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早朝処置をしてもらったばかりなので、自宅に帰っても調子がおかしい?。動悸が治まらないのである。やっと点滴を終えたばかりなので、数時間で直ぐには全身の血中濃度は落ちはしない、が、、、、。しかし、水も満足に飲めない状態である。少し身体を動かそうとすると、とたんに動悸として返って来る。そしてちょっと水を含ませようと身体を横にした時に、ついに「発作性頻脈」が起こってしまった。(発作性頻脈:動悸の酷いもので労作状態に関係なく脈が“早鐘を打つ”ようになる状態で、時に脈拍が200回/mim近くになることもある)そのような発作が起きた場合、慣れて?(反射神経の刺激を使う)いない限り自分では止められない。特に今回のように原因が精神的なものでない場合には、医療機関に行く以外に止める手立てが無い。発作後少し我慢していたが、どうしようもなくなったのでついに「救急車」を要請した。昨夜から数えて2日目の昼間であった。救急車で今朝方まで点滴を受けていた病院に舞い戻った。しかし・・・ここからの対応が前日の「当直医」と全く違っていた。まず、着いた早々「心身症」として(決め付けられて)扱われた。明らかに「今朝までの処置:カルテ」が残っているはずである。なのに「心身症」である。単なる過呼吸発作(パニック発作?)と混同されている。今朝方まで「何の治療をしてたんだ!」と内心思っていたし、そうであることを訴えたが聞き入れてくれない。しばらく救急外来の診療台で観察され「安定剤」を飲まされ、「治まった?大丈夫でしょう?」と言い、その後は「落ち着いたら帰って良いよ!」とあっさりと言われてしまった。確かに安定剤で一時的にも頻脈発作は治まったようになったが、、、原因が何も解決されていない。「まだおかしいようなら、明日にでも外来で来て下さい」(今おかしいから来てるんだ!と思いながら)と・・・まだ動悸はするが、返されてしまった状態だった。どこか「何かがおかしい?」と“人為的なも”のを感じた。その日の“治療費と帰りのタクシー代”が高くついた感じだった。『何のために救急で行ったのか?』が何も判らなく意味がなかった。翌日その病院の「呼吸器外来」に行った。「呼吸器専門医」と書かれてある外来の医師にかかった。そして今までの状況を説明したが・・・怪訝そうな顔つきをした“専門医”がこう口にした。「私には診れないので、今別の先生を呼びますので、、、」とあからさまに医局に電話をして、“内科の一番偉い先生?”がやって来た。そして開口一番、「喘息の薬にはこういう“動悸の副作用は『当たり前ですから』”と笑いながら話した。」明らかに人為的に“何かを隠している!”と感じた。そうか・・・昨夜の当直医は別の場所にある大学病院の“アルバイト医師”であったからだ・・・。だからその場では「正直な診断」が出来た(言えた)のだ。しかし今は違う。ミスを犯した同じ街内の「総合病院」と「開業医」との“見えない関係”が見えたような気がした。そしてその内科医は点滴を用意して“何かの薬を入れ”、点滴を開始させた。こんな状態では“インフォームドコンセント”などという言葉には程遠い治療過程である。そしてその点滴が終わっても余計に「動悸」は治まらなく、そのまま帰宅させられた。「動悸は直ぐに治まるから・・・」と言いながら、その動悸は点滴後約12時間続いた。(たぶん、同じように“テオフィリン系の喘息薬”を静注したのだと思う)この事件からどうにも自律神経の調子がおかしくなり、この病院ではらちがあかないので結局別の「神経内科」で自律神経調整剤を飲む羽目になった。元気でいた自律神経のバランスを薬害で強制的にズタズタにされたのである。未だに自律神経は元に戻っていない。ちょっとした喘息を治療するために行った病院でミスが起き、そのミスの治療に行った病院でまともな扱いを受けなかった。『これが医療の実情なのか?』ととても医療不信になった。これが私の『医療過誤体験記』である。そして昨年“バッツ症候群”を治癒するきっかけとなった高橋医師との出逢いにより、この「医療ミスで起きた自律神経の失調」を含めた私の『全人的な治療』を行ってもらっている。これからまだまだいろいろな意味での治療には長い時間がかかると思うが、高橋医師に出逢えた事で積極的に治療するチャンスと意思(意欲)が与えられた。このHPのためではないが、私は今まで出会ってきた医師の中で一番人間味のある医師であり、私のなりたかった「医師像」を持つ“研究熱心で厳しくも優しく丁寧で、そしてユーモアセンスもたっぷりな医師”である。この出会いを“とても幸せなこと”と思う今日この頃である。
2003年06月28日
昨日の「北九州の医療過誤訴訟」の訴訟と合わせるかのように、厚生労働省が>リピーター医師免許取り消しも、年内にも初諮問のニュースも同時に流れた「リピーター医師」とはご存知の方も多いと思うが、医療過誤(ミス)を繰り返した医師のことである。以前首都圏のニュース内で特集されたことがあったが、3、4度と医療ミスを繰り返しても何の「大きなおとがめ」もなく医療行為を続けられるのである。これは絶対におかしい!。命を預けられないような行為を繰り返し・無反省なら『免許取り消し(はく奪)』も当然の処分と言えよう。運転免許のように更新制を取っているアメリカなどのように、まじめで好成績を挙げている医師はそれなりの「配慮」があっても良いと思うが、基本的なミスを繰り返すような医師には医師であって欲しくないし、その資格はない。これでは「患者本位の医療」などという事は、お役所や自分本位の医師が“絵に描いた餅”を前提に行っている(患者から見れば)“医師のあこぎ”であるだけで、きちんと患者を人間として扱っている良医には「迷惑千番」なだけである。一日も早くきちんとした制度(法制)化されて、リピーター医師には現場を退いてもらいたい。私の「医療過誤」の本当の“怖さ”は点滴ミスではなく、これからの医療機関の対応だったが、記述は明日以降に、続く・・・。
2003年06月27日
今日医療ミスで娘さんを失った医師(母)の判決が出た。>7300万円の賠償命令 長期化、裁判長が「遺憾」 北九州の医療過誤訴訟 > 小倉記念病院(北九州市)で手術を受けた高校生久能紹子さん=当時(17)=が死亡したのは医師の過失が原因>として、両親が病院を経営する朝日新聞厚生文化事業団(東京)と主治医に損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡>地裁小倉支部の杉本正樹裁判長は26日、ほぼ請求通りの計約7300万円の支払いを命じた。> 提訴から約9年8カ月ぶりで、杉本裁判長は判決の冒頭「約10年もの歳月を要し、謹んで遺憾の意を表明したい」と>異例のおわびをした。医療過誤事件は、事の大小にかかわらず日常的に存在する。そしてこのように裁判になって「判決」が出るのは、その総数に対して「ごく僅か」であり、ほとんどの『医療過誤被害者』は無き寝入り状態である。そして何よりも『失った命や、以前の健康が元通りに戻らない』と言うことである。そして保証がされる場合も『死亡、または高度障害時のみ」であることも調べた。この判例も10年と言う月日と、そして専門的知識が「勝訴」に至っているが、私たちのような「一般市民(患者)」は泣き寝入りしかない。私がそう感じたのが、その後の出来事からだった。前日の日記の続きで・・・点滴をすることになったのは良いのだが、医師が診察を終えて医局に戻った後に、当直だった新米看護師が「おそるおそる点滴針を血管を探りながら・・・」というびくつきながら点滴を始めた。深夜の処置室で診療台に載せられた私は身動きが出来なくなり、さらに悪いことに、この看護師が定期的に見回りにも来ず、その上に緊急呼び鈴(ベル)も置いて行かなかった。案の定、恐れていた“事態”が起こった・・・手が“ちりちり痛い”・・・初めての経験だった私には何が起こっているのかが想像つかなかった。無理に動けないので少し身体をずらして手を見たら・・・手が、手が膨れ上がっている。“ぎぇ~!”。点滴針が血管から抜けて、皮下点滴状態になっていた。その上、誰かを呼ぼうにも何の手段も無い!・・・焦った私は診療室にあった丸イスを床に“バンバン”叩きつけて分厚い壁の向こうの夜間事務室に聞えるように何回も叩きつづけた。・・・しかし無常にもその音は届かず、仕方がないので点滴を引きずりながら事務室に行って対処をお願いした。それでも数分してやっとベテラン看護師が来てくれて、別室に移らせてもらい呼び鈴も置いてゆき点滴を再開した。私も血管が浮き出ない体質なのでそれは仕方ないが、2度目の点滴も針が外れ、またまた腕が腫れあがった。3度目の針は手の甲に入れて、やっと朝方4時半ごろに終了した。『温めれば元に戻りますからね!』と温タオルでマッサージをしてくれたが、気持ちの良いものではなかった。「9.11」は私にとっても悪魔の日であった。この日は出張の予定で『何が何でも行かなくては!』と思っていたが、眠れずに・・・・・・寝付いた後に仕事先からの電話で起されたが、事情を説明して“絶対に無理”と判断され、自宅で休むことにした。しかし、本当の“医療過誤怖さ”はここでは終わらなかった。続く・・・。
2003年06月26日
医療過誤、何を隠そう私もその一人である。バッツ症候群が“無自覚で進行している最中?”の出来事だった。風邪から軽い喘息を起した私は、前回までの投薬量で改善されていなかったので医師は、『では、喘息の薬を倍にしましょう!それでいかがでしょうか?」と気管支拡張剤:テオドール(テオフィリン:交感神経刺激剤)を増量された。現在自律神経の不定愁訴の根本的原因はこの医療ミス(投薬量ミス)から激増悪した。その医師に悪気は無かったのだろうが、ミスであることすら気がついていない。そして薬剤師もはるかに処方量を超えた処方箋なのに、何の疑問も持たずに処方してしまったことだ。地元で3代開業医の家系であり、地域ではそれなりの信用もあるようである。患者が黙っていれば、“何も判らないので良いのか!!”そう思う。忘れもしない「9.11」の夜だった。“N.Yで飛行機がビルに激突!”と言うニュースが飛び込んでいた頃、私は原因不明の『動悸』に襲われていた。時間が経過するごとにこの世の出来事と思えないテロの凄さの光景が画面に映し出されている時に、私は「この信じられない光景で精神的に動揺している?(精神的要因)」だとばかり思っていた。深夜2時を過ぎても・・・『動悸』は止まらない。「パニック発作の前兆なのか?」と過呼吸になりそうな自分の身体と精神のアンバランスに戦っていた。しかし、予備でもらっていた安定剤も効かず・・・どうにも“変”で治まらない。救急車のお世話になると「また心身症か!」と病院で嫌がられるので、タクシーを自力で呼んだ。夜中の2時だと大きな駅の繁華街近くの私の所にはなかなかタクシーは捕まらなかった。「酔っ払いを送るのなら、病人を先にしろ!」と内心思っていたが、、、。(そう思うのなら“救急車にしろ!”と言われそうだが、、、)自腹を切って救急病院の夜間診療を受けた私は当直医(循環器専門)から聞いた言葉に愕然とした。持っていった「処方箋」を見せるなり、『テオドール・・・これじゃ(この量では)、完全に中毒だ!』だった。『はぁ?テオドール中毒ですか?私は精神的なものとばかり思っていましたが・・・』- 「テオフィリン100mg」の注意書きより - >通常,テオフィリンとして,成人1回200mg(本剤2錠)を,小児1回100~200mg(本>剤1~2錠)を,1日2回,朝及び就寝前に経口投与する。また,気管支喘息については,テオフィ>リンとして成人1回400mg(本剤4錠)を,1日1回就寝前に経口投与することもできる。>なお,年齢,症状に応じ適宜増減する。>副作用・・・>耳鳴,不随意運動>循環器:動悸,頻脈:顔面潮紅,顔面蒼白,不整脈(心室性期外収縮等)・・・私はこの「1回200mgを毎食後3回」で投与された。喘息発作で眠れないほどの状態ではない。上記数値から最高使用量は400mg/dayであるが、私は投与されてから5日間600mg/dayで服用していた。明らかに「投与量オーバー」である。誰もいない深夜の救急治療室でのテオフィリンの血中濃度を下げるための点滴が開始された。しかし、医療過誤は、ここでも『更なる体験』が待っていた。続く・・・。
2003年06月25日
「本来なら最高医療機関?」に見放された私は、それでも何かきちんと原因があるはずだと思い、街(市)の医師会のHPを見て「耳鼻咽喉科」に行く決意をした。(耳鼻科は怖いと思ったが仕方がない・・・)しかし、この時点での医療機関選択が私も愚かだった・・・真夏の最中だったので、体温調節が上手くいかない私は、「自宅に近い」という安易な条件で探してしまったことだった。そして今思うと医師会のHPに「診療科目」しかなく、その医師の「得意・専門分野」が掲載されていなかったからである。(考えられる理由として“医療機関間の不公平是正?”が考えられるが、医療は最も人にとって大事な“サービス業”であるから、民間企業のように“競争原理”が働いても、患者側には何ら支障はない(注:都会に限る?)現実的にはそうなっているのだから・・・)こんな医師会のHPなら「宝くじを当てるようなもの」としか言いようがないような「サービス」だと思う。どうせHPを作って運用されているなら、せめてその医師・医院の「得意・専門分野」を掲載して欲しい。その医療機関の個々のHPにリンクされていればまだ良い方である。どこにあるか(場所)や診療時間等の確認は確かに便利だが、これから自分の身を任す医療機関の正確で安心した情報がないのは患者側に「きちんと治癒されないと言う“不安やつけ”」として押しつけられてしまう・・・。我々個人にも「得意分野」があるように、医師・医療機関選択にも「これが当医院の売りです!」は明記して欲しい。治せもしない医療機関には始めから行きたくないものである。当然だが治療費は“ただ”ではないし、そこまでの間の病気が長引いていれば明らかに患者側の負担(生活苦)であることは明白だからである。高橋医院長のように「地道だが高度な研究意欲と数多くの臨床実績を持ち、より多くの治癒患者数(実績)がありながら、世の中に情報として出ていない(出ていなかった)」のは非常に残念なことであった。救急の場合を除いて、医療機関を選択するのは患者側の責任であり、その後の治癒期間の短縮は、自分が選んだ医師との連携プレーなのである。そして何より患者側もそういう自分に合った医師に巡り会い、「積極的に治したい!」と言う強い意志・希望を持てるかである。その医師を選択する段階で、何の有効な情報が無ければ結局自ら「治らない!」を選択したのと同等である。これだけIT化が進んでも、きちんとした「情報」を出してもらうことが情報消費者が求めていることであり、全ての情報発信分野の方々が「上手く情報を発信できるか?」はまだまだ浸透していないのが現状である。PS:やはり上記の選択で行った耳鼻咽喉科では、「内科への責任転嫁?」のような不機嫌な態度で、「どこが悪いのか?、どのように治癒して行くのか?」が何も見えず・進まず治療費だけがかかり、また「ベルトコンベアー式診療」だったので自ら見切りをつけた。続く・・・。
2003年06月24日
私が特に注目した点(悩まされている点)がやはり、小クライテリア(小基準)に列挙されている上位項目の 1.微熱(腋窩温37.2~37.3℃)ないし悪寒 2.咽頭痛である。微熱については、某有名大学病院総合診療部でさえも『不明熱』として、赤ちゃんの“うつ熱(外部環境に対して体温調節が上手く機能しない状態)”として、『現在の医学では解明されていない病気で・・・原因が解りません、しばらく体温表をつけてください・・・』(たいそうな“つっけんどん(偉そうな)”な言い方で言われた)との“ありがたい診断”を頂いた。しかし、その診断経過を見ている間でも、微熱・咽頭痛・咽頭・扁桃発赤は顕著であった。いや、そう言われていた際にも「喉は腫れているが・・・」と言ったきり、薬さえない。さんざん待たされて、高額な診療費を払って「何も解決されないまま放置」が大学病院でする仕事なのだろうか?。素人の私でさえも「その時点で“その大学病院の耳鼻咽喉科外来に回せばいいのに?”と感じたくらいである。本来の総合診療部はそう言う働きを持っているのではないか?と疑問に思った。そしてその大学(病院)にはCFSを専門とする?学会の主たる教授がいる大学であったのを、高橋耳鼻いんこう科医院に通院してから知ることになった。微熱を起す原因は身体全体に対しての配慮が必要だが、その次の『咽頭痛』については紛れもない“耳鼻咽喉科領域”での疾患として扱われて欲しい(べきだ!)。そしてバッツ症候群:高橋文夫医院長が提唱されているように、『慢性疲労症候群治療の鍵は、“耳鼻咽喉科”にある』との見解に大きく賛成したい。なぜなら、簡単明瞭・・・“喉が腫れている”からである。そして、“ここをきちんと治療してもらわなければ”・・・が素朴な患者の答え(疑問)である。続く・・・。
2003年06月21日
慢性疲労症候群:CFSの原因説として、・感染症説(ウイルス、その他の感染)・中枢神経疾患説(心因性精神疾患、ウイルスなどによる中枢神経障害)・免疫異常説(原因不明の一時的異常、二次的異常、ウイルスなどの感染、神経・内分泌。免疫系)・内分泌失調説(視床下部・下垂体・副腎系)・代謝異常説(筋代謝異常、アシルカルニチン:ACR異常)そして★バッツ症候群(無自覚性両側耳管狭窄症候群)注)あくまでも個人的考察(患者側からの意見)という思考で論じて行きます。まず、私がいち患者側としてと思うことは、・原因説として挙げられているものの中で、小クライテリア(小基準)に列挙されている上位項目 1.微熱(腋窩温37.2~37.3℃)ないし悪寒 2.咽頭痛について、 “的確に説明されているものが無い”という事実である。これらの重要項目について全てと言って良い程『原因不明・・・』で記載されている点である。この点がしっかり解明されていなければ、クライテリアに列挙されている意味が無いような気がする。全ての患者さんに共通な項目なら、ここを重点的に調べて治癒するのがまずは第一歩の気がする。そう言う観点から『耳鼻咽喉科』の専門研究・治療分野であると私は強く感じるのである。そうであるにもかかわらず、耳鼻咽喉科領域で「慢性疲労症候群について興味深い研究をされている医師がなんと少ないことである。(WEB上で公開されていないだけなのかもしれないが)そして公開されていても、その患者数(サンプル数)の少ないことに驚かされる。「A治療法の患者5人に対して、3人の軽快をみた・・・。」のような数の少なさである。これでは“実質的治癒率”は高値になっても、サンプル数があまりにも少なすぎて、他の要因で治癒した可能性も捨てきれないのである。これで「何とか説」と唱えることができるのであろうか?。もし、そのような現状の偽治癒率を鵜呑みにした患者が、その療法で軽快するのだろうか?。大変疑問である。続く・・・。
2003年06月20日
今までは私の経緯をある程度書いてきたが、今回は実際の診断基準『クライテリア』を考察してみたい。注)ここで書いているのはあくまでも「患者側の素朴な感想・疑問」で医学的な論議でないことを注釈しておきたい。慢性疲労症候群(Chronic Fatigue Syndrome:CSF)は、突然原因不明の疲労感に襲われ、日常生活が困難になります。(大阪大学 研究班作成より引用)1)健康な人に突然、原因不明の強い全身倦怠感・微熱・頭痛・脱力感・思考力の障害・抑うつ等の精神神経症状などが起こり、この状態が長期間続いて、健全な社会生活が送れなくなるというものです。- - 厚生省(現厚生労働省)CFS診断基準試案(平成7年3月、一部改変)より - - - - - - - - - - - - - - - A 大クライテリア(大基準)1.生活が著しく損なわれるよう強い疲労を主症状とし、少なくとも6ヶ月以上の期間持続ないし再発を繰り返す(50%以上の期間認められること)。2.病歴、身体所見、検査所見で別表に挙げられている疾患を除外する。B 小クライテリア(小基準)ア)症状のクライテリア(症状基準:以下の症状が6ヶ月以上にわたり持続または繰り返し生ずること)1.微熱(腋窩温37.2~37.3℃)ないし悪寒2.咽頭痛3.頸部あるいは腋窩リンパ節の腫脹4.原因不明の筋力低下5.筋肉痛ないし不快感6.軽い労作後に24時間以上続く全身倦怠感7.頭痛8.腫脹や発赤を伴わない移動性関節痛9.精神神経症状(いづれか1つ以上) 羞明、一過性暗点、物忘れ、昜刺激性、錯乱、思考力低下、集中力低下、抑うつ10.睡眠障害(過眠、不眠)11.発症時、主たる症状が数時間から数日の間に発現イ)身体所見クライテリア(身体所見基準:少なくとも1ヶ月以上の間隔をおいて2回以上医師が確認)1.微熱2.非浸出性咽頭炎3.リンパ節の腫大(頸部、腋窩リンパ節)- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ◎大基準2項目に加えて、小基準の「症状基準8項目」以上か、 「症状基準6項目+身体基準2項目」以上を満たすとき『CFS』と診断する。◎大基準2項目に該当するが、小基準で診断基準を満たさない例は『CFSの疑いあり』とする。◎上記基準で診断されたCFS(「疑いあり」は除く)のうち、感染症が確認された後、それに続発して症状が発現した例には 「感染後CFS」と呼ぶ。現在は改定されているが、これについて考察して行きたい。続く・・・。
2003年06月18日
自律神経失調の原因は間違いなく「私自身の過労」にある。過労と言う“身体ストレス”を極限まで続けた『結果』と私自身反省している。“危険シグナル”は出ていたからだ・・・気がついていた。しかし、私を取り巻く環境が許さなかった。過労時に『過呼吸発作:過換気症候群』を起していたからだ。(当時はこのこと(過呼吸発作)は自分でも何が起きたのか判らず、その度に“パニック発作様”を起こし、救急外来にお世話になっていた。)それを無視をしていたわけでなく、気がついているが、休むに休めない状況だった。もちろん“心理的ストレス”も皆無ではない。残業の多かった仕事に不平不満はあった。身体だけ疲労して、“こころは豊か”なんて状態はありえないからだ。ただ、それが(“心理的ストレス”)が症状発現の直接のきっかけではない。あくまでも、発症以降に『思うように身体が動かないために不安が増強された』に過ぎない。始めは気持ちは前向き(元気?)に、仕事に出かけてたからだ。では、何が気持ちを滅入らせたのか?。そこが問題になる。それはやはり『医療』からであろう。バッツ症候群の初診にも書いたが、内科ではどんな検査をしても「?:原因が解らない」、そこから“診療科たらいまわし”が始まった。・・・そして最後に自分が感じたのは『後は精神科かぁ?』と思い、その科を受診せざるを得なかった。そこは某有名な著者を医院長に持つ、私の中学時代好きだった「作家」の家系だった。住んでいる所から車で割と近かったので、そこへ出向いてみた。閑静な森の中の医院で、隣接して入院棟もある。そこで頂いたありがたい?症名は「心臓神経症」だった。これは脈を気にするあまり、心電図には異常がないのに“不整脈感”を感じるかららしい。しかし、これは「精神的な病気の範疇」で「肉体疲労の結果」とは思えなかった。思い悩んで「脈を意識するようになったわけではないが・・・?」なのだが、治療すべきありがたい?“症名”に私は「変に納得?」して、それを治療することになった。このときの薬剤は「ワイパックス0.5mg、ドクマチール50mg」とたいした薬量ではなかった。しかし、肉体疲労へのアプローチは、この薬から判断しても何もない。残業の多かった仕事(会社)を変えて、安い給料(アルバイト)で働く羽目になる。これが『全ての悪夢の始まりの“序章”』だったとは、私自身にも気づくはずがない。そして治療期間も「半年くらい?」と見ていた私も、後に甘かったことを思い知らされることになる。平成2年も始まりかけた・・・1月の中旬だった。続く・・・。
2003年06月14日
まず、“自律神経失調症とはいったい何か?”。あまりにも広範囲で、あいまいな「症名」である。不定愁訴と言うが、それぞれの環境や心理状態で何とでも言い様があるが、本当のところ、きちんと説明できる医師もいないと思う。なぜなら「自身が体験している方(医師)」が少ないからだ。マニュアルで「このようなもの・・・」とは解っているだろうし、たくさんの「訴えを持った患者さん」を診ていれば、何かしら「共通点」があると思う。でも、本当にそれでいいのだろうか?。訴えの裏側に潜む本当の「病魔」については、なかなか患者も触れる・意識されていないと思う。意識されているものに対しては、対処法はあろうかと思うが、、、。基本的に、交感神経と副交感神経のアンバランスによって起こる(らしい?:実際にこの目で見たわけではないので)が、いったい「これらのアンバランス」は何から・・・アンバランスになるのかが困りものだ。とある文献に、このように記載されていた。>病気の80%は、環境要因も含めたストレスや医療における薬剤使用の間違いによって起こっていると>私は考えている。この表現は大変に的を得ていると思う。私もまさにこの道をこの同じ方向で経験してきた。まずは、「身体的過労」から⇒「医療へ」⇒「医療における薬剤使用の間違い」から、さらに症状を固定化されていた。私自身は「現代医療を受けていない!」と医師に言われたくらいの「へそ曲がり」で、数年と言う単位で「漠然と投与」されている薬に不信を持っていたし、それが軽快の道だったとは思っていない。『いつまで薬を飲みつづけなければいけないか?』と真剣に考えると、きっちりと「返答」が期待できるだろうか?。最終的には「自分の力で生きて行かなければ!」という気持ちから、数年出されていた「薬剤」から離脱した。その頃には「離脱しても生活できる」と確信していたからだ。そして「苦難の離脱症状」を乗り越えて、薬剤無しの生活が取り戻せた。しかし、その状態を再度同じ世界に引き戻したのは、『環境要因も含めたストレス“と”医療における薬剤使用の間違い』だった。続く・・・。
2003年06月13日
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