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容姿端麗頭脳明晰日々是毎日の為、仕事の依頼が多く(押し付けられまくるともいう)、今日も午前様にあと一歩というところで帰宅した。先ほど、泥酔に近い酔っ払いおっさんが、メールを送信しようとして眠っている姿を見て、思わず、何となく、携帯電話の画面を見たのだが、冒頭題目の文章であった。真摯な内容であった。まだ送ってないし。誤字が凛々しいのは愛嬌か。何故か、育ち盛りのストレス0の為か、腹が減らないのは仕方ないのだが、時間も遅く、駅前のコンビニに入ってみると、棚に「この棚のもの全部半額」と書かれていた。道を挟んだコンビニは道分数メートルだけ駅に近いのだが、皆、数メートル余計に歩くより、同じ内容のコンビニなら近いところへ行くの法則で、本日にて閉店ということを、酔っ払いに詰問されていた店員が冷静に話しているのが聞こえてきた。そんな訳で、今は欲しくもないおかゆなどのレトルト商品などを思わず半額で購入した。世の中はストレス社会であり、自殺者も多い今日この頃。ハンガリーは自殺大国ということは知っていたが、今や、ロシア、ハンガリーに次いで、自殺の割合が世界第3位のニッポンである。そんなことを思いながらも、疲れているので、皆様の期待を裏切って今日はこの辺りで意味なし日記を終了するものとした。バハハー。昔、運転免許証の裏に、マジックで「バハハー」と書いていたら、スピード違反で警察に捕まり、免許証の裏を見られ「おまえ、これは公文書だぞ!」と言われ、こっぴどく怒られた青春の日々であったわなー。
2006.08.31
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昔、横浜の喫茶店で、お茶を飲みながらパスポートの点検などをしているところに、ウエイトレスのおばさんが、覗き込んできた。「外国に行くんですか?私の息子もこの前アメリカ行ってきましたけど」「少し、アジアへ」「何故、アメリカやヨーロッパへ行かないのですか」「うーん」「学ぶものがないのですか」遊びに行くんだよ、思想信条なんて2の次だ。 昔、成田空港で暇だったので、近くにいた大学生を呼び止めて、茶を飲んだ。東京大學の生徒であった。インドへいくんですと彼は言った。「何かを学びたいのです」と彼は誠実に控えめに言った。 昔、マニラに日本食レストランに行き、着物を着たフィリピンウエイトレスが注文をとりにきてくれた。メニューを見ながら、ちらりと彼女を見ると、有線放送に合わせながら、体をくねらせ踊っていた。 昔、普段真面目な大學ゼミの先生が「フィリピンはアジア最高のミュージシャンですわ」と経済学と関係ないことを皆の前で言って笑っていた。 昔、セブシティに泊まっていると呼び出し電話があった。「ハーイ、昨日バーであったジョイです(オカマ)。今から遊びに行きますから待っててね」と一方的に電話が切れた。 しかし、来なかった。少し待ってしまった為に、ボホール島に行く1日2便の船に乗り遅れた。 昔、タイのペチャブリという田舎町のバスステーションで1人だけ英語を喋るジュース売りのにいちゃんがいた。「キミのバス代は10バーツだよ、キミの自転車をバスに乗せる荷物代も10バーツだよ、理解できるかい?」いろんなことが、今なら理解できる。 中国ネパール国境
2006.08.30
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昨日の日記の続きと言うわけではあるのだが、不動産一つ借りるのにも、連帯保証人というのを要求する。こんなの良くないと、思いながらも、思うだけで私も、自動的に要求してつけてもらったわけなのではあるが、借金して家を買う時や、事業資金を借りる時だけでなく、賃貸を借りる時にさえ、連帯保証人を要求されるとしたら、日本で、連帯保証人になっている人は、多分、数百万人から2000万人ぐらいいるのではないだろうか。まあ、賃貸ならまだましだし、連帯保証人といってもたかがしれてはいるだろうが、考えれば、数千万円の借金の連帯保証人ともなれば大変である。 ところで、保証人と連帯保証人というのは、全然違う訳である。簡単にいえば、連帯保証人は、ほとんど連帯債務者と同じで、ほとんど、債務者本人と同じなのだ。少し本人が返済を滞ると、たちどころに、連帯債務者に全部返しなさいと請求できるわけだ。それに、本人が実はたくさんの資産を持っていて、悪意で返さなくても、連帯債務者に容赦なく返済を迫ることができ、あいつは隠し金を持っているからと抗弁できないのである。それに本人が半分なら返せるといっても、それを無視して全部返してくれと連帯債務者に請求できるのである。そこが普通の保証人とは違うのであるが、銀行も、文房具屋も始めから連帯債務者と印刷されているのが普通である。 俺は、だから絶対連帯債務者にはならない、と意地を張っても、もしかしたら、相続で連帯債務まで相続してしまう可能性もあるから恐ろしいことである。借金の話は例え、子でなくてもいいにくいし、親も、自分が昔連帯債務を負ったことをすっかり忘れていることもあろう。 ところで、銀行ローンは基本的に連帯保証人はいらないのであるが、本人の属性が弱かったら、連帯債務者を要求することがある。しかし、銀行と言うのは、審査は銀行がするのではなく、銀行傘下の保証会社が審査をし、保証会社が保証して、融資するので、補償額が金利に上乗せされているのが普通である。しかし、そこで、返済が滞りギブアップした場合、保証会社が代わって銀行に全額返済する。そのために保証料を取ってきたというのに、保証会社は銀行に代わって本人にカチコミに行くのである。連帯保証人がいれば、なお都合が良い。何となく腑に落ちないのである。 ホント、ヤバイ制度なんだよなあ。やっぱ、この当たり改善されると、景気にも好影響を与えると思うんだけどなあ。 そう憤慨しながら、今回、本人の倍以上の年収のある弟を連帯保証人に立ててもらって、結構満足している隠し砦の1悪人の私なのである。口だけクラブなのである。
2006.08.29
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平成の不動産の異名を取るドクタートエモエ氏であるが、去る4月頃に順調に任意売却物件を検討に検討を重ねた結果、即決で購入、大リホームをかけ、お客様を蟻地獄絨毯作戦で世界全国にインターネットでウエブという網を張ったのであるが、なかなかお客様は天才なので、そう簡単には呼び水には寄って来ていただけないのであった。 平成の大手不動産業者の社員さんであり、私の担当者でもあり、私の召使ではないHさんからも、一向に朗報が入ってこないまま、リホームが終わって、7月、8月と、虚しく時は過ぎ、夏は終わろうとしていた。 2週間ぐらい前の、盆前の話である。担当のHさんから、タクシーに乗っている時に電話が鳴った。tクシーには取引業者さんも同乗していたが、私事であり自分ごとであるので、仕事に優先して、電話にでた。「初めて案内しました!」と声が弾んでいるのである。2ヶ月して、案内が1件目なんですか、と平成の不動産王は多少思ってみたのだが、そんな焦りをおくびにも出さず、「ほうほう」と余裕をかましたのである。「大変、綺麗なリホームで、お部屋も気に入って頂きました。」そうか、決定だな、フフフ、俺のインテリアデザイナーとインテリアコーディネーターとカラーコーディネーターの技術がばっちりいったのかと思ったのであった。勿論、何かのパチリである。実際、リホーム業者の人と色決めのときは、私の指定する色に内心不信感を抱いていたようであるが、実際出来上がってみたらとてもいいですね、今後こんなの提案してみますよ、と言っていた。もし、ソレが、お世辞なら、私も世事に疎く、辞世の句でも詠まねばならない程であった。そんなことを思い出したのである。 「しかし、洗濯パンなどの水が切れて虫が大漁発生しており、それが死んでいて嫌だといってあきらめられました」 ガクッ。虫だと、虫は無視して決めてくれるか、Hさんが、気を遣って掃除をしてくれるのが、本来ではないのかと、やたら虫のいいことを考えていた私であるが、そこは平成の不動産王、すぐさま、気を取り直し、掃除しに行きますと言ったのであった。 そんな訳で、私は自分の部屋でさえ、もう3ヶ月は掃除していないというのに、掃除道具一式を高級車に詰め込み、貴重な時間をやりくりしつつも、掃除委員長として、現地に急行したのである。 ピカピカのフローリングに、私の黄金の汗が滴り落ちながら、虫を除去した後も、汗の拭き取り作業に勤しみ、また汗が出てくるので、また汗拭き取り作業を繰り返すのボレロになっていったのである。 そんなかいもあり、本日やっと、電話が入り、決まりましたとのことであった。IQ200の私の計算によると、投資金額を回収できるのは、7年後である。お客様は神様であるを実感である。ただ、目下、悩んでいることは、今月末までに払わなければならない不動産取得税13万円と仲介手数料(家賃1か月分)である。おまけに、今月は、以前持っていた車を置き逃げされた撤去費用及び廃車費用と置き去りにされた時間貸し駐車場代2年分である。今度は、汗でなく、男泣きの涙である。
2006.08.28
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私は、関西人なので、関東のことに関しては造詣が深いという噂があるのだが、東京にはR25という無料配布雑誌があり、そこで、面白い記事があったので無断でパチっておく。日本ではエッチな色は、ピンクであろう。ピンク映画、ピンクチラシ。 アメリカでは、ブルーフィルムがあるように、青ですで。シモネタはブルージョーク。ブルーには、猥雑なという意味がある。(年代によっても違うようではある)中国では黄色。黄色電影でアダルト映画、黄色書簡で、アダルト本を意味する。スペインでは緑色。緑の本で、アダルト本、緑の映画でエロ映画、緑の老人でエロジジイ。フランスは白。白いドレスを着た女性はセクシー女性。オーストラリアは赤か青、イタリアは赤か緑、イギリスは黒か赤、韓国では赤かピンクらしい。私はなんだろうか。昔、宗教団体をからかうために付いていったら、真剣な眼差しで、「あなた、色情の気がありますね、でも、大丈夫、今からでも救われますよ」といわれた。 ほっといてくれ。淡白だけが、取り柄な私に何をいう。
2006.08.27
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何を隠そう、何も隠しも逃げもしないのだが、一大抒情詩を書こうとして、机に座っていたら座ったまま、汗を流して寝てしまっていたという事情により、自浄詩的な夢、夢のあととなってしまったことを、自分にお詫びする。 携帯電話のバッテリーの寿命が来たようで、早くも午前中にて電源が切れかけたのだが、何とか9時過ぎぐらいまではもっていたようであるが、寿命は来た。3日ほど前から調子悪く、できれば、誰からも電話がないことを願いつつ、何故か、会社のデスクに座っていたりなんかしても携帯なんかに電話がかかってくる。これは個人使用ということで、自腹を切っているにも関わらず、ビジネスマンもキャリアウーマンも窓際族も、窓際予備軍も電話をかけてきたりなんかして、私にビジネスチャンスを与えようとする。私に時は金なりを教え込もうとする。私には、珍しく仕事がたまり、混乱困惑状態なのであるが、誰も、私のビッジネッス処理能力の低さなど気にしないのである。 今日も、仕事の一つとして、個人情報の取り扱いについてなんだが、そういえば、最近住基ネットの話題はないのであるが、誰があんあものにお世話になったというのであろうか。北海道に旅行中に住民票が急にいるようになることなんかあるのか、出張先の鹿児島で急に住民票がいることがあるのか。日本広しといえど、この制度で役立った人間なんて、100人いるかどうかなのではないか。それに莫大な税金をかけ、それに、スカスカのセキュリティをかけて、たった名前や青年月日など4つ程度の情報を全国ドコでも提供しているのである。勿論、こんなの拡大解釈のために過ぎないことは明白であり、4つからも、まだまだ個人情報を書き込めるようになっているに決まっている。昔は、夜這いが当り前の時代があり、富国強兵、日露戦争で若者を徴兵するために、寝不足を禁ずるために出来た法律が、家宅侵入罪である。本当は夜這い禁止令でよかったのにである。今や拡大解釈に次ぐ拡大解釈し放題である。もう、そういう悪意がミエミエなんである、くっそおーなんていっていると、夕方になった。 今日の仕事は、まだ全然進んでいないことに、今更に気がついて、急いで家に帰った必殺仕事人の物語である。
2006.08.26
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駅に別れが~、待っているはずなのー。最近は専ら飛行機ファンになっているために、新幹線には長らく乗っていないが、新幹線に初めて乗ったのは、何を隠そう、中学校の修学旅行であることは、私の場合、間違いない。新幹線は間違いなく、九州に向かったのであった。それ以降、10年ぐらい九州とはご無沙汰していたが、福岡に数度、鹿児島や宮崎に行き、昨年から今年にかけて、九州日帰りツアーと称して、ついに九州全県を制覇することができた。そんな訳で、次回は「心斎橋ワタル氏の幼い頃住んでいたルーツを辿る」と称して、彼に綿密な打ち合わせとインタビューの下、新潟を予定している。しかし、あまりこういうことをすると、ホモと思われるし、愛を感じられても困るのであくまで、これはギャグ企画ということで、早急に企画を思いついたまでである。まあ、そういうことでよろしく。(誰によろしくや?)勿論、仙台再び、ハルジの故郷を訪ねる旅も鋭意企画中である。
2006.08.25
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まあ、昨日の予告どおりヒッキー君にあったのだが、それを仲介したO君もtyなときてて、彼も驚くべきことに誕生日であった。ほんの18年前、彼の誕生日パーティはインドのデリーの安宿ボンベイロッジの屋上で行われた。私は買出しに、市場でネギと何かインドではなかなかないけど、日本では当り前の野菜を買い、日本から持参した味噌を混ぜて適当に、味噌付けにして、それとビールと、何か煙の出るようなフラフラするようなものを大量に用意して、楽しんだ。宿屋の奥さんであるシク教の女将さんは、我々のボンベにいたく興味を示していた。マスターは、グッドスメルといいながら寄って来て、煙をフロントに持ってくるなよといいつつ去っていった。息子は、屋上のボンボンベッドを潰すなよと言って去っていった。子供のピティちゃんとミキイーちゃんは、自己紹介して去っていった。まあそんな季節だったのかもしれない。 Designed by HTNM
2006.08.24
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俺がもてない男だからいうわけではないが、もてないおとこは、欲情を何かのエネルギーにかえていかなければ、なかなかやっていかないものだ。宗教もその一つだ。姦淫するなから、には賛同だ。どうせ、そんなチャンスなんかないんだから。倫理的でアレ、平等でアレ。一部の男がモテモテなのはけしからんのである。深みにはまり、運動し、勉強し、あらぬ方向へいき、もてようとするが、不良には敵わない。1000人もメカケを囲っているから、嫉妬で、革命が起こるのである。 ところで、明日は久し振りに数年ぶりにヒッキー暦3年ぐらいの後輩と会う(かもしれない)。誰も興味はないが、彼の偏向と経歴と歴史を書き出して今日は終わりにする。1. 彼の下宿先で彼が不在の時に散髪をしていたら、彼が帰ってきて、「ここは散髪屋じゃないんですよ」とどなった。そんなこと知ってるよ。2. これからはマウンテンバイクだあといって自転車を買い、2、3回乗って、そのまま自閉生活に突入。3. 就職は最大手の出版会社に入ったが、半年で辞め、写真スタジオに入り、水を得た魚になった。4. 数年前、鑑真号で2泊3日の船旅で上海に行き、1泊して、また鑑真号2泊3日で帰ってきた。5. 3ヶ月で離婚。6. 彼を含む、3人とニューデリーで待ち合わせをしたが、私は1週間待ち合わせ日に遅れた。彼は、このペースがいいんですよ、と別に怒ってなかった。エライ奴である。7.
2006.08.23
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複合施設とかデパートとか百貨店とかというのは、私の場合であるが、目的があって、その目的は、残念ながら多分買い物であって、目的地に向かってズンズン進むしか脳がないのである。しかし、商店街をブラブラ歩いていると、フト気がつくと、どこかの喫茶店でコーヒーを飲んでいたりなんかして、「何やってんだ、俺、何しに来たんだっけ?」なんていいながら、お金を商店街に落とさない不良になったりなんかする。ところで、私は、他称グルメなので、行っておきたいが、神戸には、行列のできるラーメン屋というのは、多分、ない。中国人も多く、日本2番目のしょぼい中華街もあるのだが、神戸中華でのいわゆるラーメンはタンメンなのである。いわゆる、単体ラーメンで評価されず、中華で評価されるのが、当地事情なのである。それから、回転しない寿司屋というのは、値段が分からない所も多く、カテゴライズしにくく、口コミぐらいでしかなかなか行かないのであるが、この場を借りて、寿司屋の思い出を3ついってしまおうか。1つめ。初めてのカウンターで食べる寿司屋。中学校のとき、オカンに呼び出されて行った寿司屋。都会とはいえ、山海の近くで育った田舎者の私は、当時ファミレスという言葉もなく、家族で食べに行くということはほとんどなかった。ましてや、母親が1人で寿司を食いに行っているなど知らなかった。大人は大人の楽しみなんだ、という考え方だったのだろう。しかし、板前さんは、受験に関して何か私にウンチクを語り、最後に母親が「分かったかい?」といった。勿論、私を大人の入口と認めた母だったのだろうが、板前さんの言っていることはさっぱり分からず、要領と的を得てなかった。母は、私に、一度も勉強しなさいと言ったことはないが、こんな話したってと母が事前に頼んだのか未だ不明である。2つめ。バイト後。芦屋の高級住宅街に数時間宝石のチラシを巻くバイトをしたことがある。当然、跳ね返りの季節の私であるから、宝石屋オーナーに、「こんなもん欲しがる人なんかいるんですかね。何か卑しいですね」といい、凄く嫌われたのであった。「女性は美しいものが好きなんだ、バカヤロウ」と言われた。バイトが夕方終わり、芦屋の駅前の寿司屋に入り、寿司屋の人に、1日バイトの給料袋を渡し、「こんなけ分食べます」といって、1日のバイト代を40分程度で消費した。3つめ。噂の寿司屋。昔、大阪に住んでいた時、すごくひとつひとつが大きくて、おいしい寿司屋があるからと、自転車漕いで行くと、ボリュームがあるだけで、まずかった。一生行かない。値段が書いていない寿司屋で、質に見合わない値段のところと、マズイ所に対してさえも、明細を見せろとか、このウニはうくらなの、とか野暮な質問はできず、せいぜいできる対抗策は、もう2度と行かないということぐらいだ。ということを悟った。4つめ。アメリカやカナダの寿司屋結構、案外、おいしいところあるんだよね、だよね、けどね、だよね~。
2006.08.22
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今年の高校野球はホームラン合戦でスゴイそうだが、私は、敢えていうと、夏の高校野球反対論者である。やっぱ、夏は、水泳ぐらいである。或いはボーリングなど室内ゲームか。春と秋の高校野球にすべしである。何故、あんな多分、体感温度40度も50度もなるような中に高校生を掘り込んで拷問させて喜ぶのであろうか。こともあろうか、オヤジはヒエヒエルームでビールでも飲みながら野球観戦ときたら、もはや、日本1億総M化とでもいえるのではないか。そんな訳で、私は、時々、熱湯甲子園のシーンを見ると、不憫に思ってしまうのである。君たち、本気出すのは、春の大会にしときいやと心の中でねぎらってしまうのである。 そういう訳で、ではないのだが、おばあちゃん(88歳、先日おじいちゃんと死別)が実家に来ているというので、ちょっと時速140キロで車を運転して様子を見に行った。明日から、母がおばあちゃんをねぎらい、まさしく慰労という形で、北海道3泊の旅行に明日から行くということだったのだ。親孝行やなあ、さすが、我が母、と誉めてあげてもいのだが、私も反省して、母をねぎらわなければならないかも知れないと自戒するのであった。関空のゲート内で母親に発見されている場合ではないのだ。「あんた、何しとん?こんなとこで。どこいくの?私は、今からアラスカ行くねんけど、あっ、○○さん、こちら息子です。あっ、これ、おにぎり、食べきれないから、あんた食べとき、じゃあね飛行機もう乗るから。あっ、あんたドコいくん?」そんなこと言われている場合ではないのである。 そういう訳で、実家に行ったのだが、何となく原付が置いていたので、勝手に原付ジャックして、トバシヤになったのである。原付に乗るのは、久し振りである。爽快である。昔歩いた路地も行ってみる。小学生の時に、イヌが自分のウンコを食べていた道端も通った。中学生の時、猫と亀が轢かれてペッタンコになった道端も通った。小学校の時、おばけがおると騒いで50人ばかりがその家を取り囲んだ家の前も通った。おばけではなく、上半身裸のおばあちゃんのおっぱいがへそぐらいまで垂れていただけであった。 考えれば、おばあちゃんは、ボケたおじいちゃんにつきっきりで10年を過ごし、旅行などはしなかったであろう。これからが88歳のおばあちゃんの青春かも知れない、はちきれるかも知れない。 ところで、おばあちゃんと母の間に座り、新聞を読んでいたのだが、カサカサという音に気がついた。何を隠そう、私の恥ずかしい話でもあるのだが、私は、遺伝的に足の裏の皮が厚く、すぐ剥けてくるので、時々、気がつけば、足の裏の剥がれ掛けた皮を剥がす癖がある。そして、気がつけば、右の母も足の裏を触っているし、左のおばあちゃんも足の裏を触っている。そうだ、遺伝であった。3代揃って、足の皮をムキムキ合戦をしていたのであった。何となく、私も死ぬまで足の裏の皮をめくる癖が消えないのだと悟ったのであった。こういうのを見ると気分悪くなるのである。
2006.08.21
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先日のモシモシパーラーであるが、結構、昼間は暇だったので、1日、モシモシパーラーオーナーと意味なく店で話をしていたのであるが、雇われていたオカマ(タガログ語でバクラ)10人衆は、来ない客をものともせず、おしゃべりで夢中だ。1日の給料は250円だという。それでも、何もしないよりはましだという前向きな人たちだった。何せ、そんな金額なら何にもしないほうがましだというフィリピン人が大多数(特に男性)の中、優秀極まりないのである。私は、フィリピンで仕事もしないで、ブラブラ生きているだけの女性に名言を聞いたことがある。「何もしなくて、暇なのは、本当に疲れるよ」真実である。ところで、1日、モシモシパーラーに訪れたお客さんは0人だった。翌日も、翌々日も0人だった。あえて言えば、私が、散髪した、が、頑として、オーナーは料金を受け取ろうとしない。 そんな訳で、夕方、また1人でブラブラ通りを歩いていると、大集会にぶち当たり、キャーキャーという女性の黄色い歓喜の声が響いてきたので、寄って行くと、ステージが設けられ、着飾った女性の美人コンテストであった、が、よく見ると、女性ではなく、オカマ(タガログ語でバクラ)であった。おびただしいバクラがステージから落ちそうなくらい集まり、アッピールし、色気色香を振りまいていた。 フィリピンは、カミングアウトというか、生まれながらにしたバクラが目立ち、市民権を得、家族に概ね1人はバクラが存在し、まったく普通に溶け込んで生活している。深く関わらないと分からないものだろうが、一般生活に何の支障もないように見える。これでも、社長ばかりバクラ4人衆に囲まれてビールを飲んだこともあるし、小学生バクラ4人衆にもみくちゃにされたこともある。それでも、私は、なお、健在である。あ、オーナーのこと忘れていた。
2006.08.20
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数年前のことであった。夫婦2人暮らしの大学の同級生Aの家に、夜、知人B、C、Dが遊びに行き、軽く飲んだ。翌日は休日だったので、Bはひつこくゴルフに誘った。「明日、5時に迎えに行くから行こうぜ」と。しかし、Aは笑いながら、「明日はゆっくり休むからやめとくわ」といい、じゃあ、ということで3人はA宅を後にした。翌日、9時になってもAは起きてこず、奥さんが様子を見に行ったら、亡くなっていた。亡くなった推定自国は6時だったとのことである。Aは、後日その時刻を聞いて、深刻な顔をしながら「無理にでもゴルフに誘っておけばよかった」と後悔した。ちょっと違うとは思うのだが。・・・・こういったとき、精一杯後悔のないように生きなければ、と思うものである。 先日、おじいちゃんが亡くなった時に、考えたら、子供が4人(1人は故人)に孫が、8人、ひ孫が4人。お葬式に付き物であるかも知れないが、厳粛な中、落ち着かず動き回ったり騒がしくするのが子供である。そんな光景は普通のことかもしれない。特に小さい子供は、何の催し物が行われているかよく分かっていないようである。 天涯孤独の男の葬式に出たことがある。喪主は誰になるのか、そう、何年も会ったことのない遠い親戚である。急にびっくりしたことだろう。その他は仕事関係や知人であるが、静かなのである。そう、ウロウロしたり騒ぐ子供がいない、やたら年齢層の高い葬式なのである。そこには、何年も一緒に親しくしていた知人は、後回しとなる。そういう親しい人が喪主というのは聞いたことがない。 前置きはそのぐらいにして、本屋に行くともよおしてくるというテーゼである。(前置きと全然関係ないか)それは多くの人が体験していることで、不思議現象のひとつである。ヴェルサイユ宮殿の庭では、紳士だけでなく淑女たちが、立ち小便をし、それだけでなく、大きい方もしていたというエピソードは有名であるが、あまりにボトボトするものだから、宮殿ごと皆で移動して、その間に掃除をする、といった作業が行われていたが、それは、本好きで本が溜まりすぎて、住めなくなり、またひとつ部屋を借りるような作家と同じかも知れない。本は精神の排泄物なのかもしれない。全然、説得力がない。パルプから本を作るのが一般的になる前、本はリンネルで作っていた。そのリンネル、これが下着、パンツであり、本を作る為に、フランス辺りでは、下着回収業者というのがいた。パンツは本になっていたのである。ああ、やっぱ説得力のかけらもない。 嗚呼、今日は、とってもお堅い話題になってしまった・・・
2006.08.19
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今日は(今日もともいう)、仕事を早々に終え、髪の毛を切ったのだが、モロ、ホモ君であった。シャンプーされながら、懐かしのフィリピン、マニラのモシモシパーラーのことを思い出していた。 その前に、古来から当り前だった日本の男色趣味と、戦後の男色については、どうも分断されている気がする。徳川家光は別にして、若い時は掘られ、40も越えると掘るのが当り前だったので、40にもなって掘られたがる家光は結構馬鹿にされていたのである。 ところで、学生時代の数回目のマニラのソドムとゴモラ背徳の日々は以下の通りである。フィリピンのイケナイところは、アジア唯一のラテン系(一部擬似ラテンの韓国)であり、ビールが安すぎることである。(屋台で1瓶2、30円である) 1.夕方、起床、迷彩服という正装にバッチリ着替え、水は危ないので、ビールで歯を磨く。 2・歩いて、20秒のレストランにて、ビールと軽い食事を胃袋に収める。 3.そのまま、ジプニー(乗り合いタクシー)に乗り、乗り換えしながらもマビニストリート&ツーリストベルトを目差す。4. ゴーゴーバーとディスコでビールを一本ずづ飲み、はしごする(10件ぐらい回る) 疲れて、間の公園にある野外屋台でビールを飲み一休みする。(学生と称する娼婦が寄って来るが無視する) 5.夜中の3時ぐらいになり、屋台で飯を食ったあと、場末のバーに行く。またビールを飲む。 6.5時頃になり、退散する。泊まっている近所のレッドハウスという娼婦がうろうろするバーで最後のビールとする。 7.6時になり、最後最後といいながら、最初に夕方に寄ったレストランに入り、最終ビールを飲み、もはやヘベレケというより、目が黄色くなっている。8.飲み代の総予算は2~3000円と富豪並に飲みまくって、そのまま迷彩服を脱ぎ、扇風機に当たりながら夕方まで寝る。ビールの目方でいうと、おおよそ6リットルである。(他の国では予算は500円であるので、大盤振る舞いである。昔で言う旦那衆状態である。)9.夕方、昨日の繰り返し。まあ、そんなところなのであるが、ある下町のパサイシティに民家に泊めさせてもらっているときに、歩いて2,3分のところに、日本人がいると聞き、冷やかしに行く。彼は、モシモシパーラーというカット屋を経営し、休日なしで働くオカマ10人を雇って、暇そうにしていた。彼は、例に漏れず、日本のフィリピンパブで今の奥さんと結婚し、フィリピンに渡り、彼の資金を叩いて(奥さんに叩かれてだが)店をオープンしたのである。私の予想によると、1年以内にガイコクジンは持てない不動産名義はきっと奥さんになっているので、そのうちお払い箱だな、という感想はおくびにも出さず、彼の人生遍路を聞いていた。彼は数ヶ月前からフィリピンに来ているのだが、家とこの店の往復しかしたことがなく、どこにも行ったことがないという。奥さんの厳しい監視の下、若干ながら、結婚したこと、フィリピンに来たこと、お金を出して店を出したこと(流行ってない)を後悔しているように見受けられた。ボクはフィリピンに来たけど、何もみてないし、毎日暇で仕方ないし、奥さんが怖くて、ブラブラもできないんだよと、力説するので、正義感の強い私は、では、ちょっと飲みに行きましょうか、フィリピンの一部を見せてあげますよと、鼻高々ではなく、胸を張って、奥さんを説得し、ちょと飲みに行きますからねと、言った。奥さんはすんごく不機嫌な顔をしていて、まるで私が旦那に悪い遊びを教えるのではないかと疑っているようであった。(実はその通りであった)GO,GO,GO~。タクシーなんかに乗っていかないぜ、相変わらず貧乏学生ブリを発揮し、10円のジープを乗り継ぎ、歓楽街へ。トリンクトリンク酔狂である、が、メニメニガールダンシングにモシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。それから飯を食いにいきましょうとディスコに行った。周りを見渡すと、家族ずれやカップルがいっぱいいて、スコブル健康的ではある、が、しかし、ここがフィリピンの摩訶不思議で、ステージでは、全裸の女性ストリッパーが踊っている。何故かにこやかに眺めるカップル、全く無視して飯食う家族、私も普通に飯食っていて、何かやってるねって感じだったのであるが、モシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。それから、最後に退廃的ところで、デカダンビールでも飲みましょうかといい、娼婦の館へ。前述のこのレッドハウスは、真ん中にいっぱいテーブルがあり、そこで、客がただただビールをガブガブ飲み、飯をパクパク食っている。ちょっと普通のレストランと違う所は、ここがフィリピンの摩訶不思議で、壁沿い四方に壁に引っ付いた長椅子があり、そこに、何十人という娼婦が暇そうにお喋りしたり、爪をいじっていたり、化粧をしているのである。こんな世界もあるんですよね、生活って大変なんですよね、と私はコメントし、ビールを飲んでいたのだが、モシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。満面笑顔でモシモシパーラーに戻ると、奥さんがスンゴク疑わしい目でアナタどこいってたの?と言った。オーナーはとってもおどおどしながら、ちょっと飲みにいっただけだよ、といった。それは本当だった。ちょっと飲みにいっただけだよ、でもオーナーには刺激がキツスギタみたいであった。もう、私にそんなに感謝しないでよ、と私は何度も言った。1年後、モシモシパーラーはなくなっていた。
2006.08.18
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シェークスピア=フランシスベーコン説のことは、置いておいて、高岡よ、一昨昨日の日記を覚えてくれているだろうか。(先日の日記抜粋)高岡よ、キミが、無修正動画が見れる隠しページで楽しんでいる間、盆というので、私が実家に帰る前にジャコメティを見てきたことを報告しておこう。ジャコメティ展はイギリスやフランスでも見に行ったことがあるのだが、もしかしたら日本でも見たことがあるかも知れない。おまけによう、矢内原伊作のジャコメッティ本を出版されてすぐ大枚5,000円を払って買ったのだが、誰かに貸したまま行方不明になっている。よかったら、探してみてくれ!!ヒントはないが!!・・・ざっと要約すると、こういった内容であった。 ざくっと観て来た感想を言うとすれば、ジャコメッティも男色だったのか、という感想である。人物のスケッチを分からないが生涯にわたって数人しか、それも1人につき何百枚も描いているが、矢内原には、もはや愛情を感じざるを得ない。新聞の切れ端や、レストランのナプキンにも、矢内原を描いている。萌える愛である。(間違ってたらスマン) 高岡よ、ミュージアムに行くまでに、愛車の中では、ビートルズの中でも、なかなかダイスキな曲がかかっていたんだよ。数少ないジョージ作曲のホワイルマイギタージェントリーウイープスである。ギターが泣くということで、ギターは特別にエリッククラプトンであるぞ。もっともインドにはまったのはジョージであり、先日の日記のリシケシのヨガではないが、愉快なことに、ジョージの趣味であるガーデニングやカーレース同様、全然、インド音楽やシタールなどの影響を受けていないビートルズの曲である。ジョージは高尚なので、インドで受けたインスピレーションを音楽に生かすなどという下衆な真似はしなかったのである(或いはできなかったのである)隠し味のジョージのオルガンもよく聴きな。 ・・・・・。 プロバンス、ニース郊外のマーグ財団美術館は近代芸術のキモチイイ美術館で、中庭のジャコメッティの前で1時間ほど本気で昼寝しちまったよ。高岡、行くか?行かんわな、オマエ興味なさそうだもんな。 ところで、高岡、美術館は格式のある場所なので、正装か準正装でいかねばなるまいぞ。そんな訳で、私も破れているジーンズに、オシャレTシャツで行ってきたぞ。分かるか?ゴールデントライアングルだぞ、トリニティの真ん中にあるのは、ケシだぞ、こいつをナイフでプチュっとすると、生阿片だぞ、容易に手を出すなよ、出す時はグルが必要だぞ。言っておくが、こいつを精製しまくると、ナンバー5という真っ白なものになるぞ。そいつには手を出すなよ、グルなしに。世界的にはヘロインと呼ばれているが、もし、金がないなら、真っ白になる前の、ブラウンのクズなら安いぞ。こいつはローリングストーンズの曲名にもあるが、まあ、ここで敢えていうとブラウンシュガーだぞ。高岡よ、ぞんな訳で、ちょっと行ってきてくれ。もうクンサーもいないしさ。カレン族には話しておくよ。あっ、私は専門家でないからこういう話は得意ではないので、この辺でやめとくよ、兎に角、ガンバレ、タカオカ。震災ミュージアム全景(おまけ)
2006.08.17
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社会人になってからもインドに行った。バンコクから乗った飛行機には、インド不安のインド初心者の学生達が、心細さからか、飛行機の中で既に徒党を組みだしていたのである。まるで、かつての中国を旅する香港人のようであった。1人、2人で香港を出た旅行者も、辺境に行けば行くほど、仲間が多くなり、シンチャンウイグルやチベットに来る頃には、20人ぐらいの団体旅行になっている。そんなことを思い出した。 とにかくも、私は、何となく社会人であるという自負が、貧乏学生を寄せ付けなかったのかもしれないし、もしかすると、単なる年齢差にびびられただけなのかも知れない。 とにかく、団体旅行化と化した学生達は、一緒に市内にいきましょうよ、なんて話し合っており、私は蚊帳の外でである。空港の両替銀行レートはかなり高いが、面倒なので、今回はここで割と両替したのであるが、鬼の敵のようにお札を協力ホッチキスで留めており、全く多少頑張っても、ホッチキスのハリガネを取ることが出来ない。諦めて、外に出て、タクシーの交渉である。相変わらずけんか腰の交渉で、乗る。 乗って暫くシテ、よくあるドルとルピーの喧嘩となり、早速インド着陸2時間で切れた私は、(イミグレを抜けるのは、いちいち、検察官が賄賂を請求するので、1時間ぐらい並んだので)、早速、運転中の男の首を絞めた。「コラア、もうええわ、ここで降ろさんかい!それか、空港に帰れ!」そうやって、昔、そういえばデリーで、もめてシク教徒の首を絞めて、ターバンをひっぱり、ただでさえつりあがっている目を更に釣りあがらせてしまったことがあったなあ、懐かしいなあ、と思いながら、キリキリ首を絞めた。 そんな訳で、何の変哲もない、田舎道でポツンと降ろされた私は、直射日光を浴び、トボトボ近くの村まで歩き、偶然にもタクシーを一台見つけ、それに乗って市内に向かったのである。もう飛行機が着陸してから5時間ぐらいたっていた。インドって楽しいね。
2006.08.16
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私も、子供時代は、全怪獣怪人大百科とかいって異常に分厚い怪獣ブックをホーリーバイブルのように崇め、怪獣に対して分析、知識を多く持っていたものである。勿論、非科学的なのはいいとしても、なかなか、行動言動背景などは、楽しいものである。 「帰ってきたウルトラマン」といいながら、初代ウルトラマンではなく、全くの新人なので、帰ってきた訳ではないわな。バルタン星人JRであるが、「今日は挨拶代わりだ、さらば」といって本当に挨拶だけして、トンで行く所をスペシウム光線でやられてしまう。卑怯な気もしないでないぞ、新マン。怠け怪獣ヤメタランスは怠け者光線を発して、人間を怠け者にした。ウルトラマンタロウでは、虫歯怪獣シェルターというのがいて、水中ミサイルが歯に挟まって暴れるという情けない登場である。でもおしゃれな怪獣もいるんだよ、ウルトラセブンのサイケ宇宙人ペロリンガ。それにしても、カラータイマーで何故怪獣にまでピンチの時間をお知らせするのだ。バロム1は子供2人がバロムクロスで変身してバロム1になったものだが、友情パワーが足りないと、変身できない。これが計器で計ることができるようになっている。スゲエ。しかし、この2人も今や立派な大人である、仕事や家庭を持っているはずである。多分、すぐに出動できるように友情以上の関係になっているだろう。それに比べウルトラマンA(だったかな)はミナミとホクト(だったかな)が合体して変身するが、こいつらはもともと大人だったので、やっぱ大人の関係だったのだろうか。そういいながらマグマ大使は身長40メートルなのに、奥さんは人間大である。これでは何かと夫婦生活が不自由に違いない。キカイダー01は太陽電池で動くんだぜ。夜はバッテリーで活動か。ところで、キカイダー01の悪の組織、シャドーはタイムマシンを開発、過去から平賀源内を連れてきて研究に参加させようとするのだが、私だったら未来から連れてくるなあ。スペクトルマンはとってもよわちいかった。怪獣と戦った後は、空に向かって飛んでいって欲しいものだが、大抵その場で疲れて倒れていた。真夏の熱中症か。ミラーマンは怪獣に鏡を全部隠されて変身できずに悩んで、自殺しようとナイフを取り出したら自分が写り変身できた。よかったね。仮面ライダーで、悪役が射程距離2キロの銃を開発し、子供をさらい優秀なジュニアショッカーを作る為に射撃訓練をする光景があったが、10メートルくらいの的を狙っていた。あとの1990メートルはどうすんだ。ムササビの怪人が、全人類をムササビの死体にしようと企んでいたが、ただ殺すだけではいけないのか。怪人トドキラーの武器はマイナス300度の冷凍光線であるが、全宇宙の絶対零度(マイナス273度)を越えている。いいのか。イナズマンは格好よかったが、サナギマンになってから5分かかるという2段階変身で結構大変であった。ハラハラしたよ。よわっちいんだもの。アクマイザー3って目がパッチリ可愛かったわ。ナメナメーダの舌で舐められた人は頭がパーになる。まあ、今日はこの辺で許しとったるわ。ちなみに、私は仮面ライダーシリーズでは断然、アマゾンが好きだ。アマゾン嘘つかない。ウルトラマンシリーズでは、やっぱウルトラ族ではないセブンか。そのほかは、アイアンキング、シルバー仮面あたりが好きだったことを加えておこう。
2006.08.15
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高岡よ。高岡よ、嗚呼高岡よ。まずは最初に御礼申し上げたい。123456HITSを踏まなくてありがとう。高岡よ。高岡よ、嗚呼高岡よ。オゥ!ブログのどこかに無修聖堂画が見れる隠しページを作ったぞ!探してみてくれ!!ヒントは【1】だ!!、と時々、同じ文面をトラバックしてくれるのだが、そうやっている間にも、昨日は、日航機123便墜落事故から21年目を迎え、私の方としては、これまで、何度かこの類の本を読んできたが、昨日からまた読んでいたんだよ。 墜落2時間後に米軍が到着して、救助に入ろうとしたところ、日本側から撤退してくれと言われ、撤退したことや、自衛隊も到着しても、朝まで救助しなかったこと、ニセの情報ばかりを元にして行動したことなど、悪意に満ち、人が死ぬより何かを隠したいという意思が感じられる事件であった。事故原因の隔壁破壊急減圧もおかしい。2000年の情報公開法施行前に資料が破棄されている(国際法違反である)など、悪意に満ち満ちている。 ちょうど、あの日は、初めての海外旅行フィリピンから帰ってきた翌日ぐらいの出来事で、よく覚えているのだ。ニュースの第一報で飛行機が行方不明になったと報告があったときに、もしかしてUFOに拿捕されたかもしれないなんて思ったのであり、夜中に、テレビで犠牲者の方々がテロップに流れるのに、涙したことを憶えているんだよ。高岡よ、本当の原因を探してみてくれ!!ヒントは分からない!! 高岡よ、キミが、無臭正動画が見れる隠しページで楽しんでいる間、盆というので、私が実家に帰る前にジャコメティを見てきたことを報告しておこう。ジャコメティ展はイギリスやフランスでも見に行ったことがあるのだが、もしかしたら日本でも見たことがあるかも知れない。おまけによう、矢内原伊作のジャコメッティ本を出版されてすぐ大枚5,000円を払って買ったのだが、誰かに貸したまま行方不明になっている。よかったら、探してみてくれ!!ヒントはないが!!高岡よ、我が家ではコーヒーが切れかけている。私はカフェイン中毒なので、今底にある危機に瀕しているが、難なく紅茶で代用している。アイスティーの作り方は、氷を最初にコップに入れておいて、沸騰状態の茶を入れることだよ、分かるよな、高岡。でももっと美味しい作り方を探してみてくれ!!ヒントは分からないよ!!
2006.08.14
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アメリカと韓国の自由貿易協定が日本経済ひいては世界経済に及ぼす影響を、現在アフリカの郡山ハルジと経済学学士トイモイ氏がインターネットを通じて全力で議論する。という企画が123456HTIS記念にあったのだが、一向に、キリマンジャロまで、糸電話での再三再四の催促にもかかわらず、ハルジ様と連絡が取れないため、急遽トイモイ経済と課題というショボく悲しいテーマに変更したのである。123456番を踏んでいただいたのは、65.54.*.*さま(時刻2006-08-12 05:36:33)であった。IPアドレスでは、誰だかわからないので、モノアゲも出来ないので、私の家の不要物は、まだ私の家に存在することになったのであった。 実は、我が家は、経済的重要問題に瀕しているのであった。その1 3ヶ月ほど前から半年間だけ新聞を取ることにしたが、(チラシの研究のため)新聞代の回収にもう販売員が20回ぐらい来ているが、まだ払っていない(そのうち2回は居留守を使った)その2 代引きで商品が届いたが、財布に小学生のお小遣い並の金額しかオカネの入っていなかった私は、一回持って還って下さいと涙を飲んで、クロネコヤマトのドライバーを追い返した。その3 (経済学部出身の経済学者ゆえにであるが)これでも、毎月、自動的に貯金をしている。自動で引き落とされないと使ってしまうからだ。しかし、収入に見合わない貯金をしているようである。毎月、月末と言わず、月初に借り入れをすることも多々あるのである。勿論、貯蓄金額より借り入れ金額の金利の方が高いことは、経済学者もどきの私でも分かっているのであるが、かのカールマルクスも世界一の経済学者でありながら、自らはまったく経済観念がなく、盟友エンゲルに生活費を見てもらっていたどころか、使用人の女中を孕ませるという情けなさであった。それに比べると、下半身は理性の人である私のほうが20センチはましである。その4 昨日の日記にもでたように、例えば、不動産取得税などの突発的に10万円以上の出費があったときに、困るのである。私の経済は理性がゆえに、計画経済、NEPであり、コルホーズであり、大躍進型である。最近では、車をぶつけたり、壊したりして、数万円から十数万円の突発的出費にいちいち対応していた2、3年前とは違い、ほったらかしである。その5 経済学的に厳しい生活を強いられているが、心の余裕が必要なので、そろそろ、また短期集中型日帰り旅行シリーズを再開しようかとしている。それも、ここだけの秘密で国家的機密情報であるが、韓国日帰り旅行を計画中である。(ここで、全読者の注目を集める)その6 実は、これが一番問題なのであるが、そして、配達証明が本日届いたのであるが、昔、車をあげた人が、車の名義変更をしてくれないまま、蒸発していて、その時間貸し駐車場から数年分の駐車場代と撤去費の請求を求められている。数十万円である。これには、正直、泣いている。数年前に、自動車税まで肩代わりしているままなのである。(ここで、全読者の同情を集める)その7 その6を書いていて思い出したが、お人よしなので、今の今まで忘れていたが、10数年前に結婚資金を貸したまま、行方不明になった知り合いもいる。結婚式には勿論出席したのであるが、元気にしているのだろうか。きっと、来年ぐらいに私を探し当てて返してくれるであろう。幸いにも、私は、連帯保証人には絶対ならないのである。もう一つ思い出したが、中学生の時に映画代を出してやった友達も、そのうち返してくれるだろう。それもデート代で、その女の子からは、しっかり嫌われて帰ってきたという逸話つきだ。その8 仕事では、数億円を扱うのであるが、これは、全くのシュミレーションに過ぎず、もし、目の前に元気金を置かれたら、更に厳しい値切りを業者に要求し、今でもたいがい嫌われているのに、多分、無視されるかほされるか、夜道を襲われるであろう。何て、会社への忠誠心の高い賞賛される人間であろうか。よく、会社の金を自分の金のように思えといわれるが、そんなことしたら、破産するかも知れないのである。その9 そんな訳で、大富豪の道はロングアンドワインディングロードなのである。カーン。
2006.08.13
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私は、厳密にいわずとも、関西に住んでいながらにシテ大阪人ではないが故に「おおきに」ということは、まずないのである。関西は、しかしながら商売の地域でもあるのか、目上目下という年齢層よりも、どうも、客と店の関係を優先するようである。関西圏では、お店で飯を食っても、何か店員にものを頼んでも、客が高校生で、店員がおっちゃんおばちゃんでも、「ありがとうございます」といわず、「ありがとう」という。勿論、俺は客ヤカラなと言う気持ちはないのだが、一応、こっちはお客さんやからねえ、あまり敬語使うのも変やわなあという感覚があるようである。関西圏以外の人が聞いたら、何やこのガキむかつくな、と思うかもしれないが、関西圏の人は、平然と、どういたしまして、と思うようである。 まあ前置きはそのぐらいにして、不動産取得税の通知がきて、むかついているのである。不動産取得税は家を買ったとき、一度だけぼったくられる税金であるが、 (住宅の価格(固定資産課税台帳に登録されている価格)-控除額)×3%=税額である。軽減措置があり、床面積が50米以上であれば1200万円の控除額がある。私の購入した家の固定資産税は1200万円もないので、不動産取得税はただになるはずなのであるが、残念なことに、床面積が49.8米なのである。軽減措置がなく、大富豪ながらにして、都道府県に寄付すうるのは、スコブル大問題なのである。ドブに金を捨てる感覚なのである。実際、ドブに捨てた方がましなのである。エーメン。
2006.08.12
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インドのイメージのひとつにヨガがあるが、ビートルズが訪れたこともあるという理由で海外にも有名になったデリー北部のリシケシがある。 ヒマラヤから流れてくる聖なる河、ガンガーが、この地で急に平地化し、雨季はチャイのように濁り溢れ、乾期は割と急流ではあるが、澄んだ感じになる。 1980年代の私が若い時代にも、インド、リシケシを目差す友達が何人かいた。アシュラムで、ハタヨガをし、瞑想ゴッコをしにいくのである。街外れの数十とあるアシュラムでは、1日コースから1ヶ月コースからあり、外国人が溢れている。性格によるのか、休みの時に喧騒の街に出て行く者と、静かに引きこもっているかのような者とに分かれる。 その後、何年かして、私の周りにはプーナにはまる人間がでてきた。私も、後年のバグアンシュリラジニーシの行動には何だかなあだが、その著書の数々には感銘を受けたものだが、どうもプーナにはフリーセックスのイメージが抜けきれず、日本に一時帰国してきた彼ら彼女らが、はやく帰りたいという言葉には、何だかなあであった。 みなさん、どこにいってしまったのでしょう。
2006.08.11
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多数のキリ番記念の応募があり、無理難題が少なかったので、もしかしたらこの中から選ばれるかもしれませんが、もしかしたら選ばれないかも知れません。選ばれない確率が高いです。
2006.08.10
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もうすぐ123456ヒットになるが、景気づけに、ピッタリ123456を踏んだ人に何かあげることにさっき決めたので、何か欲しい人は欲しいものを今のうちに言っておいてください。でも、オイラ自身所有物は、家中モノに溢れていますが、ほとんどが、ゴミ、メモ、壊れたモノといった感じで、価値あるものは何もないといっても過言ではないかもしれないです。でも予算はせいぜい数10ドルでしょう。日本円にして、千円までです。但し、古本なら別でス。海外の方には、順調に船便となるでしょう。昔、全然、急いでないただのペラペラの手紙も船便で送ると言う曲芸もしていたことがあります。結構、毎日毎日書くことがあるなと思いますが、実はネタは全然なくて、結構、暇な時に何日分も書き溜めたりもします。また、最近特に、初め気合を入れて書き始めるのですが、大抵、へこたれ、途中で尻切れトンボになります。それに節度ある人間のフリをしているので、真面目な記事ばかり書いていて、皆さん、私が真面目だけが取り柄と思っていただいているかも知れませんが、それはまあまあ事実です。しかし、書きたい時は、頭からドワドワーと溢れて、パソコンのキーボードの指が追いつかないのです。しかし、時々、ガス欠になるのですね。ガス欠といえば、とっても最近ガソリンが高くなってますよね。私は、ガス欠で車が止まってしまったことは、今まで2回、いや3回しかないんですよね。慎重派の私としては結構少ないほうですね。1回は困ったことに高速道路で、1回は自宅前でです。自宅前はとってもJAFの方々に恥ずかしかったです。それも1月1日でしたから。高速道路は、下りでガス欠になり、ニュートラルで出口まで行くという快挙を成し遂げた訳ですね。今の車はリッター6キロなので、ガソリン撒き散らしているようなものです。それにしても、いつも思うのですが、ガソリンって6,70リットルも入るのですね、これって常に、人一人乗せているのと同じだよね。ウオ。しかし、朗報がありまして、敷地内の駐車場に空が出たので、くじ引きに無事勝利し、駐車場代が1万円毎月安くなったので、生活が随分楽になる予定です。話がそれてきましたね。それたついでに。今朝方、会社に行くのがとても嫌な夢を見ました。何故か分からないのだが、知らないうちに70年代のポルノ男優として映画に出てしまっていたということを会社で報告しなければならないので、とっても憂鬱だという夢でした。それで何故だか、一生懸命ドイツ政府に報告書を依頼して焦っているところで、目が覚めたのでした。
2006.08.09
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今まで、その度に報告申し上げている様な気がしてならないのであるが、私は、服の買い物がダイスキな割には、大変面倒で、年2回と決めており、アフターアフターバーゲンか、海外バーゲンと決めており、実は買うのも本当は面倒で、数年前にスーツは、偶然、コムサデモードで買ってしまってから、コムサデモードでしか買っていないというとても保守的な人生を歩んでいるのである。勿論、店に入り購入に至るまでの時間は5分以内を自戒し実践しているのである。店員に「これどうですか」と言われた瞬間に、「ではそれにする」というのである。別にこのメーカーが好きな訳でなく、他店に行くとまた大変であるし、まあ、「これはどうですか」と言われても、最近は「その柄なんか持っているような気がするなあ」という具合になってきているのも事実である。そして大阪人らしく、まずは値札を見るのであるが、いつもそれは上着だけの値段で、勘定の時に、「ゲエ、予算オーバーやんけ」と心の中で汗をかくのであるが、顔はポーカーフェイスで余裕かまして、家に帰って泣くのである。 しかし、今回は、間違ってしまったのである。ぼーっとしていて、Ermenegildo Zegna に突入してしまったのであった。実は、何を隠そう、ここのネクタイを1001本-1000本程度持っていて、そのネクタイは結構お気に入りなのである、が、私は、それが何と読むのか、イタリア語ができないので、今日の今に至るまで読めないままで人生を謳歌してきてしまっていたのである。エルメネジルドゼニア、今、インターネットにて調査すると、このようにカタカナで読むようである。 私はそこでミスを犯したのである。他に客がいる確認を怠ったのであった。普段、飢えた狼のように、獲物を虎視眈々と狙うハウスマヌカン(懐かしい言葉やなあ)に、胸バキューンである。「これなんかどうですか」といわれ、とにかく値札を見て「ウム」と1発1中で決めたのであった。人生の決断は、もう30年もウジウジできないでいるのに、スーツの決断は2分である。ハウスマヌカンもハウスマヌケになって驚愕していた。 「サイズは?」「おお、あー、そうね、そういうのもあるねー。適当にね、どれが合うの?」私は腕を後ろに組み、再び余裕をかまし、家に帰って「高かった~」といって泣いたのである。結局、泣くのは同じである。エグゼクティブになっても、大金持ちになっても、今後の生活資金に支障をきたすような出費には、男泣きなのである。店員には寄って来て欲しくないものである。こちらは、背広を買う時にしか来ないのだから、買ってしまうじゃないか。こいつは、リーマンの必需品なんだ。でも経費で落とせないんだ。P.S 言っておくが、革靴も買ったtんだ。本当は、こんな36度のクソ熱い中、革靴なんか欲しくないんだ。でも金を稼ぐってつらいことだぜ。暑さに我慢しなければならない、そして、こいつも必要経費に計上されないんだぜよ、ベイべー。P.s 最近、アクセス数が3分の2になってるぜ。多分、暑いからだろう。仕方ない。今度はチャイナドレス買うよ
2006.08.08
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太り気味のP子は、アンリシャンパーニュの工場で女工をしてました。やせたらかわいくなるという噂を聞きましたが、まだ私はP子を見たことがありません。でも、よく食べて健康だそうです。まだ一度も会ってませんが、一生会わないでしょう。 私が21歳の頃、60歳で定年退職後、第2の人生で転職した橋口さんは、酒を飲んで顔が茹蛸のようになってぐにゃぐにゃになってましたね。血管が切れないことをお祈りします。 D君は、私のことを怒っていましたが、まだ怒っているのでしょうか。理由は、インドに行くのにコレラの予防接種をせずに行き、ノコノコと病原菌を持って帰国してきたのではないかと疑っているからです。まだ目くじらたてて怒っているのでしょうか。 昔、東京から神戸に観光に来た康子さん(仮名)、居酒屋で偶然隣り合わせになり、何も喋りませんでしたが、向こうが先に出てレジを終え、黙ってまた戻ってきてくれて居酒屋のレジで貰った割引券をくれました。この場を借りてお礼申し上げます。 ケイコさん、あなたは、K子さんですか?昔、暗黒の騎士ダークMosawariの彼女だったのですが、彼は、私への手紙に、「K子が、K子が・・・」と矢鱈滅多ら書いてました。私はどちらでもいいのですが、何なんですか? Oさん、ふられたなら、我慢するか、クヨクヨしてください。 Y君、私を、結婚式に呼んでおいて、「ここに集まってもらった皆には一生付き合っていく仲間なんだ。だから10人しか呼んでいないんだ!」とスピーチしてくれたけど、あの日以降連絡がないんですけど・・・ああ、人数合わせだったんだね・・・まあ、いいよ、私、おおらかだからさ。 それからY君、彼女へのクリスマスカードに、私のへなちょこ絵を一緒に入れるのはやめて下さい。ちょっぴり恥ずかしいわ。 K君、交通違反で赤切符切られたからって、そんなに怒らないで下さい。自己嫌悪を自分でして下さい。 ベナレスの宿屋の従業員よ、勝手に部屋に入って、私のポケットからブツを抜いておいて、あとからシャーシャーとそれを売りに来るな。 私の前で、タバコの自動販売機で銘柄押し間違えたからといって、わめくな、そこの女。 T、アメリカまでモトリークルーの追っかけしにいって、抱かれてしまうなよな。 岡山に引っ越していったY君、小学校の時、漆におもいきり負けて、ブツブツになっても学校に来てたよな。正直、休んで欲しかったよ。変なこといってたな。「厚揚げで体を拭いて、それを食べると、漆負けがすぐに治るんだ」ほんとかな。 坊君、キミは、初めてトリップして、部屋に帰れなくなった情けない奴でしたね。私の導き方が悪かったですか?キミは福井大学医学部だったけど、ちゃんと医者になったのかね。 最後に、私自身は、親の財布からカリパチしたことはあるが、全くの他人であるそれも小学生だったミッツ(フィリピン人)、俺の財布から小銭を取るな、あくびれる様子もなく。オマエの卒業式に何故か出席したぞ。みなさんの栄光に乾杯!
2006.08.07
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199○年○月○日 Sは泥酔状態にて、酔いのレベルが異次元状態に達し、目は寡黙にも据わっている。店を出たSは思わず、所構わず泣いた。それを見ていたYがそばについて介抱するような仕草をしたが、彼自身の精神状態がフェイズ1であり、元々他人に興味はないので、やっぱり、肩を2,3度さすっただけで、終了となった。元来Yもまた元々寡黙な男で、ポーカーフェイスであり、じっくり男であり、他人をどうこうしてやろうという思想も甲斐性も持ち合わせず、他人への干渉は偽善であり、自らを冷たい個人主義者と名乗っていた(かどうかは知らない) 私はというと、狂乱狂酔の中、ヒタスラ支払い合計25000円を割り算して、人の懐をまさぐり、必要な金を巻き上げるという作業に没頭奔走していたのである。そんな訳で、泥酔で、家族の中でただ1人、学歴の低いSの家庭環境など気にしているわけにはいかなかったのである。これだから東大家族は困るのである。 バーから出た童貞Sは、まだ雑居ビルの廊下で泣いていたが、結構救いようのない情けない顔になっており、鼻水が栄光の凋落を物語るよう光っていた。普段抑圧された生活を送っているからなあ、と冷静ぶったKは言い放つが、屁理屈論者であるKの意見には誰も反応せず、敗者の美学に傾倒していくSの喧嘩を受けて立ち、何故だか2人は殴りあいをはじめた。というか、Sから泣きながら絡まれたKは素直にその挑発にいとも簡単に乗り、その傍らで、素直で退屈なOのことなど、誰も気にしていなかった。 この現状を打破しなければと、普段問題の山積みする状態をひとまずおいておいて、刹那的な行動を無視しながら、私は「勝手にしやがれ」的に別にどうでもいいよ、でも、五月蝿いから一回外に出るよ、という訳でヤレヤレと思いながら外に出た。私は子供をあやすように、各人を見張っていると、Hが閉まったシャッターに頭から突っ込んで「きもちええー」と訳の分からないことを叫び出したが、シャッターの音が五月蝿く鬱陶しいので、シャッターからHを引き剥がした。ふと、後ろを見ると、Sがタクシーに並ぶ乗客たちに「コラアア。オマエラ、俺の気持ちが分かるんかあ」と叫んでいた。一生かかっても分からないので、大声でわめく余計な口を押さえてその場でねじ伏せた。実は何一つ自分自身が自分の気持ちを分かっていないナルシストSの腕を引っ張り、しばらく歩かせようとするのだが、そこに、Kが、「すみません。吐きます」といってその場で吐き出した。それにつられて釣れゲロをしたのはOであり、当日の嘔吐率はすでに4人わる6人の70パーセントに達していた。 吐き終えた、Kは、振り向きざまに、「Sのパンチなんかへなちょこさ」と泥酔の中、自分のステータスを保ったつもりであったが、まだゲロが口元に残っていたのは愛嬌か。ペシミストSは、更に、Oにも馬乗りになって殴りかかったが、Oは自分が何をされているか、あまり理解していないようであったので、将来的にトラウマにならないことを切に祈るだけである。静かな暴動Yは、Sを引きつれタクシーの中へと消えていった。その他は、私の家に泊まったが、ゴミ箱にゲロをするので、ゴミ箱を翌朝持ってかえれと厳命し、そうしたまでであった。2006年○月○日15年の月日が流れたが、時々、この日の話題が今でも出され、Sは小さくなっている。大手企業に勤務しているが、まだペシミストのナルシストのままであり、奥さんの趣味の出費の為に働き続けている。Kは結婚したものの、毎日配水管の汚れを掃除するように奥さんに苛められ、別れてくれるなら1000万円でも出すよとぼやいているが、最近、商社からどこかの軍需産業に転職したみたいで、アメリカへの研修に暫く出かけ、合法的に家を空けることが出来、水を得た魚のようである。Oは、現在鹿児島に住み、鹿児島に骨をうずめるようで、最近弛んでいるので、今年、わざわざ鹿児島まで私が行き、カツを入れておいた。またすぐ連絡しますよ、といいながら、全く連絡してこない。多分、便りなきは良き便りを実践しているのであろう。Hは、自ら経営する会社の業績が不振なため、得意な株の売買で何とか給料を捻出しているようである。何せ小学生の時からお小遣いで株をしていたので、その辺の証券スタッフよりは詳しい。Yは、3ヶ月の結婚生活に終止符を打ち、今のところヒッキーをしている。
2006.08.05
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私は、何を隠そう、おしゃれさんでもあるので、それとは関係ないかもしれないが、結構、ベルギーのブルージュには行きたいのである。是非、アントワープには行きたくて是非行ったことがあるのだが、世界の屋根といわれるこの地にも行きたいわけなのである。 まあ、そんなことは、置いといて、一日南大阪に出張して、立ち仕事をしていて、屋根群を見て、ブルージュを思い馳せただけだった訳である。 昨日の続きであるが、もう数十年でなく、十数年前の話であるが、駅で電車を待っていると、高校3年生の時の彼女が歩いてきて、彼女はびっくりして逃げていった。簡潔に言うと避けられているのかも知れない。翌日電話がかかってきたが、彼女は緊張しているらしく、無言が続き、簡潔に言うといたずら電話のようでもあったが、何とか、まあ久し振りということで、逃げてごめんというので、謝りたいというので、喫茶店に行ったのである。結果的に、それでも彼女は緊張して、ほとんど下を向いていただけで、適当に私は切り上げて帰ってきたのであった。それ以降見ていないが、私の予測するところ、創価学会だったので、そのメンバーと結婚でもしたのではないかと、今、推考してみたりなんかしたのである。 昨日の続きになってしまうのであるが、もう数十年でなく、十数年前の話であるが、私は、大阪で心斎橋ワタル一味と映画を見に行ったのである。題名は忘れたが、思い出すとすればクライングゲームである。1992年と判明したので、正確に言うと14年前である。チケットコーナーで切符を買っていると、横から私を呼ぶ女性の声が聞こえた。大学の知り合いであり、その横に大學4年の時の彼女がいて、とりあえず、会釈をした。こんなマイナーな映画の場所で会うのも不思議ですなあと思いながら、緊張したのであった。しかし、映画館を出ても見かけることもなく、それ以降、14年間見かけていないので、もしかすると避けられているのかも知れない。 高校3年のとき、もう卒業も近いのに定期券が切れて、歩いて学校に暫く通っていた。高校に行くには、駅まで徒歩20分、国鉄10分、地下鉄10分、徒歩10分、待ち時間や移動時間10分の1時間を要した。一方、1時間家から歩き続けるのボレロでも高校に着いたのっである。 ある日、高校の近くで前から2人組の女子高生が通り過ぎた。次の日も同じところで通り過ぎた。その1人がこそこそともう一人に話しかけて、もう一人が、その1人を照れて軽く叩いた。何を隠そう、そのもう一人とは、中学校1年生の時の彼女であり、その時、3年ぶりに目が会い、それ以降会っていない。私の想像するところ、私の事を避けているのかも知れない。 3,4年前、ニューヨークから携帯電話に電話があった。元嫁であった。「やっぱり、、バシャールだよ、ワクワク感だよ」と言って電話は切れた。それ以降、電話はない。考えてみると避けられているのかも知れない。 でも、まあ、そういうことはどうでもよくて、道を歩いていると、祭である。しかし、都会の中の祭、どうも子供が少ないのである。姫路も灘の喧嘩祭というのがあり、岸和田のダンジリに勝るとも劣らない勢いの祭があり、この祭の時は学校も企業も休みになるのである。子供の頃、その祭で、神輿をかつぐ男達のフンドシ姿を見たが、はみ出た尻が汚い。デキモノ、吹き出物の尻を見た私は、大人になりたくないものだと、子供心に思ったものである。そんな訳で、今も私は、大切にモウコハンを消さず、美尻をキープしているのである。
2006.08.05
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。 こちらに引っ越してきた頃、プラットフォームで朝電車を待っていたら、大学時代の女性友達と偶然会った。大阪梅田に勤めているらしい。何年ぶりかで久し振りだなあ、ということであったが、何故かそれ以来見かけることはなくなった。簡潔に言うと避けられているのかも知れない。 1年ほどたって電話がかかってきた。近くのマンションを買おうと思うのだが、どうなんだろうという相談だった。多分、私がこの一帯の地主であることを薄々感じていたからかもしれない。 彼女は、関西空港勤務になり、車で毎日出勤しているために、電車勤務はなくなったとのことであった。 随分前に、満員電車に乗っていると、座っていた男がオイと小声で声をかけてきた。高校時代の友達だった。「おお、ひさしぶりやなー、10ねんぶりぐらいかな」と言うと、彼は、それに答えず、「オマエ、チャック開いてるぞ」といった。 住んでいる駅を降りると、乗ってくるおっさんがいた。高校の同級生かつ同陸上部かつ同長距離の奴であった。名古屋に住んでいる何か思っていたのに、いつの間にか六甲アイランドに勤めているようであった。魚釣りが好きだからなんだろうか。背は150センチ少々で低いというのに、高校時代からおっさん顔であったが、相変わらず今度はホンマモンのおっさんになっていた。しかし、まだ背は伸びていなかった。電車の昇降すれ違いだけでこれだけの情報量を得たことは素晴らしい。 そんな訳で、今日は1日中書類をニラメッコして、今日だけではないが、ちょっと疲れてみたりなんかするのであった。
2006.08.04
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昨日のお昼まで死にたい気分であったが、歯医者を終えてから、タバコでもフーッと吸って「ああ、生きているってことはいいことだぜ」とでもいいながら空を見上げたい気分になった。 以前東京で働いている時にも歯が痛くなって、近くの歯医者に行った。そこで4回にわたって麻酔を打ちながら徹底的に歯石を取ることになった。歯石を取る作業なので、先生はやってくれず、助手の女性に任されたのであった。それが2人いて、一人はムチムチムッチーでもう一人はグラグラグラマーな女性で、私の恥ずかしい所を容赦なく交互に責められるあられもない姿という感じで、穴があったら入りたいほど恥ずかしい目にあった。 昨日行った歯医者でも以前歯石を取ってもらったが、多分助手は先生の娘なんだろう。とてものり巻アラレちゃんに似ていて、子供に手術されているようで、こちらはちょっぴり怖かったのである。 私は、手術台に乗ったのであるが、今までどんなものに乗ったか考えてみたのだが、案外少ないものである。 日本で唯一に近いホーバークラフト(大分空港-市内)、競艇ボート、ヨット、大型トレーラー、ヘリコプター、ジャンプスキーまあ、そのあたりはまだない。 プロペラ機、ゴムボート、象、駱駝、自転車、竹馬、ローラースルー、三輪車、オート三輪車、クルマイス、スケート、サーフボード、アイロン台、車、スキー板、カヌー、馬、バス、波ぐらいか。勿論、女性や男性などという野暮な読者はここにはいないのである。
2006.08.03
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スマイルの著者はほとんど契約条件の悪さで印税がなかったらしいな。昨晩、飯食ってから、歯が痛くなってきた。歯が痛くて、夜中に何度も目が覚めて、人生が嫌になった。もうこのまま死んでもいいかと思ったぐらいだ。前にも書いたけど、おじいちゃんのことを思い出した。おじいちゃんが死ぬ日のことだった。そのときって,痛みはあるのだろうか。だんだん、呼吸が減っていくんだけど、多分死ぬ痛みはなかったような気はする。ボケてたけど、老衰だ。(医学的に老衰という言葉はない) でも死ぬ日でさえ、おじいちゃんは、歯を抑えていたんだ。母は、枕元にておじいちゃんに聞いたんだ。「歯が痛いの?」おじいちゃんは頷く。歯が気になるみたいだ。「今から歯医者行く?」と母は尋ねる。おじいちゃんは、イヤイヤをする。あと数時間でおじいちゃんは死ぬのに歯を気にしている。歯が痛いらしい。仕事を抜けて歯医者に行った。麻酔を受けたが、効かない。麻酔に強いのか、体性があるのか、麻薬中毒者が麻酔に効かないことを思い出した。2回目の麻酔の注射をしてもらったけど、それでも効かない。3回目の麻酔ようやく何か効いたような気がして、述式開始。 虫歯ではなく、加齢によって、歯肉が空いてきて、そこに毒素が入ったようであった。すぐに治った。年をとったと思った。飯はもっとあとにしなさいといわれたが、すぐに飯を食った。味さえもなかったが、気がつくと、パンをいっぱいこぼしていた。情けなくなった。
2006.08.02
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シアトルシーボルト 六甲ホテル香港 シアトルナイト
2006.08.01
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