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黒船でやってきたのは、ペルリでした。何ともマヌケな顔で、ペロリ。尾長鶏と酒はよく似合う。このままでは、台所でチキンドリンカーになれること間違いなし。雄大な太平洋沿いにある道を南極から迷い込んだペンギン、暑さで石化する。まだ、かの地には、龍馬が存命することを知りました。警察、国交省も認めています。南国のメリットは、どこでも眠れることです。 ナンバー1のホテルという訳ではなさそうです。 だから、「T」って何だよ。T路地ではなさそうだ。TAMARANかも知れない。ハゼドン、懐かしいけど、ハゼをキャラクターに抜擢するとは酔眼である、否、慧眼である。頭パーマンだけど、結構、剥げて年季が入ってて素晴らしいが、胸の鳥のワッペンがセクシー。キモイ人々、はんぱねえ。リアル自由民権運動。ホログラムにて再現。特に意味なし。何が、入っているのかなと見ましたら、人間でした。人形ではありませんでした。また石化した生き物がここに。 お前さんは、灰皿ですか? バスに住んでますか?お役所的、コケ、ネーミング。最後にご飯を食べて帰りました。終わり。
2008.02.29
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早朝、休日というがやき、徹夜で飲き倒れ込む人を尻目に、雪くじゅうて飛行機は順調に飛ぶのか、不安と混迷の中、それを隠すように、文庫本を読むのじゃった何となく、飛行機が、雪を吹いちゅうように見えたが、何か、雪のようなもがを機体にかけちょったが車をかって、まっことの目的地に行くにゃ、帰りの飛行機が間に合わないことが瞬時に判明したが、どうするかと30キロばあも無意識に進きしもうた。そこに、彫刻があった。こりゃあー何の彫刻かは、さっぱり分からん。ここにあるのが、伊尾木洞やき。入場料無料の、誰もいない、閑散とした意味不明の洞窟やき。洞窟は一人であだつのは、怖いか?あしはちっくと怖い。けんど、人間なら勇気を振り絞れげに、運転しながら、思うことじゃったが、オランダの有名な飾り窓が、都市整備で、かぇりの危機にあるという。飾り窓は450軒あるけんど、その半数が閉鎖されるという。年内にゃキノコも違法を予定されちゅうがやき、寛容社会も、再開発の波にのまれていくのかと、500年の飾り窓の歴史にノスタルジックに思うのじゃった洞窟の入り口にゃ、南朝忠臣有井又三郎記念碑、何故、南朝鮮?洞窟を抜けると、そこは、雪国じゃーなく、ただの彫刻群じゃった。少年ダビデ。ぬおおおーん。岩場の陰から、ぬオオオオーン。おぬしは、何もん?岩場の陰から。おぬしは、獲物を狙う、女神。けんど、人はこない。山の中でせくしいぽーずか?うん、せくしいぽーずです。神々しいやか。ほたえなや。。。。
2008.02.28
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インド、ジャイサルメールでの滞在は、もう1週間ぐらいになるだろうか。あの頃、毎日、何をしているかというと、街から少し離れた砂漠に1件の宿、我々しか宿泊客がおらず、朝から晩まで部屋にこもって、煙を燻らせるのみであった。 夜、町外れにある映画館に行くことにした。今までも、暇になると、映画館に行った。インドはハリウッドより映画作製本数が多く、世界一である。インド映画では、サタジットレイのような芸術映画もあるが、大抵は、何でもありの映画だ。貧困の中の最大の娯楽は映画であり、概ね、3時間という長丁場であり、途中休憩があるぐらいだ。そのとき、インド人に「お前は何だ!インド映画のファンか!インド映画は最高だ!」と激励までされる始末なのである。昔、日本のテレビにインドの大女優スリデビが出ていて、「私たちは、貧しい人たちに夢をうっているのよ」といっていた。豪華絢爛なのである。ダンスあり、涙あり、アクションあり、恋愛あり、ヌードなしなのである。キスシーン直前で二人が歌い出すのである。いちゃいちゃしながら急に踊り出すのである。雨の中でもセクシーにサリーをぬらしながら踊るのである。いつの間にか、大勢の人々が集まり、大勢の人々が大画面で踊るのである。 そこは、もう感動である。観客のインド人もノリノリであり、騒ぎ出すのである。勿論、キス直前シーンでは、口笛を鳴らしたり、ググッと見入ったり、喝采である。 そういえば、昔、渋谷で「ムトゥ踊るマハラジャ」を観に行ったんだが、馬車が谷に落ちそうになって、スピード出して、谷を越えるシーンがあって、館内に拍手が起こった。日本で映画館で拍手を聞いたのが、このときが最初で最後である。そのように、ともかく、インド映画はスゴイのである。
2008.02.27
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そういうものをオーパーツとはいうものの、そういう言い方を知ったのは、大学生の頃であった。 高校の歴史に珍しく、夏休みの宿題でレポート提出があり、最後に、「マーハーラバタ」や「ラーマーヤナ」には、核戦争を彷彿させるシーンがありますが、太古の昔に一度、世界は核戦争で滅びたのかも知れないと考えると、ロマンチックです」と書いて結んだが、まあ、それは黙殺された。 何だか分からないけど、高熱で都市が破壊されたのではないかというガラス化した古代都市は多くあるわけだ。神話ではそどむとごもら、核シェルターと言われるトルコのカッパドキア、パキスタンのモヘンジョダロ郊外、オクロ鉱山、ハットゥシャ遺跡、スコットランドのタップオノス、ブラジルのセテ・シダデス、サハラのタッシリ・ナジェール、リビア砂漠、トイモイルーム・・・それで、私は、と続きたいところであったが、何を主張しようとしたのか、さっぱり忘れてしまった次第である。さっぱり何を書くか忘れたどころか、何となく、頭が空白不毛地帯状態になったので、コネタ集で以下を誤魔化す所存でございます。イランでは、男色はシケーだが、せい転換はOK、ってな訳で、タイに続いてせい転換手術の多い国である。ちなみに私がイランに行った時は、そのような人々は見かけませんでした。僕は、実は、今でこそ、あれなんですが、ツノダジロウのメリージェーンを何回かカラオケで歌ったことがあるのですが、カラオケは基本的に嫌いですが、勧められると、歌わざるを得ません。但し、気の合う仲間で、居酒屋で部屋を貸切なんかであると、部屋に入った瞬間から脱ぎ出して、踊るということは何度かありました。女性ウエイトレスはすぐさま男性に変更となりました。そのメリージェーンは、ツノダジロウの愛した彼女の名前ではなく、その彼女の友達の名前である。何だか、レイラのようですなあ。ハルジ氏ではないが、ウン子には、カフェインの2倍の興奮作用のある成分、スカとロールがある。勿論、その趣味はそこから名前がきている訳で、あながち、その趣味もレッキトシタ理由があるわけだね。ところで、私も多少はハイヒールフェチな部分は正直あるのだが、あれも、中世の町はウン子シッ子をバケツで道に捨てまくっていた汚物にまみれた世界であったが、その汚物を避けるために開発された履物なことは有名だが、考えれば、その辺も歴史的にはココロの奥深く、ウン趣味につながっていくのだろうか・・・東京都庁窓拭き代年間12億円。デーモン小暮の話は、かつての友人(享年26)の大学の先輩ということで、早慶戦の話で、彼が一躍有名人になったことを聞いた。そんなデーモン、学園祭で物まね大会に飛び入り参加し、デーモンの真似をしたら、似てないといわれたそうだ。確か、チャップリンもチャップリン物まね大会にこっそり出て、似てないといわれたそうだね。中国やインドの沙漠に行った時に、私は、「月の砂漠をはるばると旅のラクダがいきました」なんて歌ってストイックになったのだが、モデルはこれ千葉県の海岸なんだよねえ・・・。カックン。よく聞く話だが、私も、アムステルダムのゴッホ美術館でホンマモンのゴッホの燃える黄色に、はっきりいって、目がボヨヨーンボヨヨーンとなり、何故だか、感動したものだが、よくある話だが、生前は身内での取引が一回あっただけで、1枚も売れなんだ。失意と貧乏のどん底であり、弟がおらんかったらとっくに、どうにかなっていたわな。ていうか、隣人に耳切るような人住んで欲しくないというのが正直な感想でっす。重要なことに気がついた10年前の冬のある日である。英語の虎の複数形は、タイガーズである。(デトロイトのチームもタイガーズである)プラトニックラブ、好きですか?勿論、プラトニックとは哲学者プラトンからきており、もともと、同性愛という意味であったわけで、ソクラテスとはいい関係だったのではないかというのは有名な話ではあるが、プラトンとは本名でなく、芸名、何の芸名かというと、レスラーの芸名。彼は元レスラー。
2008.02.26
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私は、こう見えても、ビージネスマンを兼ねているので、ここは高知の取引先(という幻想というか、架空というか、妄想というか)と鯨一頭食べるためである。まあ値段は姿寿司で7億円。安っ!しかし、何事にも物怖じする私は、そのド迫力に、当然物怖じして、入るかどうか、どうも、モジモジ君になるのであった。さすが、全世界の知り合った女性陣にシャイボーイと異名をとっただけある私である。入るべきか、帰るべきか、それが問題だ!とシェークスピアになっていると、普通のおじさんおばさんが出てきたので、安心して入ることに、急遽決定したのである。いくら、センチュリオンカードでなくただのゴールドカードとはいえ、7億円、カード切れるかどうか心配しながら。ところで、コノ店の主は、自家通貨も発行しており、自分の顔を印刷しているお方である。また、店の説明書によると、この6700CCのアメ車は、何かの大会に出展しようとしたが、でかすぎて会場に入らなかったとのことである。仕方ないので、今、通勤に使っていると書いていたが、ナンバーがアメリカになっていたんで、多分、毎日、太平洋を渡って通勤していると推測された。何故か、壱億ゆず庵円紙幣が、4枚100ジャパニーズ円で売られていた。あ、この店の名前が「ゆず庵」ね。やはり、凄いお店である。ヒラリーもかかわっているに違いない。選挙資金は、こんなところにも有効に使われていると推測された。ヨンサマも絶賛、オイシーよー。アメ車だけでなく、素晴らしい車もある。ブイブイ走らせると、もうナオンの入れ食い状態間違いなしである。焼肉オムライスとはいうが、コノ店のオムライスは、1日1000食出るということが判明、さすが、売り上げ2億ジャパニーズ円の店である。変な椅子に座ったら、お尻かまれると思います。陶芸もご趣味のようだが、よく分からないが、手で変な仕草。禁煙席は、何故だか、電飾の中です。禁煙したくなくなるかも知れません。何故か、鯨も電飾されてます。何だか、7億円です。売っているのか、陳列しているだけか、良く分かりません。とにかく、店に入ると、ウエイターとウエイトレスが普通なのである。少し違ったのは、店長が聖徳太子の格好をしていたことぐらいである。勿論、仕事はしておらず、店内をゆっくり移動しているだけのパフォーマーである。こんなランプシェイドがあれば、成金の生活だなあ。まあ、そんな訳もあり、メニューを見ていると、本当にメニューの内容とは違い、ウエイトレスが、やっぱり素である。たじろぐ。ツチノコ業界とも、いろいろ噂がある。ハーレースンマソン・・・不覚にも、少しうけた・・・昔、コノ上に社長が住んでましたといわれてもなあ・・・。スイカ定食にするか・・・うどんパフェにするか・・・お子様セレブランチにするか・・・オムライスにしました・・・ゴメン・・・・・・チャイナ定食30,000円。あの大人しいウエイトレスが、きっとセクシーチャイナドレスに着替えるのであろう。かきごおりレポート有。ウドンパフェレポート有。アンドロメダパフェレポート有。10万円オムライスレポート有。トンカツレポート有。メニューレポート有。(閉店)
2008.02.25
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昨日のことであるが、公園に置く遊具の業者と打合せをした。勿論、私は、公園アソビからと多く離れて久しいので、公園で遊ぶこともそう多くはない。そういえば、最近、公園に遊具がない。公園を作るのは、概ね役所関係が多いのだが、昨今のニュース事情、過保護事情により、大変管理に厳しい状況になっていることが伺えた。ほら遊具が壊れて指がとれたとか、切れたとか、怪我したとか、あって、遊具商品カタログを見ると、しょぼく、情けなく、種類が少なく、死にたくなる。基準も厳しくなっており、役所の撰ぶ基準は、面白さ楽しさより、文句言われないこと、安全第一ってことが良く分かる。昔は、地元の業者がチョコチョコとつくっていたのが当たり前だったらしいが、今は、安全基準が五月蝿くなり、限られた業者が作っているそうなのである。だいたい事故が起こるのも、昔の業者が作ったもの、というか、もう古くなってるんだよね。というか、スプリング遊具に高校生が思いっきり振ってたら壊れるちゅうに。文句言うなよ、指がなくなったぐらいでって感じだよね。今は、怪我したら、すぐに、管理者責任のほうにいくが、私たちのころ、そんなのはなかった。怪我する奴がバカで、勲章でもあったと思う。今は、観覧車みたいな、向き合うブランコは公園にはない。下に挟まれた事件があってからどんどん撤去だ。無茶苦茶に漕いで、頭をぶつけた時代が懐かしい。そういえば、最近、膝や肘にかさぶたのある子供は少ないのではないか。子供の趣味は、かさぶたを剥いて、ヒィィイーとマゾっぽくなることや、かさぶたを食べて元気になるってことであったのにである。ブランコに乗れば、立ちこぎして、ジャンプ、どこまで飛べるかだ。飛びすぎると、柵に当たるかもしれないのにである。そして、その公園たち漕ぎ飛び世界新記録を出した私は、柵に激突、ドゥバーと血を出した。そうすると、友達は、真剣に心配してくれるはずがなく、ゲラゲラ笑いながら、アホーという勲章と賞賛の言葉を浴びせかける。勿論、それで、家に帰ると、母親はびっくりするが、結局はツバつきとき、みたいないなものである。ずっと何日も痛かったってことは、骨にひびがはいっていたのかも知れないが、一応、アカチン塗る。昔は、ドコでも、ジャーンプ!とかいってジャンプして遊んでいたが、友達がジャンプしたまま、動かなくなり、イタイイタイといって泣き出したので、皆、無視して帰ったら、骨が折れていて翌日に学校に来なかった。そんでもって、皆、反省するどころか、「あいつニブイな。」と彼のせいにするんであった。 公園には、売るグルぐる回る遊具が合ったが、子供の頃、何回、回りすぎて、ゲロを吐いたことか。しかし、ゲロを吐くと、翌日に、クラス中でコケにされるので、飲み込むのである。あるいは、阪神の野球帽にそっと吐き、帽子を草むらにそっと置いて帰るのである。鼻血は我々の友達である。すぐぶつけるからである。昔は、すべて、遊具は鉄か石だったからである。長いウンテイから耐え切れられなくなり、落ちて、そして、鼻血を出す。ジャングルジムも、今は、落ちても、途中で引っかかるが、昔は、一直線に下まで順調に落ちるわ、石の滑り台でツバを吐いて、上から、人が滑ってきて、ツバの上を滑っていくと、「こいつキタネー」とか言って逃げたり。吊り輪でも、次の人ができなくなるように、思いっきり振って、グルグル巻きにしていた。吊り輪にはまると、もう血豆が潰れるまでして、血染めにとり、吊り輪で次にくる人が血ですべるぐらいである。この豆が消えるまで30年ぐらいかかるのである。最近、やっと消えた。それまで、この豆の部分に安全ピンで針をさしても、皮なので痛くもなかったわけだ。とにかく、子供はやわらかいのである。それゆえ、無謀なことができたのである。ともかく、コメントにも書いたが、昔は半ズボンが当たり前で、ストーブを囲んでコの字型に座っていたら、前の半ズボン男の子の股から、キンタマが光るごとくはみ出ていたものであった。ニューヨークで周りを柵で囲まれた公園をいくつか見た。誘拐防止か。数年前、母校の小学校を前を通った時、開校100周年に作られたジャイアントスライダーは無くなっていた。今、子供たちが公園で野球やっていて、「おい、ニイチャンにも打たせてくれや」と割り込む勇気はない。
2008.02.24
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昨日に言い足りなかったことが、山ほどあるというのに、適当に100分の1にまとめてないのに、尻切れトンボとなったので、やはり3部作後世ぐらいでは書かなければ、終わらないということに、気がつきつつ、こうやって、パスコンの前に座ってみると、まとまらないわけであるなあ。といいつつ、久しぶりにウオッカを買ってきて、沖縄で買ってきたスッパイマンを入れて、お湯を半分混ぜてみて、アルコール度数20パーセント程度にて、調整しつつ、オゲーオゲーと言っている有様である。 自分探しは、もうとっくに、他人の助言を全く無視して、どこか自分で探せるとか思いながら「、5分で自分が分かる」とかいう本とか、小難しい精神分析など無視して、安易な占いで、前世を占ってもらって、やたら納得するなんて馬鹿者がいっぱいいるという現状を悲しみつつも、自分探しの一環となっている旅のバイブル本ベストセラーってのを思い起こしてみる。 誰もがそう簡単に世界へ出ることが出来なかった時代、はじめての個人旅行的な本としては、小田実の「何でもみてやろう」そして副次的には、「どくとるまんぼう」であろう。その後、藤原新也「インド放浪」そして、その後の段階の世代、「深夜特急」がある。深夜特急は、今調べると初版が1983年とあり、流行り出したのは90年代に入ってからであろうか。実は、私は深夜特急世代ではなく、実は、読んでいない。何故なら、それが流行った頃、もう私は個人的旅行でアジアを行き来していた世代で、少しは読んだが、内容が経験済みの陳腐な世界に見えてしまったからだ。(2000年以降には読んでみた)勿論、何でも見てヤロウの出版があった後、深夜特急が出版されたあと、それを追って多くの旅行本が出た。いっぱい出た。しかし、やはり、あの2人は旅行で人々が体験しないようなことを文章にしただけでなく、圧倒的筆力がやっぱりあったから、あれだけのベストセラーになったのである。 しかし、その後、蔵前氏の旅行人、下川氏あたりが、勿論、私は目を通したが、その頃にには、旅の技術的なものに、目がいっていたような気がする。そして、アジアンジャパニーズの小林氏あたりが、旅行者のバイブルになる。これは、まさに自分探しっぽい面がある。 その後か前か忘れたが、勧め電波少年の猿岩石がヨーロッパまで行くという企画が大当たり、凄いことになった。日本に帰ってきたときは数万人がどこかの球場に出迎えに集まったぐらいだ。まったく、その内容が、ここではないどこかの自分探しであったといえよう。その頃、何かのはずみで、私が旅行好きみたいなところを知られることとなると、猿岩石みたいですねえ、と言われて「違うな」と心の中で思ったことが懐かしい。 今は何だ、そうだ、ラブワゴンである。世界中の風景は楽しい、が、内容は、自分探しまっしぐらである、場か受けである、お前はお前だけだよ、私は私のママが一番だよ、なんて旅行中にありがちな風景が出てくる。長寿番組に入るのではないだろうか。こういった男女ラブラブ番組というのは、ラブアタックなんちゃらとか、紅鯨団とか、恋のコンピュター、5対5何とかフィーリングカポーとかいうのが、20~30年前の流行であった。そこにあるのは、学歴と年収、話術をベースにして選ぶようなものだったのだが、ラブワゴンはそれらは関係ない。どっちがいいか分からない。(テレビでみるのは面白くない、やっぱり年収1500万医者、彼女居ない歴生まれてからブサイクというのと、年収200万円アルバイト、彼女居ない歴3ヶ月イケメンが一人の女の子によろしくお願いします!というのが、オもろかったのだが・・・。 最近の下川氏の本によると、バンコクカオサンロードのことを題材にした本で、引きこもりでなく、外こもりという面白い言葉を考え出している。日本にいてもやりたい仕事もない、生きがいも分からない、自分探しに旅に出るといいながら、バックパッカーの溜まり場、カオさんロードで何もせず、呆然と月日を過ごしている若者が多いということを書いている。 考えれば、私も、自分探しという意味はなかったし、インドで人生観も変わらなかったが、世間体から離れてだれからも何も言われない空間が何とも心地よかった時代だったなあ。とにかく、あたしは、自分探しするつもりはわりませんからね、探し当てたら楽しみがなくなるし、自分ってのは、ひとつじゃないし、100人の人がみたら100人に私がいるんだからねえ。あれれ、2部目は、前編で終わり、本論に入るまでに、もう寝る時間になった。終わり。ガチョーン!
2008.02.23
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自分探し、私探し、オーラ、ニューエイジ、やりたいこと、自己啓発、レッツポジティブシンキング、バシャール、救い、精神世界、癒しヒーリング、サイババ、森田療法、放浪の旅、自分らしさ、洗脳、インド、神秘主義、自分は自分でいい、スピチュアル、聖地、瞑想、ヨガ、サイケ、・・・何だか、時代はそんな感じで、何甘えてんだ!と少しは思うものの、私も20年前は、そういったものに、ぴっちりはまりはしないものの、斜めに構えた興味はあった。というか、今も、斜め80度ぐらいではあるが、まだ興味があるままきている。 それは、私が、何となく、遅れてきたヒッピー文化、60年代に面白さを感じたからかも知れない。当時は、まだハルジ氏も心斎橋氏も放浪達人氏も私も、世間の流行とは違ったかもしれないが、今の10代20代の中に入れば、そう変な存在でもないような気がする。いい意味で言えば、少し早かった、よかった意味で言えば、早くてよかったといったものかも知れないが、どうなんですか。 アメリカヒッピームーブメントが去り、その後、彼らはどうなったのか。アメリカはなかなか変わらない者も多く、そのまま現在までコミューンのようなところに住み続ける人もいるが、普通の社会に帰っていった人々も、早々ヒッピー的思想が消えることもなく、彼らの中からステーブジョブズや、アロマテラピー等ヒーリング関係、オーガニック関連、エコロジー運動、瞑想、菜食主意、イルカ、チャネリング、ダイエットの一種、パソコン関連が生まれたといってもいいのではないだろうか。ヒッピーの中には、初め手書きの冊子によって読み継がれていたリチャードバックのカモメノジョナサンなど、やればできる、前向きにやろう、思いは叶うといった思想があり、こういったニューエイジ思想は、日本には前述の通り、精神世界といった言葉で輸入され、今でも、スピチュアルといった言葉に置き換えられているような気がする。 これら思想の、大本は、自己啓発の基本は、今も売れ続けているナポレオンヒルの志向は現実化する、巨富を築く13の条件、或いは、カーネギーの人を動かすであろう。何を隠そう、高校生でこれを読んだ私は、勉強もさることながら希望の大学に入学することを、想起し、大学生活を思い浮かべていたが、うーん、多分、念じ方と、それ以上の勉強が足りなかったのだろう、現実化することはなかった。まあ、それはさておき、余談ではあるが、これらの成功テツガク本を裏返しに読んで、ベストセラーになった本もある。マーフィの法則だよね。同じことを言っているんだよね。こうこうドジっちゃうと思ったらどじっちゃうって奴。 これらの更に元ネタは19世紀に生まれたニューソートという運動かと考えられている。考え方。 今は、自分にふさわしい仕事、自分の夢を追いかけようと、実際のところ、親や大人たちがけしかけているという面もある。やっと入った会社に3年以内に辞めてしまうとか、ここではないどこかにある本当の自分を探すといったことは、そういうふうに仕向けられているからの面もあり、甘えているとか、根性がないという面だけで切り捨てることは出来ない。教育というものは、何を隠そう、国家が方針を決めるわけで、日本は、今まで高度成長期には、平均的な労働力が欲しかったわけであり、とびきり出来る人間も落ちこぼれも必要なかったのである。だから、そういう横並び画一教育をしてもらえるように要望、仕組んだわけで、ここにきて時代が低成長、或いは凋落時代になり、エリートが必要になってきたと思われる。だから教育方針も変わってきているのだと思われる。ほら、露骨にはいえないから、個性重視教育っていってるじゃん。今企業が求めているのは、一部のエリートと、その他大勢のマニュアルによって熟練を必要としない低賃金で働いてくれるフリーターやアルバイターなんだ。それは、皮肉にもコンピューターが発達して、例えば、コンビニやモノ売り店でバーコードひとつで何が不足しているか何が過剰に置かれているか分かるPOSシステムが導入され、熟練も何もなくなってしまった。そういったときに、どんなことが起こるかといえば、給料が上がらないのは当然だが、毎日同じ繰り返し、やる気も失われてしかるべきではないか? 若者が夢を追う事は、まあ、いいことだ・・・が、皮肉にも、誰かが夢を叶えたとして、それに憧れ、その人に続け続けと、夢を追い始める。夢を達成できるのは、現実的に一握りの人間であり、他のその他大勢は夢を叶えられず、挫折するぐらいならいいが、年齢もいき、年齢に応じた熟練もなにもない。ここにも、一部格差社会の原因が潜んでいるのではないだろうか。どうなんだ。
2008.02.22
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ハルジ氏の幸福度国家の紹介を読んでいると、なかなかギスギスしたニッポンになかなか幸福度が低いことが良く分かる。 日本とはいえ、沖縄では、失業率も離婚率も、ぶっちぎりで高いのであるが、結構、助け合いの精神があるため、本人もそう本土より深刻になるという風でもなく、ノホホンとしている人々が多いのも事実である。 フィリピンも日本より絶望的に経済的に貧乏ではあるが、大家族制の中で、皆、貧乏を謳歌こそしないでも、ケセラセラ的空気が流れている。 私的日記にワタクシごときが、私的なことを書くのも憚られるが、超エリートとはいえ、いつ、リストラにあったり、窓際に追いやられたり、地下資料室に追い込まれるか不安の毎日なのである。ただ、私のことを超エリートと思っている当社社員は誰も思っていないこと、窓際には私より偉い人や役職の高い人が座っていること、地下がないということが、せめてもの救いである。 不安といいながら、JRでは、6ヶ月の定期券を持っているので、少なくとも、4~5ヶ月先まで働かないと、元が取れないということであり、その辺りも少々不安ではあるが、モシ、首になると分かっていたら定期券を買わないので、私は、どうみても、チャレンジャーである、或いは、投資家でもある。しかし、そんなことをいっているようでは、まるで、ダイエット中に、ダイエットのことをすっかり忘れて、牛飲馬食しながらも、このままでは太るのではないかと、心配している中途半端な状態でもある。 当然ながら、もし、6ヶ月以内にクビになれば、当然ながら、差額分の定期代は返還しなければならない羽目になり、退職金から定期代を引くと、マイナスになる恐れもでてくるのではないかと心配になるのである。 そんなこといいながらも、厚生年金は、十分に搾取されてはいるが、今でこそ年金を需給できるのは、65歳からなので、私が、もし、生きていたとすると、多分、70歳から75歳ぐらいからしか年金を受け取るだけの原資がなくなているはずである。そんな波錠することが、分かっていながらも、強制的に年金は取られているので、自殺行為である。多分、国家は、55歳や60歳や65歳で定年退職し、その後の収入が途絶えて、もう生きていくことができないや、と思う人が続出し、年金受給できるまでの5年10年の間に、自殺でもしてくれたら、ラッキーとでもいうものなのであろう。その辺を狙っていると思われるんである。企業も、人口が減少しているので、ワールドワイドで商売していない体力のない企業は、退職金も払えず、企業年金なんて洒落たものもないので、今、現在の収入で毎月、生息しているだけの人間にとっては、離職、即、金なしという状況に陥る訳である。家を追い出されては、老体に鞭打って仕事を探そうにも、既に住所不定という状況において、不定のものに、仕事はそうあるものでもなく、エライこったになるのである。 そのときになって、昔、無駄な旅行したなあとか、無駄な蝋人形買ったなあなんて散在して後悔する人々は続出するかも知れないが、当時は、不景気な中、経済活動に貢献したのだからお返しがあると思えば、ただあるのは、大抵、しっぺ返しぐらいなものである。 そんな緊急事態にならないようにと、いろんなものに投資なんかしまくると、博才と緻密さと機動力と念力と知力と勉強不足と祟りがゆえに、更に急速に自己資金を失うような私のような馬鹿者、或いは、愚か者、洒落者、切れ者ではある。伊達に伊達眼鏡をかけてはいないのである。一応、不動産投資では現在驀進中といいながらも、先日、ガス給湯器が壊れたので交換してあげたため、また振り出しに戻るといった按配である。 まあ、そんなことで、幸福度を検証してきた訳であるが、思索はさらに死ぬまで続くと思われるのである。ったく、何歳になっても、自分探しが止まらない奴らよ・・・。こんなことでは、ダイエットするか、目の前の酒池肉林に興じるか混じるよ。未来は、本当にダイエットできるか不確定要素があるし、ダイエットする前に死んでしまうかもしれないから。
2008.02.21
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最近、中国食品のように、中毒事件を起こせば別だが、その他ミーとホープなど一部以外は、食中毒事件は起きていない。だいたい賞味期限は、食品会社が決める。まあ、食品管理する役所も、大丈夫だろうのグレーゾーンのまま、今まで来たが、嘘ついてはいけないってことになった。私が医者なら、余命どれだけか判断を下さなければならないとき、どういうだろう。多分、1年大丈夫だろうと思っても、3ヶ月っていうのではないか。だって、早く死ねば、ダメな先生と呼ばれ、半年生きれば、その先生の尽力によりってなるだろう。嘘つくわけだ。手術の成功率も、勿論、低めに言ってしまうに違いないわ。最近、日本では、最近、急にメタボリックがなんだと流行っているが、こういった健康関連の新しいものが急に流行るのは信じられない。医療は何十年もかかってやっと検証されるものだ。メタボは内臓脂肪肥大による心筋梗塞や脳梗塞を予防しようってことじゃなあい~。日本で多いのは癌だよ、ガン!以前、癌と戦うな、って本あるじゃなあい~?がん検診するようになって癌が減ったかって、何も変わってないわけで、結局、早期発見で治る箇所は少ない訳だよね。そういや、納豆がいいっていろいろ偽装して、食品売り場から納豆がなくなって、その検証が嘘だったことがばれて、えらい目にあったけど、あの問題点は、化学的に検証しようとしたからななだねえ。納豆なんて、何百年の歴史で、なにやら体にはいいみたいよ、って漠然なグレーゾーンできていて、らしいよ、で番組を終わらせていたら問題にならなかったのに、何故か、正直にデータで検証しようとしたら、あまり何がどこがいいか良く分からないので、捏造しちまったって訳でしょ?データはとっても難しいものだ。グレーソーン、そういえば、安部内閣に福田内閣、福田が長持ちしそうなのは、残念ながら、福田が何をいってるか分からないから追求されにくいにね。安部は、多分、正直者なんだろうか、アンシャンレジーウムならぬセンゴレジウムとか美しい日本とか、結構、浅いものにしたって、一応、ぶち上げた。それが裏目にでたんちゃうの?ほら、竹下も金丸も非常に分かりにくかった。比較的分かりやすかったのは、中曽根とか、石原とかで、それだけの、バックグランドというか政治力というか器量があったのか?阿部は最後まで中曽根に相談していたよね。年金の最大の嘘は、何だか、積立金みたいな宣伝をしていることじゃない?今払っているのを今の年寄りに払うのが年金であり、自分の積み立てたものを自分に戻ってくるんじゃないよね。何故、そうしないのか?そうしたら、払うのに。すごく単純化して、考えると、3人で一人の老人を養っている現在、しばらくしたら、2人に一人になるわけで、そうなると、5万円払えば、相手に10万円入るわけ。で、老人がどんどん増えて勤労者がどんどん減れば、もうどうなるか、幼稚園児でも分かると思いますが。ほら、年金の生まれが、戦争費を集めるための騙しのテクニックで始まったわけだからさ、ほら、若い奴、戦争で死ぬじゃん、ほら、払う人減っていいじゃん、ほら。嘘か、本当か、白か黒か。グレーゾーンがいいとは言わないが、疑ってかかれといいつつなかなか、難しいものだねえ。しかし、松本サリン疑惑事件とか、本当に、警察発表だれ流しの報道は恐ろしいですな。結婚した女性は、一貫して、30年前から平均2.2人の子供を産んで居る訳ね。要は、未婚と離婚が増えたって訳ね。ミー、人にこと言えないね。てな訳で、少子化対策結構間違ってないかい?少子化対策は結婚させること、離婚させないこと他ならない。ミー、すみません。少年犯罪は、一貫して減ってきている。割合が増えているのは、集団での犯罪であり、少年が溜まっていると何だか怖いのである。サカキバラ事件の時は、戦後4番目に少年犯罪の少ない年だった。ちなみに、いじめ報道や、ナイフ振り回し報道や、報道が増えれば増える程、そのような追従犯罪が増え、報道が終わると、犯罪も減るといった、何だか、テレビに先導されている現象が起こるのだなあ。何だか、岡田ユッコ後追い自殺を思い出すよ。世界の平均気温が上がっているのは事実だが、それがCO2なのかどうかは、推測はされど、証明されている訳ではない。すごく政治的なものを感じる。確かに、格差社会になっているが、おやおや、周りに金持ちが昔より見当たらなくなったような気がする。増えているのは、1億円以上の所得のある人々で、やっかみや、邪魔されないように隠れるようになったというのは、あるだろうが、税率が緩くなったためか、結構脱税にも五月蝿くなったという事情もあるようだ。どうせ、税金とられるなら経費でバンバン高級店で飲み、高級車を経費で買うといったことが減ったので、何だか見えなくなってきたぞって感じかえ?グレーゾーン、売春は禁止なのに、ソープランドがあり、適度に税金を払っている。賭博は禁止なのに、パチンコ屋でギャンブルが出来、換金でき、いくばくか、税金を払っている。10キロぐらいスピード違反をしても、まずつかまることは無く、それを厳しく捕まえれば警察への反発は強くなる。18歳ぐらいなら、酒、タバコを警察に見つかっても、注意で終わる。建築基準法は、実情を知らず、地震が多いというところで厳しくしすぎたので、実際、多少、手を抜いても、程度のこそ差あれ、ちょっとなら耐震に問題ない。それでないと、儲けが出ないほど厳しい場合がある。それが、分かっているから役所も今までは目こぼししてきた部分がある。勿論、図面の段階から、いきなりそれをやるというのは、今までなかったことなのだろう。そういえば、アネハも、「あとで訂正しようと、とりあえず提出すると、アレアレアレと審査が通ってしまいました」と犯罪の第一歩を述べておる。そのとき、きっと、「まあ、いいっか」と思ったのであろう。ま、いっか。かつて、役人といっても、官僚が産業を保護育成してきたのか?はなはだ疑問である。昔はそうだった!とドラマになったりするけど、産業界は、結構、官僚に邪魔ばっかりされてきたんだよねえ。経済が発展したのは、ウンが良かったからです。よく考えれば、わしらの子供の頃の方が、差別は酷かったし、ガキ大将が居てサバサバもしていたけど、陰湿ないじめもあったよな。教育レベルも低かったし。いじめによる自殺が増えたって、そんなデータあったのか?いじめという言葉もなかったぞ。だから当然、最近まで、いじめによる自殺は0だった。リストラで自殺か、鬱になってリストラか、鬱がひどくなったときにリストラになったのか、そういうのは分からない。但し、ともかく自殺者は増えている。年間3万人は交通事故より多い訳ですね。風任さんも私も、このブログを立ち上げてまずその日するときは、つまらんリンクを消去することだが、こんなのいまさら引っかかる奴いるの?と思い、メールをあけると、多い割合でエッチ系メールを消去するわけだが、なんだよこれ、と思いながら、コストを考えると、ただなんだよねほとんど。10万人に1人でも2人でもひっかかったらもうけものだよね。嘘も方便ってなくなってきたのかなー。アメリカ的だねえ。あの人は口が堅いと褒められるぐらいだから、ペラペラペーラの社会なのだろう。性善説、結構、怖いね。チーン。 2008年仙台旅行 伊達政宗記念館1 伊達政宗記念館2 伊達政宗記念館3 松島
2008.02.20
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SSKで(早々に仕事を切り上げ)、5年に一度のイベントに行ったのである。ソレは、BUSであった。(別に嬉しいことではなく、仕方のないことであった。) 神戸市の横、明石市であり、UK(運転免許の更新)である。前の更新の時は、台北でパスケース一式全部落としたので、仕方なく、紛失再申請なのであった。 5年前、再申請で、ぼさっと待っていると、女性から声を掛けられたのであった。小学校、中学校の同級生であった。「トイモイ君、何でこんなところにいるの?トイモイ君の誕生日は2月8日でしょ?今は12月だよ」「おお、久しぶりやの。でも、何故、俺の誕生日まで覚えてるのよ」何故覚えていたのかは、SF(最後まで不明)ではあったが、考えられることは、当時、私に惚れていたか、今も私に惚れているか、当時も今も私に惚れているかの3つぐらいしか理由が思いつかないのであった。もしかして、彼女も誕生日が一緒なのかも知れないとも思ったのだが、それは12月だったので、論理的に考えられないことであった。もしかして、彼女も、免許証を紛失したという可能性も3パーセントぐらいは、考えられるのではあったが、それは、さておき、じゃあ、またといって別れたが、その後5年間、じゃあまた再会というのはないのである。KKIなのだろう。(きっと、彼女は日々主婦業及びパートに忙しい)のであろう。 ところで、明石は、NTである(馴染みのある都市でもある)。何故か。中学校高校と、私は、陸上競技部で、試合といえば、明石城内にある競技場か、神戸の王子動物園横にある王子競技場と相場が決まっていたのである。 試合の帰りには明石駅前で、今は、沖縄以外にはないA&Wがあり、そこでRB(ルートビア)を初めて飲んだ。思わず、MSSであった(不味いと青春の叫びであった)。その後、RB(ルートビア)を飲むのは、20年後以上たった沖縄でであり、何故か、RB(ルートビア)は、A&Wでお代わりし放題の、地位低めの位置に立脚するのであった。 それから、今は、殆ど見ない、BJ(ブーンジュニア)があった。ブーンと共に、シンエーフーズの経営していたファミリーレストランである。10年ぐらい前に、数店舗しか残っていないと聞いたので、MINかも知れない(もう今はないかもしれない)。すかいらーくに押されてしまったのであろうか。当時はFR(ファミリーレストラン)という言い方はなかったような気がする。 レストランが縮小され、レストランがやがてなくなり、そこで、バイトをしていた、元嫁の従兄弟の元有名国立大学生の彼は、抜擢され、大学を辞め、何故かブーンで店長をしていたが、店がなくなったので、辞めるか、AMS(アムステルダム)で働くかどうするといわれて、AMS(アムステルダム)のダム広場の前にある高級ホテルの日本食屋で働くことになり、私は、FF(フラフラ)しながら、思わず、行ってしまったこともあるのであった。 KKK(彼には、クロアチア人の彼女)がいて、そんな話をしながら、SG(ストリップ小屋)に何となく行ってみたのであるが、受付で、また来たのかいと笑われていたのも、TTO(遠い遠い思い出)ではある。でも、まだ、私は、何故だか、FF(フラフラ)していたんだよね。 明石といえども、神戸の隣なのではあるが、GIM(ガクッと田舎度を増す)のである。昔、明石、淡路島を担当していたビール会社の後輩に、一度、会社の帰りに取引先のバーに行くので、来ませんかといわれ、行くと、カウンターレディの方は、背広を着ている私を見て「出張ですか?」と尋ねてきた。ここでは、S=Y(背広=ヨソ者)ということが判明した。明石に住む神戸大阪通勤の会社員も、地元では会社帰りに飲まないということも判明し、周りを見渡すと、JN(ジャージ姿で飲み)に来ている人々ご一行様が見受けられるのであった。 SK(そんな感じ)で、帰りに少し、明石で玉子焼きを食べたが、昔、こんなに有名じゃなかったし、観光客なんかいなかったよなあ・・・と思いながら、CT(ちょっと高いんとちゃうけ)?と思いながら、行列の出来ていない店で食べたのであった。で、KYって誰だ?懐かしいね
2008.02.19
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伊達です。政宗です。二人合わせて伊達政宗です!ピュンピュン系だったので、7人の側室に14人の子供を作りました!でも、結構真面目系なので、ほらだいたい平等に子供を産ませています。平等に妻たちを愛さなければならないイスラム教徒みたいでしょ?勿論、当時の流行にも漏れず、衆道にも励みました。今風で言えば、ホモ行為です。 家は次男に継がせました。長男は母方が徳川と関係があったからでーす。その辺は、策士でもありました。秀吉に一揆の裏の首謀者の嫌疑をかけられるが、また許しを請い、何十万石か没収されました。 朝鮮侵略にも行きました。多分、パスポートはなかったと思います。(行ってなかった説も有) 朝鮮に行ったときの、伊達軍の戦闘服が、ド派手丸出しで、その後、「伊達者」という言葉が生まれたという噂でござる。関が原の戦いはですね、百万石をあげるよ、と家康にちらつかされて、東軍にイエイイエイ参加しました。損得関係を当然重視します。しかし、また謀反一揆をそそのかしたと、家康にばれて、100万石は反古にされたわい。外様大名として、警戒されたが、家康も晩年、米を大量に貰ったことにより、ちょっぴり気を許したみたい。仙台の城下町は、城下町ごとの開発となったので、のべ百万人を導入する大手開発業者の如くでしたわ。家臣をメキシコ、スペイン、ローマに商売のために、送りますが、大した成果はあがりまへんでしたわ。でも、ローマ法王に謁見しとりますねん。運河も開発、米がぎょうさん採れるようになりましたてん。結局、3代目家光まで仕えたところで、70歳、癌で死去。家光はやたら信頼してたみたいっす。政宗が死んだら、直ぐに、現地に赴き、父親秀忠よりも、悲しんだって話。家光が鷹狩に没頭しすぎて、お泊りやりすぎたのを咎めるために、政宗は「わしゃ、お泊り時に家康を殺そうとしたこともあるんじゃよ」と諭したらしい。あと、20年生きておれば、天下取れたのになあ・・・といって死んだとか、渡辺謙が若いとか・・・。スターウォーズのダースベーダーの仮面は政宗の兜をモチーフにしたらしいわ。ついでにいえば、ハンニバルライジングのレクターの叔母、ムラサキは伊達政宗の子孫という設定。250体の蝋人形いかがでしたか、それでは、みなさま、サヨナラサヨナラ、サヨナラー。2008年仙台旅行 伊達政宗記念館1 伊達政宗記念館2 伊達政宗記念館3 松島
2008.02.18
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伊達です。政宗です。二人合わせて伊達政宗です!子供の時の天然痘で、片目が見えなくなりました!そのため、母上に、醜いと、愛情を受けることができませんでした!しかし、才能があったので、固辞したにも関わらず、当主とされてしまいますのココロです、出世はびゅんびゅん系でお願いします。畠山軍を皆殺しにしました。一人残さずケチョンケチョンにやり尽くしました。そのとき、畠山に拉致されていた父親も間違ってか、何か知らないけど、殺してしまいました。その後、郡山ガルジの戦いにおいて、福島県ぐらいまで占領しつくすのブイブイ系であった。関白豊臣秀吉は私闘をしましたが、その辺りは、フン無視しました。なんやかんやのイケイケ系で、150万石の領主様になりました。政宗は本拠地を福島に移そうとしていましたが、移っていたら、今の仙台の観光地はなかったかもしれませんね。とにかく、隙あらば天下統一をもくろんでたわ。慎重60センチ、その頃の平均。B型。(当時の平均は140センチ)私には、今まで、伊達君という名前の知人も知り合いもいません。似たところでは、伊田君ぐらいです。私事ですが、私は目が悪く、伊達眼鏡ではなく、ホンマモンの眼鏡を使用していますが、暖かいところに急に入ると世の中が煙の世界になります。何かわからんけど、秀吉のことを黙殺していたので、怒りに触れましたが、何か知らんけど、白装束で許しを請うかなんかそんな感じで許されましたとさ。死んだとき、ロザリオがあったので、もっかしてカクレキシシタン?早朝に目が覚めても、側近が起こしにくるまで寝たフリしてたみたい。料理研究家でもあった。ずんだもち=政宗開発説まであるぐらいだ。納豆は、政宗の料理研究を引き継いで開発されたとされる。酒には弱かった。飲み過ぎて、徳川2代目将軍との約束をすっぽかしたらしいぜよ。2008年仙台旅行 伊達政宗記念館1 伊達政宗記念館2 伊達政宗記念館3 松島
2008.02.17
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何せ、小学生3年の時の係りが落し物係というなかなかショボくも、重要な大役を果たし、ほとんどが、芯の残ってない鉛筆か、ちびた消しゴムといったモノを保管しつつ、一向に落とし主が集合しないという忙しい仕事だったため、今日に至っている。何が、今日に至っているかというと、今日は、というか、今日も寒かったので、マフラーを出して来て、首に、スルスルと巻いた訳であるが、商用で外出して帰って来て、次に、家路につこうとしたときに、気がついたのである。マフラーがなくなっていることに。原因として考えられるに、1、誰かが、私のポール&ジョーでなく、ポールスミスのマフラーに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。2、誰かが、私のポール&ジョーでなく、ポールスミスのマフラーに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。3、誰かが、私のポール&ジョーでなく、ポールスミスのマフラーに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。という3つあたりのどれかではないかと考えられるのであった。私と、私の首筋は悔しい思いをしながら、明日以降、あと5つほどあるマフラーが4つになったという現実に気がつくことであろう。何を隠そう、ほんじつそういった訳でマフラーを失ったが、2年前の正月に、ベルギーに行ったのだが、というか、オランダのついでに寄ったというべきなのかは今や不明ではあるが、そこで、中世の夜の街を一生懸命散歩し、散歩に集中するあまり、ホテルに戻ってくると、またもや、マフラーがなくなっていたのである。原因として考えられるに、4、誰かが、私のアルマジロでなく、アルマーニのマフラーに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。5、誰かが、私のアルマジロでなく、アルマーニに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。6、誰かが、私のアルマジロでなく、アルマーニに目をつけ、歩行中にするする抜いていった。という3つあたりのどれかではないかと考えられるのであった。私と、私の首筋は悔しい思いをしながら、急いで、A&Wに行き、マフラーを購入したのである。 だいたいマフラーというのは、500円から2万円ぐらいと、だいたいどれを買っても同じような値段なので、思わず、ド派手なので、私の中味や内面がないところを、外見でカバーしたのであった。そんな訳で、2年連続マフラーを落としたのであるが、そんなに、私が何でも落としたりなくしたりしていると思えば、大間違いなのである。何せ、なくしてるものが多すぎて、なくしたと気がついたのは、財布と定期券やカードの入ったパスケースぐらいであった。実は、何を隠そう、10年ぐらい前までは、パスケースなんかにまとめてカードやカードを入れていると、まとめて無くしてしまう恐れがあったので、1枚1枚ポケットに入れて、落とす時は、何か1枚だけなくすといった被害が最低限に抑えられるし、こけた時は、ババーッとカード類が散らばってすぐ気がつくといったメリットもあったのだが、パスケースなら、バンっと音をして落とすことにも気がついたので、パスケースを持つことになった次第である。といいつつ、パスケースごと、落とした台北の秋であった。ところで、今朝、パスケースをかざしたのに、JRの改札を通るのを失敗し、後続に続いていた女性が「ああん」といった。何故か、年甲斐もなく、ゾクゾクとしてしまった昼下がりであった・・・あ、朝だった。オマケ;男子をドキッとさせる仕草、知ってる?!(アールアバウトジャパンより)■ 第10位 髪を結ぶ■ 第9位 眼をとじる■第8位 別れ際に手を振る■第7位 服についたゴミなどをとってくれる■第6位 歩いているとき、(相手の)服のすそをつかむ■第5位 ネクタイを直してくれる■第4位 (結んでいた)髪をおろす■第3位 上目遣いでこちらをみる■第2位 髪をかきあげる■第1位 脚を組みかえる
2008.02.16
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(題名パクリ)DVD3つとも見たのが自慢です。僕は、昔、パキスタン航空で、食事のお代わりを申し出たのですが、断られました。僕は、昔、よくあることですが、トルコ航空で、バンコクで降りたのですが、荷物がイスタンブールに行きました。僕は、昔、ビーマン、バングラデッシュ航空の中で蚊を見ました。その蚊は、フラフラしており、まるで、まるっきりマラリア(ハマダラ蚊)を持っているかのようでした。ちなみに、僕の、知り合いには、マラリア持ちの方がいます。そうなんです。温暖化では、氷が解けて水位が上がって都市や、国家がなくなるのですが、医学会の中での問題は、亜熱帯地域が広がり、マラリア感染地域が広がることなんです。そうなんです。飛行機の発達により、ご存知の通り、伝染病は、既に、世界中に蔓延する速度を早めているのも事実ですが、それに温暖化が加担するのです。そうなんです。天然痘もWHOがかつて撲滅宣言を出しましたが、まだ残っていましたし、マラリアは今でも年間2億人が感染し、100万人以上が犠牲になっているのです。一時は、少し、感染が収まっていたというのにです。皮肉にも、エコロジストの啓発によりDDTが禁止されてしまったことや、耐性を持つ蚊が増えたこともあるのですが、直接的植民地主義が概ね終わったことが、マラリア復活の原因ではないかというのです。植民地主義が蔓延していたころは、マジにsマラリア撲滅に力を入れていたのであって、マラリア治療薬の開発に躍起になったわけですね。特に、キニーネですよね、ほら、あの日本では入ってないけど、ジョントニックのトニックオぉーターにはいってるやうだよね。かといて、ジントニック飲みまくってもただのイイワケだよ。直接的な植民地主義が終焉したら、みーんな、白人は、母国に引き上げだし、なんだか、現地の人間の健康状態にキョーミがびゅんびゅんに失われていった訳。そら、昔は、自分たちの利益を確保するために、植民地のゴム園や運河工事をする前に、下水工事や排水設備完備していったり、沼地や湿地帯を埋め立てて開発していったものだわ。日本も同じように、そういった理由で、台湾のマラリアをほぼ絶滅に追い込むことに成功したりなんかもしているんだわな。これは、皮肉だわな、といいながら、植民地で、更に鉄道を敷いたり、運がを作ったりしたので、感染源人間をバンバン移動させたので、これまたマラリアを広めてもしてしまった訳でもあるんだなあ。有名な話は、ほら、インドのベンガル地方の風土病だったっていうじゃん、コレラって。ところで、イギリスとフランスとスペインの植民地インフラ政策は違っており、イギリスは、鉄道や運河を作り、モノを本国に運ぶことを第一とし、フランスは、まずは都市基盤を作り、つまり環状のミニパリみたいにしていくというやり方だす。そんな訳で、インドやビルマは、伝染病を運び蔓延させ、インドシナでは比較的風土病が蔓延しなかったわけですね。あ、スペイン?ああ、こちらは、人間に直接交わるのが好きな人々ですね。南アメリカを見よ!ああ、そういえば、友達の父さん、商社マン(商事か物産)でザンビアにずっと住んでいたけど、1年に何度か、薬抜くために、ヨーロッパに休暇取らされていたなあ。
2008.02.15
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今日は、一番の寒さであった。そのことは、他のブログなどで多数紹介されるであろうから、ここでは、敢えて省略する。 但し、昨晩、紙袋に入ったレシート類が、風に飛ばされていってしまったことを記しておく。昨晩は体感温度がごっつう冷たかったと言わざるを得ない。 標題にある予行演習とは、何か、それは、札幌雪祭りの予行演習であり、自宅で仕事を残しながら、空いた時間の隙間を有効利用し、90分程、裏山に行ってきたのであった。雪の練習だ。ロールプレーイングだ。 熱い!そういったのは、前日の飛行機の中でであった。注文したコーヒーを客室乗務員の方がおこぼしになったのであった。勿論、温和で従順で人に滅法優しいところぐらいしか取り得の無い私は、人間のすることであるから、大丈夫、問題ないよと、コーヒーぶっ掛けられ後、約0.1秒で彼女を許す決断の早さであった。 セーターには、コーヒーがついたのであるが、用意周到な私は、こういうこともいつかあるだろうと予測し、機内ではいつも安物のセーターを着るようにしているのである。実はそれだけでなく、電車の中ででも、鼻水をつけられる畏れもあるので、安物のコートを着ているばかりか、道を歩いている時も、唾や痰をひっかけられる恐れがあるので、用意周到にも安物の靴を履いているのである。実はそれだけでなく、ここが勝負!といった女性に初めて会う勝負服のときも、彼女が酔ってゲロを吐いてかけられては恐れを考慮し、安物の服を着るし、結婚式も、新郎が胴上げで降ってくる可能性を鑑みて、安物の礼服を着るのである。更に、家が地震で倒壊すると使い物にならなくなるという心配から、安物の服や商品を保管するようにして、高級なものは阪急百貨店や大丸や、兵庫県立美術館に貯蔵している。ただ、現在まで、着る機会や使う機会がなかなかないので、まだ持ち出しては居ない。 そういった理由から、セーターのことは、もう諦めたのだが、彼女があまりに謝るので、この後、こっぴどく先輩に叱られるのではないかと危惧しながら、再度持ってきてもらったコーヒーもすっかり飲んでしまい、いろんな特殊事情からコーヒーにお代わりまでもらうことになったのではあるが、何故かクリーニング代お支払いしますという文言は出てこなかった。やはり、私のセーターが高級すぎるように見えて、後ずさったとしか考えようのない瞬間であった。それに、何故か、彼女は気が動転していたのだろう、少々お待ちください、すみませんを16回ぐらい繰り返した後、何故か後続の人々に一通りドリンクサービスをしてから、すっかり、セーターにコーヒーがじっくり沁み込んだ頃、染み抜き用ウエットテッシュを急いで持ってきてくれたのであった。親切にやるべき順番が違うことをご教授してあげようかとも思ったが、彼女のプライドを傷つける訳にもいかないと思い直し、袋を読んでみると、眼鏡も拭けますと書かれてあったので、使ったフリをしながら、明日、眼鏡拭きに使おうと心に決め、そっと、ポケットに仕舞うのであった。オマケに文庫本も濡れたのが、そのブヨブヨ度もまあまあ、さまになってはいたが、読めるので、何の問題もなかったといえよう。 ところで、私にも反省すべき点があった。これは、日本人男性に多いことだが、私も本だか惰眠に熱中していたこともあるのだが、「コーヒーね」と単語を言っただけだった。そして、コーヒーをもらうときも、コーヒーの行方を注視していなかったという事情もあったのであった。欧米人はコミュニュケーションが好きというか、義務と感じているのか、何、給士時に話しているんだよ、と思っていたら、「うーん、昨日は魚を食べたから今日は肉貰おうかなあ」とか「ダイエット中だからさ、カロリーの少ないものにしようかな」とか言っているのである。たまに「何を食べたら君のように、細くなれるんだい」なんてつまらない質問をしている人もいれば、国内線乗り継ぎで、飲み物にお金を払おうとして「えー、飲み物タダなの?ラッキーだなあ」なんて言っている田舎者もいる。情けないのは、日本人男性であり、時々「外人とイッパイ話しして、日本人とは話しない」というクレームが入るという。そりゃ、ぶっきらぼうに話したらそらそうだろう。それにしても、逞しきは中国人である。飲み物を水筒に入れてくれと頼むわ、飲みものを同時に3つ頼むわである。それに、おおらかであり、客室乗務員が水をこぼしてかかっても、謝られる前に、手で、パッパっと水を払いのけ、空になったコップを突き出し、「おかわり!」と言っておったのであった。 ところで、話をそろそろ、元に戻さなければならない時間になってきた。ここ1週間、寝るときも寒くて震えていたのであるが、昨晩、毛布を1枚追加すると、大変熱くなった。それなら、先週からやっておけばよかったと覆水盆に返らぬ状態であったが、毛布を出してくるのが面倒だったのだ。それにしても、アッタカホカホカのせいで、温泉に行く夢までみたぐらいだ。温泉施設に入りマッサージを受けるのだが、何故か私の頭がバーコードになっていて、マッサー所の女性に横の髪の毛を上に上げられて均一にされるなかなか屈辱を味わう夢であった。面倒なだけで、1週間も寒い夜を過ごしたことを少し後悔しながら、同時に、扇風機をそこに収納すればよかったと反省もしている。しれにしても、本当に寒い時は眠れないものだ、眠ると死ぬかも知れないと、1睡もできなかった秋山の四国剣岳のテントの中のことを思い出した先ほどであった。大地の冷たさが、体の奥底まで響いてくるのであった。あれ!札幌雪祭り行くぞ!いつ行くぞ!来週行くぞ、と意気込んで今ネット検索したら、とっくに札幌ゆきまつり終わってるじゃん!ショック!何しに予行演習いったんじゃあ!
2008.02.14
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最近、職場の場所が変わり、満員電車を降りても、オフィス街には満員人間で溢れている。そこには、多くの働く女性がいる。満員電車も、女性専用車両というのが出来て久しく、大変喜ばしいことではあるが、それでも、好かれても無いのに(もすかして激烈愛されてるのかも知れないが)満員電車で、女性に密着することもある。勿論、満員電車で人が何故耐えられるかというと、自分を押したり、ひっついたりしてきているモノは人間でなく、意志も感情もない物体と思うようにしているからだ。 さておき、働く女性が多いのは、女性が高学歴になったことであるが、これは喜ばしいことであるが、真面目で記憶力もよい女性の方が、大学や司法試験でも上位を占めるようになってきたことも、やはり喜ばしいことであるが、国家力とは、すなわち、教育であるということでもあるが、何だか、長期的に見ると国力を減退させてきているのも事実であることは、指摘されている通りである。 22歳ごろまで、大学生活を送り、まあ、人によっては、多くのボーイフレンドもできることであろう。まあ、人によっては、イエイイエイの関係を築くこともあるだろう。そして卒業後、仕事をして、結婚か仕事かと考えたり考えなかったうちに、30歳ぐらいになってくる訳である。2005年の統計を見ると、25から29歳までの女性未婚率は6割、(男性7割)で、34歳まででも3割(男性5割)である。 シュミレーションを考えてみると、33歳ぐらいの女性同級生3人が同窓会をすれば、一人は独身、一人は夫婦のみ、最後の一人は、結婚して子供が一人か二人という感じなのかもしれない。勿論、5人が集まっても、2人くらいは独身で、2人ぐらいは、子供が無くて、3人ぐらいは子供が1人か2人である・・。あれ、計算合わないてか。 出鱈目な計算ではあるが、この3人にパートナーの男性2人の5人に対して、子供が合計1,2人である。極端かもしれないが、同窓会をしてみると、多分、確実に独身+夫婦の合計より、子供の総合計の方が少ないであろう。2人の間に、2.1人の子供が生まれないと、減るのである。勿論、腹が減るのではない。特に、高学歴になればなるほど、そうなのであろうと勝手に辺りがそういう事態になる。何故ならこの敗戦国は住宅難が酷く、戦争から飢えた男たちがイエイイエイするベビーブーマーのブームがたった10年ぐらいしか続いていないのである。その団塊の世代が老後を迎えようとしている。そこで彼らが持っている土地や株を引き継ぐ変え支える若者労働力がないのである。アメリカは移民を受け入れていたことに加え、イエ事情も比較的よく、第二次世界大戦だけでなく、引き続き朝鮮戦争などがあったから、飢えた男が量産され、イエイエ軍団によるベビーブームが更に日本より10年は長く続いたので、日本よりは10年は少なくとも後にやってくる問題である。 移民、手っ取り早い方法である、労働力を補充するのは。しかし、移民も当然、上昇志向がある人も多いのが当たり前で、子供に高学歴させようと、いずれするのだから、長続きしないのでもある。 結論 世界を救うのは、実は、ヤンキーである。何も先のことをいろいろ考えずに、イエイイエイとノリでやってしまい、子供を作ることである。頑張れ、ヤンキー、私の代わりに突き進め!いや、突き進んで下さい!教育だ!といいながら、ほどほどにしないと、教育熱心が何故だか、皮肉にも逆説的にも国力減退させているのだ。ああ、短絡的結論よ。 それから、少子高齢化というが、少子化と高齢化は別問題だから、一緒にいうのは変だよね、晩婚少子化なら分かるけどね。最後に、少子化と高齢化に強力に協力して、すみません。
2008.02.13
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中野区には、ひとまず、サヨナラである。中野区には、学生時代に海外で知り合った友達や、家賃が安いからか、働いてからのご学友が住んでおり、幾度と無く、泊めてもらったこともあるが、その中でも、思い出深い人がいる。何度か書いたことがあるが、故Y君である。早稲田大学卒業後も働いてからも、中落合のボロアパートに住み続けた彼は、その後、出版社を退職し、世界旅行に再び出て、アフリカで帰らぬ人となったのであった。 その後、小平市に到着。小平市にもネパールで知り合ったNHKに就職が決まっていた人がいて、そのときに初めて小平市の存在を知ったものだ。「私と小平」ただそれだけである。しかし、小平市での目標は、ズバリ、アヘンをやるためである、エッヘン。薬用植物園だ。ジャーん。と思ったら、もう閉館していた。何しにいったんじゃーワレ~! 気を取り直して、1駅で乗り換えて、また次の駅、つまり2駅進んで降りる。受験生の帰り道を掻き分けながら、7分ほど進む。そこに瀟洒な建物に辿り着く。その後は、ふれあい下水管である。と思ったら、もう閉館していた。何しにいったんじゃーワレ~!なんじゃこりゃ~。せめてもの救いは、まだ、玉川上水が営業していたことぐらいか・・・ほんと、関西からここまで来てすみません・・・・ブクブクブク・・・トイモイキモイ治。新大久保駅よりディープなアジアラテンアメリカ地域を歩く。以前居たラテンアメリカの立ちん坊見かけませんでした。タイ人にも、「オニイサン、アソビ?」と声を掛けられることもなかった。もう7年ぐらいたつから。オー、ニホンゴ、ツウジマセーン。仕方ないので、ゴールデン街でイッパイひっかけて帰るかトボトボ。と思ったら、もう閉館していた。あるいはまだ開いてなかった。何しにいったんじゃーワレ~!ショックでパー。そういや、ここで飲んだのももう10年ぐらい前だわなあ・・・帰ります。朝、寝過ごしたのが敗因です。まあまあ、楽しい思い出がまた出来ました。
2008.02.12
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仕事自体がまあまあ不定期な休みにしているという事情を考慮して、7日間同じ時刻にアラームが鳴り、もし、その日が休みなら、まだ布団を出る必要がないと、安堵の気分となり、1週間で唯一勝ち誇った気分になる幸福の瞬間である。幸福はフイに訪れない、寝る前に訪れている。但し、尿意には勝てず、寒さを我慢して、トイレに行き、また布団の中という天国に舞い戻る。至福である、日本の民家はオンドル式でもセントラルヒーティングでもないので寒いのである。特に私の部屋の場合は、部屋の中でも、(今も)コートを着ていなければ、生きていけないのである。(夏は裸でナイト生きて行けないのである)そうはいっても、ややもすれば、夕方まで寝てしまうので、2度寝したあと、空港に向かい、思わず、オートマティカリーに飛行機に乗り、思わず東京に言ってしまうのである。今日のテーマは、哲学である。哲学しに東京は新宿区中野に行って来た。君も哲学したいかね、俺もテツガクしたい。ソ・ソ・ソックラテスかプラトンか~皆悩んで大きくなった~(作詞作曲野坂アキユキ)を口ずさみながら、浮浪者と共に公園を巡る。カップルでも来るんですねえ・・・深遠なるニューサイエンスパラダイスを体現した公園ではある。尻に刺さってます。哲学者、東洋大学創立者の井上圓了博士が、明治37年小石川原町(文京区白山)に開設された哲学館大学(現東洋大学)を記念して全財産を投げ打ち、「四聖堂」を建設し、これが「哲学堂」とも称されたのが、哲学堂の名の起こりでごわす。しかし、この井上博士、実は、妖怪学の権威でもある変り種だのである。天狗や幽霊やオカルトをマジメに研究した人である。つまり、晩年のエジソンやニュートン、コナンドイルと同じである。聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、インドの龍樹、迦毘羅を奉ってあるという。支離滅裂といえば、そんなことはない。まだカントもニーチェもハイデガーも、生まれていないのである。(といいつつ、その後、カントは祭られていたのである。まあ、明治時代だからなあ)この梅に木は、井上博士の自宅に庭に幽霊が出ると騒ぎになった傍の木を持ってきたものですが、いいんでしょうか、引っこ抜いてきても。いいんです!妖怪門とか説明がありますが、飽くまで表向きは何故か、哲学哲学そしてテツガク。哲学的雪だるまは満面笑顔。とにかく、常人には理解できない言葉のオンパレードである。理想の橋は、そうねえ、だいたい2メートル。哲学猫。哲、テツ、テツ~!そんな感じである。西洋、東洋、中国の哲学者3人、フーアーユー?何ですか、あなた。唯物園っても、何の広さもないし、1メートル後ろは川ですわ。梵字ではないと思います。人生八王子。筆型リンガか。今、我々は、倫理の淵にいる。理想の彼岸にいる。ところで、皆様は、サルトルの「嘔吐」を読まれたであろうか。マロニエの根を見て嘔吐するアレである。しっかり、常人には理解不能であった。しかし、ある本で思わぬことを知った。近年、日本で嘔吐が密かに読み直されているというのである。それも、読者は引きこもりの人が多いといって、そして、それは哲学的な意味というより、共感するというのである。共感?作者は、逆に、もしかして、サルトルは元祖引きこもりではなかったのかという視点から調べなおしたところ、サルトルの嫌いな食べ物が、恋人ボーボワールとの別れの手記にて表されていたのである。何と、サルトルは、肉や魚や野菜が嫌いだったのである。それも、生理的に嫌いであり、生きていたものを切り刻んだり、あのぬめぬめ感、べとべと感が嫌いだったのである。生きていたというのが嫌いであったというのである。好きな食べ物は、ケーキとか、人工的なものばかりであったというのである。嘔吐、マロニエの木の根、もしかして、サルトルは、実感として、それを自叙伝的に書いたのではないかということであった。なるへそであった。ああ、神は死んだ、というか、これじゃあ、まるでニートリズムである・・・。では、時間もないので、次、また西武新宿線に戻る日々であった。
2008.02.11
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まずは、コーヒーなどを飲んで、屈伸運動をしつつ、メキシコ以来2週間ぶりぐらいの人形との対面に備えるが、本当に、私の行くところ、人形が何故だか、集まるという不思議な宮城県。独眼流ってな感じでスタート。お主、どこから来たか。鱸前肛首相母を背負う石川たくぼ君新渡戸イナゾウ、オーブシドー、金田一国語辞典学者生涯道程生まれてすみません・・・棟方嗜好ニヤケヤロウ匿名系でお願いします。首が無い。実は、米ソ対立していた頃に蟹工船を読んだことがありますが、そのときでさえ、すごく色褪せてしまった作品に思えました。小説はあまり読まない私も、石川達三にはまりまくったことがあります。2008年仙台旅行 伊達政宗記念館1 伊達政宗記念館2 伊達政宗記念館3 松島
2008.02.10
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入場料1.5ドル。こいつは安い。 受付の男でさえ、蝋人形。お金はその横にある、小さな穴の中に払う。 マヤ神官が生贄の心臓をとったところ・・・メキシコらしいネ。B型ですというと、少しシュンとされましたが、でも山田詠美と同じ誕生日ですと言い直すと、何となく見直されたこともあります。未だに理由は分かりません。 中学生の陸上部はよくサボっていたが、誕生日のある中2のある日、谷向こうに煙が上がっていて、その日は走った走った。前を混ぜか、中学一番の不良が思いっきり走っていた。火が燃えていて、老婆がうなだれているのに、不良と、私たちは何だか、暖かいなあと、満面笑顔の鬼畜状態だった。隠している訳ではありませんが、ジェームズディーンと同じ誕生日であることが、10代の頃、自慢でしたが、その後、結構、気恥ずかしくなってます。マーロンブランドと同期ですが、あの時、24歳で死んでなかったら、もうとっくに消えていたかも知れません。何というか、相撲が好きになれないのは、裸でぶつかり合うからか。男同士の汗が混じり合うは嫌だと思う。アオタサンの娘さんの誕生日です。おめでとうさん。もろっぺのお父さんの誕生日です。おめでとうさん。やーいおっさん、おっさんと高校のときから叫ぶ心斎橋ワタル(1ヶ月と1日遅れ生まれ)氏も、マジもしかして二人ともおっさんかもと思いながら、高校時代におっさん顔だった人は、ほんまもんのおっさんになっている。わいらは贋モンのおっさんや。ゆうとくけど。プラスマイナスゼロはまあ、マッチポンプ。ナニを隠そう、20の誕生日の日は彼女がいませんでした。そうはいっても、一貫して、何でしょうか、寂しく感じないのが、問題なんでしょうか。我々は誰一人、一人では生きていけないというのにですわ。テレビはそう見ないのだが、いまだにサンマやタケシが第一線なのだが、ギャグはちっとも面白くないですね。というかギャグはやってるの?変わらない大御所が安心なんかな。それぞれでてくるゲストをエサにしてるだけのような気がします。変わりませんね、20年ぐらいは、それがいいのですね。小学校の時の誕生日の思い出は、実は、何もありません。でも1982年2月8日、ホテルニュージャパンが火災になりました。1988年ごろ、見に行きました。私が生まれたのは、確か水曜日か木曜日でした。午前5時25分です。子供の頃は野球を裏庭や空き地やでやってたが、個人のプロ野球人は嫌いではないが、プロ野球はうっとうしい。長いからである。最後までみる集中力が無くてすみません、できれば、バントとファーボールを禁止してもらえませんか。それと、沖縄にキャンプに行くのはやめてもらえませんか。この前、人が多くて鬱陶しかったから。1996年の2月八日という私の誕生日には、まあ何というかオランダのアムステルダムにいました。ちょっとフラフラもしてました。ホメイニ師。私がイランに行った頃、結構、ほめいにさんも生きていて、何というか、抑圧される若者がいたけど、その割に、まあまあ自由な感じの放言もしていたわ。高校2年の誕生日の日は38度の熱を出したのに、学校に来て、授業を受けて、明日の小テストの予習だけしたという律儀さであったさて、訳の分からない人々の連続でしたが、明日以降は、有名人、こうご期待!(誰も期待していないというか、昨晩、先にアップしてもたがな)2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.02.09
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入場料1.5ドル。こいつは安い。スカト-ロ議長。マハトマテレサ小学校の頃、近所にいたばあさん(時々、夏の暑い日は上半身裸)。死んでからも活躍する婆さんを囲む会。普通の吸血鬼。それにしても、さすが、1,5ドル、なかなかチープさと雑さが嬉しい。普通のばあさん。手を持つ手です。薬を調合する紳士。逃げろ、とかいってるお前の必死な顔が怖いわ。愛し合っている2人、愛情表現の顔。ヨハネパウロ2世を囲む会。取り巻きはちょと怖いです。メキシコのスターか?トリックスター。あまり似ていない人々を囲む会。メキシコでも、アレーのポーズが流行ってます。あまり似ていない人々を囲む会。その2、うーピーか?スタローンか?エディか?後ろに控えるのは、幻の何かだ・・・拡大してみましょう。あ。い。あまり似ていない人々を囲む会。その3、ムーンウォーカーか?スタンディングオーバーか?よく見ると、ちくびからなんかぶらさげている淑女がいました。ほんま、ハートブレイクティファナ。最後に、リタヘイワース、売れる前は、ティファナで一時期働いていたんだってさ。いやあ、1.5ドルでチープでもお得ですねえ・・・メキシコに来てホント良かったです。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.02.08
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凶悪米軍基地キャンプハンセンの北側、キャンプシュワブ(普天間飛行場の移転先と目される)のほとりにある辺野古。この地域のサンゴ礁にはジュゴンも出現、移転反対のシンボルの地でもある。そこは、時間が止まり、朽ちていくような飲み屋街がある。ツワモノ(米兵)どもの夢のあと。見かけた唯一の人間。パイナップルジャジャは、ホウロウサンの親友。パイナップルは先頭にひとつだけナルことを知っていたかきみ。こんな渋い車を愛車にしたいと所望します。美女5人乗せて行きます。タコノキ、その人間に似た木は、ハワイからギリシアまで、神話、伝説に語られる木である。とにかく、名護市から沖縄海洋海洋博跡地(現チュウラ水族館などの公園)に向かう山道は、少しでも水族館に行く観光客を足止めしようとスゴイことになっているのである。パイナップル園、やんぱる亜熱帯園、蜜柑園、ダチョウ園、ゴーカート場、ハブマングース戦いの場、蝶園、わナンバーばかりの県道84号線さて、島を横断、瀬底島、周囲8キロ。海が美しい。沖縄海洋博覧会会場跡地に来たが、私が来たのは数年遅かった。ドノぐらい遅かったかというと7年遅かった。今は、有名は水族館などで、カップルや家族子連れが来る明るく健康的な土着的沖縄ではない観光地なのであった。1975年の沖縄海洋博のメイン会場、アクアポリスの廃墟に行きたかったのに、2001年撤去され、鉄くずはアメリカに売却(1400万円)されたということを、この日記作製時に知った。海洋博のシンボルとして123億円をかけて建設され、期間中、県内外から200万人の入場者を集めた。 海洋博後のアクアポリスの歩みは「漂流」という言葉がふさわしい(この施設は曳航できるのだ)。 閉幕後、国から県に譲渡され、北部観光の目玉として期待されたものの、運営主体が定着せず、財団、公社、第3セクターの間を転々としたあと、93年ついに閉館に追い込まれた。高速道路ができていなかった頃、ここまで、来るのは大変だっただろう。この基金は戦後、どさくさにまぎれて、糸満の人、金城夏子さんから剥ぎ取った人々が作ってついに全財産をなくしたという。なんて明るいんだ。この日差しに悲しみがアル。(ただなので見学)4人に1人が死んだ地です。生い立ち 2008年沖縄旅行 お土産屋、ステーキ屋 中城城址の裏 キャンプハンセン、辺野古
2008.02.07
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沖縄市と那覇市の間に中城(ナカグスク)がある。勿論、世界遺産目当てではない。この、マジックで書いたところに、その高原ホテルはあるのであった。見事に、写真地図に入らないようにしている。中城、入場料300円の中、入り口は、裏門から入るようになっている。表門の方が、高速の出入り口直ぐであり、道もあるというのにである。表は見せたくないのだ、また、世界遺産に指名されなかったかも知れない。2月、桜咲く。中城には、中城インターを下りて、右、右、右と3回右に曲がる。そう、高速出入り口の集金係りのおじさんが教えてくれた。裏門である。見事な高台にあるこの城は、ペリーも訪れ、感嘆したとのことである。ペリーは日本浦賀に来る前に、アジア経由で琉球に立ち寄っていたのであった。高台からの眺めはスコブル良い。いたるところに礼拝所。それえにしても、世界各国、城の門を通る時には、多少、緊張が走るのは何故か。体が固まるのである。やすっぽい鳥居はそうでもないのだが。窯焼き場面白いのは、ここの城の主があっきりしないということである。修復する石の場所は決められており、石ひとつひとつに番号がつけられていた。しかし、古いものに、新しいものをヘコヘコつなぎ合わせるのはしらけるものだ。世界遺産になれば、人の出入りを制限すればよいと思うのだが・・・・。まあ、あのつまらない首里城よりはましだが。城が終わり、その先に見えてきた異形。それが、中城高原ホテル跡だ。 一度も日の目を見なかった廃墟ホテル。山の稜線沿いに1階から4階建ての傾斜に合わせて建築しようとしていたホテルである。昭和50年(1975)、今から32年前、沖縄海洋博に合わせてオープンさせようとしていたようだ。どう考えても壮大な違法建築。世界遺産の指定を受けるために、これはなかったことにしましょう、ってな感じだったのであろうが、観光客の多くが何となく気がつくはずだ。行く人は少ないだろうが、すれ違った子供の4人のうち、2人が見ていた。大人は見ていなかった。見たくないものは目に入らないものだ。ロイヤルロードパブから中に入り、バーカウンターを越えていく。宿泊施設。レスチラン。バー。ウォータースライダー付プール。ゲームセンター。そして動物園に祠。巨大な石灰石の岩が鎮座する部屋・・・上部に上がるほどに、コンクリートはセメントの状態が新しくなってはいるが、放火に次ぐ放火で何やら煤けている。窓という窓、トイレというトイレは破壊され、沖縄らしく、英語の落書きも豊富である。建築主は途中で倒産し、壊す金もないままに現在に至るようである。数百年前の城跡に連結するように、昭和の遺跡が続くのは、痛快であり、こちらの方が面白いと感じるのは、私だけではあるまい。床には、エアガンの玉が落ちまくっており、サバイバルゲームマニアの場であったのだろう。勿論、全国の廃墟マニアの垂涎の場でもあろう有名物件である。しかし、廃墟マニアでなくても、能動的に入ってしまいたくなるものだのである。釘を踏まないようにだけ。心霊スポットとしても有名らしいです、ハート。コンクリートの薄さや、やすっぽさが、なかなか感激である。やっぱ利権がからんでるのか。それにしても、右翼を沖縄で初めてみた。沖縄は日本国愛国主義者じゃないからねえ。日本は搾取した奴らだからね。勿論、廃墟に悠久の歴史もワビサビも感傷もなく、不穏な空気が流れている。サトラレの映画のシーンにも使われたという噂。しかし、おまえ、廃墟見るために沖縄行ったのかといわれると、まあ、そうですと答えるしかないか。しかし、過去も正しい観光だ。まさに、過去も正しい観光なのだ。しかし、コンクリート作られているだけあって原形だけが保たれているのが変な感じだ。壁が無く潮風にやられまくるコンクリート。動画もあり「告知」世界遺産中城城址重要文化財保全地域内に於ける、営業権並びに隣接する駐車場の借地権は、株式会社国際産業が正当な権限をもって保有するものであるが、現在、各行政機関の不正な侵略により権限を侵害されている。この事実を、株式会社国際産業は、菊守青年同盟沖縄県総本部の協力を得て、斜弾するために、この看板を設置し、関係者に告知する。なお、不正な侵略に関係した者たちが不正を正さない場合には、その実名を明らかにして、侵奪、詐欺行為を告発する。「詐欺集団を告発する」世界遺産重要文化財中城城址保全地域内の営業権保証に関する合意書等の文書を捏造し、公金一億五千万円を横領に関与した者達が存在する事実がある。その事実はすでに沖縄県、検察庁、沖縄県警察本部、沖縄署、宜野湾署に告訴している。しかし、上記関係官庁及び警察は、その事実を隠蔽しようとして、その告訴を拒否している。仮にその事実が証明され公表されたとき、当該関係官庁及び警察はどのように対処するのか、平成12年当時と同様に犯罪をでっちあげて、職権をもって私を違法に監禁するのか、もはや沖縄県の警察では秩序は保てない。私は、当該横領行為に関与した者達を下記の通り告発し、その不正を明らかにする。 ~記~1、横領者元沖縄県中城村長 新垣 盛繁元沖縄県北中城村長 安里 高治元琉球銀行頭取 崎間 晃弁護士 故 高良 健2、前任者の犯罪事実の隠蔽者現沖縄県中城村長 新垣 清徳現沖縄県北中城村長 新垣 邦男2023年アクセス16000、15年で1日3人の人が世界中のどこかから見ている。(高原ホテルは、この数年後解体されました)2008年沖縄旅行 お土産屋、ステーキ屋 中城城址の裏 キャンプハンセン、辺野古
2008.02.06
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サンディエゴから、ほんの40分で、メキシコ国境であった。国境ぎりぎりまで、メキシコが押し寄せて来ていた。そちら側にいくのは、勝手に出て行けという空気がながれていた。その代わり、こちら側には入ってくるなといわんばかりであった。入国してみるとドラッグストアである。薬が処方箋なしで買えて安いのである。ドラッグ天国である。アミーゴ。橋を渡る。アミーゴ。中心街(革命通り)まで歩いて15分くらい。バスやタクシーでも行けるが、ここは、ぼんやり、歩いていくのがよい。アミーゴ。 やけに、強い日差しが何ともアミーゴ。むちゃ風でピュンピュンうるさいアートアミーゴ。アミーゴ。ところで、成田で出国できなかったとき、そのときは、私は、バンコクに行けなかった2006年の秋だったのである。何故かと言うと、その時の日記に詳細を記しており、今も反省の日々ではあるのだが、成田駅で、空港行が出たそうになったので、急いで乗って暫くして、それが羽田空港行きということに気がついたという致命的ミスをしたまでであった。勿論人生の大勢に影響はないが、あのとき、セメテ羽田発上海行きが既に就航していたら・・・と思ってみても、バンコクにはやっぱり行けないので、IQ160ぐらいでよくよく考えてみても、あまり意味はなかったのである。アミーゴ。ところで、昨晩は10000字までしか文字がかけず、これは昨日に国境で思ったことである。→911はチリ人にとって、のことである。1970年代の9月11日、アメリカに自由を奪われたのであった、認識トトケヨ、ワレ。と。その日、ピノチェトが軍事クーデタを起こし、同時多発テロ以上の人数の犠牲者を出したのである。勿論、チリ市民虐殺の後ろ盾はCIAである。他国の民主主義を踏みにじるのは平気で鈍感なんであるわ。あのとき、アンジェデ大統領は、「地理は幸福しない!」ではなく、「チリは降伏しない!」と官邸で叫んで、自ら武器を取ったがあっさり90分後自害。クーデタは成功、ピノチェトは大統領になり、恐怖政治が始まったのである。それにしても、最近までピノチェトが生きているのを知って、私はびっくりこいたのである。そんなことを国境で静かに思った次第である。アミーゴ。シマウマのように色塗られた馬と記念写真を撮ったならば、お金取られます。アミーゴ。ハイチョトミルダケねー、とまるで店の勧誘方法はインド手法である。カルカタでは、自称ビジネスマンがミルダケといって自分の目を押さえるので、一度、突いてやった。ナマステ。そのうち、いつかメヒコシティも行くよ、と思いながら、そこまで、まだ2000キロはある。アミーゴ。ドコの国境って、ここの国境越境通過者が世界最大だそうで、年間5300万人が通過するらしい。1日15万人か・・・1時間に6,250人、1分間に100人も通過か・・・アミーゴ。レンタカーは借りてないけど、レンタカーでの国境超えは、レンタカー会社が禁止している。壊されたり盗難にあうからだわ。アミーゴ。マリファナではなくティファナだよ。そういえば、「トラフィック」というソーダバーグ監督の映画あったなあ。ティファナが麻薬拠点で、ロスとワシントンの3舞台でやってる映画で、それぞれの地域の場面には違う色を入れて、分かりやすくしている映画。アミーゴ。アミーゴ。アミーゴアミーゴ。おお、人形か、そこで、そのあと見たものは・・・・明日以降を待て(つづく・・・)メキシカン食いまくって、ビールの後はテキーラで思わずアミーゴ。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.02.05
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マヤ遺跡はユカタン半島、メキシコ、グアテマラが中心となるが、ここにも世界遺産であるコパン遺跡がある。町から歩いて20分程度である。ぶらぶら、道沿いを行く。歩いて行く途中、コパンに来るミニバスで一緒だった日本にも滞在したことのあるカナダ人に会った。面白いことに、狭い村では、結局8人全員に町のどこかで出会った。こちらはアジア人なので、目立つのである。向こうが先に気がつくのである。 実は、ホンジュラスには、日本はかなりの援助をしており、こんなところで、日本語を見つけると、少し面白い。というか、天皇の子供も来ていたりなんかするのである。大名行列であろう。それより、税金で来ているのである。こちらは自腹で来ているのである。生まれながらの階級差である。マヤ遺跡は、どうやって衰退していったのは、不明であるが、飢餓という説が有力なようである。ここコパンも紀元前500年から建設が開始され、9世紀に忽然とその歴史を閉じたという。· 青銅器や鉄器などの金属器をもたなかった · 生贄の儀式が盛んであった · 車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった · 牛や馬などの家畜を飼育しなかった · とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった · 焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った · 数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した) · 文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた · 持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた · 極めて正確な暦を持っていたこと(火星や金星の軌道も計算していた) · 多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した ここで有名なのは、ここの神官が1年を365.2420日と定め、マヤ全体に広めたということであった。(現在使われているグレゴリオ暦は、365.2425日)物価の安い、ホンジュラスであるが、国家の威信をかけて、入場料をぼったくってきている。15ドルである。しかし、遺跡遺跡を見せられても、分からないぞっというのが、誰しもの感想であろう。しかし、芝生でぼーっとして、遺跡で遊ぶ子供を見ていると、何となく気分もいいものである。勉強はしたんだけどねもとより、その2、そして、その3を先にアップさせてしまっているのである。コパン遺跡は、ステラが林立するグレートプラザとアクロポリスを中心とする神殿群がメインである。今日の日記の写真はグレートプラザが中心で、明日以降いつになるか分からない写真がアクロポリスとなる予定である。そのステラというのが、高浮き彫りされた彫刻であり、オウムやウサギ、王、ティカルの紋章とか彫られていて、思わず、芝生広くてキムチイイナアと思うのである。神聖文字の階段63段があり、4段目ぐらいまでは解読されていおるが、マヤ文字2200文字は、無茶苦茶に崩れていて、修復しつつ、いまなオ、解読を進めているんあていう按配である。東広場には、ジャガーや恐ろしい形相をした人面彫刻があり、当時のマヤ世界観を現している。やぱり、ちゃんと生贄の儀式が行われていた死の谷もあり、その地の複雑な石の構造の中、木々を掻き分けて歩くと、大変静寂であり、音を吸収している。エル・セメンテリオ、そのまま英語にすると墓地である。あ、日本語だった。その生贄を用意するためにも、マヤ文明都市同士で戦争が頻繁に行われていたようである。(昔は、マヤ文明には戦争が無かったといわれていたが、ステラを読み解くことにより、例えばコパントキリグア、ティカルとカラクルムなど戦争をしていたようだ)そうやって、日本流で言えば、戦国時代であったが、日本流に言えば、誰も天下統一できなかったのである。それぞれの王に権力が集中しすぎており、領土の拡大までは手に負えなかったとの説である。(しかし、同じモンゴロイドとして、インカは一大帝国を築いた。マヤとインカの共通点として、トウモロコシを主食、高度な石造建築技術、車輪を持たぬ文明などが上げられる)0を発見したのは、古代インドといわれているが、マヤにも0の概念が存在していた。使っていた数字は20進法であった。マヤはインカより優れた天文学、数学、洗練された文字や彫刻文化を持ってはいたが、統一国家統治システムを持っていなかったおうである。誰もが、興味を持ってしまうのが生贄の文化であろう。マヤの精神世界では、人間の行動が悪いと神が怒って世界を滅ぼす、といった考えがあった。今まで何度も神に世界を滅ぼされてきたという創世神話もある。このため、神を崇めて怒りを鎮めるために、また西に沈んだ太陽が再び東から無事昇ってくる力を与えるために、人間の血や肉体を捧げる方法を選んだという。特に初期は王自身や神官自身が、自分の耳やほほ、唇、性器などから血を絞って神に捧げていたようである。しかし、時代が進むごとに、内容は過激になっていくのであった。そのシーンは、アポカリプトというメルギブスン監督の映画でそのシーンも出てくる。生贄は裸にされ、肌を青色に塗られ、髪を結い上げられる。弓なりの祭壇に仰向けで寝かされ、4人の神官に手足を抑えられ、生贄の左胸を石のナイフで切り開き、心臓をつかみ出す。取り出されたばかりの心臓はまだ脈うち、おごそかに、神像に心臓を塗りつける。神殿の頂上で事切れた生贄の遺体は、地上に突き落とされ、遺体から剥ぎ取った生皮をまとった神官は観衆と一緒に踊ったという。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.02.04
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こんな弱虫なことを言うのは、申し訳ないが、寒いので、沖縄に行ってきた。気温は15度も上がった。兎に角、空港到着後、ワゴム名物ステーキを食べに行くのだ。行くが、営業時間は11時から午前1時半までだったので、これは、いけなかった。しかし、この有名なステーキハウス、ナニを隠そう、那覇のそーぷらんど街、辻にあるのである。思わず、びびったふりをするのである。気を取り直し、腹は減ったまま、北上すると、勿論、沖縄ならではの米軍払い下げ商品群の店が散在している。サンプル画像である。沖縄には、米軍払い下げの戦闘機が落ちている。割と高いんですわ。・・・兵士人形。沖縄には、米軍払い下げの爆弾が落ちている。実は、この横に、ビンラディンのポスター置いてました・・・沖縄の沿道サービスには「ハブ対決マングース」サービスもある。300円。何か知らないけど、今日は、心なしか閉まっていた。(心なしか、もう少し長い間閉まっていたような気がする)沖縄では、ここだけは、真面目な話はしてしまうが、2月ではあるが、既に、桜が咲いている。そんでもってうやっと昼飯を食った。ちょっといわゆる沖縄そばではない、何と言うのか、ヤンパルソバとでもいうのか。 ウムムフウ、という感じで、イケタ。車の殆ど走っていない山道で車を爆走させていると、対向車が急に渋滞になり、駅伝軍団が走ってきた(写真はトップランナー)。後ろのアドバイス車は歩幅に合わせて、「1,2」とか「エッホエッホ」ではなく、「エイサ、エイサ」と掛け声をかけていた。昔、ホウロウ達人さんだけがちょっとだけ受けてくれたんだけど、ちょっと特殊な湖にいってきた。近くにいたおばあさん談「昔はキレイだったんだけどねえ。。。だんだん、汚れてきてねえ・・・」しかし、私は、純粋無垢に、テニスを興じる高校のクラブ活動生徒男女を直視できないのである。まるで、私だけが、邪悪な心に冒されているのではないかと思ったほどである。公園の横には高校があったが、校名は違った。商業高校でなくて更に良かったと思う。しかし、この湖の左側はマングローブがまるでインモーのように広がっているのも事実なのである。汚れ具合も掲示されてます。みなさんの避難所なんです!消えかけて入るが、心得として、「きれいに使いましょう」2008年沖縄旅行 お土産屋、ステーキ屋 中城城址の裏 キャンプハンセン、辺野古
2008.02.03
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極楽に行ってきた大方の読者には、金輪際関係のない話かもしれないが、私の場合、1週間に1,2回は二日酔いとの戦闘に明け暮れている。翌日の午前中の仕事に影響がでるばかりか、午後にも影響する場合もあり、休日の旅行にも影響する場合もある栄光を欲しい侭にしているのである。蕩尽ではないが、ほぼ、老人状態になるのである。2日前なんかは、安眠を尿意によって、夜中に2回も妨害され、漏らす直前にトイレに行ったが、これが、大量に出るので、「いつ止まるねん」と憤慨したぐらいである。そして、加齢ということもあるのか、その夜中にはなんとも無いのに、朝起きると、清々しい頭痛に悩まされているのである。今なんかは、インフルエンザやデング熱、マラリアとかの流行に伴い、風邪をひいているから頭痛がするのか、二日酔いだから頭痛と吐き気がするのか、迷ってしまうぐらいゴージャスでもある。そんな私が編み出した二日酔い脱出方法をここに伝授したいと思うのである。それには意志力と強い信念が必要である。 それは、モスクワは涙を信じない方法である。ともかく、朝の気分の悪さを信じないのである。これは断じて二日酔いではないのである。認めないのである。どんなに吐き気がしても、それは、二日酔いでなく、食中毒であり、どんなに頭痛がしていても、それは、風邪である。特に、勝負なのが、満員の通勤電車である。揺られるのである。この微妙な揺れが胃を恐怖の大王に脅かされるのであるが、これは、間違いなく、昨晩食べた串焼きが当たったのである。満員電車でも、集中的に普段は読書時間なのであるが、細かい字を追うと、気分が悪くなるのであるが、これは、活字中毒解毒剤を飲んだためと解釈するのである。仕方ないので、窓の風景を見ると、酔いそうになのだが、これは単純な乗り物酔いであり、電車を降りるとスパッと治る筈なのである。やがて、脂汗が出てきたとしても、それは、単純にうんちが漏れそうになっているだけである。年に1回ぐらいは、ほら、あの、実が出てしまうとか、おならをしたつもりで、間違えて出してもたって奴である。いつの日か、だんだん症状が和らいでくるのは、インフルエンザが治りつつあり、デング熱が治りつつあり、コレラが治りつつあり、マラリアが治りつつあり、肝炎が治りつつあるのである。いつの日か、また朝起きて頭痛と吐き気がしたときは、肝炎やマラリアのように、再発しただけである。完治しない病気である。梅毒的に言えば、抑えることは出来ても、完治しないというのと同じスピロヘータ的状態である。それにしても、私が自分で素晴らしい勤め人だと、自称する理由のひとつに、二日酔いだからといって休んだことがないことだ。その熱心さは、勲章ものである。学生時代とは大違いである。学生時代は、当然自主休講となり、夕方まで起きられないどころか、オーバードーズでは死に掛ける程度である。ところで、ここでは、昔、生野区の桃谷から徒歩ムチャ遠いところにある贔屓にしていた「桃太郎」が出展していたので、思わず、入って食べたという按配であった。ここね別にいつでもいけるねんけど、やっぱ、地元民はあんまじ、行かないか。まあ、いずれにせよ、この手法を使い、ガンガン飲んでいく所存です。これは、ハルジ氏にプレゼントだわな。
2008.02.02
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私の持っていたガイドブックが、たまたまアメリカ西海岸という大雑把なもので、シアトルからサンディエゴまでの約1500キロを軽く薄っぺらく網羅している貴重なものであった。私はガイドブック収集クラブに所属していることは周知の事実である。(現在加入人数1人) ロサンゼルスという街は、私にとっては、ただだ広すぎるという印象が拭えず、不便という印象であり、あと1日を過ごすにしても、少しつまんないなという印象を持ちつつあった。何背、私は、紙上旅行部にも加入しているのである。(現在加入人数1人)。そこで、眺めていたガイドブックなのであるが、案外、ラスベガスとサンディエゴが近いことが判明したのである。ラスベガスには行ってみたい気はしたのだが、もう少しのんびり行きたい気がしたので、急遽サンディエゴに1泊することに方針を変えた前夜であった。 サンディエゴのいいところは、空港からダウンタウンが近く、8~10ドルのタクシー代でいけてしまうという画期的な制度にあった。制度ではないか。でも昨晩、ロサンゼルスのサンタモニカから空港まで、面倒なのでタクシーを利用したら60ドルぐらいかかり憤慨したばかりだったので、結構、嬉しかったのであった。私はタクシー利用協会にはまだ所属していない。(現在不加入人数1人)そんな訳で、街のギリギリを飛行機が降りて行くのである。アメリカンやユナイテッドやコンチネンタルもどんどん降りていくが、面白いのは極鳥色のサウスウエスト航空であった。私は飛行機観察部にも所属しているので、ひとしおである。(現在参加人数1人)しかし、そう考えると、ビーチの頭上10メートルを降りて行くここカリブ海セントマーチンに行きたくなるのである。ロサンゼルスからたった200キロの街であり、今調べてみると、全米で7番目に大きい街であった。サンディエゴといえば、世界的にまあまあ有名なのが、動物園とシーワールドといった辺りであるが、人それぞれの元にあった印象は異なる。しかし、私はまだ動物園見学部には所属していないので、旭山動物園にも行ってないくらいである。 私の場合は、高校生ぐらいに、開催された日本か大阪か忘れたけど、女子駅伝大会というのがあって、全国なら都道府県代表、大阪なら学校代表だったのであるが、アメリカからはサンディエゴ大学がでていて、ほんまヤンキーやなあ、サングラスに金髪でオホホホと思ったものであった。(今、ネットで調べてみると、1983年全日本大学女子駅伝第一回開催に出場し、優勝していた)私は、陸上部に所属していたので、マラソンには興味があったのである。(今もある)それに、数年前に知り合った人が(今は知らない)、やたら、「サンディエゴに帰りたい」といってたので、そんなにいいところかと思ったものだ。確かに温暖で、いいと分かった。朝ごはんは外で食べるというのが、なかなかどこの地域であろうが気持ちいい。日本人も居住者が多いのであろう。ミニコミ紙がある。実際、海兵隊の街であるらしく、軍人日本人妻も多いようである。私は、気持ちいい時で時間があるときだけ朝食食べる部に所属しているので、結構なことであった(現在加入人数1人)しかし、私の目的は、サンディエゴ規則正しい観光者の面にあわせて、メキシコに行ってみようという国境の町を見てみようという意図もプンプンとあったのである。1泊といいながら、実は、朝から晩までメキシコに行っていたかその移動中だったのである。詳細緻密レポートは明日以降を待て!といいながら、先日アップしてしまったのである。時系列日記クラブには所属していないので、仕方ないのである。夜は、ガスランプクォーターというダウンタウン再開発地域に足を向け、数メートルごとにガスランプが灯っている地域を歩いてみるが、夜もこの地域が賑わっている。何だかんだいって、ナニを食べるか思案中のときに、ついついインド料理屋に入ってしまったのであった。その先に店のようなものが見えなかったことと、インド国外では当たり前なのに、インド人女性が喋っているのが珍しく感じてしまったからである。私は、インド人に仕返しをする会会長であり、日本でインド人に道を聞かれると必ず違う方向を教えてやると意気込んでいるが、まだその機会がない。(現在加入人数1人)サンタフェ、サンタフェって日本人のオールダーなら、ほらあの宮沢りえのアレかい?といいそうなのであるが、サンタフェ、それは、アメリカにもメキシコにも、スペインにもホンジュラスにも、フィリピンにもアルゼンチンにもその地名があるのである。(ちなみにその写真集はニューメキシコ州のサンタフェである。ちなみに、それは、インモー出し論争というか、実質のへあ解禁となった日本で一番売れている写真集である。)しかし、私は日本語英語橋渡し会員には属していないが、へあとは、毛のことであり、別にインモーのことではないのである。夜遅く、特に意味もなく歩いてはみるものの、ホテルがダウンタウンにあるというのに、健康的なのである。特に私は散歩同好会どころか、職業にしているので、こういうことが重要なのである。ただし、まだそこから利益を得ていないところが、問題といえば、多少問題でもある。 そのホテルに決めたわけは、ロケーションや値段の他に、ガイドブックのトップにあったというやる気のなさに加えて、空港まで迎えに来てくれるというラクチンコースだったのだが、空港にいざつくと、「ああ、あのね、車はね、もうお客さんをクルーズに連れて行ったからね、領収書タクシーもらってきてか」といわれたのであった。 タクシーに乗ると、金額の欄が空欄だったので、ちょっと多めに自分で書いた姑息な私であった。私はこれでも小心者同好会に所属(現在加入人数1人)しているので、それ以降、直筆は書かないよう慎重な行動をとり、ホテル代もカードを切らず、宿帳も左手で書くほどの用意周到さでもあった。安全ぽいといいつつも、やはり、ジャンキーみたいなのは、ふらふらしており、通りざまに「ファッキンマリファナ!」と怒鳴られたのであった。あー、若いってヤダヤダ。私は、マリワナッテナンダ部にも所属しているので、この辺りは、求道的に、修業的に、能動的に議論を、いつかしていきたい。早朝に空港に向かうタクシーで、こちらが日本人と分かると、「クマモトからか?」といわれた。熊本とは、初めてである。私は、牡蠣喰い同好会神戸支部には所属していないが、クマモトも案外、牡蠣が有名なことは、いちいち、このタクシー運転手には説明しなかったし、何日滞在したんだい?という質問にも、しっかり嘘をついておいた。 夜中に抜け出し、店を探すが、なく、港に行き、夜景を見ていると、カップルが変なことしていた。安全なところなんかなあ。私は覗き趣味同好会に本心を言えば参加したいのだが、勇気と希望と資金と道徳心が邪魔をしてなかなか参加できないのであるよマイクル。サンディエゴは、明るい健康的な街に見える。暖かい太陽が注ぎ込み、邪悪なものを一掃している印象さえ受ける。しかし、温暖がゆえ、路上で眠る人が異常に多いのである。繁華街を離れると、人通りが全くなくなるのだが、危険な空気は流れない。しかし、よく見ると、すごい人数が、あちこちで寝ているのである。私は社会問題評論家ではないが、何だかこういうのを見ると、アメリカ=インド説がまたフツフツ出てくるのである。それは、あたかも、淡路島=琵琶湖から飛び出た説に似ているのであった。日本人向けミニコミ誌を見ていると、法律事務所や保険事務所や不動産屋の宣伝は、何故だか、皆、顔写真丸出し。私は、自分の容姿を全世界に公開するほどハンサムではあるが、まだハンサム同好会には参加していないが、もう十数年すると、ゼンサム同好会に参加しているかもしれない。全部寒いという意味であり、勿論、頭が剥げていることが条件である。 住むには、確かに紀行よろし、山有り、海ありの、アメリカなんとか住むトコベストなんちゃらに選ばれたちゅうのも、まあ、納得か。そんな感じ。そんな感じ部の私(現在加入人数1人)としては、本当はいろいろなことを感じているフリをしながら、それは、心の中の秘密として、概ねそんな感じといって、いつも日記の締めくくりは同じなのである。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.02.01
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