炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2006.02.25
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 ぐらり、と私は一瞬、目の前が薄暗くなるような気がした。息が、詰まる。
 ―――市は、東京からそう遠くはないが、まだ一応山梨の部類だ。何で、そんなところに。
『加納さん?』
「な…にが、あったんですか? サラダ、けがでもしたんですか? 事故? それとも病気?」
 立て続けに私は彼女に問いかけていた。
『加納さん、ニュースまだ見てない?』
 ニュース?
「まさか」
 少しの間が、空く。その時私は、彼女の受話器の向こう側では、騒がしい病院の廊下の様子に気づいた。確か、死亡したひとも出た、と後輩OLちゃんが言ってた…

「足を」
 ばん、と思わずタイルの壁に背中をもたれさせる。
『しばらく動かせそうにないのよ。だからこっちでしばらく入院するってことで』
 私はすぐにはまりえさんのその言葉に答えられなかった。ひどい傷を負ったのか、それとも折れたのか、ひびくらいだったら、そんな、しばらく入院ということもあるまい。いや、折ったとしても、東京の、こっちにすぐに移ってくることもできるはず…だけど…
 頭の中で、悪い想像ばかりがぐるぐるぐるぐる周り出す。くらくらくらくら。頭の芯が、揺らぎ出す。
『加納さん? ミサキさん!?』
 名前を呼ばれて、私ははっとする。声の感じは違うけれど、発音が、サラダと彼女は良く似ていた。
「…だ、大丈夫です。…しばらく、動かせないほどの、ケガなんですか?」
『まだよく判らないのよ』
「判らないって」
『もしかしたら、脊髄のほうにも』

「…わ、…かりました。できるだけ、早く、そちらに向かいます。あの、住所を教えてください。…それと、今中央本線のダイヤが乱れてるってことですけど…」
 そうなのよ、と彼女は言った。
『だからそのあたりも見計らって来てほしいの。…でも無理はしないでね。あなたに無理をさせたことを知ったら、わたしが菜野にしかられてしまうから』
 シンク横に置いてある、来客接待用の依頼書を一枚破くと、私は胸ポケットに入れておいたボールペンで、彼女の言う場所を書き取る。全然知らない住所だ。全然知らない地名だ。サラダにまるで似合わないじゃない。
 ありがとうございました、と言って私は電話を切った。時計を見る。まだ二時半だ。何でまだ二時半なんだろう。定時は一応五時だ。忙しい用事は無い。無いはずだ。正直、あったとしても、すべて放り投げて行きたいぐらいだ。

 ボスOLさんのところに行き、急だけど明日休む、という意味のことを言った。彼女はさりげなく理由を私に聞いてきたので、私は正直に言った。
「同居している友達が事故に遭って…入院したんです。少し遠いので、仕事終わってから、そっちに荷物とか持っていかなくてはならないので…」
 すると彼女は目を大きく見開いた。
「…それだったら、今からでも行ってらっしゃいよ!」
「いいんですか?」
「いいも悪いも」
 だとしたら。時計を見る。三時ぐらいだ。上司は席に居ない。
「仕事、急ぎのものは無いでしょう?」
「ええ、まあ今のところは」
 じゃあ大丈夫よ、とボスOLさんは言った。それではすみませんお願いします、と私は頭を下げた。おそらくは「お三時」で何処かでコーヒーでも呑んでいるのではないかと思われる。頭を下げたのは、その上司に伝えておいてくれ、という意味もあった。
 慌ててロッカー室に飛び込み、すぐさま着替え、会社を飛び出したのは、その会話から五分足らずだった。
 そのまま部屋に戻り、荷物をまとめ、まりえさんの言った病院へ向かうべく、駅へと向かった。

 その病院に着いた時には、既にとっぶりと周囲は暗くなっていた。いやそれだけでない。その地自体が暗かった。住宅地から少し離れた場所にあるせいか、県境を越えているからか、それは判らなかったが、とにかく外は暗かった。星がぴかぴかと瞬いていた。実家のあるところでも、こんな風に星は見えなかった。
 受付でサラダが入れられている部屋の番号を聞き、私は鈍い光の廊下を荷物を抱えて歩き出した。
 病院の持つこの雰囲気は嫌いだ。エレベーターの文字盤が、ひどく古いもののようで、灰色の上に点滅するオレンジ色が、背中をぞくぞくとさせる。何が怖い、というのではない。ただ怖いのだ。何がこの先に待ち受けているか判らないせいかもしれない。
 病室棟は何やらまだざわついていた。どうやら同類項か多いらしい。荷物を持ち、慣れない足取りでうろうろしている人があちこちで見られる。事故は一体どのくらいの規模だったのだろう。ニュースをちゃんと見てくれば良かった、とあらためて思う。
 ダイヤは乱れに乱れていたが、それでも一応列車は動いていた。時刻表を気にしなければ、とにかく待っていれば乗れそうだったので、やってきた列車に乗って行った。
 窓の外の風景は、どんどん暗くなっていく。普段そう見ることの無い景色だから、いつもだったら結構見入っていることが多いのに、今日はそれどころではなかった。
 言われた部屋の番号をやっと見つけて、そこが個室であることを確認して、ノックした。どうぞ、とアルトの声がした。
「…こんばんわ…」
 我ながら間抜けな挨拶だとは思うのだが、他にどう言いようがあっただろう?
 椅子に座っていた女性が立ち上がった。そう大きくはない。どちらかというと小柄だ。ボーダーのTシャツを中に着込み、シャツを羽織っている。
「あなた」
「初めまして。加納美咲です」
「ええ…ええ、来てくれてどうもありがとう」
「これ、彼女の荷物です。…どうなんですか?」
 本人は、ベッドの上だった。ぐっすりと眠っているようだった。
「うん、今は麻酔が効いてるから」
「…ってことは、手術か何かしたんですか?」
「ええ、結構強く背中を打ってたみたいで…足自体も骨折していたし、…それ以外は、まあ、腕も頭にも何も問題はない、ってことなんだけど…」
 私は何も返せずに、眠る彼女を見下ろした。髪が乱れている。顔には取りきれなかった、泥だかすすの様な汚れがついている。
「ぶつかった車両ではないのよ」
 黙ってうなづいた。
「だけどそれで脱線して、転がってしまった車両に居たの。それで投げ出されてしまったんだ、って聞いたのよ」





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最終更新日  2006.02.25 21:01:42
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