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鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを獲った裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力をしてきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない、日々練習していく中で、身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと、考えるようになりましたウッチー(内田篤人)の引退セレモニーでの引退理由を述べたコメントの一部。それでも2018年には、ACL準々決勝での逆転のゴールを決め、それがなければ念願のACL制覇&20冠はなかった。彼はオリヴィイラ元監督のビデオメッセージにあったようにJリーグ史上初の3冠にも貢献している。2009年最終節での決勝ゴールの絶妙アシスト、2008年の32節(だったと思う)の決勝点…。そしてドイツに行った。CLを含めドイツでは大活躍した。だからシャルケのクラブ、サポータは、彼に敬意を抱いている。今回の引退も、クラブからいくつものメッセージがSNSを通じて、日本語とドイツ語で寄せられている。イケメンで軽いイメージなウッチーだが、ことサッカーに関しては、ストイックで配慮を欠かさない人だった。それは代表でもス同じ。2014年ドイツ大会…、ケガをおして出場したが、結局予選敗退。2010年は戦術上の理由で突然、レギュラーを外れた。外したのは、多分鹿島以外の監督で一番彼を推していた、岡田さんだった。それでも腐らなかった。そのかいあって、予選突破、ベスト16まで行った。ケガがなければ、無理しなければ、、、誰もがそう思うはず。もっともっと活躍できただろうし、本来だったらまだ欧州でブイブイ言わしてたかもしれない。皆が惜しむ引退だった。この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん、鹿嶋は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います鹿行は確かに田舎だし(これでもかなり整備されたけれど)、でもサッカーをやるには持って来いの環境だと思う。だから多くの選手が代表や海外に鹿島経由で輩出した。安部裕葵選手が鹿島に入団したエピソードで、彼の高校時代の担任(だったと思う)が、「もし鹿島からオファーがあったら、入団した方がいい」と言ったらしい。進学を考えてた彼が、その一言で、鹿島からのオファーを受けたとの事。担任はなぜそういったかは判らないが、同じ事を違う学校の先生も言ってた…。たしか、ウッチーの両親が、鹿島のスカウトからの話を聞いて、ここだったら大丈夫と思ったという話を聞いた事がある。だから、この発言だったのだろうと思う。あと、実はこのコメントは、現在在籍している鹿島の選手に対してのものなのかな…とも思った。「こんな負け方ダメだよ。俺たち鹿島だよ。」勝負事で相手もいるから負ける事だってあるが、ここ数年、不甲斐ない負け方する事が多いが、3冠の頃は、負け方にも美学というか、そういのがあったと思う。ウッチーがこの発言した鹿島への思いとは、そういう事なのかもしれない。移籍選手が多いなかで、鹿島イズムがなかなか浸透していないように思えるけれど、鹿島に在籍した事、鹿島とはどういうクラブなのかを、噛みしめて心に刻んでほしい。そういう思いを伝えてるのかもしれない。とわいえ、もう日本最高の右サイドバックのウッチーは、もう観る事ができないけれど、でも、いつまでも忘れないでいる。また、会いましょうここで
2020.08.24
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先月、日本にファイナンシャル・プランニングの文化を導入、日本FP協会の立上げメンバーある、田中英之氏が永眠された。20世紀末…、私が証券会社出身なのに、いくらシステムエンジニアだとは言え、あまりにも金融の事、お金の事を知らなすぎると思う。某資格学校のAFP講座を受講。ちょうど、AFP講座&修了試験合格でAFP資格が取得できる最後の講座だった(その事は受講するまで知らなかった)。なので、200名を超える受講者がいた。その中にはFP業界で大活躍したり、海外移住して悠々自適生活を送っている者もいる。AFP(CFP)という資格は、2年以内に一定単位の継続研修の受講が義務付けられている。なので、AFP取得後、いくつかの継続研修や勉強会に参加した。これまで経験した事のない見知らぬ人に出会う事になる。そんな勉強会に講師として氏が参加していたのが、最初の出会いだった。当時、氏は”FP教育研究所”というのを経営していた。そして、ここで開催されている勉強会に誘われた。私はその誘いを受けて、勉強会に参加した。それから、東中野にあったFP教育研究所に定期的に通うようになった。そこでもいくつもの出会いがあり、それが現在の私のビジネスのベースになっている。いわゆる人脈というやつ。2002年にサラリーマンを辞めて、独立した。その頃、氏の仕事をいくつかお手伝いする事があった。私がシステムエンジニア出身であり、ITに強みを持っていたので、白羽の矢が当たったのだろう。そして私に対して「君はバックオフィサーを目指すべきだ」とアドバイスを貰った。私が人見知りである事や、ITスキルだけでなく、そうした人に仕え、支える事が得意という事を見抜いていたようだった。それに金融、とりわけ証券業務の知識があった事も氏からみれば、私の強みだと思ったようだ。欧米のFPには、バックオフィサーを専門にしている者もいるらしく、FPが日本でも普及すると、そういうビジネスもあると氏は考えていたようだ。実は、そういう触れ込みがあって、いくつかの所で、バックオフィサー的な事をしていた時期があった。ただ、やっぱり当時はFPがまだまだ正確に認知されていなくて、バックオフィサービジネスは思うようには広がらなかった。それでも、ここまでやってこれたのは、氏の教えがあったからだと思っている。「良い富裕層には、良い弁護士、良い医者、そして良いファイナンシャルプランナーがいる」氏が理想とするFP像を語る時、必ず出てくる言葉だ。氏が言いたかったのは、富裕層をターゲットにする…という事よりも、FPという職業のステータスを高める事だった。氏は、ゼロだったファイナンシャル・プランニングを1にした。1を100にする事よりも、0を1にする方が大変であり、氏はそれをやり遂げた。でも理想には、まだまだ遠い道のりがある。それでも、FPという職業は、市民権を得ている。ちゃんとした職業として。氏の教えを請うたFPは、氏が理想とするFP像を目指し、日々活動している。氏の理想や夢は、その者に引き継がれている。「人を遺して逝った者が上である」という言葉があるらしいが、氏が遺したものは、人とその思いだと思う。だったら特上か?(笑)因みに、氏は私の役者(劇作家)人生にも影響を与えている。「宇宙特急ホワイトレインボウ」という物語に、氏が経験した事を盛り込んでいる。その経験を聞いた時、人にはそれぞれに天職があり、職にはそれぞれに誇りがある。言うのを知った。と言っても私は、町工場で育った人間で、両親を含め、油まみれで高品質の部品を作り、終業後に笑顔で語り合う環境を目の当たりにしている。多大なる感謝の意を持って、ご冥福をお祈りいたします。
2020.08.01
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