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時計の針が9時になるのを待っている。急いで電話をかけなければいけないところが2件もある。到着時間から逆算すると遅くとも9時20分には出なければいけない。話は簡単明瞭にすまさないと間に合わない。1件は簡単だが、もう1件は込み入った話になりそうなのだ。 以心伝心という言葉がある。目と目が合い「あ、うん」の呼吸で通じ合う、世の中、万事がこういうことになればしめたものだがそうは問屋が卸さないから困ったことになる。ひどいのになると意味を違えてくれたりする。「詳しいことは帰所後にでも。とりあえずはそういうことでよろしく!」 とりあえずはそういうことでよろしく、なんて全く結論の出ていない意味のない言葉だが、そうでもしないと電話を切ることができない。困ったものだ。
2004年05月31日
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理由などない。日曜日の空は快晴が絶対に似合う。雨降りや愁いを含んだような曇った空は似合わない。 似合わない日曜日の代名詞と言えば真っ先にダミアの「暗い日曜日」が思い浮かぶ。ピアフと共にシャンソンで悲劇を歌わせたらこの二人に勝る歌手はいない。不朽の名曲だ。いつだったかダミアのCDが2980円で売られていた。喉から手が出るほど買いたかったが我慢をした。今となっては買わなくてよかったと思ってる。だって聴けば確実に暗くなるからだ。 ところで、ビューティフルサンデーを歌ったのは誰だったか? 結構好きだった歌で、カラオケなどでかなり歌った記憶があるが、肝心の歌手の名前が浮かばない。書き終わるころまでには思い浮かぶかもしれない。 先週の日曜日はドブ掃除だった。早朝から11時過ぎまでの半日がつぶれ、いくらシャワーを浴びても強烈なドブの匂いが体中に染みつき、午後からナンバのジュンク堂書店まで出かけるつもりだったが取りやめた。いまどきこんな匂いを発散させている人は段ボールハウスの人でもいないだろうと思ったからだ。それほどひどかったのだ。 今日は朝からユニクロへ行くつもり。綿100%でノンアイロン使用の半袖が2枚で2980円ということでゲットするつもり。あと綿パンが特価で500円だとか。これもゲットだ! 相談者が来なければ午後からは事務所で仕事を片づけるつもり。まずは気にはなっている相関図の作成だ。ほかにJA共済から送られてきた交通事故の過失割合に対しての反撃文?を作成もしないといけないし、○×組合に加入する加害者に対して治療費の請求書も作成しないといけない。 明日の月曜日も予定が一杯だ。朝から自動車リサイクル法の説明会。午後2時前にはエスケープ、上六で依頼者夫婦と落ち合い、税理士を交えての依頼事項を取りまとめることになっている。それが終わったら地下鉄で阿波座にある建設保険組合へ。依頼者の親が急死したので名義の書き換えを頼まれているのだ。この依頼者からはほかにも自動車名義変更、さらには準確定申告の決算書類作成を受任している。しかも依頼人が未成年なので家裁へ特別代理人の選任届を出してからでないと手続ができないのだ。こちらのほうは金曜日に走り回って必要書類をとり揃えたのであとは郵便ポストに投函するだけだ。 ところでさきほどの歌を歌っていた歌手の名前を思い出した。田中星児だ。ギターを持って引き語り。若いのか歳をいってるのかわからない歌手だった。 私の記憶はどうもじんわりと明るくなってくる水銀灯と同じだ。これも歳のせいだろうか? 昔はツーカーで答えていた。 先週の日曜日はイズミヤへ夕食の食材を買いに行くというカミさんのお伴をした。その往還、カミさんは印鑑屋の看板「○×印舗」を見て、「やらしいわ、インポやて」とゲラゲラ笑い、 私は私で、住宅設備会社の看板「TOTO」を見て、「なんでこんなところでサッカークジを売っとるんや?」 とさかんに首をひねる始末。 近い将来、お互い「ところであんた誰?」と言い出しかねないような気がしてきた。 あああーーーなんだか暗い日曜日になってきた。
2004年05月30日
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依頼人は独居老人。依頼案件は公正証書遺言書。必要資料と依頼人の意志を遺言形式に文章化する。「今年に入ってからどうにも身体の状態が芳しくないので・・・」 と弱気になっておられた。 持病の肺気腫に加えて一年前には胃を半分取ったという。若い頃はマラソンの選手だったとか。「まさかこんな病気になるなんて」 大阪市内で事業をなさっていた。脳溢血で奥さんをなくされ、自身も病魔に冒されていたのですっかり弱気になって廃業されたらしい。 子どもは二人で長男長女。長男は東京、長女は北海道。薄情なわけではないが仕事と家事が忙しく、盆と正月すらなかなか帰ってこれないらしい。 電話での依頼があって初面談をしたのはその二日後。場所は依頼人宅だった。小さいが池もあって鯉が泳ぎ、立派な松の木が植わっている庭がある。苔の濃い緑が印象的だった。「不動産の登記簿謄本などを取り寄せたりしますので、しばらく時間をください」 と言って席を立った。 時代物の名手藤沢周平が書いた唯一の現代小説に「早春」という名短編がある。たしか文春文庫あたりに収録されていたはずだ。 初老の男は糟糠の妻を亡くし、婚期を迎えたひとり娘と暮らしている。妻を亡くしてから外で食事をして帰るようになった。偶然立ち寄った駅前の居酒屋の女将に淡い恋情を抱き、以来仕事帰りに立ち寄って一杯飲むのが男の唯一の楽しみになっている。 ところが突然店が閉まった。男は動揺している自分を発見する。 一方ひとり娘は妻帯者と不倫関係を続けている。こんなとき妻がいたらアドバイスのひとつでもしてやれるのに、と男は歯がゆい思いでため息をつく日々。 そしてある日、男が留守の間に娘が荷物をまとめて家を飛び出した。計画的だったのだろう。主人がいなくなった娘のがらんとした部屋。男は、「ひとりになるということは、こういうことだったのか」 と悟る。 話は小説から現実に戻る。 そして昨日の朝、書類関係ができあがったことを報告しようと電話をかけたがずっと呼び出し音のまま。一瞬、不吉な予感がしたが、まさか、と打ち消し、通院日にちがいないと自分を納得させる。 夕刻、気になって電話をかけたが、またしても留守。どうやら予感が的中したらしい。入退院を繰り返しているという病院の電話番号をITで調べて電話をかけたら、やっぱりそうだった。 入院中ということで外出も制限されているはずだ。老人の顔にはどこか精気がないというか死相にも似た憂いを感じさせるものがあった。だからそう長いとはどうにも思えない。退院を待つどころか、一刻も早く公証人に病院まで出張をお願いするほうがいいだろうな、と現時点では思っている。とりあえずは午後から見舞いがてらそのあたりのことを伺いに出かけるつもりだ。
2004年05月29日
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交通事故に遭った。ついては会社を休んだからその分の休業補償を請求する!、とあたかも当然の権利かのように主張される方がおられる。 休業損害ではなく休業補償とはその原因のために仕事を休めば休業分としての補償として支払うというもの。ところが交通事故でいうところの休業損害は仕事を休むだけでは要件としては足りず、さらに治療をするために仕事を休んだ、という事実の立証が必要となるのです。 ですから交通事故に遭ったことを口実にして仕事を休み、さりとて病院にも行かないで家でゴロゴロしている場合、休業損害を要求するのはとても難しい。このあたり、よく勘違いされている方がおられますのでご留意ください。 あと休業損害で問題になるのは収入です。怪しげな仕事に携わる方や、税務申告をしていない部分の収入をどうするかなど、被害者を取り巻く人たちの無責任な発言や、被害者自身特有の強請やたかり真理なども相乗し、事実としてはとうてい信じがたい部分があったりします。「痛い目をしたんだから、それくらい大目に見てくれてもいいんじゃないのか! さもないと示談しないぞ!」 目の前には高額な補償金がぶら下がっている。すると人間は確実に変わるものだ。お金がすべてではないが、お金には人を狂わす魔性が潜んでいる。 主治医が症状固定(治癒含む)だと診断したが、なおも愁訴する人がいる。お金目当ての芝居か否か、われわれ交通事故業務に携わる仕事をしている人間にとって真贋を見る目を養うことは特に大切なことである。中でもやっかいなのは頸椎捻挫、つまりは「むちうち」だ。こればかりは本人しか判らない。他覚的に見分けがつかないものほどやっかいなものはない。交通事故を考えるに当たって一番の難題であり、永遠の課題である。 ところが最近のTVニュースで、むち打ち症状を診断できる画期的な検査方法が公開されて話題になっている。おいおい発表されるだろう。永遠の課題が解決する日もまもなくである。
2004年05月28日
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内容証明を出すついでに、窓口で軽自動車税を支払った。きびすを返して出口に向かいかけたとき、「記念切手 発売中!」の文字が目に飛び込んだことで魔がさした。 記念切手には様々な思い出がある。学校があるので母に頼んで買ってもらったことも何度もある。少ない小遣いを貯め、友だちと競って集めたものである。 ウン十年も前、切手の収集は古銭と共に大人気だった。「見返り美人」や「写楽」、ミスプリントで有名な「北陸トンネル」、図案がきれいな国定、国立公園シリーズなどなど。アルバムシートに収め、自慢をしあったものだ。当時は模型店と同様、古銭と切手の専門店がちょっとした町なら数件はあった。 それがいつごろからかさっぱり人気がなくなってしまった。おそらくはインベーダーをはじめとするテレビゲームの出現によって、子どもの興味の対象がすり替わってしまったのではないかとひとり思っている。「記念切手?」「はい、そう。いかがです」 買い置きの80円切手が少なくなっていたこともあって、「10枚?」「はい、10枚シートとなっております」「じゃあ、1シートください」「かしこまりました。愛知博でよろしかったでしょうか?」 緑を基調とした、ウーパーローパーの図案。いいよ、と頷いた。 1000円を渡す。「では、100円のおつりです。ありがとうございました」 100円? 200円と違うのか? 怪訝な表情を察したらしく、「寄付金付となっております」 寄付金付って、強制? レシートも切ってくれているので今さら断り切れない。たかが100円、(惜しいが)もしここで断れば沽券に関わるような気がした。 事務所の机に腰を掛け、まじまじと切手を見直した。100円損をした。本職は貧乏行政書士である。そもそも寄付をする立場の人間ではない。もしろ寄付を受ける側の人間だと思っている。 見ていて気がついた。「80+10」と書いてあるではないか。ということは、これはひょっとすると90円切手として通用するのではないかだろうか、さすれば損をしたことにはならない。書類を送付する場合、80円が微妙な重さが結構あったりする。窓口で計量してもらい、90円を支払うこともたびたびだ。 局に問い合わせたわけではない。しかし90円切手に間違いない、はずだ。だって「80+10」との文字が何よりも雄弁に物語っている。
2004年05月27日
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いつもはカミさんの仕事である犬の散歩、気が向いた時だけ私が行ったりする。きのうは気の向いた日だった(苦笑) カミさんは高層団地の周辺道路を大周りしてくるコースを好むが、私は用水路や平野川が縦貫する村はずれの道を好む。平野川から望む夕陽がきれいだったという幼少の頃の記憶がいまだ鮮明に残っているのと、ほかにも楽しみが増えたからである。 昔は湖沼があちこちにあって白鷺の姿がたくさんあった。野鴨までいた。それがいつしか油が浮く腐敗の湖沼になった。もう二度と見ることもあるまいと思っていたら、数年前の大がかりな河川改修、農薬の不使用、下水道工事などの相乗効果によって汚れが浄化しはじめた。 最初に白鷺が戻ってきた。そして野鴨が泳ぐようになった。今の時期はアメンボやメダカがスイスイ泳ぐ。澱みではときおりフナやコイがはねる。カエルが鳴く。ただし護岸のコンクリートがそうした風情をかなり殺ぐ。だが自然は確実にしっかりとした足取りで甦りつつあるのは疑いようもない。私の楽しみとはこうした変化を見ることなのだ。 犬というのはやたら草をはむ。草をはむのは整腸剤の代わりなのだと聞いたことがある。昨日もそうだった。いつもと違う散歩コースということでめずらしさも手伝うのか、新しい草木の群生に出くわすたびに一時中断と相成る。クンクン匂いを嗅いでは草をはむ。これだけ中断を繰り返すと私の運動にはならないがこれも致し方ないとあきらめる。だって散歩の主人公は犬のナルなのだから。 ナルが食用カエル(ヒキガエル)を見つけた。道の真ん中にデンと鎮座している。まるで通せんぼしているかのようである。もともとが小心で、恐がりの犬である。震えながらへっぴり腰ですくんでいる。人間にたとえれば、おそらくはビックリしてしまって腰が抜けたような状態なのだろう。 胴輪を引くが、ナルは動けない。加勢のつもりで私は足元の石ころを拾って目前の敵に向かって投げてやった。ゴロッと鈍いが大きな声で一声するとカエルは道端の水草へと跳んだ。 ナルが歩を前に進めた。このあたりの動きは実に現金なものである。「あしたも、ここへきたいか?」 私はナルに話しかけた。 犬なので、ウンとは言えず、ワンと鳴いた。元気良い声に私はニンマリした。
2004年05月26日
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事件が重なってくるとファイルの整理が大事になる。 事件ごとに引き出しを作ったがすぐに満杯。次は袖机にファイルごと収納するようにしたが、こちらも満杯、最後は「超整理法」で野口悠紀雄が書かれているように封筒に入れ、デスク前の本棚に立てるようにした。いまのところこれが一番、視界性があってまとまりもある。なにより出し入れが簡単なことがうれしい。 砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている 「サラダ記念日」 を読んだのは歌人の俵万智さんだが、文学系の行政書士さんは暗礁に乗り上げ、手つかずのまま放置されている事件類が気になっている。 そのほとんどはお互いの妥協や承諾や歩み寄りがあっての民事法務。たとえば相続や賃貸借契約の更新、さらには離婚協議書などだ。 一度こじれ合った関係を修復し、和解をしようとするのだから難しいのが当たり前だ。たいていはどちらかが不公平感を抱きながらの歩み寄りとなる。もし円満解決などに自分が参加できたら仕事冥利なんだけどな、といつも夢見ながら仕事をしている。 午後からは依頼者と面談。過失がなんと100%という交通事故案件、せめて自賠責での補償を受けることができないものか、というご相談。電話での話だけでは検討の余地は十分あるように思うが・・・・・。こればっかりはわからない。 事故後半年が経っている。相談者はいまだ通院中、事故による痛みが消えないという。 この方もさきほどの俵さん同様、手つかずの卵サンド(自賠責保険)が気になっておられるのだ。なんとかして手助けしてあげないといけない。
2004年05月25日
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日曜日、薄曇りの空を見あげながら、カミさんがTシャツを買うとか言ってわざわざバスと電車に乗り継いで上本町の近鉄百貨店へ行った。たかがTシャツぐらいで大げさな、と思うが本人はいたってマジである。その歳になったらおしゃれなどせず、虎一の作業Tシャツか、イズミヤもしくは Made inダイエーでも良かろうに。わたしのTシャツ(下着兼用)は3枚990円のU字ユニクロだ。まずはこの落差をなんとかせい! 早めの昼食を取ると、カミさんいそいそ出かけていった。デブ症(出不精)なのにどうしようもないくらい出たがりなのだ。 で、夕刻まで家には誰もいず、私は久しぶりにのびのびと留守番をする。四六時中カミさんをはじめ家族の拘束と呪縛に喘いでいる。つかの間の解放だが、これは解放は人を穏和にするという証明である。 途中、近くの図書館へ出かけ、ビデオ「交渉人」を借り、観ながら湯がいた枝豆を肴に缶ビールを飲んでいたら、いつの間にかグーグー寝入ってしまった。深い、安堵の眠りであった。 喧噪なメール音で目が覚めた。みるとカミさんから。「一等賞が当たった!」 一等賞? なんじゃそれ? 夕食のこともあるから電話をくれと付記してある。それで電話を入れる。 Tシャツを買ったらセール中だとかでスピードクジを一枚もらったそうだ。コインで擦ったら○○が三つ並んでいたとかで、カミさんわけわからずに店員にそれを見せると、「お客さん、おめでとうございます!一等賞です。一等賞が当たりました!」 とわいわい騒ぐから、「ペアでハワイでも行かせてくれるん?」 とド厚かましく尋ねたらしい。すると店員さんたちの笑みが一斉に消えたとか。「お客様、ごめんなさい。一等は商品券1万円分なんです。大騒ぎしてどうもすみませんでした」 実は私も一等賞はハワイ旅行かな、と思っていたから、聞いたとたん、なんだ、と思った。 一等賞といっても人によって感じ方がずいぶんと違うものだ。はずれより当たるほうが嬉しいに決まっているが、逆に気落ちするような一等賞もあることを知った。 夕食をカミさんと買い物に出かけた。スーパーの入り口でトマトを出荷箱で売っていた。20個ぐらい入っているのが780円(税込み)、硬球ほどの大きさが気に入って即、買った。 このトマトがうまいのである。昔の青臭い、ちょっと酸っぱいというのか苦みがあるというのか、昔の、あのトマトの味なのだ。昨今やたら出回っている桃太郎とかいう甘いだけの品種とは大違いだった。 で、一句浮かんだので詠むことにする。 遠き日の もぎるトマトの 青にがさ
2004年05月24日
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交通事故は過失割合が大事だ。「おたくが左右を確認してさえいれば、そもそも事故など起こらなかったんだだよなあ?」「何を言うか。そっちこそ前方不注意じゃないのか!」 物損事故のない軽い傷害事故なら自賠責範囲で賄えるので、過失割合もそう重要ではない。しかし入院加療が何ヶ月、その後もぐずぐず、医師の治癒判断がなかなかでない場合と、あと物損が絡む場合、過失割合は損害賠償に深く関わるきわめて重要な要素となってくるのだ。 現場を見ないで加害者の報告を聞いただけで過失割合を論じ出す保険会社の社員がいる。こういう人と話をすると糠に釘である。無駄な時間を費やすだけで徒労感が残るだけだ。「はい、もしもし、石井行政書士事務所ですが」「あっ、先生ですか。きのう現場を見てきました。きっちり写真も撮ってきました」 人に言われて慌てて現場を見てくるなんて、遅すぎるっちゅうの!「で、先生、過失割合ですが、先生は優先道路だとおっしゃってましたが(道路幅8メートルの片側一車線、道路中央に追い越し禁止の黄線が引かれている)、それだけでは優先道路とは限りません。判例にもちゃんと記載があります」「あん?」 加害者の車は通勤通学時間帯の朝7時から9時まで一方通行路に指定されているような、幅3.7メートルの狭道。その道路と「道路幅8メートル片側一車線、中央黄線の道路」とが対等だと言わんとしているのだ。 被害者のバイクは黄の点滅信号(押しボタン式信号。通常は黄の点滅信号)を注意しながら交差点を通過中、一旦停止の標識ある側道から飛び出してきた加害者の車と出会い頭の接触、事故に気づいて飛び出してきた近所のギャラリーの話をまとめると、被害者のバイクは前方バンパー下に潜り込み、挟まってしまった状態だったそうだ。つまりは交差点を通過中のバイクに車が突っ込んだというわけで、これではバイクも避けようがない。 さらに加害者側には一旦停止位置問い面の道路端に左右の車が確認できるミラー板が設けられている。ただ車は見分けやすいがバイクや歩行者は背後の風景に同化していて、見通しは悪いと言わざるを得ない上、人家が迫っていて見づらい感じだ。だからよけいに慎重になるべきで、勘や当てずっぽうでの発進は御法度だ。「黄の点滅信号は道路交通法○○条、および判例によれば一旦停止義務とみなすとなっております。つまり一旦停止義務を怠ったバイクの責任は重過失であり・・・」「ふーん、じゃあ聞くけど、かりに黄点滅が一旦停止なら、赤信号点滅はどう解釈するの? 双六みたいに「一回休み」とでも判例に書いてあるの?」「えっ、そんな冗談を言われても・・・・それはですね、つまりその・・・判例にですね・・・・」「判例判例って、金科玉条のように言われますが、参考にされているのは緑の本ですか? そうだったら何ページに掲載されてますか?」 緑のタヌキ(判例タイムズ)か、赤いキツネ(東京三弁護士会編集)か、はたまた青い輝彦(通称青い本ー日弁連発行)か、はっきりせえや!「それはその・・判例でして・・・つまりは・・・」「すみませんが、あなたの話はどうにもよくわからないので、ご面倒でしょうが、判例とやらを送っていただけませんかね? それに電話での応対はあとで決まって、言った言わないなどのトラブルの元にもなりますし、今後は書面で主張して頂けるとこちらも助かるのですが。それと実存的な物言いをされるのでこちらとしても解釈に戸惑ってしまいます。できれば弁証法的にお願いできませんかね?」「すみません、その弁証法って何ですか? それって新しい法律のことですか?」 昨今の大卒エリートサラリーマンは弁証法も知らないのか!「ヘーゲルが考え出した哲学です。要は物には表もあれば裏もある、片方だけばかりを見ていては見えるはずの真理も見えなくなってしまう。いろんな立場から物を見るようにしましょうねっということです」「ふーんそうなんですか・・・・・。は、はい、そうですよね。そうですそうです。わかりました、それでは送らせて頂きます」 わかりました、と答えてくれたが、どこまで判ってくれているのか、またトンチンカンな判例解釈を押しつけてくるはず。ほんと時間と切手代の無駄なんだけどな。
2004年05月23日
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雨が降りしきる5月の連休最中、事務所の電話が鳴った。そのとき私は休み明けに申請する予定の在留資格(国際業務)の書類に目を通していた。「先生、離婚協議書を書いてもらえますか?」 女性にしてはかなり低音だった。いくつくらいだろう? 落ち着いた口調だったので、とっさに35歳ぐらいだと思った。「もう決定的なんですか?」「はい、だいたい」 だいたい、というのはまだ本決まりではない。4:6ぐらいに割合で迷っている状態だ。「お子さんは?」「小学3年の男の子ひとり」 なら35歳前後、ほぼドンピシャだ。「するとお子さんはどちらが引き取られるのですか?」「私です」「なるほど。では養育費なども折り込まないといけませんね」 ご主人の職業などを伺いながら、持ち出し可能な養育費の額を試算する。別れた後の住まいのことや生計を立てていく手段などを聞くことは協議書を作成する上で大事なことである。愛情のあるなしは当方としても関知しないことではあるが、別れた後の生活の保証と維持ということになると無関心ではいられない。食っていけるのかどうか、これが一番大事なことだからである。 もし不可能なら安易に離婚をすべきでない旨をハッキリと忠告する。これが「身近な町の法律家」としての使命であると本職は心得る。単に金儲けだけの(報酬をいただくだけの)行政書士には絶対になりたくない。 電話で大まかな状況を把握すると、次は面談だ。ここでもっと突っ込んだ話をすることになる。別れたら夫婦は他人だが、子どもとの縁は一生切れない。そのあたりのことをどう思っているのか? 子どもは離婚をするということで、どう感じるているのか? これを聞かないうちは協議書を作成したりはできない。だって子どもにだって権利や言い分があるだろうし、これからの人生にも大いに関わってくることだからだ。 連休最後の日、公務員だという依頼者が来られた。落ち着いた、きわめて質素な様相ではあったが、離婚をするという暗さはない。 協議書に折り込む要望の数々を詳細に伺った。メモを取り、細かいところは再度チェックした。 それから三日後、離婚協議書はできあがった。それにしても離婚協議書はなんとも気分がブルーになる書面のひとつである。ましてや多感な時期を迎えた子どもさんがいるとなるとなおさらである。 ところであれから書き直しの依頼がないところをみると、離婚は不調に終わったような気がする。たいていは相手の意向もあるから書き直しを求められたりするのが普通だからだ。で、今後も書き直しがないことを祈っている。書き直したら報酬がいただけるのに? 商売が下手だねだって? この商売は銭金だけじゃない、ボロは着てても心は錦、がなにより大事なんです。
2004年05月22日
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梶芽依子という女優がいた。肩まである黒髪のロングへアーをセンターで分け、少し半身でにらみつけるような鋭い視線がなんとも色気があって、それが格好良かった。 人気絶頂期には「恨み節」という歌を歌っていた。たしか吉永小百合などと同年配の女優だったと記憶する。 夕方、電話が鳴った。「書いてくれますか?」 電話の主はいきなり本題から入られた。「何を書けばいいんでしょうかね」「うん、それやがな、最初から話せば長うなる、ややこしい話ですねんけどよろしでっか?」「は、はい。どうぞどうぞ」 いつものようにペンとルーズリーフを手元に引き寄せながら、そう答える。「今から30年ほど前の話ですねん。こいつのおかげでウチの家庭はメチャメチャにされてしまいましてな」 恨み?「和解金が300万円ということで決まったんですが、当日出かけたら神戸ナンバーの車が何台も駐まっている。8人ぐらいいましたかな」 だらだら話が続く。確かに長いが、特にややこしい話ではない。要は30年前に妻を寝取られ、怖い男たちの出現によって和解金が300万から50万に値下げされ、その後不貞をはたらいた妻とも別れ、寂しく生活保護を受けながら老後を暮らす男の恨み話である。「立ち入ったことをお聞きしますが、つまりは奥さんがその男と、今で言う不倫をしていた。ついてはその慰謝料云々の話ですよね」「それもおまっけど、それだけやおまへんのや。わしの家庭をメチャクチャにした男は今、大きな家に住み、たくさんの孫に囲まれ、ええお爺ちゃん役を演じとる。それが腹立たしいんですわ」 そういうことか。「この先、金も無し望みもないし、わしはもういつ死んでもええと思とります。せめて死ぬ前にあいつに仕返ししたいんですわ」 まさか。「あいつの昔の悪事を先生に書いてもろうて、それを近所にばらまいてやろうと・・・」 それはいくら何でも無茶な相談だ。「いくら何でもそれはないでしょう。私は荷担できないですよ」「お金ならいくらでも出しまっせ」「お金の問題と違います。道義的な問題です。それに30年前の話でしょ。すでに時効ですよ」「時効? あいつにとっては時効かもしれんが、わしにとってはまだ昨日のことのような話ですわ。最近では夜もおちおち眠れんのです。思い出したら腹が立って腹が立って」 病院へ行った方が良いのでは?「病院も行きました。薬ももらいました。けどあきまへん。どないかしてあいつに恥かかせてやらんことには」 結局一時間あまり話につきあわされた。 文芸春秋社の創設者でもある菊池寛の小説に「恩讐の彼方」という名作があります。親の仇を討つために大分の山中にまでやってきた息子、これまでの罪を償うためにトンネルを掘り続ける男、男は息子にせめてこのトンネルが完成するまで待ってくれと懇願する。息子としては一刻も早く仇討ちを果たしたいがためにトンネル掘りを手伝うようになる。そして完成。いつしか仇討ちを超えた友情というか、親近感が二人の間に育まれていた。もちろん仇討ちなど無し。 そういえば映画「戦場にかける橋」も似たような、こちらは人間のふれあいではないのですが、みんなで力を合わせて作りあげた造作物に対する愛着をうまく描いた映画でしたね。あの結末は何度見てもハラハラドキドキさせられますが、今回の相談者のようなハラハラドキドキは公序良俗違反でとても正常な精神ではつき合えません。ほとんど偏執狂者に近い気がしました。
2004年05月21日
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一ヶ月以上も前、アナログのS証券会社で長い間塩漬けになっていた株が突如長い眠りから覚め、一気に吹き上げたのを期に持ち株全部売った。 持ち株の多くはデジタル(ネット)証券に振り替えたが、この株だけはS証券に残しておいた。忘れてたわけではない。昔からの知り合いがいたからである。 売却金の投資信託への投資を薦められたがきっぱり断り、振り込みを希望した。ところが振込先に指定してあったH信用金庫K支店が統廃合で消滅していたことをS証券に届け出ていなかったばかりに、振り込みが成らず、すぐに届け直した。 それから一ヶ月が経った昨日、久しぶりに通帳記帳をしたら振り込まれていないではないか。「振り込まれてないけど、どないなってるん?」「えっ、ほんとですか?」「ほんともほんと、インディアン嘘言わない」 おもわず古いギャグを使ってしまった。 調べまして、わかり次第電話を差し上げますと言うので電話を切った。 で、一時間後。「うっかりしていました」「どういうこと?」「振り込んだとばかり思って処理しておりました」 つまりは処理済みのキーを叩いていたということか?「振り込んだと思いこんでいた、ということ?」「どうもすみません、早速振り込みますので」 過不足金ですぐに判るはずだろうが・・・・・。「もし、わたしが申し出なかったら、いまだ判らなかった?」「それはその・・・・・」 かくいう私も振り込まれているとばかり思っていたから「おあいこ」か? 結論としては、なんでもペーパーレスになってとても便利にはなったが、最後の詰めはやっぱりペーパーでの確認が大事だということですか。そうだとすると便利なようで実は不便ということになりますね。
2004年05月20日
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バイブル商法はキリスト死後の大昔からありますが、これをバージョンアップ・メンテナンス商法とでも言うのだろうか? ピクシスというパソコンソフト会社が会計ソフトを会計士、税理士、行政書士に無料提供キャンペーンをしていると同業者が教えてくれた。「実は私、早速応募しまして、製品が届いたのですが、よくありがちなお試し版といったものではなく、定価2万8千円の完全な製品でした。以下よりご覧くださいhttp://www.lan2.jp/campaign/cpa01.html」 ミルキーウェイという会社はパソコン創生期(インタプリタの時代)に会計ソフト「大番頭」「小番頭」を発売、会計ソフトの最大手として一世を風靡、特に名品「大番頭」はたいていの会計事務所で採用されていた優良ソフトです。20年ほど前に20万から25万したソフトです。 MSDOSの時代になって大阪の福島に本社があった日本マイコンという会社が「財務会計ソフト 弥生」を発売、簿記を知らなくても会計仕分けができるというふれこみで大人気、価格も当時としては破格の6万円台でした。 その後、ウインドウズの時代になって、ミルキーウェイが米国インテュイット社に吸収され、のちに弥生の本体もインテュイット社に吸収されるという経緯があって、しばらくは「大番頭」「小番頭」と「弥生」を併売していましたが、いつしか「弥生」一本になりました。 弥生は初期設定の簡便さから、どちらかと言えば素人受けするソフトです。大番頭の流れをくむソフトなら玄人からの信頼が厚く、しかも最新版だということで、さぞかし良いソフトだと思いますね。 私も早速申し込みました。ただし今回は無料配布とのことですが、おそらく敵?は保守契約と来年以降のバージョンアップで儲けを見込んでいるのでしょう。へたに全国ショップでキャンペーンを打ったり、バカ高のテレビCMを打って○○億円をドブに棄てるより、無料配布で話題性と口コミを誘い、後は餌をばらまきながら?じっくりゆっくり売上代金を回収するほうが得策だと考えているのでしょう。ユーザーとしては先にソフトを試用できる分、購入リスクがゼロなので有り難いですね。 昨今のプリンターが安いのも上記と同じ発想ですよね。安く売って、インク代(これが高い)で回収、というわけです。インクリボンが主だった昔、ドットプリンターなどは本体が最低機種でも10万前後はしましたから。
2004年05月19日
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自動車リサイクル法の受付がまもなくはじまろうとしている。 自動車業界に携わるところは大小零細に関わらず、多くがこの法の対象となる。業者の中には廃棄物処理法やフロン回収破壊法に基づく許可を受けている業者がいる。こうした業者は比較的新法に対応しやすいようだが、それ以外の零細業者などは大変だ。 まずこれまでの設備を再点検、許可や登録要件に合致するよう整備する必要が出てくるものと思われる。この不況下、新法の精神はすこぶる前向きな姿勢だが、当の現場業者にとっては後ろ向きの投資でしかないようだ。 もし許可や登録をしないまま放っておくと来年からは業務ができなくなる。続けるなら設備投資をしないといけない。まさに決断の時期なのである。 こうした事情もあって、この時期、廃業を考えている零細業者が多いと聞くが、廃業したら後どうやって生計を立てていく気なのだろうか。たやすく転廃業できるくらいならとっくのうちに足を洗っているはず。おろらく最後の最後まで迷われるのではないだろうか。 われわれの役目はただ単に許可や登録を受任代理するだけにとどまることなく、そうした業者さんたちのうめき声やあえぎ声をことあるごとに行政側に伝えいくことも「身近な町の法律家」としての大事な役目ではないかと考えている。 現場を知らず、ただ物の流れという側面だけで捉え、そうした視線で集めた資料を机上でさんざん練り込んだシステムというのは、ときおり現場では陳腐で、きわめて不自然なことも結構あったりするからだ。 がんばれ! 町の解体業者さんをサポートする石井行政書士事務所(最後はCMになってしまいました(笑))
2004年05月18日
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昨日は朝から土砂降りの雨。花園ラグビー場の芝グラウンドは水がくっり浮きあがっていました。 ○○高ラグ部の試合ですが、前半0:0、後半終了間際にハンドリングミスから右中間にトライを許し、結果は5:0、準優勝ということになりました。 雨の中、たくさんのOBや父兄が応援に駆けつけられ、熱気ムンムンでした。 あくまでもランニングラグビーを継続しようとした○○高に対し、○○高のディフェンスが固く、突破できないことを悟った相手高は後半、○○高の背後を狙ってのキック戦法に切り替えた。これが功を奏し、バックスのボール処理ミスを誘ったというもの。 好天での試合なら走力、展開力に勝る○○高が勝っていただろうと思われる試合でしたね。 ラグビーでもサッカーでもそうですが、攻めるより守りは辛い。特に背走しながらの守りはなおさら辛いものだ。 人生も同様、背走しながらの守りほど辛くて苦しいものはない。下手でも苦手でも弱くても相対しながらの(前を向きながらの)闘いを挑むべきだと、試合後、わが娘の姿を視線で追いかけながら、つくづく思った。
2004年05月17日
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今日は花園ラグビー場で大阪府10人制高校ラグビーの決勝が行われる。娘がマネージャ-をする○○高が出場するので、私としても万難を排して応援に駆けつけるつもりでいる。 業務の合間に、たまにだが練習風景をのぞいたりする。印象としてはオフェンスの力強さとは対照的にタックルが気になって仕方がない。タックルの位置が高いように思うのだ。ボールを殺すことを意図してのタックルだとは思うが、もっと低いタックルでラックにし、得意の運動量を生かした集散の早さで勝負する方が良いのではないかと思う。 口で言うのは簡単だが、低いタックルは勇気がいる。それにタックル練習は痛いし、地味で、実にイヤな練習だ。しかしこれをしっかりしておかないと強くはなれない。今回は部員の多くが試験が重なったために15人制には出場できなかったらしいが、大阪の15人制には全国的にもレベルの高い名実共に強豪校がひしめいている。こうしたところと拮抗するためには必殺のタックルは欠かせない武器なのだ。部員も辛いだろうがなんとか頑張ってもらいたい。 娘の通う○○高は近年私学の進学校として躍進注目されている。中でもラグビー部員は平均偏差値70以上ある優秀生の集まりでほとんどの生徒が国公立大学を目指しているらしい。彼らたちにとって、文武両道という言葉は死語ではなく、まだまだ健在であり、たくましく生きているのだろう。 全体練習は週3日、毎日9時間授業を終えての個人練習が主だ。それでも足らないと早朝練習をしている部員もいるとか。娘の時々だが、朝5時に起き、早朝練習に付き合っている。 いずれにしても若者が頑張っている姿ほど美しいものはない。真に美しいものには敵も味方も、勝ち負けももはや何の意味をなさない。精一杯頑張った。心底そう言えたらそれでいいのだと思う。完全燃焼、頑張れ○○高ラグ部!
2004年05月16日
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専門家への相談は早いほうがいい。へたに自分勝手に動き回った結果、自らが墓穴を掘るようなことにもなる。 先日、建設業許可新規申請を依頼された。自分で申請しようとしたがどうも書けないという。 途中で投げたした書類を見せてもらった。貸借対照表が貸借対照表になっていない。肝心要の数字的なバランスがとれていないのだ。これではダメだ。「なんべん本読んでも、ここの書き方が皆目わかりまへんねん」 依頼者は日照りでしおれた野菜のようなうめき声を出した。 風俗営業許認可にはじまりNPO法人や公的融資申請など、多くの申請には貸借対照表とともに事業計画書の提出を要求される。しっかり書けるということは事業をしっかり把握しているとみなされる。だからここの数字がいい加減だったりすると、申請者の適格性が疑われたり、申請そのものが「?」となったりする。 個人事業者なので特別青色を選択していない限り貸借対照表を作成する必要がない。だから書けないのはある意味仕方のないことではある。決算資料を預かり、その日のうちに作成、翌日府庁に申請した。 日頃事業に忙しくされているとついつい他人任せというか、専門家に依頼したりして、会計業務がおろそかになってくる。まっ、判らぬでもないのだが・・・。「経理? 税理士さんに任せてます。私はちっとも判りませんので、税理士さんに聞いてください」「うちは○商さんに頼んでます、いくら儲かってるか? くわしいわかりまへん」 経理を税金の申告という側面だけで捉えるのは間違いである。もっと大事な役目があるのだ。経理が判ることで会社の健康管理ができるようになる。どこが無駄で、どこに利益を損なう病巣が潜んでいるか、一目瞭然に判ったりする。取り返しのつかなくなる前に治療することが可能となる。営利を目的とする企業にとって財務管理、財務分析は一番大事だ。なぜならそのために営業しているのだから。 経理は侮るべからず。ましてや他人に任せるべからず、である。
2004年05月15日
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またまた肩凝り。 相手をしてくれる人間がいないのでキャッチボールはあきらめ、バットでの素振りを始めた。肩凝りの原因はそもそも運動不足からくる血の循環が悪くなるからだとか。他にも病気に起因する場合も多々あろうと思われるが・・・、まっ、ということで筋肉の強ばりをほぐしてやればどうにか楽になるだろうとはじめてみた。 これが結構いけるのだ。本気で振ると動きも激しいし、カミさんの顔を思い浮かべながら、「この野郎!」とか「てめえ!」とあれこれ言いながら振っていると、かなりのストレスの発散になる。「何ぶつぶつ言うてんのん?」「えっ?」 素振りを止めて振り返ると、カミさんが腕組みして立っている。「何も?」「言うてたやんか」「そうかな・・・」「・・が持つと、ルイビィトンがルイブトンや」 今年の連休に、娘とふたり、それぞれお気に入りの手提げカバンを買ってきたのだ。しかも長堀橋の正規店で。何の断りもなく買ってきたら頭にきていたのだった。あんたには迷惑かけてないやん。へそくりで買うたんやから。「おまえなあ、山内一豊の妻の爪の垢でも煎じて飲めや!」と言いたい。亭主は業務パソコンの買い換えもままならないほどの金欠病で病んでいるというのに。「そんなこと言うてたかな?」「無意識で言うてんのん? 判って言うてんのん?」 とほほほh。 このあと散々、稼ぎが悪いだの、内助の功だのの、侮辞冷句(美辞麗句ではない)を浴びせられました。 教訓、素振りは誰もいない公園でやりましょう!
2004年05月14日
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日本最大の宗教教団が「カルトについて」という冊子を発行し、話題を呼んでいる。勧誘手口や被害例などを紹介、つまりは予防薬ともいうべき内容で、そもそも宗教との接点が少ない青少年が対象だとか。 江戸時代、キリシタン禁教があって民衆は幕府が指定する宗教に皆入信を義務づけられた。今日のように死者が出てはじめて入信というか信者となって仏壇を設置するのが一般的であるが、当時は分家をすると同時に信仰によって身を明かすために仏壇をそろえることが当然とされた。 本来、釈迦が説いた教えは死者を弔うためのものではなかった。(この手の話はついつい長くなるので乱暴だが突き詰めて言わせていただくが)いかに人は生きるか、ということであった。 そう、生きている人を救うのが目的だったわけで、それがいつしか死者を弔うためのものになってしまった。仏教界の不幸は実にここにあるわけで、後ろ向きの教えと言われる所以である。 冊子の発刊に続いて、今後は教えの現代語訳がなんとも待たれる。梵語や漢字の羅列を棒読みされて有り難いと感じる人は少ないはず。 それにしても全国統一を目指すあの信長がカルト集団だと決めつけ、目の敵とした大教団が今度は「カルトにご注意!」と呼びかける。もしあの世で信長がこのことを聞いたら、さぞかし怒り心頭だろう。
2004年05月13日
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この仕事をするまで肩が凝ったという自覚症状はなかった。たしかに首筋あたりに張りがあるなという、違和感はよくあったが、本当の意味での肩凝りというのを経験したことがなかった。適度に運動をしていたということもあろうが、こうまで肩が凝っているな、と感じたことはなかった。 で、昨夜からとうとう我慢できないぐらいになってきた。 少し本を読んでも疲れるし、同じ姿勢を続けるだけで我慢ができなくなってくる。肩から首筋にかけて重い塊を感じて不快感が思考に先行する。首をぐるぐる回す、幾分気分が良くなったような気がするが、それも一瞬だ。聞けば飲み薬があるらしいがさてどうなんだろう。また特効薬は自然に肩の筋肉をほぐす運動、たとえばキャッチボールあたりが最良らしい。 マッサージも一時的だと言うし、肩凝りは生活習慣病ということから根本的に生活そのものを改善しないといけないようだ。いつまでも気だけは若いつもりでいるが、体の方は確実に老化してきている。無茶な運動は寿命を縮める元になる。 とりあえずはあすからキャッチボールでも始めよう、と思ってボールとグローブを倉庫から取り出した。社会人になってしばらく誘われて軟式草野球をしていた時期がある。20代の頃の話だから相当古いの話。強肩の中堅手、チーム一の快速選手で、困ったときのリリーフエース。当時のマックスは120キロだった。 キャッチボールをする、ここまでは実に良い発想でよかったのだが、問題はその後。誰とするかである。周りにはごろごろ暇な連中はいるにはいる。しかしガキの真似を頼めるような柔な相手はいない。 コンクリ-ト塀を相手にすると、投げてはノックを受けるということで、いろんな動きが混じって良いように思う。しかし肝心のコンクリート塀がなかなか思い出せない。「あーああぁあ。どっかに塀はなかったかなあ?」 と机の上で片肘を突く。どうにも思いつかないので地図を引っ張り出して調べてみた。うーん、ない! 公園そのものが野球を禁止しているのでそもそもバックネット代わりとなるようなものを設備する必要がなく、むしろくつろぎを強調したいのか、ベンチや緑の植え込みでもって領域内を囲んでいる。 いろいろ調べたが結局、候補地はなかった。まさか住居の塀にボールを投げつけるわけにもいくまい。 何をするにも思いつきだけではできない歳になったんだな、と思うと以前に増して肩が凝ってきた。
2004年05月12日
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一法人の内部移動案件で複数の契約書作成を依頼された。順を追って推し進めていけばそれぞれが必要不可欠な契約書である。 一口に契約書と言ってもいろいろある。借家の賃貸借契約書にはじまって知的財産権譲渡契約書に至るまで実に様々だ。 契約書などは大きな文房具店や書店へ行けば販売している。もしそうした(N法令などの)市販契約書で何のトラブルもなく、十分間に合うならわれわれの仕事もあがったりとなる。しかし神は実にわれわれの糊口にも配慮してくれているらしく、汎用は所詮、汎用でしかなく、別注契約書の威力をまざまざと見せつけてくれる事件が結構あったりする。予防法学の専門家行政書士が書く契約書はまさに備えあれば憂いなしといったところである。 ところで、民法には私的自治の原則というのがあって別名契約自由の原則というのだが、法律で定められている強行規定以外は私人同士が納得さえすれば自由に決めてもよいことになっている。悪徳や悪質と呼ばれる業者などがこの原則を巧妙に使い、自己のみに有利な契約を作っては暗躍、跋扈している。たとえばコンビニエンスストア(の契約書)などはその最たるものだ、と私は思っている。 欧米などでは大きな契約を交わすときは必ず専門家が中に介在するのが常識になっている。そうしないと安心できないという考えが社会に深く根付いているからだ。日本のように義理や人情でめくら判を押すような警戒心のない人は皆無だ。衣食住など生活様式こそかなり欧米に近づいてきているが、中身はまだまだ純日本的というか、人を疑うことができない人が多いようである。 私は常々、連帯保証人を頼まれたら、カミさんを無償で貸してくれと言われているのと同じ意味だと思いなさい、とお客さんに申しあげている。「ここにサインをして頂ければそれで結構です。あとは私どもがすべて代行いたしますので」 もしもみ手で顔面一杯に笑みを浮かべ、こんなことを言う業者がいたら、まずは半歩退き、かなりどころか相当用心した方がいい業者だと判断して間違いない。
2004年05月11日
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また今日から一週間、ですね。光陰矢の如し、と言いますが、ほんとうに早いですね。世の中の出来事や私的な拘りなど、この時間の流れの中では微塵埃程度のものなのかもしれません。 われわれは流木にすがるような思いで、出来事や拘りと関わって生きている。情報というとてつもない塊が大きな大きなうねりでもってわれわれを覆い込んでくる。われわれが手にするのはそのわずかしかない。他の情報はあとがつかえているので、まどろむことなく下流へと押し出されていく。 居場所や立場がわずかに変わるだけでもかなり人生が変わってしまうような気がする。昔のように学校を出て会社に就職して、○○歳になったら、どうにかなるという定型化された道というのがなくなった今、自分で自分をいくらでも作り出せる、能力のある人にとってはとても良い時代なのかもしれない。 有益な情報と有能な能力とがしっかり結びあったとき、あのアメリカンドリームが待っているような気がする。
2004年05月10日
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仕事が立て込んでいる。ラグビーにたとえればボールを持ったプレーヤー以外に、何人ものプレーヤーがかたまって倒れているラック状態といっいところだ。 行政書士の仕事というのはじっと事務所の机に張り付いているようなことは少ない。あるとすれば調べものをしたり書類を作成するときだけで、受任した後は能動的行動的であることが多い。 なかでも平日はお役所などが開いているので出かける機会が多く、ゆっくり机の前に座ることができるのは夜ぐらいだ。逆に言えば土曜日曜祭日などは出かけることが少ないので朝からじっくり書きものや調べものなどの作業ができたりする。同業者の中には安息日だと言う人もいる。 今受任しているのはけっこう読み込みを必要とする公的融資申し込み案件。数年分の決算書を元に事業計画書や返済計画書などの資料作りをするのだが、年度によって数字的に浮き沈みがあり、そこらあたりの原因を推測、分析しながらの「説得力ある資料」を作るとなると予定以上に時間がかかったりする。 ほかに交通事故が5件と相続案件。いずれも急を要する案件ではないが、だからといってゆっくりやっているとあとの仕事が来た場合、あわてることになる。こうした定型化された仕事は、できるときにできるだけ貪欲にこなしておくこと、が肝要である。 幸いながら、外は雨だ。気温も低い。昨日みたいなバカ陽気ならば戸外に出て行きたいという誘惑に駆られようが、雨ならあきらめもつくというもの。 そういえばサリンジャーの小説に「バナナフィッシュには最良の日」というのがあったが、今日などはさしずめ「おとなしく黙々と仕事をするには最良に日」といったところであろう。さあ、仕事、仕事。
2004年05月09日
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年休が明けたら、急に暑くなりました。夜になるとどこから飛んでくるのか、羽虫が事務所内を飛び交っています。羽虫の中にも勇敢なのがいるらしく、無謀にもスタンドの明かりめがけて突っ込んできては紙面の上に落ちる、ほとんどバカみたいなのがいる。叩けば白紙が汚れるし、実に困ったもので、あわててアースノーマットを引っ張り出しました。 ところで朝から依頼者から預かった資料の点検と書類の作成、昼前から交通事故災害に関する書類を被害者の勤め先に持って行くため外出、片道1時間をかけてたどり着いたら、NK保険会社の怠慢からせっかくの書類が受理されず。結論から言えば宙に浮いた状態になってしまった。とにかく担当者の預かりますという一言を聞いて退散する。子どもの使いだった。 生きるか死ぬかの大事故にも関わらず、加害者側のNK保険会社は病院へ一度来て名刺を渡しただけ。勤め先の会社には事情説明も何もなしでずっと音沙汰なし。一体どうなっているのか、という被害者家族の声が人伝に聞こえたのか、NK保険会社から依頼を受けたという調査会社社員と名乗る男性があらわれ、被害者の勤め先に「労災を申請しますので」と電話をいれただけでこれも音沙汰なし。「どうして下請けなの?」 と被害者の家族が戸惑っている。「事実関係がいまだ不透明なので、私どもで調査ということに・・」 それならもっと迅速に調査しろ、いつまで調査すれば気が済むのだ、と言いたい。 交差点での事故。青信号を横断中に右折してきたライトバンにはねとばされた。被害者に非はない。 ところで交通事故の場合、自動車損害賠償保険法の他に、加害者には民法709条(不法行為責任)、加害者のつとめる会社にも同法715条の使用者責任などが適用されることになる。 加害者側にすれば、まさかのために保険料を支払っている加入保険会社に任せておけば良いと思っているだろう。おそらくは被害者の立場になって、誠心誠意、きっちり対応してくれているはずだと思いこんでいるはず。ところがこのいい加減さ。もうここまでくれば背信行為そのものではないだろうか。いい加減さもここまでくるとなにやらきわめて独善的で恣意的な、悪意にも似たものを感じてしまう。 迅速な対応をされると人は心地よさを感じるものだ。保険加入時には迅速すぎるぐらい迅速な対応をみせるくせに、いざ支払いになるとこの有様、あまりのギャップに、こちらのほうがずっこけてしまう。 NK保険会社には強く反省を促したい。
2004年05月08日
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行政書士ほどいろんな業務をこなす士業も他にはいない、と日ごろ自負しているが、中には理解に苦しむご相談もあったりするので、途中で頭の切り替えというか観点の修正がかなり必要となる場合もある。「うちはどうしてお金が貯まらないのですかね?」「さて、どうしてですかね?」「毎年海外旅行をする友人家族がいる。普段の生活も質素じゃない。むしろ結構派手、どうしてでしょうか?」「もしかして泥棒? あるいは偽造印刷でもされているのでは?」「あんな高級車を乗りまわしているのに生活保護受けてるなんて信じられないんです」「ほんとなら、私も信じられない、です」 一読されて、かなり不親切な返答をするなあ、と感じられるだろうが、そうではありません。これはこれでけっこうまじめで正直な感想なのです。なぜなら、世の中、理路整然としたものより、不可解なものの方が遙かに多いからです。摩訶不思議なことが多いのです。 ところで、昔「となりの車が小さく見えます!」というCMが流行ったことがある。サニーとカローラ、大衆車に贅沢さを意識させるという戦略だったかと思う。 ひとことで贅沢といっても、「目立つ贅沢」と「目立たない贅沢」というのがあると思うのです。ほんとうのお金持ちはかまぼこ(板に付いている)で、賢いお金持ちは後例、バカな、見栄はりは前例だと思うのです。 人の目や評価を気にしている間はダメ、真の自分を前面に押し出せば、つまり「ボロは着てても心は錦」であれば、人の目や評価などクソ食らえのはず。 今日の日本がここまで低迷しているのは何事にも自信を喪失したためではないでしょうか? みんな頑張っているんだ。 もっと自信持とうじゃないの。 だって悔しいじゃない、このままじゃあ!
2004年05月07日
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友遠方より来たり。しばし酒を酌み交わし、隔たった期間を埋める。笑いあり、驚きあり、中には苦笑もある。話をしながら、ついこの間のことだと思っていたら、もうそんな遠い昔の話になってしまったんだなと思うことがよくある。 先輩たちからはそろそろ第二の人生の話が出てくる。海の近くに住みたいという人や山小屋の親父になるのが夢だと語る人もいる。不思議と働く話が出てこないのはご時世かもしれない。「石井、おまえはいいよな、死ぬまで働けるんだもの」 そう言って羨ましがる友が多数いる。 しかしわれわれ士業はいずれも国民年金、死ぬまで働かないと年金だけではとてもじゃないが食っていけない。先輩たちのように釣り三昧の生活などは天地がひっくり返らない限りできっこないのだ。 働くことは少しも苦にはならないが、他の事業のように士業で大きな金塊でも掘り当てることは難しいように思う。 山師には到底なりえず、こつこつ砂金を集めては貯め込む以外に術がないというのもなんだか辛い気もするが、自分の性には合っているような気がしないでもない。
2004年05月06日
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雨はあがったものの、厚い白雲が上空を覆っている。寒くはない分、メリハリのない何ともぼやけた日になりそうだ。 連休中、わが家のナルが小学生を咬んだ。もう8歳になるというのにいまだ気が荒い。何かされると思ったのだろうか。雌のナルは雄犬が大嫌い。つまり、その気が全くないのだ。柴犬にしては珍しい黒色の体毛、しっぽも巻き毛で、小さな耳がツンと立っている。目鼻立ちもしっかり、細目が精悍さを増す役目を果たしている。誰(雄犬)が見たらさぞかし美人にみえるはずなのに。 なんどか見合い話があった。同じ檻に入れたこともあったが、雄犬がナルにちょっかいを出すと、牙を剥きだし、鬼のような顔をして威嚇するからついには雄犬もあきらめてしまうだった。「ああ怖い! 咬みつかれでもしたらたいへんや。まっ他にもたくさんいるし、この犬とは止めとこ」 おそらくはこんな感じなのに違いない。 昔と違ってペット時代ですから、犬もずいぶん甘やかされて咬むこと自体忘れてしまっているような気がするんですが・・・。皆さんの家のペットはいかがですかね?
2004年05月05日
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上新電機長吉店が5月5日で閉店するというので、昨夜突然ダメになったキッチンの蛍光灯を買うために車を転がせたが、お目当ての品がなく、結局は近所のDIYで同等品を買った。 閉店といえば、近くの整骨院がとうとう店を閉めた。開業5年目だった。近隣の老人たちの噂だがほかにも閉めそうな整骨院がニ、三あるそうだ。 どうしてこんなことになったのか? わけは簡単だ。既成の整骨院が仲良く顧客を分け合っていた、いわば無風致区だったところに強烈な整骨院ができたため。 何が強烈かというとまずは規模、そして客の立場に立ったサービスの数々、懇切丁寧な問診を交えながらの治療が実にうまいのだ。媚びへつらうわけではない。治すということに徹底的にこだわる。こだわりが過ぎると無駄を省くようになる。結果として効率的な治療が可能となるようだ。 うちのカミさんは肩こりの持病を持っていて、週に二日はこの整骨院へ通うっている。具合が良いらしく、ほとんど不平不満を言わない。 閉業候補のある店など、客にお歳暮や中元を送っているというからビックリ仰天。「整骨院ってどこも同じだと思ってたけど、ちがうんや?」「うん、全然違う」 じゃあ、俺も「全然違う行政書士」を目指すとするか。
2004年05月04日
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「私が棄てた女」を書いたのは遠藤周作。コリアンと名乗り、おもしろずっこけ話も数多く書かれた作家だが、自らもキリスト教の信者であり、そうした見地で書かれたキリシタン弾圧時代の長崎を舞台にした「沈黙」はなんといっても彼の代表作であろう。 晩年彼は私が棄てた男版としての「深い河」を発表、その健筆ぶりをファンにアピールしたのでご記憶の方も多いはずだ。 さて今回の案件は、ある大手家電メーカーを定年され、年金をいただきながらすでに第二の人生を歩まれている方からの依頼で、なんと「私が棄てた女を捜してくれませんか?」というもの。 離婚の理由は「私が多忙すぎたためだ」などと格好良いことを言っているが、真相かどうかはもちろん推測する術もない。 二人の間にできた子もすでに成人、所帯を持ってるという。探すのは簡単だが、問題はそのあと。元奥さんが再婚を拒否する可能性があることだ。もしそうなれば居場所を探し出した私にも道義的な責任が生じてくる。もっと懸念されるのは執拗に再婚を迫るような行動を取らないとも限らないことだ。「とにかく着手金をいただきたいのです。運良く見つかったらさらに報酬分をいただきたいのですが、それでよろしいでしょうか?」 見つける自信は100%近くある。しかし元奥さんのプライバシーも守らなければならない。これも仕事と割り切り、報酬ほしさだけではやってはいけないことも、たまにはある。うまくいけば愛のキューピッドなのだが・・・、さて、どうなりますやら。
2004年05月03日
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人の記憶というのは時間と共に移ろいやすいというか、確信を問いつめ、追い詰めるほど引いていくというか、ぼやけてくるような気がする。 とある交通事故目撃者。 当初は、「私はこの目ではっきり見た!」 と言い切っていたのに、「そう見えた」 に変わり、「わたしはそう思った」 に変化していく。さらには、「思った、ということはあなたの主観ですよね?」 という問いに、「主観だなんて。でもわたしにはそう見えただけなんです」「見えただけ、なんですね」「はあい」 自信なげな返事。「では今のことを証言してもらえますか?」 ここからががらりと変わってしまう。「えっ、私がですか?」「でも見たんでしょ、あなたは」「見たといっても、はっきり見たわけじゃないし」「はっきり見たわけじゃないって、一体どういうことですか?」 問答の善し悪しで証言の多くはこうして闇に葬られていく。なんとも怖い話ではある。
2004年05月02日
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独居老人が交通事故にあった。しかも当て逃げ。 事故は薄明の朝に起きた。老人はいつものように自転車で2キロばかり離れたところにある貸し農園に向かう途中だった。片側一車線の車道を南下していたら、いきなり脇道から爆音と共に黒っぽい車が飛び出してきて、老人の自転車に接触、老人は道路に投げ飛ばされた。いったん車は止まった。助手席のドアが開き、一瞬だが茶髪の若者と目があった。「あほんだら! 気いつけて走らんかい!」 運転席から出てきた男がそう怒鳴った。眉を剃った若者だったという。 車はそのまま老人をその場に残して立ち去ったとのこと。 請われて入院先の病院へ出向いた。 依頼人はこの老人の農園仲間。車のナンバーも車種もわからないらしいが、警察には届けたとのこと。救急車を呼んでくれたのは通勤途中のサラリーマン。レントゲン等を取ったが痛いという肘の骨には異常なく、打撲だけですんだようだ。ただし路面に打ちつけた顔左半分はみごとなまでに腫れあがっている。当て逃げでも自動車による事故であれば保険請求ができることを伝え、病室を出て階下に降りると、おそらく老人の友人たちなのだろう、数人がかたまりになって受付で部屋番号を尋ねている。誰かが代表して言えばいいものを、それぞれ口々に尋ねるものだから、受付の女の子がその応対にあたふたしている。 その騒然とした様を傍観しながら、私は重松清の小説「定年ゴジラ」を連想した。2年ほど前だったか、NHKでドラマ化されたのでご記憶の方もあろうかと思うが、かつての企業戦士がふたたび生き甲斐をみつけるためにお互いを励ましながら少しでも社会に参加をし、自らの存在感を鼓舞しあい、励まし合いながら余生を悔いなく過ごそうと頑張っている老人たちを日常を描いた小説で、私にとっても人ごととは思えない近未来小説である。長い連休休み、皆さんも一読されてはいかがですか? たいていの図書館にありますし、文庫版も出てますよ。
2004年05月01日
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