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中国で偽札をつかまされたことを恨んでいるのもあるけど、エジプトでパンツをやぶかれ、金をふんだくられた恨みみあるけど、これは、個人的なあくまで一個人の不良旅行ガイドのせいなので、紳士としての私は不良国家を糾弾し、国家を陥れるような真似はしないのである。ヨーロッパとは、貧困な土地であり、恵まれたオリエントの地からすると、惨めで、陽が短く、冬が長く、権力者は奴隷を働かせて搾り取るといった歴史を繰り返してきた。羨ましい肥沃な土地を、冒険心を持って開拓にでかけたって美談は当たり前だけど、ウッソ、で、欲望を満たすために、自分たちが楽をするために侵攻したに過ぎない。オリエントからは、胡椒やグローブ、なつめやし、樟脳、サフランなどの香辛料から染料、生糸や麻の繊維、陶器、宝石、珊瑚、真珠までもが輸入されてきた。それに対し、ヨーロッパから輸出できるものは、羊毛や皮その他チョトだけで、オリエントの人々は、大してヨーロッパから欲しいものなんてなかったんだ。売るものがなければ、売るものは、奴隷しかない。ヨーロッパの奴隷は、文明国にどんどん運ばれていった。勿論、現在のヨーロッパでは、サラセン(イスラム教徒たち)にさらわれたと教えているのがほとんどだ。スラブとスレイブは同じ語源だ。ジェノバやベネチアン商人は、ダマスカスやバクダッドにどんどんヨーロッパ人奴隷を送った。ヨーロッパの歴史書にはお上品に黒海貿易と記してある。そして、ついに、何世紀かかけて、ヨーロッパ人はアラブ商船を爆破したりして、どんどん、オリエントに進出していった。勿論、ヨーロッパの教科書には、アラブ人が手を引いていった場所をヨーロッパ人が出かけていったとお上品に書かれている。中国は、中華思想にて、時代によっては自分の国土をどんどん増やしたのではあるが、さすがに、アフリカやヨーロッパやアメリカまでは、領土を広げようとは思わなかったようだ。どこかの宗教と違って、中国の哲学書にも、出かけていって子孫を増やして大地を征服せよなんて書かれてなかったのである。アメリカに行って~、先住民を虐殺して~無知で未開な人々にヨーロッパの道具の使い方を教え、ヨーロッパの編み物を教え~、なんて私たちは、感謝してもらいたいぐらいだわー。メイフラワー号がやってきて~、冬が越せずに死にそうになったところを先住民に助けてもらったのに、いつのまにか追い払い、虐殺しつつも、麻疹百日咳コレラなんかを順調に輸出しちゃって、バッタバタ~。自分たちで持ち込んだ病気でバタバタ死んでいくと、神がこの土地をわれわれに与えてくれるために先住民は死んだのじゃ、と神を称えたりなんかしてね。19世紀最初、ついに、アメリカ本土からヨーロッパ人がやってきた!温和な気候で上半身裸の女性に、裸体はよくないと、宣教師が着せたのがムームーだ。そんなことより、こいつらがきて50年もしないうちに、50万人の人口が5万人になっちまったわ。そして、日本に来たか、ペリー、おっとどっこい、ペリーは喜望峰を回り、インドや沖縄を経て、日本にやってきた。開国をそれまでロシアから始まり、ヨーロッパ諸国が何度も何度も迫ってきたのを断ったり、追い払ったりしてきたのであるが、ついに開国だ。日本が鎖国に固持していたのは、不安だったから他ならない。怖かったから他ならない。幕府は何が怖かったのか。漠然とした不安ではない。有名な話であるが、幕府は、鎖国当初から、世界の情勢を知っていた。平戸に唯一入港を許していたオランダから毎年、江戸まで世界情勢を報告させていたのであった。幕府は世界情勢に詳しかった。そして知っていた。ヨーロッパの蛮行を。通商条約なんか結んだら、最初は友好的に見えても、その後、あの大国仏教のふるさとのインドや中国(清)がどうなっているか知っていた。開国したら、あれらの国のように植民地化されるのは分かっていたのである。かといって、列強に策は、幕府にはなかったので、ズルズルとにかく、延ばしに延ばす、それしかできなかったのであった。例えば、インド、ヨーロッパ本土でもワーテルローの戦いでナポレオンが大敗した年に、ほぼインドでもイギリスがフランスを追い出した。そして東インド会社がイギリスで必要なだけの綿花を栽培するようにし、自主性が高く豊かだったインド農民を日雇い労働者に落としいれ、土地を追い払い、繊維手工業をぶっつぶし、イギリスの機械紡績を導入、綿花価格も勝手に決められるようになったのであった。勿論、イギリスの教科書は、格調高く、イギリスの進んだ紡績技術の機械化によって、インドは大変な打撃を受けた」と書いてあるだけだ。インドを完全に掌握するまでにイギリスは300年かかった。だから、最初、友好的でも何百年もたつとえらいことになると、幕府は知っていたのである。300年前は、インドは文化も戦力もヨーロッパに勝っていたというのにである。例えば、中国。結構、ヨーロッパ人は今でも、中国人は伝統的にアヘンを吸引してきた歴史があると思っていたりなんかする。何がどう嬉しいのか、たまたまイギリスに送られてきた、茶に、イギリス人ははまりまくった。その後、綿や木綿より需要が大きい市場になってしまったのであるが、中国人がイギリスから欲しいものなんかなーんmなかったので、仕方なく、銀で払っていた。おまけに陶器や工芸品にもイギリス人ははまってしまった。こうなれば、大赤字である。中国皇帝も、自分たちは世界一だと思っていたので、大国インドがどんな目にあっていたか気にもしなかった。知らなかったかもしれない。そして、有名な、インドでアヘンを作って、中国に売り込み、中国から茶や工芸品をイギリスに持ち帰るという三国間の貿易をやりはじめたわけである。こんなことではいけないと、アヘン倉庫を燃やしたのに激怒したイギリスは、あれよあれよのアヘン戦争。それから先は、日本はどうなったのか、私の気が向くまで待て、って誰も待ってない。そういうわけで、エジプト刑務博物館、戦争博物館の説明を終わります! 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.30
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まあ、そんな訳でさ、一応、大富豪なんだけどさ、さすがに1ヶ月に2回海外旅行するとさ、お金もなくなってさ、食べるものもなくなってさ、今年あと数回、海外旅行を企画している大富豪の私としてわさ、もう、優雅な休日は、朝から寝るしか仕方ないんだよね。起きると腹減るしさ。でも、やっぱり華麗なな私は加齢と共に、だんだん、夕方まで寝ると、床ずれ起こしそうになってしまうから、ついつい散歩にでかけちまうんだよね。でも、最近は少し収まったとはいえ、原油高でさ、そう遠くにも行けるはずもなくてさ、近場で、子供が行くようなところに、青年実業家が行くってのも何だか変なんだけどさ、伊丹空港の横にある(横といっても同じ市内なだけ)公園にブラブラでかけて散歩するわけよ。この心苦しさ。男女の親密感ってさ、いかに、子供の頃の思い出、つらいことも、楽しかったことも語っているかで図ることができるよね。もし、自分の暮らした町に連れて行くことができたら、自分の小中学校を紹介してみたりとかさ、家族間でひどい目にあわされたことがあってもそのことを話できてたりとかさ、そういう恥ずかしいといえば、恥ずかしいことが、たまに話できているかで親密さが分かるよね。考えれば、父が子供の頃を語ったのは、自分は、3歳のときには父が死んでおり、兄姉に育てられたということと、牛を盗まれ、裏山で骨だけが見つかったということだった。母親のほうは、割と多いような気がする。自分の家だけ商家だったので、農繁期には外へ出てはいけないといわれ、仕方なく少年少女世界文学全集を何度も読んだこと。小中学校は体を動かすのが嫌いで、体育の授業にでたことはない(くせに中年になってチョモランマベースキャンプにトレッキングに行ったり、六甲全縦走50キロを20年以上連続して参加したり、沢登したりしはじめた)一度溺れかけて、それからは泳げなくなった。高校は成績が1番だったが、兄が高卒なので、大学へ行かせてもらえなかった。銀行員になり、大島に社員旅行に行ったが、船に揺られて吐いた。まあ、だいたいそんな感じだ。コレ、カメムシです。
2008.09.29
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2万人が粛清虐殺された学校(無事生還できたのは6、7人だという)を出ると、バイタク(バイクタクシー、ただの2人乗りや、トゥクトゥクの運転手が群がってきた。お決まりのコースなのか、プノンペンの見所は、もう虐殺の場しかないのか、早速、プノンペンから12キロ離れた、キリングフィールドへ、2人乗り往復10ドルで行く。何故か途中、ガソリンスタンドに寄り、2ドル払ったのだが、それはうやむやになったが、まあ、いいだろう、私は寛大であり、2ドルをケチるような旅行者ではないのであった。キリングフィールドでは129箇所に遺体が埋められ、その一部が掘り返され、掘り返された穴はそのままになっており、供養塔が建てられ、私も2ドルで花を買い、献花した。その遺骨は8985体納められているという。概ね、年齢ごとに、骸骨が分けて置かれている。知識人だけでなく、後期には、クメールルージュの地方幹部なども殺されたという。この前も書いたが、カンボジアに来ると、カンボジア人の35歳以上くらいの人は、全員、殺される立場か殺す立場か、殺人者の肉親がいるか、殺された肉親がいると思うと、心が痛むのは勿論だが、怖いというか、この人はどちらだったんだろう、と何となく思ってしまうのである。バイタクのおっちゃんもおそらく40歳ぐらいで、無邪気な子供だったであろうが、おそらく、家族は離散させられ、洗脳されて知識人をあぶりだしていたのかも知れないし、幼いまま、田畑の強制労働をさせられていたのかも知れない。軽々しく、君は当事どうしてたの?とは、聞けない。彼も、優しい穏やかなカンボジア人同様、ニコニコ笑っているのだ。ニコニコ笑っている裏にどういう歴史があって、人間っていとも簡単に洗脳されてしまうものなのだと、軽々しくも思う。プノンペン市内を抜けると、農村が現れ、まだまだ、このあたりには、地雷がどこかで埋められたままになっているのだろうか、国土で400万個とも言われるひとつをのんびり歩いている牛が踏みつけるのではないかと、結構、冷や冷やしながら見るが、それにしてものどかな風景であり、それが、怖いのだ。 映画、キリングフィールドを3回見たが、そのストーリー展開は、あくまで欧米から見た少し陳腐な映画なのであるが、その映像はインパクトがある。昼は農作業、スピーカーからは思想教育、夜は集会、昔教師だったもの医師だったもの、すべてを許そう、といって名乗り挙げさせ、その場では、よく言ったといいつつ、その人たちは、影で殺されていく。子供たちは洗脳され、昔、先生だった人などを探し出し、チクる。主人公が強制移動させられた村から脱出の、その風景は、まさに虐殺の後。この映画はノンフィクションを元に書かれたのであるが、この主人公のカンボジア人の人(カンボジアでは医師であり、映画と同様、強制収容され、タイまで脱走)は、90年代後半、移住先のアメリカで、殺人事件に巻き込まれて亡くなっている。 しかし、この映画1984年の作品と考えると、あの虐殺から10年以内に作成されたものだったのだな。そう考えたら結構スゴイな。 雨が降る中、3メートル程度の穴には、水が溜まったり、未だにゴロゴロ骨が出てくるように、そのあたりに骨の欠片が見つかったり、地中から出てきたり、それをとりあえず、1箇所にまとめて置いていたりし、絞首刑にされた木の横で、雨宿りをしたりしながら、結局、何をするでもなく、穴を見る。それは、やはり、静かであった。1998年、ポルポトは、多分、殺されたのだろう、戦争責任を国際司法で裁こうとしたと決定してから1週間以内に変死したからね。 帰り際、激しい雨が降ってきた。カンボジアが殺戮の涙に泣いている・・・という感傷的なことを思う前に、スピード出しすぎて、雨が痛い。バイタクあんちゃんは、カッパ買うかと聞いたと思いきや、私の返事を待たずに、よろず屋の前にバイクを停め、軒先の置いてあったビニル河童を2つ千切って、私は50円払った。私がカッパを着ようとすると、いきなり破れた。破れたけど、ハハハと笑って、頑張って羽織った。1975年4月17日、13歳以下の兵士ばかりのクメールルージュは、プノンペンに入城、庶民は内戦が終わったと思ったのに、即、強制退去が始まり、着の身着のまま、病人も赤ちゃんもすべて都市から退去が始まり、突然すぎたことや、すぐに帰る事ができるといわれ、逃げ出すことができた人はほとんどいなかったという。中には、1ヶ月以上歩かされた人たちもおり、途中、力尽きた人死んだか殺された。そして、前体制の将校、医師、教師、技術者、僧侶などは名乗り出るように命じられた。理想の国家にするために、君たちの知識、技術力が必要だとかいう適当なスローガンが掲げられ、その言葉を信じ名乗り出て、集って来た。これらの人々は、プノンペンに帰って国家建設のため働いてもらうとか言われトラックに乗せられ、そのまま帰らぬ人となってしまった。医者がいなくなって、読み書きもできない子供に医者をやらせ、医者にかかった人は、どんどん死んでしまったという。ポルポトが信じたのは洗脳できる子供だけであり、子供兵士、子供看守、子供医師が次々と誕生したのであった。子供は、当然、スパイとなり、大人たちの行動を監視し、ちくりまくったのであった。うっかり英語やフランス語を喋ると、ジャガイモ袋に入れられて、川に流された。20世紀になり、それでも革命はいろいろあったが、これくらい無茶苦茶な革命はなかったであろう。ところで、ポルポトをはじめ、党幹部は、共産党宣言も資本論も読んでいない、あるいは、難しくて理解できなかったということである。とにかく、私、私有、わたし、そういった言葉、概念は禁止されたのであった。帰り際、バイタクが、次は、シューティング、ガン、とか何とか言っていて、そこに寄っていくかというので、まだ虐殺の場があるのか、と思い、いいよ、行ってくれ、もっと見学するよ、といって、長い長い道のりを走った。着いたのは、射撃場だった。さっきまで人、殺してた現場なんだぞ・・・。やっぱ、怖いな。そこには、AK、カラシシニコフ、ゴルゴ13のアーマライトのM16、機関銃・・・。1発1ドル。撃てるか。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.28
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ボクは、天真爛漫で心穏やかで気弱ピースフルな性格のためなので、心も広い懐も深いし、財布の懐は浅いし、お前がやれやといわれると消極的にやるような性質にも関わらず、中国に対しては4000円をニセ札(ニセ中国元)に銀行で両替させられて騙されたことに、暗く根に持ち、育み、だんだん怒り心頭な気分にもなってきているので、小言をまた言いたくなった、そんな按配、そんな采配なんですね。中国評論家というか中国一体家の風任さんによると、中国人以外は全部フェイクだということだが、まさに、悪貨は良貨を駆逐するがの如く、ニセモン、パチモン、キッチュ、拝金主義、報道自由なし、汚職、差別、ノー知的所有権に満ち満ちているのですよ、まったく。それは、法律主義より、人痴主義によるところが多く、資本主義を導入するはいいが、法律や環境やそんなのは何の整備もされてなくて、奇しくもトン小平が、指導者が先に豊かになれ、なんていったことを、我先に金持ちになろうとしたものだから、もはや、無茶苦茶くちゃくっちゃなんです。きっと。中国は豊かになった、って総計で豊かになったというものでして、国民の1パーセントがかなり豊かになっちゃったんです、その他の人々はそんなんじゃないんです!でも1パーセントいうたら、そらもう、1300万人とかですから!そいつらが、ちょと、海外でも行ってハチャメチャしたら、中国、オオ、なんだか、無茶ユタカ!に見えちゃうもんなんです!とにもかくにも、中国には、なんぼでも偽札がありま。こんな事件もありますたよ、ある工場で、給料日に従業員たちに渡したところ、作業員20人分の給料袋の中に入ってたのは偽札だったんです。偽札を抗議した従業員は、これは銀行から引き落としてきたものなんだから、会社の責任ちゃうよ、といわれて取り合ってもらえなかったため、ストしたら職務怠慢でクビになったんだよ。これでは、国際通貨になりっこないって。偽札工場は中国国内に数百あるともいわれていて、また台湾でも造られていて、台湾では1億元(20億円)分の偽札が押収されたりしました。そいつが、マネロンに使われたりしてるんだから、これでは、国際通貨になりっこないって。何で、バイアグラがファイザー社から正式発表される前に、発売されてるのですか。ニセ薬で毎年何十万人も死んでいるとのことですが、もっと死んでるような気がしました。ニセ唐辛子は芋の粉末に紅色の工業用染料であっという間に出来上がり、工業用塩なんか、袋を変えるだけで岩塩です、醤油にいたっては、散髪屋で髪の毛を集めてきてアミノ酸を抽出してお安く作るところもあります!ダンボール饅頭もやらせでしたと記憶に新しいけど、何だか、ほんまはハンマやったんちゃうの?という気にもなってきます。中国が、ググーっと伸び始めた頃に、テレビニュースでインタビューで、作為的に選んでたのかもしれないが、インタビュー受けた全員が「いやあ、お金儲けることは、いいことだよ、何よりもいいことだよ」というのを見てぞっとした記憶までありますよ。そういえば、テレビニュースで中国では著作権よりも商標権の方が優先されるようになっているのを見た。だから、もはや、中国では、めぼしい日本の企業名や有名商品名は先に商標登録してやがって、問題になってるんだよねえ。ホンダやヤマハのバイクが進出すると、その名前は使えません、使うなら買い取るか使用料がいりますとか、クレヨン新ちゃんとかちび丸子ちゃんとかが進出しようとすると、その名前はニセモノとなります、既に商標登録済みです、違反ですとか言われたりなんかしてもめてる。お前がニセモノやろ。てか、驚いたのはNECの社員だろうね。NEC商品ではない電化製品にNECとして売られまくってたので、中国現地調査すると、なんと、NEC本社が中国に勝手にあり、社員はNECの名刺を使いまくり、なんと、提携工場にライセンスを与えて商品を作らせ、ちゃっかりライセンス料まで受け取っていたのでありました。独自開発してしまった商品もあって、品質についての苦情がほんまのNECに殺到したために発覚したんだってねえ。被害が大きいのは携帯電話のバッテリーらしいよ、バッテリーのパチモンは10分の1ぐらいで買えるから、店員がホンマモンのバッテリーを売り払ってしまう、そしたら、電源10分ぐらいできれるんですけど・・・通話が最初からできないんですけど。。。なんてこともしばしよ。ついに、去年、バッテリーが爆発して死者でたね。いやな世の中だね。報道の自由がないものだから、エライサンの腐敗ちゅうのは、摘発もされにくいし、甘いし。海外の報道はされないし、日本はもう10何回も戦争謝罪してるけど、そんなこと誰も中国人知らんよ、あいつら日本人は全然謝らない奴らだ!と思ってるんだから。ベトナムとか朝鮮とか支配した属国にしたことは棚にあげて、日本や欧米を非難ばかりしてるけど、完全に支配されてしまった元や女真(ツングースだっけ?)とかは、勝手に英雄、偉業扱いしているのも不思議なものだ。もし、あれか、日本が完全に征服してたら、今頃、東条英機も中国の英雄になってたんけ?まあ、歴史の改竄は、そら多分日本でもしとるやろうけど、たとえば台湾も昔からの領土じゃあ、なんかいっているけど、現地の人たちの土地だったのはあたりまえとして、その後占領したのはオランダで、それを駆逐したのが、例の鄭成功であるわけじゃん。中国では、鄭成功という中国人が台湾を作ったんあていってるけど、鄭成功は父が中国人で母が日本人の日本生まれで、後に父と縁を切ってるんですけど、てか、中国では、伝統的に国籍は母方の国籍なんですけど、てか、清の皇帝は台湾は日本所有なんて文章まで残してるんですけど(まあ、それも間違いだとは思うんですけど・・・)・・・まあ、どうでもいいですけど・・・どうでもよくないのは、昔宗主国だったから琉球もほんまはウチのもんあんだけどね、なんか、まだほざいてることかねえ。どうやら、一応、政府はいろんなポーズをとって、政策法令、環境対策や規制や改善を発布、発行、命令、指導しまくっているみたいだけど、もう全然現場は無視、賄賂による免除、現場まで届かないって感じみたいだねえ。学校や大学作るなら儲かるかたら勝手に作る、工場作ったら儲かるから勝手に作る、炭鉱勝手に掘る、100パーセント融資で勝手に建設物作り始める、違法だろうが、安全基準満たしてなかろうが、中央政府無視したり、賄賂払って、許可をもぎ取ったり。 世界の炭鉱事故の8、9割は中国で。代わりの人員はいくらでもいまっせ。犠牲遭遇率はアメリカの炭鉱の百倍。経営者や賄賂を受け取って、ウッシシーのワッハハーですわ。学校だって、なんやかんやいいながら、世界で最も、収入から見て学費の割合が高い国になっちまった。家計の3割ヲシメルノガフツーでっす。先生様が、日本の大学もそうだけど、本を指定してバックもらったり、制服体操服や給食を指定してバックもらったり。学校増えすぎて、先生様がじぇんじぇん足りなくなって、そりゃもう誰でも彼でも、助教授を教授に見習いを助教授にと、何のキャリアもないけど、質の悪いセンセーを増産、おまけに、著作権のかけらもないので、カンニング論文ばっかり。学生数も水増しで増やし、じゃんじゃん補助金もらって、せっせとフトコロにポイ。やばい兆候は現れてて、就職率がガックリ落ちてきていて、2003年には前年の6割の人間しか就職でけなんだつうの。中国の医者も素晴らしいよー。国民からは賞賛され、白い悪魔なんていわれてるくらいだからねえ。金がないと、病院の前で門前払いだからねえ。医療費どころか、薬が酷いの何のその。同じ成分の薬でも内容や配分や、酷いのになればパッケージだけ変えて、どんどん新発売で、どんどん薬の値段も上がっていくよ。そんな訳で、たとえばアメリカでは新薬が年間100種類少々しか届出受理されてないのに、中国では、年間1万件以上新薬が開発されているから、医療技術は素晴らしいよ。薬の世界では、新薬の臨床試験から認可までに平均5,6年かかるのが世界基準だけど、中国では、賄賂使えば一週間で認可されることもあるよ。中国の病院では全部院内で薬の処方をするので、市販されている薬も10倍とかで勝手に処方というか患者に売りつけているよ。一応、政府は、値下げしろ、とか口ではいってんだけんど・・・それにしても、こんな噂は尽きないけど、疲れたからやめるけど、気が向いたらまた書いてもいいかい、偽札の怒りが再燃したらさ? 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.27
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アフリカのエジプトから、いっきにアメリカに飛びます。もう夕暮れです。アメリカに来たのですが、崖には、5人の大統領なんんかが移っているのですが見えません、そうダイヤルMwoまわせか、北北東に進路をとれだったかに出てきたあれよ、ディープパープルのマシーンヘッドだかなんかのジャケットのあれよ。あれよ、暗くて見えん。(肉眼では見えたが)コレは、地底探検らしいです。ベルヌでしょうか。パルチノン神殿ではなく、ワシントンです。早朝に散歩しました。ワシントンのオベリスクです、だから何って感じですけど、世界の諸悪の根源の地に来た気がしました。ニューヨークに来ましたが、本当は報道は嘘です、ちゃんとツインタワーありました!自由の女神でかくね?その横が爆発してます。ナスカ行きました。地上絵が電飾されているとは、知りませんでした。ブラジルとびました、かなりでかく、しかし、登ることができない崖の上に立っています。さっそくメキシコきました。本当はメキシコ来てたんですね。 オルメカのほうまでいきましたモアイが電飾されているのも知りませんでした。他の陸地から一番離れている孤島、イースター島に行ってきました。アメリカ先住民のところにも行って来ましたが、肉食動物と住んでました。なんじゃこりゃと思ったら、実験首都ブラジリアじゃん。ちょっと、またニューヨークまで戻ったら、後ろにやっぱエッフェル塔、さすがフランスが自由の女神をプレゼントしただけあるな。なんだか、バカにされてるようだわ。暫くは彫刻シリーズって感じで、もう世界中は陽が落ちた。最後に中心のパリに。最後は、ヨーロッパに戻ってスキーです。疲れたので、ビールの館に突入。帰る、帰るけど、どこに帰る。振り出しに戻る。お尻が大きく割れたわ。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.26
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カンボジアは、ナーガだらけである。神話や仏教にでてくる蛇である。ありすぎて、相手にできないのであるが、ここは、2つだけ、無茶長いナーガを紹介しておく。橋の端から端までというのと、公園の橋から端までである。蛇長すぎる。ルナールの名言である。象、そうやって書いてみたものの、腕を組み、キーボードが止まる、ぞういうわけで何とか、今は指が勝手に書いているので動いている。しかし、今回、何度も、象の石像をあちこちで見たんだ。勿論、タイやインドや、あ、インドは関係ないか、カンボジアって象がいうわけだけど、最後の最後、帰国する前の日に、ホテルに戻って寝る最後に、生きた象に出会った。暗闇から急に、象が現れたのだ。何故か、私も、おお、来たか、来たかって感じで、ポケットから10バーツを何故か自然に出し、連れている若い男に渡した。男は、何だか、すごくいい奴で、こちらは写真代のつもりで渡したのだが、餌をやってくれといわれて、餌を挙げると、鼻を器用に使って食べた。最後に写真とるぞとカメラを向けると、男は、象に向かってポーズというと、象は、とてもおどけてみせた。 ぞういうわけか、恥ずかしながら、私は、象の背中に乗ったことはあっても、そのまま何時間も揺られたということがない。ピンクの妄想象に悩まされていたのは誰だっけ。嗚呼、アル中か、ああ、そういえば、パンダやゴルビーに混じって、そんなアシッドペーパーもあったなあ。ぞうして、ピンクを出したかというと、インドに町中がピンクの町があり、デリーからバスで4時間ほどのところにあるピンクシティー、ジャイプルのことであった。ジャプールから10キロほど郊外に、アンベール城があった。10キロ離れたところにどういくのか、まあ、そこまでは考えていなかったのだが、前日の晩、通りを歩いていると、何故だか、通り過ぎたバイクが戻ってきた。散々、インドでやられまくっている。でも、また翌日、彼の好意を感じつつも、バイクの後ろに乗り、アンベール城に行った。最後の最後まで、彼の外国人に対する単なる親切だったことを信じ切れずに、私は、今でも悔いている。ぞれから、ぞうして・・・ぞうして・・・ぞうしてそうなったの・・・ぞうしようもない・・・・ぞうして・・・・・・ 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.25
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6時17分、出発の博徒6時32分、三ノ宮駅よりポートライナーに並ぶ。7時12分、神戸空港より飛行機に乗る。なんだか、ジャリばかりである。みんなディズニーでイエイイエイか?9時5分、羽田空港のラウンジで無料クロワッサンとコーヒー3杯ぶち込み、朝食とする。10時6分の上空11時23分、北海道の大地がやっと雲の隙間から見え、日本の一番最北端の空港は、海沿いにあり、いったん滑走路をクロスして海上をいき、ターンして着陸。11時41分、迎えに来た空港レンタカーの車に乗り込む。11時58分、超高級車黄色いナンバーのレンタカー、無保険で借りて、ゴーゴッゴゴー。12時16分、巨大扇風機の横を通り過ぎる。12時27分、宗谷岬、択捉島除く、日本領土の最北端に到着。風凄い。12時28分、日本で一番、北にいる男、シブイ、感慨深い、うっすら樺太が見えた。12時41分、北海道遺産、宗谷丘陵の中を突っ走る。13時3分、大沼バードハウス、で白鳥見に来る。13時6分、白鳥おらず、餌屋も閉店が判明。13時24分、もうひとつの岬、ノシャップ岬まであと一歩。13時25分、もうひとつの岬、ノシャップ岬に到着。13時28分、魚も旨い。食べてないけど・・・13時33分、クリオネとペンギンを見学、凄い人数で入場制限されるほど、0人。14時4分、バカい、って地名シブイ。14時7分、西海岸からは、利尻島が見える。14時41分、ハルジ先生に見習って松坂記念館を200円払って入るが、見学時間は2分。14時53分、堤防。15時3分、稚内駅。記念切符買わず。15時6分、そんなわけで、今年、最北端と最南端を制覇。15時12分、樺太資料館にて勉強中。15時14分、15分間ビデオにも挑戦。15時38分、稚内メインストリート、人はどこだ?16時05分、やっぱりロシアビールでしょ、昼飯代わり。16時13分、一気飲み終了。17時34分、関空まで日本でもなかなか最長に近いぐらいの2時間半のフライト。18時30分、そろそろお尻も痛くなってくる。窓側の席なのに、窓側におっさん座ってたが、ビールを飲んだので、トイレに行きたくなったら困るので、アイル側に座っていて正解。19時17分、関空。19時21分、近場の外国から帰ってきた感じでした。19時29分、関空橋を渡り終えようとする、大阪まで1時間、遠い。20時55分、自宅に戻り、スープカレーと相成るとおもう。そんな感じで、幸福噛み締める間もありませんでした。2008年北海道旅行 夕張訪問 夕張炭鉱1 夕張炭鉱2 幸せの黄色いハンカチ 札幌市真駒内霊園1 ・ 札幌市真駒内霊園2 支笏湖 稚内へ 稚内無事帰るロード 稚内細密紀行
2008.09.24
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3つ並んでます。3~4000年も世界一高い人工建築物だったとは、浪漫です。世界最大のピラミッド、クフ王のものの横には、随分荒れた女王のピラミッドと呼ばれるものがあります。頂点には避雷針のような物が立っていますが、本来の高さのようであり、10メートル程、現在は低くなっています。上部に通気孔があります。奥に、綺麗なカフラー王のピラミッドがありますが、こうやってクフ王のピラミッドも近くで見ればガタガタです。まあ、ガタガタといっても、その積み上げ方、方向は精緻であります。いったい誰が何の目的で作ったのでしょうかロマンです。最近では、奴隷を苦役させた説もなくなりつつあるようですし、酔っ払って翌日仕事さぼったなんて落書きが発見されたり・・・?。カフラー王のピラミッドは3つ並んだ真ん中のもので、まだ表面を覆っていた化粧岩が残っています。発掘作業は続きます。スフィンクス神殿海岸神殿・・・というか、ピラミッドを体系的にまとめて、後世の人々の極悪観光案内に役立てたいと意気込んで、書き始めようとしたのですが、勝手に書きまくったり歴史を改竄したり長い暇な文章を書き続けるのは、私自身疲れてきたので、今日は、この辺で勘弁しといたるわ、おれ。登るなボケ。最後にですが、何を隠そう、実は、女性を同行していたのです。みなさんには秘密です。ピラミッドにハイヒールが似合います。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.23
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旅行といえば、断然、グルメである。自称食通でもない私でもあるが、東南アジアの食は楽しみのひとつなのではある、が、20代前後に覚えた味というのは、今後、一生を引きずっているようで、それから10年もたたないうちに、なかなか保守的になってしまうのである。バンコクのホテルにチェックインしたのは、夜中であったため、もはや、部屋を自動的にグレードアップしてくれるわけで、夜中というのに、部屋の滞在時間は5分で、すぐ遊びに行くのである。勿論会社帰りかいでもあるので、会社のカバンと背広しかないという噂である。おこに、草履と、シャツパンツを忍ばせていたのであった。おにいさん、遊び?うん、アソビアソビ、といいながら、性年は荒野を目指さず、屋台を目指す。その後、早朝に空港に舞い戻り、プノンペンの市場で、蟹食う?タバラガ二みたいな毛蟹みたいな沢蟹をいっちまうのである。昼飯である。その後は、おきまりのジュースで飢えと乾きを満たすのである。日本では、甘いものは一切受け付けないのであるが、ついついトロトロとアジアでは受け付けてしまうのは何故でしょうか。撃沈す。タガメやコウロギの干物は、はっきりいって、酒のつまみである。食べたところで、単なるから揚げである。その後、ちょこちょこ果物なんかを買うと、腹が膨れて、じっくり腰を下ろして飯を食うほど腹の空きスペースがなくなってしまうのである。夜は、相変わらずの屋台である。やはり、ただの旅行者としては、なかなか生水を飲むわけにはいかないので、ビールをのんだ。ビールはありますかと、飲むしぐさをしたら、屋台の台の下から、缶コーラと缶ビールを出してきた。なかなか誰もビールは飲んでいないが、ついつい飲むのだが、暖かいので、氷を入れてくれる。氷もやばいんだけどなあ、と思いながら、2本目も追加する。焼き飯にビール2本で2ドルであった。タイもそうだけど、やっぱり一般家庭はあまり家で飯を作らないのかもしれない。休憩のコーナー、放浪さんのトッケー、クッケー。夜食バケット。さすが、フランスが宗主国、これがまた旨いというか、ちょっと肉多くてちょっと困ったが旨い。ホテルの床がフローリングでしたが、バケットについてきた汁をこぼしました。ウドンでウドンでしょやっぱ。タイに戻りカオパッ(やきめし)。私は、独白するのであhるが、葱が好きなのである。ネギも一般的な安い細ネギが好きなのである。その他として、紫のタマネギの丸かじりも好きなのである。カオパには、大切りに切った白いキュウリに輪切りにされていない長いままのネギが漏れなくついてくるのである。嬉しいのである。20年前、屋台では、バンコクでカオパットが10バーツ、田舎で5バーツだった。今は、3倍程度である。ネギが好きなので、私の好きなラーメンは、とにかく、ネギ入れ放題のラーメン屋さんが好きなのである。メンやスープが青いネギで見えなくなるのが好きなのである。くさいのが好きなのである。風邪をひけば、鼻にネギを乗せたり、喉にネギを当てるのが好きなのである。夜中、屋台で、座り、目が潰れそうなメコンウイスキーなどをいっぱいやりながら、カオパットを食べていると、この上ない上機嫌である。すぐ近くに葉車の排気ガスのエキスが、どんどん、焼き飯に混入され、今回は、盛り場近くであったので、化粧派手派手のオカマや夜の女が通りがかり、たまに隣のソムタム屋台で夜食を買ったりするのを眺めながら、明日の予定は何もないぜ、ただ空港に寝過ごさないように行くだけだぜ、と意気込むナルシストになってしまうのである。ラマ4世通りを見ながら、ロマンチックな夜を淑女と過ごすなどと、読者の皆様は思うかも知れないが、実はその通りなのだが、その通りはメインストリートのラマ4世通りなのである。もとより、あと1時間で起きなければならないのであるが、それが起きることができるかが目下の問題であった。目下、淑女どころではないのである、睡眠が問題なのである。とにかく、さきほどの風邪をひいた時の話を蒸し返すが、マスクって、私はてっきり、他人にうつさない為にしているものだと思い込んでいたが、最近のアンケートによると、他人からうつされないようにしているそうである。まあ、花粉症は別だけどね。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.22
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国立博物館にて「別れた人に会った、別れた渋谷で会った、別れた日と同じ服だった~」、と私の頭の中に何故か曲が流れた。 カンボジアは農業国である。カンボジアの現在の農地所有形態は知らない。 代わりに、江戸時代の農村のことをまとめておこう。ヨーロッパで農民といえば、はっきり言って農奴であったのに対し、鎖国時代の日本の農民は、貴族や地主に打撲され常に収穫を上げろとムチでったかれ、わらの上で寝て何の教育も施されなかったわけではなく、庄屋や地主の横暴の犠牲になるということはほとんどなかった。一応、地位も、士農工商と2番目に位置していた。そのことは、ヨーロッパに行けば、あの豪華絢爛な歴史的建造物の多さを見れば、どんなけ富が一部に集中していたかということが分かるのである。綺麗だな、頑丈だな、スゴイナ、とノー天気に感動するという前には、こういった農奴の犠牲の上に成り立っているということを忘れてはなるまい。 日本では、ちゃんと田が測量され、その年の気候にもあわせて納税が決まるが、なんといっても、農民の寄り合いの方でも、お上と協議できるというシステムがあったのであり、一方的に搾り取られるというわけではなかったのであった。(当然、交渉決裂もあっただろうし、3度の大飢饉では随分交渉は決裂した)。また農民にがんばってもらうために、自分たちで新たに開拓した土地については15年間無税とうモチベーションも与えられていた。そのため、農耕技術だけでなく、農民は測量技術、治水技術、堤防工事技術などを持つものも多かったので、読み書き、そろばんのできる農民は必然的に多かったのである。いわゆる寺小屋である。 日本史の教科書では、毎年のように農民一揆があったようになっているが、一揆の中身が、話し合いに直訴しにいっても一応一揆に数えられている。欧米では、日本なんか革命を起こす勇気も気力もなかったヨワッチイ奴らだと思っているかもしれないが、そもそも、容赦ない弾圧がなかったり自由を求める必要性もなかったので、革命など起こす必要がなかったのだが、それは、農民の待遇のせいでもあろう。また欧米列国に対して、明治政府が、わいらもこんなけ一揆とか暴動とかいっぱいあったんじゃと誇示したかっただけかもしれない。 ドイツでは、あのルターも、キリスト教の自由を高らかに宣言して、農民の蜂起を煽っておきながら、最終権力者にもいい顔をして農民を見放した。そして裏切られた農民は殺され、更に農奴制が強化されてしまう羽目になったのである。日本も暴動を起こせば首謀者は当然死刑にされたが、国民的英雄となり、芝居でその人生が上映されたりもした。日本の農民が農奴ではなかったのは、実質的に田には縛られるが、旅行は自由だったということであり、代表は伊勢神宮参りであるが、結構、どこへでも神社仏閣の参拝にでかけ、ついでに他の土地の農業視察を多く兼ねていたので、技術も、なかなか日本均一的になっていたのであった。旅行者数も莫大であり、総人口の3分の1が出かけた年もあったという。東海道は、本当に、歩く人で渋滞するぐらいの人の多さだったようである。 概して、日本は農民だけでなく、侍も幕府も、概ね、総貧乏だった。広く富が分配され、広く貧乏であった。そこに文明開化の波が押し寄せた。農地解放が、ヨーロッパに習って施行された。ヨーロッパでは、大地主階級がいて、その闘争で血みどろの戦いが繰り返されてきたが、日本は、そもそも大名でさえ、土地は将軍から管理を任されていただけであったし、侍は、せいぜい自分の家しか持っておらず、農地をもっているということはなかった。農民も賃貸でしかなかった。土地を所有しているという概念がなかったのだ。あえていえば、村の所有であり、国家の所有であり、土地を独占的に持つことは禁止されていたのであった。土地が、自由に売買できるものと定義すれば、誰も農地の土地所有者がいなかったのであった。そんな訳で農地解放、といっても誰も土地を取り上げられるものはいなかったので、対抗する勢力もなく、すんなり解放された。すんなり解放されて、農民に分け与えられたとき、そのかつてのシステムは崩れ、逆に土地を買い占めるものや法人によって投機の対象となってしまったんであった。大地主が出現したのであっ。やがて、農地の半分が大地主のものとなっていた、第二次世界大戦後、やっと、また財閥解体などとともに、農地解放されたのであった。まるでマッチポンプである。そんなことを息巻いていってみたが、カンボジアとあまり、というか全然関係ないのであった。カンボジアでは、内戦で土地を全部ポルポトと取り上げられて以来、1980年代にやっと農地分配がなされたようであった。
2008.09.21
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エジプト博物館は、今まで行った中でも10のうちに入るほど、なかなか楽しい博物館であった。しかし、アブシンベルでテロがあった頃、この博物館の前でも観光バスがテロにあっているので、相当にセキュリティが厳しいのである。ミイラもイッパイあるのが、エジプトっぽいのである。まずは、脳みそを出さないといけないが、これは、鼻から棒で引っ張り出すというものであった。しかし、これは、有名な話なんですが、脳みそが柔らかく、日数もたってればどろどろになってたりして、真偽の程は分からないのです。ティンポ。まあ、頭蓋骨に穴を開けて、水で洗浄、鼻から水をジャ~ジャー出すというのもアリだそうな。次に体を縦に裂いて、腸、胃などの臓器、肺を取り出す。重要なのは心臓である。脳はどうでもいいが、心臓は、すべての中心であり、肉体だけでなく、感情や思考の中心と古代エジプトでは考えられていたのである。心臓は、特に注意して取り出さなければならぬ。その後、臓器は、洗って、樹脂を塗って、干からびさせて、包帯巻いて、壺に入れる。入れて体内に戻すのだが、つまらなさそうな臓器は捨ててたみたいですわ。手足の爪ははがれないようにしばったりして、また、臓器を取り出した凹んだ体内には、乾燥する材質苛性ソーダナトロンを入れて体の内外から体を乾燥させるのでっす。52日間の乾燥です。その後、よく洗って乾かします。体内に入れておいた乾燥剤もちゃんと抜き取ることだね。水分をちゃんと撮らないと、キノコがはえちゃうよ。脳には、樹脂を入れてあげましょう。目はくぼんでいるので、布をつめて、まぶたもなめした物でつくってあげよう。布の代わりにタマネギもOKだってさ。結構、収縮するから、ボロっちいくもなってしまうので、そのあたり、いろいろ詰め物や支えを作ったりして、苦労したとか(職人談、想像)布に香油をしみこませてマッサージしてあげて、全身をくるくる回してあげよう。体内にあるものを均等に配置するためだよ。傷口はちゃんと蝋でふたをしたり、縫い合わせてあげることも忘れずにね。包帯は16日間かけて巻きましょう。本当な何度も巻いたり剥いたりするらしいけど、とにかくグルグル巻きだあ。勿論、包帯は最上級のものを使って、時折、ガラスや石などの護符を挟み込んだり、取れないように樹脂を塗っておこう。壊れやすいところは、ガーゼのようなもので最初にフタしといてね。70日で完成でっす。さてぐるぐるまきにしたら完成だ。完成だけど、死体損壊罪で逮捕だ。イエイ。しかし、本当は、ミイラの造り方が書かれた本はないんだよ。それにしても、ミイラの本来の意味、生き返った人はいるんでしょうか。私の想像によると、まだいないと思います。ところで、こんなところに、誰だっけ、故竹下元首相の孫のロッカーのダイゴじゃん。とにかく、エジプトの問題点を挙げておくと、物価に比較して、博物館じゃなんじゃの入場料がハンパねく高いということである。ルクソールなんか全部入れば1万円ぐらいになるという噂もあるほどだ。ちなみに、かの有名なツタンカーメンの秘宝などの展示で有名な考古学博物館ではあるが、写真の撮影は禁止だ、というか、館内の撮影は禁止である。世界第一級の博物館というか、宝物館といえるだろう。博物館の表では、多くの人が座っているのだが、入館するときは気がつかなかったものの、みんなすっかり歩きつかれて座っているということが分かった。全国の、見学者、立ち上がれ。カイロタワーが博物館から見えるのだが、中洲にあり、簡単に説明すると、晴れた日にはピラミッドが見える、と私は考えた。そんな訳で、無事、テロに巻き込まれることもなく、次を歩く。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.20
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プノンペンの町を歩いていていると、多くのバイクやオート3輪(トゥクトゥク)が、往年の友達のように、手を上げてくる。10分歩くと2,3度は、ニコニコしながら指1本をつきたてて手を挙げて、オレプノンペンに知り合いいないんですけど、と思いながらも、バイクどこいくって感じであった。指一本は1ドルという意味か? 市内ならおおよそ1ドルでバイクに乗れる。1ドル・・・そう、プノンペンは自国の通貨を信じていない。リエルも流通はしていて、市中で1ドルあたり4100リエルぐらいで交換できるのであるが、市中は、適当に1ドル4000リエルで流通しており、1ドル渡すと、1000リエルのお釣りがきたり、バイクに交渉して1ドルで乗って、降り際に4000リエルを渡したりする。よくよく見ていると、誰も彼もが、ドルとリエルを持っており、その気になれば、ドルだけでも旅行できる。 トゥクトゥクに声をかけられ、冗談で、「ウドン」というと、彼の目が輝いた輝きまくった。ウドンはここから40キロの距離である(彼によると55キロ)。乗客である。いや、上客である。往復80キロを、何度かの交渉で20ドルで行ってもらうことにする。面白い。バンコクで何十回、下手したら100回ぐらいトゥクトゥクに乗ったかもしれないが、せいぜい市内数キロ。それに、タクシーがメーターになってからはトゥクトゥクには乗っていない。タクシーのほうが安いから。一度、あまりに暇だったので、用事もないのに空港までトゥクトゥクで行ったよ、という友達に、おまえ、バカだな、といった18年前も昨日のことのようである。 ウドンは、メコン川の支流、プノンペンにも流れているトレンサップ川に沿った平地にあるが、1時間ほど走ると、そこに、遠く山が見え始める。その山に寺院がそびえているのが、やがて、分かってくる。しかし、単なる田舎であるウドンは、首都プノンペンの前の首都であったところである。17世紀から19世紀のことであった。しかし、その遺産遺跡は、例によってクメールルージュにめちゃんこに壊されてしまった。そして、そこには、日本人町があったという。川沿いにあるという点、現在の首都からの距離、まるでアユタヤと同じ感じである。それえにしても、この地で食されていたメンが日本に伝わり、この町の名前のウドンがウドンになったという。よくありえそうな適当な話である。ウドンとは、クメール語で高貴なという意味だそうである。 そんな説明はさておき、山の上へと歩いていく。麓から、花や線香を売る子供たちに付きまとわれ、最後まで着いてきたのは、6歳以下の男の子女の子で、うちわで私を扇いでくれるのである。勿論、非力な子供と力とコントロールでは私には風は来ないのだが、無下に追い払うことはできないほど、痛々しい。どこを歩いていても、どこを歩いていても、本当に、たまたま私は日本に生まれただけなんだな、偶然なんだなと思う。私が、カンボジアで生まれていれば、もう死んでいるかもしれないし、バイクタクシーの運転手をしているかもしれない。 感動は、寺院にない。感動は人間にあった。頂上に続く物乞いの列に。 何だろう、カンボジアが怖い、と思ったのは、特にカンボジア人は、おだやかだ。やさしい。インド人やベトナム人よりタイ人気質に近い。つまり、表に出てこない。 しかし、町を歩いていると、戦争状態だった内戦状態だったとはいえ、人を殺した人間と殺された人間たちがこうも身近に町中を普通に生活しているのだ。必ず、親族の誰かに殺人者がいて、必ず、親族の誰かに殺された人がいる国なのだ。まだ。それが、悲しく怖かった。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.19
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ポルポトらこの学校で1万人が虐殺された。学生の頃の記憶を辿りながら。私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止、電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止、バス・鉄道・飛行機等の移動手段の廃止、全ての教育機関の廃止と書物の焼却、仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止、都市市民の農村部への強制移住、家族のつながりは無益とし、5歳以上の子供は全て親から隔離、自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚、企業の廃止、休日の廃止・・・喋るな、といっても、皆、ここでは静かになる。誰も、何も話することができない。ほんのこの前、1975年から3,4年間の出来事である。これは人間ではなくなってしまう。このことを本で読んだとき、体が凍りついた阪急電車の中で立ち尽くした私自身の記憶も忘れまい。この3,4年の間に、国家の人口の3分の1とも4分の1ともいう国民たちが、殺された。学生時代、ベトナム本やカンボジア本を読みまくった、読みまくったとは言いすぎだが、行ってみたら、確かに、心なしか、若い国なのだ。街を歩く老人が少ないのだ。それはすぐに分かる。一時期女の国になったカンボジアといわれたが、さすがに、外では、男性も多い。あれから30年。 大学の先生、資産家、ノンノル政権への協力者、医者、教師、弁護士、インテリの仕事についていた人、留学したことのある人、すべてを許そう、そういって呼びかけに応じてのこのこ過去の思想や身分を明かした人は二度と帰ってこなかった。ポルポト自身フランスに留学していて、インテリや集団の恐ろしさを知っていたのであろう。徹底的に弾圧、というより殺した。その後、めがねをかけている者、手が白いもの、美男子美女、そういった身体的な特徴のある人も殺し始めた。勿論、障害者はいの一番に殺された。そしてスタージュと同じく、密告を奨励、お互い誰も信用させない制度を確立させ、愚痴をいったりした人間を密告させて殺した。ポルポトの兵士になれるのは13歳以下であった。洗脳しやすいからに過ぎない。国際世論は、鎖国のため、ほとんど気がつかなかったし、そんな行為が行われるというのは、想像外だったのであろう。現実味がなさ過ぎた。それに、外の者は誰も」これだけの虐殺に意味が見出せないからだ。勿論、果敢なジャーナリストは、やはり・・・殺された。ほんの30年前の話である。1979年、ポルポトが山岳地帯に逃げ去ったとき、国民の85パーセントが14歳以下になっていたのである。でも、ポルポトの出現を許したのは、やはり、アメリカであった。CIAであった。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.18
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簡保でもカンポでもなく、カンプチアである。カンプチアと私の出会いは、遠く、確か、ポルポトの圧政が終わった頃の頃と記憶する。当事は、まだ明確にいじめっ子いじめられっこガキ大将とまではいかないが、権力者そうでないものというのがある程度ありつつも、ガキ大将的なものがなくなりつつある中学生時代であった。 その彼は、肌が色黒く、貧相な顔立ちと、かなりの痩せ型であり、残念ながら成績も最下位あたりをうろうろしている彼であった。彼のあだ名は、カンボジア難民。今なら人権問題に発展するぐらいだが、多くのクラスメートが彼のことを難民、難民と愛嬌を持って呼んでいた。彼も、はははとは笑っていたが、内心屈辱だったのであろう。そういえば、女性でも色が肌黒く、やっぱり同じように成績が最下位に近かった子もインドと呼ばれていた。彼女は、その後、結局、ぐれて不良になった。 考えてみれば、私はいつも、その中間にいて、子供のときから傍観者であって、勿論、大将に媚をうることもないが、悪口や屈辱的なあだ名で、彼女彼を呼びこともなかった。今思えば、結構、平和主義者のご都合主義者の日和見主義者であった。それは多分、今でも変わらないような気がする。勿論、カンボジア難民が何のことか分からず、勿論、テレビで映し出された栄養失調の強烈な情景をただ、あれが難民と思ったに過ぎなく、その頃の子供はたいていそう思ったのであろう。政治的背景や何故そうなったのかという疑問もなく、食い物がなくなればああなってしまうのだと思ったに過ぎないが、子供心に腹が出て目や頬が窪んだ、枝のような手足には強烈な印象を残したのであった。 中学一でもないが、それに近い才女が、ある演説で、ポルポトのことを無邪気にそして真剣に語っていた。ポルポト、それは何だ、その後、深く考えなかったが、彼女は、何故だか、学校区内1番の高校には入らず、私と同じ校区内3番目の高校に入学したときは、何故、あなたが、と私は、思ったものであった。 高校時代は、順調にカンボジアとの接点はまるでなかったし、海外との接点もなく、というより、日本語の通じない外国なんて絶対行きたくないとまで思っていtぐらいであった。唯一、歴史の時間でアンコールワットや真臘やアンコールトムをボロブドールやシューリービジャヤを一緒に学んだぐらいだった。ヨーロッパの歴史が中心の中で、少しだけアジアのれ式がおまけのように数ページ割かれている、そういったことに、単純にバカな私は、アジアには歴史がないのだなと思った程度であり、現在の世界史がまさかヨーロッパ史だということなんかには気がつかなかったのであった。しかし、東南アジアの記述が少ないだけに、アンコールワットとボロブドゥールというキーワードだけは、心の中に深く刻まれた。刻まれながら、まさか、ボロブドゥール寺院に3年後に行くとは思いもしなかった。 大学に入り、空虚で暇になった私は、やはり海外より、軟派にも北海道ドライブやスキーなんかしたいなと思っていたのに、ふとした弾みで入学4ヵ月後に、うっかりフィリピンに行ってしまって以来、はまった。未だにもしかしたらはまっているかも知れない。18歳から22歳ぐらいまでの趣向趣味が一生を規定するといっても過言ではない。 ただ、学生の頃、カンボジアは行くことができなかった。ガイドブックはないし、唯一、英語版のロンリープラネットに数行、ラッキーだったらツアーでベトナムから行けるかもしれないが地雷もあるし、政情不安定でかなり行くのは困難であると書かれていたに過ぎない。それに、カンボジア難民に愛の手をといった募金活動をしていた最高に冴えない奴らが三ノ宮駅前でいつも募金していたのを思い出す。むかついて一度行ってやった、おまえカンボジア行ったことあるのか。不思議なことに皆、プノンペンに行ったことがると言っていた。あいつらは原理研(統一教会)だったのを私は知っている。それにカンボジアは入国などできなかったのである。入国できるようになったのは、多分1990年代である。一様にやつらは、目の焦点が合っていなかった。 その後、会社人ともなってしまい、それでも時折いろんな書物を読んだりしていると、カンボジアが自由に入れるようになり、バンコクのチャイナタウンの安宿も壊滅状態となり、長期滞在者の多くはカンボジアに行ってしまったということや、市場では1ドルも出せば両手いっぱいのガンジャがほぼ黙認で手に入るとか、物価がとにかく安いという情報が入りつつあった。知り合いも、ちょこちょこアンコールワットの見学なんかに行き始めた。私は沈黙を続けた。というか、単純に行ってなかっただけなのだが。 昨年末、ロサンゼルスの空港でイミグレ待ちをしていた。アメリカでもここは特に入国に時間のかかる町である。それでも、飛行機を一番に降りたので、即効で、前便のオーストラリアから来た人々の後に並んだ。後ろに並んだのも、台湾在住の職業不明の日本人で、エクアドルに乗り継ぐらしいじいさんであった。じいさんは、1番に飛行機を降りた私に興味を持ったようであり、何だか話をしたがっていたみたいであった。ついに我慢できず、話してきたのだが、何故だか、私のことを勝手に世界トラベラーと思ったらしく、いきなり、世界中でどこが一番面白かったかと声をかけてきた。おじさんとは並んでいる1時間あまりを話していたが、結局、アンコールワットが良かった、是非行ってみてくれと言われた。何となく、今からロスでレンタカーを借りるという意味不明のじいさんの言葉にリアリティがあった。いつか行くけど、行ってみようと思った。 今回、バンコクに向かう飛行機な中で隣に座ったアメリカ人が、私がカンボジアに行くことを話したら、アンコールワットの素晴らしさを力説し始めた。そうかそうなんだね、と私は思ったのであった。 カンボジア行ったのに、アンコールワット行けずにすみまheん。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.17
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つい1日前にエジプトにいったんですけど、また中国でお会いするとは思いませんでしたてか、サイズはちょよっとクールダウンしたかも知れませんが、写真は綺麗にとれたような気がします、ホンチャンより。今回は、エジプトといってもアブシンベルに行く時間がなかったのですが、不覚にもこんなところで出会ってしまいました。マリのドゴン族です、きっと。確か、シリウスが2重星だってことを言い伝え伝承であるんだよね。でも、それは、西洋人が教えて、いつの間にか、望遠鏡のない太古の昔からの言い伝えになった。よくあるんだよね、こういうこと。それよりか、勝手に西洋人がいいだした、ほとんど誰も、どごん族そんなこと知らないってことも分かっちゃったんだなあ・・・。アフリカでは、象まで見ました。なんだか、イグアナみないの見ました。分かりにくいでしょうが、牛を飲み込むワニと、それを無視するサイなんですよ。なんだか、うちの義弟の庭までこんなところにあったわ。凱旋門って登山まあまあ大変であること報告しておきます。イスタンブールのアヤソフィアの前では、靴磨き屋と喧嘩しました。イランのイスファアンでは、誰とも喧嘩しませんでした。イランのイスファアンでは、誰とも喧嘩しませんでした。流石にイラクのバビロンには行ってません。よって、誰とも喧嘩してません。もうこの国もすごいことになっているねえ。クエート。こりゃ、ロシアのキジ島の木造の世界遺産だと思うんだけど。ロシア、赤の広場、てかロシアビザいるなあ。でも、私は、サンクトペテルブルグにはいつか行くことを決めている。飛行機からサンクトペテルブルグの街の光を見たときに決めたんだ。シンガポールの昔のマーライオン、こけました。ずっこけどころか、遠方から見て、帰りました。来週ここいこうかとちょっと思ってんだよ。とにかく、もうさ、世界一周を数時間でやりとげようと思えばさ、夜になるんだよね。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.16
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肥沃なインドシナ、首都プノンペンに近づき、飛行機は高度を下げていった。私は、アイル側の席だったので、ふと、隣の黒人を通して窓から陸を見ると、平野が水浸しであった。地平線の先まで水浸しで、木や草や家や土手が細切れに地平線まで見えている。まとまった陸地はないのか。おそらく、水深10センチや20センチの水溜りが地平線の彼方まで続いているのであろう。 隣の黒人は入国カードに一生懸命パスポートを見ながら記入している。ナイジェリア人だ。やがて、ランディングしたときに、そのナイジェリア人はえらく心配そうな顔をして、私に真顔で尋ねた。「カンボディア?」 乗客はそう多くなく、20人程度の外国人がビザを持っておらず、空港で申請書と写真1枚提出して暫く待つと、係員が無言でパスポートを持って手をあげ、顔写真部分のページを見せる。20ドルを払い、交換する。おまけに出国税も25ドルのぼったくりなんである。空港を出ると、公共機関のバスやリムジンはなく、団体旅行以外はタクシーかバイクタクシーで市内に行くしかない。・・滞在中略・・・帰る前に、王宮を見学した。流石に王宮というだけあって、入場料も一流である。タイの王宮も、今までさすがに値段が一流すぎて1度しか行ったことがない。それもバンコク訪問5回目ぐらいのときであり、他の寺院の入場料が3バーツや5バーツだった時代に100バーツもしたので、今は300バーツぐらいになっているのではないだろうかと危惧しつつ、まあ、それはさておき、雨季の季節、大雨が短時間降り、私も人々に見習って雨宿りをする。あと2時間ほどすれば、空港に向かう時間だ。雨が上がりかけたので、王宮の外に出ると、ヤバイ状態だった。飛行機がプノンペンに着く前に飛行機の窓からみた水浸しの風景を思い出したのである。 あと、2時間で、こんなので、どうやって空港へいけというのだ。ヤバイヤバイ!ヤバイは、次号以降を待て! 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.09.15
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私は、オールドカイロからムスリム街まで、既に8時間歩き、もはや、日射病寸前なのではあったが、イスラム最終の地は、イスラム地区の最東端である。大通りの車道から山麓にかけて、普通の建物に見えるが、実は全部、中世から続く墓なのである。勿論、2万人の貧者は住んではいるが、マムルーク時代からの王家の墓と庶民の墓の連続なのである。勿論、貧困街である。スラムとは、たいてい便利なところにある。便利なところだが、劣悪な環境、つまりゴミ捨て場、橋の下、火葬場、墓、湿地帯、低地、河川敷、がけっぷちにある。エジプトで崖崩れで下敷きになった貧民街がつぶれるという賛辞がカイロであったばかりだ。人が住んでいるのは、そこが立派な墓、廟だからであろう。おそらく管理人と交渉して、その中に住んでいるものだと思われる。王家の墓は、5階建てのようなものもあり、他の都市とイスラムの墓が違うように思えるのは、古代エジプトのファラオの埋葬、つまり、あの世とこの世の架け橋思想が受け継がれているのかもしれない。車の騒音の向こうに、静寂が聞こえる感じであり、暑さが更に音を奪っているのである。死者の町という名前だけに、惹かれて、トボトボ歩いていくのだが、誰も歩いていない。しかし、ここで最大の廟は、1ポンドの裏に印刷されているぐらいだから、ほとんど観光客が寄り付かない湯名どころなのであろう。こちらはキリスト教道路沿いが数キロにわたって壁があり、中を覗くと、街ひとつが丸ごと廃墟になっていた。こいらこそ、まさしくゴーストタウン。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.13
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死者の町 私は、オールドカイロからムスリム街まで、既に8時間歩き、もはや、日射病寸前なのではあったが、イスラム最終の地は、イスラム地区の最東端である。大通りの車道から山麓にかけて、普通の建物に見えるが、実は全部、中世から続く墓なのである。勿論、2万人の貧者は住んではいるが、マムルーク時代からの王家の墓と庶民の墓の連続なのである。勿論、貧困街である。スラムとは、たいてい便利なところにある。便利なところだが、劣悪な環境、つまりゴミ捨て場、橋の下、火葬場、墓、湿地帯、低地、河川敷、がけっぷちにある。エジプトで崖崩れで下敷きになった貧民街がつぶれるという賛辞がカイロであったばかりだ。人が住んでいるのは、そこが立派な墓、廟だからであろう。おそらく管理人と交渉して、その中に住んでいるものだと思われる。王家の墓は、5階建てのようなものもあり、他の都市とイスラムの墓が違うように思えるのは、古代エジプトのファラオの埋葬、つまり、あの世とこの世の架け橋思想が受け継がれているのかもしれない。車の騒音の向こうに、静寂が聞こえる感じであり、暑さが更に音を奪っているのである。死者の町という名前だけに、惹かれて、トボトボ歩いていくのだが、誰も歩いていない。しかし、ここで最大の廟は、1ポンドの裏に印刷されているぐらいだから、ほとんど観光客が寄り付かない湯名どころなのであろう。こちらはキリスト教道路沿いが数キロにわたって壁があり、中を覗くと、街ひとつが丸ごと廃墟になっていた。こいらこそ、まさしくゴーストタウン。ではみなさん、さようなら 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.12
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ベネチアのサンマルコ広場に行ってきました。仮面舞踏会のカーニバル時にベネチアに行けたのは、ラッキーでした。ベネチア,サンマルコ広場からはエッフェル塔も見えます。バルセロナのガウディのグエル公園に行ってきました。バルセロナ,グエル公園からもエッフェル塔も見えます。ここに入ったことがありません。オランダには何回も行きましたが、何を隠そう、風車はまだ見てません。他の事で忙しいからね。ここに入ったことがありません。オランダには何回も行きましたが、何を隠そう、チューリップはまだ見てません。他の事で忙しいからね。この前デンマークには行きましたが、世界三大がっかし人魚姫はいってないですが、ここには、本物より大きいです。暗くなってきましたわ。ローマの水道橋の後ろには、エッフェル塔も凱旋門も見えます。ローマのコロッセウムの後ろには、エッフェル塔も凱旋門も見えます。ピサの斜塔には、まだ行ってません。パリはノートルダム寺院に行きましたが、人間が結構小さくかなり遠くからの俯瞰です。ベルサイユから結構、凱旋門近いのですね。何を隠そう、私は、母親思いなので、おかんを凱旋門に連れて行ったことがあるんです。サンピエトロ寺院ですね。ミラノのドォーモであってる?どーもどーも。だんだん人が減ってきました。カップル時間です。グラナダのアルハンブラ宮殿に行きました。当日何も食べてませんでした。これは・・・これなんです。ストーンヘンジです、行ってないですが、行ったら、結構、あ、そうってなりそうです。ロンドン塔とエッフェル塔は実は隣り合わせなんです。何を隠そう、私は、母親思いなので、おかんをエッフェル塔に連れて行ったことがあるんです。正直言って、あんまりロマンチックじゃなかったです。事実を言うとまったくロマンチックじゃなかったです。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.12
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何故飛行機のぶつかっていない7号棟もぺやんこにつぶれたのですか。何故崩壊前に、崩壊しましたとBBCが放送してしまったのですか。7号棟には、鳴り物入りでジュリアーニニューヨーク市長が緊急事態対策室を造ったのに当日行かなかったのですか。 飛行機が突入しても倒れないように設計したはずなのに・・・・鉄がエンジン火災で溶けてパンケーキ理論で上階の重さに耐えかねて順番に崩壊していったと発表があったものの、何で10秒で潰れるの?これじゃあ、最上階から何も中間階がなくて地上に落下するのと同じくらいの速度だねえ。 この鉄鋼は2000度で6時間耐える試験にパスしているのに、1000度ないジェットエンジンで解けるのはどうよ、それに、酸素が十分でなく、黒い煙が出てたからもっと温度は低かったと思われるんだけど。当日スプリンクラーが作動しなかった。とうじつたまたまセキュリティ刑法が解除されてた。その警備会社の社長がブッシュの弟って偶然だよね。何で電話機やファイルやパソコンなどまでが木っ端微塵になって原型とどめてないのですか。何で初めに報道された数々の映像がお蔵入りになって、一部の映像ばかりが流されているんですか。ビル内で爆発が起こっていたという証言とか、ビルが解体されましたという証言の生中継もお蔵入りです。当日、1000億円以上の金塊が盗まれたというニュースはどこにいったのですか。ペンタゴンにつっこんだ飛行機は街路樹をなぎ倒しながら、騒音がすごかったといいいながら、何故自分はジェット気流で吹っ飛ばされてないのですか、何故、そういっている人は一部で、他の人はそんな音聞いていないのですか。何でペンタゴンでは飛行機の破片がないのですか、飛行機の翼は、建物に当たっていないのですか?壊れた穴が小さすぎるのですが。何故、ペンタゴンの不正経理の資料が、ぶつかった場所にあって、全部燃えちゃったのですか。何故ユナイテッド93便の上空から携帯電話で地上に電話をかけられたのですか?圏外ではないのですか。93便の落ちた場所に何で死体がないのですか?検視官が自分の仕事がないとインタビューで答えていましたが、何故すぐにお蔵入りになったのですか。救助隊員が胴体や座席がないとインタビューで答えていましたが、何故すぐにお蔵入りになったのですか。民間機には1機1機に機体認識番号がありますが、(アメリカはN)ユナイテッド航空93便の機体番号ものが、その後も飛び続けて2年後に無効届けがだっされているのはどうしてですか。(廃棄届けはまだでてないようです)乗客リストに記載されてないテロリストとされる人々のパスポートや学生証が事故現場から何故見つかるのですか?何故、死んだはずの主犯のエジプト人が事故後、親父に電話かけているのですか?何故事故の先週にユナイテッド航空やアメリカン航空の逆張りの株(下がれば得する)が普段の4から10倍も買われたのですか。何故事件直前に貿易センタービルの99年のリース権を得て、手付金しか払っていないのに、建物が崩壊して保険金せしめて、ただで獲得できたどころか儲かったのですか。何故、80カ国もの人々が働いていた貿易センタービルで、イスラエルの会社が急いで事故1週間前に違約金払ってまで事務所を引き払って全員無事だったのですか。何故4000人もいるイスラエル人従業員が、当日会社を休んだのですか。何故、当日ペンタゴンの軍人10人が当日急にフライト予約をキャンセルしたのですか?何故ペンタゴンで働く死者125人の中に、軍人が0人だったのですか?ペンタゴンみたいな国防の大本にいともかんたんに飛行機が突っ込めるのですか、地対空ミサイルは故障してたのですか。フライトコースをみれば、かなりA級パイロットでないと無理な飛行をしているのは何故ですか。80台以上ある監視カメラは何故公表されないのですか。何故、ペンタゴンの事故で、責任者は責任をとらされたのではなく、昇進したのですか。何故貿易センタービル崩壊の事故行方不明者の捜索をたった3日で打ち切ったのですか。死者2750人中まだ1100人の遺体があるのに、そのまま急いで瓦礫撤去して、遠く外国に死体ごと売り払ったのですか。売り払うトラックに何故わざわざ1台1台にGPSをつけたのですか。そもそも原因究明までは事故現場に手を加えてはいけないという消防法は無視ですか。民間機がフライトコースを外れたり行方不明になると、日本もそうですが、アメリカでもすぐに、戦闘機が緊急出動することになっているのに、何故無視されたのですか。当日に限って何故、3箇所に分けて遠方で空軍の訓練がされていて、ニューヨーク付近はもぬけの殻になっていたのですか。なぜクリントンセクススキャンダルの予算が56億円で、この悲惨な事故の調査予算が14億円なんですか。何故、前年比3倍もの軍事予算案を作成して、こんなの予算通るはずないですよといわれながら、ラムズフェルドは、大丈夫大丈夫といって、数週間後事故があって、すんなり予算通過したのですか。最大サイト
2008.09.11
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まずは、大阪見学である、出発である。大阪城には、毎日大阪市には行っている割には、大阪城は、生まれてからただの1回しか行ったことがないぐらいである。それも、フィンランド人を案内したぐらいであり、今から500年も前に既に天守閣までエレベーターが備えられていた、近代的な城であるという説明までしてしまったのであった。すると、その後大雨である、いわゆる日本もスコールの始まりだ。きっと二酸化炭素の増大は、緑を豊かにする。雨がやみ、やがて、日が雲の間を覘く。ドリンクの見ながら出発し、大阪城を後にして次の城である。変なオブジェを無視しながら進め。大阪城の見学を終えた後、次は、東大阪市小阪駅で降りる。そこにすぐに見えてくるのは、小阪城である。駅近くのマンダイ百貨店(百貨店といってもスーパーマーケット)から立派な建物が見え始めるのである。大阪城は、豊臣秀吉であるが、小阪城は、主が廃材を集めて築城したのである。何故か1階は散髪屋である。近くにはSMの店もある。描かれた漫画を見ると、いろんなプレーがあることが分かり、勉強になる。こんな変な奴にヒットしてもらわなくても、結構です!暑さでめまいがして見上げると飛行機飛んでました。素直にそう思いました。こんなごみの様な物が、部屋にどんどん溜まっていっているような気がします。いいんでしょうか。底がそのうち抜けそうです。だんだん、こんな気分が如実に表現されていてびびりました。抜けました。間が。底が。腰が。
2008.09.10
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常に緻密な計算の元、余裕で緩やかな旅行日程を組む私である。マカオから直接、香港空港まで行こうとしたのだが、諸事情により、香港島経由で帰るということに決定し、マカオから香港、上環の港に到着し、そのまま、1駅中環駅に行き、少し歩き香港駅に到着、そこで、荷物一時預かりを探し出し、預け、時計を見ると、飛行機出発まであと2時間半。香港駅から香港空港まで25分、電車待ち時間を考えて40分、余裕を見て1時間前のチェックインを考えると、50分程度の時間があることを見出し、行き先は、ズバリ、ビクトリアピーク、ケーブルカーに乗って、香港のテッペンに出発である。しかし、時間はあまりないので、ケーブルカー乗り場までタクシーを飛ばし、乗り場についてみると、すごい人だかりで、ケーブルカーに乗るだけでも並ぶ時間がかかるのをイライラしながらも待ち、15分程度待ってやっと乗った。目的地は、何をかくそう、出た!またかよ、の蝋人形館であるアチョー!さすが、香港の観光地に造っただけあって、人が多い、多い、おまけにガキも多くて、神聖な人形に触りまくりである。おまけに、香港人だからか、大人も、はしゃいで人形に触りまくりである。同じ中国でも上海のマダムタッソーではベタベタ触るということはなかった。多分、上海のは入場料が高くて、誰も彼もがそう簡単に入るってわけじゃなかったからかもしれない。おしどり夫婦王室の方々殺された方さすがに政治的な作品が多いのだが、誰も気にせず、一緒に写真取りまくりである。チャーチル、ヒットラー、パパロティ、世界大戦を動かした人々だ。日本人も吉田茂登場であるが、ヤバイ死刑にされちゃった人もいます。ちょび髭ガンジーは若い頃マンデラの南アフリカに医者として出張してたんだよねえ。というか、殺されたパキスタン、ブット首相もいます。やたら中国人政治家多いんだよね、香港や上海市長までいたんだよね。写してないけど。パブロアイーン日本代表は、あゆです。(もう呆れられているが続くというか先にパート2をあっぷしてもた)、鮎OK? 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.09
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昨晩は、エジプトの崩れ蝋人形で失敬した。教は世界最高水準を誇る蝋人形でこんにちはである。はなきさんの好きな蝋人形だよ。マドンナが初めて日本のコンサートに来た20年ぐらい前だったかな、マドンナが何か言うたびに、みーんな、イエイイエイ、オーとかいってたんだよね。でも最後で、マドンナが「ねえ、みんな、もう疲れたから終りにしていい?」って(英語で)いっても、もみーんな、イエイイエイエイ、って叫ぶものだから、ありがとう、じゃあね、といってコンサート終わっちゃったんだよなあ。策士、策を練ったなあ。問題。どれが、人間でどれが人形でしょう。ポシェットを持っているのが、フレディで、叫んでいるのが、ボンです。エイズです応援してくださいと新聞記事になった翌日亡くなりました。意図的です。ケリーさんは私が書いたことを覚えておられるとは思いますが、1983年か4年のモンスターズオブロックじゃなくって、何とかロックで、偶然にもスペイン在住の千代●さんも参加していたのだが、当時参加メンバーが、前座にボンジョビ・アンビルで、その時はみんな座っていて、次のホワイトスネイク、スコーピオンズで爆発、トリのマイケルシェンカーグループで基地外になるという按配であった。いまや、蝋人形にされるのはボンボンジョビぐらいである。マイクルシェンカーもロドルフも、デビドカバディールもどこいったんだ。てか、このコンサートで印象的だったのは、スコーピオンズが日本語で荒城の月をロック調に歌ったことであり、最近では、マイクルといえば、ある日日記で書いて以来、セクスマシーンというか、40分ベッドきしませ男のイメッジが強くなってしまって・・・どうもあかん、ねえ、覚えているのは、多分、青田さんとハルジさん。今でもアンディラウの人気は絶大なんでしょうか、てか年取らないねえ。白髪染めはしてるかな。問題。どれが、人間でどれが人形でしょう。答え。赤いおなかの出た人が人形です。香港でも冬のドナタのビッグウエーブがあったのでしょうか。この人は誰でしたか?バーバラストランザイド?彼女といえば、資産運用とかで、かつてもっとも儲けている俳優でしたね。まったく、インディジョーンズも形無しです。数々の俳優を押しのけて蝋人形になっているレクター博士は、はっやり第2のアレックギネスでしょうか。病気になった今でもディナーショーみたいので稼ぐことのできる彼です。人種差別に抗議してメダルを川に捨てた彼も、聖火ラストランナーになってましたね。ぶれても誰だか分かる恐怖。出た、日本の横綱。そういや、誰だったか、文章表現力の練習に、毎回すもうを見て描写していた人がいたなあ。相撲好きのライヤルワトソンではなかったような気がする。白い顔はプレスリーなんです。遠くにいるのはプレスリーなんです。ロナウジーニョはまああれとしても、中国の星、某陸上選手は、この日だったか、ハードルを棄権して中国国民のバッシングにあう。彼は中国の象徴だったんだろう。といいながら、どれが人間でしょうか。香港マダムタッソーには、その他、お化け屋敷もあり、私も参加した。数人で、前の人の肩をもって真っ暗闇を進んでくださいということであったが、知らない団体の最後尾に着き、知らないおばちゃんの肩を持ちスタートした。それまで、広東語で注意事項を説明していたが、私には、親切にも英語で説明してくれたが、君が最後尾だ、写真は撮ってはいけない、前の人の肩から手を離してはいけないとか、禁止事項ばかりであったようだが、お化け屋敷の中には、懐かしくも、何人もの人海戦術で驚かす人々がいて、キャキャーいって、本当に香港人は嬉しそうだった。私もちょとだけ嬉しかったかもしれない。 まあ、そういう事情はさておいて、飛行機の時間が迫りつつあり、2時間を切っており、急いで再び傾斜角度の高いケーブルカーに乗り、タクシーに乗って香港駅に向かい、預けていた荷物を受け取り、電車で空港に向かい、帰路に着く姿が、滅法、シブイのであった。・・・てか、その1まだじゃなくねえか?中国アイドル3人組でーす。一人だけ素人に見えるのはきのせい?ベッカム氏は、エジプトからの飛行機で私の隣に座りました(多分)。しかし、最高潮を過ぎたベッカムの収入に危機を感じているのか、暇になったのか、某ビクトリア嬢はスパイスガールズの復活に乗り気ですと、飛行機の中の週刊誌の記事で読みました。ベッカムはおっぱいせいじんで、そのために豊凶手術をしたのに、当時の服が入らないので、豊胸手術の反対の手術をまたしたといわれてますが、すれはほんまかどうか知りませんが、ベッカムも反対しなかったと某週刊誌に書いてました(てか飛行機にでも乗らないと読まない系の週刊誌)中国アイドル3人組でーす。一人だけ子供に見えるのはきのせい?なんだか、だらしなさが、ずるうとびの皆様ですって感じです。ビートルズへの冒涜ですみませんが、すうとるびを小学校低学年で知り、高学年でビートルズを知って、なんだ、ずるうとびの反対読みやん、と思った私を攻めないで下さい、ほんの子供の出来心です。ちなみにずうとるびの曲は1曲も知りません。知っているのはリーダーの山田が背が低くかけっこが速いということだけです。台湾のアイドル、テレサテンがメインランドでも人気があるんでしょうね。上海のマダムタッソーにもありました。ミック、エアロスミス系のカッコいい下品系唇は好きですか、オーイエイ。台湾のアイドル、ビビアンスーがメインランドでも人気があるんでしょうね。上海のマダムタッソーにもありました。彼女が誰だか教えてください。彼は病気だね、白皮病っていうのかな。太陽に当たることができないから、昼間は凄い格好してるよね。でも彼だけが月を歩くことができるんだよねえ。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.09
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早朝から、直射日光辺りまくりのクラッカーだぜ。地下鉄に乗り、旅行者が行くこともなさそうな、カイロ市内から30キロ南下した、終点ヘルワーンのひとつ手前の駅で降りる。ナイル川は見えないが、地図を見ると、ナイル川の反対側は、メンフィスである。教科書にも出てきたアレであるが、今や古代エジプトの統一の最初の首都も廃墟でしかないようだ。そんな訳で、駅前からいきなり何もないところを数分あるくと、そこは、入場料無料の、1日何人来るってんだいって感じのミュージアムがある。人形は、既にかび臭く、8時45分頃、到着すると、まだ鍵持った責任者来てないからみたいなことを言われて、守衛の席に座らされて、暫く、待つ。そのうち、責任者が来て、まあ、どうぞといって、エジプト1大歴史を口頭で説明してもらい、入場料は無料だった。たいそう、歴史の勉強になったが、人形の質はたいそう低レベルなものであった。それにしても、エジプトという国は、2000年もの間、外部に支配されてきたという歴史である。つまり、AC以降、現在のほんのちょとの間だけが、エジプシャンによる国である。古代エジプトの時代、それはそれは、高校の歴史でもいろいろ習ったくらいだ。ヘロドトス、エジプトはナイルの賜物とかラーとかアメンホテップとかラムセスとかいったファラオとか、最後のほうにはアレクサンダーとかアントニウスとかクレオパトラとかオクタビアヌスとか・・・。その後、ローマ帝国やビザンツに支配され、キリスト教も入ってきて、コプト教が始まるって感じである。そうして、アラブの時代がやってきて、アッバース朝とかファーティマ朝とかサラディンのアイユーブ朝とかマムルーク朝とかまあ、そういう歴代王朝に支配される。ナポレオンがやってきて、ロゼッタストーン見つけたり、オスマン帝国に支配されたり、シャンポリオンがヒエログラフを解読したり、スエズ運河ができたり、イギリスに支配されたりする。エジプトがやっと独立したり、ナセルが大統領になったり、アスワンハイダムができたり、サダトが就任したり暗殺されたり、1983年、ピラミッドの登頂が禁止されたりする。心なしか、エジプトの歴史は終わりなんだけど、エジプトの歴史画像は続くので、あとは、よきに計らってください。エジプトの歴史は終わったというのに、画像は無茶余ってしまいました。どうしたらいいですか?しかしま、カイロ郊外にまで、わざわざ出かけていく由緒正しい旅行者はそう多くなく、おそらく今日の蝋人形館の来場者は、私を含め約1名であろう。入場料無料で、門のところで永遠に暇そうにしているのが4名、おそらく公務員なのであろう。一日、彼らは来ない来場者を目指して、おしゃべりに興じるのである。それに閉館は4時である。何のために・・・隣のヘルワーン終点駅(中心から電車で40分ぐらい、どこまで乗っても1ポンド20円)は、日本人が造っていない日本庭園と温泉があるので、多少の日本人個人旅行者はいると思われ、私も少しキッチュそうなイタリア人が日本を想像して造った日本庭園に行きたかったが、あいにく、まったく時間の持ち合わせがなかったので、断念した。とにかく、日本のホームページで最もアルヘルワーンの蝋人形館の詳しいホームページになったことは否めないであろう。栄光か?光栄か?恥か?ナです、セです、ルです、3人合わせてナセルです・。そんな訳で、私は、非常にエジプトの歴史が得意になり、今でも、人形と共に思い出すことができるようになりました。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.08
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今日の講義は、コプトからです。コプトの悪口ではないです。エジプトには人口の1割がキリスト教コプト派でです。地下鉄の、マルキルギス駅を降りると、もう目の前にはバビロンの塔に奥は、コプト博物館がる。地下鉄では、私以外、旅行者は皆無であったが、すでに観光バスで近くにまで押し寄せて、いわゆる団体客が歩いている。私も年老いてきた。団体旅行はうらやましくないが、バスは涼しそうである。20数年前、パキスタンのカラチで知り合ったKは、エジプトに行ったとき、やることがなく、ナイル河のほとりで佇んでいると、観光バスが止まり、日本人女性2人が降りてきて一瞬のうちに写真を撮り、またバスに戻ろうとしたそうだ。そのとき、寂しがり屋のKは、彼女らに日本語が懐かしく声をかけたのだが、返ってきた返事は非情なものだった。「私たち、関係ありませんから」といって走ってバスに逃げられたそうなのである。 Kとは、最近は彼が引っ越してからもう10年ぐらい音沙汰がない状態になってしまったが、その後、何回か、日本の東京に凱旋帰国するたびに、彼の練馬の家に泊めさせてもらった。時折、池袋から、タクシーでの凱旋帰国、タクシー代を払ってもらうという情けないシーンもあった。確か、日本に久しぶりに帰ったときに、Kが少しだけ興奮気味で、日本で新しいビールが出たといって、スーパードライを飲んだ。うまいかどうかは別にして飲みやすかった。Kは、ヘリコプターの会社で、毎日ヘリコプターに乗っていた。その後、結婚したよ、とはがきが届き、結婚したら子供が3人ついてきたよ、そんでもって花屋をやることになったよ、と。 なんだか、懐かしくなって、今、ネット検索してみた。あった。来週、行ってみようかな、という気になった。気恥ずかしいな、なんだか。お互いおっさんになってるんだよ、15年は会ってない。それに、東京まで、男友達に会いに行くのもなんだか、変だよね。ただ、今、文章で書いているからKのことを書いているだけで、ずまないが、炎天下の中で彼を思い出したわけではない。不思議なことに、誰も思い出さず、自分の世界に入っているのである。そして、しばし、歴史を感じる、というのではなく、常に、現世の人間との交渉と戦いと友好と生活である。 とにかく、オールドカイロというだけあって、はっきりいって、カイロ発祥であり、現在のカイロ中心部から南にある。コプトの修道院の近くには、ユダヤのシナゴーグもあり、密集しているのである。密集しているだけに、観光客とそれを目当てにした商売人が密集しているのである。そこで喉が渇いても、飲まず、ずっと歩いてから外れで飲む。日常生活において、コカコーラは一切飲まないのに、何故だが、ヨーロッパに来ると飲みたくなる。メッカのアメリカ本土でも一度も呑んだことがない。しかし、ここエジプトでは、なんと、コカコーラが飲みたくて仕方なくなったのだ。暑さだけではなく、その湿度が私の欲求に合致したとき、コーラタイマーが鳴るようだ。オレは、コーラを飲むぞ。 ところで、アフリカ友達関連で思い出したのだが、なかなか、学生時代には、友達でも、流石にアフリカは遠く、卒業旅行に先輩がケニアに行ったというにはあったが、同級生の父が商社マンでザンビアに在住、父をタッヨって大名旅行、ついでに、独立後数年のジンバブエに行ってきたという羨ましい同級生がいた。 当事の独立した頃のジンバブエは豊かであった。他のアフリカが貧困にあえいでいる中で、農作物を輸出していたぐらいで、遺跡もジンバブエ大遺跡がある。当時は農業政策もうまくいっていて、相変わらず、一部数少ない白人の大農場と、隙間を狙った黒人農民でうまくいっていた。 今年2月のニュースでは珍しくジンバブエが取り出されていた。ニューズウイーク誌でも読んだ。インフレが1ヶ月16万倍という報道だった。その後は、もう報道はなくなった。政府もみていないのかもしれないくらいだ。ハイパーインフレの発端は、ムカベ大統領が、インフレに業を煮やし、明日から物価は全部半分と宣言してからだ。勿論、利益を50パーセント以上とれる職種なんてあまりない。その日のうちに、店の棚から商品が消え、闇に流れ、ハイパーインフレとなったのであった。そもそもの原因は、大規模農場の白人の土地を取り上げてからだ。確かに一部白人だけが儲けるのもよくないのかも知れないが、接収したあとがよくある最低状態で、何の農場ノウハウも持たない官僚(=えらいさんの身内せいぜい同じ部族)であり、勝手に切り売りしたり、ほったらかしたりして、みるみるうちに、食糧収穫率は半分以下になっていったのであった。ああ、もう一人、サハラにあこがれて休学した先輩もいたわ。サハラ砂漠をアルジェからナイジェリアのラゴスまで縦断し、涙したいと夢を語りながら日本を去ったのだが、やってきた手紙には「アフリカ人は人間じゃねえ」であった。 あれだけ独立闘争で人民のために何十年もアパルトヘイトに反対してがんばってきたANCも政権をとったとたんに、腐敗していった。今やアフリカで、順調な国作りができているのはボツワナぐらいだ。ジンバブエは今や、アンゴラ、スーダン、赤道ギニア、そしてナイジェリア(アフリカ大陸の4分の1はナイジェリア人だ)のように指導者が利権のみにしか興味がなく、国のことなど初めから考えていない国のひとつになってしまった。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.07
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昔から、不思議に思っていたのですが、宗教画や宗教像、イコン、その他偶像に騙されてたのですが、現イスラエルのガラリアで生まれたあのお方、中東の真ん中ですよね。白人じゃないですよね。現在の教皇ですが、ブラジルで、先住民はキリスト教を歓迎しましたと発言しましたね。大航海時代、虐殺収奪レイプの残虐を繰り広げマヤインカを潰したことのお勉強が足りないようですね。イスラム(はちがうか・・・寛容はないような)も仏教も、他宗教を邪悪とはいいません、寛容です。でも、これも現在の教皇、イスラムは邪悪で残酷と発言。前教皇何とか2世でさえ、他宗教を不完全と言い放ってますね。対話を求めてたのはポーズなんでしょうかね。現在のばちかんですが、信者に手インを禁止しました。なんだか、小中学生みたいだねえ。魔女狩りや異端諮問で大量虐殺をやっていた中世、蛇や狐など動物も不浄だといって殺しまくり、天敵のいなくなったねずみが大発生。これ、ペストの原因だよね。そのくせ、ペストに罹るのは神罰だなんていってさ。ムッソリーニやヒトラーを褒め称え権威をマセサセタ当事の教皇。戦後はシーン。 改革派●ターは改革とは名ばかり、実質は復古主義者。悪魔主義差別主義反ユダヤ主義。悪魔とは自分の考えと違う者、つまりローマ教皇、女性、ユダヤ人、農民、異教徒。カトリックでは当事聖書はラテン語で書かれていたので、自分の都合のいいように翻訳、ヤコブの手紙湯だの手紙ヨハネの黙示録は削除。 もう一人の改革派カル●●ンも負けてないぞ。論敵は火あぶりその点、プラハのヤンフスは免罪符批判した一人だったが、彼は今でもチェコの英雄であるが、カトリックは彼を火あぶりにして、謝ったは600年後、この前である。ローマでキリスト教が実権を握って、どこかの中国で聞いたことがるように、ギリシア文明の偉大な書物は焼かれ(70万巻蔵書所蔵のアレクサンドリア図書館は破壊、エジプト王の27万巻の古代文書も破壊、文学作品も破壊)、知識人は迫害され、ローマ帝国の道路網は廃れ、聖職者に免税と兵役免除と法廷で裁かれない権利を与え、癒着が始まったって。ギリシア、古代ローマ文明を承継したのは、イスラムである。ヨーロッパは没落していったのだ。中世って、ホントに暗かったらしいね。高校のとき、教科書で、瀉血というのが出てきた。笑った。病気の治療のために血を抜くのだ。どんな病気でも血を抜く。感染症に罹る。体内の毒ばかりでなく、性欲も抑制できる・・・って体力なくなったからじゃないの?でもこのキリスト教的治療法、6世紀から1000年続くんだから。10年前、イタリア政府は放課後と日曜は学校を開放しようぜという法案を提出。課外活動でスポーツや文化活動のてこ入れを図ろうとする。でも、全体主義だと猛反発した教会。信者の卵を失いたくなかっただけじゃないの?ところで、高校の歴史を習いながら、あれれと思ったことのひとつに、仏典もそうだけど、聖書は、キリスト自身が書いたものではないということであった。高校生的バカ頭でも、そりゃ、本来の教えからは捻じ曲がっていくわなと思うものである。アウグスチヌスといえば、初期キリスト教の大御尽であるが、若い頃は色情魔だったらしく、自分の体験を下に、多分、人間の原罪を考え出したのであろう。生まれながらにして人間は原罪を背負っているって、遺伝するって、何だよ、キリスト教でない人間からすれば変。万一、アダムの子孫としても、何でアダムの罪を遺伝するのだ?一説によると、原罪説を採用させるために、ローマ教皇に賄賂を贈りまくったとか何とか。 ところで、高校の歴史を習いながら、あれれと思ったことのひとつに、ニケア会議にて三位一体説の教義が採用されたってのがあった。何で、そんな世俗的な権力闘争で教義が決まるのか、バカ高校生には分からなかった。正統派とはそのとき勝利を収めたグループのことである。 オプスディっていう団体知ってるかしら。カトリックの1派ですが、障害者は不浄な親から生まれるだってさ。信者は80カ国6万人だってさ。まずくないですか?聖職者は一般人っより性犯罪率が高いのは、我慢のしすぎだからなんでしょうか?権力握ったら、そうなるんでしょううか?昔は妻帯もOKだったのにね。ダンテの神曲には、地獄編、煉獄編、天国編があるが、煉獄は教会が考えたものだ。聖書には記述がない(聖書も曖昧だけど)。煉獄とは地獄と天国の間。悔い改め、献金を巻き上げるために考え出したのだろうと邪推する。ところで、有名な話だけど、ユダヤ教徒は、聖書とは聖書であっていわゆる新約聖書は認めていないよね。旧約と勝手にキリスト教徒がいっているだけで、いわゆる新約聖書はでたらめだからだ。私たちの持っている聖書は勝手に新旧セットになっている。改竄に告ぐ改竄、及び、布教のためによくあることだが、もとあった宗教の教えを飲み込み取り込んでいったわけだよね。エジプトに行ったわけだからいうわけじゃないけど、1970年代に発見された派プルす文書にユダ福音書がの写本が発見されたけど、今の内容が違ったらしいね。死海文書とかもあったよねえ。改竄といえば、今でも、時代に合わせて改竄している。主を父に変えたり、障害を持つものを異なった納涼を持つものに変えたり。まあこういうのは、英語でポリチカルコレクトちゅうのかね。去年のニューズウイークを読んでいると、今でもアメリカの半数が神が人間を創造したと信じているらしい。考えれば、最も融通のきかないピューリタンがアメリカに来たわけだ。いわゆるピルグリムファーザーズという侵略者。考えれば、日本人には分からないよね。渡米する4割しか本土に行っておらず(私含む)、その9割が海岸部しか行っていない。保守派のことは知らないよな。カンザス州とかでは進化論教えてはいけないからね。コンドムはエイズに役にたたない、姦淫は罪、罪はエイズ・・・総本山ではそんな珍説をいまだいっているって。コンドム配布には反対。未だに、協会としては周期法による避妊しか認めていない。避妊具を使うのは快楽主義につながるという理由・・・私の数多い経験ではなく、私の数多い伝聞によると、避妊具を使わないほうがキムチいいと思うのだが・・・気のせいだよね。ユダヤ律令を守らないキリストにむかついたパウロは、ちょと待てよ、この教えと旧約聖書を結びつけたら奴隷にも権力者にもいい顔ができるんじゃないの?って気がついちゃったんだね。何だかわからないうちに、キリストが反対していたユダヤ教の核心、メシア信仰を、いつのまにか、キリスト教に取り入れていったんだよね。まあ、そんな訳で新約聖書は、権力者にも被支配層にもいい顔ができるように結構矛盾されたことが書かれているんだよね。 それにしても、まあ、他人事かもしれない文章を書いてきたんだけど、日本にもキリスト教が入ってきた。キリシタン大名が多くでたのは、武器供与をちらつかせたり、神を大日と約したりして仏教の一派と思わせたりしたことも原因かもしれない、。豊臣秀吉がキリスト教を禁止してくれて正解だと思う。南蛮貿易については習ったが、そこで、日本人奴隷も輸出されてたんだな。秀吉は怒った。鎖国だ!アフリカであれほど悪事を働いていたやつらが何もないはずないんだよな。何で歴史で教えないのだろう。屈辱なんだろうか。時代が違うといえばそれまでだが・・ 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.06
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バイエルンの首都ミュンヘン、その空港では有名なこの人、ねえはるじさんワグナーを愛したルードルヒ2世のミュンヘン、その空港では、何故だかビーチバレーも開催中。ミュンヘン市内までは、なかなか遠く、電車で50分である。目的は、一目散に狩猟ミュージアムである。入り口からイノシシの歓迎である。 人類と狩猟の大博物館である。それでいいではないか。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングの「2008年世界生活環境調査・生活レベルランキング」によると世界215都市対象の政治社会、経済、社会文化、健康衛生、学校&教育、公共サービス&交通、レクリエーション、消費財、住宅、自然の2008年世界生活環境調査1位 チューリッヒ2位 ウィーン、ジュネーブ4位 バンクーバー5位 オークランド6位 デュッセルドルフ7位 ミュンヘン、フランクフルト9位 ベルン10位 シドニー11位 コペンハーゲン12位 ウェリントン13位 アムステルダム14位 ブリュッセル15位 トロント16位 ベルリン17位 ルクセンブルグ、メルボルン19位 オタワ22位 モントリオール25位 ダブリン28位 ホノルル29位 サンフランシスコ32位 パリ、シンガポール35位 東京37位 ボストン42位 バルセロナ43位 マドリッド44位 シカゴ、ワシントン、リスボン、大阪49位 ニューヨーク54位 名古屋55位 ローマ70位 香港71位 プラハ74位 ブダペスト75位 クアラルンプール80位 ケープタウン、(モーリシャス)83位 ドバイ84位 台北86位 ソウル87位 アブダビ94位 ヨハネスブルク98位 上海109位 バンコク116位、北京140位 バンガロール(インド)142位 ムンバイ(インド)145位 ニューデリー211位214位 中央アフリカのバンギ215位 バグダッド、2年連続最下位って、まあ、あんまりあてにならないか・・・ 同・身辺の安全ランキング・政情の安定、犯罪、法秩序、対外関係1位 ルクセンブルグ2位 ベルン、ジュネーブ、ヘルシンキ、チューリッヒ6位 ウィーン7位 オスロ、ストックホルム9位 シンガポール10位 オークランド、ウェリントン12位 コペンハーゲン、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘン、ニュールンベルグ17位 ダブリン18位 勝山、大牟田、筑波、四日市 22位 カルガリー、モントリオール、オタワ、トロント、バンクーバー33位 アブダビ35位 神戸、名古屋、大阪、東京、横浜43位 香港47位 ドバイ53位 シカゴ、ヒューストン、サンフランシスコ69位 ロンドン196位 モスクワ213位 パキスタンのカラチ215位 バグダッド・・・なんかかなり適当な感じがする。機械的なものだからか。マスターカード・ワールドワイドの「2008年度世界ビジネス都市度ランキング」によると75都市を7部門 法律・政治上の枠組み、経済安定性、ビジネスのしやすさ、金融、ビジネスセンター度、知的財産・情報、住みやすさを43指標、74準指標で評価☆世界ビジネス都市度ランキング1位 ロンドン2位 ニューヨーク3位 東京4位 シンガポール、5位 シカゴ6位 香港7位 パリ8位 フランクフルト9位 ソウル10位 アムステルダム11位 マドリード(昨年16位、急上昇)12位 シドニー13位 トロント15位 チューリッヒ17位 ロサンゼルス(10位)19位 大阪(10位)20位 ミラノ21位 ボストン22位 台北24位 上海(32位、急上昇)30位 ブリュッセル36位 ワシントン39位 デュッセルドルフ42位 バンコック44位 ドバイ47位 ローマ51位 モスクワ(38位)53位 サンチャゴ(チリ、南米トップ)56位 サンパウロ(48位)57位 北京(46位)60位 深セン(49位)61位 ニューデリー・・・なんだか適当なきもする。ストックホルム国際平和研究所の「2008年度版年鑑・世界の軍事費」によると世界の軍事費・1兆3390億ドル140兆円前年比6%増、過去10年で45%増、冷戦終結後の過去最高1位 米国 5470億ドル58兆円、世界シェア45%2位 英国 597億ドル3位 中国 583億ドル、過去10年で実質3倍4位 仏 5365位 日本 4366位 ドイツ 3697位 ロシア 3548位 UAE 3389位 イタリア 33110位 インド 24211位 韓国 22612位 ブラジル 15313位 カナダ 15214位 オーストラリア15位 スペイン 146 武器メーカーの売上・利益ランキング10・2006年(中国除) 100億ドル=1兆円1 ボーイング(USA) 2 ロッキードマーチン 3 BAE Systems(UK) 4 NorthropGrumman (USA) 5 Raytheon (USA) 6 GeneralDynamics (USA) 7 EADS (WestEurope)8 L-3Communications(USA) 9 Finmeccanica(Italy) 10 Thales (France) ところで、ハルジ氏がミュンヘンの画像を見て、えらく、ドイツ北部に比べてくだけてるなあ、という印象を受けられたそうだが、そういえばそうだわ。ベルリンや、イタリアも北部ミラノなんかは、なんだか建築がファシズムなんだよなあ。 そういや、シオニズムってのがあったと思うのだが、シオニズム(ユダヤの故郷イスラエルを建設しよう運動)ってのは、勿論、上から考え出されたものであり、ヨーロッパに散らばっていたユダヤ人の民衆からの運動ではない、というか、シオニズム大会がヨーロッパで開催されようとすると、ユダヤの民衆が大反対したので開催地がしばし変更されたりしたという。あのあたりの土地を買いあさっていたのは、きっと道楽であろうロスチャイルドであり、当初イスラエルの8割がロスチャイルドが買いあさった土地であったという。そこにどんどん入植させたいのだが、言われるほど、当時はユダヤ人が排斥されていた訳でもなく、ドイツなんか特に差別的な法律もなく、気候もよく、よりによって何で安住している土地を捨てて、くそ暑い砂漠の土地なんかにいかなければならないのよ、って感じだっただろう。それに、ユダヤ人は、主に商人が多く、土地をくれても農業には精通してないのである。土地を順調に買っているのに、順調に入植者が入らないことに業を煮やすのも当然である。おそらくは、ゲルマン純血主義、ユダヤ排斥運動を、ヒトラーを煽って起こしたのは、ロスチャイルドなのかもしれない。行き先をなくしたユダヤ人はイスラエルやアメリカに逃れた。ヒトラーに融資をした銀行は全部ロスチャイルド系なのだから。考えすぎか。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.05
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とにかく、エジプトでは、明日、もう出発するというのに、予算外の出費(ピラミッドでラクダ野郎に2000円とられたのと、駅員にお釣りを間違えられて1880円の損失を計上)したので、豪華食事というか、明日早朝のタクシー代余裕見て100ポンド(2000円)を残すとすれば、街中からナイル川の中州までの2,3キロのタクシー代などを考えると、あと使えそうなお金が300円ぐらいである。 勿論、私は、銀行口座には莫大な資産を有すると勝手に想像しているのだが、現実に、使えるポンドは300円ぐらいである。学生時代ならこれも平気のポンチであったが、今は、齢、中年の域にかかりつつあると世間では噂されるほどなのであり、そこにでも両替屋があれば、すっ飛んでいく気分というか、すっとんでいく現実と勇気とドルや円を持っているのだが、肝心のエックスチェンジのマネーチェンジャーが見当たらないのである。 それに、私は、まだ、夕食を終えていないのである。というか、不本意にも、無料だったホテルの朝食でパンを2つと野菜を食べたのみで、あとは、水しか飲んでいない夕暮れだったのである。というか、なんだかんだいって、その前の日も何を隠そう1食しか食べていないのである。まるで、金がないかのように見えるが、まあ哲学的に言えば、そういうことである。 そうはいっても、カイロ最後の飯は、もう12時間ぐらい歩いたり、タクシーに乗ったり、歩いたりしているだけなので、ヘトヘトで喉もカラッカラなので、ビールである。コップでビールを一気飲みすると、もう死んでもいいって感じとなり、飯なんてどうでもいい、健康のためには死んでもいいなんて本末転倒状態に陥りながらも、思わず、冷房ヒエヒエのレストランで、すっかり250円のビールを飲んでしまうのであった。こんなことでは、飯を食う金もないと心配しつつ、お代わりするのも、金銭的、いわゆる経済学的に大変なことになるので、レストランを後にする。珍しく、酒屋を発見、インドのように、酒屋に入るというのは、大変恥ずかしく、酒屋に入るもの堕落者という感じで、イスラム教徒ではなくってよかったと思いながら、ビール1本を買う。なるほど、市中で買うと500ミリリットルが150円ぐらいなのかと判明する。そして、冷えたうちにホテルに戻って飲むのだと思いながら、水パイプに誘われて、プカプカ吸った後は、雑貨屋で水(高級水はネスレである)を買い、何故だかヨーロッパと同じように、無性にコカコーラが飲みたくなり、1缶買い(高級コーラにはコカコーラ、ペプシコーラがある。インドのようにリムカニセモノコーラはない)、ホテルに戻り、何となく、テレビで歌番組を見ながらも、眠るのである。さすが、国土の98パーセントが砂漠の国、日本の3倍の国、何がさすがや。ちなみにホテルは、90年代の観光客襲撃テロのために、金属探知機を通らなければならないが、ピーピーナリマクリのクラッカーで、何の緊張感もないほどである。 不覚にも、ポンドは、100ポンド紙幣を両替してしまい、明日、交渉に次ぐ交渉に80で行ってもらうことに自分で勝手に決定。カバンには、使いかけのボールペンを5本忍ばせ、これをバクシーシ追加料金とすることにして、時計を2時半にセットし、眠るのであった。 起きたら3時半である。飛行機出発まで2時間を切っている!うわあああ、飛行機がああ。といって、急いで、外に出るが、3時半にタクシーなどおらず、暫く歩くと、タクシーが止まっており、中で運転手が思いっきり爆睡していたので、起床~起床~!と叫び、とにかく空港に急いで行ってくれ30分以内に行ってくれ!と値段交渉もあるというのに、いきなり大変弱い立場から出発したのであった。何だか、エジプトの話じゃなくてもいいような話ですな・・・。1983年、ピラミッドの登頂が禁止になった年、知ってたら行かなかったかもと思いつつ。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.04
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守銭奴守銭奴~っ!好景気で沸きまくるマカオへ凱旋入国である。勿論、目的は、ここで資産を一気に50倍ぐらい増やそうという目論見である。ウッシシシーである。マネマニマニー! 港に着く頃には、すでに、遠方にはコンクリートで囲まれた火山が噴火寸前であった。守銭奴守銭奴~っ!しかし、港を降りても、銀行が閉まっているのである。このままでは、どうしたらいいのだと思っていると、ホテルバスが迎えに来ていた。あらゆるホテルのバスがじゃんじゃんやってきては、珍しく数少ない客を乗せていく。おお、最近できた話題のベネチアンもあるじゃないか。総面積天安門広場2つ分、従業員12000人、ホテルエリアはサッカー場56場分、何だか2800億円の建設費とか1兆円かけてとか、訳の分からない数字も吹き荒れている。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!この国には、そういえば、某●朝鮮の●正●がバンコマカオアジアに金凍結されたって、大騒ぎしてたよなあ、と思いながら、多分、既に金ジョンいる糖尿病死亡説はかなり信憑性が高いと思われるね。あ、今の、ダブルね、替え玉ね、多分、なんてことを思い出しながら、金もないのに、カジノに出かけるのである。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!恥ずかしながら、カジノはマニラやプサン、オランダやチェコやアメリカにもあったが、博才のない私は、手を出したことがないのである。今回は、手が出せないほどに単純に金がないのである。軍資金予算は先程、両替商で両替した1500円である。勿論、今からの豪勢な食事代込みである。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!カジノの中は、撮影は禁止されているのであるので、端的に申し上げると、3秒で玉砕したと申し上げるしかない。散るからこそ美しい男の美学である。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!今や、売り上げなどがラスベガスを越えたマカオではあるが、なんだか、アジア人のディラーにアジア人中心の客がやっていると、いろんな映画とは違い、目が血走り、結構ベタなのである。半ズボンで蚊をパチンとやりながらギャンブルに興じる姿の背景が、どうもキンピカになっただけに見えるのは、過去に路上のギャンブルを見てきたからであろうか。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!昔は、ガイドブックにも、なかなかマカオのフェリーはいっぱいで行くのが大変なんて書いてはいたが、今は15分に1本、香港からフェリーが出港しているのだから、どんどん、いける。3000円ぐらいするけど。ヘリでも行ける。記念に一度乗っても良かったんだけど。2万円ぐらいだったような。またカード切るのかよ、知らないよになると私も知らないので一応気持ちを押しとどめる。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!カジノは豪華絢爛かというと、まあ、そういう訳でもないが、ジュースとかサンドイッチとかは飲めるので、こぎれいな格好で不眠不休で生きるなら、生活できるかも知れないのであった。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!しかし、マカオって香港に比べたら小さいのだねえ。世田谷区の半分ぐらいだねえ。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!マカオの収入源の7,8割がカジノであり、私も大いに貢献しながら、結構、カジノ、ケッ、カネナカッタラつまんねえよ、と飯を食いにいくことにするのであった。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!実は、2008年、カジノリニューアル景気に沸くマカオは香港の入国者数を抜いてしまったのであった。香港も増えてはいるがマカオは毎年ここ近年、2割3割前年度増らしい。マネマニマニー!守銭奴守銭奴~っ!これをみると、日本人も海外渡航減ってんだなあ。マカオとマレーシアがすごいねえ。マネマニマニー!マネマニマニー守銭奴守銭奴~っ!関空から直行便でたからねえ。他人事だねえ、なんだか守銭奴守銭奴~っマネマニマニー!! 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.03
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ミュンヘンは、どちらかというと、ドイツ2番目に大きい空港である。首都がベルリンというのに、フランクフルトやミュンヘンのほうがでかいというのも因果なものである。ましてや、かつての西ドイツの首都ボンともいえば、ドイツ20番目ぐらいの小さな暫定首都であったのであった。空港で、3.5ユーロで荷物を預け、4,50分かけて中心部にやってくるのであるが、4,50分が何となく遠く感じられるところが、ヨーロッパらしくないところかと感じられる。今や、ゾーン4の料金を払いつつ、2通りの行き方があるのであった。まるで大阪環状線の大阪から天王寺まで行くのに、右回り左回りがあるようなものである。ヨーロッパは一時、酸性雨で随分森林がやられたと聞いていたが、ここミュンヘンでも森林の中を電車が走る。実は、地球から森林が消えつつあるというひとつのテーゼがあるが、たとえば、ボルネオやアマゾンの森林が毎秒コート2つ分づつ減っているとか、ブラジルの森林はスイス1つ分毎年減っているといわれているが、あるいは、何かガも字世紀には熱帯雨林の森林がなくなるといって入るが、ここ50年で、森林は増えていることをFAO(食料農業機関)は報告している。人間のバイオマス(生物量)というのは、人口爆発といっても、全世界のアリと同じ生物量である。全世界の3分の1に森林が覆われている。楽観的なことはいえないが、人間が住むのは、どこか考えてみれば分かる。よく、中国やインドが先進国なみに発展してしまえば、環境破壊や人口爆発で資源もなくなり、住むところもなくなり大変なことになるといわれる。本当か。何となくそんな気はするが、感覚的なものだ。人間はどこに住んでいるんだ。実は、それは、地域的人口密度の問題のようである。 ドイツでは、舞致死森林が1000平方キロづつ増えている。インフラの拡大は自然の成長を阻害するとドイツでも信じられてきたが、ドイツ連邦統計局の発表に人々は驚いた。私の頭の中も、学生の頃の1980年代90年代当初の頭のままだったのだ。それから10年、毎年1000平方キロメートル増え、合計10万7000平方キロメートルになったのでる。ドイツは日本よりやや2万平方キロメートル少ない36万平方キロメートルである。そうそう、ブラジルのスイスの100倍以上の面積である。あとは詳しく調べて見れば、分かる。1970年代、80年代とは随分変わってきているということが分かる。調べれば分かるが100年前と比較して、日本の人口は増えたが、その森林の質は別にして、森林面積は増えていることは、統計を見れば分かる。3分の2がいまだ森林だ。あ、ドイツの話だった。ところで、植物一般は、よく知られたようにCO2を昼間吸うわけで、そういうわけで、田舎より都会のほうが植物が育つことが分かっている。そんな訳で、矛盾するように見えるが、街中では、街路樹は、よく育つ。CO2CO2と根拠なく騒いでいる世の中、逆に砂漠が緑に変わっていく可能性まで秘めているのだから、先行き分からないものだ。私は覚えているよ、1980年代の本は、CO2の増加によって、地球が冷えていくって、結構いわれてたことを。立花隆も、1970年代の本「エコロジー的思考」かなんだかで、寒くなると書いてあった。わかんないんだよ。でも、そうなったら、排出量で儲けようとしている世界トップは困るんだよ。分からないことは、分からないとか、可能性があるという程度に押しとどめて欲しいと思うのですが・・・と思いながらも、ミュンヘンの中央部に着いた。バイエルン地方の中心で、バイエルンのBがBMWのBで、BMW博物館もあり、行こうとするが、市内から遠いのでやめるが、さすがにドイツ、BMwやベンツやワーゲンやアウディばかりが走っている。エジプトから来たら、8割ぐらい信号を守っており、まるで関西から関東にきた気分である。教会のテッペンに登頂するのだが、登頂入山費用は2ユーロぐらいだったのだが、うっかり1ユーロ硬貨の代わりに1エジプトポンドを払い、多少揉めた。揉めた原因が分かったのは、登頂後であった。勿論、エレベータはなく、老いも若きも、ゼイゼイいいながら登るのであった。久しぶりに日本人グループとすれ違い、わあ、凄い景色という日本語を聞くのであった。そうか、キミタチ、ミュンヘンにどうやってきたんかいな、と思いつつも、思っただけであった。ミュンヘンといえば、私にふさわしいのはオクトーバフェスタである、要はビール飲みまくるのフェスタである。最低1リットルジョッキからである。まあ、それはよいとして、まあ、ミュンヘンの目玉、市庁舎を見た。そういや、考えれば、ミュンヘンという居酒屋に何度行ったことだろう。私は、から揚げはいちいち注文しないのだが、ミュンヘンに行ったときだけは、から揚げを頼むという図式を20年来と続けているのである。神戸のミュンヘン大使館居酒屋は、地震でつぶれたけど、今も再建されている。まあ、そんなことは、どうでもいいとして、ミュンヘンという英語は、屈辱的な宥和政策という意味があり、どうしてそうなっちまったのかは、私の調査する気はまだない。まあ、そんなことは、どうでもいいとして、イタリア語でミュンヘンはモナコと書くので、結構ややこしいらしい。まあ、それはいいとして、映画ミュンヘンは、ミュンヘンオリンピック後のイスラエルの報復が中心で、なんだかなあ、って感じであった。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.02
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3時25分早朝、悪名高きカイロ空港は、20年前の噂に聞いたまま、同じ空港であった。その噂とは、イミグレーションでスタンプを押してもらう前から、旅行代理店と称する男たちがすでに、いるのである。そんな経験はなく、これが、噂の空港かと、その人たちをみて20年前の記憶が思い出された。 あの時、カイロの対岸の国、ギリシャで、エジプトに行くことを断念した記憶も思い出されたのであった。あの時は、とにかく入国するのに、200ドルの強制両替があり、その金額を払ってしまうと、日本に帰るだけの飛行機代がないという事態を迎えつつあった。私の持ち金はあの時、あと7万円程であり、格安航空券のあったギリシャで日本まで5万数千円のチケットを買うと、えらい目にあうのは目に見えていたし、当時はカードも持っていなかったのだ。7万円から5万数千円を引いた1万数千円でストップオーバーでパキスタンのカラチ、バンコク、マニラと成田に着くまで2週間かけて帰ったのであった。そういえば、あの時、成田からまた東京の友達と会い、金を借りて、群馬県へと行き、自宅に帰るまで、さらに1週間を要したのであった。 そんな思い出話に涙しながら、空港でビザを取得できるのだが、両替所で証紙を買うことが分かり、イミグレ前に両替し、その際に、証紙代金を差っぴいてもらったのであった。 スタンプは、ほんの5秒ぐらいで押され、昨年のグアテマラの3秒に続く早さでの入国であった。外に出ると、中で特別に入ることを許された自称旅行代理店の人の100倍近くの自称履行代理店の人々や迎えの人々やタクシー客引きの人々や、ただ佇む人々で、いくら振り切っても振り切っても、いくらでも私のようなエグゼクティブ然としたカモに合わせて、早朝3時台という公共機関の一切ない時間帯のカモに、皆さん目が血走っており、物価の程度や貨幣の大きさが良くわかっていないカモに対し容赦なく襲い掛かり、私は、市内までの運賃を客引きの中からセリにかけるしかないのであった。 よくわからないが、タクシーに乗ると、客引きが金をくれといい、タクシーのあんちゃんに、こいつにやって君にあげなくていいのか、と尋ねると、それでよいとのことであった。 道は、相変わらず、そう良くはないのだが、早朝で空いているので30分程度で市内に入り、ナイル川としか思えない川を渡り、これが世界のナイル川なのかと感慨深く思っているうちに、5回ぐらいタクシーあんちゃんは道を尋ね、ナイル川の中洲にあるホテル前にとまり、バクシーシを要求(バクシーシといった)してきたので、チップ50円ぐらい渡そうとしたら、小さい金がなく、びびるぐらいの大金を渡してしまったのであった。 さすがに、朝の4時台で、このホテルのチェックインの2時まで随分間があり、もう一泊分払うかそうか、フロントで決断を迫られるが、荷物を預かってもらうことし、ロビーの片隅に隠れ、軽装の服に草履に着替えたのであった。 アフリカといっても、アラブ人の国であり、中東と変わりなく、実感もないまま、汗を吹く出しながら、何かおと、朝の5時からぶらぶら散歩しているようなじいさんや若者に声をかけられながら、何となく、ナイル川を見ている。早朝なのに、川沿いの夕涼みならぬ朝涼みしている老人ややんキー集団やカップルが多い。高低差のない淀みの中で、そうだ、1日限定先着順100名までピラミッドの中に入ろう、今から行って切符売り場に並ぼう、そう思った。(続く、ではなく過去の日記に戻る) 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.09.01
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