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1986年、ボンベイ発デリー経由バンコク、香港経由で大阪に帰りました。
2008.12.31
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ねこまるぼろ渋滞持ち込み地蔵ダメ豆乳人形公園海空夕方バッタサル性神八郎潟空港公園どんなもんやピラミッド
2008.12.30
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風鈴祭りですとろい。夕日がさしこみますたーど。安全は僕の願いですてぃねーしょん。プノンペンの地図ですますく洗濯物と堤防ですぺらーど拷問器具では有馬温泉香港の上空ですとろいホテルでセクシーですますくナイル川ですてぃねーしょんロンドンブリッジに凱旋門のハーモニーですますくオールドカイロですとろい地方空港ですますく麻生ですとろいぼくの趣味の道具ですめまく。洞窟ですまーち宇宙人ですくひまわりのようなものですますくサイパンですのーと
2008.12.29
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ソウルのほもだち石像ですが何か?ソウルロッテワールドですが何か?六甲山ですが何か?まだ床が見えますですが何か?インチョン国際空港手前の橋、何だか切れてますですが何か?プノンペンのトレンサップ川沿いですが何か?ミュンヘン、狩猟博物館ですが何か?稚内無事帰るロードですが何か?プノンペン路上で飯一家ですが何か?ミュンヘン空港ですが何か?クフ王ピラミッドより古いスフィンクスですが何か?香港ですが何か?あひるですが何か?香港のお墓ですが何か?京都先斗町ですが何か?秋田県の夕日ですが何か?防火水槽ですですが何か?中国選手棄権ですが何か?大阪無駄の象徴、フンデルトワッサー作、ごみ処理場ですが何か?カンボジア郊外の平野ですが何か?
2008.12.28
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飛行機ファンではないですが、機内では、仕方なく、仕方のない映画を見ることが多々あります。そんな訳で、「花より男子」だっけ、団子だっけ、漫画を映画化したアリエネー、映画を見てしまった私は、一人突っ込みを入れながら、気がつくと、一人、俺様は、ワシントンDCから南米に行けず、またかよー、のオランダに行く羽目と相成るのでありました。それも、同じ席で行ける幸福、の筈は別にありません。その後、自家用ジェットKLMオランダ航空で、コックピットゴッコをした後は、エコニミー席が数席あるだけの後ろがチョン切れたまま、俺様は出発するような感じなのでした。 とか、何とか言いながらも、俺様のメカニックの不備により、代わりに、チロリアン航空で、俺様の文化度に相応しいウィーンに飛ぶのです。といっても、チロリアン航空は、既に数年前にオーストリア航空に買収されてしまいまして、もう、その名をコードシェア名としてしか残してはいないのですが、機内は、チロリアン地方の可愛げな色で笑えるのでありました。俺様としては、やっぱり、シートベルトが赤というのがお気に召したようでありました。90分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。客室乗務員の方も、撮るのは失礼だと思いながらも、カラフルな制服に魅了された俺様でした。写真はありませんが、オーストリア航空職員の制服は、服からネックチーフから靴からストッキングからすべて赤で、俺様としては、目が痛いぐらいに楽しいです。 俺様の場合、その後、順調に、またチロリアン航空を乗り継いで、ハンガリーの首都、ブダペストに入ったのであります。50席程度の飛行機に15人しか乗ってませんでした。40分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。その後、俺様的には、ポーランドのクラクフに飛び、アウシュビッツで正月を迎え、ワルシャワに飛んでから、帰国するという壮大な計画があったのですが、31日、1日は、飛行機が飛んでいないことが判明したために、ブダペストで、スタックし、そのまま、ドイツへと飛ぶのにのココロでした。100分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。 俺様としては、もうこの1年で、さして見るところもないフランクフルトに3回も着てしまっているのですが、経由しるからして仕方なく、通るのですよ。仕方ないなんて、贅沢だといわれると、俺様としてもそう思うのでありまする。 俺様としては、このままインドに行ってしまいたいところだったのですが、ビザを取得していないし、第一、日本に残してきた、親や親戚一同に挨拶する日を設けて置かないと、すぐに会社員としての会社が始まるので、帰るしかないということが判明したのでした。といっても、明日以降は、もう満席で、帰ること自体ができないので、俺様としては、他の乗客を降ろしてまで、乗ることはできない親切さでございます。しかし、今日は、席は十分にガラガラなのでした。 そんな訳で、俺様としてはチョッピリ中途半端に帰ってくるのでありました。放浪先生に1週間で、前回の6カ国を越え、7カ国ということを達成できず、今回も6カ国で終わってしまったのでした。俺様、すみません。それに、言い訳を致しますと、-7度とか、マイナス5度とか、寒くて、冬にヨオロッパに行くもんじゃネーヨなんて教訓も得た今回の旅行の感想です(終)。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2008.12.27
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とか何とか言いながら、今年のアップも今日で終わりです。皆さん、長い間ありがとうございました。また来年お会いしましょう。皆さんの応援と喜捨によって成り立つブログです。もうお金と気力と体力が続きません。(といいつつ、ネタは溜まる一方)さて高齢の月間反省会である。(コメントの多かったものをピックアップ)1月 ホンジュラスでは、小さな町でのんびりしましたが、珍スポありませんでした。国家予算的には波状してます。ホンジュラス2月 メキシコのティファナでは、無事、蝋人形館を偶然発見できてまあまあ、ハッピーでした。ティファナ2月 蝋人形と同等のコメントを頂いた、幸福についてトイモイ軽薄博士が鋭く世相を滅多切りにした残新作(かも知れない)幸福の哲学3月 宮古島は暖かく、滞在時間も短く、大変だったよ。沖縄都島4月 地元に近い大阪府といってもほとんど京都の地で、宗教を深く考えざる得ないひととき。大阪府箕面の奥地5月 ヤオは、アオタさんやベリーさんと馴染みのある地であるからか、コメント激増、来年もよろしくおねがいしやす。八尾と光善寺5月 アーチストイモイぶった人が、渾身の絵を描いた記念碑的作品。中城高原ホテル跡6月 ストーンヘンジやモアイや大仏など、パワースポットを一気に紹介する怒涛の日記。札幌市の霊園7月 河童に早々に注力していくきっかけになった1作目。福岡、へのカッパ8月 ヨーロッパエジプト気候、怒涛の1週間、また明日から始まる予感、グエ。1週間6カ国9月 プノンペン虐殺の日々を、観光レポート。プノンペン10月 サイパンはバンザイクリフ南国の日々11月 脳内に電波が走るの福島県UFOの里12月はやっぱ忘年会か、その存在意義を、追求した正義の作品。忘年会まあ、そんな訳で、それでは、明日から、またネタを求めてでは決してなく、心の洗濯に出かけてきます。じゃあ、あけましておめでとうございます。アルゼンチンウルグアイのチケット取れず、昨日行き先変更、正月はアウシュビッツです。(多分)
2008.12.26
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大船駅を降りたことや通ったことのある方はあの不思議な物体をご存知の方も多いであろう。ランドマークである、どんな酔っ払いでも、大船駅を識別できるだろう、起きていたら。清子に言われて、取材登山することとなった。入場料を払ったあとは、達磨と人生相談。ガイコツジン?ビルマ人。しかし、ビルマ人に観音信仰ないぞ?何故だか黒人カップルも、海外から視察。おじさんが太鼓を叩いてました。ビーチャンが300万円寄付しますように。上半身しかありませんから!観音様体内にも観音様が、おお、マトリシカ。途中で資金がなくなったりして、建築に20年以上かかりました。途中で資金がなくなったりして、建築に20年以上かかりました。禿山やったんですなあ。それにしても、巨大仏というのは、地元の人にとって、だいたい、いやあれはちょっと、とかなかったことにしたいものが多い中、そこそこの参拝者を受け付けているなかなか由緒アル場所のようである。何せ、日本一といっていい立地のよさである。駅前である。開き直りである。子供かかえてます。日本全国被害に会われた方がおられます。実際の被害にあった石です。放射線がよくみえます。高さ25メートル、上半身のみ。2000トン。私4万人分。(ならの大仏15メートル)
2008.12.25
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東北は秋田県、にて、現在働いている人々を働かせたままにして、時代錯誤の間にむかう。なんだか、後ろの男に働かされているみたいに見えます。汗、かいてないね、誤魔化してないね。さて、坑内奉行所を出て、皆様が働いていただいているかチェックである。なんだか、屈辱的に働らかされているように見える。こいつは業務改善だ。エルドラドじゃん。なんでもいいけど、もう今日は、旅行準備にようなものをいなければならず、随分、投げやりです。(大体いつも投げやりですけど)報酬は金のコピコウタgold brend万華鏡、みたろかい、あ、やすみやったゴーカートして帰るわ一人連れて帰るわ
2008.12.25
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昨晩は、会社関係ではなく、大学時代の悪友たちとのダラケタ気楽な忘年会であった。店に入ると、何だか看護婦の格好をした普通のウエイトレスにピッチャーを頼むと、何故かトイレに行かれました。堕ちた男の落花生とくさーいブルーチーズを頼み、kanpaiである。どういうわけか、厨房に入っているのは、小学生の子供2人だった。児童を強制労働させているうようであった。お互いの仕事で不況自慢をしても仕方ないので、不況を笑い飛ばすような話をした。今回のアメリカ金融を助けるための支援金は第二次世界大戦費の3倍、イラク戦争費の15倍やのう、とか。そのあとは、チューハイ100杯飲む。その他どんな話題であったかについては、酔っ払ったので、すっかり覚えていない状態である。私のブログの話にも及んだが、皆さん、口々に、もう人形は止めてくださいと懇願される。梅田第3ビルの地下街の普通の店でした。何故でしょうか。一区画だけが異空間となって弾けた空気が流れてました。さて、メインの沖縄料理で、ゴーヤチャンプルや海葡萄、とうふように泡盛といきます。演奏も始まり、ボルテージはあがっていく。踊る阿呆に見る阿呆、同じあほならおどさな損損。踊れ踊れ、踊りはやがて、踊りになる。ダンサーズハイ。予約しないと、入れません。60度の泡盛に挑戦。最後は不況らしく、立ち飲みで乾杯。無事、電車があるうちに退散しました。沖縄の人がいつまでもだらだら飲むのは、ひとつに、沖縄に電車がないからです。来年への活力を秘めつつ。
2008.12.24
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日本では珍しい人工地底羅漢を参拝してきた。400円の拝観料を払うと、蝋燭が漏れなくもらえる。遊び半分で行くのではない、れっきとした参拝ある。巡礼の旅は続く。総計1キロばかりあり、怖いからといって早歩きすると、蝋燭が消えそうになるので、また、頭を打つので、ゆっくり歩かなければならず、30分ばかり歩かねばならない。
2008.12.23
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税関の勉強した後、駅に向かう途中に、入場無料の遊園地があり、その中を通りながら、駅に向かうのだが、ついつい関東は暑いだろうと、厚着をしてきたのが祟り、冬というのに、汗が出そうな勢いで、涼みたいという気分にもなりつつあった。そこで、見たのが、なんちゃらアイスの世界だった。これは、オノコロアイランドで見かけたことがあるのだが、ここにおあるのだなと、思って通り過ぎようとはしたものの。思わず、カワイコちゃん(だったか見ていないが)のいる入場チケット売り場の前を通ってしまい、「アイスワールド1枚」とチケットを買ってしまう。カワイコちゃんは、「1枚?」と不振そうに聞き返すので、私は、中年虚業家が一人で入って悪いかと思いつつも、やっぱり恥ずかしくなってしまった。蚊のなくような声で「ハイ」と答えるしかすべのない虚弱体質の私であった。おお、涼しい。入場者で熱気ムンムンだ。クリオネについても、昔、研究し尽くした覚えもあったのであった。-30度も余興だったらまあ、楽しいかというものでったが、夏に入るともっとよかったかなあ、と思いつつ、外もまあ寒いのに、何故、冷やすのか、電気代使ってという事実をどう捉えるのか。夏だったら30度から-30度と60度も下がるのは、考えたら、人間はどこまで耐えられるのか、ワハッハの世界である。 フィンランドの北極圏に行ったことがあるのだが、それは、-30度の世界であった。誰も歩いていない、生命の危険を感じる場所であった。バーからバーのはしご、300メートルでも、携帯電話でタクシーを呼ぶのであった。バーの中は、温室となっており、人々は、席が2席必要で、隣に着ていた服を5枚ぐらい脱いで置くのである。中にはTシャツ姿もいるぐらいであった。それにしても、ベロンベロンに酔っ払ったところで、イエイと外に出ると、あら不思議、酔いが、一気に冷めていくのを感じることができるのである。そんな訳で、ひたすら飲み続け、1週間の滞在において、オーロラ観測するのをすっかり忘れていたのであった。ある家にパーティに誘われて、車で迎えに来てくれたのだが、その車が暖房が壊れており、車内でも吐く息が白いどころか、車内が凍っていたりしている感じで、はやく、その人に家に着いて欲しいと願う10分間の移動時間であった。パーティでは、そりゃもうアクアビットといった透明のウオッカのようなものをガンガン飲み、サウナに入り、外に出て、サブーといいながら、また部屋にう戻り、アクアビットを飲み、もはや前後不覚である。そこから首都ヘルシンキに南下すると、マイナス10度ぐらいになって、やたら、暖かく感じるのであった。そんなことをちょとだけ思い出しながら、あっといい間に、マイナス30度の世界は終了であった。外に出ると、前が見えなくなった。お先、世の中、真っ白だぜ。メガネを外すと、日本一の高さの建物が見えるって感じであった。煉瓦倉庫に寄るつもりで、見るだけフリー。追記:まやく犬にも、なる素質というか、犬の性格があるそうだ。優しすぎる犬は、訓練中に落第して、盲導犬になることもあるという。麻約犬は、世間嫌いで、こびず、一匹狼(いっっぴきいぬ)的で、他の犬とうまくやっていけない、偏屈な犬が向いているらしい。まあ、いわば、ハルじさんや私が、犬だったら、マヤクケンになっていたであろう。
2008.12.22
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何も海外旅行に行ったら、お土産なんか勝手はいけない。買ってはいけない。飼ってはいけない。今日は、実は、家でじっくりいろいろと、どこに行くか調べるつもりだったのだが、(1週間切ったのに、まだ行き先決まらず)、その前に、ちゃんと勉強しとかなあかんのちゃうの?という神の声が聞こえ、東京税関は、土日は休みなので、横浜税関に勉強に行って来た。おおよそ、横浜市民にとっては、どうでもいいこちょなのだが、神戸市民は、港として、横浜市民に対抗心を持っているのは事実だ。でもそれは過去の話。昔は、日本の貿易量1位横浜、2位神戸だったのだが、特に地震以降、そして、アジアの他国の中継ぎ貿易の増加によって、もう神戸港は、どっかにいくほどの凋落ぶりである。襟を正して、ぬいぐるみにパンチをしながら入っていく。中国に行ったら、スクーター買ってきたらあかんよ、ハイ分かりました。間違っても、砂糖とか塩とかは持ち帰ってはいけません。間に何か、いろいろ、おにぎりが挟まってます。たべてもいいですか?鼻から。225キロ、塩、150億円。いつでもやめられるというのは、本当です。間違っても、砂糖とか塩とかは持ち帰ってはいけません。横文字4文字分けてくれるみたいけど、良い子の皆さんは、こんなケミカルなのはやめときましょう。最近は、ブドワイザーも変わったものを入れてますね。ブドワイザーはアメリカではなく、フィリピン産みたいです。でも本当のところ、アメリカのバドワイザーは薄いだけです、最高にうまいのは、バドワイザーの名前をぱちられたチェコのブドワイザーです。死ぬほどうまいです。愛と覚醒のコメンタリー読んだなあ、何て意味なく思い出しました。大事に入れてるのですね。銃は、嫌いです。マヤクタイマよりキライです。シンナーでもこんなにあったら、ヘロヘロちゃうの?でもシンナーよりまし。郡山ルート。ベルギーチョコレートルート。ネパール放浪達人ルート。チョコルート。スマッグラー(運び屋)って言葉、日本では有名なんでしょうか?帰国したとき、こういうの持っている人見たら注意って感じでよろしいでしょうか。手ぶらで帰国せいや、でよろしいでしょうか。中国なんか行ったら、空港ヂューテーフリーもニセモノかもしれないぜよ。てか風任さんいわく、中国は中国人以外ニセモノですって。確かに。ああ、中国人はニセモノになりようがないからねえ。ジェンブ、正真正銘のホンマもののニセモノだよ~。・・・omiyageそれにしても、勉強になったよ、そしてチクリにも精を出さなきゃ。じゃあ、テスティングしろってか?
2008.12.21
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今日、野暮用で、神戸沖にある2つの人工島のひとつである、ポートアイランド、ポートピアホテルに行って来た。写真は、何故だか、特にない。三宮からポートアイランドに行くのは、無人のタイヤの電車に乗っていくのだが、これは、日本発のもので、フト気がつくと、駅で流れるベルや音楽が山手線と同じであって、一瞬、あれれ、トキョー?と思ってしまった次第であった。今日、その車内で、緊急停止ボタンを誰かが押したようで、電車がストップした。車内放送で、非常ボタン押した人、お近くのインターホンをおとりくださいと、無線で車内放送が入った。人々の苛立ちのボルテージが、1分2分と時間の経過と共に上がっていくのを感じた。その間にも、何度も執拗に車内放送は犯人の自首促しているようで、プラスチックのケースを取って緊急停止ボタン押された方と絶叫しつつ、ついに、駅員が、線路伝いにやってきて、車内に入ってきたのであった。何故無人なのか知らないけど、経費節減のために、無人運転手走行なのだろうか。私は、一番後ろに立っており、後ろの窓を鍵を開けて入ってきた駅員は、また鍵でカバーを開けて、車両点検をしていたあと、おもむろに、前に進んでいった。しかし、原因は本当に人が押したのかコンピューターの暴走か分からぬままに、安全確認後出発したのであるが、最後に、3両目の真ん中の出入り口で押されました。後からでも結構ですので、押された方または事情をご存知の方お知らせくださいと、終点に着くときに再度繰り返しの車内放送であった。3両目は、犯人探しでパニックになっていないのか? ポートピアホテルでの野暮用であったのだが、そこの最上階でバイトをしたこともあり、変わらぬ風景を見た。20年の月日が流れても、変わらぬ風景、20年30年たっても変わらぬは、サザエさんか。サザエさん症候群という言葉があるように、日曜の夜にあのテーマソングを聴くと、明日からの学校や会社が急に億劫になり、即効で限りなく耐え切れない存在の憂鬱になるというものだが、そのくせ、ノー天気でいつまでも変わらない永遠の平穏のサザエさんとのギャップに現代人は、あの予定調和の平和を「ああ、ぶっこわしてぇ~」と叫びたくなるのも分かるのである。そんな訳で、ポートピアホテルの思い出やポートアイランド誕生秘話やポートピア81やポートピアに住んでいた友達のことやをいろいろ書こうと思ったが、紙面の都合上、ここで終了するんである。ところで、日本の金融機関がアメリカの金融機関やアジア部門を買収してたけど、中味ないんじゃないの?優秀な社員はもうカリブ海で日光浴しているか、サラリーのいいところを探していて、箱だけ買ったんじゃないか、と気がしつつ、これって、中の権利全部埋まっていて、外側だけのロックふぇらーせんたーを買った●●地所みたいなもんちゃうの?あとで、安値で取り返されるで。
2008.12.20
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最近、ハルじさんにそそのかされて、フォーとラベルのホームページに参加してみた。そうすると、毎日十数通の質問状が届くようになって、誠実な私は大変困っているので、ここは、風任さんばりに、懇切丁寧に答えることにした次第である。 上海のミニバンの観光タクシーについて。今回8人のグループで行きます。他の国のように上海でもミニバンの観光タクシーを、日本から、あるいは現地のホテルで予約できるかどうか、教えていただけますか→町に出て、手を挙げると、タクシーは泊まります。行き先を聞かれると「あなたが思う、とってもいい場所まで」といいましょう。来年の春、オランダに旅行に行く予定ですが、ホテル探しで難航してます。オランダは今年の7月1日からホテル内も禁煙になったと知りました。私は喫煙者ですが、喫煙可能なホテルというはあるのでしょうか?1週間の旅行で内2日はベルギーに行こうかと考えてるので、出来るだけホテルかB&Bの方がいいかと考えてます。教えて下さい。→他のものを吸うこともお勧めします。ベルギーに持ち出しもできます。責任は取れませんが。2月に北欧にオーロラ観測に行く予定です。質問なのですが、冬期である2月は、ロヴァニエミ→トロムソまでのバスは走ってますでしょうか?夏場は11時発で毎日1本あるようですが、2月はあるかわからず‥もしあれば、トロムソでもオーロラ観測をしトロムソから航空券を手配しようと思っています。航空券の手配の関係で、少々急いでおります。わかる方、宜しくお願いします。→分かりません。ヘルシンキからロヴァミエミに飛んだときは、前も見えないこんな吹雪の中でも飛行機って飛ぶんだと感心しましたが。インチョン空港のラウンジ。当方プライオリティパス所有しているのですが、webで調べてみると使用できるラウンジがいくつかあるようですが、お勧めのラウンジがありましたら教えていただきたいです。ちなみに利用するキャリアはKEです(勿論エコノミーです)→ファーストクラスに切り替えてください。ブリュッセルからブルージュまでの電車を、SNCFのサイトで予約、間違ったものを買ってしまったようです(涙)。購入したのは、ハンディキャップがある人用のチケットで、乗車には証明書のようなものが必要ということでした。しかも行き8月28日、帰り8月29日のものを買うべきところ、8月28日往復で買ってしまっていました・・・。このチケットを当日ブリュッセル駅の窓口で変更することは出来るのでしょうか?または、このまま電車に乗ってしまって、検札があったときに差額を支払うというのでもいいのでしょうか。どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい!→車椅子は難しいでしょうから、松葉杖を持って旅行してください。きっと間違ってくれます。2月の半ばに大学の友達とトルコに行きます!ツアーで9日間行くのですが、服装が心配です。どんな服をどれくらい持っていったらいいのか教えて下さい。特に、靴をどうしたらいいかもおしえてください!→裸に裸足で行くと、捕まります。曲がりにもイスラムの国です。5月頃にパキスタンのタフタンからイランに陸路で国境を越える予定なんですが、ボーダーでイランのビザを取得できるのでしょうか?おもし、できなければどこで取得でき、何日ぐらいで発行されますか?是非、教えて下さい。→私が陸路で越えたのは、ほんの20年前なので、少し状況は変わっているかもしれませんが、参考までにトフタンでは、今まで飲んだチャイの中で一番安かったです。ヤカン1缶分1パキスタンルピー。高級ブランド品を購入したいと思っています。プラハにはシャネル、エルメスのような高級ブランド品はあるのでしょうか?その場合、パリ等その他のヨーロッパと比較するとどうなのでしょうか?→ピルスナー系では、チェコのビールが世界最高です。高級ブランドモノでクヨクヨ悩む必要もなくなってします。まだ先の話ですが、パリでの乗り継ぎでアテネに行きます。海外旅行は経験ありますが、今回初めて個人旅行で、乗り継ぎというのをしたこともなく…搭乗機はすべてエールフランスです。フランス語は全く分かりませんし、英語も自信ありません。スムーズにできるでしょうか…→どうやってスムースにいくんでしょうか。フランス語は、日本語ででも、語尾を上げて延ばすだけで話せるようになります。タリンの港ターミナル。来週から北欧旅行に行きます。20日の朝ヘルシンキからタリンへ行き、その日のうちにストックホルム行きの船に乗ります。到着したら荷物をシリヤラインのターミナルに預けたいのですが、CターミナルからDターミナルへの交通手段はタクシーが最適でしょうか。→すっかり忘れてましたが、私も、ヘルシンキからタリンに行き、ストックホルムに船で行きました。あの頃は、ダイヤルアップでネットで調べた日本の日々でした。しかし、あんな大型船に乗ることもなかなかないですよ。12月25日から2週間サンディエゴに行きます。コンボイ通りに日本食のスーパーマーケットがあるようなので、まずは買出しに行きたいと思っています。観光施設などクリスマスはお休みの所が多いようですが、25日はマーケットは営業しているのでしょうか?→知りません。1月1日は開いてました。突然思い立って今夏中米へダイビング&古代遺跡の旅へ経つことにしました。ホンジュラス・ロアタン島ダイビングで陸続きにグアテマラ・ホンジュラスの遺跡を見ながら移動しようと思っています。旅順で良い考えやアドバイスがあれば是非教えて頂きたく思います。→遺跡みました。今月の中旬に初めてエジプトのツアーに参加します。エジプトは水や薬など沢山の荷物を持ち歩くことになると思うので背中いっぱいの大きめのリュックを背負っていこうと思いますがあまり大きな荷物だとピラミッド等を見学する際入り口で預けたりしなくてはいけないでしょうか?→預けると盗まれるかもしれません。1月末に卒業旅行で友人3人と、サイパンへ行く計画があります。初めてなので、少し高くても日程が全部決まってていて大体オプションが盛り込まれているパックを頼む案。安いツアーでフリーの時間に自分達でオプションのツアーを申し込む案とで迷っています。どちらがお得なのでしょうか?→どこにもいかないのが、一番お得です。ベナレス滞在を一泊にしてデリーを二泊にするか、ベナレスを二泊にしてデリーを一泊にするか悩んでいます。行ったことのある方、どちらがお薦めか教えていただければと思います。→ベナレスにはまると、1週間ででも抜けることが困難になります。インドネシア、スマトラ島のバンダ・アチェヘ行く予定です。マレーシアのクアラルンプールから、直行便でバンダ・アチェヘ飛ぶ予定ですが、バンダ・アチェの空港では、到着ビザが取れません。(大使館へ電話確認)事前に観光ビザ(7日間 又は 30日間)を取得する方法をご存知の方が居られましたら、教えて下さい。→イスラム教に改宗することです。ノースウエスト夜便で深夜チャンギ着、翌朝7時前離陸で、約6時間弱トランジット待ちがある場合、ラウンジなどは利用出来ない身なのですが、時間潰しに何か良い方法がありましたら教えて下さい。いつもMH直行便利用なので乗継をしたことがありません。それからトランジットでチャンギを利用するだけの場合、成田の免税でたばこを購入した場合課税はどうなるのでしょう?→空港近くに公娼館がいっぱいあります。こんにちは、11月にプエルトガレラ(5泊)・マニラ(2泊)へ旅行予定なのですが、マニラのタクシーについてお尋ねします。それほど出歩く予定はないのですが、タクシーを利用する機会もあると思います。ショッピングモールのタクシーや普通のメータータクシーの危険度はどの程度なのでしょう?多少のぼったくりはしょうがないと思いますが、強盗タクシーにだけは会いたくないです。(誰だってそうだとは思いますがw)→去年1泊で6回乗りましたが、1回は交渉、あとはメーターでした。怖かったら乗り合いジープかバスをお勧めします。ジープは自分以外全員グルで強盗って場合もあります、が、その前に、乗るのは慣れないと大変難しいです。
2008.12.19
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ビーチでしないこと世の中くらいのに、引きづられるわけにはいかない。ビーチですること昔、ビーチで3ヶ月もいると、廃人というか俳人というか、愛人にはならないが、暇人にはなる。大きな、島の監獄に閉じ込められた感じにもなってくるのである。島の中で自由に行動し、自由に飯を食い、自由に酒を飲み、自由にフラフラになり、自由に泳ぐのだが、限られた中で閉じ込められているのである。ビーチにもいろいろあって、大まかには、騒がしいビーチと、何もないビーチとがあり、それぞれに、趣がある。ビーチ好きになったのには、理由もある。やはり生まれて初めて行った南国ビーチの印象が強烈だっただからであろう。何度も書いているので、また書くのであるが、18歳で、一応、ほんの数ヶ月前まで、受験勉強という長い苦しみを味わってきた中で、狭い閉じられた世界に生きてきた私にとって、急遽、そんな大きな世界の潮流の変化は不思議なものであった。初めて見た椰子の木に大いに感激し、ボロボロの船に乗って、イルカと併走し、マンガでしか見たことにないような小さな無人島に椰子の木3本といった光景を眺め、遂に湾内に入ると、珊瑚礁の上を、宙に浮いているように船が進むといった様子は、半年前の自分には想像できなかったことであった。船内では、宿屋(バンガロー)に呼び込みを図ろうとする、宿屋の人たちに西洋人、地元の買出しの人々たちと、ほんの少しのフィリピン人自国民の観光客。港から、ジャングルの中をジープに人とモノが乗って満載の中、舗装されていないでこぼこ道を行きながら、何度も頭を打ち、跳ね返ってきた石が体に当たる。ビーチには、浜辺まで、バンガローが十数件あり、そのビーチの横に、ディスコがあった。瑚礁まで15メートルといった中を、泳ぎながらも、バンガローのデッキにいると、地元の暇な子供たちが遊びに着たり、暇な大人たちが遊びに来たり、物売りをからかいながら、特に何をするということもないまま、夕方となり、やがて夜となり、静寂が訪れると思いきや、ディスコミュージックがジシズシズシとなり始める。思わず、それでは、とディスコに行ってみると、同じような年齢の女の子たちが、ビキニでダンスを踊っているのであった。小さなビーチなので、彼女たちも、昼間は暇プーこいていて、バンガローとテラスにぼーっとしていると、冷やかしにくるのであった。3泊もしないうちに、もう島民や働いている人たちから顔と名前を覚えられてしまう小さなコミュニティであった。うわあ、20年もたってもサンセットディスコ健在だが、えらい風景激変やな。そうやって、何年かにわたり、それから4回、ミンドロ島に行くことになるのであるが、やがて、宿屋の規模は大きくなり、水は綺麗だが、珊瑚はなくなり、ディスコは増え、牧歌的な空気が消えつつあった。そうやって、ビーチ好きが刷り込みされ、やがてバカになっていくのであった。働き出すと、さすがに気がつけば1ヶ月という事態はなくなり、せいぜい2泊といった寂しい状態である。今、どこのビーチがいいんだろうか・・・。とんでくか。まあ何をするか、何をしないかだけどね。 2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.12.18
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昨日は今年6回目の忘年会となり、あと2回を残しつつ、休肝日の今日、忘年会の一般的な様子を日本を代表して全世界に紹介する所存。まずは、明日は、忘年会だという前の日には、その前の日が忘年会でない限り、できるだけ、明日に備えて屈伸やストレッチをしながら、酒はたしなむ程度に抑えるか、ちょっとヨッパらったかなと思う程度にとどめておくか、全く飲まないかであり、寝不足による、酔いの速さを避けるために、早々に寝床に着く。早めに寝床についても、そこで読書をしてしまい、結局、いつもと同じぐらいの寝る時間に限りなく近づくことも想定のうちに入れておかなければならない。朝、起きると、今日は、夜から飲まなければならないので、仕事どころではない、と考えるのは、浅はかで、仕事中に、夜の宴会のことが頭をよぎるなんてことは、滅相もないのだが、とにかく、いつもより、早めに仕事じまいすべく、仕事スペースをあげるというわけでもなく、急遽、涙を飲んで中断しなければならない。時刻は19時、ネオン街へ颯爽と姿をあらわし、集合時間5分前の19時25分に到着すると、2番目乗りとなり、取引先の1番乗りの人も、誰も来ないので、若干焦っていたのは確かである。日本の忘年会、居酒屋には、海になっており、キャッチアンドイーティングするのである。しかし、戦利品を料理してもらわなければならないので、そこに配備しているすし職人やコックの方々に、料金を後払いとして、刺身にするのか、塩焼きにするのか、煮込むのか、その料理方法を的確に指示しなければならない。その間にも、一生懸命にビール、ワイン、しょーちゅー、などを体内に注入することを忘れない。他社の人というのに、年下というだけで魚釣りを命じるどころか、私はイセエビを食べたいと思います、などとほざき、イセエビが釣れるスポットまで出張に行ってもらう有様である。そうやって、1番最後に遅刻してきた人は2時間半遅れたが、かけつけ3杯をしてもらって、4時間で1次会が終了し、たいがい、私自身も疲れたので、帰りたくもなったが、メインゲスト会社の辛さ、次も主賓としていかなければならない。主賓でメインゲストではあるが、厳選に厳選の抽選の上、料理店を選んだのも私といえるのであった。次の店は、あんまり好きではないのだが、カラオケボックスである。日本国家の棒念会のお決まりごとのようであり、しきたりなので、ここは、残念ながら参加である。最終電車の時刻を気にしながら、時間との戦いで、その時刻が近づくとソワソワしてくるのであった。かえるタイミングを計らいながら、でも本当は、余り考えず、じゃあ、みなさん、おやすみなさいと、退去しようとするが、各種関係会社、同じ会社の人に、完全阻止、勇気ある説得をされ、そのうち、カバンやコートを隠され、帰る事ができなくなるのであった。やがて、最終電車の時間を1秒過ぎた瞬間に、切れ、仕方なく、その後、「ガッチャマン」と「完全無欠のロックンローラー」と「HIGHWAYSTAR」を絶叫し、ビールジョッキを破壊し、スーツのズボンがずり落ち、マイクとグリコポッキーが折れた。「え、この人が、こんな突飛なことを・・・絶句。・・・この人の本心は???」ん?本心が普通じゃないとき、突飛なとき?普段普通時は本心じゃない???しっくりこないなあ。まあ、その突飛な行動そのものだけの本心本音のことで、普段の生活の本心じゃないんだろうけど。・・・。それでも、2時を越えてくると、歌ばかりでは大変疲れてしまい、私は、仕方なく、今日はコレで終わり!といい、誰かが私に歌わせるために入れたジョンのハッピークリスマス&ハッピーニューイヤーを歌い、シャンシャンとなった。皆は重い足を引きずりながら、店を出て最後は1本締めどころか、勝手に流れ解散となるのであった。最後は、ダンスを鑑賞して終わり。これが、日本の一般的な忘年会の様子としきたりと伝統です。忘年会が終わりますと、大抵のニポンジンは海外に脱出します。あくまで一般論です。
2008.12.17
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seoul民族博物館のコーナーの続きなんです。1ヶ月ぶりなんです。 先日、スケートを見に行っただけに、偶然にも、昨日は、キムヨナとアサダマオの演技を見てしまった。日本人は、バカみたいに、すぐに、セクハラ、マナカナ、ドンビキ、アラフォー(5文字だけど)など4文字に略してしまうのだが、そのことに一時期むかついていたが、音節的に江戸以前からそういう傾向があったようなことを考えると、まあ、そんなものかなあ、とも思うようになったが、それはおいといて、日本人にとっては、キムヨナは覚えやすい名前である。しかし、この二人、それぞれの国で、コマーシャルに出まくり、特にキムヨナは国民の妹、9つぐらいのCMに出ているそうで、今回、2位になって暴動が起きないか心配な所存である。それにしても、あとの選手に比べて、現在、ダントツにうまいのが、素人の私でも分かってしまうところが、切磋琢磨でギリギリの違いでありそうな世界では、びびるところであった。シャープで、ジャンプが高く、回転が速い。私は、この前実物のすべりを見て、点数にはならないが、ピクリとも動かず、平行移動する姿も綺麗なものだなあ、と思うのであった。それにしても、点数のつけ方には、やっぱ、点数制度の競技モノの場合は、政治的なものはあるのだろうなあ、と邪推してしまう人も多いのではないだろうか。アイススケート大国であったアメリカの凋落を尻目に、今、盛り上がっているのは、どこよ、韓国と日本よ、って感じで、といっても、韓国では、キムヨナだけって感じで、アメリカとしては、アメリカかどうか知らんけど、この2カ国から金を引きださなあかんわなと考えてみても、まあそうかもしれない。まあ、素人なので、邪推しても仕方ないので、誰が優勝しても別にいいのだが・・・。さて、本題に入ろうとしたが、本題が何か忘れてしまった。そういえば、必ず夜中にトイレに行く私で、トイレに行く夢をみてしまう私であるが、先日は、びびったことに、大きいほうをしてしまう夢を見てしまった。将来が健康に不安になる出来事であった。誰もが思うかも知れないが、寝たきりや介護になる前に、達者にぽっくりいけるような健康を保たなければならないと思うのであった。そういや、藤原先生のメメントモリでは、死はなし崩し的に訪れるものではなく、死の瞬間を決断して選び取って死ぬものですから、その決断力を養いなさいというようなことを言っていたなあ。まあ、惚けてしまったらそういうわけにもいかないが、謹言であるなあ。なんでもいいけど、忘年会帰ってきて、ベロベロベーロなので、ここで終了します。なんじゃい、サザエさん終わるんかい 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.12.16
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のりチョコレート、食べたいか?私は、今から、決死の朝鮮チョコに挑戦するのだ。さて、先日、風任さんが、卓球でエキサイティングしたということを書いていたので、思い出したのだが、私も小学校時代に、習い事までして覚えたのは、卓球と水泳であることをほのかに思い出したのであった。勿論、私の親は英才教育型で私を金目に糸目をつけずに育ててくれたので、その月謝は、おおよそ、年間3000円ぐらいであった。もしかしたら1500円だったかもしれない。とにかく、小学生には、一気に出すことのできない金額であり、もしかすると、お年玉から中間搾取されていたのかもしれない。とにかく、卓球に関しては、学校に先生たちが、公民館を借りて、週に1回教えていたのである。牧歌的である。今の言葉で言うと、ボランティアである。昔の言葉で言うと、サクリファイスである。 そんな訳で、小学校4年にして、既に、卓球が1級並になったので、向かうところ、敵なし状態となってしまい、小学校6年には、クラスでは、敵なし状態となり、学年でも、敵は数人状態になった。勿論、参加した中でである。参加人数は勿論数人ではなく、50人以上100人未満である。中学校に入った頃には、一瞬、運動の中では、メジャー路線である卓球部に入ろうかと思ったぐらいである。何せ、小学校5年生の頃は、学校が終わると、公民館に卓球をしに行く修業の日々だったのである。その後、中高と卓球から遠く離れて、大学の体育で卓球を選択したぐらいである。ちなみに、大学の2年のときに、1年間だけ、テニスやら、スキーやらゴルフやらの体育を選択しなければならないのであるが、私は、5元水泳を選択したため、何度も海水パンツを忘れ、冬は温水プールにも関わらず寒くなったので戦線離脱し、単位を落とし、3年には履修届けを出すのに失敗し、大学4年のときに、大学2年のジャリたちと一緒に仲良く卓球をしていたのであった。船で上海に向かう鑑真号の中には、卓球台が備え付けられ、広大な中国で、卓球大国を叩きのめしてくださいといわんばかりに、暇な時間をお過ごし下さいとばかりに、置いてあったので、そして、誰もしていなかったので、思わず、卓球をする優雅な船内だったんである。インドネシア中部では、身体障害者施設の小学校に行って、そこで卓球をして、障害者たちの子供たちをコテンパンにやっつけたのも昨日のことのようである。そうやって、私の卓球道は今後も続く、かも知れない。羽田空港の上階には牛がいることをお忘れなく。水泳道については、またいつの機会か書くつもりだが、もう書いたかもしれない。勝手口から出ると、落ちる家。住宅街に突如ピンキーでは卓球しながら河内音頭でどうよ。
2008.12.15
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慶応大学の裏側は、どうやら商店街が始まるのである。耐えて、商店街を越え、しばし、歩いていくと、金蔵寺がある。ど派手な古刹寺院で、神妙な気分にならざるを得ない。天台系であるが、そのあたりは、全く何が何だか分からないようになっている。変な表情の彫り物があったり、多種多様な非対称系の門構えに多少びびりながらも、ズンズン仕方なく進むのである。大変、世の中は、派遣問題や首切り問題などの労働問題で、やんややんや、言われているが、要は、本当は、景気が回復したり、よかったりすると、解決してしまう経済問題で、そんなこというと身もフタもないのおと思いつつ、じつと手を合わせるフリをする。裏山も、すべてが敷地であり、実のところ、延々2万坪という敷地の広さではあるが、ほとんどが山の面積であろう、そう広くは思えない。2万坪といえば、マンションにしたら700戸ぐらいは作れる規模である。裏山を抜けて帰ろうとしたが、マンションや民家の裏庭に隣接しており、道に接道してなかったので、仕方なく、元来た道なき雑木林の中を戻っていくのである。急がば、引き返せだったのであった。考えてみれば、何だか労働意欲がニポンジン全体になくなってきたとうか、働きたくても派遣しかなかったとかいう人も多いだろうが、そればかりではないのも事実である。景気が良かった頃、就職なんかしてしまうのか、そこで人生決定してしまうのか、社畜になるのかえ、と言われる時代が、1980年後半、バブルの頃には、そんな時代の空気が結構蔓延していた気がするんだなあ。何だか、子供の頃、過労死とか、一生懸命家庭も顧みず働いて、家では居場所もなく、源泉徴収で自動的に金だけ国家に搾取され、正規雇用サラリーマンなんか、夢も希望もないぜよ、なんていう意見もあったような気がするんだなあ、まあ一部の意見か。希望も持つなよ、受験戦争で勝ち抜いてどうすんだ、いいところに就職するだけが人生じゃないぜ、上昇志向がなんぼのもんじゃい、ぼちぼちやろうぜ。なんて意見も、今でさえ、まだまだ脈々と続いているのも事実であり、企業も、まあまあ、そんなのに対応している部分もあるかも知れないわ。そういえば、旧ソ連の大いなる停滞の時代、ブレジネフ時代は、ほんまにモノがない、何とかギリギリ生活ができるだけの厳しい時代であったが、一方、この頃ってソ連一般人の平均労働時間は、3時間半であり、土日は休みであり、なんだか、どこかで噂を聞けば会社を休み、行列に並ぶという生活であったが、今の格差で生きていけるかも危ういロシア人からは、あの時代はのんびり生きていけたよ、と結構、評価されているのも事実なのであるなあ。そういえば、同じく、中世のヨーロッパ。ほんま、この頃の一般人や時代は暗い。大いなる停滞の時代で、人間はできるだけ何もしないで細々と生きてきたのである。労働時間は、確かに3時間とかそういうものであったそうである。勿論、奈良時代のニポンジンの役人ももうちょっと働いていたが、それでも4,5時間も働けばいいところか。もう、企業の上のポストは詰まっているし、出世競争は更に厳しくなるし、ノルマや責任の重い地位なんかに立ちたくねーよ、なんて意見もあって、ガンバってもしかたねーじゃん、そこそこにやろうよ、って空気もあったことは確かだよなあ。ちゃうか。高度成長までは、ほとんど専業主婦ってものはなく、共働き、電化製品もなく家事の時間は長く、結婚するのは、今と違って、一人では生活できないからって感じのところもあったようだ。そんなことを考えるふりをしながら、やっぱ、働くパイを増やすしか、失業問題は解決しないのは当たり前だよな、との簡単な理由で結論つけて、駅に戻っていくのである。(でも、ニュースでは政府などの対策が景気問題と労働問題が別でされているような気もするのだなあ)駅前は、なんともいえない、普通の通りがあるのであった。日吉駅から、羽田空港まで1時間に1本バスが出ており、よっしゃ、それ乗ったるといって乗ると、他に乗客は0人なのであった。勿論運転手は一人であった。子供が減ったからか、ぼろっちくなってしまったからか、併設された幼稚園は、昨年閉園となってしまったよである。将来の貴重な労働力を確保せよ。
2008.12.14
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それは、山奥になり、雪が増えつつあり、細い山道を行き、すれ違いがあったら困るなと思うような道を行きながら、随分と積雪も多くなり、不安となる。鹿角市の尾去沢鉱山にて働くことになったのである。決して借金のかたにというわけではなく、カロリーの高い食事が与えられるからという理由でもなく、ただ栄光のためだけにである。いわば、北海道夕張炭鉱や九州や四国で働いている、炭鉱流浪人でもある。ついに、東北の炭鉱に流れ着いたというアレくれものである。ようやく辿りついて、何故だか、入坑料大枚1000円を支払ったので、おそらく、金鉱にたどり着けば、ウホウホウホのゴールドラッシュである。早速、凍えながらも炭鉱に入ると、暖かく、ツルハシも元気だ。多分。しかし、人が多すぎて、スイスイと何故だか進んでしまう。どう考えても、この2キロ近くの炭鉱に、生身の人間は私しかいないような気がする。しかしながら、やっと、お祈りをして、酒を飲んで、おみくじをくくりつけた後、詰め所を発見。詰め所では、忙しく動き回る寸前の人々で、熱気はないがムンムンしていた。何せ、1200年の歴史を誇り、九州からは、隠れキリシタンもやってきては、鉱脈に十字架を彫っていたりする優雅さである。さすが、金鉱、ジパングである。そういえば、マルコポーロは、東方見聞録の中で、黄金で葺かれた家のことを紹介しつつも、同時に、ジパングは、人食い人種だと書いてある。(聞き取ったのは、ベネチアで同じ牢獄に入れられていた同僚がマルコポーロの話を聞いて書いたのだが)そういえば、マルコポーロってさ、オヤジに連れられて、中国のほうにいったのに、親父らだけ帰ってきて、マルコポーロだけは、皇帝にもっといるように引き止められたわけだが、邪推すれば、皇帝の玩具だったような気がする。そういえば、黒人を日本に持ち込んだ、織田信長は、この皮膚の色は取れないのか、といいつつ体を触ってみたらしいが、邪推であるが、多分、玩具にしたと思う。しかし、炭鉱の中は、何故だか、スピーカーで、説明を垂れ流しにしており、耳が痛いのを我慢しながらも歩くのである。以上である。続きは、またいつの日か続く予定である。(昨日は、忘年会4連チャンで、とどめの4時帰宅だったので、もう寝るしか生き返る方法はないのである、ナムサン)2008年秋田旅行 大館 中田蜂 秋田犬館 鹿角ストーンサークル 鹿角 尾去沢炭鉱
2008.12.13
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先日の、オレンジ園から見えたのである。あれが。PLの塔ではある。毎年日本一の花火をジャンジャン打ち上げている教団である。この花火のことを、原爆花火というが、すごいネーミングである。ちなみに、富田林に住む、会社の先輩は、花火の日、それを見たいからではなく、移動ができなくなるので、会社を休む。何を隠そう、新入社員の頃、暫く、富田林で働いていた。毎日、この奇形を見ながら、仕事をしていたのである。昔、新興宗教の建物を作った現場所長と飲みながら話をしたことがある。金払いがスコブルいいそうなのだが、教祖の思いつきで、前日言ったことが覆され、毎日が設計変更だったとのことだ。それでも、金に糸目はつけんといわれたら、壊してやり直してくれということで、工期は延びに延びたけど、楽しかったということであった。PLといえば、PL学園を所有するだけでなく、そのPLの塔の麓には、2つのゴルフ場を持っているわ、今はつぶれたけど、遊園地も持っているのである。まさに、人生は芸術である、って教えの通りの建物である。新興宗教系では、天理教に続くぐらいでかいようだが、そうなのか。今は、2階までいけるのであるが、もう、ミカン狩りに時間を費やしすぎて、そういうフシダラな時間はなくなったのである。
2008.12.12
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こし回りはOKか?痛くなってきたら、季節の変わり目だ。体も随分ぼろくなってきたと実感する季節だ。小坂町は、青森県に接した町である。本日、正直、初めて名前を知った炭鉱の町であった。鉱山の資金で建築された洋風鉱山事務所。では、先を急がねばなるまい。芝居を見る時間がなくてすみません。コレで我慢しときます。さて、なーんも車が走っていない東北自動車道を10キロ少々進んでみる。進んだら、青森県に入ってしまう。錦水には、数年前に宿泊したことがあるという驚愕の事実。羽州街道を行くと、出た!個人宅。車は、時々走るが、すべての車が完全無視である。中田さんの家である。誰かが住んでいるという気配がない。ネットによる、詳細によると、ここの作者である方は、1989年つまり、もう20年前に亡くなられたということで、そのまま、養蜂場も閉店となったようで、オブジェのみが時を経て、朽ちていくままになったり、欲しい人にあげてしまってしまったとのことである。また、世の中の才能が失われていくのであった。世の中、だいたい、どこも、金太郎飴のようになってきている現在、異形を畏敬の念を持って接することが大切である。文化遺産が廃れていく前に、細かくチェックしていかなければならないのが、目下、私の使命である(が、飽きてきた)。2008年秋田旅行 大館 中田蜂 秋田犬館 鹿角ストーンサークル 鹿角 尾去沢炭鉱
2008.12.11
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いきなりミカンはたべられません。前回の続き、いよいよ、最深部、ミカン園に侵入するんである。もう既に、みかんは、10個以上食べているのこころである。食べ頃です、きっと。でも今日で今年は閉園でした。著作権等々の薀蓄はこの際やめときましょう。食べ頃の順序というものがあります。やたら持ち帰られることに恐怖を感じられています。発見すると、3倍もらいます。先日、子供が滑りましたバナナの皮で。禁止されていることは、絵にしてバッテン入れてます。身障者の方のコースといっても、かなりハードな坂道なんですけど。何か。今年のミカンは小粒ですって書いていますが、大昔からある看板のようです。秋晴れのようです。ミカンです。ミカン園全景。×アウト。野球場でしたか。至る所でカラーコーン活躍です。みんな楽しそうだなあ。でもここのおっさん、もうからんらしいで。何かオブジェのようでしたが、分かりません。では帰ります、まあまあ、楽しかった。おなかもいっぱい。思い出も拾えます。手が黄色くなってきたから帰ります。では、帰るのであった、実り多い年であった。ポケットに密かにミカンを4つ入れていたが、帰りにおやじが、今年で今日は終わりだからよ、ほれ、好きなだけもうミカンもって帰ってくれと束ごとくれた。ありがとう。ゴルファー猿、流行ってんのかな。今の子供たち分かるのかな、ってか、誰もいないのは何故?それにしても、私が口答えのないお客さんで良かったです。それにしても、怒涛の15分でした。
2008.12.10
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恥ずかしながら、久しぶりにこいつの続きである。すまない。今日、ネットオークションで、デジカメの画像メモリを落札したものが届いたのだが、1400円で2GBであり、今まで持っていた512GBとはえらい違いで、撮影可能枚数が2500枚である。学生時代は、海外旅行に行くといえば、馬鹿でかい一眼レフに、またでかいフラッシュを使い、36枚撮りのフィルムを20個も、カバンに入れ、それだけで、結構な荷物になった。フィルム代もバカにならないほどで、学校の学生会館にて、交渉に継ぐ交渉により、ここで現像することを条件に、ただで20個のフィルムを毎回せしめていたのであった。それでも、2,3ヶ月の旅行で、写せる枚数は720枚であり、1日平均10枚程度であり、写真を撮ること自体にかなりの勇気と慎重な構図決めが必要であった。それゆえ、いい写真が撮れたように思う。というか、珍しいところ、景色のいいところに行くと、自ずと、見栄えだけはいい写真が撮れてしまうということもあった。カメラに囚われている、という感じもして、カメラを持たずに旅行したこともある。極限に荷物を軽くしたこともある。ショッピングバッグ1つなら、大変奇妙な現象も起こる。ホテルにチェックインしても、全荷物を持ったまま、出かけるので、勝手にチェックアウトしたのと間違われる可能性もあるのだ。仕方ないので、インドのバラナシでは、カンチャ1袋をインドの安宿のベッドの上に置いて出かけて、帰ってきたらなくなっていたどころか、従業員が売りに来た。オイ、それ、オレのんやないか、といいそうになったぐらいだ。実際にカトマンドゥでチェックアウトしようとしたが、フロントに誰もおらず、こちらも、手提げ1つなので、何も怪しまれることもなく、とりあえず、枕の下に宿代を忍ばせて勝手にチェックアウトした。 インドのエローラでは、知り合ったイギリス人とドミトリーにチェックインしたはいいが、すぐ近くでいい宿があり、そちらに泊まり、翌々日戻ると、イギリス人は大層心配してくれていた。まあ、ドミトリーのベッドには、何の荷物も置いていなかったのではあるが、彼がルピーを貸して欲しいといって、自分の多めに英国ポンドを担保にして私に渡していたので、返して欲しかったのであろうが。 身軽になりすぎて、糸の切れた凧のようになり、町に着いても、まず宿屋の確保というのはなく、いきなりブラブラ歩いて、いいところがあればチェックイン、そのまま、その町は通り過ぎ、次の場所に向かって列車やバスに乗るということにもなった。問題は、厳冬の冬に成田への往復するまでの、夏服での移動の苦痛ぐらいだったか。カメラを持っていないと、頭が、カメラのワンショットの記憶をするようになる。バスから見たむしろをかけられた乞食の遺体、ムンバイ駅での切符購入を手伝ってくれたあんちゃんの顔・・・。 働き出してからも、暫く、カメラから離れ、再訪のタイや韓国などには何も持たずに出かけた。あとは、今や、アイポッドで何百曲もセレクトして手のひらに収まるような軽さになったが、当時はウォークマンに、カセットテープ10本とか20本とかを持ち歩いていた。タイやインドネシアではテープが安く(100円ぐらい)、増殖していくのであった。特に自転車で旅行したときは、大きいラジカセにテープが100本ぐらいあり、自転車旅行が終わってから更に、2ヶ月ぐらい、タイとフィリピンを巡ったのであったが、そのときの荷物の重かったこと。最終、ラジカセは、フィリピンの友達にあげたぐらいであった。電池も大変重いのであった。いつも12個持っているのであった。もとより、荷物より、気が抜けている感じがするのだ、最近。
2008.12.09
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南大阪に仕事に行った帰りに、密かに富田林のオレンジを食べに行った。受付は終了していたが、閉園まであと15分にも関わらず、スミマセン神戸からはるばる来ました、ミカンはいらないので入れてくださいというと、よっしゃよっしゃ、ミカンはバンバン食べたらええで、料金も半額にしといたるわと、太っ腹なオヤジであった。すごく、細い道を行くのだが、何気に熟女優先です。ここには、夢があるが、それ以上に、この注意書きに期待感が上がるのではある。すべて手つくり開墾、カラーコーンも尖塔になる。とにかく、いろんなコースがあるのだが、どれもやっていない状態でした。生水飲むな、ジュースを買え、謹言である。オヤジ、いいこというね。悲しいかな、今の日本、少しは金がないと、どうにもならん。一応、園内で怪我をすると、誠意を持って応急措置はしてくれます。何て、親切で昔かたぎな店なんだ。社会のルールは家庭から。園内からではありません。蜜柑園ではバーベキューはいてはいけません、コレ、世界の常識、あなたの非常識です。ポイ捨てはピース。もっと、夢のある話をしなきゃ。恐怖のアスレチック、手作りなので、壊れるのか?釣りません、そういじけられると。ザリガニ、空気が入って浮いてます。あれれ、怒ってるのザリガミ?池で泳ぐなよ私をゲットできる、ザリガニは精神修行の場所である。私をゲットできる、ザリガニは精神修行の場所である。冬眠すんのか?高級アイスと、5匹との国際的取引フィールドアエガンでは、いくら当たっても、高級アイスとは交換できません。探検の森に行けばもう帰って来れないかもしれません。オヤジクイズ大会が園内にて展開されている。答え、ブッブー。売り切れにします。さて、もう時間はないけど、BBQして帰りますか。大きい声では言えないけれども・・・ありますよ。すんません、さんざん、食べ物宣伝しときながら、何もありません。なんだか、何年も前から掲げられているように思います。パラダイスの感想は?大事な約束か?次回、第2部、ミカン編に、いつの日かまで続く、が、誰も待ってない!
2008.12.08
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12月6日という土曜日に、横浜まででかけていった。ご好意により、アイススケートのチケットを頂いたので、初日一発目に、急いでいってきたのである。 スポーツ観戦に一般的に、自分がしていた陸上競技やマラソン以外に、テレビをつけたときにやっていたら、ついつい見てしまうのが、アイススケートである。今日、優雅さとか以外にその理由が分かった。激しい運動のせいか、私が飽きる前に、演技が終わるのである。一人(一組)当たりが短いのである。これは、良いのである。これは、画期的に良いジャン、と横浜弁でいうのである。 いろいろな方が、演技をしたのだが、トリで、色眼鏡で見てしまうのであるが、荒川静かは、優雅にみえた。それは、氷にネチャと引っ付きながらも、体はピクリと動かず、自動的に、氷の上を動いているのである。大きな動きはないのだが、何故だか、不思議に滑っているのであるのが、不思議に見える。他の人は、氷を蹴るのが分かったり、推進するときに力が入ってる筋肉の瞬間が分かるのだが、何故か、彼女は、スイスーイといく。それに、テレビと違って体が細い。 スケート場は、なかなかこじんまりしていて、アリーナ席から、よく見える。結構、スケート靴が、氷を削る音がするものなんだなあ、と分かった。 アフラックの癌を乗り越えて、演技をしている、伊藤玲奈も髪の毛を切って、何だか、ふけたようには見えるのだが、小さく、そして、旦那との愛情見せ付けられという感じで微笑ましい感じがして、同時に、ちょっと恥ずかしいのである。男女のコンビを組むのは、ちょっと見ていてどこまでお互いの信頼感があり、恥ずかしいのか分かるのであるが、それを見るのは、悪くない。 なんだか、そのあとで、シングルで男や女が滑る演技を見ると、何だか、パートナーから溢れました、スミマセンという印象を受けてしまい、老婆心ながら心配になってしまうのです。すみません。 それにしても、スケーターの女性は、ホント、美しい。しかし、私がヘテロ男性だから思うのかも知れないが、男性の演技って、嫌だなあ、美しくない。何でこんな競技があるんだ、なんて思ってしまうのである。スピードや回転などを競うなら面白いが、ダンスはなあ、なんだか、あまり、まあ、ペアでするならまだしも、好きじゃないなあ。 それにしても、競っているのではなく、エキシビションなので、のんびりやっていて、のびのびしていて、気持ちいい反面、緊張感がなく、ジャンプの飛距離に高さが低いんだよね。それでも、5回ぐらいは、自然に、拍手した私であった。 スケートは、自分自身は、小学校のときに何度も行った。でも最後に行ったのは、高校生のときで、クラブの皆で行ったが、初めてという奴もいて、そうなんだ、スケートしたことない人居るんだなあ、と思ったものであった。でも、今はもう神戸にも1箇所しかないようだなあ。最後に行ったのもそこだったけど。昔は、家近くに夏はプール、冬はスケート場ってところがあったんだけどなあ。もう流行ってないのかなあ。 ところで、飛行機に乗り合わせた有名人に、浅田マオがいるのだが、それは数年前であるが、それはそれは、彼女は、子供そのものにしか見えないのであった。流石に有名人、最後の最後まで、どこかに隠れていて、最後の最後に、分からないように、そっと搭乗してきた。 2階のビジネスクラスに乗っているのであるが、どこをどうやって嗅ぎつけたのか、不思議な追っかけというのがいて、やたらエコノミーから見にこようとする怪しい男が1名居て、ブロックされているのであった。それに、東洋人なら誰でも同じに見えてしまうような噂を聞きつけた西洋人のパイロットはは、アサダマオの近くに座っている女性(中国人)に、「素晴らしい演技で」とか「ようこそ」とか、話しかけていたのが間抜けであった。そして、子供なのか、食事制限なのか、デザートが運ばれたとき、浅田選手はスイーツを覗き込んでいたが、マネージャーに駄目よ!と怒られていたのも微笑ましいものだった。ちなみに和食食べてたけど。ちなみに、イギリスでは、食事の後に、食べるものを上流階級ではデザート、或いは、アフター。労働者階級ではスイーツという。まあそんな感じでシャンシャン。貴重な体験をした1日であった。
2008.12.07
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福島県田村町工芸の村。については、カッパであることも証明したわけであるが、まだまだ続くのである、といっても、コレは最後なので安心されたし。ドラえもんと恐竜のコラボレーションひょっとこもセメントで作られると照れるようです。10万円か、買って帰ろうかな。もいかして、全部、売り物だったの、この工芸工場の産物。隣の敷地は、花の湯という場であり、死海の湯に入ることができるそうです、kellyさん。長い取材を終え、やっとこさ、アトリエを去り、帰ることができると思ったら、いきなり、暫く走ると、店舗を発見してしまった。緊急取材と相なった。ス、パイダーマン、店舗の壁を登る泥棒かと思います。花を持った人は、誰ですか、アトムも痩せてます。拒食症でしょうか。また、おしっこの人たちです。手作りながら同じ作品も量産している模様です。江戸時代から、安全運転飲酒運転追い越し禁止などを喚起している三悪人です。三悪人のバックには、鬼とか仏とか蛙とかが鎮座して睨みをきかせています。幹線道路沿いにあり、100パーセントの車が、完全無視を決め込んで、眺めもしません、まるで、そこに空気しか存在しないように。カメラを回す私は何なんだ。ススメススメヘイタイサン。危ない酔っ払いぽいおじさんもいます、もしかして自画像?蛙踏んでもいいですか。めくらのミッキが、何だか、訳の分からない標語が掲げられています。幹線道路の信号前にあるので、結構、車内からじっくり見る機会があるというのに、運転手は、何故か、風景を楽しまずに、きっちり前を向いている。そのあと、もう一箇所みつけたのだが、さすがに、無視してしまったのは、飽和状態になってしまったからだと思われる。しかし、店舗には、誰もおられないようではあった。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.12.06
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(放浪の達人息子推定年齢16~17歳、独身が就学旅行として、シンガポールからマレーシアまで絨毯攻撃しているというのだが、私の場合、19歳であった。彼も、私と同様、ベンクーレンに泊まっているのだろう。そんなに1学年泊まれるほど、ドミトリーのベッド数があるのか、不安なのではあるが)ジョホールバルは、マレーシア最南端の町であり、海峡を隔ててシンガポールが見える、シンガポールに水道を供給する85万人都市である。英語も、シンガポール人が話すシングリッシュである。 当事、ボルネオ島の河下りに行こうとしていた、隊長を私とする、私の卒業旅行で、私の初めてのファーストクラスであった。シンガポールから、対岸の町のジョホールバルの空港に向かおうとしたシンガポールのバス停17時。 私を総大将とする精鋭4人組は、35キロのボートを担いでいたのだが、これがでかい。一般バスに乗せようとすると拒否されながらも、3度目に何故だか、無事乗せることができ、シンガポールを脱出。170番バスである。その理由は、170番のバスに乗れば、ジョホールバルに行けるからだ。何せ、5分に1本程度どんどん出て行くので、チャレンジ満載中である。国際バスといっても、ほとんどが、マレーシアからの通勤客や買出し客であり、大きな荷物を格納する場所はないのである。屈辱的にも、そのバス停は、昨日普段はカメラを首からさげないのだが、シンガポールのおもろいもの撮ってみよう大会で、3人そろって首に一眼レフ下げて並んで歩いているのを、昨日、マレーシアから一緒に来た西洋人女性にばったり会ってしまい、苦笑いされた場所であった。きっと典型的日本人と思われたのであろう。 入国審査は、当事、今もそうかも知れないが、日本の菊紋章は絶大な力を発揮し、長い行列に並んでいたのに、何故か、するどく、係員が清楚な我々を発見、パスポートを取り上げ、こっちにおいでと言う女性に着いていくと、全員をオートマチックにゴボウ抜きし、マレーシアに無事入国させてくれたのであった。ジョホールバルは、シンガポール人の男性のせいのはけ口、タイのハジャイは、マレーシア人の欲望の捌け口、シンガポールの恩恵を受けた吹き溜まりの町というイメージだ。我々は、市場で荷物の見張りを兼ねて交代で2人づつ飯と散歩をしに出かけ、人だかりに参加すると、真ん中で演説をしているのは、勢力剤を売り込もうとしている男。(一応、税金をとるためか、シンガポー、チャンギ空港近くに、公娼館があるので、達人息子に取材をお願いしたい)男はひととおりの説明を終え、勢力剤を一口飲む。そして、数秒後、ズボンを抑えて、いきりたったイチモツを浮き彫りにさせる。キタネエ、と一言つぶやき、嘘っぽいとつぶやき、再びぶらぶらする。そこから、タクシーに乗り空港に向かい、ファーストクラスに乗ったのであった。草履で。
2008.12.05
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出発の時、存在の詩ギリギリパンチ-ラの時、存在の詩口からゲロってるアヒル、存在の詩こんな石でできた木チャラい、存在の詩チョイ、読みにくい、「ろ」が隠されている、存在の詩子供の頃からこんなに乗っていると、悪魔の性格になります、存在の詩言葉のチカラ、存在の詩してください、存在の詩ガ!です、存在の詩ポセイ、ドン、存在の詩コケタ、存在の詩八郎潟、ガタガタ、存在の詩タイアーマン、存在の詩駐車スペース1台しかない、存在の詩転がってます、存在の詩ナマズ食う、存在の詩看板に破廉恥な顔、存在アピールの詩。郵便か、存在の詩真心の仕事を任せるか、存在の詩欲しいか、存在の詩ハッピーで踊れ候、存在の詩キャバレー宇宙、存在の詩都市の友情、都市の友情、存在の詩頭から針金、存在の詩笑顔で世界平和、存在の詩お金が大事、存在の詩明日までに完成、存在の詩カメムシ、存在の詩さて帰るぞ、存在したか。
2008.12.04
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実家の近くにある離宮を買うかどうか迷いながら、ちょっと寄ってみた。何を隠そう、年齢がばれてしまいそうなので、いうのも憚られるのではあるが、あえて恥を忍んでいうと、30年ぶりの再訪である。ちょうど、小学生の頃、バナナはおやつに入るのですか、お弁当についてくるものでいいのですか、という渦中の論争に巻き込まれた政治の季節であった。あるいは、友達と500円分、たっぷり1週間前におやつを買いに行って、当日、そのお菓子をキープして持ってきたのは私だけだったという、我慢強い少年時代が証明された潔癖の季節でもあった。 但し、覚えているのは、おぼろげな噴水の風景だけであった。どこかで弁当を食べ、ケイドロをしたのであった。ケイドロとは刑事泥棒ゲームで、男女に分かれて単なる追いかけっこをして捕まえるだけの単純なゲームでありながら、目的の女の子男の子に抱きつくという高等戦術を要する子供心に他称えろくも、顔を高潮させるテンションアップの優雅な遊びでもあった。捕まえてから10数えなくてはならないぐらいであるから、その10秒間が、ゲームだから仕方ないという、しょおもない理由を掲げながらも、鼻息は荒くなる高尚なゲームであった。しかし、30年間の間に、私に何があったのか、と考えてみるとしんみりするほどではなく、まるで夢のようである。小学校の友達たちの多くは、ギリギリ好景気の頃に就職し、結婚もし、子供もでき、それぞれの人生を歩んでいるのだろうが、もう付き合いもない。今でもつきあいのある小学生時代の友達は、何故だか、離婚し、失職し、まあ、それでも元気にやっている。ように、みえる。天皇やプーイー(ラストエンペラー)も滞在した離宮ではあるが、戦時中には、建物も空襲で消失したのである。今、隣にある植物園も元岡崎邸である。岡崎一族は、要は、華麗なる一族のモデルのあの岡崎である。会社は、今も、山陽特殊製鋼として存続はしている。まあ、いずれにせよ、数回訪れただけでの30年のブランクは、とりあえず、懐かしさはないものであった。
2008.12.03
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筑波の始まりの記憶は、筑波博覧会か何かで、カプセル手紙を送ろうというものであった。高校の同級生であった心斎橋ワタル氏に送り、彼もまた私に送り、それが、実家に返ってきたのは、20年後だっただろうか。詳しい手紙の内容は忘れたが(日記のどこかのアップしているはずだが)、この手紙を読んでいるということは、ノストラダムスの大予言はなかったちゅうことだねえ、ということが書かれてあった。当事小学校であったワレワレに、大変恐怖を撒き散らした出鱈目な現象であった。しかしながら、ノストラダムスの大予言、例の言葉狩りや奇形を出演させているせいで封印されてしまった映画を見たいのである。近年、鳴り物入りで、関西まで、一応ニュースが流れてきた、筑波エキスプレスであるが、それまでは陸の孤島だったらしい。その筑波エキスプレスに乗ったのだが、乗るまではJRかと思っていたぐらいである。駅を降りて、しばらくすると、流石に何も変哲もない郊外都市でありながら、景観を気にしてか、煮鳥豊かな街路樹に、ロードサイドの俗悪な店が少なく、外国人が結構歩いている。何だか、思い出したのが、筑波は自殺者が多いという噂であった。あくまで、噂であり、事実ではないのだが、町の規模の割に人が少ないこと、整備にお金がかかったんだなあということを考えると、何となく、そう思ってしまうのであった。ちなみに、大学で自殺率が高いのは、東大京大らしい。つくばは、広い。スイスイ進むバスで、筑波山まで行ったのだが、50分もかかり、だらだらした住宅街や大学を抜け、だらだらした旧村を抜けていく。ははん、筑波エキスプレスで秋葉原まで45分といいながらも、エキスプレスの駅まで行く方が遠いんじゃないか、便利になったと思った人は案外少ないのではないかと思うのであった。はずかしいことに、つくば市の南側は、つくばみらい市である。恥ずかしくてスメネーヨーバロー。まだ、愛知セントレア市(没になったが)のほうがましだよ、バロー。郊外化を象徴させられるものは、やはり、同じような建物の連続と、同じような道の連続だ。そして、これだけ広いのにバスの本数が少ないのは、広すぎて、皆、車を使うのであろう。つくばに着いてからが、大変不便だ。大学もアメリカじゃないのに、何故、あんなに長い?学部ごとにバス停が違うではないか。あと、車のナンバーが、やたら他府県が多いのは、旅行者というか、研究者や学生や出張の人が多くて、住民票も移していない人も多いのではないか。ということは、地元民と研究者、学校関係の新住民一時住民との温度差がかなりあるのではないかと想像される。何か、だだっぴろさの中でちぐはぐなのだ。きっと、子供の教育や、住んでいる地域、コミュニティの形成、何から何まで断絶状態なのではないかと勝手に思うのであった。きっと都市伝説あるよなあ、豊富だよねと思ったらそうだった関西でも千里ニュータウンや泉北ニュータウンなど多数あるが、それは、今や、オールドタウン化してきている。田園都市なんてヨーロッパ幻想であった。土地が公のものという発想でないと難しいのであろう。結局は、農村や丘陵に、都市(住宅)を引っ張ってきました、以上!って感じなのだ。つくばも、ただ、広すぎて、歩けない、都市ではない。独特のデザインもない、距離感がつかみにくい、不便さと落ち着きのなさを感じてしまう。綺麗なだけが寂しい感じがするのである。しかし、ニュータウン化は、職住の接近には、成功したのかもしれないが、先程書いたように、既存の農村や先住民との融合は進んで居なさそうだ、そんな必要ないか?しかし、もう今後人口も減るので、もう郊外化は、伸びきって、あとは、外国人でも入れていかないと、縮むのみなのだろう。そんなわけで、ほとんどの人々は、つくばがどうなっていくか、おおよそ想像がついているだろう。年取って、人が減り、車が乗れなくなったら、不便極まりない場所になっていくのだ。多摩ニュータウンや千里ニュータウンの奥地がそうであるように。とかいって、あまり良い印象を持たなかったのは、別につくばだけではないのだ。大抵の、郊外って、そういうもので、寂しいのだ。猥雑な都会か、ちゃんした?田舎がいいのは確かである。そういいながらイミテーションロケットを、駅から見ながら、駅前から羽田行きバスに乗った。高速道路に乗るまで、時間がかかったが、同じような道をはやり走っていた。日本全国にあるニュータウンという変わらない風景の中を。
2008.12.02
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世界科学忍者捜索隊のトイモイ2号(ようちゃん2号元気かなあ)は、オニババ伝説を研究するために、福島県二本松に向かった。入場料も、良心的で無料なので、安心しての入城である。但し、黒塚宝物資料館は有料のようだったので、パスである。「岩木が常食に用いていた茶碗」「薬草や人肉を煮た鍋」「岩木が使った出刃包丁」「妊婦の肝を入れた壺」があるそうなのだが。多分、説明書きが貼ってあるだけである。せいぜい、ユルキャラのオニババが迎えてくれるぐらいである。マスカラのお洒落な鶏に、恋を案内されても、ちっとも嬉しくない、科学忍者捜査隊でもある。不謹慎ながらも、言っちゃいけないけれども、どれが、人形で、どれが人間か、その境界例(境界線人格障害)になるところだった。あ、動いた・・・去っていく・・・バナナが特徴的である。しかし、この時代にこのバナナは怪しいような気がする。元々、ピリピンバナナや台湾バナナはもっと小さいものであり、もっと青いものだ。これは、デルモンテとかその辺りでアメリカ用に改良されたバナナのような気がする。手が動いてます。吹き矢で地面を狙ってます。酒を注ぎたいのですが、夫婦仲が悪いので、注げません。家族の肖像です。家族団らん。一応、オニババの説明どや、カイコといわれても・・・この頃の生活のナレーションがなっていた。年収は200万円で4人家族に下男下女の6人住まいだそうである。ということは、下男下女は無給でセ生活の場を与えているということで、食べ物は自給自足の部分があるのだろうなと想像された。それでも、引き締まった生活だったのだろうと想像される。微笑ましい龍も首を出しています。トラと龍が対峙してます。にんじんキャベツは踏むと柔らかいです。ペンギンです。オロチですか。一部食事中ですが、バナナもあります。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.12.01
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