気がつかなかった。何せ平時も眉間に皺を寄せて世の中を斜めに見ているシニカルな奴だからである。 そんな訳で、よわっちい右翼賛同者Mがばてる前に、自閉症Yがばてて、ここぞとばかりMが満面笑顔になり、なにやっとんじゃあといって、Yのケツを捲り上げたのであった。そうして、私の優雅で感傷的な先輩イジメ作戦は失敗に終わったのであった。 でも、そんなことは、実は些細なことであって、12月も近いこの時期、ついに、雪が降ってきたのであった。我々は、槍ヶ岳を眺めながら、大天井岳付近のテント場で雪のため、停滞し、2日間の時をテントの中で過ごしたのである。突風で、おまけにテントとポールがあわなく、ひとつ足りないので、ぎゅうぎゅうになりながらであった。1日中、テントの中で横になっていると、しかしながら、大変、シモネタを中心につまらん話題をして、なかなか愉快なのであった。おまけに誰かが屁でもこごうものなら死刑である。テントの中は奴隷船のごとく身動きは取れないのである。端っこにいたNは、風でテントが傾き、常に見えないという状態であった。そのためか、Nはこのキャンプを境に、地上で姿を見ることなく、どこかにいってしまったのであった。 それでも、テントの中で皆体操座りして、火を起こし、料理を作り、それを先輩どもに大半を食われ、我々の神経はイライラし、精神衛生上非常に悪い状態に常におかれ、罵詈雑言が飛び交うのであった。 まあ、そんなことをとめどなく書いていると、今度、密約で山ごもりをする隠し砦の3悪人の参考に全くならないのではないかと、危惧しているのであった。 ちなみにその後、後輩Hは、弱小商社に入り、ニューヨークのパンナムビル(現メットライフビル、ビル床面積はペンタゴンに次ぐ)でボヤボヤしているが、多分、私の予想では、コカインを扱っていたのではないかと思う。何故なら、その後、その適当で仕方ないHが、多分、売上だけはあげていたのであろう、いつの間にか、S友商事に入っていたのである。ダウン系からアッパー系に転向したのであろうか。 バテサセ作戦に失敗した擬似右翼Mは(口癖は「南京大虐殺はなかったあ」であった)、某日本の2番目に大きい生命保険会社に入り、保険のおばちゃん指導係などをしながらも、今も人を騙し続けている。 後輩Yについては、何度も紹介してきたが、結婚生活3ヶ月を経て、今もハメドリカメラマンである。3人様、ルート会議場をご提供致します。
2006.09.28
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放浪の達人氏をリーダーとする、自殺サイトで知り合った3人の老若男女が、極秘裏に北アルプスの中で最も有名な山の御三家のひとつ、燕岳に登るということを極秘情報で聞いた。日付も秘密なので公開できないのが残念であるが、10月20日未明とのことである。まさか、集合場所までは知らないが、ググってみると、松本駅ということである。昔、ヤンキーが私の街から消えて数年、駅前で、女性モノサンダルを履いたヤンキーを見て、しばし、感動した思い出の地でもある。オマケに、全国に先駆けてかどうか分からないが、23時を越えて、タバコの自動販売機が終了していたのに、驚愕した憶えもあるが、もしかして、ビールだったかも知れない。 まあ、そういった憂愁で感傷的な松本駅の話はこのくらいにしておいて、燕岳である。その日のメンバーは山登り初めてという数日前にシュラフやキャラバンシューズやポリタンを買わせた後輩Hを含む数人の豪華パーティであった。後輩Hは、威張りながら、私は高校の時、南山高校でアメフトしてましたから、もう体力バッチリですよ、といいながら、その貧弱な体からは想像できない発言で、疑いの眼差しを向けながら、登山口より、いきなりの直登5分で、ばてた。 1300メートルの高度差をコースでは4時間で登れるという1日目としては、やわなコースであるにも関わらずである。このままでは、遭難してしまう、という恐れは全くなかったのであるが、このままでは、槍ヶ岳まで1ヶ月はかかると危惧したので、「おまえ、ほんまに、アメフトしとったんか」と詰問すると、「ええ、まあ、1ヶ月ほど・・・」と気弱で正直な事実が吐露されたのであった。 そんな訳で、2班に別れた我々のパーティは、1班目に遅れること2時間で、燕岳に到着した。テント場でテントを張り、元アメフト部に留守番を命じて、燕岳山頂を目差したのであった。 そんなわけで、夜になり、いよいよ楽しみのディナーである。その前に、テントを開いてみると、1つ、ポールとテントを間違えて持ってきていたHは皆にしばかれたところか、6人用テントに6人と30キロの荷物6個が置かれ、我々は、体をぴっちり擦りよわせるホモッチみたいな状態になったのであった。 まあ、そんな罰もあり、そんな罪もあり、HとYに夕食を作らせたのであった。今日は豪華絢爛のイタリアンディナー、レトルトスパゲティーであった。 できました! それから我々一同は、腹減った狼のように、皿に食いついた。次の瞬間、我々はひっくりかえった蛙のような鳴き声をあちこちで発した、。「グエー」「ゲロー」「オエー」そのスパゲッティは、麺が引っ付いていた。沸点が低くなっているのは分かるが、かつてないほどにマズイスパゲティであり、一生忘れえぬ思い出になった。5秒で、皆、皿を返し、お菓子などの非常食を食べ出した。ただ1人、鋼鉄の胃を持つ隊長丸虫ケンちゃんだけは、うまいうまいを連発し、お代わりまで要求したのであった。Hはアメフトどころか、一度たりとも、今までスパゲティを茹でたことがないという事実が判明し、死刑じ処した。 隊長丸虫ケンちゃんは、髭が異常に濃く、キャンプのある朝、伸びた髭をポリポリかくと、髭から丸虫が落ちてきたという実績を持っている。丸虫ケンちゃんは、パキスタンで高熱を出し、デリーの灼熱地獄では登山靴をはきっぱなしに旅を続け、ネパールのトレッキングにいったまま、季節は10月、11月、12月となり、学校はとっくに始まっており、とっくに2留が決定し、とっくに死んでしまったものだと思っていたら「元気かい~」と暢気なクリスマスカードが届き、皆のドギモを抜かせたことのある実績を持っている。 後輩Hは、その後、休学し、世界一周するんだと日本を4月に飛び出し、9月に私がバンコクに行くと、まだ、第一ケ国目のバンコクに彼は、いて、十二分なボトル中毒になっていたという実績を持っていた。おまけに、冬にインドに私が行くと、彼は第2カ国目のインドにいて、しっかりと、まだブラウンシュガー中毒していたという実績を持っている。彼の1年の休学の成果は、タイとインドだけで、あとは、ビザの更新のための一時出国のマレーシアとネパールだけであった。
2006.09.27
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プチ横浜は神戸、プチ川崎は尼崎、なんぼのもんじゃい東京は大阪とすれば、プチ京都は鎌倉である。銭洗弁財天入口。国境の長いトンネルを抜けると金の亡者神社であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立って来て、私の前のガラス窓にお金を落とした。線香の冷 が流れ込んだ。銭洗弁財天で、線香と、お金を持っていき、お金を洗うと、倍になるという投資向け弁財天であった。 ガキどもはジャリ銭を洗う。投資金額が少なければ、リターンも少ない。大人の私は、何億円という札束も洗う。投資金額が大きい程、リスクは減るものだ。鶴岡八幡宮、修理中につき写真シートで我慢してね、と言われる。鶴岡八幡宮、さすがに鎌倉は関東だけあって東京にも近くてガイコクジンが多い。多いのだが、結構、どこにいっても、日本語の説明しかない。鎌倉を理解したければ、日本語を理解せよという潔い姿勢が微笑ましい。建長寺。臨済宗建長寺派の大本山。建長寺。それは、わが国最初の禅道場。禅をすれば、私は、5秒で睡眠状態に入ることが出来、棒でしばかれること請け合いである。建長寺。境内では、誰かの個人展覧会が催されていて「入場無料!」って書かれていたけど、既に、拝観料払ってしまってるんだよなあ。 大船観音。駅前観音である。多分、日本で一番交通アクセスの良い大観音さまなのである。胸だけなのである。地盤が弱かったから。計画を変更して胸までだけになたらしいのである。おまけに戦前から作り始めて、途中で何十年も中断していたそうなのである。湘南海岸。素人軍団のサーファー達がちょとだけ小さな波を待っていた。私も、自慢だが、バリではサーファーだった。頭はサーファーカットではなく、ドレッドレゲエの三つ網野郎であった。海蔵寺。季節の花に彩られるお寺なのだろうか、カメラ小僧やカメラおっさんや(多分)ブロガーが何かのシャッターチャンスを待っていたのであった。海蔵寺。今や、民家の奥の細々道の奥にある。丹波哲郎氏死去。霊界と挨拶するのだろうか。 長谷寺。門前町が、何とも京都。長谷寺・・・以上。 獄寺、って書いたけど、寺じゃねえよ。 円応寺。やっぱ、私のお寺のテーマは、「地獄」である。そんな訳で、何を隠そう、鎌倉の目的地はここがメインといっても過言ではない。円応寺。過言ではないといいつつ、拝観は5分で終了。拝観料も200円取られる拝金主義であり、地獄の沙汰も金次第なのである。おまけに寺を出るときには「ありがとうございました」なんていわれてしまった。こんなことでいいのか、閻魔様。まあ、せっかくだから、大仏後姿。まあ、せっかくだから、大仏カラスカーカー。まあ、せっかくだから大仏。奈良の大仏よりは小さかったが、奈良の大仏より拝観料は安い。そうやって、正統的史跡行脚は終了したのである。 題目のことを忘れていた。観光地の目の前の食堂は、うまくもまずくもない。相手は、一見さんばかりでリピーターを求めていない。しかし、マズイと、最近ではネットで流されてしまうので、そこそこに。行列してもらわなくても、じゃんじゃん客は入ってくるので、適当でいいのである。立地の勝利である。
2006.09.26
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大小便も監視中でぃーす。1192つくってや。駄菓子屋前を無視してまだ歩くよ鎌倉大仏ミャンマー人に人気オイ、パンチの裏みたい見たいかこいつが裏だ。拝観料は20円だ。裏パンチや。ダイブツキティや。キチェちゃんにお尻向けたらあきまへんで。まあ、一句のこいてけろや。 巨乳の恋人が欲しいし、ちょっとだけ何度も当たりますように銭洗弁天にて。大仏グミ。ありがたいのである。食する人々は、グミに向かってそっと手を合わせる。名物大仏うどん、大仏なみに旨いのである。もったいないのである。ありがたいのである。食する人々は、どんぶりに向かってそっと手を合わせる。私のわらじ。歩いたがな、今日は、6時間歩いたがな。
2006.09.25
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一昔前は、今、このままの延長を繰り返していると、理想の目標に到達するのであろうか。生き方から仕事から、これを間違えなく繰り返していると・・・今のところ、貧乏農場である。 ・・・先週は、タイのクーデタがあったが、タイのクーデタは毎回、国王が最終決定するというのが、何とも愉快である。 最近のクーデタは、ベネズエラの2日クーデタ。首謀者が誰かはっきり名乗りでず、二日で腰砕け。ネパールの宮廷クーデタ。皇太子が殿乱心状態で、親族に乱射。国王が殺され、本人も自殺。海外にいた国王の弟が新王として即位。何だか怪しい即位の仕方で、今は国民の敵である。昔は、どの家に行っても国王の写真があって尊敬されていたのだが。 フィジー、インド系首相の打倒クーデタ。フィジーではインド系が4割もいて、半数しかいないフィジー現地人は面白くない。今日、大阪の街を歩いていると、通り過ぎたバスにラッピングされていた宣伝が、何とカタール航空の宣伝であった。カタールも90年代に宮廷クーデタがあった。 ここ最近の最大のクーデタ未遂は、ソ連だろう。首謀者たちがびびって泥酔していた例のあれだ。 また一番最近の市民クーデタは、やっぱフィリピンのマルコス打倒クーデタであろう。 古いクーデタとしては故事ともなっているルビコン川を渡るカエサルであろう。中学校のときの社会の先生の飼い犬の名前がシーザーだったな。 日本の古いところでのクーデタは、やった蘇我氏をやっつけた中大兄皇子のクーデタであろう。多分、歴史は蘇我氏を悪者扱いするが、それは負けたからなのだろう。 また日本で一番有名なクーデタは、明智光秀だろうか。
2006.09.24
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いわゆる911後、アメリカのメディアは酷かった。国旗の下に終結し、団結を訴え、愛国心を煽りやがった。23日にもなると、やっとコメディ番組らしいもんも復活しはじめたが、まだまだニュースはテロ報道、喪服の強制であった。グラウンドゼロ(爆心地)なんかと呼び、馬鹿じゃないのって感じなのだが、建国以来初めて本土に襲撃されたショックが大きかったのかも知れない。ブッシュは吠え、それに応えてアフガニスタン攻撃の一枚岩になっていったことが、日本でも伝えられ、恐ろしいことだと思った。 勿論、ユニオンスクエアあたりでは、反戦の少数派も頑張っていて、日本のニュースでも禁止された曲、イマジンが流れているのが放送されていた。(イマジンの内容って、考えたらアナーキズムだよね。想像してごらん国家がないとしたら、想像してご覧所有物がないとすれば~)ちなみに自粛された曲は、他にもFシナトラ「ニューヨークニューヨーク」バングルスの「エジプト人のように歩こう」ブラックサバス、ボブディラン「天国への扉」ツエッペリン「天国への階段」S&G[明日に架ける橋]Bスプリングスティーン「アイムオンファイヤー」ルイアームストロング「この素晴らしき世界」・・・自粛に理解に苦しむ曲群である。ホンマ、日本で天皇が死んだときのことを笑えないものである。一致団結の気色悪さだ。それでも、パティスミスなんかは、ちゃんと反戦の歌をなおも歌い続けているのであった。 先住民を虐殺し、アフリカから人をかっぱらってきた歴史。すごい国だわなあ。
2006.09.23
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口笛吹いて 空き地へいった 知らない子がやってきて遊ばないかと 笑っていったひとりぼっちはつまらない 誰とでも仲間になって友達になろう口笛吹いて 空き地へいった 知らない子はもういないみんな仲間だ なかよしなんだじいさん、僕は、今日も疲れちゃったよ、何だか、眠いんだよ。 昨日の自転車特集が好評だったので、今夜は、車だあ、と眠い目を擦りながら考えてみるわけなのであるが、あまり頭が回らないんだよ爺さん。でも車が出てくる映画っていっぱいありすぎて、何ともいえないんだよ。中学校の時にドギモを抜かれたのが「フレンチコネクション1,2」ってところか。アカデミー賞がらみでいうと「激突」か。バックミラーに映るトラックが不条理に襲ってきて、最後まで何故襲ってくるのか分からないのが、さすがに70年代である(何がどうであるのか)。トラックと言えば、コンボイには、子供心に感動したのであるなあ。パトカーといえば、今まで15回は観た映画では(中学校の時劇場に2回もいった)「ブルースブラザーズ」は、今考えたらレイチャールズやらアレサフランクリーやら豪華キャストなんであった。同じように車がいっぱいでてくる豪華キャストといえば、キャノンボールか。ホモに人気のバートレイノルズやジャッキーチェンに混じって、映画作品に恵まれなかったアメリカの美人の象徴ファラーフォーセットも出てたなあ。内容はすっかり忘れた。中学校の頃、大ファンだったジェームスディーンは理由なき反抗でゼロヨンをやっていたのが印象的であったが、本人もポルシェの事故で死んだ。(誕生日は私と同じ日であるがそれは蛇足)。同じようにスキで渋かったのはマックイーンだが、栄光のルマンやブリットなどの車だけでなく、大脱走のようなバイクも魅力であるが、彼の作品で好きなのは何を隠そうパピヨンであるが、これには車もバイクもでてこない監獄島の物語なんだぜ。でもこの映画では、ダスティンホフマンの方が演技が上手かったと思うんだなあ。未来映画ではやっぱバックトゥザヒューチャーのストーリーはミーハーながら面白い。ちなみに、マイクルはとっても背が低い。小さいといえば、最近ではミニミニ大作戦ちゅうのがあったな。全国にはミニのファンというのがいて、私の知り合いにもいて、スンゲエチューンナップしておる。ミニじゃないけど、タクシーといえば、タクシードライバーだが、これはあまり車が主人公でない。主人公は、娼婦のジョディフォスターである。トラビスではない。トラビスことデニーロが、ジョディに名前を聞いたら「イージー」と答えたのが何とも悲しかったものだ。でもタクシーなら、ナイトオンザプラネットのオムニバス系がよかったかな。リュックベンソンのタクシーやなんかは何とも最近の話であり、内容もなかなかイマイチなのであった、まあプジョー好き向けか。まあ、ゲージツ系おフランスついでにでいえば、男と女か。車のフロントに映る街路樹がキレーてとこだよ。気分はダーバーダダバダババ、そんでもって、ストレイトストーリーはリンチの異色作であり、リンチらしくなくて、私には見事にこけているような気がする。一応、トラクターも車だぜ。ブロロロー。映画の中で言えることは、飲酒運転していないところか、と優等生的教訓的にマトメテ今日を終える。
2006.09.22
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ひとのまねしといわれれば仕方ないのだが、仕方なくも、そこにいってきた。 こうやっていろいろ写真を撮ってくるのであるが、考えれば、昔の子供の頃の写真って見ないけど、数も少なくて、大切なものなのかもしれないなあ。友達も子供が産まれて、誕生5分後、6分後、7分後、とまあ、1日で既に100枚ぐらいデジカメで写して保存していたりなんかする。それはそれでうれしいことなんだけど、反して、何だか1枚1枚の価値が薄くなっているような気もする。 淡路島に行ってきたが、ココは、日本が最初にできたという島伝説もあり、最近、日本人の聖地ブームに一役買っている(とは思えないけど)。日本人は、無宗教が多数を占める割には聖地好きである。メッカを訪れるイスラム教徒は年間450万人、奇蹟の泉、ルルドを訪れるキリスト教徒は年間500万人。正月の3日でお参りをする日本人、3日で9000万人。(今年の正月、どこにお参りしたか忘れた人6000万人と私は想像する) まあ、そんなことを考えながらも、仕方なく、紹介されていた、店に入り、紹介されていた焼きソバ、でなく、パスタを食するのであった。そうやって2週間ぶりの休みは終わっていくのであった。 自転車の映画って「明日に向かって撃て」「突然炎のごとく」「ET」ずばり「自転車泥棒」・・・なんともせつないツールである。そんな訳で、自転車でなく、車で淡路島に行ったのであった。
2006.09.21
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かつて、というか、今も難波中三丁目という地名がある。なんばパークス、JRA場外馬券場、郵便局、金光教教会、体育館などがある一帯に雑居ビル群があり、中傷の街金、闇金が密集していた。少し前までは弛緩し、鬱蒼とした薄暗い雑居ビルには、気の滅入る雰囲気を漂わせた場所であった。この辺りは、かつて、街金銀座などと揶揄されていた一帯である。近くの千日前はかつての火葬場と刑場、そして広大な墓地であった。そこに建てられたプランタンが火災になったときには、祟り説がまかり通った。今もこの界隈はなんとなく、空気が暗く、淀んでいる。 街金銀座のチャンピオンは勿論、都市銀行である。以前は、高島屋に住友、三和がはいっており(今もミツイスミトモ、三菱東京UFJが)入っており、そこに住友信託も入っている。そしてその上に君臨していたのが、三井銀行であった。それに続き、今はなき、福徳、幸福、近畿(近畿大阪として結構今も頑張っている)、大正(は今もある)という地銀が続き。信金信組に、大阪銀行(奈良銀行と共に、りそなに吸収)、泉州銀行(今もある結構融資に甘い銀行)、池田銀行(今もあるお堅い銀行である)が半径2,300メートルぐらいのところでシノギを削っていた。それに加えて、上記のひしめく街金闇金であったが、今は、090金とう携帯中心の金貸し、早殺しに追われて、今は、ほとんど鞍替えしてしまっている地域でもある。 今、話題のグレーゾーンだが、政治家の献金はスザマジイものなのだろう。早速、骨抜きにされた。今も年収2,300万円の人をターゲットに暗躍している。エグゼクティブの私も気をつけよう。
2006.09.20
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今回の淡路島の本来のその他の目的としては、100メートルの大観音にあった。対岸の神戸からも見えるのである。しかし、この観音様は淡路観光協会から無視され、昨年、閉館となっていたのである。なにせ、自由の女神でさえ台座47メートル、本体43メートルなのである。そのビッグさは近年までギネスブックにまで載っていたはずなのである。しかし、誰も回りでも行ったことがないナイスプレイスなのである。 ありし日のページは、ここやここやここや、ここにある。勿論、公式HPは閉鎖され、以上のように、個人の思いで日記にしか存在しない程度なのであった。 何を隠そう、私の出身小学校の校歌の滑り出しは「はーるかにかすむーあーわじしまー!」なのである。そんな訳で、小学校低学年の頃にはカブスカウトで淡路島の首都、洲本市郊外にて合宿をしたこともあるし、小学校5年の郊外1泊学習は淡路島の江井というところであった。 大人になったので、今更に、告白できるのであるが、小学校5年の時に、私は、偶然にも頭の中と違って体が何故か早熟だったので、下半身に黒いものがモヨモヨ生えてきており、これは、小学生皆さんと違うのはとても恥ずかしいの法則により、悩み悩んだ挙句、綺麗さっぱり剃っていったのである。そんな訳で、集団で風呂に入る時、皆と同じように、ツルツルだったので、大いに安心したのであった。あの時、機転が利かなかったら、私のアダナは「大統領」から「ボーボー」とか「ジャングル黒ベエ」とか「もじゃもじゃくん」と変更されるところであった。子供心に、私の迅速な反応には感心しつつも、あのT字型剃刀を、父上がその後使ったと予想すると不憫で仕方ないのである。でも、きっと、心優しいわたしは、そのまま捨てたに違いないだろう。きっと、私の心の底にあるもったいない道徳心は働いていないと想像できる。 幼い頃、四国側にある慶野松原に家族で海水浴に行った。私は親譲りの怖がりで、3歳の頃は波も怖かったぐらいで、その後、小学5年の頃に2キロ以上泳げるようになるとは想像しなかった。反して、妹は、何も考えていないという面を親譲りされ、親父の背中にまたがったまま、沖合い100メートルぐらい向こうまで出て行ってしまい、一向に還ってこないムデッポウブリであった。その頃、私は、顔付け10秒がやっとなのであった。 従兄弟達の家族総出で中学校あたりのころに、また慶野松原に出かけた頃があり、その頃といえば、なんともいえない思春期ムンムンの欲求不満マンマンの頃であり、更衣室で、若い女性が着替える為に入っていったが、ベニア1枚隔てたところで着替えておると思えば、えらく興奮して鼻血ブーの若い血潮が漲っていたものである。 そうして、大人になり、慶野松原の別荘を後輩に貸したところ、霊的なことを一度も話したことのない奴であったにもかかわらず「お化けがでましたー!!!!」といって帰ってきたのであった。なぜだ。
2006.09.19
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大いなる野望と野暮用があって、海外旅行に行ってきた。海外といっても橋でつながっているので、スンゲエ海外ではないのだが、知人がリゾートマンションを持っているということで、関東から来て滞在しているということもあり、少し挨拶の1つ2つはしておくかと、行った訳である。 淡路島は、とても近い。しかし、道に迷いに迷って、何だかだんだん、見覚えのアル風景になってきたのであった。何を隠そう、結婚していた頃、リゾートマンションを所有していたのである。何を隠そう、辿り着いたマンションは、まさに、そのマンションそのものなのであった。おまけに階数も近く、同じ角部屋であった。最初からマンション名を言ってくれるだけで苦労せずに到着した物件である。世の中狭いのである。 もうひとつは、淡路島の首都、洲本で飯を食った後、駐車場に行くと、何と、今、もめている渦中の5年前に手放した私の車がそこに停めてあったのである。譲った本人は失踪中、現在、2年分の駐車場代で私ともめている車なのである。悲しい車である。失踪中の人のカバンや荷物が入っている。洲本市内の会社から陸運局を通じて私を探し当ててきたので、そのあたりの駐車場かと思っていたが、まさかこことは。(ランチはタイムアフタータイム)昔、玉村豊男プロデュースの楽天市場はどうやら閉館しているようであった。導かれて、淡路島、である。
2006.09.18
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昔、四国の松山の温泉宿に泊まり、そこで、生まれながらにして盲目の按摩師を呼んだ。失礼ながらも、私は、「目が見えないってどんな感じなんですか」と聞いた。「まだ、諦めてませんよ。花や月を見てみたいのです」と言っていた。意味もなく、私は、医者でもないのに、この人のために何とかしてあげたい、この人が見えるようになるまで、私は死ぬ訳にはいかないと思った。 なかなか知り合いのためには死ねないのかも知れないが、見知らぬ人のためなら死ねるのではないかと思う瞬間がある。何故だろう。でも、だからこそ、人間らしいなとも思う。 インドには、方輪の乞食が数多く存在する。バラナシの迷宮の路地入口にも手足のない乞食が、置かれていた。彼は、結構稼いでいる。夜には、出勤時間が終わり彼はいない。ある夕刻、彼を回収する人間をみた。彼は抱きかかえられ、雑踏に消えた。翌朝、彼はまたそこに座り、屈託のない笑顔でいた。私が通ると、急に憐れな顔をするのだが、何故か明るいのであった。豆が1粒、屋台から転がってきて、すかさず彼は、体で転がり、道端に落ちたそれを食べた。屋台の主は何も言わなかった。
2006.09.17
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多分、私は、仏教には詳しくないけど、ブッダは、墓は要らないといったと思う。輪廻や来世は、当時、バラモン教が、ソレが当り前だから、たとえでそういうことを行っていたのだと思う。ブッダ事態は、そんなこといわなかったし、いわゆる涅槃でもうこの世には還ってこないと言った。 葬式の形式を作ったのは、その後の中国かもしれないし、徳川時代に寺が教育から住民管理までまとめた寺のせいかもしれまい。禅問答ではないけれど、人間は死んだらその先はないと考える時点で、その先にはもしかして天国や地獄を考えてしまうものなのだろう。 プラハの看板
2006.09.16
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それにしてもだねえ、2昼夜連続映画決闘論も今日で最終日となるわけにしたのである。何故なら、特に今日は何もなく、週末に淡路島か新潟か台湾に行こうかといろいろ頭の中で考えているだけで、仕事は相変わらずエンドレスってとこなのである。 最終日は、意味なく、何となくベトナム、というところで、ベトナム映画である。ベトナム映画でなくても十分なのだが、何故かベトナム映画である「地獄の黙示録」が私のベトナム映画ナンバル1である。マーチンシーンの最初の狂気からジャンキーのままのデニスホッパーからコポラとそりがあわないマーロンブランドから面白い。コッポラの破産、初めて中学校の時に知らずに聞いたジエンドのドアーズにサティスファクションのストーンズ、慰安のセクシーなプレイボーイメイツ。 昔、麦藁帽子をかぶってワグナーをウォークマンで聞きながら、タイのビーチから、椰子の山の入っていくと、ほんと、ナパーム弾の臭いがするようで、トンで行くのである。 コッポラ以外にもマイケルチミノの「ディアハンター」キューブリックの「フルメタルジャケット」結構どちらも傑作だよね。ただし、チミノは「天国の門」という大作で破産したが、ディアハンターもはっきりいってベトナム戦争でなくてもロシアンルーレットはできるぜってところか。プらトーンにぐモーニンベトナム、少し小ぶりか。7月4日に生まれてはメキシコで蛆入りテキーラの蛆を食うシーンしか覚えていない。それはなかなかかっちょよかった。ダゴールも「ベトナムから遠く離れて」といった傍観者的映画があったなあ。ま、日本なんか傍観者でさえないからねえ。まあ、小田実も同じ題名の長い小説があったなあ。 ちなみに、後遺症的にいえば、タクシードライバーやランボーもプチベトナム映画ってとこか。ここからベトナム映画について、詳しく解説していくつもりだが、紙面の都合上と私の睡眠時間上、割愛させてもらうことにするので、あとは想像、想起、克己して欲しい。
2006.09.15
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夜中の3時だが、3時まで仕事をしていたわけでなく、イスの上にも3年というではないか、修行僧としての私はそこで座禅を組むつもりで眠っていたのである。何故か、パソコンの画面も固まり、何をクリックしてもなかなかのなしのつぶてである。もう眠らなければならないので、今日は手短に終えるとするが、昨日の、映画決闘論を展開した暁の話で、おとといアメリカさんをぼろんちょんに論破してしまったので、ミックスさせて、アメリカをえぐる映画というのを考えてみた訳である。しかし、考えただけであり、またまた昨日、一昨日に続き内容の薄っぺらなことはご了承願いたい。 中学生の頃、今と同じように純朴だった私は「真夜中のカーボーイ」を観てアメリカの悲しズムをみたよ。ジョンボイトは「チャンプ」もよかったが、本当の娘はアンジェリーナジョリーである。憐れな末路。テキサスの田舎者ジョンボイトと、社会の底辺を這いずり回るイカサマ師のダスティンホフマンが、ニューヨークだったかな、ウロウロして、グレイハウンドバスで暖かいフロリダを目差し、肺病のダスティンだったかな、小便を漏らしながらも死んでいくんだよなあ。是非、ブッシュにも観て欲しいものだ。同じような内容のアルパチーノ、ジーンハックマンの「スケアクロウ」もいいよな。どちらの作品もちょっぴりゲイ的な友情関係なんだよなあ、今思えば。アメリカだなあ。(違うか)。アルパチーノの何だか情けないあれよあれよと場当たり的強盗になっちまう映画「狼たちの午後」もアメリカ的場当たり主義が滲んでてきていいなあ。おまけに、私なんかアルパチーノの「スカーフェイス」なんかもう20回ぐらい見ていて、最後のボリビア麻薬カルテルに遣られちまうのが何ともアメリカ的末路でいいんだよなあ。昨日は、ウッヂィアレンを引き合いに出したが、「カメレオンマン」もアメリカご都合主義ブラックコメディーがいい味だしてんだよなあ。それからジャックニコルスンの「カッコーの巣の上で」なんかニューシネマの代表みたいなもので、アメリカ牢獄社会をうまく描いているんだよなあ。そういう意味では「華氏911」は力作なんだが、ブッシュは正しくなく、私マイケルが正しいと紋切型が少し愉快ではないのだが、それがまたアメリカ的なのかも知れないなあ。あ、もう寝なきゃ。
2006.09.14
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先週は、夜中に映画を観ようと、半額レンタルをいいことに、当日で借りたのだが、速攻で眠ってしまったこと3日。総額にして360円の甚大なる損害をこうむったのである。かろうじてデコ広い男の映画だけは最後まで見ることが出来た。 ところで、映画というもの、できることなら、90分がいいのである。90分でカタって欲しいのである。いまどきはしかし、映画も凡そ2時間というのが多い。2時間、この単位で結構、世の中も、そしてソレに釣られて私も動いている。打ち合わせや会議も凡そ2時間が目処、1時間で終われば早いなと思うし、3時間ともなると集中力はなくなる。最近の会議打ち合わせは6時間とかもあって、もはやクッタクッタめったくったでもある。買い物も2時間までなら無料、ドライブの目安も2時間がちょうど良いか。飛行機も1時間ならやっと乗ったと思ったらもう着いてしまうが、2時間ならちょい眠り、新幹線の東京大阪の3時間は少し長く感じるが、大阪名古屋はすぐに着く。宴会や居酒屋も目安は2時間、そんな単位で動いているので、映画も最近は2時間ってとこである。映画館なら長ければちょっと得した気分になるが、DVDなどは、もう年をとったというのが本当の理由なのだが、90分なら嬉しいのである。明日、仕事でも、90分なら夜中の2時から見ても、まだ3時台には眠れるのであるが、2時間を越えると4時を越え、気分的に明日の仕事や生活に支障をきたす暗澹たる気分になるのである。そんな訳で、平日ビデオを借りる時には、最近、上映時間もチェックする自分が、縮れたいん毛を見るみたいに悲しいのである。 そういう意味では、ウッディアレンが見事に90分映画を貫くのがシブイ。渋いが、流石に最近の作品は見ていないし、多分落ちてきていると勝手に思うのだが、アニーホールなど現在でも全然古くない。違うかもしれないが、ダゴールやルコントあたりも90分前後の映画が多いような気もする。素晴らしいことである。 ちなみに、長々と長い映画は、大抵疲れてしまうものであるが、これも流石に例外もあり、例外のない規則はないように、3時間でも、え、もう終わりなのかい?なんて傑作もあるのである。有名どころでいえば、ゴッドファーザー(流石に3は、ちょっとねえだが)、ベンハ-にディアハンター、ドクトルジバゴに七人のサムライ。今度は是非、旅芸人の記録 4時間に挑戦してみたい所存である。全然912には関係ないのである。
2006.09.13
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5年前の911、その悲惨な事件に巻き込まれた方々やその関係の方々にはご冥福をお祈りし、数々のドラマがあったことなのだが、誰もが知るように、強者の論理であまり分からないことであるが、イラクやアフガニスタンで大多数の無実の人々が、911よりずっとずっと多くの人々がアメリカに殺された。人間一人一人は別にして、原爆を落とし、未だ反省もしないような国は信用ならない。 あの事件が起こった時は、多くの人が戦争に巻き込まれただとか、アルカイダが攻めてくるだとか、世界危機が起こると一瞬思ったかも知れないが、911は予測もされていたし、ブッシュはその情報を野放しにしていたし、もしかしたら裏で繋がっている恐れもあるわけで、その後、何がなんでもアルカイーダを皆殺しにしなければならないと叫んだのは、政府であり、兵器産業だけである。 実際、911の前にも、エッフェル塔に突っ込む予定だった武装テロ集団は事前に察知し、抑えることもできたし、フィリピン航空では機内爆発で実験が行われ、航空機を使った自爆テロは十分に察知できてたはずで、未然に防げた政府の怠慢か油断か陰謀でしかないのだろう。アメリカの象徴的なツインタワーは93年にも地下爆発事故があったではないか。 このテロ集団、カルトは一般大衆とは違うのである。犯罪者である。しかし、テロに対する全面戦争を起こし、住宅地も一緒くたに絨毯爆撃した作戦は、全く間違っている。まるで、テロ国家である。こんなことをして世界中の支持と同情を失い、アルカイダに同情が集まったのである。911には申し訳ないが、全然、教訓になっていないし、軍事利用の引き金にされただけだ。多分、中身のないブッシュ政権でなかったら、この911以後の対応は少なくとも全然違ったものになっていただろう。マドリッドやロンドンのテロはなかったかもしれない。ゼイゼイ。 911は犯罪である。少し大きな。これで、歴史が変わったなんていうのも、本当か。原爆投下やベルリンの壁崩壊とは訳が違うはずだ。911以後も相変わらず、世界一の超大国のままだ。どうよ。 でも、昔、アメリカ人の選んだ20世紀の10大事件の1位か2位にチャレンジャー爆発が入っていたことを考えると、何だか世界の田舎者大国だなあとも思ってしまうのである。今日は、愚痴ばかりである。しかし、911で亡くなった方は無実の方々であり、ご冥福を再度お祈りするのである。
2006.09.12
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こんな僕でも洗濯はする。それは命の洗濯でも人生の選択でも生き様の宣託でもなく、ただの衣類の洗濯である。勿論、お手伝いさんに頼む時間がない程に多忙なので、1週間に一度だけ、洗濯をする。鼻歌もなく、朝一に、洗濯をしていると、電話がかかり、「コピー機のドラムトナーが切れて、カスタマーセンターも日曜で閉まってます。(プリンタ、ファックス複合機なので)プリントアウトできずに大変です、何とかなりませんか」という伝令を受け、仕方なくいろんな大手電機店に電話したが、在庫はなく、仕方なく、他の拠点からこそっと抜いてくることを思いつき、時速140キロでコピー機の一部をパクリに出かけた日々であった。昔、西洋人というのは、たいていある程度英語が話せるものなのだと、思っていたのだが、初めてインドに行った時、哀愁のパラゴンホテルで鼻歌を歌いながら、洗濯をしていたスペイン人女性は、全く英語が話せなかった。まあ、そういうことなのだな、と私はひとつ賢くなった気がした。今は、知らないが、パラゴンホテルも、「まあ、一服つけますか」なんていう輩がたくさんいて、ホテルの従業員が、こらあ!と煙がやってくると怒っているようだったが、一瞬、シュンとして、またぐるぐる回している不良旅行者の溜まり場であった。パラゴンホテルの前でバナナを売っている物売りはまだ生きているのだろうか。彼は、自慢げに世界各国から来た絵葉書を見せてくれる。住所は、サダルストリート、カルカッタ、インディア。ミスターバナナマン。であった。路上生活者にも郵便は届くのであった。同じ道路には、有名な笛売りがいて、同じフレーズばかり吹き続けて何十年、1日いただけで、こちらは気が狂いそうになるほど、なかなか鬱陶しいのであった。目が合ったら、お仕舞い、笛を売ろうと、やってくる。せめてツバを拭くんだ!時々、旅行者目当てに子供達の大道芸人も来た。大半の子供達がカタワであり、動かしにくい体を酷使して綱渡りやバク転をする。お金をそれでももらえなかったり少なかったりしたときには、凄く憐れんだ目をして、涙でさえ流す。誰ももうチップをくれなくなり、見物人が去り、彼らが壁の後ろに言ってしまった後、こっそり、壁の後ろまで見に行くと、キャーキャー子供らしく騒いでいた。少し安心した。そして、私に気がつくと、皆、一瞬にして、憐れな目になり、手を胸と口にやりながら、お金をくれえとやってくるのであった。「さっき、見てたぞ」と示すと、「あ、ばれた」といった顔になり、子供達は素の笑顔に戻ったのであった。
2006.09.11
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平均的人生が半分ぐらい終わってくると、結婚式への出席が減り、葬式への出席が増えていく。今日は、遠い知人が悪性リンパ腫で死んだ。同じ大學だが、大學が同じことは知らなかった。卒業してから、知人の知人の知人としてたまたま知り合ったのだが、それは、中学校高校時代に、同じ陸上部長距離で試合の時に見かけていた奴であった。ほんの少し足が速かったので、私のほうでは、名前と顔は一致していたのであった。 S陵台中学、N田高校(中内ダイエーの出身)で、ちょっとばかり私より速いが、それでは陸上長距離王国兵庫県では、芽も出ない訳で、彼を密かに抜きたいと思っていたK下君が亡くなったということを聞いた。 一度だけ、真夏の試合で、彼が、途中でばてて、抜いたことはある。そして、その後、高校1年の駅伝神戸地区予選があり、そのときは、5キロで彼を30秒以上離し、区間賞(3位だが)を取った。その2回だけ、勝ったことがあるが、彼は、そのときは、私の存在も知らなかったに違いない。 そういえば、神戸地区で一番駅伝が強かったのは、S港高校(通称ボケシン)であったが、そこには両エースがおり、そのうちの1人が、卒業後、交通事故で片足をなくしてしまったのだなあ。 大學は、同じだったのは知らなかった。紹介されたときは、すでにO林組で頑張っていた。仕事が楽しくて仕方ないと言う感じで、これで頑張りますよ、と言っていたのが印象的だった。悔いのない人生だったらよかったんだけど、と思いつつ、ご冥福を祈って筆を置く。ちなみにうちの出身高校が産んだ唯一の有名人はこの人です。
2006.09.10
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何を隠そう、もう少ししたら関西テレビ(だったと思う)に出演するのだ。勿論、ヒールでもベビーフェイスでも事件でもないし、バリバリバリューの出演依頼は断り続けているので、富豪特集でもない。でもヨナヨナしたよわっちい自分を見るのは嫌なので、見るつもりはない。自分に地震ががないので、揺れないが、自分の所有物で自分を誇示している程度の小心者である一般ピープルの一味である。生まれや育ちや住んでいる場所でしか自分を誇示できない一般的な不逞者である。自分の栄光の過去や輝かしい未来を自慢するほどでもないので、家系や家計や、所属するものを鼻の穴を大きくして尊大にいるようなチンケな人物でもある。まあ、よく考えたらそういうことなのだが、実は、別に気にしていないんである。あー、よかった。それにしても有名人は辛いものである。私なんか、半年もしないうちに、親から名前を覚えられる程有名になったのでである。家族の中では、もう有名人である。今なんか、一人家族なので、唯一の有名人でもあるのである。玉砕。
2006.09.09
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新幹線 何となく、先日から自爆テロテロと言っているが、その中で、アルカイダってのは、世界に3000人くらいしかいないカルト集団なんだよな。それを、アフガニスタンのタリバンがかくまったってことで、アメリカは絨毯攻撃でアフガニスタン全土を殲滅という野蛮行為に出た訳だが、アフガニスタンというのは、世界の最貧国の一つであるのに、タリバンがどうしてお金持ちかだったというと、答えは簡単でアングラマネーである。タイミャンマーラオスのゴールデントライアングルに並び、アフガニスタンイランパキスタンは黄金の三日月地帯であり、アフガニスタンでは世界の大部分の阿片を作り出している。 昔、ヒッピーや長期旅行者が沈没するところといえば、ゴアやカトマンドウやバリなどがあったが、自由に入れた頃は、この首都カブールも沈没のメッカであった。何せ、末端価格で世界一阿片の安い所であったのだから。その後、アフガニスタンに入れなくなって、パキスタン側の国境の町ペシャワールが、旅行者に行ける阿片が安く手に入る最も安い地域となった。それは、私が泊まっていた、かの有名なカイバルホテルも、もはやホテル中に「麻薬禁止」「ヘロイン禁止」「ガンジャ禁止」とベタベタ貼られてはいたが、みーんなへーきで、プカプカスパスパインジャクションゲローとやっていた。 まあ、それは良い子の私には、多分、関係ないので、さておき、山間の辛い農作業を続けるじいさんの楽しみは、夜にキセルで阿片を吸うことであったりする。完全に中毒者なのだが、昼間は懸命に働き、夜は、違う世界に行き、辛い現世を忘れる。そうして年をとっていってやがて老衰で死んでいったりなんかする。生活の一部であり、供給が絶たれることもないので、禁断症状もない。なんだか、このじいさんの人生、ほっといたれや、これでいいのだ、って感じだよね。
2006.09.08
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私というものは、そもそも陰謀好きであるので、邪推好きでもある。やはり皇室は秘密主義で、あるからますます、ほんまかいなと思ってしまうのである。何とか男性の承継者が欲しい。ほんまにあの人の子供なのか?或いは、子供入れ替えや側室の子??という可能性はないのか。やっぱ、まさこちゃんがもう子供を産めないということになって、初めて産み分けをしてきたきこちゃんが男の子を産んでいいという許しがでたのではないか?象徴象徴といながら、なんぼほど税金使ってるんだ。弟の家庭はアニキとおとうさんの家庭の6分の1の予算がなんぼほどに膨れ上がるのだろうか。まあ、関係ないけど、税金だけは、やっぱ気になるのである。 ところで、昨日の話の続きになってしまうが、911はイスラム過激派のしわざというが、アルカイダ(だとすれば)、ただのカルトであって、アメリカが無差別空爆をしかけたということは、日本風にいえば、オウムがサリン事件を起こし、「これは仏教過激派だ」といい、紙区一式村のあった山梨県全体を自衛隊が無差別攻撃をするようなものである。そして、自爆テロリストになるのは、優秀な成績を収めた高卒か、出来損ないの大学生が多いのである。これって、マルチやカルト宗教にはまる人々の下っ端に多い経歴と一致する。詐欺師に騙される層にも一致する。急にどこかで挫折感を味わって目標や生きがいを失いやすい層なのであろう。洗脳されやすいのだろう。 遊び半分は危険だが、遊び半分でマルチやカルトを覗いたことがあるが、あの下っ端の異様な盛り上がりに引いてしまう。そして、真正面に私の顔を見ながら、目が私を見ていない。いくつもの、フォローの手紙を貰ったが、住所が自分の家の住所ではなくその事務所であり、書いてあることは、まったく自分の意見がないし、カルトならその教えは、ちょっと見れば分るのであるが、いろんな宗教の都合のいいところの都合のいい解釈のごちゃ混ぜなのである。そういえば、アルカイダの指示書も何故かシーア派の教えどころか、キリスト教の表現も入っていて、日々の細かいことにまで教義にしており、またやたら死を美化している。 夜を徹しての祈りや瞑想、これは寝不足による思考力低下で洗脳しやすくする手法である。警察が自白を求めるときにやる方法であり、押し売りが何時間かけても使う方法である。 あー、世の中、危険な臭いのするものには近づかない嗅覚を持つことだねえ。くわばら。
2006.09.07
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今夏、蚊にかまれることは3度ほどしかなかった。全然、外に出てないのだなあと思う。 ところで、敬虔なイスラム教徒の家庭で生まれ育った貧困層で、西欧を知らずイスラム圏を世界の中心と思う人間が、やがて立ち上がり、そして、自爆テロになるという、ありがちそうなパターンは実は全然いないということである。自爆テロのほとんどの若者が、貧困層出身ではなく、かといって裕福または、大人になってから成功を収めた人間でもなく、中流で生まれ、そこそこの教育を受け、イスラムに熱心でもなかったが、どこかで挫折して、その後の自分の道を失った者ばかりだという。そんな打ちひしがれていた日々に、イスラム教というより、そのカルト、もう少し集団が大きいならセクトに勧誘され、やがて洗脳されのめりこんでいく、そして自爆に自分のアイデンティティを見つけたり、自分探しの終着点、という過程があるようだ。 少し違うが、昔、日本も国民がカルト化して、特攻隊をやっていた。国の為に死ぬ、と言う洗脳を繰り返し、死ぬことを美化する。それでもまともに死ぬなんて難しいから、大日本製薬の特効薬を飛行前に渡したりなんかして飛んでいく。戦後、その薬は大量に出回り、結構、みんな当り前にやっていた。ヒロポン、このアッパー系、日本人気質にぴったりである。ずっと、「ヒロヒトニッポン」の略かと思っていた大学時代。その後、それはラテン語であることが分かった。「楽しい労働」あー、今日も一日楽しい労働だったなあ。 クエッタ(パキスタン)の少年
2006.09.06
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0時15分、私は、帰還した。自慢ではあるが、腹は減った。腹は減っては戦はできないが、もう戦はしない。そんな訳で、アイスコーヒーを今から作る。普段は、夜中であろうと、気にせず、何事も食う私であるが、ごそごそ漁ってみたが、非常用のカップ麺しかなく、カップ麺など非常時しか食えぬという武士でもないのに武士道食通ブリを発揮して、コーヒーを飲んで寝るコトニする。エルブリに飯食いに行きたいと願いつつ、断食は結構キムチいいものだったと思い出す。 ソレは偶然の断食であった。バルセロナからグラナダまでの列車に乗る私が、かつていたが、ぎりぎりに電車に乗った為、食堂車にて飯でも食うかなどと暢気なことを考えたりしたのであるが、荷物があって1人では席を離れることもできず、車内販売で飯を食うかと思えど、車内販売が何故かなく、私は、朝の6時から結構腹が減ったまま、列車はほんの3時間遅れ、グラナダに着いたのが夜の21時であった。この時点で、既に水も取らずに20時間近くの月日が流れ、こうなったら、もう少し断食したるかいなという闘争心がメラメラと燃え、でも水分ぐらいはと思い、コカコーラを飲んだら指先までコーラが襲ってきて、スコブル気持ちよかったのである。それに20時間飯を食わないと、空腹は収まり、体がしなやかになるのは気のせいである。体がアルカリ化するのか、風貌も少し凛々しくなるのである。勿論気のせいである。その夜の宿では、もはや寝るだけである。空腹で眠れないというわけではないのであるが、快楽殺人の本を読んでいたので、思わず眠れなくなっただけである。翌朝は気分よく起き、体の不要な栄養分がほとんど抜けたという感じで、それは一言で言えば、いい感じであり、早速、私は調子に乗り、アルハンブラ宮殿を巡り、その反対側にあるアルバイシンで迷子になり、やっとそこで、いきなり適当なバーで、ビールを飲んだら、3口程度で酔っ払ったのである。昼間からシラフでいれるかってんだい。 私の高校時代は、まだまだマッチョな時代で非科学的な時代であり、多少の水は運動中に飲んでもいいが、水分を十分に補給するというのは、根性主義に反するので、イケナイことであった。真夏、もう走りまくって、20キロ。もう我慢できず、歩くことも困難になり、水をがぶ飲みしたら、体中に水が行き渡るのを感じ、再び、走ることが簡単になり、私は、それ以降、化学主義になったのである。科学主義でもよい。以上。0時30分、寝るわ。 ラクダと私
2006.09.05
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昨日、ちょっと夜中に「カーテンコール」を観た。何せ、ツタヤが半額だったから、という富豪らしくない言い訳なのだが、それはさておき、私は、芸能界にも明るく、松たかこと、松島菜々子の区別がこの1週間でついてきた程度である。字的に、かわいく、おしとやかに見えるのは「ナ」行のようだが、そういう点で松島ナナコはとてもいい芸名らしい。まあ、それはさておき、カーテンコールにはTさんという女優が出ているのだが、彼女のことは、ほとんど知らなかった。同級生交歓という本を古本で買ったが、そこには、パリ在住の元アナウンサー、Aさんと同級生ということらしい。Aさんと結婚したパテシエさんは現地では、A専科で有名らしいのだが、AさんもAをやられていると想像したら少し複雑な気分であるが、何故それなのに子供ができたと、パリ日本人租界の中では専らの噂らしいのである。 この本を見ると、小泉首相と栗本慎一郎が同級生だとか、堀内孝雄とやしきたかじんが同級生だとか、立花隆とアラーキーが同級生だとか、ノッコと伏見憲明が同級生だとか、谷崎潤一郎と時計の服部会長とか、高島忠夫と団鬼六・・・
2006.09.04
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準国家的機密であるのであるが、昨日も一昨日も午前零時以降に夕食を食したのは、まあ、愛嬌なのだが、9月に入り、夜も過ごしやすくなったというのに、8月と同じように扇風機をまわしっぱなしにして、眠ってしまったために、朝起きると、頭がガンガンするのである。 暫くであるが、忙しくなってしまうと、家庭人として我が家で君臨している私は(他に同居人0)、家庭ビジネスが多少おろそかになるのである。例えば、キッチンのシンクはもう洗い物の嵐である。素晴らしいことに、2,3日すると、細菌がはびこり臭くなるのであるが、もっとほったらかしにしておくと、水分もなくなり、臭いもすっきり消えると言うメリットがある。勿論、本当は、お手伝いさんに頼めばいいのだけど。 休みがないと、リーマンとしての私は、シャツや下着や靴下がみるみるうちになくなっていき、もう明日休んでいいですか?何せ着ていくものがありませんから。なんて気障なセリフの一言でも吐き出したくなるものである。仕方ないので、洗濯もせず、アイロンをかけず、もう一度、カッターシャツなんかを着て、消臭スプレーで誤魔化したりする。勿論、本当は、お手伝いさんに頼めばいいのだけど。 床掃除は、忙しくなくてもしないので、輪をかけてできなくなる。忙しいがいい言い訳になる。忙しい、は人生全般にわたっての、都合のいい言い訳である。時間の使い方が下手だとは言わせない、下手なのだから。勿論、本当は、お手伝いさんに頼めばいいのだけど。 溝掃除は、偶然ながら、今はマンションに住んでいるため、溝掃除をする溝がない。共用部分の溝は、お手伝いさんではなくマンションに雇われた清掃員が文句も言わず掃除してくれている。以前は戸建に住んでいたので、溝掃除大臣を兼ねており、どんな激務であろうが、掃除をしなければ、自治会の回覧板で「最近、溝掃除をされていないご家庭があります」とチクられ、自治会内のさらし者、つるし上げに合うという災難に瀕した訳だが、そういう面ではマンションは溝がないのがメリットである。おまけに、以前の家は庭にクヌギの木があり、ある季節になると、道端にドングリをどんどん落として、私にはゴミで、掃除をしなければならないのに、近所のガキどもが、ドングリだドングリだと、家の前で騒ぐのが微笑ましくも静寂を好む私には煩わしいのである。 まあ、だいたいそんなところなのである。天王寺路上カラオケで一発かますか。
2006.09.02
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PCの調子が悪い 以上
2006.09.02
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今日は、久し振りに仕事をしたので、帰宅が思わず、タクシーと言う大臣ぶりである。最終電車を引き伸ばすように、車掌及び地下鉄とJRに申し入れたのだが、いくら私が大富豪だと言っても聞きいれてくれなかった。仕方ないのでタクシーで、自分の駐車場に行って貰った。何せ今日は8月31日、駐車場契約終了日である。午前零時を少し待つようにグリニッジとフランスのセシウム原子にいっておいたのだが、駄目であった。 そこっと、期限2時間遅れた車を出し、新しい駐車場に入れておいた。何を隠そう敷地内の駐車場があいたため、駐車場代が1万円安くなり、特大富豪の道を歩み出したことは間違いない。 まあ、そんな訳で眠る。 クライスラービル
2006.09.01
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